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2020年10月4日日曜日

書評『大砲と帆船 ― ヨーロッパの世界制覇と技術革新』(C.M. チポラ、大谷隆昶訳、平凡社、1996)―「大砲と帆船」の組み合わせが近世以降の西欧の優位性を生み出した


『大砲と帆船』というタイトルは、言い得て妙である。これほど的確に「第1次グローバリゼーション」における西欧による世界制覇を表現したコトバの組み合わせは他にない。

英語の原題は Guns, Sails, and Empires:  Technological Innovation and Early Phases of European Expansion, 1400 - 1700 直訳すれば、『大砲、帆船、帝国-技術イノベーションとヨーロッパ拡大の初期段階』となる。これでは長すぎる。日本語タイトルは、ギリギリまで切り詰めており秀逸だ。

「大砲と帆船」の組み合わせが、近世(=初期近代)以降の「海上」におけるヨーロッパの優位性を作り出したのである。

戦争に使用される大砲と、海上移動に使用される帆船は、それぞれ別個に発達したテクノロジーだが、この2つが結びついたことで、足し算以上の掛け算としての威力を発揮することになったのだ。

要は、機動力と破壊力である。陸上の戦闘で城塞を攻撃するための大砲の効果は大きいが、いかんせん大砲を戦場まで移動させることは大きな問題であった。この問題を解決したのは、大砲を帆船に搭載することで実現し、以後この組み合わせの技術進歩が休むことなく続いている。

風を動力とする帆船の時代が終わり、石炭を燃料とする蒸気船の時代になっても、石油を燃料とする時代になっても、技術進化の方向に変化はない。軍事的な覇権がヨーロッパから米国にシフトして以降も、本質に変化はない。

もちろん、航空兵力と潜水艦の発展によって、「大艦巨砲主義」の時代が終わったことを痛切に感じさせられたのは、大東亜戦争で戦艦大和を失った日本と日本人であったことは、あえて書くまでもあるまい


■ヨーロッパによる世界覇権の第一歩は「海上」の「大砲と帆船」でもたらされた

「海上」でフルに発揮されたヨーロッパの優位性は、「陸上」では十分に発揮されなかった。これは本書のなかでは、もっとも興味深い指摘である。

アメリカ大陸に支配を及ぼしたヨーロッパ勢力だが、アジアにおいては(アフリカにおいても)、かなり長期にわたって沿岸地域しか確保できなかったのはそのためだ。ここでいうアジアとは東アジアのことであろう。端的にいって、中国と日本のことである。

ポルトガルが確保したのは、ゴアやマラッカ、そしてマカオという「点と線」であり、後発組のオランダもまたそれをなぞったに過ぎない。内陸まで侵攻するようになったのは、19世紀後半の英国によるインド植民地化以降のことだ。

本書では言及されていないが、ヨーロッパ勢力が「陸上」で優勢性を発揮できなかった典型的な例は「島原の乱」(1637~38)であるといっていいだろう。逆に、日本が「海上」で優位性をもつヨーロッパ勢力と組まなかったため、大いに苦労したのが「朝鮮之役」(1592~1598)であろう。

以下、「島原の乱」と「朝鮮之役」(・・日本で一般的な「文禄・慶長の役」のこと)について、「海上」の優位性という観点から整理しておこう。まずは時間的に先行する「朝鮮之役」から始める。

「朝鮮之役」にかんしては、「大砲と帆船」を用意できなかったための問題点も浮上している。

そもそも秀吉の構想は中国征服が目的であったわけで、島国の日本が中国に向かうには朝鮮半島に上陸するのがいちばん近道である。戦争においては将兵と武器弾薬、それに糧食も含めた物資を輸送するためのロジスティクスが必要である。まずは、渡海のための船が必要である。これは日本水軍が担っていた。

だが、「海上」での戦闘を主目的にしていたわけではなく、あくまでも人員と物資を無事に上陸させることに主眼点がおかれていたわけである。もちろん、使用された安宅船には火縄銃式の大鉄砲が備え付けられていた。

「海上」の戦闘においては、敵の船に接舷して切り込んでゆく白兵戦指向で、この点においては当時の日本軍は無双の強さを誇っていた。後述するように、同時代の地中海のガレー船による戦いもまた同様であった。

とはいえ、朝鮮水軍の李舜臣に翻弄されるといった事態も発生している。李舜臣と亀甲船については過大評価のきらいがあるものの、出兵準備の段階でポルトガルなりスペインの大砲積載船を確保できていれば、朝鮮水軍は簡単に撃破できていたはずだ。だが、秀吉にはいまひとつ戦略眼が欠けていたのか、それ以上に反キリシタン意識が強かったのか、そうはならなかった。

話を元に戻そう。「海上」はさておき、「陸上」において大砲が使用される可能性は、大坂の陣以降の日本ではすでに低くなっていた。

「島原の乱」においては、「立ち返りキリシタン」を中心とした一揆勢力は、キリシタン浪人たちの指導のもと、島原湾に面した原城に籠城することになる。そこで幕府は、オランダ東インド会社(VOC)に命じて、帆船軍艦の大砲で原城を攻撃させたのであった。幕府には、大砲を積載した船がなかったからだ。

実質的に「家臣」となっていたプロテスタント勢力のオランダに命じたのである。キリシタン勢力のバックには、カトリック勢力のポルトガルがいると幕府は睨んでいた。この意味では、ヨーロッパにおける宗教戦争が島原の地で展開されたと見なすことも可能だ。

18世紀オランダの政治家ファン・ハーレンが書いたオランダ弁護の書『日本論-日本キリシタンとオランダ』(筑摩書房、1982)によれば、VOCは軍艦1隻を差し向け、15日間で合計425発の砲弾を発射している。このときの船の積載砲は26門で、6門が12ポンド砲、残りが6ポンド砲であった。だが、ほぼ水平方向にしか撃てない艦載砲では、実際にはあまり効果がなかったようだ。

砲撃では重大な損傷をもたらしていないどころか、城からの銃撃でオランダ兵が殺されている。その後、幕府はオランダに依頼して臼砲の製造を行わせた。幕府への献上品として、将軍家光の御前で試射が行われたが、かならずしも思うような結果が出なかったらしい。

