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2022年5月11日水曜日

映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』(2020年、ロシア)-カラシニコフという根っからの技術屋の半生

 
ことし2月のことになるが、映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』(2020年、ロシア)を amazon prime video で視聴。原題は「カラシニコフ」(ロシア語)。 

旧ソ連で開発され、現在でもテロリスト御用達の自動小銃が AK-47。その開発ストーリーと根っからの技術屋だったミハイール・カラシニコフの半生を描いた映画だ。 

中央アジアのアルタイ出身のロシア人生まれ故郷はカザフスタンのアルマトイ近郊の農村。つまり、エスニシティはスラブ系のロシア人で当時はソ連国民であったが、現在ではロシアとは別の国となったカザフスタンの人ということになる。

「大祖国戦争」とスターリンが命名して「愛国心」をかき立てた「独ソ戦」。その最前線で負傷し、いやというほどドイツ製兵器の優秀さを痛感させられたカラシニコフ軍曹。愛国心がつよく、専門教育は受けてないが根っからのメカ屋であった彼は、連発式の自動小銃の製作に執念を燃やし、完成するまでは故郷に帰ることもしない。




「故郷に錦を飾るまでは帰郷しない」という、明治時代の日本人のようなメンタリティの持ち主であったのだ。この映画が昭和30年代に製作されて日本で公開されていたなら、間違いなくヒットしたのではないかな?

戦場という実践(いや実戦)の場で扱いやすく、耐久性のある自動小銃を開発することが祖国ソ連のためになるという信念を貫き、失敗を重ねながらもついに AK-47 を完成させたのは1947年のこと。すでに戦争は終わっていた。 総計2,600万人(!)も戦死したとされる「独ソ戦」には間に合わなかったのだ。

ソ連崩壊後も使用され続けているので、「AK-47 といえばテロリスト」という連想が働くが、この映画ではそんなことは一言も触れられない。あくまでもロシアの「愛国映画」なのだ。 

とはいっても、よくできたエンタメとして楽しめる戦闘シーンはほとんどなく、設計と試作品つくりの繰り返しが映画の内容だからだ。エンジニアの開発ストーリーに恋愛をからめたヒューマンドラマでもあった。 





*******

以上、視聴後に記した感想に加筆修正したのだが、映画を視聴したのが2022年の「2月24日」以前のことであり、アップするタイミングを失してしまっていた。

隣国ウクライナに軍事侵攻したロシアは、いま国内で「愛国心」を喚起すべくさまざな政策を行っているが、「独ソ戦」とは違って「ウクライナ侵略」は、祖国防衛戦争でも正義の戦いでもない。むしろ、攻め込まれた側のウクライナでこそ、侵略者ロシアに対する「愛国心」がかき立てられている。あるいはナショナリズムといっていいかもしれない。
 
「禍福は糾える縄の如し」というわけではないが、ロシアの行為はまさに「天につばする」ものにほかならない。愛国心をかきたてただけに、そのしっぺ返しは取り返しのつかないものになるのではないか?
 
ただし、この映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』という映画は、開発者のヒューマンドラマとして視聴したらいい。とくにイデオロギー色はないエンテメ作品である。


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2014年10月7日火曜日

朗報! 2014年度のノーベル物理学賞は青色発光ダイオード開発の中村博士ほか日本人3人に決定!(2014年10月7日)

(カリフォルニア大学サンタバーバラ校 オフィシャルサイトより)

朗報! 2014年度のノーベル物理学賞は青色発光ダイオード開発の中村博士ほか日本人3人に決定した。名城大修身教授の赤崎勇博士名古屋大学教授の天野浩博士、そしてカリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二博士の3人である。

中村修二氏は、徳島県の民間企業の日亜化学工業で、高輝度青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明と量産技術開発に成功した人である。特許の帰属をめぐって所属先の企業との訴訟や、2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校に移籍するなど、当時は大きな話題の中心にあった人だ。ノーベル賞間違いなしといわれていたが、14年以上たってようやく実現したことになる。

赤崎氏と天野氏の一般的な知名度は高くないが、窒化ガリウムを使った半導体結晶の加工技術を確立し、長年不可能だった青色発光ダイオード(LED)や青色半導体レーザーなどの開発に成功した研究者で、中村氏の発明と開発もその技術蓄積のうえに成立している。

