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2014年8月10日日曜日

映画『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)― 「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ



映画 『王妃マルゴ』(1994年)は、16世紀後半の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマだ。

高校世界史の教科書にもかならず登場する、「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の戦国時代のフランス宮廷における王妃と男たちとの愛憎劇でもある。日本では織田信長による比叡山焼き討ちの翌年にあたる。日本も西欧も「戦国時代」のさなか、血みどろの宗教戦争が行われていたのである。

上映時間160分というのは通常の映画よりも40分以上は長い。しかも、最初から最後まで、ほぼ全編が血なまぐさいシーンの連続である。映像そのものは豪華絢爛であり、とくにイノシシ狩りのシーンなどはリアリティがつよくて印象的だ。
 
劇的盛り上がりを意図しt聴覚に訴える音楽はひたすら抑制につとめ、虐殺シーンや転がる死体、毒殺者の解剖や切り取った生首など、もっぱら視覚情報に訴える演出を行っている。映像作品だから嗅覚情報はないが、まさに酸鼻きわまるシーンの連続である。

18世紀末のフランス革命を描いた作家アナトール・フランスの作品に『神々は渇く』という歴史小説があるが、16世紀末の宗教戦争においても、まさに「神々は渇い」ていたのであろうか。キリスト教徒どうしでありながら、同じ一神教の神の名のもと、カトリックとプロテスタントにわかれての激しい殺し合いが続いていたのである。互いに存在を認め合うことなく。




この映画は、日本で劇場公開されたのが1995年。その時に見逃したまま20年もたってしまった。今回ようやくDVDで見ることができたが、王妃マルゴを演じるフランスを代表する女優イザベル・アジャーニが迫真の演技が素晴らしいのは言うまでもない。

原作は、ダルタニャンの『三銃士』で有名な、フランスの文豪アレクサンドル・デュマの『王妃マルゴ』。16世紀の歴史的事件を、19世紀の歴史小説を原作にして、20世紀のフランス人が演じるわけだが、綿密な歴史考証がが行われているとはいえ、日本の大河ドラマと同様、16世紀そのものの再現というわけにはなっていないだろう。まあ、どこの国でも時代劇というものは、舞台を過去に設定した現代劇であるからだ。

とはいえ、背景知識がないと理解しにくいだろう。フランス人にとっては常識の範囲内であろうが、日本人にとっての常識とは言い難い。

だが冒頭に書いたように、日本も同時代は宗教戦争の渦中にあったことを念頭においておくといい。ただし、西欧とは違い、日本の場合は世俗権力と宗教勢力の激突であった。



■アンリとマルゴの婚礼とサン・バルテルミの虐殺(1572年)

このドラマの主人公は、のちのアンリ4世と王妃マルゴー(=マルグリット・ド・ヴァロワ)である。アンリ4世は、即位後の「ナントの勅令」(1598年)によって、カトリック勢力とプロテスタント勢力の和解を実現したフランス史を代表する英君である。


(アンリ4世 wikipediaより)


のちのアンリ4世は、この映画に登場するのはナバラ王アンリとしてである。ナバラ王アンリは、王位継承権を持つブルボン家当主であったが、ナバラ王国はスペインとはピレネー山脈をはさんだバスク地方で、パリの宮廷からは田舎とさけずまれている。このナバラ王アンリはプロテスタントであった。プロテスタントはユグノーとも呼ばれていた。

ナバラ王アンリとマルゴが結婚することになったのは、マルゴの兄シャルル9世の母后カトリーヌ・ド・メディシス(・・かのメディチ家の出身。だから映画ではイタリア語っぽいフランス語をしゃべらせている)の提案でマジョリティのカトリック勢力と、これに対抗して拡大中のプロテスタント勢力の融和を図るためであった。いわば政略結婚である。

日本の戦国時代に限らず、王族というものは政略結婚が当たり前であるが、宗派が異なると同じ人間とみなさないという時代の「空気」のなかでは、当事者だけでなく、その背後に控える勢力にとっても、そう簡単に受け入れがたいものであったことは想像に難くない。


(マルゴことマルグリッド・ド・ヴァロワ wikipediaより)


アンリとマルゴの婚礼は、1572年8月17日に行われたが、婚礼にも参加していたプロテスタント側の中心人物コリニー提督が狙撃され、その後に暗殺されたことがキッカケとなって、カトリック側とプロテスタント側の相互不信が高まり、そのなかでシャルル9世の命令により宮廷のプロテスタント貴族の多数が殺害された。サン・バルテルミ(=セント・バーソロミュー)の祝祭日(8月24日)の出来事である。