島原の乱の集結後に幕府はポルトガル船の来航を禁止し断交したが、当然のことながらポルトガルの反撃を想定していた。実際にはポルトガルは反撃してくるどころか、マカオから貿易再開を哀願してだけであった。幕府は、ポルトガル使節を無慈悲にも斬り捨てている。絶対に勝てるという自信があったのだろう。

戦国時代(16~17世紀)の日本は、陸戦でモノをいう火縄銃の開発と量産には注力していたが、大砲はあくまでも補助的な位置づけにしていたようだ。

秀吉の「朝鮮之役」では明軍のフランキ砲という大砲に苦戦したにもかかわらず(とはいえ、日本軍の小銃と槍の組み合わせで明軍を圧倒している)、家康は関ヶ原の戦いでも、大坂の陣でも、大砲は補助的な役割しか与えていない。しかも使用したのはイングランド製なりオランダ製の輸入品だ。国内で量産化され普及していた火縄銃と違って、大砲は西欧から輸入すればいいとみなしていたようだ。

21世紀の現在では想像しにくいが、日本のみならずヨーロッパにおいても、道は舗装されていなかったことを考えれば、大砲の移動が容易ではなかったことが理解できるだろう。

古代ローマでは街道は石で舗装されていたが、それ以外の地域では舗装道路は存在しなかった。現在では標準のアスファルト舗装が誕生したのは19世紀前半の英国である。


(付注)日本最初の艦砲射撃は「門司城の戦い」(1561年)に行われている。毛利家に奪われた門司城の奪還を目指したキリシタン大名の大友宗麟は、博多に停泊していたポルトガル船に艦砲射撃を行わせたといわれる。だが、勝敗を決するような砲撃ではなかったようで、ついに門司城の奪還は叶わなかった。もっとも有名な艦砲射撃は、薩英戦争(1863年)における英海軍による鹿児島城下焼き払いであろう。だが、戦いそのものは互角であり、英海軍の司令官が薩摩側の砲撃によって戦死している。


■「大砲」の発達

「大砲と帆船」が西欧の優位性を生み出したわけであるが、その発達史を大砲と帆船にわけて、本書以外の文献も参考にしながら簡単に整理しておこう。

そもそも火砲はヨーロッパで生まれたのではなく、中国で生まれたものである。これはすでに常識だといっていいだろう。

かつては、印刷術・火薬・羅針盤が「ルネサンスの三大発明」といわれたこともあったが、これは無知にもとづく西欧中心主義の妄想であったというべきだろう。21世紀の現在、このような表現はもはや通用しない。

では火砲はいかにしてヨーロッパに伝来したのか? それは、13世紀のモンゴル帝国の成立によるものだ。モンゴルが東方から西方に軍事的に拡大していった時期、遊牧民のモンゴル軍は中国人の火砲技術者を連れて陸路でユーラシアを縦断していったのである。モンゴル軍は国際混成部隊であった。

あわや西欧社会はモンゴルの手に落ちるかという瀬戸際で、偶然的な事象の発生でモンゴル軍が撤退したのだが、ポーランドからハンガリーにかけてまでモンゴルに征服されている。ロシアは長期にわたってモンゴルの支配下にあった。

中国からヨーロッパに伝来した火砲は、ヨーロッパで独自の発展を遂げるようになる。同時に中国においても独自の発展を遂げていった。14世紀の寒冷化のなか中国の支配者は元から明に代わるが、明軍が火砲を使用していた。だが、社会が安定するにしたがい、明朝は火砲の使用を制限するようになった。

ヨーロッパでは、火砲は城塞攻撃の武器として重用されるようになる。有名な15世紀前半に活躍したジャンヌ・ダルクは、騎士がいやがる大砲を積極的に使用し、砲兵隊を独立させている。だが、火砲をもっとも効果的に使用したのは、オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落(1453年)であろう。

ところが、16世紀の初めには火縄銃が発明され、小銃中心の時代となり、大砲の技術開発は後回しとなった。火縄銃が種子島に伝来したのは16世紀半ばのことだ。小銃の製造は当時の技術水準からみて手頃なものだったので、ヨーロッパだけではなく日本でも爆発的に普及することになる。以後、16世紀は火縄銃と槍の組み合わせが戦闘の標準形となったのは、ヨーロッパも日本もおなじである。

面白いことに、中国には16世紀の始めにヨーロッパ製の大砲も小銃も伝来していたが、大砲はフランキ砲という形で導入されたが、小銃は普及しなかった。16世紀から17世紀にかけての、大砲志向の中国と小銃志向の日本との違いが興味深い。

素材と材料という観点から大砲について見てみると、ヨーロッパでは最初は青銅製が中心であった。銅と錫の合金である青銅(ブロンズ)は、加工しやすいというのが最大の利点であったが、材料費が高いのでコスト高になるのが難点であった。青銅製の大砲製造の中心は、先進地帯のフランドル地方であった。

青銅に対して、加工はしにくいがコストが低いのが鉄である。鉄製の大砲の技術革新を行ったのがイングランドである。経済後進国ではあったが、イングランドには豊富な鉄鉱石があったためだ。余談だが、18世紀の後半には、原材料の鉄鉱石に加えて燃料としての石炭にも注目が集まり、その双方を産出するイングランド(英国)で世界最初の「産業革命」が始まることになる。

17世紀は「オランダの黄金時代」であったが、オランダはスペインからの独立戦争を戦う必要から大砲を必要としていた。アジア海域では、先行する競合先ポルトガルやスペインの勢力に対応するため掠奪を中心に活動を行っていた。そのため、帆船に大砲を積載することが必要であり、大きな需要が生じていた。

オランダはイングランドから輸入していたが、後背地ともいうべきドイツやスウェーデンに目をつけることになる。豊富な鉱物資源を有するスウェーデンは、旺盛なオランダの需要に応えるべく大砲の一大生産国となっていく。

銅の産出国であるスウェーデンでは、最初は青銅製が中心だっが、鉄鉱石も豊富に産出することもあり、コスト安の鉄製大砲を求めるオランダの需要の応えて、鉄製大砲の主要生産国となっていった。現在までつづく兵器製造大国スウェーデンは17世紀半ばに誕生したのである。

