リリアーナ・カヴァーニ監督はフランチェスコ映画を合計2本製作しているようだが、1966年に撮影した1本目の作品 Francesco d'Assisi は反教会的だと避難され不評だったらしい。
2本目が先日紹介した『フランチェスコ』(1989年)だが、23年後に新しい構想で作りなおしたことになる。
この23年間に一本きわめて風変りな宗教映画、というより輪廻転生がテーマの映画を製作している。それが『ミラレパ』(1973年)である。同じ年にはかの名作『愛の嵐』が製作されているのは面白い。ずいぶん雰囲気の異なる内容だからだ。
『ミラレパ』は日本でも公開されたようで、日本でビデオ化されているが、現時点ではどの国でもDVD化もされず、忘れ去られた(?)作品となっているようだ。
脚本は、『愛の嵐』と同じく、脚本家イタロ・モスカーティと組んで書いているのは興味深い。両者に共通するテーマがあるのだろうか。
YouTube に映画がアップされている。音声はイタリア語、ただし字幕なし。
映画の構成は、チベット語で書かれた「聖者ミラレパ伝」をイタリア語に翻訳するという作業に没頭するイタリア人の若手チベット学者が、チベット人のミラレパになってその半生を追体験するという形をとっている。映画をみる立場からいえば、ミラレパが輪廻転生してイタリア人研究者に憑依した、と表現できるかもしれない。
そういう構図によって、ヒッピー・ムーブメントが背景にある、ゼッフィレッリの『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)とはやや違う文脈ではあるが、1970年代初頭の反近代主義、反西欧主義のなかでの、精神世界ブーム、東洋ブームの濃厚な雰囲気の中で作成された作品とはいえるだろう。
ミラレパとは、チベット仏教のカギュ派の創始者とされる、11世紀チベットに実在したヨギ(ヨーガ修行者)のことである。フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけて生きたカトリック修行者。
そもそもカヴァーナ監督はなぜミラレパを題材にした映画なんか作ったのか?
まずは、フランチェスコとミラレパの共通点と相違点を考えてみよう。
フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけてのイタリア人である。
ミラレパは、11世紀から12世紀にかけてのチベット人である。
共通する点は、隠者としての修行、についてであろう。
フランチェスコは、説教という実践的活動を行ったと同時に、隠者的に観想生活を送ることを夢想しており、つねに揺れ動いている。
ミラレパは、黒魔術師としての自分の実存に恐れをなし、仏教の示す正しい道を修行したいとして師であるマルパについて長年修行を積んだ。
ともに、着るものには頓着せず、所有せずに・・・・
こうして比較してみると、浮かび上がってくるのは、"東洋の隠者のような"フランチェスコ、である。
先に紹介したデンマークの詩人ヨルゲンセンの本には、『即興詩人』でイタリアを書いたアンデルセンと同様、北欧の人らしい、外部からの視点による、きわめて唯物的な指摘があって面白い。
イタリアは石灰岩地質が無数の洞窟を作り出し、隠者のためには格好の引きこもり場所を提供してきた。同じくチベットも洞窟での瞑想修行がさかんであったことは、ミラレパの生涯を描いた作品にはかならずでてくることからもそれがわかる。
フランチェスコは、40日間の断食と瞑想において、キリストの聖痕スティグマを自らの身体の上に出現させる。
ミレレパは、その師であるマルパの指示による瞑想修行を行い、マルパのもとから卒業したのちの瞑想修行において、空中浮遊を行い、自由に空を飛ぶ。
また、これはとくに中世に多くみられるが、いわゆる「予知夢」という共通性がある。現代人でも、南方熊楠のように、脳力が異常に高まったときには「予知夢」によって、いわゆる夢のお告げで未発見の菌類を発見したりもしている。
そして、フランチェスコとミラレパの両者に、在家信者(=平信徒)の重要性。
修行者といっても彼らのような存在はむしろ稀有であり、職業をもったふつうの人にとっては、そもそもフランチェスコやミラレパのような厳しい修業は不可能なので、在家信者という形がもっとも多かったのだろう。
ユング派の心理学者である河合隼雄は、日本にも長く滞在したカトリック司祭のヨゼフ・ピタウ師との対談『聖地アッシジの対話-聖フランチェスコと明恵上人-』(藤原書店、2005)で、フランチェスコと明恵上人(みょうえしょうにん)を対比して論じている。明恵上人とは鎌倉時代前期、12世紀の人、華厳宗の学僧で、生涯にわたって自ら見た夢を 「夢の記」と題して世界的にも珍しい記録として残されている。
河合隼雄は名著 『明恵、夢を生きる』(京都松柏社、1987 現在は講談社+α文庫 1995)で明恵上人をとりあげ、一般的にも広く脚光を浴びるようになったが、それ以前から白洲正子も、澁澤達彦も、明恵上人に言及しているのは面白い。河合隼雄は後年、明恵上人を機縁にして、白洲正子と交友関係にあり、対談も残している。
河合隼雄は、とりわけ「予知夢」に関しての共通性が、明恵上人とフランチェスコにある、と強調している。
ただ私としては、フランチェスコとの比較対象は、明恵上人よりもミラレパのほうが面白い。実際に比較してみてそう思った。ただ、ミラレパの場合は、師であるマルパからの伝承という側面があるので、直観に導かれた、純粋なスピリチュアリティ追求のフランチェスコとは異なることは指摘しておかねばならない。マルパはインドで仏道修行してチベットに戻ってきた人である。
ミラレパの伝記としては、エヴァ・ヴァン・ダム(Eva Van Dam)による全ページカラーのマンガ本 MAGIC LIFE OF MILAREPA が実に面白い。日本語版も英語オリジナル版も絶版状態なのが残念だ。いずれは再版されるであろうが。
