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2018年1月6日土曜日

ドラマと原作のあいだ ― 2018年の年末年始にドラマ 『逃げる恥だが役に立つ』を全部見てから原作を読んでみた



2018年の年末年始に再放送されたTVドラマ『逃げ恥』(=『逃げる恥だが役に立つ』)は、昨年2017年の今頃は超多忙でドラマ見てるヒマがなかったので、今回初めて11話全部つづけて見たのだが、あまりにも面白かったし、なぜ大ヒットしたのかもよくわかった。

そのあと気になって、海野つなみ による原作マンガも読んでみた。amazon だと kindle むけの第1巻が「無料」で読める(・・ただし、2018年1月6日の状況)。

意外というか、案の定というか、やはりドラマと原作とでは違いがある。

主人公みくりの脳内妄想シーンや、登場人物たちの脳内モノローグはどちらも同じだ。女性マンガ家による、基本的には女性のためのマンガで、しかも連載の媒体が女性向けにコミック誌だから当然というべきかな。

ドラマと同様にマンガのほうも、主人公たちの年齢に近い20歳代でも30歳代でも、脇役の年齢層に近い40歳代や50歳代でも、男女に関係なく感情移入しやすいように出来ている。主人公の親たちの世代の60歳代も同様だろう。


(電子書籍版 第1巻の最初のページをキャプチャ)


ドラマ版は、生身の俳優が演じているわけだから、原作を読んだ個々の読者が膨らましたイメージとのズレが発生するのは当然のことだ。ゆりちゃん役の石田ゆり子(・・奇しくも役柄と本名が同じ)の演技は、あまりにも実感がこもっているので、演技を超えているような気がしたのはわたしだけではないだろう。

だが、ここで言いたいのはそういうことではない。

TVドラマ版は、放送コードの関係もあるのだろうが、表現がマイルドで、オブラートに包んだようなものになっていることだ。公共の電波をつうじて不特定多数の人が視聴するドラマ版というものは、そういうものだから、ある意味では仕方がない。その点は、TVドラマは映画よりも表現にかんしては厳しいはず。


(高齢童貞や高齢処女といった表現はドラマでは使用されてない)


それはそれでいいのだが、マンガのほうがけっこうストレートな表現つかっているので、「いまという時代」の現実とか、主人公たちが抱えている問題について考えるには、原作のマンガのほうがいいような気がした。逆に原作マンガのほうが、生身の人間を感じたりするシーンも多々ある。

気になる人は、kindle版でまずは第1巻読んでみるといいと思う。2巻以降は、amazon の「なか見、検索」や、出版元の講談社のサイトで、それぞれの巻ごとに1話がまるごと「試し読み」できるのでご参考まで。


(画像をクリック!)



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・・連続テレビドラマ『フリーター、家を買う。』(2010年放送)にヒントを得て

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2016年4月12日火曜日

『マンガ 重版出来』がドラマ化(2016年4月12日)-マンガが原作のテレビドラマはいまや主流だ


マンガ『重版出来』(松田奈緒子、小学館)がTVドラマ化。TBS系列で今夜22時より毎週火曜日放送。楽しみです。

出版社のマンガ編集部を舞台にした「仕事マンガ」です。このマンガは面白い! すでに最新刊は「7巻」。ストーリーの面白さだけでなく、綿密な取材(・・取材先は出版元の小学館ですね)にもとづいたディテールが読ませます。


ちなみに『重版出来』と書いて「じゅうはん・しゅったい」と読みます。「じゅうはん・でき」ではないので、くれぐれも注意!(・・というわたしも「でき」だと思ってました。日本語はむずかしい)

セリフ以外のすべてを画像で表現するマンガはディテールまで書き込まなければリアル感が出ないので、執筆にあたっては小説作品以上に徹底した取材が求められることが当たり前。

このマンガは、マンガ出版という特殊(?)な世界が舞台ですが、幅広く出版業界の中身を知るにはかっこうの仕事マンガといえるでしょう。





PS それにしても主人公・黒沢心を演じている黒木華と、編集者・五百旗部を演じているオダギリジョーはそっくりだ。(ドラマをみてからの感想)


<関連サイト>

火曜ドラマ『重版出来』 公式サイト

「私が売らなくてごめんなさい」から始まった『重版出来!』 (編集長・高橋由里が会いたかったこの4人 Vol.3 松田奈緒子)(東洋経済オンライン、2016年7月)

(2016年7月16日 情報追加)


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『重版出来!①②③④⑤~』(松田奈緒子、小学館、2013~)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!