「大砲と帆船」というテーマでいえば、青銅製であれ鉄製であれ、帆船に積載されることで機動力を確保し、遠距離航海が可能になることで、軍事力の裏付けをもった経済進出を可能とするようになったのである。


■「帆船」がメインになる

現在のように動力が石油になる以前は、船の動力が人力や風力に頼るのは、世界中どこでも当たり前であった。

自然界に存在する風力を利用した帆船は、ある意味では人類史とともに存在する。中国のジャンク、インド洋のダウ船は、いずれも帆船である。

だが、帆船の技術が高度に発達したのは西欧である。14世紀の1本マストから15世紀には2本マストに発展し、その後は3本マストで5枚から6枚の帆をもつ全装帆船へと発達していく。

古代文明の中心の1つであった地中海世界では、帆船ではなくガレー船が中心であった。水深が深くて干満差がほとんどなく、波が比較的穏やかだが、風向きが不安定で突風もあるため、人間が漕ぐ人力のガレー船が適していたのである。

イタリアの都市国家ヴェネツィア、ジェノヴァの商船、スペインの商船と艦船もまたガレー船であった。ヨーロッパのキリスト教勢力が初めてイスラーム勢力を破った「レパントの戦い」(1571年)は、ガレー船の絶頂期であった。

ところが、地中海からジブラルタルを出て大西洋、さらに北海に入るとガレー船では対応できなくなる。というのは、北海は水深が浅くて干満差が大きく、特に冬場は荒天が続いてウネリも大きく、一部では結氷もある。だが、洋上では風向きが季節によって一定しているので風力を利用する帆船が適していたのであった。
 
南の地中海と北の北海でそれぞれ発達してきた造船技術が融合することで、15世紀にはヨーロッパの帆船技術は飛躍的に進歩することになった。この時代に、いわゆる「大航海時代」を先導して大西洋からアフリカ、さらにはアジアまで進出していったのがポルトガルだ。

この動きはおなじカトリック国であったスペインも追随することになる。さらにはプロテスタント勢力もオランダとイングランドが続いていくことになった。


 
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  PS イタリア人の著者が最初から英語で書いた本

著者のカルロ・M・チポラ(Carlo Maria Cipolla、1922~2000)はイタリアの経済史家。『時計と文化』など、もっぱら英語で科学史と経済史の双方にかかわる分野で旺盛な執筆を行った人だ。

『大砲と帆船』は、さらに軍事史にもかかわるテーマであり、簡潔な記述の背後には膨大な研究蓄積があることが、著者による詳細な注で明らかだ。

第2次世界大戦後の世界には、イタリア人が英語で作品を発表するようになった。カルロ・チポラ教授もそうだし、『ロミオとジュリエット』や『ブラザー・サン シスター・ムーン』の監督でオペラ演出家のフランコ・ゼフィレッリ(1923~2019)もそうだった。ほとんどの映画作品は英語である。

2人は同世代である。もともと英語が得意だったということもあろうが、1943年のイタリアの敗戦時で20歳だったという世代であったことも影響しているのだろう。

おなじ敗戦国とはいえ、人口が1億人台の日本と違って、人口6000万人程度のイタリア人の作家にとって、最初から英語で作品を問うという路線が成功をもたらしたことは間違いない。英語でなければ世界の頂点には立てない、そういう時代となっている。

ある意味では、きわめて現実的な選択であったといえよう。



<ブログ内関連記事>

・・17世紀の「オランダの黄金時代」は造船技術によってもたらされた

・・西欧の覇権は、海の利用によってもたらされた

・・17世紀前半のスウェーデンが「三十年戦争」でイニシアティブを握ったのは、クリス的な女王の父グスタフ=アドルフであった。彼は機動的な野戦砲を導入しただけでなく、「16世紀オランダ軍事革命」の申し子でもあった

・・幕末の19世紀半ばに鉄製大砲を鋳造するための最先端の製鉄炉が反射炉だった

・・幕末に至るまで日本は小銃志向の強い国であった

・・このカタログには大砲はほんの少ししか登場しない。あるのはロケットランチャーのような大筒だけだ



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2018年4月22日日曜日

「韮山反射炉」を見に行ってきた(2018年4月21日)ー 日本人なら一度は見学しておきたい反射炉は、まさに「百聞は一見にしかず!」の産業遺産

(韮山反射炉は高さが15.6m 筆者撮影)


昨日(2018年4月21日)のことだが、「韮山反射炉」を見に行ってきた。世界遺産に登録されている「幕末・明治の産業革命」の遺産の一つだ。 

幕末の歴史を見ていると、やたら「反射炉」というものが登場する。有名なところでは藩主・島津斉彬の薩摩藩、藩主・鍋島閑叟の佐賀藩など全国各地の藩や幕府で取り組まれた。

「反射炉」は大砲の鋳造を主目的に建設された金属融解炉のことだ。 燃焼室で発生させた熱を、天井や壁で「反射」させて炉床に熱を集中させ、そこで金属の融解を行う。

明治時代になると、いきなり「転炉」の時代になって、「反射炉」の「は」の字も目にすることがなくなる。だからだろう、困ったことに「反射炉」とは何かという説明が、ほとんどなされることがないのだ。

「反射炉」ってなんだ?  なぜ「反射炉」なんだ? 

やたら出てくる割には、現在の製鉄技術とどう関係するのかよくわからない。そんなことが、ずいぶん昔から気になっていた。 

「韮山反射炉」は、韮山の代官で技術官僚の江川太郎左衛門(=江川英龍、坦庵)が主導して建設した幕府側のものだ。現在まで残る唯一の「反射炉」である。

というわけで、意を決して(!)見に行ってくることにしたのだ。長年の疑問を解決するために。 


■韮山は伊豆半島の真ん中に位置

韮山は、静岡県の伊豆半島の真ん中に近い伊豆の国市にある。関東からならムリすれば日帰りも可能だ。今回は、あたらしく開設された「新宿バスタ」から高速バスで行ってみた。座席指定で事前に要予約、往復で4510円なので、鉄道を利用するより安い。 

朝9時15分の便で出かけて、16:00現地発の便で帰るという日帰りの強行軍。土曜日なので満席だ。時刻表では2時間強で到着することになっているのだが、東名高速が混んでいるので定刻より1時間以上の遅れ、片道で3時間以上もかかった。したがって、現地滞在時間は3時間程度しかないので、観光案内所でレンタサイクルを借りて走りまくった。 

目的地は2つ。まずは「韮山反射炉」、そして「江川邸」。江川邸とは、反射炉を建設した江川太郎左衛門の屋敷のことである。

巡回バス(300円)という選択もあったが(観光案内所ではそちらを推奨していた)、レンタサイクル(500円)を選択。自転車のほうが機動力があるので正解だった。

スマホをナビに変速ギアの自転車で走りまくった。なんといっても富士山の裾野だから、天気は快晴で富士の白嶺を見ながらのサイクリングは最高だ! 


