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2009年12月6日日曜日

映画『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)をみた(2009年12月6日)




 映画『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)を東京銀座のシネスイッチでみてきた。

 あの『おくりびと』とアカデミー外国映画賞を最後まで争ったアニメーションによるドキュメンタリー映画だ。
 
 私も日本人だから、『おくりびと』がアカデミー賞を受賞したのは正直いってうれしかったし、バンコクからの帰国便の機内で視聴したときはほんとうに心の奥底からのじわじわわきあがってくる静かな感動に、思わず涙があふれるのも止めることはできなかったほどだ。

 しかし、ようやく日本公開の運びとなった『戦場でワルツを』(Waltz with Bashir)を見て、衝撃的な思いをしたのは私だけではあるまい。この映画こそアカデミー賞に値すると思ったのは、『おくりびと』で主演した本木雅弘だけではなかろう。この映画がなぜアカデミー賞を受賞できなかったのか、もしかするとなにかポリティカルな理由があるのかもしれない。

 普段は映画館で映画をみてもパンフレットは買わないのだが、今回は600円だして購入した。

 まず、予告編をみてみよう。日本版トレーラー米国版トレーラー


 映画の内容は、1982年のイスラエル軍による「レバノン侵攻」に、当時徴兵されて兵役についていた19歳の青年たちが、作戦目的も行き先も知らされないまま投入され、記憶から消し去ってしまいたいような重大かつ衝撃的な体験の数々をすることになる。

 そのとき体験した悪夢のような体験が夢として現れ、毎夜うなされていた、ある一人の戦友から相談を受けた主人公の映画監督が、自らの記憶の欠落を回復するために、イスラエル内外に散らばる戦友たちを訪ね歩き、記憶の断片を拾い上げ再構築していく物語だ。

 その後、何度も主人公の脳裏にフラッシュバックする記憶が、再構成されたニセの記憶であったことがわかり、ついに本当に何が起こったのか、主人公とともに映画を見るものすべてが悪夢の正体を目撃することになる・・・


 映画をみている途中で気がついたのだが、イスラエル軍による「レバノン侵攻」は1982年の暑い夏のことだった。そのとき従軍した青年たちは主人公も含め年齢はみな19歳、実は私とまったく同じだったのだ。いまここでカミングアウトするが、1962年12月6日生まれの私は、1982年の夏は19歳、他人事とは思えない。

 レバノン侵攻は当時日本TVでも大きく報道されていたので、そのTVの画面をみた場所とともに、いまだに記憶に強く残っている。

 国民皆兵で、男女をとわず高校卒業後ただちに徴兵されるイスラエルでは、兵士たちの年齢が兵役期間である3年間(・・女子は2年間)であるから18歳から21歳までであることは、ちょっと考えてみればすぐにわかることなのだが、1982年当時うかつにも自分とまったく同じ19歳だったことを考えもしなかった。

 その意味で私にとっては他人事ではない、二重の意味で衝撃的な映画体験だった。

 もし生まれた国がイスラエルだったなら、「レバノン侵攻作戦」に投入された可能性はきわめて高く、戦死した可能性ももちろん高い。もし戦死せず生きのびたとしても、この映画の主人公たちと同様、悪夢に満ちた体験を共有していたことだろう。


 主人公の映画監督アリ・フォルマン(Ari Forman)は、1962年イスラエル北部の地中海に面した港町ハイファ生まれ、両親はポーランド出身でアウシュヴィッツ経験者だという。

 繰り返しになるが、この映画で証言している元兵士の大半が、監督の戦友であった当時19歳の若者たちだ。

 この映画で描かれたエピソードのなかでもっとも記憶に残るのは、戦車隊が全滅、戦友がすべて戦死したなか、レバノンの海岸から泳いでイスラエルまで戻って生還したロニーの体験談だ。一人生き残ったことへの罪責感・・・・

 完全な廃墟と化したベイルート国際空港・・・

 四方八方のビルから包囲されて攻撃を受けている激戦の最中に、華麗な"ワルツを踊り"ながら機関銃を乱射するフランケルのような、あまり深い内省とは縁のなさそうな人間も、どこの国でもいるものではないだろうか。


 戦場が日常となる日々だが、48時間の休暇をもらって戻ったとき、そこにあるのは平和な日常生活、そうレバノン侵攻は国土が危険にさらされた防衛戦争ではなく、軍人あがりの政治家が主導した先制攻撃の性格をもつ侵略戦争だったのだ。

 あくまでも何のための戦争なのか、作戦の全体像を知りうる立場にない、兵士の観点からみた戦争体験。

 大虐殺を目撃した主人公アリの脳裏からこの記憶が封印されたままになっていたのは・・・何度もフラッシュバックするイメージ記憶

 主人公が記憶を回復する旅の途中に出会う精神分析医がいうように、悪夢を一日も早く忘れるために、自分を守るために行った「解離」の結果、あらたに再構成された「記憶」

 そして、消えてしまっていた記憶を復元するための旅は、現実をきちんと見つめ直すことが、すでに中年となった主人公たちにとっての、これからの人生をきちんと生きるために不可欠なものであったのだ。

 「事件」から20年以上たって、人は忘却のかなたに押しやっていた記憶を復元し、はじめて語るべきコトバを見いだす。語ることができるまで、これだけの歳月が必要なのである。


 衝撃的映画である。アニメーションの映像がこれほどの衝撃をもらたらすものなのかと、あらためて驚いている。

 映画をみている自分もまた現場にいたかのような錯覚を体験していた。


 ◆日本版オフィシャル・サイト 
 ◆イスラエル版オフィシャル・サイト 
      
 
       



PS 2014年1月11日、首相在任中に昏睡状態になっていたアリエル・シャロン氏が亡くなった。享年85歳。じつに感慨深いものがある (2014年1月12日 記す)


 
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