ノーベル物理学賞の授賞理由は、「明るく、省エネの白色光源を可能にした、効率的な青色LEDの発明」(Efficient blue light-emitting diodes leading to bright and energy-saving white light sources)受賞理由の科学的バックグラウンドについては、スウェーデンの科学アカデミーによる文書を参照。

今回の発光ダイオード関連は、環境エネルギー問題の解決にも貢献するところの大きい、きわめて実用性の高い、世のため人のためになる研究であるといえる。それは受賞理由そのものに表現されている。

現在では、日常生活にも LEDライト は欠かせない存在になっている。その意味では、iPS細胞よりもはるかに多くの人のために役に立っている技術だといえるだろう。

京都の島津製作所に勤務するサラリーマン研究者の田中耕一博士がノーベル化学賞を受賞したのは2002年であったが、原理そのものの発見もさることながら、より実用性の高い開発分野での受賞が増えている。

2000年前後、中村博士が日本で大いに話題になっていた頃、つぎからつぎへと著作が出版されていた。そのなかでわたしが読んだのが『考える力、やり抜く力 私の方法』(中村修二、三笠書房、2001)である。


「人の思惑、"非常識"を恐れるな!」という副題にもあるように、万難を排して開発に専念し、ついには開発に成功した研究者による過激な自己啓発書といった内容である。

いまから13年前の 2001年当時、bk1(・・現在は hontoに統合)に書いた書評を再録しておこう。

書評タイトル: ノーベル賞よりも、アメリカンドリーム(=カネを儲けてデカイ家に住むという単純明快な夢)を実現したい!という中村氏の言いきりが痛快

投稿者:サトケン(2001年3月28日)

「天才とは持続する意思である」というコトバを思い出す。独創とは何か、を身をもって示した本。中村氏による青色発光ダイオードの開発物語は、素材分野では共通するものの、ノーベル賞をすでに受賞した白川博士よりも面白い。ノーベル賞よりも、アメリカンドリーム(つまりカネを儲けてデカイ家に住むという単純明快な夢)を実現したい!という中村氏の言いきりが痛快である。なせばなる、夢を捨てるな!という強烈なメッセージで勇気を奮い立たせてくれる。超おすすめ。


「ノーベル賞よりも、アメリカンドリーム(つまりカネを儲けてデカイ家に住むという単純明快な夢)を実現したい!という中村氏の言いきり」と書いている。この本自体はすでに処分して手元にないので確かめようがないが、中村氏がそう書いているのである。

「ノーベル賞級の大発明を可能にした世界のナカムラ・マジック」と本の表紙にキャッチコピーが書かれているが、2014年にようやくノーベル賞受賞が実現したわけである。「この国を出る」ことで成功した、日本社会の前近代性に復讐できたといえるわけだ。

中村氏の著書は多数あるが、「旬の話題」という性格のためか、その大半は現在では入手不可能である。おそらく今回のノーベル賞受賞でそのうちのいくつかは新装版あるいは文庫版として復刊されるであろうし、またあらたな本がノンフィクションを含めて出版されることになるだろう。






ノーベル物理学賞の受賞者が日本人3人というのもウレシイことだが、中村修二氏のような日本人離れした発想の持ち主でありながら、かつ昔の日本人的な我慢と忍耐の持ち主であった人が受賞したことは、なによりもよろこばしいことだ。

中村博士は現在はアメリカ国籍を取得しているので、英語放送では American researcher と紹介されているが、国籍はアメリカでもエスニシティでは日本人であることには変わらない。2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎博士と同じである。国籍で人を差別するのはバカげたことだ。「日本人」として誇りに思うべきである。

2014年の日本でふたたび「ナカムラ・フィーバー」の旋風が巻き起こることを期待したい。ノーベル物理学賞の受賞式は、2014年12月10日である。






<関連サイト>

UCSB Materials Professor Shuji Nakamura Wins Nobel Prize in Physics (By Andrea Estrada,  October 6, 2014)

カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UC Santa Barbara) 公式サイト(英語)

カリフォルニア大学サンタバーバラ校 工学部材料・電子・コンピュータ工学研究室 中村修二教授プロフィール(英語)