(反射炉から江川邸に向けて走る。目の前には富士山! 筆者撮影)


■なぜ韮山に反射炉なのか?

韮山反射炉は、1853年に建設が開始され、ここで大砲が製造された。この1853年というのはペリー艦隊が「黒船」として「開国」を求めて来航した年だ。翌年の2度目の来日で日米和親条約が締結されることになる。

そもそものきっかけは、1840年のアヘン戦争のインパクトである。当の中国ではなく、日本の武士を中心とした知識階層に大きな危機感を呼び覚ますことになった。江川太郎左衛門は、伊豆半島の治める代官であり、海防にはきわめて大きな危機感を感じていた一人であった。

世界的大都市の百万都市の江戸にとっての江戸湾、そして伊豆半島の地政学的重要性から、海防のための大砲による備えは喫緊の課題であったのだ。

当時の最先端ハイテク地域は鍋島公が藩主の佐賀藩で、江川太郎左衛門は佐賀藩の協力のもとに反射炉の建設と大砲製造を行ったらしい。そもそも佐賀藩自体、オランダ語の専門書だけ読んで建設に取り組んで成功しているのだから、驚きとしかいいようがない。 

「反射炉」の時代があっという間に終わったのは、同時代の英国はまさに「産業革命」の真っ最中で、日本で洋書を頼りに自前で反射炉の製造に取り組んでいた時期には、英国では最新鋭のベッセマー法が発明されていたからだ。

明治維新以後は、高給で雇った外国人技術者をフルに活用することになる。つまるところ、時間をカネで買うという戦略に転換したわけだ。 


(反射炉の説明書き 筆者撮影)

技術史的に見れば、「反射炉」は過渡期の製造技術であったわけだが、専門書を読んだだけで自前で創ってしまう日本人というのは、現在から見てもとてつもない人たちであったとしか言い様がない。 

2015年にはめでたくも「世界遺産」に登録されているが、わたしが訪問した時には、外国人観光客は皆無であった。「世界遺産」というのは外国人観光客を呼び込むためのものというよりも、権威付けによって日本人の関心を喚起するために利用されている仕組みなのだな、と思うのであった。

別に皮肉で言っているわけでない。世界遺産に登録されたことで予算が付き、遺跡を保護しようという地域住民の意識が高まり、しいては地域振興につながるという「効用」があるからだ。

まあ、そんなことはさておいても、日本人なら一度は見ておきたい「韮山反射炉」。165年前の産業遺産が、原型を保ったまま保存されているのは素晴らしいことだ。 

まだ見たことがない人は、ぜひ見るべきだと力説しておきたい。






<ブログ内関連記事>

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・・慶応3年に幕府が建造したドライドック(・・なんと現在でも現役で使用!)、旧帝国海軍の建造物各種(・・これまた米海軍がそのまま現役で使用!)など

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について


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2015年11月5日木曜日

書評『軍事大国化するインド』(西原正・堀本武功=編、亜紀書房、2010)-「軍事大国化」への道を進む巨象インドの実態を知ることのできるバランスのとれた入門書



つい先日(2015年10月14日)のことだが、インド海軍と米国海軍の合同軍事演習マラバールに、2007年以来8年ぶりに日本の海上自衛隊が参加したというニュースが流れていた。

その背景には、南シナ海のみならずインド洋においても中国海軍のプレゼンスが強大化しつつあるという否定できない現実がある。インド洋での合同軍事演習への日本の参加を非難する中国の反発を懸念して、インドは日本を招待していなかったのだ。

だが、「真珠の首飾り」戦略というフレーズに端的に表現されているように、いま南アジアにおいては、中国がインド周辺に着々と拠点を築きインドを包囲する方向に進んでいる。強い危機感を感じるインドは、中国を牽制するために「軍事大国化」を急いでいるのである。

もちろん、日本にとってはシーレーン防衛という観点から、太平洋だけでなく、中近東からインド洋にいたる海域の重要性は増すばかりである。その意味でも日本とインドは共通の利害関係をもつのである。

では、インドの軍事力の実態はいかなるものなのか? 「軍事大国」というイメージだけが一人歩きしつつあるのは、中国もインドも同じだろう。巨象にもたとえられることのあるインドである。言語も宗教も複雑にからみあった世界最大の民主主義国家インド。そんなインドの軍事力もまた、一筋縄でいくものではないだろうことは容易に想像できる。

「群盲象をなでる」というフレーズがあるが、そんな巨象インドの軍事にかんして、ザックリした見取り図が得られるのではないかと期待して、入門書としての本書を読んでみた。

読んでみての感想としては以下のとおりだ。報告書のような淡々とした叙述だが、けっして無味乾燥ではない。編著でありながら、全体的な首尾一貫した論調が貫かれており、論理的で平明な文体で、最初から最後まで読むことがまったく苦痛ではない。編著者の力量と学問的良心を感じさせるものがある。こういう本は、じつはなかなか少ないのだ。

あくまでもインドの立場からインドの軍事を考えるという視点が本書を貫いている。日本側によるインドに対する勝手な期待や希望的観測を拝し、あくまでも事実に基づいて正確な姿を描き出そうとしている。この基本姿勢はじつに好ましい。

インドが「軍事大国化」を目指しているのは、端的にいって中国に対する牽制だが、インドと中国の関係は、日本と中国の関係と同様に、経済と軍事では大きなねじれが存在する。ここまでは一般常識の範囲内であろう。

だが、本書から得られる「軍事大国」インドのイメージは、反中の姿勢に立つ日本の一部論者が勝手に期待しているものとはだいぶ異なるという印象を受ける。

過剰なまでに中国を意識し、中国を実質的な「仮想敵国」としているインドだが、中国と比較すれば明らかにインドは劣勢である。米国や中国共産党とは異なり、戦略構想を欠いたままの軍事大国化であり、陸海空三軍の統合機能が弱い、という。まるで敗戦で壊滅的状況を迎えた帝国陸海軍を想起してしまうではないか!

