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2010年12月18日土曜日

「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ



自分が「地頭がいいかどうか」、いかんせん、これは「自分」ではわかりにくい

 基本的には、「地頭が良い」かどうかは、他人の評価にまつしかない。自分はアタマがいいなどと思っている人間は、正しい自己認識をともなわない、単なるうぬぼれに過ぎないことが多い。

 しかも、「地頭の良さ」は点数で評価できる正確のものではない。実社会(リアルワールド)においては正解は一つではないからだ。これはビジネスだけでなく、人間がかかわるすべての活動についてあてはまる。定量的に把握できるのは、計測可能なものに限られる。

 「地頭が良い」かどうかは、しょせん相対評価に過ぎない。絶対的で、客観的な指標があるわけではない。計測のしようがないからだ。「地頭の良さ」は知能指数の高さとイコールではない。知能指数が高くても、実際の生きるチカラに乏しい人間はいくらでもいる。

 「あの人は学校の成績はいいのに、なんであんなにバカなのか」という評価を下されている人がいる。いわゆる学校秀才は、残念ながら「地頭が良い」とはいえないのである。
 おそらく、誰もが「あの人はほんとうにアタマが良い」という評価を起こっている場合、「地頭の良さ」があるとみてもあながち間違いではなかろう。

 他人の評価自体は主観的なものであるが、複数の人の評価を集めると、客観性を帯びてくるからだ。

 しかし、自分が「地頭の良い」人間になろうと努力については、むしろ推奨したい。
 ただし、ここでいう「地頭」とは外資系のコンサルタントがいう「フェルミ検定」なるものとはいっさい関係ない。「フェルミ検定」など日本人全体の 97%には縁のない話である。しょせん、机上の勉強に過ぎない。


「アタマのゴミ」を取るには勉強し過ぎないことも重要だ

 「地頭の良さ」とは、人間が本来もっているはずのアタマの良さのことである。
 だから「地頭の良さ」を回復するためには、余計な知識をそぎ落とすことから始めるべきだ。

 世の中には不幸なことに、いわゆる「勉強ブーム」にあおられている人たちが少なからずいるようだが、勉強すればするほど不要な知識が増えて、比喩的に言えばメタボ体質のバカになっていくだけでなく、自分の勉強が足りないという意識のみ肥大化して、不安にかられてしまう人もいる。

 こんなことは、まったく意味のないことではないか。「アタマのゴミを取る」という本来やるべきことの真逆のことをひたすらやっているのではないか? 不要な知識で曇ったアタマを回転させることが必要なのに。

 重要なことは、こうした「メンタルブロック」を解除して「自信」を取り戻すことである。
 とかく人間は、自分はできない、人に誇るべきようなものは持ち合わせていない、などと劣等感にもとづく勝手な自己規定をしがちである。こういった「メンタルブロック」を解除して、「ありのままの自分」を洗い出してみることが必要なのだ。

 「勉強」によって曇らされたアタマから、余分なゴミやホコリを取り払い、自分自身を虚心坦懐に見つめてみることである。人間本来がもつアタマの良さを回復するとは、動物的なカンを取り戻すことである。

 さらにいえば、野生動物のもつアタマの良さに、人間の知性を掛け合わせたものが「地頭の良さ」であるといってもいいだろうか。ほんとうの知性とは知識そのものではない。いかにアタマを働かせるかということが、知性の本質である。

 まずは、「ありのままの自分を知る」という気持ちをもつことが何よりも重要だ。


正しい自己認識をもつということ・・・「汝自身を知れ」(ソクラテス)といっても簡単ではない。ではどうするか?

 もちろん、「ありのままの自分」を知ることは実はそう簡単ではない。

 だが、少なくとも自分がどういう人間で、長所と短所が何で、得意と不得意が何で、好き嫌いが何か、ぐらいがわかっていれば、無茶な高望みもしないし、虚勢を張ることもないし、逆に自己卑下して自虐的になることもない。

 古代ギリシアの哲学者ソクラテスの名言に「汝自身を知れ」というのがある。ギリシア語では γνῶθι σεαυτόν (gnothi sauton)。これはソクラテスが、託宣で有名なデルポイの洞窟に籠もった際に聴いた天の声である。
 
 「汝自身を知れ」というお告げのコトバは、我が身に引きつけて考えれば、「自分自身を知れ」ということになる。


「履歴書」を書き直すことは、働く人間にとっては、いますぐにでもできる「自分発見の方法」だ

 では「自分」を知るためにはどうするべきか?