Scientific Background on the Nobel Prize in Physics 2014 EFFICIENT BLUE LIGHT-EMITTING DIODES LEADING TO BRIGHT AND ENERGY-SAVING WHITE LIGHT SOURCES compiled by the Class for Physics of the Royal Swedish Academy of Sciences
・・受賞理由の科学的バックグラウンドについてスウェーデンの科学アカデミー作成の文書

ノーベル賞、「3人同時受賞」の深い意義 閉塞感の出口を目指すための"松明"に (東洋経済オンライン、2014年10月8日)

ノーベル賞受賞、「青色LED」の産官学モデルがうまくいった理由 (日経ビジネスオンライン、2014年10月7日)

ノーベル賞学者は10年前、「敗軍の将」として何を語っていたか (日経ビジネスオンライン、2014年10月7日)
・・発明の対価にかんする訴訟で「敗軍の将」となった中村修二氏

今年のノーベル物理学賞で最も重要なこと 20年後同じように日本の基礎研究は輝いているか (伊東 乾、JBPress、2014年10月10日)

ノーベル賞、4人に1人が「移民」 中村修二教授の受賞が示した米国の磁力(日経ビジネスオンライン、2014年10月10日)

高輝度青色発色ダイオードの開発 第1回:装置は自作で部材は再利用、語るも涙の開発課員時代 (日経ビジネスオンライン、2014年10月8日)
・・「中村氏が窒化ガリウム(GaN)系青色LEDの研究に着手し製品化にこぎ着けるまでの開発ストーリーを紹介した1995年1~3月当時の日経エレクトロニクスの記事を基に、2009年「日経テクノロジーオンライン」に掲載した記事を再掲載)

中村修二氏、並外れた集中力を持つ「研究の鬼」 (日経ビジネスオンライン、2014年10月14日)
・・「地方の中小企業の研究者がノーベル賞級の研究成果を達成した。青色発光ダイオード(LED)と紫色半導体レーザーの実用化だ。その産業界に与えるインパクトは計り知れない。大手企業の研究者を出し抜いた原動力は集中力と実証精神。大企業のエリート研究者ではなかったからこそ偉業を達成できたのだ。(「日経ビジネス」1999年7月19日号の「フォーカスひと」を再掲載したもの)

日本を捨てた「青色の職人」 中村修二-知られざる日本の“異脳”たち(3) (「週刊ダイヤモンド」2001年6月23日号連載) (ダイヤモンドオンライン、2014年10月23日)
ノーベル物理学賞も予想される二人だけに表現も過激になるのだろうが、両者の言い分はそれぞれに正しい。むしろ、こうした自尊心、功名心がぶつかり合うところに画期的な発明が生まれ、技術革新が進むのである。


<ブログ内関連記事>

書評 『「大発見」の思考法-iPS細胞 vs. 素粒子-』(山中伸弥 / 益川敏英、文春新書、2011)-人生には何一つムダなことなどない!

玉川大学の 「植物工場研究施設」と「宇宙農場ラボ」を見学させていただいた-一般的な「植物工場」との違いは光源がLEDであること!

ファラデー『ロウソクの科学』の 「クリスマス講演」から150年、子どもが科学精神をもつことの重要性について考えてみる
・・「偉大な科学者である前に、手技(てわざ)の人であった」のがマイケル・ファラデー。「職人のマインドを持ち続けた人」は、製造装置を自分で手作りした中村修二博士と共通する点がある

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む
・・技術の観点からみた戦艦大和健三プロジェクトとその戦後への「遺産」

祝 新幹線開通から50年!-わが少年時代の愛読書 『スピード物語-夢をひらく技術-(ちくま少年図書館7)』(石山光秋、筑摩書房、1970)を紹介

書評 『「夢の超特急」、走る!-新幹線を作った男たち-』(碇 義朗、文春文庫、2007 単行本初版 1993)-新幹線開発という巨大プロジェクトの全体像を人物中心に描いた傑作ノンフィクション

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)-「やる気のある若者たち」への応援歌!
・・中村修二氏も「この国を出」て、日本社会の前近代性にリベンジを遂げることが出来た

書評 『キャリアポルノは人生の無駄だ』(谷本真由美(@May_Roma)、朝日新書、2013)-ドラッグとしての「自己啓発書」への依存症から脱するために
・・労働にかんする日本的な「美徳」を語る言説には要注意!