核兵器にかんしては自力で開発をする能力をもつが、通常兵器体系は冷戦時代には実質的な軍事同盟関係にあったソ連(=ロシア)のものであり、国産にこだわるインドの兵器開発は非効率、そして兵器の多くは艦船も含めて老朽化している。

世界最大の民主主義国インドは、巨大官僚制国家でもある。軍隊もまた官僚制である以上、非効率であることは推して知るべしといったところだ。

しかも、複雑な宗教情勢に加え、極左集団やイスラーム過激派のテロなどの国内治安問題は海外勢力と連携しており、国内の治安維持と海外安全保障は密接な関係にもある。

こんな風にみていくと、軍事大国化するインドだが、方向性についてはさておき、実態面ではさまざまな問題を抱えていることが理解されるのである。本書には記述はないが、実際の運用面での問題はさらに多いことだろう。なんせインドは多言語で他宗教の複雑な状況にあるからだ。

かつてはソ連(=ロシア)と密接な関係にあったインドだが、近年は米国とのあいだででも密接な軍事関係をもつようになっている。

日本との関係もその枠組みのなかで進行しているが、現時点におけるインドと日本との関係は、あくまでも相対的なパワーバランスの観点に基づく補完関係にある。「成長するインド」と「衰退する日本」のパワーバランスが逆転するあかつきには大きく変化していくことも予想されるという指摘には、おおいに納得させられるものがある。

巨象インドを理解するのは容易なことではない。軍事面にかんしても、「軍事大国化」というイメージだけで判断するのではなく、事実関係にもとづいた理解が必要なことはいうまでもない。

そのためには一読しておく価値のある本だといえるだろう。





目 次

はじめに
第Ⅰ章 南アジアの大国インドと日本
  (1) 軍事大国化への動き
  (2) 軍事力整備を図るインド
第Ⅱ章 インド・インド洋をめぐる主要国の狙い
 1. インド・インド洋の地政学的重要性
 2. インドをめぐる米中ロ日の動き
   (1)  インドをめぐる米国の動き-戦略的パートナーシップの展開
   (2) インドをめぐる中国の動き
   (3)  インドをめぐるロシアの動き-戦略的パートナーシップ
   (4) インドをめぐる日本の動き-順調な日印安全保障関係と今後
 3.  インド周辺国、インド洋をめぐる動き
   (1)  インドとパキスタン、アフガニスタン
   (2) インドとその周辺国
   (3)  インド洋をめぐる動き
第Ⅲ章 大国化するインドの軍事力-その現状
 1. 軍事力・軍事費の評価-概観
   (1)  大国化するインド
   (2) 軍事力の評価方法
   (3)  軍事費に見るインドの軍事力
 2. インド軍の戦略と通常戦力
   (1)  インド軍の略史
   (2) インド軍の目的・戦略
   (3)  インド軍の軍事的整備
   (4) インド軍の将来
 3. インドの核軍事力
   (1)  核兵器開発略史
   (2) インドとパキスタンの核戦力と戦略
   (3)  インド核軍事力の展望
  【資料】インド「核ドクトリン」抜粋
       インド「核ドクトリン運用化レビュー」抜粋
 4. インドの国内治安-連携ある治安対策の重要性
   (1)  インドにおける治安問題
   (2) 治安対策と問題点
  (3)  今後の展望
第Ⅳ章 インド・南アジア・インド洋・アフガニスタンの将来
 インド安全保障態勢のゆくえ
   (1)  米国のプレゼンスとインド・中国
   (2) インドと周辺国の宿命的な対立
   (3)  インド洋をめぐる印中米の争い
   (4) インドの将来
巻末資料
索引
編著者紹介


編著者プロフィール

西原正(にしはら・まさし)
平和・安全保障研究所理事長。ミシガン大学大学院修了(Ph.D.取得)。防衛大学校長などを経て現職。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

堀本武功(ほりもと・たけのり)
尚美学園大学教授。京都大学大学院特任教授、拓殖大学大学院客員教授。中央大学法学部卒、デリー大学大学院修了。南アジア国際政治専攻。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

NHK時論公論 「"軍事大国化"するインド」(2013年8月22日)


<ブログ内関連記事>

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

書評 『インド 宗教の坩堝(るつぼ)』(武藤友治、勉誠出版、2005)-戦後インドについての「生き字引的」存在が宗教を軸に描く「分断と統一のインド」
・・こんな複雑な状況にある国の軍隊であるということを忘れるべきではない

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録
・・インドの宗教問題を複雑化させているヒンドゥー至上主義者とその政党であるBJPについて。『軍事大国化するインド』(2010年)の出版後、ふたたびBJPが政権に復帰した。ナショナリズムが軍事大国に拍車をかけるか?

