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2021年5月10日月曜日

書評『未来は決まっており、自分の意志など存在しない ― 心理学的決定論』(妹尾武治、光文社新書、2021)― 21世紀の「AI時代」に還ってきた「予定説」



『未来は決まっており、自分の意志など存在しない-心理学的決定論』(妹尾武治、光文社新書、2021)という本をたまたま知って、さっそく注文して読んでみたが、これがじつに面白かった。 

知覚心理学を専門とする心理学者が、自分の思想を心理学の知見だけでなく、科学論や哲学、AI、仏教の唯識論、脳科学やアート作品、サブカルなど総動員して論証しようとしたのがその内容。 

「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」というのは、いわゆる「自由意志」(free will)なるものは存在しない、という立場である。自分の意志で未来を切り開いているというのは「錯覚」であって、あらかじめ決められた生きているに過ぎないのだ、と。 

「自由意志」など存在しないことは、刺激と反応で人間行動を説明する「行動科学」(behavior science)に慣れ親しんでいる人なら「常識」だと思うが、そうでない人にはショッキングなものかもしれないし、受け入れがたいとして頭ごなしに否定したくなる内容かもしれない。 

著者は冒頭から「トンデモ系」だと予防線を張っているが、著者のいうことのすべてに納得しなくても(・・当然のことながら、私もすべてに納得しているわけではない)、だいたいその線だろうなと思う人も少なくないと思う。情報量が増大すれば、未知の部分が減少していくのは当然であり、したがって未来もかなりの確率で見えてくるのも当然。 

著者はまったく言及していないが、わたしはこの内容に「宗教改革」時代に現れたカルヴァンの「予定説」を想起した。 

その内容は、基本的に「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」というものである。人間にとっては「未来」にあたる「死後」に救済されるかどうかは、あらかじめ「神」によって決められているので人間が介在する余地はない、とするものだ。 

である以上、人間は自分の努力の範囲内で精一杯生きていくことが求められるわけだ。自分の運命を呪ったりしても意味のないことだ。なぜなら、最初から決まっているのだから、悩んでも仕方ないことなのだ。とはいえ、一回限りの人生なのだから悔いのない人生にはしたいものだ。

若い人たちに「君たちには無限の可能性ある」なんて言うのは無責任でしかない。「できる範囲内で努力したらいいんだよ」と言ってあげる、そんな根拠になることだろう。

16世紀に生まれた「予定説」と、21世紀に顕在化してきた「自由意志否定論」は、よく似た思想であるように私には思われる。16世紀西欧の「神」を21世紀の「AI」に置き換えてみれば、その意味はわかるだろう。

それにしても、「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」という思想が蘇ってきたのは興味深い。 

いわゆる500年近く続いてきた「近代」が終わって、あらたな時代の入り口にいることを端的に示しているのではないだろうか。すくなくとも、「自由意志」を前面に打ち出した「18世紀啓蒙主義」の終焉は明かだ。 

テクノロジーの発展がもたらしたあらたな「神」と「予定説」について、そんな風に思うのである。 もちろん、21世紀以降がどのような世界になるのか、現時点ではわからないが。


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目 次
第1章 自由意志と決定論と
第2章 暴走する脳は自分の意志では止められない
第3章 AI
第4章 そもそも人間の知っている世界とは?-知覚について
第5章 何が現実か? 唯識、夢、VR、二次元
第6章 量子論
第7章 意識の科学の歴史
第8章 意識の正体
第9章 ベルクソン哲学にヒントが!
第10章 ベクションと心理学的決定論
第11章 マルクス・ガブリエルの新実在論
第12章 アートによる試み(妹尾の場合)
第13章 Cutting Edge な時代に生きる
まとめ
謝辞
エピローグ
引用および参考文献


著者プロフィール
妹尾武治(せのお・たけはる)
九州大学大学院芸術工学研究院准教授。東京大 学IML特任研究員、日本学術振興会特別研究 員(SPD)、オーストラリア・ウーロンゴン 大学客員研究員を経て、現職。東京大学大学院 人文社会系研究科(心理学研究室)修了。心理 学博士。専門は知覚心理学だが、これまで心理 学全般について研究及び授業を行ってきた。筋 金入りのプロレスマニア。著書に『脳がシビれ る心理学』(実業之日本社)、『おどろきの心理 学』(光文社新書)、『売れる広告 7つの法則』 (共著、光文社新書)、『脳は、なぜあなたをだ ますのか』(ちくま新書)、『ベクションとは何 だ!?』(共著、共立出版)などがある。


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2021年2月12日金曜日

書評『バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記』(室橋裕和、イーストプレス、2019)-あの頃は熱かった

 
ミャンマーで2021年2月1日にクーデターが発生してから、ふたたび目が東南アジアが向かっている私だが、そんんなか自分自身の東南アジア体験を振り返ることのできる本に読みふけった。 


1974年生まれで就職氷河期にぶつかった著者が、せっかくつかんだ文春記者というポジションを捨て、タイのバンコクで伝説の雑誌「Gダイアリー」の編集者として過ごした、異様にまで熱くて濃厚な日々の回想録。回想録といっても、遠い昔の話ではない。10年から10数年間の過去である。だが、それでも遠い話と感じるのだ。 