2015年の年末に「異種ジャンル」のマンガをまとめ読み

マンガ 『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、1995)-人気TVドラマを生み出してきた現役プロデューサーがみずから描いた仕事マンガ
・・テレビドラマ制作の世界を現役のプロデューサー自身が描いたマンガ

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
・・雑誌編集の世界を描いたマンガ


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2014年8月10日日曜日

映画『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)― 「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ



映画 『王妃マルゴ』(1994年)は、16世紀後半の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマだ。

高校世界史の教科書にもかならず登場する、「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の戦国時代のフランス宮廷における王妃と男たちとの愛憎劇でもある。日本では織田信長による比叡山焼き討ちの翌年にあたる。日本も西欧も「戦国時代」のさなか、血みどろの宗教戦争が行われていたのである。

上映時間160分というのは通常の映画よりも40分以上は長い。しかも、最初から最後まで、ほぼ全編が血なまぐさいシーンの連続である。映像そのものは豪華絢爛であり、とくにイノシシ狩りのシーンなどはリアリティがつよくて印象的だ。
 
劇的盛り上がりを意図しt聴覚に訴える音楽はひたすら抑制につとめ、虐殺シーンや転がる死体、毒殺者の解剖や切り取った生首など、もっぱら視覚情報に訴える演出を行っている。映像作品だから嗅覚情報はないが、まさに酸鼻きわまるシーンの連続である。

18世紀末のフランス革命を描いた作家アナトール・フランスの作品に『神々は渇く』という歴史小説があるが、16世紀末の宗教戦争においても、まさに「神々は渇い」ていたのであろうか。キリスト教徒どうしでありながら、同じ一神教の神の名のもと、カトリックとプロテスタントにわかれての激しい殺し合いが続いていたのである。互いに存在を認め合うことなく。




この映画は、日本で劇場公開されたのが1995年。その時に見逃したまま20年もたってしまった。今回ようやくDVDで見ることができたが、王妃マルゴを演じるフランスを代表する女優イザベル・アジャーニが迫真の演技が素晴らしいのは言うまでもない。

原作は、ダルタニャンの『三銃士』で有名な、フランスの文豪アレクサンドル・デュマの『王妃マルゴ』。16世紀の歴史的事件を、19世紀の歴史小説を原作にして、20世紀のフランス人が演じるわけだが、綿密な歴史考証がが行われているとはいえ、日本の大河ドラマと同様、16世紀そのものの再現というわけにはなっていないだろう。まあ、どこの国でも時代劇というものは、舞台を過去に設定した現代劇であるからだ。

とはいえ、背景知識がないと理解しにくいだろう。フランス人にとっては常識の範囲内であろうが、日本人にとっての常識とは言い難い。

だが冒頭に書いたように、日本も同時代は宗教戦争の渦中にあったことを念頭においておくといい。ただし、西欧とは違い、日本の場合は世俗権力と宗教勢力の激突であった。



■アンリとマルゴの婚礼とサン・バルテルミの虐殺(1572年)

このドラマの主人公は、のちのアンリ4世と王妃マルゴー(=マルグリット・ド・ヴァロワ)である。アンリ4世は、即位後の「ナントの勅令」(1598年)によって、カトリック勢力とプロテスタント勢力の和解を実現したフランス史を代表する英君である。


(アンリ4世 wikipediaより)


のちのアンリ4世は、この映画に登場するのはナバラ王アンリとしてである。ナバラ王アンリは、王位継承権を持つブルボン家当主であったが、ナバラ王国はスペインとはピレネー山脈をはさんだバスク地方で、パリの宮廷からは田舎とさけずまれている。このナバラ王アンリはプロテスタントであった。プロテスタントはユグノーとも呼ばれていた。

ナバラ王アンリとマルゴが結婚することになったのは、マルゴの兄シャルル9世の母后カトリーヌ・ド・メディシス(・・かのメディチ家の出身。だから映画ではイタリア語っぽいフランス語をしゃべらせている)の提案でマジョリティのカトリック勢力と、これに対抗して拡大中のプロテスタント勢力の融和を図るためであった。いわば政略結婚である。