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード
・・2014年の政権交代の結果、返り咲いたBJP(=インド人民党)の党首モディ

ボリウッド映画 『ミルカ』(インド、2013年)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作 ・・新生インド陸軍の兵士となってから陸上競技に開眼したミルカ

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる ・・核ミサイル設計能力を自力で有する科学大国インド

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インドの地政学的位置と文明を、東洋と西洋の中間にある「中洋」と命名した梅棹忠夫

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!
・・経済と軍事のねじれは東アジアではすでに常態。南アジアでもまた

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2014年1月27日月曜日

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す ―「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面



昨年2013年12月23日、自動小銃AK47の発明者カラシニコフが死去したというニュースが流れた。カラシニコフとは世界でもっとも有名な自動小銃 AK47 の開発者の名前である。人名が製品名となった事例でもある。

自動小銃のカラシニコフが人の名前であることを知らなかった人もいるかもしれない。社会主義イコール集団主義と思い込んでいるからだろう。戦闘機スホーイや大型輸送機アントノフなど、ソ連時代に開発された兵器には開発者の個人名がついている。じつはソ連は突出した個人を優遇したエリート主義の国でもあったのだ。

カラシニコフというと、いまから十数年前、すでにソ連崩壊後のことだが、ロシア関連の仕事をしたとき、一緒に仕事をしていたカラシニコフという名前のロシア人男性に聞いたことがある。

わたし:「あのカラシニコフか?」
カラシニコフ氏:「そうだ。だが親族ではない」

まあ、そんなことも思い出したニュースであった。

カラシニコフについて簡単に入手できる関連書を紹介しておこう。

●『カラシニコフ自伝-世界一有名な銃を創った男-』(エレナ・ジョリー聞き書き、山本和子訳、朝日新書、2008)
●『カラシニコフ Ⅰ・Ⅱ』(松本仁一、朝日文庫、2008 単行本初版 2004/2006)

前者は、ミハイル・カラシニコフ(1919~2013)の娘と親しい女性ジャーナリストが聞き出したロングインタビューの記録。フランスで2004年に出版されたもの。ソ連史そのもののような開発者の人生と開発品について自らが語った貴重なドキュメント。価値判断抜きで、開発ストーリーと開発者のライフストーリーを楽しめる本だ。

後者は朝日新聞の中東アフリカ担当で現地経験も長い記者が新聞連載をまとめたもの。Ⅰではアフリカのテロと紛争におけるカラシニコフがテーマ。カラシニコフ氏へのインタビューも収録されている。Ⅱでは麻薬と武器がからむコロンビアと(中国の人民解放軍系の武器メーカーの関与) アフガニスタンとイラクという大英帝国の負の遺産である「人工国家」がテーマとなる。

この3冊を読めば、カラシニコフ氏が開発した自動小銃がいかなる経緯を経て完成したか、そして開発者の預かり知らぬところで拡散し、問題を起こしていることを知ることができる。

まずはカラシニコフ氏による「開発」そのものについて簡単にみておこう。



■カラシニコフ氏による「開発」とは?

カラシニコフという自動小銃は、それをつかう人にとっては「ユーザーフレンドリー」なマシンだといえる。

殺傷兵器をユーザーフレンドリーとは不謹慎ではないか(!)とお叱りを受けそうだが、価値判断を棚に置いて技術という側面から見れば、自動小銃としてのカラシニコフが個人能力を拡張したマシン(機械)であるということは否定できない。

その点においてはパーソナルコンピュータ(PC)というマシン(機械)と共通しているのである。Ak47 が文字通りの「武器」であるなら、PCは比喩的な意味で「武器」であった。

機械いじりが大好きで、ピストルを分解して目覚めてしまったカラシニコフという「ソ連人」は、独ソ戦の最中に自動小銃の開発の没頭し、第二次大戦後の1947年に完成した自動小銃はソ連軍の正式銃器として採用され量産体制が開始されることになる。

AK47の「47」とは1947年の略称。AKとはロシア語で「アフタマート・カラーシニコヴァ」(ローマ字表記で Avtomat Kalashnikova)の頭文字をとった略称である。英語でいえば、Automatic Kalashnikov 47 となろう。




カラシニコフはそれまで存在した銃器を敵軍のドイツのものもふくめて徹底的に研究し、「使い勝手の良さ」を追求する設計思想のもと最終的にAK47に到達する。

だから、まったくあたらしいコンセプトによる「発明」ではない。だが、徹底的に改良につぐ改良を加えた末に到達した「開発」ということはできるだろう。

マシンガンは、使用後は分解して掃除することがメンテナンスのために不可欠だが、部品点数を徹底的に絞り込むことによって使用者の負担を減らした。これはモジュール化にもつながる発想だ。

もっとも重要なポイントは、どんな過酷な状況でも簡単に故障しないことにある。このためにカラシニコフが採用したのは、それまでの常識であった精密性の真逆の発想であった。『カラシニコフⅠ・Ⅱ』の著者・松本仁一氏の表現を借りれば「スカスカ設計」である。ゴミが入らないように密閉性を追求してきた発想ではなく、部品と部品のあいだに空間をおくことでゴミが入っても作動するようにした。これがイノベーションととなったのである。

若き日のカラシニコフ氏は、スターリン時代にシベリアに強制移住させられた家族としての過酷な人生を生き抜いた人だ。天職としてつかんだ銃器設計も、至れり尽くせりの環境のなかで行われたわけではない。この点もまた、ガレージから生みだされたジョブズとウォズニアックのアップル誕生物語を想起させるものがある。日本の本田宗一郎もまた同類のエンジニアであったといえるだろう。

両者に共通するのは、人間の個人能力を拡張するマシン開発のビジョンと不屈の情熱。

カラシニコフはドイツとの戦いを、ジョブスたちは巨人IBM との戦いをミッション(使命)として開発の没頭していた。1940年代のソ連のシベリアと1970年代のアメリカのカリフォルニアが交差するが、本質においては同じなのだ。まさにエンジニア魂ここにあり!




『カラシニコフ自伝』はフランスの女性ジャーナリストによる聞き書きの「自伝」だが、たまたまカラシニコフ氏の娘と親しい関係にあったから実現したのだという。原著のタイトルは Ma Vie en Rafales(ライフル人生)。ピアフのシャンソン La Vie en Rose(バラ色の人生)にかけたものか。

カラシニコフ氏の人生は、まさに「生きたソ連史」そのもののような人生である。「ロシア革命」後の混乱、「富農」のレッテルを張られてのシベリア送り、スターリンによる大粛清、独ソ戦で負傷。

AK47開発の歴史は失敗に次ぐ失敗であったこと、それでもあきらめずにすいに栄冠を勝ち取り、開発の功績により「労働英雄」になる。

武器開発者であるため、ロシア中部ウドムルト共和国イジェフスク市という「閉鎖都市」での人生であった。経済的には大成功とというものではないが、ソ連のなかでは恵まれた生活を保障されていたわけであり、なによりも開発者としての名誉に包まれたものであった。だが、ほんとうのことはクチにはできなかった。ソ連崩壊後に行われた著者によるインタビューは、その思いを吐露する機会になったようである。

