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2023年12月2日土曜日

書評『熟達論 ー 人はいつまでも学び、成長できる』(為末大、新潮社、2023)ー 「遊」に始まり「空」に終わる五段階で「熟達」について考える

 
 
ベストセラーになっているという『熟達論』(為末大、新潮社、2023)を読んだ。現代の『五輪書』を目指した内容の本なのだという。

宮本武蔵が剣術について書いた本が、剣術という狭い専門を超えて、人生論として読まれてきたのと同様に、本書もまた陸上競技という狭い専門をはるかに超えて、上達論として、さらには人生論として読まれていくことだろう。

まさに読ませる内容である。


タイトルに示されているように、本書のエッセンスは「熟達」である。ただたんに技能の向上を目指したものではない。「熟達」とは、技能を身につけた人間が、さらなる高みを目指すプロセスをつうじてで人間として成熟していくことである。

副題にあるように「人はいつまでも学び、成長できる」という側面に重点が置かれている。「学び」であり「成長」である。その意味では教育論であり、しかも自己教育の心得といったものだろう。師をもたない独学者が陥りがちな盲点への注意喚起でもある。

「走る哲学者」という異名をもつ著者は、自分の体験と考察を、自分のことばで語ることのできる人だ。だからこそ、まさに哲学者なのであり、その思索をことばにしたものは哲学というべきなのである。哲学史に登場する西洋の大哲学者の名を冠したものだけが哲学ではない。


現代の『五輪書』を意図した本書は、武蔵の「地・水・火・風・空」と同様に、5つの成長ステージで「熟達」を捉えている。

すなわち、「遊・型・観・心・空」の5段階である。ただし、武蔵とは違って、「遊・型・観・心・空」のそれぞれがもつ意味合いは異なる。

著者の専門である陸上競技に限らず、上達を欲する人は、この5段階のどこに自分がいるのかを見極めなくてはならない。ステージごとに求められるものが異なるからだ。当然のことながらアドバイスの内容も異なってくる。

なによりも「遊」を最初に置いたのが慧眼だ。この点が本書の最大の特徴である。著者がいかにこのテーマで考え、考え尽くした人であるかがわかる。

というのも、日本人は、とくに現代の日本人は、全体を見ることなく、いきなり細かな技能に目がいってしまいがちだからだ。だが、技能の習得だけを考えていたら、そのステージから上がることは永久にできないのである。

技能の前にまずは「遊」がこなくてはならない。子どものように「遊」で全展開を体験し、そのあとで自己制御(=セルフコントロール)することを覚えていくのである。

まずは大きく拡げて、それから絞り込んでいく。技能の習得に限らず、発想法でもおなじである。


そして「型」の内部機構を「観」る。その内部機構の「心」(しん)、すなわち「中心」を体感する。身体論的にいえば、体幹を体感するといってもいいだろう。

そして最終的な境地は「空」である。いわゆる ZONE(ゾーン)である。そこでは時間がストップし、スローモーションで展開する時間が無限につづくかのような境地に達する。

過去でも未来でもなく、「いま、ここ」という「瞬間」、つまり「現在」に意識が集中するステージである。

その瞬間には自分は消滅し、自他の区別もなくなっている「自他未分離状態」である。東洋の伝統的な哲学でいえば、儒学や道教でいう「天人合一」であり、インド哲学ウパニシャッドの「梵我一如」である。

だが、その境地は永遠につづくわけではない。また滅多にやってくるものでもない。だが、一度でも体験すると、その感覚は生きている限り、永久に記憶されることになる。

五段階の「熟達ステージ」だが、「遊・型・観・心・空」の5段階で完結したわけではないのである。著者も寓話のような語りをしているが、ここでふたたび「遊」のステージになる。「遊・型・観・心・空」、そしてまた「遊・型・観・心・空」の無限の繰り返しがつづくのである。

「遊」に始まり「空」に終わる。あたかも、それは禅仏教の「十牛図」のようでもあり、チベット仏教の「砂マンダラ」のようでもある。

だが「空」で終わるわけではない。完成した時点で、すべてはシャッフルされて、また振り出しに戻る。だが、その時点はあらたなスタート地点であるあるが、「空」を体験する前のとは異なっているのである。

一般に日本の芸事では「守破離」が説かれることが「常識」となっている。著者のいう「空」は、「離」ののちに出現する境地のことであろう。

そしてまた「遊」に戻る。そして、ふたたび「遊」から始まり・・・。このプロセスは無限に繰り返されることになる。「初心忘れるべからず」だからだ。「遊ぶ子どもの声聞けば、わが身さへこそ揺るがるれ」。

