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2026年8月21日金曜日

「弘法大師生誕1250年記念特別展 空海と真言の名宝」(東京国立博物館 平成館)に行ってきた(2026年8月20日)― 真夏の炎天下に並ぶことになるが「秘仏」も含めて国宝と重文だらけの特別展は行く価値あり


 
昨日(2026年8月20日)のことだが、「弘法大師生誕1250年記念  特別展  空海と真言の名宝」に行ってきた。会場は、東京国立博物館平成館。

平日の午前中の10時に着いたのだが、すでに「入場制限で40分待ち」で並ばされた。炎天下ではあるが、行列者用にテントが並んで設営されていたので、その点は助かる。超人気イベントである。 


(会場の平成館 筆者撮影)


夏休みだから混んでいるのかと思ったが、そうではないようだ。

並んでいる人たちを見ると、ほとんどが中高年というかシニア層ばかり。先日行った「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱 海を越えた江戸絵画」(東京都美術館)とは大きな違いだ。やはり仏像や仏画は趣味としては渋すぎるのかな? 

真夏にこういう特別展を開催するのはいかがなものかとも思うが、真言宗は密教なので、護摩を焚く暑さを体感させようという意図でもあるのかなと、勘ぐってみたりもする。


■「秘仏」も含めて国宝と重文が特別展に集結

東京国立博物館での密教関連の特別展は、2011年以来15年ぶりだと思うが、それにしても出品されている仏像や仏具、仏画の数々はすごいものがある。

空海を開祖とする真言宗と、真言宗系列の各派からのものだが、「秘仏」も含めて、国宝や重文(=重要文化財)がザラで、これでもかこれでもかと並べられている。「出品目録」では、「国宝が◉」、「重文が◎」で表記されているが、ほとんどが「重文◎」以上である。




江戸時代なら「出開帳」とでもいうべきイベントだが、仏像や仏画に感嘆することはあっても、仏像に向かって手を合わせている人は皆無であった。寺院という「場」を離れると、そうなるのも仕方あるまい。仏像も仏画も、あくまでも「美術品」として展示されており、鑑賞者もそう受け取っているようだ。


(撮影可能な「五智如来座像」は国宝 筆者撮影)

 
「仏教美術」、さらに特定して「密教美術」として鑑賞すれば、密教の全盛期であった平安時代と、その後の鎌倉時代のものを中心とした仏像や仏画は、それはも素晴らしいとしか言いようがない。

国宝の「五智如来座像」(上掲)と重文の「愛染明王座像」(下掲)は写真撮影OKである。 後者の愛染明王は弓を射る姿で、たいへんめずらしいものだという。


(弓を射る姿の愛染明王 筆者撮影)


仏像や仏画以外で、個人的にこれは良かったのは、朝護孫子寺が所蔵する国宝の「信貴山縁起絵巻」の実物を見ることができたことだ。

会期の後期だったので「延喜加持巻」が展示されていたが、ダイナミックな描写はマンガやアニメの原型ともいうべき作品である。 展示スペースの関係から、絵巻物はぜんぶ開いて見せることが難しいので、さわりの部分だけでも見ることができたのは有り難い。


(国宝の「信貴山縁起絵巻」より Wikipediaより)




■精彩を欠く「常設展示」と意外な穴場である「日本庭園」

「特別展」の会場をあとにして、今回も本館も訪れてみたが、どうも精彩に欠けるものがある。

「特別展」にかける情熱と予算の一部でも、本館の「常設展」に投入して、展示を作り直すべきではないだろうか。

日本美術の歴史的展開を展示しているのだが、あまりにも教科書的すぎてつまらない。ミュージアムにとっては教育機能が重要ではあることはわかるのだが、見せ方の工夫が必要だ。展示品保護のためだろうが、照明が暗すぎるのも好ましくない。複製を展示したらどうか? 

あくまでもシロウト考えであるが、展示の方法としては、時系列をいったん解除したうえで、現在の「日本美術」を要素分解して、要素ごとに展示を構成するというのはどうだろうか? 

「博物館」としてのテーマ別展示はあるのだが、インパクトに欠けるものがあることは否定できない。思わず見入るというような展示の仕方ではないのだ。

先史時代から古代を経て中世、近世という流れは、それはそれとしていいのだが、日本美術が中国の影響を受けながらも、独自の発展を示したことを浮かび上がらせるような展示がほしい。

この場合は、「東洋美術」のカテゴリーに分類されている「中国美術」や、さらに仏教関連では「インド美術」との関連性を明らかにするために、「東洋館」との相互連携も必要であろう。

あるいは、「特別展示」という形でいったん公開して、その展示を膨らませて常設展示にするということも考えていいのではないだろうか?