著者が「Gダイアリー」(略してGダイ)の編集部にいた2006年から2011年は、ちょうど私自身がバンコクで暮らしていた時期と重なるものがあるので、なつかしく思い出しながら読みふけった。

現地にいなくては体感できない空気と土地勘、そして同時代感覚。こうしたものを共有しているので、固有名詞だけでなく細部にわたるまでだいたいわかるからね。わかる人には、わかる世界。よく働き、よく遊んだ日々、いろいろありました。ここには書かないけどね(笑) 

「Gダイアリー」といってピンときたら、あなたは真の「アジア通」です(笑) 私もこの雑誌を毎月楽しみにしている愛読者でした。実用的でかつ、雑多な分野に及んだ豊富なコンテンツ。バンコクを中心にした東南アジア世界。まさに「エロからテロまで」(笑) 


この2006年から2010年にかけては、ちょうどバンコクが絶頂期から混乱期へとシフトしていった時期であり、「Gダイアリー」にとっても絶頂期から曲がり角の時期にあたっていたようだ。 

クーデターから始まってスワンナプーム国際際空港閉鎖などなど、ほんとえらい目にあったものだ。私の場合は、幸か不幸か2009年の前半にはバンコクを引き払って日本に帰国していたので、赤組と黄色組が全面衝突した市街戦には巻き込まれなかったのが。 

あとから振り返ると、あんな日々だったのだなあ、と思うのである。そういう本を読むと、なつかしい思いとともに、二度と繰り返されるはずのない、すでに過ぎ去った時代のことなのだな、という気持ちにもさせられる。ある意味では墓碑銘(エピタフ)のようなものだ。 

おそらく著者にとっても、さらに次に進むための気持ちの整理という意味もあったのだろう。貴重な内容の回想録をありがとう。 


(画像をクリック!)
 

 

目 次
はじめに-夢と冒険の書Gダイ 
第1章 GダイのGは「ジェントルマン」のG!? 
第2章 僕のドリームはバンコクにある、はず 
第3章 Gダイはエロ本か旅雑誌か 
第4章 タイの政変に翻弄される 
第5章 Gダイに集う奇人たち 
第6章 Gダイ絶頂! アジアの伝説となる 
第7章 バンコクのいちばん長い日 
第8章 さらばGダイ、さらばバンコク 
あとがき-Gダイアリーは死なず 
タイとGダイアリーの歴史 
Gダイアリー 特集とおもな連載

著者プロフィール
室橋裕和(むろはし・ひろかず)
1974年生まれ。「週刊文春」記者を経てタイ・バンコクに移住。タイ発アジア情報誌「Gダイアリー」、「アジアの雑誌」デスクを務め、タイを中心にアジア諸国を取材して10年間を過ごす。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。


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2020年3月28日土曜日

書評『サピエンス全史 上下 ― 文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)― 想像力によって作り出したフィクション(虚構、擬制)が人類をここまで進化させてきたが・・

(期間限定特装版のカバーはゴーガンの有名な絵画)


 『サピエンス全史 上下 ― 文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)を読了。出版されてからすでに4年たつ。

日本語版も「ビジネス書大賞2017 大賞受賞」、「ビジネス書グランプリ2017 リベラルアーツ部門 第1位 」に選出され、現在でもロングセラー状態が続いている世界的な超ベストセラーだ。すでに全世界で2000万部売れたという。

英語版タイトルは、Sapiens: A Brief History of Humankind(2015)、直訳すれば「サピエンス-人類の簡潔な歴史」となる。

ビジネスパーソンである以上、世の中で流行っているモノやコトには一応は注意を払うものの、限られた時間のなかでは、やり過ごすことが多い。

しかも、この本がベストセラーが話題沸騰中でベストセラー街道を驀進中だった頃、最終的に『ビジネスパーソンのための近現代史』(2017年5月刊)というタイトルになった本の執筆に専念していたので、見て見ぬふりをしていた。土日のすべてと、平日の早朝の時間帯を調査と執筆にあてていたので、とても読むヒマなどなかったのだ。

面倒なのでそのまま読まないままで済ませようと思っていたのだが、よんどころのない理由の発生で読まざるをえなくなった。昨年10月のことだ。

それからすでに半年近くたってようやく読み始めたわけだが、新型コロナウイルス騒ぎで、少しヒマができた(というよりも余儀なくされている)ので一気に読了。こういう本は、できれば一気に読んでしまいたいものだ。




■想像力によって作り出された「フィクション」(=虚構、擬制)がもたらした進化

なるほど、こういう本がベストセラーになるのだなといいうことは、読み始めてからしばらくして納得した。

日本語の訳文がこなれているからということもあるが、読みやすいからだ。しかも、こういうスタンスで書かれた本があまりないということもその理由だろう。

本書を一貫しているの思想は、想像力によって作り出した「フィクション」(虚構、擬制)が、現在唯一の人類であるホモ・サピエンスをここまで進化させてきた、というものだ。ホモ・サピエンスも動物であるが、フィクションのおかげで生物学的制約を超えることが可能となったのだ。

これが、7万年前に始まった「認知革命」後のホモサピエンスの進化と、地球の覇権確保につながっていく。

神話や伝説、神々や宗教から始まり、企業や法制度、国家や国民、人権や平等、そして自由といった概念もみなフィクションであると著者は言い切っている。 まことにもって明解ではないか! 