つまり「段階」でありながら、かつ「円環」なのだ。だから永遠に終わりはない。それでいいのだ。それが大事なのだ。「死ぬまで修行」とは、そういうことを意味している。


本書は、アタマで読む本ではない。カラダとココロで読む本だ。自分自身の体験と重ね合わせて読むべき本だ。

読者ひとりひとりが共通のフレームに従いながら、それぞれ別々の読み方をする。そして共通のフレームがあるからこそ、ひとりひとりの体験と思索が、共通のフィールドで共有できることになる。

著者は本書を「中間報告」と述べている。さらなる思索の深まりを期待したい。




目 次
序 熟達の道を歩むとは 
第1段階 遊 ー 不規則さを身につける 
第2段階 型 ー 無意識にできるようになる 
第3段階 観 ー 部分、関係、構造がわかる 
第4段階 心 ー 中心をつかみ自在になる 
第5段階 空 ー 我を忘れる 
あとがき


著者プロフィール
為末大(ためすえ・だい)
元陸上選手。1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2023年6月現在)。現在は執筆活動、身体に関わるプロジェクトを行う。Deportare Partners 代表。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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■「型」の重要性とその習得







■身体と精神の密接な関係




■観察法 離見の見 見えないものを観る




■「自他未分離状態」と「創出」



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2011年1月17日月曜日

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)-ソムリエの説く「記憶術」と「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書だ




ソムリエの説く「記憶術」と「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書だ

 レストランでお客様の要望に応じて、もっとも適したワインを選ぶ手助けをする専門職ソムリエ。

 ソムリエは、なぜあれほど多くのワインの銘柄の味を香りを知っているのか、なぜ料理と予算にあわせて最適のワインを推奨することができるのか。
 その秘密を世界最優秀ソムリエコンクールで優勝した本人が明らかにした本だ。

 「調べたら分かります」とは絶対にクチにできない職業の一つがソムリエだ。お客様との一期一会の場で瞬時に、かつ的確に状況を判断し、趣味や予算や料理という条件のもと、シチュエーションにおいてもっとも的確な答えを、その場で導き出すことが求められる。

 そのためには、数万種類に及ぶワインの銘柄と味を、自分で試飲したうえで、自分のアタマになかにたたき込み、お客様の要望を聞いた瞬間に、アタマのなかで高速回転でシミュレーションを行うことが必要になる。

 ワインの味と香りという、感覚的な性質の強い分野では、ワインの特性を、自分の主観を大事にして、それをコトバにして記憶し、脳内にデータベースを構築しておくことが必要なのだ、そうすれば記憶も再生しやすいのだと著者は説く。ただし、お客様にも通じるコトバであることが重要だ。

 著者はそのためには、なによりも五感を鍛えること、とくに嗅覚を研ぎ澄まして、匂いと香りに敏感になることの重要性を説いている。とかく視覚に頼りがちな現代日本人も、日常生活において嗅覚に敏感になるような生活習慣をみにつければ、コトバで表現するための基盤ができあがるのだという。

 情緒的なコトバや、陳腐な決まり文句で料理の味を表現したと思い込んでいるTVのグルメリポーターたちへの違和感、こんな感想を一度でも抱いたことのある人はこの本を読んでみるといい。この本を読むと、自らの表現技術について反省する機会にもなる。

 本書は、仕事と人生における「表現力」の本であり、また「記憶術」の本でもある。そしてなによりも「言語技術」の鍛錬について語っている本である。これらはみな、コミュニケーションの重要性がまずます増大している日本では必須のスキルであり、ソムリエの説く「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書になっている。

 ロジックの国フランスでソムリエ修行した著者の説得力は強い。ぜひ一読を薦めたい。


<初出情報>

■bk1書評「ソムリエの説く「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書だ」投稿掲載(2010年10月27日)
■amazon書評「ソムリエの説く「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書だ」投稿掲載(2010年10月27日)





目 次

はじめに-ソムリエの表現力
第1章 その言葉は、本当に「おいしい」を表現できていますか?
 (1) 実際には味わいを伝えていない常套的表現
 (2) 先入観でおいしいと思い込んでいる表現
 (3) 日本的なマイナス思考による表現
第2章 味わいを言葉にして表現する
第3章 五感を鍛え、表現力を豊かにする方法


著者プロフィール

田崎真也(たざき・しんや)

1958年、東京生まれ。ソムリエ。国際ソムリエ協会副会長。1995年、第8回世界最優秀ソムリエコンクール優勝。以降、日本に本格的なワイン文化を普及させた功績において、2008年「現代の名工」(卓越した技能者)受章。現在は、ワインを含む酒類と食の全般に場を広げて活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