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する
・・頭脳流出という移民もある

エスニシティからアメリカ社会を読み解く-フェイスブック創業者ザッカーバーグというユダヤ系米国人と中国系米国人のカップルが写った一枚の結婚写真から

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2014年6月30日月曜日

書評『「悲しき熱帯」の記憶 ー レヴィ-ストロースから50年』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)ー『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点


レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から50年後の1984年、その舞台となったたブラジルを訪れた愛弟子の日本人文化人類学者によるエッセイである。

レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったのは2009年、その翌年に文庫化されたわけだが、その際のタイトルはは『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』となっている。1996年に出版された単行本初版では、『ブラジルの記憶-「悲しき熱帯」は今-』(NTT出版)となっていた。単行本がでたのは旅が行われた1984年から12年後、文庫版はその14年後となる。

レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から、ことしはすでに80年ということになる。『悲しき熱帯』の執筆が開始されたのは1954年だから、60年前になる。いずれにせよ、もうずいぶん昔の話なのである。

じつはわらたしは1996年の単行本を購入して一部だけ読んでそのままにしていた。肝心要の『悲しき熱帯』は購入しながらもいまだ読んでいなかったからだ。今回ようやく『悲しき熱帯』を読み終え、そのうえでさっそく川田氏の本書を読んでみた。



『悲しき熱帯』に登場する先住民のインディオのなかでもっとも印象的なのがナンビクラワ族である。訳者の川田氏もまた、1984年にナンビクラワ族のもとを訪れている。

「未開民族」は、言うまでもないがすでに50年前そのものではない。とはいえ、インディ保護政策に転じたブラジル政府の保護のもと、物質生活のなかに入っていながらも、従来の生活習慣を無意識のうちに保っていたというのは興味深い。もっとも、「文明社会」への「同化」のための過渡期(=モラトリアム)であったようだが・・・。

文庫版でも単行本初版でもカバーに使用されているナンビクラワ族の女性の写真が圧倒的だ。縄文土器のような大地に根ざした大地母神像のような圧倒的な存在。この写真が撮影されたのは1984年である。

南米大陸は、わたしにとっては、いまに至るまでテッラ・インコグニタ(=未知なる大陸)だ。そのなかでもブラジルはとりわけ「常識」を試される土地のようだ。

二ヶ月足らずだったが、この国を旅してみて、情緒不安定と、感情の両極性の露出にいたるところで出会い、私自身も情緒不安定に陥った。殺戮と贖罪、家父長制と母性憧憬(マザーコンプレックス)、雄性誇示と去勢願望・・・。個人をではなく、社会や歴史を理解するのに、ブラジルほど精神分析の用語を思い出させる国もめったにあるものではないのではないだろうか。(Ⅰ 反世界としてのブラジル)

こんな文章を読んだら、いつかはブラジルに行ってみたくなるではないか!

1996年に単行本を購入して一部だけ読んだ際につよく印象に残っていたのが、リオデジャネイロにおける「人類教」にまつわるエピソードであった。18年ぶりに読み返してもその印象に変化はない。

「人類教」(Église positiviste: 実証主義者教会)とはフランス社会学の始祖ともいうべきオーギュスト・コント(1798~1857)が晩年に唱えた宗教である。

フランスではまったく定着しなかったが、なぜか当時フランスに留学した青年将校たちを大いに感化し、かれらをつうじて「人類教」(Religião da Humanidade ポルトガル語。英語だと Religion of Humanity)としてブラジルに伝えられた。

共和国となったブラジルの国旗が「人類教」の理念のもとに作成されたことを知れば、誰だって驚くに違いない(下図)。緑の背景に黄色の菱形、そのなかに星がちりばめられた地球。帯に書かれている ORDEM E PROGRESSO(秩序と進歩)というポルトガル語のスローガンはコントの著書から取ったものだという。

(リオの人類教教会に残るブラジル国旗の原図 単行本 P.55より)