日本の戦国時代に限らず、王族というものは政略結婚が当たり前であるが、宗派が異なると同じ人間とみなさないという時代の「空気」のなかでは、当事者だけでなく、その背後に控える勢力にとっても、そう簡単に受け入れがたいものであったことは想像に難くない。


(マルゴことマルグリッド・ド・ヴァロワ wikipediaより)


アンリとマルゴの婚礼は、1572年8月17日に行われたが、婚礼にも参加していたプロテスタント側の中心人物コリニー提督が狙撃され、その後に暗殺されたことがキッカケとなって、カトリック側とプロテスタント側の相互不信が高まり、そのなかでシャルル9世の命令により宮廷のプロテスタント貴族の多数が殺害された。サン・バルテルミ(=セント・バーソロミュー)の祝祭日(8月24日)の出来事である。

だが、事態はこれだけにとどまらず、パリ市内でもプロテスタント市民が襲撃され、虐殺は地方にも及び、1万人を越えるプロテスタントが殺害されたという。

そしてナバラ王アンリは捕らえられ、カトリックへの改宗を強制されたが、2年後の1574年のシャルル9世の崩御し、その2年後の1576年にはアンリがナバラ王国に逃走し、プロテスタントに再改宗したあうえでプロテスタント勢力を糾合することになる。

シャルル9世の死後、シャルルの弟のアンリ(=カトリーヌ・ド・メディシスの息子の一人)が王位を継承することになる。そして王妃マルゴは、ナバラ王国のアンリのもとへ脱出する。映画はここまでである。

その14年後、アンリ3世が暗殺され、ナバラ王アンリがフランス王位を継承してアンリ4世として即位し、カトリックがマジョリティであったフランス統治のためにアンリは再びカトリックに改宗することになる。そして「ナントの勅令」(1598年)を発布したわけだ。



■「ナントの勅令」は一世紀後に廃止される


ここから先は映画の背景とは直接は関係ないが、アンリ4世の「ナントの勅令」の意味について簡単に触れておこう。

このように16世紀後半のフランスでは、カトリック勢力とプロテスタント勢力とのあいだの「宗教戦争」が血で血を洗うような凄惨な状況となったわけだが、アンリ4世による「ナントの勅令」(1598年)によって、いちおうの終止符が打たれることになる。ようやく不寛容の時代が終わったのである。

アンリ4世のブルボン家の王朝が約200年続くことになり、17世紀のフランスは全盛期を迎えることになった。カトリック勢力の一大中心としてハプスブルク家とならんで存在することになった。隣のドイツでは、1618年にはじまった「宗教戦争」がなんと30年も続いて「三十年戦争」となり、人口が激減し、土地も荒廃してしまったのとは対照的である。

17世紀から18世紀はいわゆりバロック時代にあたるが、フランスのバロックはハプスブルクのバロックとは、ややニュアンスの異なるものとなったのは、フランスがデカルトやパスカルなどの天才を生み出したことにも現れている。

だが、「ナントの勅令」は約一世紀後の1685年に太陽王ルイ14世によって廃止されてしまう。この結果、産業の担い手であったプロテスタント(=ユグノー)たちは、大挙して英国やスイス、プロイセンへと脱出し移住することになる。

移住先のリーダーたちはユグノーを大歓迎した結果、産業が興隆し、一方ユグノーを排除したフランスは、世界経済の中心には一度もなることなく現在に至っている。ドイツの首都ベルリンは、プロイセン王国がユグノー移民が多数受け入れたこともあり、じつはドイツではもっともフランス的な都市なのであった。

1685年の「ナントの勅令」廃止は、1492年のスペインからのユダヤ人追放とならんで、後世からは愚策の最たるものと見なされている。敵対勢力の排除というイデオロギーに基づく政治的動機で、経済的な果実をみすみす放棄したためである。

スペインから追放されたユダヤ人たちは、とくにプロテスタント系新興国オランダ、イスラーム帝国のオスマン・トルコで大歓迎され、移住先の経済発展におおいに貢献している。

フランスは、フランス革命によってカトリック勢力を徹底的に弾圧し、「政教分離」原則を貫く共和国となった。国民の大半は基本的にはカトリックであるが、信教の自由は原則として守られている。だから、自由をもとめてフランスに亡命する人がいまでも多いのである。

もちろん、原理原則と現実がかならずしもイコールとなるわけではないが、それでも16世紀末や18世紀末のような不寛容な思想にもとづく虐殺は、それ以後フランスでは発生していない。