要は、なにが日本なのか、日本的なものなのかを明らかにして、それを展示をつうじて見せることだ。「国立博物館」の存在意義ではあるまいか?

*******

さて、今回はじめて庭園を歩いてみた。博物館の本館裏にある日本庭園は規模としては小さいが、訪れる人もまばらで意外と穴場かもしれない。


(博物館本館裏の日本庭園)


日本の「博物館(ミュージアム)の父」ともいうべき町田久成を顕彰する石碑を見るために訪れたのだが、碑文が漢文なので現代語訳もつけたらどうだろうか。大英博物館にも劣らない博物館をつくりたいという大志を讃えたい。


(町田久成の巨大な顕彰碑 筆者撮影)


そのあと、今回が2回目となるが「東洋館」に足を運び、古代中国の石刻画 と ガンダーラ仏教美術を見て回る。この2点がわたしのお気に入りなのだ。展示替えされる前に、また見に行きたいものだ。

このあと上野から東京メトロを乗り継いで半蔵門に移動、「半蔵門ミュージアム」をはじめて訪問した。



■「ガンダーラの仏像と仏伝―釈尊のすがた―」を見るため「半蔵門ミュージアム」へ

「半蔵門ミュージアム」は、つい最近その存在を知ったばかりで、今回がはじめての訪問となる。「ガンダーラの仏像と仏伝―釈尊のすがた―」という特集展示を見るためだ。この展示会の情報は、instagram で知った。入場無料。




 「半蔵門ミュージアム」は、真言宗醍醐寺の流れをくむ在家仏教教団である「真如苑」(しんにょえん)が所蔵する仏像や仏教美術品を展示するスペース。都心の一等地にビル一棟を所有し、無料で所蔵品を観覧させている。 




特集展示「ガンダーラの仏像と仏伝―釈尊のすがた―」だが、東京国立博物館所蔵のガンダーラを補完する意味合いもあって訪問した次第。片岩に刻まれた仏殿浮彫を中心に展示されていた。いずれも2世紀から3世紀にかけて製作されたものだ。

このほか、「特別展示」のミャンマーの巨大な「仏足石」には、おもわず見入ってしまう。なかなか見応えのあるものだった。


(パンフレットの裏 中央右側に仏足石)


『万葉集』に収録されている「仏足石歌体」の「仏足石」である。「仏足石歌体」は「五・七・五・七・七・七」の六句で構成される形式の和歌で、万葉集には21首が収録されている。

「仏足石」(Buddha footprint)は、仏陀釈尊の足跡を石で象ったものであり、信仰の対象であるが、当然のことながら実際のものではない。展示されているのは、横幅が50cm以上、長さが1m以上あるのだろうか。「太陽や月、動植物、法具などの図様が描かれ、2匹の蛇が守護する」と説明書きにある。17世紀頃のものだそうだ。

「常設展示」の曼荼羅と仏像もすばらしい。現代になってあらたに製作されたものだ。このほか、運慶作とされる重文の「大日如来坐像」もある。あわや海外流出かと危惧される前に、2008年にオークションで落札されたものだという。

「半蔵門ミュージアム」は、わざわざ訪れるミュージアムではないかもしれないが、ふとした機会に立ち寄れば、都会のオアシス的な場所として一息つける空間かもしれない。 

というわけで、ミュージアムのはしご2軒で、ひざびさに「仏教美術」を堪能した次第。


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2018年4月29日日曜日

「成田山開基1080年記念大開帳」の初日に成田山新勝寺に参詣(2018年4月28日)― 運の良いことに「お練り行列に遭遇!


(沿線の京成電鉄お駅に貼られているポスター)

「成田山開基1080年記念大開帳」の初日に成田山新勝寺に参詣してきた(2018年4月28日)。10年に1回に機会であり、奥之院などが「開帳」されるのだという。


ちょうど28日は「お不動様のご縁日」。その4月28日から「成田山開基1080年」が一ヶ月の期間で始まるのは、意図したものだろう。成田山新勝寺は真言宗豊山派。いうまでもなく不動信仰がその重要な要素である。

そしてまた「1080」という数字も単なる偶然という気がしない。煩悩は108あるといわれるが、とすると1080は煩悩の10倍ということになる。そのことにかんする言及はまったくないが、どうも気になってしまうものだ。

4月28日の11時から「お練り行列」があると成田山のウェブサイトにあったので、すこし早めに入ることにした。


運の良いことに「お練り行列に遭遇!