ソムリエの「記憶術」について

 かならず再生(想起)できる記憶でないと実務的ではない、ということだ。五感をつうじて感じ取った情報を、あくまでもコトバとして記憶する。

 ここでいうコトバとは、コンピューターでいえばタグやインデックスに該当するだろう。ワインの銘柄の一つ一つ(・・しかもヴィンテージも重要な情報)について、できるだけたくさんの切り口でインデックスをつけて記憶しておけば、趣味や予算や料理などの条件や、食事のシチュエーションに応じて記憶のデータバンクから的確なものを引き出すことができる。

 おそらくできるソムリエのアタマのなかは、多次元のマトリックス構造でデータベース化されているのであろう。「価格帯でいうと・・・」、「料理とのマリアージュからは・・・」、「会食者の属性からみると・・・」、「イベントの性格からいって・・・」などなど。
 
 こういった情報がアタマのなかで構造化されていれば、超高速回転のコンピューターよるはるかに解答は早く引き出せるだろう。

 最近、ふと思い出して江戸時代の国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)について調べていたら、この人は世界的にみても超人的だなと感嘆した。

 子ども時代に失明して、その後、国文学者として大成した18世紀の人だが、古来から伝承されてきた歴史書や文学書を、正編だけでも 1273種530巻666冊に及ぶ文書を集大成した『群書類従』を完成させた人である。これによって、日本の古典がはじめて木版印刷によって複製可能なものとなった。

 この膨大な文書群をすべて耳で聴いて覚え、手のひらで漢字を書いて、どこが漢字でどこがカナになっているかに至るまで詳細に記憶していたのだ。そのうえで、さまざまな異本をつきあわせながら校訂作業を行ったということが、超人的としかいいいようがないのだ。
 「塙保己一資料館」にエピソードが紹介されている。

 人間の脳力はある面については大幅に進化・発展した一方、他方では大幅に後退している面もある。後退した能力で最たるものは記憶能力である。近代における印刷術発明後以降、とくにインターネットの爆発的な発展と普及によって、書物やインターネットなどの「外部記憶装置」への全面的な依存症状態が加速している。

 ソムリエ田崎氏の「記憶術は」ある意味では、近代以前の「記憶術」のようにも聞こえなくもないが、これは現代フランスでは当たり前の技法であることに注目しておきたいのである。レストランでソムリエがスマートフォンを取り出して調べるわけにはいかないだろう。それでは高級レストランでの食事のムードは完全に台無しだ。

 以前、このブログでも紹介したコンシェルジュの仕事を自ら紹介した 書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001) でも、著者のコンシェルジュ阿部氏は米系ホテルに勤務しているが、コンシェルジュという職業はフランスが本場であることを書いていた。

 ソムリエ田崎氏の「記憶術」は、もちろん本人が自分流に大幅にカスタマイズしたもので独自性のあるものだが、ソムリエ(sommelier)とコンシェルジュ(concierge)という仕事には、フランスという共通項があることは非常に興味深い。

 ソムリエ田崎氏の「記憶術」は、読者自らがさらに自分用にカスタマイズして活用したいものだ。


ソムリエの「言語技術」(コミュニケーション・スキル)について

 自分が感じたことを的確にコトバに置き換える「言語技術」は、日本のサッカーの発展にもに大きな貢献をしている。

 これは、ブログでは、書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003) と 書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007) に書いておいた。

 コトバで表現する技術(スキル)は、まだまだ多くの日本人にとっては、訓練されたことがないので、もっとも不得意なことの一つだろう。実際には伝わっていない常套的表現、先入観で思い込んでいる表現、マイナス表現など、とかく多くの日本人が無意識にうちに使っているコトバではなく、他者にも伝わる分析的な表現で記憶に刻み込み、コミュニケーションの場で使用することが重要なのである。

 その意味では、サッカーの現場におけるロジカな言語技術力の強化も大いに参考になる。

 言語運用能力は技術(スキル)であるという「言語技術」のコンセプト。これは何度繰り返しても言い過ぎにはならない、「生きるチカラ」としてきわめて重要なスキルである。

 日頃から大いに意識したいものである。



<ブログ内関連記事>

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)
・・「言語技術」あるいは「コミュニケーション・スキル」の強化法

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)
・・上記の三森氏との共同作業の成果について具体的に記述

書籍管理の"3R"
・・「独創的な研究を残した、突出した天才学者というのは、多かれ少なかれ、抜群の記憶力をもっていたことは確かなことだろう。いちいち文献をひっくり返しているようでは、アタマの中で猛スピードでフル回転させることは不可能だからだ」・・・「外部記憶装置」に全面的に依存することなく、脳内データベースのほうが効率的で効果的だ。

書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001) 
・・コンシェルジュは何を聞かれてもわかるように知識や情報を蓄えるとともに、誰に聞けばわかるかという人脈も重要

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)・・コンピュータと人間の脳の違いとは

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)
・・インド人の科学者の鍛えられ方の秘密の一端は「記憶術」にある!




(2012年7月3日発売の拙著です)








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