20世紀前半のドイツにおけるユダヤ人虐殺、20世紀後半におけるカンボジアのポルポト派による虐殺、インドネシアの「9・30事件」、アフリカのルワンダ虐殺、バルカン紛争における虐殺など枚挙にいとまがない。カンボジアでは知識階層が大量に虐殺されてたために、現在でも経済発展を妨げる要因の一つとなっている。

宗教や民族がからんでくると、人間はどうしても冷静さを失ってしまい不寛容になりがちである。それだけ人間というものは愚かな存在なのだが、それでも『王妃マルゴ』のような映画をみて、宗教戦争の無意味さ、寛容の精神の重要性について考えることは重要なことだろう。

『王妃マルゴ』は、さすがに制作費に40億円(!)もかけた歴史大作だけに、血なまぐさいシーンが連続するとはいえ、豪華絢爛といってもいい映像美である。ただ、愛憎劇だけを見るのではなく、この映画もまた寛容と不寛容の問題についても考える材料としてほしいと思うのだ。


(画像をクリック!)


<関連サイト>

映画 『王妃マルゴ』 (wikipedia日本語版)

サン・バルテルミの虐殺 (wikipedia日本語版)

アンリ4世 (wikipedia日本語版)

マルグリット・ド・ヴァロワ(=マルゴ) (wikipedia日本語版)


La Reine Margot (Version Longue) - Journey to Navarre-Elohi (YouTube)
・・エンデングは処刑された愛人の生首を膝に抱えてナバール王国に旅立つマルゴのシーン。エンディングに流れるのはイエメン系ユダヤ人でイスラエルを代表する歌姫であった、いまは亡きオフラ・ハザが歌う「エロヒ」(Elohi)。エロヒとはヘブライ語で神を意味する。エロヒーム(=アドナイ)ともいう。ぜひこの曲だけでも聴き入ってほしい。オフラ・ハザは残念なことに2000年に亡くなった。



<ブログ内関連記事>

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・日本と西欧は同時代に「戦国時代」を体験していた

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?
・・ルターが非難した免罪符は正式な用語ではない

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・宗教戦争の愚かさを痴愚神に語らせる16世紀の知識人エラスムス

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・フランスの「宗教戦争」が収束したあと、となりのドイツ(=神聖ローマ帝国)では「宗教戦争」は「三十年戦争」となって人口は激減し土地は荒廃した

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・1965年の「9・30事件」で反共の立場からインドネシアのスハルト政権は100万人を越える市民を虐殺した

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・1492年のコロンブスがジパングを探しに出航した年、スペインはユダヤ人を追放した

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論
・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った


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2013年7月27日土曜日

映画『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた ― 日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念



『終戦のエンペラー』を初日に見てきた。このテーマの映画であれば気になる存在だからだ。

『終戦のエンペラー』(原題: Emperor)は、2012年度製作のアメリカ映画である。日米合作ではなく、アメリカ資本で製作された映画である。これはこの映画をみるうえで重要なポイントだ。

舞台は敗戦によってアメリカを中心とする連合国の占領下におかれた日本、とくに東京と静岡が舞台である。登場人物はアメリカ側は連合国最高司令官のマッカーサー元帥とその副官であるフェラーズ准将。日本側はフェラーズ准将の運転手兼通訳の日本人、そしてA級戦犯とされた日本人たち(・・東条英機、近衛文麿、木戸孝一)、そして昭和天皇。

映画『終戦のエンペラー』のキャスティング・ディレクターとして日本側配役の選定と推薦を担当した奈良橋陽子氏は、ハリウッドは”日本ネタ”を求めているハリウッドと日本の”橋渡し役”奈良橋陽子氏に聞く (東洋経済オンライン 2013年7月26日)というインタビューのなかで以下のように語っている。ちょっと長いがそのまま引用させていただこう。

――ハリウッドの映画が日本を描くと、「それは日本じゃない」と言いたくなるようなシーンもあります。そのことについてどう考えていますか?