インタビューが行われた2004年時点で84歳であったカラシニコフ氏は、みずから開発したAK47を誇りこそすれ悔いはいっさいないようである。みずからの預かり知らぬところで「拡散」したAK47だが、もちろん武器である以上、功罪がつきまとうのは当然だ。銃器もまた「諸刃の剣」という本質は同じである。

「ユーザーフレンドリー」のカラシニコフの功罪の「罪」の最たるものは、子どもでも操作が容易で簡単に故障しないということに起因している。この点については『カラシニコフⅠ・Ⅱ』を読む必要がある。



■自動小銃としてのカラシニコフの「拡散」がもたらしたもの

カラシニコフことAK47は、1947年にソ連軍に正式採用されてからすでに67年もたっているのにかかわらず、現在にいたるまでもっとも人気が高い自動小銃である。

スミソニアン博物館の銃器の歴史の専門家エゼルは「銃器の分野において、ソ連で偉大な発明fが生まれた。カラシニコフの銃は、おそらく2025年、ひいてはそれを超えるまで使われるだろう」と述べているそうだ。

ではなぜカラシニコフが世界中に拡散したのか?

カラシニコフ拡散は核拡散に比すことができると『カラシニコフ』の著者・松本仁一氏は指摘している。たしかに自動小銃の拡散は大量破壊兵器の拡散に比すことができるものだ。

だが、わたしは先にみてきたようにパーソナルコンピューター(PC)以降の情報技術(IT)のアナロジーで考えたほうが、カラシニコフが世界中に拡散した理由を理解しやすいのではないかと思う。

操作の容易さ、故障しない(上記に共通)はすでに確認したが、「拡散」の原因となったのはソ連がそのメインプレーヤーであった「冷戦構造」にある。

操作が簡単で過酷な状況でも簡単に故障しないからこそ、カラシニコフことAK47は世界中に拡散してしまったのである。もともとはソ連軍の武器だったのだが、冷戦構造のなかソ連の衛星国に「フリーライセンス」で製造技術が無償供与され、しかもその後は「違法コピー」によって「海賊版」が製造され、密輸によってとして拡散していったのである。




武器を使うものと武器を買うものはかならずしもイコールではない。武器を買うのは、使用者よりも使用させたいものである。

紛争当事国においてカラシニコフが拡散したのは、それを使わせたい勢力が存在するからだ。そしてそういった存在が消えることがない。まことにもって残念なことである。




開発者の思惑とは関係なく世界中に拡散してしまったカラシニコフことAK47。その結果、ソ連の援助を受けた紛争当事国では、紛争をエスカレートさせる大きな原因となってしまっている。



■アフリカとアジアにおける「失敗国家」は植民地帝国の「負の遺産」

中東・アフリカをカバーする特派員として現地体験と現地取材の豊富な松本氏は、『カラシニコフ Ⅰ』では、「失敗国家」の典型であるソマリアとシエラレオネ、アパルトヘイト撤廃後に治安が悪化した南アフリカを取材というフィールドワークによってくわしく取り上げている。

独立はしたものの、結局は近代国家が成立せずに失敗した「失敗国家」(failed state)は「崩壊国家」(collapsed state)ともいう。

ソマリアというと現在では海賊の代名詞のようになっているが、ソマリアもまた英仏伊によって分割統治され、独立後の国家形成に失敗した「失敗国家」だ。

ソマリアの領土内でにあるが、国際的には未承認の「ソマリランド」では治安が回復し、「事実上の国家」(de facto state)として機能している。その理由は、部族の長老の説得に成功し「国家」が武器を回収し武力の一元管理が成功したことにある。

松本氏は触れていないが、ソ連崩壊後のロシアにおいても、国家警察機能が機能不全になっていたためにマフィアが治安維持機能を代行していた。武力の一元的コントロールは、「近代国家」の重要な機能である。

武力の一元管理ができないのは国家ではない。逆にいうと、武力を一元管理できた主体が国家として機能するのである。そういった原理的な思考を促してくれるのが、このすぐれたノンフィクションの功績だろう。

「治安と教育」こそ国家の「失敗度」をはかるカギ、ポイントは「兵士と教師の給料をきちんと払えているかどうか」にあるという指摘はきわめて重要だ。

わたしなら、「治安」とはいま現時点の安心感をもたらすための費用(コスト)、「教育」とは長期的な安定をもたらすための投資(インベストメント)、と言い換えておこう。

「治安」の確保なくして「教育投資」は有効に機能しない。「失敗国家」を防ぐためには、まずは治安確保がなによりも重要なのである。



■アメリカとソ連、大英帝国、そして中国というプレイヤー

『カラシニコフ Ⅱ』では、大英帝国の「負の遺産」であるアフガニスタンとイラクが取り上げられている。

AK47を「密造」するアフガニスタンに隣接するパキスタン国内のパシュトゥン族の村のルポが興味深い。すでに普及してデファクト化しているという理由でAK47の使用を現地軍に認めるアフガン駐留米軍。本来なら本国の兵器産業のビジネスチャンスを側面支援すべき軍隊がそのような方向性を打つ出している点が面白い。

イラクもそうだが、アフガニスタンもまた大英帝国の「負の遺産」である。互いに関係のない諸民族を一つの国のなかに組み込んで独立させた「人工国家」は、大英帝国の統治方針であった「分割して統治せよ」(Divide and Rule)の「負の遺産」である。マレーシアやミャンマーも例外ではない。

中米のコロンビアで麻薬と武器がからむ取引がまず取り上げられている。

カラシニコフの模造品がアメリカから密輸されているが、その資金源は麻薬取引にあること。そしてカラシニコフの模造品はノリンコ製品だという。

改造ライフルを製造するノリンコ(Norinco)とは、中国の人民解放軍系の武器メーカー、北方工業公司(North Industries Corporation)のことだ。中国共産党もコントロールできない闇がそこにある。