 もし、あなたが現役で仕事をしているなら、あるいは仕事を探している状態なら、「履歴書」を書き直してみることを薦めたい。「就活」活動が終わったあと、私から見ると意外なことなのだが、「履歴書」の更新作業をしていない人が多いようだ。だが、それはもったいない。

 就活生はいうまでもなく、転職を考えていればなおさらのこと、もし転職を考えていなくても、現時点での「履歴書」を書き直すことは、自分発見と自分再発見にとっては、きわめて有用なツールであることがわかるはずだ。

 「履歴書」の作成と書き直しは、いわば自分の「キャリアの棚卸し」といってもいいだろう。「棚卸し」の目的は、現時点における仕事人としての自分の現在位置を確認する意味でも、自分という資産のビジネス界いおける時価評価である。
 キャリアの途上において、仕事以外の自分史をキチンと振り返って自己認識しておくことは、キャリア開発の意味からいってもきわめて得るところの大きな作業となる。

 私自身、転職経験もあるし、リストラされたこともあるし、ヘッドハンターから声がかかったことも何度かあるので、その都度、「履歴書」を書き直してアップデートしてきた。
 「履歴書」を書き直してアップデートすることによって、節目節目で自分を見つめ直すことができることは体験上よく知っている。何を達成し、何が欠けているか、強みを活かすためにはさらにどう強化すべきかが、書くという行為をつうじて明らかになってくる。


 もしあなたが、すでに仕事人生から足を洗ってリタイアした立場なら、いわゆる「自分史」に取り組んでみるのもいいだろう。

 自分の人生の過ぎ来し方を振り返り、これを年表と照らし合わせながら現代史ののなかに位置づける作業は、自分が生きてきたことの意味を再確認し、さらに今後の人生を考え、あるいは関係する家族や友人たちへのアドバイスにみちたメッセージともなる。

 リタイアしていなくても「自分史」に取り組んでみるべきだろう。

 なぜなら、自分の過ぎ来し方を振り返るのは、けっして後ろ向きの作業ではないからだ。自分の過ぎ来し方とは自分の「人生の軌跡」であり、仕事に限定していえばキャリアのことでもある。

 自分がやってきたことを具体的に書き出して行くという行為は、自ずから「ありのままの自分」について書くことと同じなのだ。書き出して行くことによって、「ありのままの自分」が見えてくる。「自分史」を書くということは、「ありのままの自分」を発見するための、きわめて有効なツールである。

 だから、人生の節々で「自分史」に取り組んでみることは、非常に意味のあることなのだ。
 たとえ、あなたが18歳であっても、すでに十分な「自分史」をもっているのだ。他のだれでもない「自分」の軌跡、「自分」の歴史。

 最近では「就活」対策として「自分史」に取り組むケースもあるようなので、若い人でも一度は耳にしたことはあるだろう。

 私自身、かつては「自分史」なんて、日経新聞の名物連載「私の履歴書」ではないが、有名でなくてもリタイアした老人のすることだと思っていた。

 だが、それではあまりにももったいない。20歳台の人も、30歳台の人も、40歳台の人も、50歳台の人も、それぞれの年代で節目節目ごとに「自分史」に取り組んでみるべきだ。

 私自身、大学を卒業して四半世紀、すなわち 25年たったいま、過ぎ来し方をいろいろと振り返っているのは、けっして回顧にふけるのが目的ではない。これからの人生をより実り豊かにするために、この時点で振り返り作業を行っているのだ。



<ブログ内関連記事>

■「地頭の良さ」は「自分」を知って深掘りすることから始まる(シリーズ)

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ





(2012年7月3日発売の拙著です)







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