監督のタイプも大まかに言うと2つあると思います。ひとつは、日本のことをすごく尊重している人。そういう方はこちらが「ここは間違っている」と指摘すると、「じゃあ直そう」と受け入れてくれます。

そしてもうひとつは、自分の世界を持っていて、本当は(日本の描写は)こうだと知っているけれども、あえて違う描写でやってしまう人。美的感覚が違うのでしょうね。ただ、私がキャスティングした日本人の俳優さんに関しては、きちんとこちらの意向を説明して、衣装などにも意見を取り入れてもらいました。

――今回の『終戦のエンペラー』は、そうした「日本らしくない」という違和感はありませんでした。

今回はキャスティングだけでなく、プロデュースをしましたから。美術やメイクなどもすべてチェックしました。


だが、じっさいに見た感想としては、やはりなにかが違う、というものだった。個々の日本人俳優の演技そのもの大きな違和感はないのだが、どうもなにかが違うのだ。もちろん、1945年当時の日本人というを2012年現在の日本人が演じるにはムリがあるのだが、それは脇においておこう。

この映画はアメリカ人がアメリカ人の視点、つまり占領する側が敗戦国を描いた映画である。この枠組みにはいささかの揺るぎはない。そうでなかったら、アメリカでは受け入れられないだろう。つまり敗戦国の日本人の視点で描かれた物語ではないアメリカ映画である。それも脇においておこう。

もちろんエンターテインメント作品であり、個々の史実を意図的に曲げて描いているシーンがあるのは仕方ない。これは演出の問題だからとやかく言う筋合いはなかろう。

だが、最初から最後まで違和感が残ったのは、メロドラマ的に一つの軸となっているフェラーズと、いかにもアメリカ人からみた "いかにも和風" な日本人女性との悲恋の描かれ方である。

正直いってオリエンタリズム以外のなにものでもないという印象である。アジアを描く際のアメリカ人の無意識の視点がでているという印象がぬぐえないのだ。さすがに1980年の『将軍 SHOGUN』に登場する島田陽子ほどではないが、30年たっても基本的になにも変わっていないという印象だけが残る。

今回のキャスティングに渡辺謙が入ってないのはよかった。といっても、渡辺謙が嫌いなのではなく、あまりにもハリウッド映画に登場しすぎるので食傷気味だということ以外に意味はない。

近衛文麿役の中村雅俊はいい線いってるし、関屋貞三郎役の夏八木勲はじつにいい味を出していた。また、西田敏行が演じる海軍将校の英語がじつに流暢で、それには大いに感心させられた。さすが役者である。

このように個々の日本人俳優はシークエンス単位で好演しているのだが、ぜんたいの枠組みが占領軍の側からみたオリエンタリズム映画なので、見終わった感想としては、日本人としてはイマイチとしかいいようがない。

以上がじっさいに映画をみての正直な感想である。





■原作は『陛下をお救いなさいまし』(Save the Emperor)

じつは今回は映画を観るまえに原作を読んでおいた。映画化によって、原作がどこまで再現されているのか、いないのかを見てみたかったからだ。

なぜなら、先にも感想を記したように、この手の映画はよほどのことがないかぎり、アメリカ側の一方的な解釈や演出で台無しになっているケースが多いからだ。

たとえば、かつて話題になった『硫黄島からの手紙』(Letters from Iwo Jima 2006年)。クリント・イーストウッド監督はすばらしいのだが、どうしてもあの映画にはなじめないものを感じたのはわたしだけではないのではないか? なにかが違う、という感じがぬぐえないのである。

同じ監督による二部作のもう一方である『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)のほうがはるかにすぐれているのは、アメリカ人の監督がマイノリティの置かれているアメリカの現実を熟知しているからだろう。

日本人からみた違和感をなくすには、かつて真珠湾攻撃を描いた戦争映画『トラ・トラ・トラ』(1970年)のように、アメリカのパートはアメリカ人監督、日本のパートは日本人監督がメガホンをとる以外はムリだろう。そうでないと『パール・ハーバー』のような愚作となるのが落ちだ。

さて、原作のタイトルは『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)。文庫化にあたっては映画のタイトルを主に、単行本のタイトルが従となった。『終戦のエンペラー  ―  陛下をお救いなさいまし』(集英社文庫、2013)と変更された。

内容を正確に表現するなら、『陛下をお救いなさいまし  ―  恵泉女学園創設者・河井道とマッカーサーの副官フェラーズ准将』とするべき内容で、知られざる歴史を描いた正統派のノンフィクション作品である。

河井道(かわい・みち)という女性は、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒。恵泉女学園を創設した教育家でもある。信念が堅固で、ハッキリとモノを言う人だったらしい。