だが、事態はこれだけにとどまらず、パリ市内でもプロテスタント市民が襲撃され、虐殺は地方にも及び、1万人を越えるプロテスタントが殺害されたという。

そしてナバラ王アンリは捕らえられ、カトリックへの改宗を強制されたが、2年後の1574年のシャルル9世の崩御し、その2年後の1576年にはアンリがナバラ王国に逃走し、プロテスタントに再改宗したあうえでプロテスタント勢力を糾合することになる。

シャルル9世の死後、シャルルの弟のアンリ(=カトリーヌ・ド・メディシスの息子の一人)が王位を継承することになる。そして王妃マルゴは、ナバラ王国のアンリのもとへ脱出する。映画はここまでである。

その14年後、アンリ3世が暗殺され、ナバラ王アンリがフランス王位を継承してアンリ4世として即位し、カトリックがマジョリティであったフランス統治のためにアンリは再びカトリックに改宗することになる。そして「ナントの勅令」(1598年)を発布したわけだ。



■「ナントの勅令」は一世紀後に廃止される


ここから先は映画の背景とは直接は関係ないが、アンリ4世の「ナントの勅令」の意味について簡単に触れておこう。

このように16世紀後半のフランスでは、カトリック勢力とプロテスタント勢力とのあいだの「宗教戦争」が血で血を洗うような凄惨な状況となったわけだが、アンリ4世による「ナントの勅令」(1598年)によって、いちおうの終止符が打たれることになる。ようやく不寛容の時代が終わったのである。

アンリ4世のブルボン家の王朝が約200年続くことになり、17世紀のフランスは全盛期を迎えることになった。カトリック勢力の一大中心としてハプスブルク家とならんで存在することになった。隣のドイツでは、1618年にはじまった「宗教戦争」がなんと30年も続いて「三十年戦争」となり、人口が激減し、土地も荒廃してしまったのとは対照的である。

17世紀から18世紀はいわゆりバロック時代にあたるが、フランスのバロックはハプスブルクのバロックとは、ややニュアンスの異なるものとなったのは、フランスがデカルトやパスカルなどの天才を生み出したことにも現れている。

だが、「ナントの勅令」は約一世紀後の1685年に太陽王ルイ14世によって廃止されてしまう。この結果、産業の担い手であったプロテスタント(=ユグノー)たちは、大挙して英国やスイス、プロイセンへと脱出し移住することになる。

移住先のリーダーたちはユグノーを大歓迎した結果、産業が興隆し、一方ユグノーを排除したフランスは、世界経済の中心には一度もなることなく現在に至っている。ドイツの首都ベルリンは、プロイセン王国がユグノー移民が多数受け入れたこともあり、じつはドイツではもっともフランス的な都市なのであった。

1685年の「ナントの勅令」廃止は、1492年のスペインからのユダヤ人追放とならんで、後世からは愚策の最たるものと見なされている。敵対勢力の排除というイデオロギーに基づく政治的動機で、経済的な果実をみすみす放棄したためである。

スペインから追放されたユダヤ人たちは、とくにプロテスタント系新興国オランダ、イスラーム帝国のオスマン・トルコで大歓迎され、移住先の経済発展におおいに貢献している。

フランスは、フランス革命によってカトリック勢力を徹底的に弾圧し、「政教分離」原則を貫く共和国となった。国民の大半は基本的にはカトリックであるが、信教の自由は原則として守られている。だから、自由をもとめてフランスに亡命する人がいまでも多いのである。

もちろん、原理原則と現実がかならずしもイコールとなるわけではないが、それでも16世紀末や18世紀末のような不寛容な思想にもとづく虐殺は、それ以後フランスでは発生していない。

20世紀前半のドイツにおけるユダヤ人虐殺、20世紀後半におけるカンボジアのポルポト派による虐殺、インドネシアの「9・30事件」、アフリカのルワンダ虐殺、バルカン紛争における虐殺など枚挙にいとまがない。カンボジアでは知識階層が大量に虐殺されてたために、現在でも経済発展を妨げる要因の一つとなっている。

宗教や民族がからんでくると、人間はどうしても冷静さを失ってしまい不寛容になりがちである。それだけ人間というものは愚かな存在なのだが、それでも『王妃マルゴ』のような映画をみて、宗教戦争の無意味さ、寛容の精神の重要性について考えることは重要なことだろう。

『王妃マルゴ』は、さすがに制作費に40億円(!)もかけた歴史大作だけに、血なまぐさいシーンが連続するとはいえ、豪華絢爛といってもいい映像美である。ただ、愛憎劇だけを見るのではなく、この映画もまた寛容と不寛容の問題についても考える材料としてほしいと思うのだ。


(画像をクリック!)