参道を歩き始めると、旗を持って歩く参拝団の人たちが目に入ってくる。その背中には「南無大師遍昭金剛」の文字が。いうまでもなくお遍路さんで有名なフレーズだ。真言宗は弘法大師空海を祖としている。



ゆっくりとしたペースで参道を歩いている参拝団の人たちを追い越して歩いて行くと、お練り行列が目に入ってきた。山伏姿の修験者が先導している。



烏帽子と水干姿の従者が差しかける色鮮やかな和傘、そして練り歩く高僧たち。いまから1080年前は紀元939年(天慶2年)、平安時代である。

成田山新勝寺は、関東地方で台頭した平将門の乱の鎮圧を祈願して開基された寺院だ。新勝寺というネーミングがそれを物語る。ちなみに遣唐使が廃止されたのは894年のこと。摂関政治の時代である。まだ古代であった。




紫の袈裟姿の高僧、オレンジ色の舞と雅楽風の衣装。まさに平安時代。時代祭のような感じ。その後ろからスマホで写真を撮りながら、お練り行列と平行して歩いて行く。



少し先回りして正門の前に回り込むと、お練り行列が境内に進んでゆく様子を見る。プラカードをもった女子高生が先導、導師は龍を乗せた金の天蓋とともに移動してくる。




その後、式典が行われたが、これについては省略することとしよう。



(「成田山開基1080年」の初日の成田山新勝寺 筆者撮影)


■「特別開帳」で奥之院へ

ひさびさに「奥之院」を参拝する。前回は、断食修行のために滞在していたのがちょうど成田祇園祭りの最中だったので開帳されていた。それ以来のことなので8年ぶりとなる。


(特別開帳の奥之院の入り口 筆者撮影)

奥之院は、天井の低い岩室で、入ったとたん、早速アタマを天井にぶつけてしまった。

一通り境内を回って参拝をすませたあと帰途につく。

参道を歩きながら、米屋総本店に入って土産物を購入。成田といえば米屋の羊羹が定番。ひさびさに羊羹を購入した。このほか、地酒の長命泉の蔵本で日本酒を購入。


(米谷総本店で土産を買う)

この日の成田山は、正月の初詣ほどではなかったが、たいへんな混雑ぶりであった。

午前中にほぼ参拝を済ませてしまったので、いままでいったことがなかった宗吾霊堂に参拝することにして、京成電車で宗吾参道駅に移動した。

つづきは、麻賀多神社の本宮まで行ってきた-樹齢1400年の大杉のパワーを浴びる(2018年4月28日) で。





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深川不動堂(=成田山東京別院)で「お練り歩き」に遭遇(2017年12月15日)-お不動様の御利益か!?


成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)


成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)


不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!


「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」に参加してきた-四国八十八か所霊場ご本尊の77年ぶりの「出開帳」(2013年4月18日)

「秋季雅楽演奏会」(宮内庁式部職楽部)にいってきた(2012年10月19日)


書評 『平安朝の生活と文学』(池田亀鑑、ちくま学芸文庫、2012)-「王朝文化」を知るために


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2017年11月13日月曜日

シュタイナー研究家の西川隆範氏による仏教書は、教団や教派とは関係のないフリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教を志向する



「お彼岸」だからというわけではないが、ここのところずっと仏教書ばかり読んでいる。以前から読んでいる本を読み返している(*注)

といっても、普通の仏教書ではない。いまは亡き西川隆範氏による仏教書だ。西川氏はルドルフ・シュタイナーの著作や講演録の翻訳者として、膨大な業績を残してくれた。

だが、西川隆範氏は20歳代の前半に出家して、高野山で伝法阿闍梨灌頂(でんぽうあじゃり・かんじょう)を受けている人だ。ベースは仏教にある。しかも、大乗仏教の最終段階である密教である。その後、シュタイナー思想と出会って、シュタイナー思想の精力的な伝道者となった。

すでに西欧近代化されてしまっている日本人にとって、旧来型の仏教がいまいちしっくりこないのは当然といえば当然だ。その意味では、西欧神秘主義のシュタイナー思想とその実践にも精通している西川氏が説く仏教が現代人にアピールするものがあるのは当然ではないだろうか?

