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2023年1月30日月曜日

書評『われに万古(ばんこ)の心あり 幕末藩士小林虎三郎』(松本健一、ちくま学芸文庫、1997)ー 真の「保守主義者」の遠くを視るまなざし

 
『われに万古(ばんこ)の心あり 幕末藩士小林虎三郎』(松本健一、ちくま学芸文庫、1997)を読了。購入してから四半世紀も積ん読となったままだった本。単行本初版は1992年の出版。  

小林虎三郎の名前は、いわゆる「米百俵」と結びついている。有名になったのは、小泉純一郎元首相の就任演説でそのエピソードが紹介されてからだ。2001年のことである。バブル崩壊後の不況のさなかのことである。

そのブームに便乗する形で、新潮文庫からは山本有三の戯曲『米百俵』が出版されている。この戯曲は、戦時中の1943年である。長岡藩の藩是ともいうべき「常在戦場」をモットーにしていた、長岡出身の山本五十六元帥が撃墜死する前のことだ。  



戊辰戦争の敗戦で廃墟となり、荒廃した長岡藩の再建にあたって、長岡藩の支藩から援助された「米百俵」。だが、それを生き残った藩士に配分して消費してしまうのではなく、それを原資にして学校をつくるべきだとして実行した人。それが小林虎三郎である。 

その日暮らしではなく、教育によって人材を育成する取り組みこそ大事なのだ、と。短期的な消費ではなく、長期的な視点を見据えた人材投資である。それがあったからこそ、維新の負け組となった長岡から、山本五十六はじめ多くの人材が生まれたのである。 


(『われに万古の心あり』の口絵より 小林虎三郎は天然痘のためあばた面で、左目を失明していた) 

小林虎三郎(1828~1877)は吉田寅次郎(松陰 1830~1859)とならんで、佐久間象山の愛弟子で「両虎」とよばれた人だった。

「行動の人・松陰」に対して、「思索の人・虎三郎」。 師の象山は、教育者としての素質は小林虎三郎のほうが高いとみていたようだ。

ペリーの二度目の来航を境にして、師と二人の愛弟子の運命は大きく変わる。

密航に失敗した松陰は捕縛、象山も松代に蟄居。松陰の運命については、あえて語るまでもないだろう。虎三郎も藩主への建白書がたたって長岡に蟄居を命じられることなる。失意のなか、虎三郎は病身だったこともあって、表だった活動もできなくなる。 

戊辰戦争に際しては、開戦論を主張した河井継之助に対して、非戦論を主張した小林虎三郎。長岡藩士としての気概から開戦に踏み切った継之助に対して、長岡藩を超えた日本全体の視点から戦争の無意味さを説いた虎三郎。 

二人はともに親しいあいだがらであったが、政策論にあっては対立することになる。そして、敗戦後の再建にあたっては、教育を中心に据えた人材投資を推進したことは、すでに見たとおりだ。 

河井継之助も小林虎三郎もともに佐久間象山のもとで学んでいるが、継之助は山田方谷を生涯の師として選び、長岡藩の財政再建にかんして大きな影響を受けている。 

戊辰戦争における態度は師の方谷とは大きく異なる。むしろ、虎三郎のほうが方谷と近いような印象を受ける。これはわたしの個人的感想である。 

「米百俵」のエピソードにあるように、いま目の前の課題から逃げることなく取り組むことは必要だが、目の前だけを見ていてはならないのである。現実主義にたつ必要があるが、同時に遠くを見通した理念が必要なのだ。 

とはいえ、理念の実現にあたっては、革命のような急進的で破壊的な手段ではなく、ゆるやかであっても、着実に一歩一歩前に進めて実現することが大事なのである。 

その意味では、著者の松本健一氏が指摘しているように、小林虎三郎は英国のエドモンド・バーク的な意味における「保守主義者」であったといえよう。日本の政治世界におけるエセ愛国者やエセ保守主義者とは、まったく異なる存在である。 

小林虎三郎の名前は、小泉元首相の紹介によって全国的な知名度を獲得したが、それからすでに20年を経過したいま、あまり話題になることもない。 

それでもかまわないのではないかと思う。小林虎三郎自身が「万古の心」をもって、遠くを見つめるまなざしをもって生きた人だったからだ。 




目 次 
第1章 小林虎三郎の時代 
第2章 常在戦場という精神 
第3章 河井継之助と小林虎三郎 
第4章 象山と松陰を繋ぐもの 
第5章 精神のリレー 
第6章 幕末のパトリオット 
第7章 戦わない論理 
第8章 遠望するまなざし 
第9章 小林一族の戊辰戦争 
第10章 敗戦国の復興 
第11章 後から来るものへ 
第12章 終焉 
第13章 ながい影

著者プロフィール
松本健一(まつもと・けんいち)
日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。主な著書に『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、アジア・太平洋賞受賞)、『日本の近代1 開国・維新』(中公文庫、吉田茂賞)、『評伝北一輝 全五巻』(中公文庫、毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞)など多数。2014年没。(本データは『「孟子」の革命思想と日本』2014年が刊行された当時に掲載されていたものに wikipedia 情報で加筆)


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・・田中角栄もまた長岡の出身。ときに河井継之助のなぞらえられることがある

・・長岡藩の家老・稲垣氏の娘による英文の『武士の娘』


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