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2009年12月20日日曜日

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?


             
 司馬遼太郎の原作のNHK連続ドラマ「坂の上の雲」は、ドラマとしては実に面白い。視聴率がとれているのも十分に頷ける。
 前評判とおりかなりカネをかけて大がかりなセットで撮影しているし、伊予松山出身の秋山兄弟を演じる阿部寛と本木雅弘の演技も素晴らしい。NHKならでは、といえるだろうか。

 原作を読んだのはもう20年近く前だが、その頃はまだ「下り坂」は実感していなかった。坂を登り切ったあとが「下り坂」になることもまったく考えていなかった。若かったからだろう。まだ20歳代だった。
 そしてまた、当時はまだ「一億総中流社会」が半永久的に続くかのような幻想を国民の大半がもっていたからだろう。その頃が戦後日本社会のピークだったことにも気がつかずに。

 ブログでもすでに書いたとおり、「坂の上の雲」をつかもうとひたすら登ったら、そこが絶頂で、あとは下りあるのみ、これが日露戦争後の日本であった、と司馬遼太郎は暗示しているのだが・・・

 はっきりいって思うが、いまこの時点で「坂の上の雲」をドラマ化して放映するのは、時代錯誤もはなはだしいのではないか。アナクロニズムの極地ではないか。
 すでに「下り坂」にある日本にとって、明治という時代も、また来年の大河ドラマの主題である坂本龍馬も、これからの日本人にとってはモデルになりえないだろう。日露戦争の勝利を頂点に、その後の日本は大東亜戦争の敗北という奈落の底に落ちてゆくのに。

 「坂の上の雲」は、「ニッポンは小さな国であった」というナレーションが入るが、現在の日本は小さな国ではない。まもなく中国に追い抜かれる見込みだとはいえ、いまだGNP世界第2位の「大国」である。
 1980年代の日本人はすでに大国になっているのに小国意識のもちぬしだと、よく批判されていたものである。大国なのだから応分の負担をせよと。
 バブル時代、日本人は史上空前の好景気に狂乱し、大国意識に酔いしれて自分を見失った。
 そして「一億総中流社会」の幻想が崩壊したいま、また日本人は小国意識に戻ってしまっている。
 「下り坂」ではあるが、ボトムに落ちてしまったわけではない。いまだ「大国」である。方向性をいまだに見いだせていないだけである。

 おそらく、いまこの時点で「坂の上の雲」が視聴率がとれるのは、視聴者が目の前にある暗い現実をみたくない、夢をもう一度、という願望の現れなのだろうが、私はこういうドラマで一時的な満足感を得たとしても、今後の「下り坂」社会を生き抜く上では、あまり意味がないのではないかと思うのだ。
 
 明治時代は今後の日本と日本人のモデルとはなりえない
 明治時代は、日本史のなかでは、きわめて特殊な時代であったことに気がつかないといけない。


 こんな本があるので、書評を再録しておこう。


『下り坂社会を生きる』(島田裕巳/小幡 績、宝島社新書、2009)

もうすでに「下り坂」なんだよ、という「気づき」を与えてくれる本


 現在の日本は「下り坂」にある、という現状認識をめぐっての、経済に関心の深い宗教学者と宗教に関心の深い経済学者の対談。
 テーマは、「成長神話の終わり」から始まって、「政治家と官僚」、「経済学」、「大学」、「職業」、「お金」と多岐にわたって下り坂の現状について語り合い、「脱成長を生きる発想」でしめくくる。

 経済学者は「永遠の下り坂」にあるのだから、下り坂は大きく差がつくので「下り方」を身につけねばならない、と主張する。
 一方、宗教学者はそもそも「下り坂」と認識すること自体が幻想なのでないかともいう。
 短いスパンでものを見ているから、どうしても悪くなっていと思うのだろうが、長いスパンでものをみれば必ずしもそうではない、ということだ。
 お互いいっていることは同じである。

 いずれにせよ、日本はいきつくところまでいってしまって、モノがあふれかえっているわけだし、景気が悪くなれば日本人の消費に対する目はさらに厳しく鍛えられることになっていくわけだ。
 だからこそ、商品でもサービスでも質にかんしては日本はすでに世界最高になっているわけである。中国から大量に観光客がやってきては日本でメイド・イン・チャイナ(!)の製品を買っていくわけだし、世界中の人が日本に憧れるのは当然なのだ。
 そういわれてもあまりピンとこない人が多いのは、日本の内部にいて、毎日のように評論家やエコノミストが不安をあおっているのを耳にしているからなのだろう。評論家たちはみな「バブルの夢をもう一度」とおもっているのだろうが、発想の転換ができない「過去の人たち」なのだ。
 
 そもそもが「下り坂」なんだから、足をくじいて怪我したりしないように気をつけて、時間をかけてゆっくりと下っていけばいいじゃないの、というのが本書の結論だろうか。賛成である。
 もちろんそのためにはノウハウが必要だ。具体的なノウハウについてはあまり語られていないが、これについては今後いろんな人たちが語っていくだろうし、なによりも読者ひとりひとりが考えていくべきことだろう。

 もうそろろろ「下り坂」だという現実をみんなが認めるべきだろう。現実をキチンとみつめていけば、これからの生き方は自ずからでてくるはずだ。何よりもまず「心構え」をもつことが必要だろう。 

 そんな「気づき」を与えてくれる本である。


■bk1書評「もうすでに「下り坂」なんだよ、という「気づき」を与えてくれる本」投稿掲載(2009年12月17日)






<ブログ内関連記事>

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)

書評 『3種類の日本教-日本人が気づいていない自分の属性-』(島田裕巳、講談社+α新書、2008)

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む




(2012年7月3日発売の拙著です)










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