現在では、ほそぼそと生き残っているにすぎない「人類教」だが、大学では社会学部にいたわたしには感慨深いものがある。経験的事実に基づいた理論構築を目指した「実証主義」(positivism)の提唱者であるコントともあろう人が、なぜ「人類教」などという宗教の開祖になったのか(?)という思いがあったからだ。まるでフランス革命時の「理性崇拝」のようなイメージをもったものだ。

フランスにとって植民地ではなかったブラジルは、ポルトガルにとっての支配/被支配関係ではなく、また英国やオランダのような経済関係でもなく、「人類教」とブラジル国旗のエピソードに端的にあらわれているように、知的交流という側面でのつながりが強かったらしい。

レヴィ=ストロースもまた、ブラジルの新興ブルジョワ層が建学して、フランス流のアカデミズムを祖導入したサンパウロ大学に招聘されたことがキッカケでブラジルに渡ることを決心したらしい。それが1934年のことだ。20世紀最大の歴史学者となったフェルナン・ブローデルもまた、同時期にサンパウロ大学で教鞭をとっている。

ブラジルとフランスといえば、いまの日本なら日産を再建したカルロス・ゴーンという答えが返ってくるだろう。ゴーン氏はレバノン系ブラジル人だが、フランスの超エリート校のグランゼコールの一つエコール・ポリテクニークを卒業している。ゴーン氏の存在そのものにも、フランスと移民社会ブラジルの関係がみてとれるかもしれない。

本書は個のほか、大航海時代のポルトガルを軸にした西アフリカと日本の対比(・・キリスト教(=カトリック)、奴隷貿易、小王国)、奴隷貿易を軸にした「近代」のコースの分岐(・・大規模土地所有者として労働集約型産業から脱却できなかったポルトガルが奴隷制を長く維持したのに対し、産業革命によって工業化し次世代産業への移行に成功した英国はいちはやく奴隷制廃止に踏み切った)など、示唆に富む考察も少なくない。

ブラジルで奴隷制が廃止されたのはなんと1888年(明治21年)、奴隷制廃止後は日本人を含めた移民が大量に流入することになる。

「ポルトガル=西アフリカ=日本=ブラジル=フランスを多面鏡のように立てて照合させながら相互連関的視野で問題を検討すること」(著者)の一つの試みとして、知的好奇心を大いに喚起される好エッセイである。

『悲しき熱帯』を読んでいてもいなくても、ブラジルという存在を多角的に重層的に知ることのできるので、読む価値のある本といえるだろう。人類学者の視点である。




目 次 
Ⅰ 反世界としてのブラジル
Ⅱ 灰まみれのモラトリアム・ピーターパンたち
Ⅲ なぜ熱帯は今も悲しいのか
Ⅳ 「紐文学」と口誦の伝統
Ⅴ 私にとってのブラジル-十二年ののちに(“南蛮時代”の意味
あとがき
参考文献

著者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。


「人類教」の開祖で社会学者のオーギュスト・コントについては ⇒




<ブログ内関連記事>

レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)-原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る


視点のもちかた

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ
・・川田順造氏は「三角測量」という表現をつかって日本=フランス=アフリカのフィールドワークを行ってきたと語っている。基本的には同じことをさしている


ブラジル関連

書評 『サッカー狂の社会学-ブラジルの社会とスポーツ-』(ジャネット・リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、世界思想社、1996)-サッカーという世界スポーツがブラジル社会においてもつ意味とは?

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
・・グレイシー柔術の一家に生まれた「400戦無敗の男」は、スコットランド人移民の家に生まれたリオデジャネイロ出身


西欧植民者の奴隷制をめぐる「近代」-英国 vs ポルトガル

書評 『砂糖の世界史』(川北 稔、岩波ジュニア新書、1996)-紅茶と砂糖が出会ったとき、「近代世界システム」が形成された!
・・北米とカリブ海に展開した英国はいちはやく産業革命に成功し奴隷制から足を洗う

かつてコートジボワールが 「象牙海岸」 とよばれていたことを知ってますか?-2014年FIFAワールドカップ一次リーグでの日本の対戦相手
・・象牙海岸、黄金海岸、穀物海岸、胡椒海岸

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
・・「未来」の国であるブラジルとは違う、「過去」に生きる本国のポルトガル

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)