ソ連とアメリカ、大英帝国だけでなく、中国というプレイヤーの存在についても無視できないことは、近年のアフリカ情勢を見ていれば理解できる。

「拡散」してありがたいのは良い情報、「拡散」して困るのは放射能と自動小銃だ。

「拡散」して飽和状態にあるのにもかからず販売価格が下がらないカラシニコフ。その理由は売る人間が少ないからなのだという。つまり中古市場にはあまりでてこないということだ。それがまたカラシニコフの供給がいっこうに減らないという悪循環。

経済メカニズムで考えると、すでに拡散してしまったカラシニコフを回収することがいかに困難な課題であることを知り、ため息をつくばかりだ。



■カラシニコフ氏はAK47のもたらした惨禍を懺悔していた

カラシニコフ氏は最晩年には、AK47がもたらした惨禍を懺悔していたようだ。

「AK47の開発者が生前に懺悔、ロシア正教会宛てに書簡」(2014年1月14日 ロイター) には以下のようにある。

[モスクワ 14日 ロイター] -旧ソ連の銃器設計者で、カラシニコフ自動小銃 AK47 を開発したミハイル・カラシニコフ氏が生前、ロシア正教会宛てに懺悔の書簡を送っていたことが明らかになった。同国のイズベスチヤ紙が報じた。
カラシニコフ氏は書簡の中で「心の痛みは耐え難いもの」と心情をつづり、「私の生み出した銃は多くの人を殺した。たとえ敵であったとしても、彼らの死に私の責任はあるのだろうか」と悔いた。
ロシア正教会のスポークスマンが同紙に明かしたところによると、書簡が届いたのはカラシニコフ氏が昨年12月23日に死去する約半年前だったという。
94歳で亡くなった同氏はこれまで、 AK47 の開発に誇りを持っていると語っていた一方で、犯罪者や少年兵に使用されたことについては後悔の念を語っていた。

「ソ連人」を絵に描いたようなカラシニコフ氏であったが、最後は教会に救いを求めたのだろうか。

今回とりあげた『カラシニコフ自伝』と『カラシニコフ Ⅰ・Ⅱ』のいずれも、インタビューが行われたのはいまから10年前の2004年のもので、カラシニコフ氏が84歳のときのものだ。

カラシニコフ氏も、いよいよみずからの死期を感じて心が痛むようになったのだろうか・・・。

なんだかホッとするような、しかし開発エンジニアにとっては苦渋の心境だったかと思うと、気の毒な気もしてくる。そもそも祖国を救うために邁進した開発だったのだから。



●『カラシニコフ自伝-世界一有名な銃を創った男-』(エレナ・ジョリー聞き書き、山本和子訳、朝日新書、2008)

目 次

地図
凡例
はじめに-恐怖と栄光の日々
第一章 隠された悲劇
第二章 一介の兵士から銃器設計者へ
第三章 AKの誕生
第四章  唯一の銃器
第五章 ソ連・ロシアの指導者たち
第六章 祖国と外国
第七章 雑記
訳者あとがき
カラシニコフ略歴


●『カラシニコフ Ⅰ』(松本仁一、朝日文庫、2008 単行本初版 2004)

目 次
はじめに
第1章 11歳の少女兵
第2章 設計者は語る
第3章 護衛つきの町
第4章 失敗した国々
第5章 襲われた農場
第6章 銃を抑え込む
あとがき


●『カラシニコフ Ⅱ』(松本仁一、朝日文庫、2008 単行本初版 2006)

目 次
第1章 ノリンコの怪
第2章 ライフル業者
第3章 流動するAK
第4章 AK密造の村
第5章 米軍お墨付き
第6章 拡散する国家
あとがき
文庫版へのあとがき

著者プロフィール  
松本仁一(まつもと・じんいち)1942年、長野県生まれ。東京大学法学部卒。68年、朝日新聞社に入社。82年よりナイロビ支局長。90年、中東アフリカ総局長としてカイロに駐在。93年から2007年まで編集委員。94年、ボーン上田国際記者賞、97年、『アフリカで寝る』で日本エッセイスト・クラブ賞、2002年、『テロリストの軌跡』(草思社)で日本新聞協会賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

[人と技術と情報の界面を探る] カラシニコフの死とAK-47と核兵器(ITPro 日経コンピュータ  2014年1月10日 松浦 晋也=ノンフィクション作家 (筆者執筆記事一覧) 出典:PC Online 2014年1月6日

"悲惨な現場" を求めるNGOの活動がアフリカで招いた不都合な真実 (橘玲の世界投資見聞録 ダイヤモンド ZAI 2014年1月16日)
・・『カラシニコフⅠ』で取り上げられたシエラレオネの「手足を切断された人々」をカネに変える "NGOビジネス" の実態



<ブログ内関連記事>

■銃器というマシン(機械)

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・近代ヨーロッパ史とは銃器発達の歴史でもある

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・種子島で鉄砲を知った日本人は初めて「ねじ」の存在を知った

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
・・駆動と制御に電気を使用するエレクトロニクス以前のシンプルな機械(マシン)

書評 『誰も語らなかった防衛産業 増補版』(桜林美佐、並木書房、2012)-国防問題を国内産業の現状から考えてみる

クレド(Credo)とは
・・アメリカ海兵隊のThe Rifleman's Creed (ライフルマン信条)について解説してある。アメリカのライフルはM-16


■ソ連

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?


■コピーと海賊版

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?


■「失敗国家」としてのソマリア、その他アフリカ諸国

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!
・・ソマリアに海賊が発生したのは

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・紛争の絶えないコンゴ(ザイール)


■イラク・アフガニスタンという「人工国家」は「大英帝国の負の遺産」

書評 『イラク建国-「不可能な国家」の原点-』(阿部重夫、中公新書、2004)-「人工国家」イラクもまた大英帝国の「負の遺産」

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

本年度アカデミー賞6部門受賞作 『ハート・ロッカー』をみてきた-「現場の下士官と兵の視線」からみたイラク戦争

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい
・・ウサーマ・ビン・ラディン殺害計画

映画 『ルート・アイリッシュ』(2011年製作)を見てきた-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ②
・・イラクで戦死した英国人傭兵

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察
・・「第8章 AK47の銃眼 カシミール」を参照。インドから分離したパキスタンもまた「大英帝国の負の遺産」

(2014年3月4日 情報追加)


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