フェラーズ准将という学者肌のアメリカの陸軍軍人は、大学時代にアメリカに留学してきていた日本人女性との交友から日本びいきになり、ラフカディオ・ハーンの全作品を読み込んでいた人。

この二人の日米をまたいだ戦前と戦後の友情が、天皇の戦争責任回避を実現させたのである。これがほんとうの「真相」である。無責任体制とも批判される日本の意思決定構造ゆえに、天皇の戦争責任論に結論をつけるのが困難であったのだが、フェラーズ准将が書いたレポートが最終的にものを言うことになった。

新渡戸稲造もフェラーズもプロテスタントの一派であるクエーカーであり、河井道をふくめた日本のプロテスタント人脈とプロテスタント国アメリカの密接な人的関係が、天皇の戦争責任回避を実現させたというのが原作の内容である。したがって、日米をまたいだ人脈が実現させたヒューマン・ドラマというのがほんとうの物語なのだ。メロドラマ的な要素はじつは皆無である。

もちろん、映画はエンターテインメントであるから、脚色や事実関係の変更、虚構の導入はあってもとくに文句をいう筋合いはない。この映画の脚本もひとつの歴史解釈というべきであり、これと異なる解釈があってもおかしくはない。

だが、原作の内容がなんであれ、メロドラマ的なオリエンタリズム映画となったことはじつに残念以外のなにものでもない。またかよ、といった思いで、正直いって閉口する。

ぜひ日本人監督によって『陛下をお救いなさいまし』を別バージョンとして映画化すべきだろう。そうすれば、歴史観の相違というものがおのずからにじみ出てくるはずだ。

占領する側と占領される側とは、それほど溝が深いのである。おそらく製作者サイドとしては無意識なのだろうが。


(画像をクリック!)



<関連サイト>

映画 『終戦のエンペラー』 公式サイト

学校法人恵泉女学園|創立者 河井道 - 恵泉女学園 中学・高等学校

ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ(加藤哲郎、一橋大学政治学 『講座 小泉八雲 1 ハーンの人と周辺』(平川祐弘・牧野陽子編、新曜社、2009)所収)
・・「したがって、「ハーン・マニア」フェラーズを、たんなる親日家・日本理解者とするのは誤解を生じる。その天皇制保持・不訴追工作も、当時の米国心理作戦の一部と見るべきであり、米国有数の有能な情報戦エキスパートであったフェラーズの全生涯との関連で、歴史的に評価されなければならない」



<ブログ内関連記事>

■占領下日本(=オキュパイド・ジャパン)

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『占領史追跡-ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記-』 (青木冨貴子、新潮文庫、2013 単行本初版 2011)-「占領下日本」で昭和天皇とワシントンの秘密交渉の結節点にいた日本通の英国人の数奇な人生と「影のシナリオ」

書評 『731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く-』(青木冨貴子、新潮文庫、2008 単行本初版 2005)-米ソ両大国も絡まった "知られざる激しい情報戦" を解読するノンフィクション


■「戦後」の日米関係

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加(2013年7月18日)-軍港クルーズと徒歩でアメリカを感じる横須賀をプチ旅行

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!


■戦犯裁判

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い

書評 『東條英機 処刑の日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」-』(猪瀬直樹、文春文庫、2011 単行本初版 2009)


■オリエンタリズム

映画 『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?
・・この映画のような知的な立場とは無縁のオリエンタリズム映画がハリウッドには多すぎる


■恵泉女学園創設者の河井道

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・映画の原作 『陛下をお救いなさいまし』の主人公の一人、恵泉女学園創設者の河井道は新渡戸稲造の弟子であった

(2014年7月23日 情報追加)


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2010年2月22日月曜日

本の紹介 『人を惹きつける技術-カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方-』(小池一夫、講談社+α新書、2010)




■「キャラ」を起てよ!-あまりにも読みやすいので、読み飛ばしてしまってそれで終わり、というのでは実にもったいない■

 マンガは主人公の「キャラ」ですべてが決まる。キャラが起てば、ドラマや物語はあとからついてくる。そう主張して実践してきたプロの劇画原作者による、クリエーター志望者のための、実践的「キャラ」の創り方。

 非常に読みやすいので、あっという間に読み終えてしまうのは、この本自体が語り口調で書かれていることと、著者による「つかみ」が実に優れているからだろう。また人間心理の洞察力、旺盛な好奇心など、マンガ原作者として40年以上にわたって最前線を走り続けてきた実績が有無をいわさぬ説得力をもっているためだろう。