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2013年5月5日日曜日

書評『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)― この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう



2013年度のNHK大河ドラマ 『八重の桜』の主人公は、会津藩の砲術指南役の家に生まれた新島八重(=山本八重)が主人公である。

女だてらに鉄砲を打ちたいと熱望し、不屈の努力で技術をモノにした八重。戊辰戦争における会津戦争の際には、なぎなたではなく鉄砲をかついで実戦に参加、会津落城後はのちの同志社創立者の新島襄と再婚して近代女性として時代を先導した。

だが、わたしはその兄であった山本覚馬こそほんとうの主人公なのだと考えている。そう思いながらこのドラマをみるとより面白くなるのではないかと思う。なぜなら、あたらしい女性であった新島八重であるが、その人生をたどってみると12歳と年齢の離れた兄から多大な感化を受けつづけた人生であったことがわかるからだ。

女性を軽視しているのではない。それほど山本覚馬という人があまりにも傑出した「人物」であったのである。すぐれた人物をごく身近にもてば、その人をロールモデルとして模倣し、自分の人生をつくりあげるのは不思議でもなんでもない。だから、そのような兄をもったことは、新島八重にとっては幸せ以外のなにものでもなかったといって差し支えない。

山本覚馬を主人公にした小説仕立ての伝記もあるが、まずは『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2012)を推奨しておきたい。この本は、昭和3年に同志社が発行したものである。その復刻版が京都ライトハウスから1976年に出版されているが、そのまた最新の復刻版である。

盲人の福祉を目的とした京都ライトハウスから『山本覚馬伝』が再刊されたのは、山本覚馬が成人になってからだが全盲になった人であり、かつ維新後の京都復興に貢献した人であるからだろう。

山本覚馬(1828~1892)について一言で要約すれば、「この人がいなければ維新後の京都復興はなかった」、ということに尽きる。

その意味については、おいおい語ることとしたいが、幕末には政治の中心舞台となった京都であったが、遷都後は急速にさびれてしまった京都に、全盲となった会津人・山本覚馬が京都にいたということがなければ、京都復興はならなかったかもしれないといっても過言ではない。


西欧近代文明の粋を極めつくした山本覚馬

砲術師範の家に生まれ、砲術を一生の職業とするべく運命づけられ、その道を極めたということは、武士でありながら技術に明るく、しかも高度な技能の習得はきわめて職人に近い精神構造が養われていたことを意味している。
   
彼が生きていた幕末は戦争の時代であり、同時代で戦争のつづくヨーロッパや国を二分する激しい内乱状態にあったアメリカでは銃器のイノベーションが飛躍的に進展していた。とくに南北戦争終了後のアメリカからは最新式のライフルが大量に輸入されている。めまぐるしいまでの技術革新の渦のなかにいたわけだ。
   
彼の生涯は、西欧近代文明の粋を家職である砲術から始め、佐久間象山のもとで学んだ蘭学をつうじて西欧の社会制度全般、そして最後は新島襄をつうじてキリスト教まで至ったものであるということもできよう。工学から自然科学、社会科学、そして精神科学という道筋ということもできるだろう。
   
砲術家だけに数理的能力が高く、経済にも明るかった理詰めの人。余談になるが、江戸時代の日本では数学がブームだったという背景を知っておくことが必要だろう。カネがかからないひまつぶしとして、数学の難問を解くことが一般庶民レベルまで流行っていたらしい。
     
蘭学においては佐久間象山の弟子であり、横井小楠、勝海舟といった傑出した人物との交友、また親友が明治初期の啓蒙主義者であった西周(にし・あまね)であったことからも、知の側面での人物像は了解されよう。積極的に外国人とも交友していた。

山本覚馬は、文武両道を絵にかいたような人物であったことが本書でわかる。アタマが切れるだけでなく深く思考することのできる人で、しかも負けん気のつよく、強く腕っぷしもつよい大柄な男であったようだ。全盲になってからは心眼も研ぎ澄まされたことがエピソードによって知ることができる。

そしてなによりも、つねに国全体のことを考えていた人であった。

そんな人物が新首都・東京ではなく、京都に定住したということ、それが大きな意味をもったのである。


山本覚馬が京都復興に果たした役割

青山霞村による『山本覚馬伝』が不思議なのは、山本覚馬の伝記的事実よりも、京都府顧問として京都の復興と近代化にいかなる分野で貢献したかを詳細に、具体的にたどっている点にある。