<関連サイト>

映画 『王妃マルゴ』 (wikipedia日本語版)

サン・バルテルミの虐殺 (wikipedia日本語版)

アンリ4世 (wikipedia日本語版)

マルグリット・ド・ヴァロワ(=マルゴ) (wikipedia日本語版)


La Reine Margot (Version Longue) - Journey to Navarre-Elohi (YouTube)
・・エンデングは処刑された愛人の生首を膝に抱えてナバール王国に旅立つマルゴのシーン。エンディングに流れるのはイエメン系ユダヤ人でイスラエルを代表する歌姫であった、いまは亡きオフラ・ハザが歌う「エロヒ」(Elohi)。エロヒとはヘブライ語で神を意味する。エロヒーム(=アドナイ)ともいう。ぜひこの曲だけでも聴き入ってほしい。オフラ・ハザは残念なことに2000年に亡くなった。



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・・1965年の「9・30事件」で反共の立場からインドネシアのスハルト政権は100万人を越える市民を虐殺した

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・1492年のコロンブスがジパングを探しに出航した年、スペインはユダヤ人を追放した

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論
・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った


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2013年8月15日木曜日

「神やぶれたまふ」― 日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる



日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあった。このような見方をしている人もいるのである。

それは、国文学者で民俗学者でもあった折口信夫(1887~1953)である。敗戦後の昭和24年(1949年)6月に発表した「神道の新しい方向」の冒頭で以下のように語っている。

昭和二十年の夏のことでした。
まさか、終戦のみじめな事実が、日々刻々に近寄つてゐようとは考へもつきませんでした。その或日、ふつと或(ある)啓示が胸に浮かんで来るやうな気持ちがして、愕然と致しました。それはこんな話を聞いたのです。あめりかの青年達がひよつとすると、あのえるされむを回復する爲に出来るだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもつて、この戦争に努力してゐるのではなからうか、と。もしさうだつたら、われわれは、この戦争に勝ち目があるだらうかといふ、静かな反省が起こつても来ました。・・(以下略)・・
(出典:「神道の新しい方向」1949年 『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』 P.461 傍線はオリジナルでは右サイド。ただし漢字は新字体に直した。ゴチックは引用者=さとう)


ほぼ同じ内容の発言を、敗戦からほぼ一年後の昭和21年(1946年)8月に神職の人たちを前に講演のかたちで行っている。翌年の昭和22年に「神道宗教化の意義」という論文にまとめられている。


私は終戦前に、牧師の団体に古典の話をしたことがあるが、その時に牧師達は、記紀に現れてゐる物語の或ものが、我々のきりすと教の旧約聖書の神話と、殆(ほとんど)同じだといふことを言いだした。それは、神道にも、きりすと教にも比較研究に値するものを、持つてゐるといふことになる。
其(その)人達のお話の中の、「或はあめりかの青年達は、我々と違つて、この戦争にえるされむを回復する爲に起こされた十字軍のやうな、非常な情熱を持ち初めてゐるかもしれない」という詞を聴いた時に、私は愕然とした。何故なら、日本人はその時、日本人が常に持つてゐる露悪主義が世間に露骨に出て、戦争に疲れきつてゐた時だつたからである。さうして日本人はその時、神様に対して、宗教的な情熱を持つていなかつた。我々にも十字軍を起こすやうな情熱はないのだ。・・(中略)・・戦争中の我々の信仰を省みると神々に対して悔いずには居られない。我々は様々祈願をしたけれど、我々の動機には利己的なことが多かつた。さうして神々の敗北といふことを考えなかつた。我々は神々が何故敗けなければならなかつたか、と言ふ理論を考えなければ、これからの日本国民生活はめちゃめちゃになる。・・(中略)・・それほど我々は奇蹟を信じてゐた。しかし、我々側には一つも現れず、向うばかりに現れた。それは、古代過去の信仰の形骸のみにたよつて、心の中に現に神を信じなかつたのだ。だから過去の信仰の形骸のみにたよつて、心の中に現実に神の信仰を持つてゐないのだから、敗けるのは信仰的に必然だと考へられた。・・(以下略)・・
(出典:「神道宗教化の意義」1947年 『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』 P.445~446)


現役の米国大統領ジョージ・ブッシュ(ジュニア)から「十字軍」というコトバが不用意に(?)出てきたのは、2001年の「9-11」のテロ事件の追悼式においてであった。