それにしても、フランチェスコも、明恵上人も、ミラレパも、11世紀から13世紀にかけての人であるのが面白い。全世界的なスピリチュアリティのリバイバル期にあたるのであろう。
そして20世紀後半から再びスピリチュアリティのリバイバルが始まっている。
もともとキリスト教も、教父時代は砂漠での瞑想修行が行われていたのであり、これが後のカトリックおける修道院の原型になっている。大乗仏教も同じく僧院においての瞑想修行が行われるようになった。ともに英語では Monastery というコトバで表現されることもある。
原点は、ともに隠者としての瞑想修行である。
そう、ここまでいうなら、やはりシッダールタ王子のことを考えなくてはなるまい。
シッダールタ王子とは、ブッダ・シャキャムニ(仏陀釈尊)そのひとのことである。
シッダールタ王子の生涯に思いを馳せる・・・・
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すでに今年の6月初めには書き上げていた原稿ですが、アップする機会を逸しているうちにだいぶ時間が経過してしまいました。この機会に少し手を入れてみました。
前回の投稿からずいぶん時間があいてしまったので、目次を掲載しておきます。
<目次>
アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
なお、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)の書評を、bk1 および amzon.co.jp に投稿してあります。内容は「フランチェスコ(3)」ですでに書いているものを書評向けに書き直したものです。
とりあえず以上で、フランチェスコの話は終わりとします。
"資本主義のオルタナティブ"としてのカトリック実践思想の一つとして、アッシジのフランチェスコをケーススタディとして取り上げたと考えていただいてもかまいません。
<朗報!>
ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD 『フランチェスコ-ノーカット完全版-』、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)
<アッシジのフランチェスコ 総目次>
アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
PS 読みやすくするために改行を増やし、語句の一部を修正した。 (2014年8月21日 記す)
そういう構図によって、ヒッピー・ムーブメントが背景にある、ゼッフィレッリの『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)とはやや違う文脈ではあるが、1970年代初頭の反近代主義、反西欧主義のなかでの、精神世界ブーム、東洋ブームの濃厚な雰囲気の中で作成された作品とはいえるだろう。
ミラレパとは、チベット仏教のカギュ派の創始者とされる、11世紀チベットに実在したヨギ(ヨーガ修行者)のことである。フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけて生きたカトリック修行者。
そもそもカヴァーナ監督はなぜミラレパを題材にした映画なんか作ったのか?
まずは、フランチェスコとミラレパの共通点と相違点を考えてみよう。
フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけてのイタリア人である。
ミラレパは、11世紀から12世紀にかけてのチベット人である。
共通する点は、隠者としての修行、についてであろう。
フランチェスコは、説教という実践的活動を行ったと同時に、隠者的に観想生活を送ることを夢想しており、つねに揺れ動いている。
ミラレパは、黒魔術師としての自分の実存に恐れをなし、仏教の示す正しい道を修行したいとして師であるマルパについて長年修行を積んだ。
ともに、着るものには頓着せず、所有せずに・・・・
こうして比較してみると、浮かび上がってくるのは、"東洋の隠者のような"フランチェスコ、である。
先に紹介したデンマークの詩人ヨルゲンセンの本には、『即興詩人』でイタリアを書いたアンデルセンと同様、北欧の人らしい、外部からの視点による、きわめて唯物的な指摘があって面白い。
寂しい山間の人里離れた孤独な生活は、兄弟たちに強い印象を与えたので、彼らは永久にここにとまって厳しい禁欲の生活をし、他の人間を忘れたらどうかと、議論したほどだった。イタリアの山岳地帯を知っている人なら、この誘惑を理解するのは、そう困難ではないだろう。イタリアの山の性格には、どことなく隠者のための自然の洞窟や避難所を作っている。気候は、時には予想外に冬らしくなるものの、厳しすぎることはない。食物は信じがたいほど少なくてすむ・・(後略)・・ (P.107)
イタリアは石灰岩地質が無数の洞窟を作り出し、隠者のためには格好の引きこもり場所を提供してきた。同じくチベットも洞窟での瞑想修行がさかんであったことは、ミラレパの生涯を描いた作品にはかならずでてくることからもそれがわかる。
フランチェスコは、40日間の断食と瞑想において、キリストの聖痕スティグマを自らの身体の上に出現させる。
ミレレパは、その師であるマルパの指示による瞑想修行を行い、マルパのもとから卒業したのちの瞑想修行において、空中浮遊を行い、自由に空を飛ぶ。
また、これはとくに中世に多くみられるが、いわゆる「予知夢」という共通性がある。現代人でも、南方熊楠のように、脳力が異常に高まったときには「予知夢」によって、いわゆる夢のお告げで未発見の菌類を発見したりもしている。
そして、フランチェスコとミラレパの両者に、在家信者(=平信徒)の重要性。
修行者といっても彼らのような存在はむしろ稀有であり、職業をもったふつうの人にとっては、そもそもフランチェスコやミラレパのような厳しい修業は不可能なので、在家信者という形がもっとも多かったのだろう。