その意味では異色の伝記であるが、山本覚馬と京都とのかかわり新島襄がなぜ同志社を京都に建学することになったのかなど、「京都復興」事業のなかに位置づけることが可能となる。山本覚馬は、同志社の発起人でかつ命名者でもあった。

そのためには、編者の住谷悦治氏が、まずは目次を丹念にたどるべきことを推奨している。そのアドバイスにしたがって目次を見ておこう。小項目はあまりにも多いので省略した。

目 次

緒論

少年時代 壮年時代
京都勤務
幽囚
京都府顧問

日本最初の小学校
中学校創立 英学校
ドイツ学校とフランス語学校
女紅場、府立第一高等女学校、遊廓の女紅場
府立療病院と付属医学校(今の府立医科大学)創立及び精神病院 駆黴院
集書院
京都最初の活版印刷 新聞発行
物産引立所
勧業場 集産場 授産場
舎密局 アポテキ
織殿 染殿
製革と製靴 化芥所
博覧会 博物館
都踊り
伏見製作所
梅津製紙場 一名パピールファブリック
写真用レンズの模造
牧畜場 農学校 養蚕場 栽培試験所
童仙房の開拓
電信線架設と私設鉄道敷設発企
霊山招魂場
小野組転籍事件、槇村大参事の拘禁とその釈放運動
フランスへ留学生派遣
新施設の廃絶、失敗、犠牲

同志社創立その他

京都府会議長

先生の経済思想
家庭と講帷 晩年
山本覺馬先生の逸事

山本覺馬年譜

すでに都ではなくなっていた京都という「地方都市」の復興に大きな功績のあった山本覚馬であるが、もし東京で仕官していれば歴史から忘れ去られることもなかったろう。

だが、それは運命のめぐりあわせというものだ。いや、あえて意思のチカラで京都に残ったのか。

幕末と明治維新という大激動期に会津藩に生まれ、主君が京都守護職についたため京都に駐在し、京都で全盲となり、鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の捕虜となり、口述筆記による社会改造計画の「管見」(意見書)を薩摩藩主に提出、新政府のもとで京都に残り、そのプランをもとに京都復興に大いなる貢献をしたという生涯。

キリスト教徒として一生を終えた山本覚馬は、思想家としてよりも実践家として人生をまっとうした人である。この人が新島襄と出会わなければキリスト教徒になることもなく、妹の八重が京都にきて新島襄と結婚することもなく、また同志社が京都に建学されることもなかったのである。

偶然を必然に変えた人生といってもいいかもしれない。おなじ時代に生きている人たちのために貢献した人生である。そしてその結果、一時は忘却されたが、いまふたたび見出されつつある。

山本覚馬という人こそ、ドラマのほんとうの主人公であるというのは、そのことなのだ。


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<関連サイト>

日本ライトハウス80年のあゆみ(公式サイト)

NHK大河ドラマ 『八重の桜』(公式サイト)

国立歴史民俗博物館 「歴史のなかの鉄炮伝来」(2006年度企画展示)




<ブログ内関連記事>

・・山本覚馬が取り上げられている

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山本覚馬と新島八重についても「敗者」となった会津藩関係者として取り上げれている

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道活動によって綾部で洗礼を受けたキリスト教徒

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録
・・「7歳で完全失明、15歳で突然視力を回復、自殺未遂、人生40年と見定めての10年間の放浪生活と思索の日々」を送った "沖仲仕の哲学者" ホッファー

コロンビア大学ビジネススクールの心理学者シーナ・アイエンガー教授の「白熱教室」(NHK・Eテレ)が始まりました
・・高校時代に病気によって視力を失った心理学者による授業。この授業を TV で見る限り、授業内容がこまかい事実や数字まで含めてすべて教授のアタマのなかに入っており驚かされる

書評 『まっくらな中での対話』(茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク、講談社文庫、2011)
・・人為的に視覚が効かない世界で、聴覚と触覚をフルに使用する世界を体験

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

(2021年12月30日 情報追加)


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