そんな西川氏の『生き方としての仏教入門』(河出書房新社、1998)は知られざる名著といっていいと思う。初期仏教から大乗仏教への展開、浄土・禅・密教をベースに「生き方としての仏教」を淡々と平易に語ったものだ。まったく説教臭くないのが最大の特徴といっていいかもしれない。スピリチュアリティとしての仏教である。

『薔薇十字仏教-秘められた西方への流れ-』(国書刊行会、1998)という本は、なんだかオカルトめいた風変わりで奇妙なタイトルだが、内容はきわめて面白い。仏教は、インドから発して東南アジアや中国(その後、朝鮮と日本)、そしてチベット(さらにモンゴル)に伝わったというのが常識だが、じつは「東方」だけでなく、インドから「西方」にも拡がっていたのである。

その痕跡がキリスト教のなかに残存しているのだ。内容について詳しくは書かないが、シュタイナー派の解釈による仏教書で、きわめて異色の仏教書だ。日本の既存の教団や教派とは「無縁」の存在である。そこにあるのは、霊的次元におけるキリスト教と仏教との深いレベルでの相互関係(インタラクション)

つい最近知ったのだが、『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』(地湧社、2012)という本があることを知った。「東京自由大学特別企画《現代霊性学講座》連続シンポジウム」の記録である。

パネリストは、井上ウィマラ、藤田一照、西川隆範の3氏で、司会は鎌田東二氏。それぞれ上座仏教、禅仏教、密教とシュタイナー、宗教学が専門。西川隆範氏の発言を読みたくて入手して読んでみたら、その他二人の仏教者のパネリストだけでなく、神道だけでなく仏教にも精通した司会者の発言もたいへん興味深いものがあって、没入して読み込んでしまった。

西欧人には理解しがたいようだが、日本人にとっては神道プラス仏教という「神仏習合」が本来のあり方であり、もちろんこのわたしも例外ではない。この点にかんしては、明治維新以前に戻る必要がある。 

西川隆範氏は、不治の病に冒されて、このシンポジウムの翌年の2013年に60歳でお亡くなりになっている。「人生100年時代」などというフレーズが横行しているが、人間はいつ死ぬかわからない存在だ。いつでも死を迎えることができるように準備をすることがいかに大事なことか、西川氏の生き方(=死に方)そのものが語っているような気がする。

西川隆範氏の仏教書のなかでは、『生き方としての仏教入門』をイチオシにしたいところだが、残念ながら「品切れ重版未定」だ。『薔薇十字仏教』は敬遠してしまう人も少なくないだろう

その意味では、最後にあげた『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』は、さまざまな観点から現代人にとっての仏教の意味を考えるうえで、大いに得るものがある。ぜひ読むことをすすめたい。

 「仏教」と「仏教教団」はわけて考えなくてはならない。スピリチュアリティとしての仏教と宗教(レリジョン)としての仏教もまたイコールではない

教団や教派とは関係のない、フリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教だ。そんな立場にある個人が、何事にも束縛されない自由な立場で語り合う。

こういうあり方が、現代人にはもっともフィットしたものではないかと思う。


*(注)アップするのが遅れてしまったが、このブログ記事を書いたのは、2017年9月の「お彼岸」である。


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著者プロフィール

西川隆範(にしかわ・りゅうはん)
1953年、京都市に生まれる。青山学院大学仏文科卒業、大正大学大学院(宗教学)修士課程修了。奈良西大寺で得度、高野山宝寿院で伝法潅頂。ゲーテアヌム精神科学自由大学(スイス)、キリスト者共同体神学校(ドイツ)に学ぶ。シュタイナー幼稚園教員養成所(スイス)講師、シュタイナー・カレッジ(アメリカ)客員講師を経て、多摩美術大学非常勤講師。シュタイナーの著作の日本語訳が多数ある。2013年に逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに追加)。



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シュタイナー関連

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

子安美知子氏の「シュタイナー教育」関連本をまとめて読んで「シュタイナー教育」について考えてみる


■仏教関連

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

書評 『仏教学者 中村元-求道のことばと思想-』(植木雅俊、角川選書、2014)-普遍思想史という夢を抱きつづけた世界的仏教学者の生涯と功績を "在野の弟子" が語る

書評 『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)-「自他未分離」状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出される

マンガ 『月をさすゆび ①~④』(永福一成=原作、能條純一=作画、小学館、2015~2016)-この「仏教マンガ」は人生の岐路にある人すべての心の奥底に触れるものがある

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)-タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」


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