ユング派の心理学者である河合隼雄は、日本にも長く滞在したカトリック司祭のヨゼフ・ピタウ師との対談『聖地アッシジの対話-聖フランチェスコと明恵上人-』(藤原書店、2005)で、フランチェスコと明恵上人(みょうえしょうにん)を対比して論じている。明恵上人とは鎌倉時代前期、12世紀の人、華厳宗の学僧で、生涯にわたって自ら見た夢を 「夢の記」と題して世界的にも珍しい記録として残されている。
河合隼雄は名著 『明恵、夢を生きる』(京都松柏社、1987 現在は講談社+α文庫 1995)で明恵上人をとりあげ、一般的にも広く脚光を浴びるようになったが、それ以前から白洲正子も、澁澤達彦も、明恵上人に言及しているのは面白い。河合隼雄は後年、明恵上人を機縁にして、白洲正子と交友関係にあり、対談も残している。
河合隼雄は、とりわけ「予知夢」に関しての共通性が、明恵上人とフランチェスコにある、と強調している。
ただ私としては、フランチェスコとの比較対象は、明恵上人よりもミラレパのほうが面白い。実際に比較してみてそう思った。ただ、ミラレパの場合は、師であるマルパからの伝承という側面があるので、直観に導かれた、純粋なスピリチュアリティ追求のフランチェスコとは異なることは指摘しておかねばならない。マルパはインドで仏道修行してチベットに戻ってきた人である。
ミラレパの伝記としては、エヴァ・ヴァン・ダム(Eva Van Dam)による全ページカラーのマンガ本 MAGIC LIFE OF MILAREPA が実に面白い。日本語版も英語オリジナル版も絶版状態なのが残念だ。いずれは再版されるであろうが。
それにしても、フランチェスコも、明恵上人も、ミラレパも、11世紀から13世紀にかけての人であるのが面白い。全世界的なスピリチュアリティのリバイバル期にあたるのであろう。
そして20世紀後半から再びスピリチュアリティのリバイバルが始まっている。
もともとキリスト教も、教父時代は砂漠での瞑想修行が行われていたのであり、これが後のカトリックおける修道院の原型になっている。大乗仏教も同じく僧院においての瞑想修行が行われるようになった。ともに英語では Monastery というコトバで表現されることもある。
原点は、ともに隠者としての瞑想修行である。
そう、ここまでいうなら、やはりシッダールタ王子のことを考えなくてはなるまい。
シッダールタ王子とは、ブッダ・シャキャムニ(仏陀釈尊)そのひとのことである。
シッダールタ王子の生涯に思いを馳せる・・・・
すでに今年の6月初めには書き上げていた原稿ですが、アップする機会を逸しているうちにだいぶ時間が経過してしまいました。この機会に少し手を入れてみました。
前回の投稿からずいぶん時間があいてしまったので、目次を掲載しておきます。
<目次>
アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
なお、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)の書評を、bk1 および amzon.co.jp に投稿してあります。内容は「フランチェスコ(3)」ですでに書いているものを書評向けに書き直したものです。
とりあえず以上で、フランチェスコの話は終わりとします。
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<朗報!>
ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD 『フランチェスコ-ノーカット完全版-』、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)
<アッシジのフランチェスコ 総目次>
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PS 読みやすくするために改行を増やし、語句の一部を修正した。 (2014年8月21日 記す)
PS2 あらたに<総目次>を挿入し、映画『ミラレパ』のリンクを作成し直した。(2022年2月20日 記す)
<関連サイト>
Milarepa - Eva van Dam paintings (エヴァ・ヴァン・ダムの公式サイトにおけるミラレパのイラスト集)
THE MAGIC LIFE OF MILAREPA TIBET'S GREAT YOGI Highlights from the Life of Milarepa(エヴァ・ヴァン・ダムによるミラレパのハイライト集)
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アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)
チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)-修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く
成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・・真言宗の密教寺院で行ったわたし自身の断食体験記
書評 『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)
・・最初の700日目とその後の300日目にはさまれた、生まれ変わりのための激しくも厳しい、9日間の断食・断水・不眠・不臥の苦行についても語られる
『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性
(2014年8月21日 情報追加)
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