もっとも有名なアメリカ人といっていいだろう。カーネル・サンダースを知らない日本人はいないはずだ。
日本中どこにでも立っているサンタクロースのような人形。すっかり日常の風景に溶け込んでしまっているので、とりたてて気がつくこともない存在。その人がアメリカ人であるということすら忘れているような存在。
だから、カーネル・サンダースの本名が、ほんとうは何というのかなど、ふだん考えることもない。わたしもまた、その人がどんな人生を送った人だったのか考えたこともなかった。
そんなとき目に飛び込んできたのが、この本の帯だ。大きな活字で記された「65」という数字。「ケンタッキー・フライド・チキンを65歳で創始した男の知られざる生涯」とある。
この本の存在を amazon で知ったことで、がぜん興味がわいてきた。「65歳」は終わりではない、始まりなのだ、と。
(1970年代のカーネル・サンダースは80歳代 Wikipediaより)
さっそく『カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男』(藤本隆一、文芸社文庫、2016)を取り寄せて読んでみたが、じつにいい内容の本だった。おお、そうか、カーネル・サンダースは、そんな人だったのか!
■カーネル・サンダースはこんな男だった
65歳でケンタッキー・フライド・チキンを創業したカーネル・サンダースだが、カーネル(Colonel)は本名ではない。「大佐」という意味の名誉称号だ。ここまでは知っていた。だが、本名ハーランド・デイヴィッド・サンダースの人生は、まさに波瀾万丈そのものであった。
1890年に生まれて、6歳で父親を亡くしたことから始まった苦労多き人生。中学校を中退して14歳から始まった職業人生。 30歳までに、いったい何回転職したのかというほどだったが、1912年にスタンダード石油系のガソリンスタンド経営を始めて、ようやく腰を落ち着けることができた。
人に使われるのではない、一国一城の主としての人生が、かれには合っていたのだ。まずは、自分がどんな人間なのか知ることが大事なのだ。
ところが、1929年に始まった「大恐慌」で、財産を失うことになった。外部環境の激変に飲み込まれたのだ。だが、捨てる神あれば拾う神あり。こんどはシェル系列のガソリンスタンド経営の道が開かれた。
「他の人が喜ぶことを真心をこめ、一所懸命に働く」というサービス精神の徹底が成功をもたらす。ガソリンスタンドに併設した食堂が大繁盛、その後レストラン経営専業になって成功する。国道の分岐点という立地条件にめぐまれたおかげでもあった。
ところが、49歳でふたたび逆境に。この頃にフライド・チキンのレシピを完成させたらしいが、レストランを火災で失ってしまったのだ。
このピンチは、レストランの再建と大型化で乗り越えることができた。保険に入っていたからでもあるが、顧客からの熱い支持があったから、それに応えなければならないという使命感があったためである。
レストラン経営は順調に進んだが、第2次世界大戦後の1950年代には、ふたたび外部環境の激震にさらされることになる。アイゼンハウワー大統領が打ち出した「ハイウェイ構想」(・・アル・ゴアの「情報ハイウェイ構想」は、これのネット版)によって、レストラン立地の優位性が失われてしまったのだ。
国道沿いの立地は、かえって不利に働き客は激減、ついにはレストランを安値で手放すことになってしまったのだ。 このとき65歳、年金生活に入るかと考えたものの、毎月の年金はたったの105ドル!
1956年とはいえ、いくらなんでもこれでは暮らしていけない。 そこで一念発起したのである。追い込まれた末にアイディアが思いついたのである。
そうだ、自分が開発して好評だたったフライド・チキン秘伝のレシピをレストランで採用してもらい、その使用料をいただくというのはどうか、と。 ここからが、ほんとうの始まりであった。
■65歳から人生が始まった
65歳で終わったかに見えた人生は、65歳から始まったのである。フランチャイズビジネスでの大成功となったのだ。
もちろん、軌道に乗るまでは苦難の道のりであったことはいうまでもない。だが、65歳での転機がなかったなら、現在のケンタッキー・フライド・チキンはなかったのである。カーネル・サンダース人形が、日本中のいたるところに立っているなんてこともなかったのである。人間万事塞翁が馬である。
逆境につぐ逆境を乗り越えた、七転び八起きのまさに多事多難な人生であったが、90歳で天寿を全うするまで働き尽くした一人の男の人生。ああ、そんな人生もあったのだ、と。まさに「生涯現役」を地で行くような一生であった。
ケンタッキー・フライド・チキンが1970年に日本に進出して、すでに半世紀(!)以上もたっているが、元社長によれば、日本がもっともオリジナルレシピに忠実だとカーネル・サンダース自身のお墨付きを得ているのだそうだ。
カーネル・サンダース人形の季節ごとの着せ替えはローカライズされていても、味はオリジナルに忠実。なるほど、そんなところに日本市場で完全に定着した秘密があるのだな、と。
わたし自身は、そのオリジナルの味が正直いって好きではないのでほとんど食べないのだが、そういう趣味嗜好にかんすることは別にして、カーネル・サンダースの人生には大いに感じるものがあった。
65歳からが本当の人生なのだ、と。
目 次プロローグ第1章 転職を繰り返す半生第2章 サンダース・カフェに寄らずに旅は終わらない第3章 秘伝の調理法第4章 65歳からの再出発第5章 ケンタッキー・フライド・チキン第6章 引退は考えないカーネル・サンダース年表エピローグ 大河原毅(元日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社代表取締役社長)インタビュー
著者プロフィール藤本隆一(ふじもと・りゅういち)1962年、神奈川県生まれ。
<参考資料>
カーネル・サンダース(Wikipedia)
ケンタッキーフライドチキンの歴史(Wikipedia)
The Decline of KFC...What Happened? (YouTube Company Man, 2022年10月17日)
Fried Chicken Wars: The Fall of KFC in America(YouTube MBA Moderna, 2022年10月10日)
・・海外展開が米国を上回る状況。米国内では競合激化などの理由で店舗数が減少傾向
・・賀来賢人演じるカーネル・サンダースがファニー
(2023年8月25日、10月1日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
・・そういえば、アンドリュー・カーネギーも「65歳から」あらたに「慈善事業家」としての人生を開始したのだ。
・・米軍基地内にはマクドナルドはあるがKFSはなかった
(2022年7月25日 情報追加)
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