報復としてのアフガニスタン紛争やイラク戦争などの軍事行動が「第十次十字軍」(The Tenth Crusade)と言われたのは、歴史的な意味での十字軍になぞらえた名称であるが、イスラーム側で激しい反発を招いたことを記憶している人も少なくないだろう。

アメリカ側の「十字軍(クルーセイド)」に対して、テロリスト側は「聖戦(ジハード)」と応酬、まさに政治学者のハンチントンの著書のタイトル「文明の衝突」ともなりかねない状況だったのだ。

そのとき思い出したのが先に引用した折口信夫の敗戦後の発言である。日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったという認識を示した発言である。しかも、宗教的情熱にあふれていたのはアメリカ側であり、必勝祈願という日本側の形骸化した国家神道は宗教的情熱をともなうものではなかったという痛切な反省である。日本政府は国家神道は宗教ではない、としていたのであった。

この文章を知ったのはずいぶん前のことだ。折口は戦争末期にキリスト教関係の団体からよばれて「古事記」についての講義を行ったらしい。

その後、『神道学者折口信夫とキリスト教』(濱田辰雄、聖学院大学出版会、1995)という本で、キリスト教関係者とは沖縄出身の宗教研究者 比屋根安定(ひやごん・あんてい)であることを知った。

ネット上の 「世界宗教用語大事典」によれば、比屋根安定の経歴は以下のようになっている。

【比屋根安定】 宗教史学者・牧師。東京出身。青山学院神学部・東大宗教学科卒。青山学院・東京神学大・ルーテル神学大教授(1892~1970)。

比屋根安定はキリスト者であったが、民俗学にも目配りのきいた宗教学者であった。『諸宗教事典』(聖文舎、1963)にはその成果が十分に反映されている。「折口信夫」という項目もある。 

内弟子であった国文学者で歌人の岡野弘彦氏の回想によれば、比較宗教学の研究も行っていた折口は英文の宗教学関連専門雑誌も読んでいたという。キリスト教にある種のシンパシーを感じていたらしいことは、日本の神の本質が現象的には多神教的でありながら、限りなく一神教に近いという発言にも反映しているような気もする。

おそらくキリスト教への関心は、折口信夫が平田篤胤(ひらた・あつたね)の大きな影響を受けているからでもあろう。国学者の平田篤胤はじつに多芸多才な人でもあったが、ひそかに入手した漢籍でキリスト教を知り、その教えを換骨奪胎して自分の著作に活用しているくらいなのだ。

『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』に収録されている「平田国学の伝統」という論文にもあるように、折口信夫もその師である柳田國男も、国学者の平田篤胤の大きな影響を受けている。民俗学を「新国学」と表現したのもそのためである。

折口信夫の同時代人で、思想家でもあった陸軍軍人・石原莞爾は、日蓮主義の法華経信仰に基づいて「世界最終戦争論」を主張していた。このこともあわせてみると、「宗教戦争」であった日米戦争の本質についても考えてみる必要はあると思うのである。

いまでもマスコミは「終戦記念日」という名称をつかいつづけているが、ほんとうは「敗戦記念日」というべきだ。たしかに一般国民の実感としては戦争が終わったというものだろうが、日本は原子爆弾という非人道的兵器によって完膚なきまでに叩きのめされ、そして敗れ去ったという事実を認めない限り、いつまでも自己欺瞞がつづくことになる。

「正常化」するためにも「敗戦」という事実を認識することが必要なのだ。「先の大戦」の敗因についてはさまざまな分析がなされつづけているが、精神面でも日本は負けていたという事実を認識することも重要なことである。

『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)によれば、 折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦氏に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」。 68年後のいま、この発言をアタマから否定できる人ははたしているだろうか?

日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったという発言は極端に響くかもしれない。しかしながら、本質を突いたものであることが否定できないのはそういう意味なのだ。




<ブログ内関連記事>

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」(P.263 注23)。 日本の神は敗れたもうた、という深い反省をともなう認識を抱いていた折口信夫の予言が、まさに的中していることは、あえていうまでもない」

書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「私は大学時代から、中公文庫版で『折口信夫全集』を読み始めた。日本についてちっとも知らないのではないかという反省から、高校3年生の夏から読み始めた柳田國男とは肌合いのまったく異なる、この国学者はきわめて謎めいた、不思議な魅力に充ち満ちた存在であり続けてきた」

「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)


書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・連続はしているが敗戦によって「神がやぶれたもう」た戦後は・・・


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