 『子連れ狼』、『クライイングフリーマン』など数々のヒット作を生み出してきた著者のいうことは、すべてが具体的で、抽象的な話はいっさいない。

 この本は、マンガ家を目指している人のために、1977年から著者が主催している「劇画村塾」、大阪芸大での「キャラクター原論」の講義録を一般向けに公開したものだ。

 この本のなかで繰り返し強調されているのは、マンガなら最初の7ぺージ、映画や演劇なら最初の3分で人の心をつかまなければ、誰も最後まで読まないし、最後まで見ないという厳然とした事実である。

 あくまでもお客さんに受け入れられてなんぼの世界である。自己満足ではカネにならない。

 カギとなるのは主人公のキャラであり、主人公を間接的にもりたてる役割を果たすライバルであり、引き回し役である。

 では主人公の「キャラを起てる」にはどうしたらいいのか。著者自身が原作者となった数々のマンガや、弟子たちのマンガ作品から、実例を具体的に紹介している。第2章 ヒットするキャラの「三角方程式」、第3章 ヒットキャラが持つ「九ヵ条」、第4章 キャラを魅力的にする「プロファイリング」、第5章 キャラクター作りのマル秘テクニック。

 具体的なテクニックは直接読んでのお楽しみ。

 とはいっても、テクニックは読んだだけでは何の意味もない。いろんな場面で実際に応用してみて、はじめてその意味がわかってくるものだろう。この本では一般向けの応用として、相手の立場にたって考えるために、相手のキャラをプロファイリングしたらいいというアドバイスを第4章でしているが、応用をそれだけにとどめていてはもったいない。

 マンガ家でも、プロのクリエーターでなくても、ビジネスパーソンにもクリエーター的センスが求められる時代となっているからだ。

 あまりにも読みやすいので、読み飛ばしてしまってそれで終わり、というのでは実にもったいない。自分の関係する世界で、著者のアドバイスやテクニックをどう活かしていくか、日々考えるためのヒントにしたいものだ。


<初出情報>

■bk1書評「キャラを起てよ!-あまりにも読みやすいので、読み飛ばしてしまってそれで終わり、というのでは実にもったいない」投稿掲載(2010年2月19日)





<書評への付記>

 「キャラクター」の省略形である「キャラ」というコトバは、すでに日本語に定着したといってもいいだろう。英語のキャラクターは、もともと「性格」という意味だが、「キャラ」と短縮形で使うとき、それは「際だった個性」のことを意味している。
 あの芸人は「キャラが立っている」とか、本社の××さんは「キャラが濃いいからなあ」、とか日常的によく使う表現になっている。

 私がこの本を取り上げるのは、マンガ家や脚本家などクリエーターだけに「小池理論」を限定させていてはもったいない、と思うからだ。
 小池一夫原作のマンガはどちらかといって劇画が中心なので、男性週刊誌をよむ男性サラリーマンなら原作者として知らない人はいないと思う。
 出版社サイドも、マンガ家志望者やクリエーターだけでなく、広く一般人向けに売りたいという希望があって、『人を惹きつける技術』なんてタイトルにしたのだろう。
 
 米国では会社に雇われる勤め人が減少し、日本語でいえば自営業、あるいはフリーエージェントとでもいうべき人たちが増えている。これは自らそう望んだというよりも、景気の悪化で余儀なくされた結果ではあるが、self-employed(自営)は、自分で仕事を取っていかなければならないので、自分自身を「キャラ」化する必要に迫られる。「一人法人」でも同じことだ。
 私自身も現在コンサルティングで起業準備中であり、自分をいかに「キャラ起ち」させるか、日々考えを練っているところである。
 そのためにも、小池理論による「キャラの創り方」は、分身としてのキャラ創りだけでなく、自分自身をいかに「キャラ」にするかのための、よい手引きになると思うのだ。

 「セルフ・ブランディング」なんて難しい表現使うよりも、ひとことで自分を「キャラ」化する、といったほうがインパクトも強い。今後、日本も米国と同じ途を進むことになるだろうから、個人も「キャラ立ち」しなくてはならないのだ!

 買って読んで損のない一冊でしょう。おすすめです。


<参考サイト>

◆小池一夫公式ホームページ
  ●新書「人を惹きつける技術」が発売されました。(2010年1月20日)




            



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