そのために人が生き、そのために人が死ぬもの、それは現実に存在するモノそのものではなく、あくまでも概念である。 だが、そのフィクションが「共同主観的」事実として、個々の人間をまとめあげ、集団として行動することを可能にしてきたわけだ。

企業活動に即していえば、著者も冒頭であげているブランドがそうだし、ミッション・ビジョン・バリューなど、まさにフィクションの最たるものだろう。でも、それでいいのだ。
(・・とはいえ、日本語世界では、すでに「共同幻想」という概念が普及しているので、著者の主張はとくに目新しいものではない。社会学の専門用語を使用すれば「社会構成」(social construction)ということになるが、インタビュー記事によれば、著者はあえて日常用語を使用したらしい)。

歴史家である著者は、生物学的な制約条件を脱して、独自の進化が可能になった理由をそこに求めている。だから、この本を最初から最後まで貫いているのは、「生物学」と「歴史学」との相克(コンフリクト)といっていいだろう(・・日本語版では「歴史」となっているが、「歴史学」とすべき箇所がある。biology を生物学と訳すなら、history は歴史ではなく歴史学だ)。

過去も現在も未来も、いかにしてホモ・サピエンスが、生物学的条件に束縛されながらも、そこから脱しようとしてきたのが現在に至る軌跡であり、それが未来に向かう道筋である。

著者の主張で重要なのは、ホモ・サピエンスだけが人類ではない、としていることだろう。ホモ・サピエンスが覇権を握る以前は、ネアンデルタール人などさまざまな人類が存在したわけであり、しかも生命操作とAIや機械などによる「人間強化」の行く末には、「異なる人類」が誕生する可能性が高い。「超人類」と言い換えてもいい。ホモ・サピエンスの覇権は終わり、ワンノブゼムになるというわけだ。





■動物であるホモ・サピエンスが、その他の動物を支配して生きてきたことの功罪

このほか、著者自身の価値観が濃厚にできるなと思わされるのが思わされるのが、動物であるホモ・サピエンスが、その他の動物を支配して生きてきたことの功罪についての記述だ。

1万2千年前の「農業革命」によって、狩猟採取生活から農業と牧畜への生活にシフトしていくわけだが、狩猟採取時代の人間と動植物との共生状態は終わることになった。同時に、ホモ・サピエンスは狩猟採取時代の全脳感を失うことになる。不安定な状態のなかで生きるには、脳力を全開にする必要があるからだ。

有用性の観点から人間は小麦を栽培し、ヒツジなどの動物を家畜化していく(・・ここらへんは、イスラエル人の著者に「中東バイアス」を感じてしまう。日本人が書くなら、まずはコメから始めるだろう。いや縄文人が栽培していたクリか?)。

生活は安定するが、人間の幸福感はかえって減退していったのではないか、というのが著者の見解だ。

また、ホモ・サピエンスがその他の動植物を支配するようになった結果、動物の苦しみは続いているのだ。ヒツジも牛も馬も、有用性という観点から、人類に奉仕するようにされてきたが、それが動物たち本来のあり方とは言えないだろう、と。

いわゆる「アニマル・ライツ」(=動物の権利)派の主張がそこにある。 

もちろん、動物を家畜化して生きるようになってから、家畜の感染症が「動物由来感染症」として人類に転移し、パンデミック(=地球規模の感染爆発)となってきたことは、「農業革命」のネガティブな側面といわねばならない。その意味でも著者が言うように、「農業革命」以後は人類の幸福感は低下傾向にあるというべきかもしれない。

いずえにせよ、「種」全体として人類は進化しても、個々人レベルの幸福感が増大したかどうかは別の話なのだ。この点が著者が強調するものであり、「第18章 文明は人間を幸福にしたのか」に集中的に書かれている。


(ハラリのベストセラーと拙著が隣り合わせで平台に)


■「科学革命」後の急速な発展と進化は何をもたらしてきたのか

本書全体にかんしては、「第1部 認知革命」から「第2部 農業革命」、「第3部 人類の統一」までは面白い。

だが、「第4部 科学革命」は、最後の2章を除いては、とくに面白いとは思わなかった。「第4部」は、結局のところ「西洋中心史観」と大差ないからだ。この内容なら類書はいくらでもある。ある意味では、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史』も同じ時代を別の観点から取り上げている。

ただ、著者の指摘で重要なのは、15世紀以降の西欧による世界支配は、科学革命による「無知」の発見と肯定にあるとした点だ。

「無知」という自覚があるからこそ、人類は「未知」を探求し、見えないものを見えるもの、すなわち「既知」に変えていく。その繰り返しが「科学革命」の本質である。かつては神が創った世界には「未知」はないとされてきたが、「科学革命」によってその世界観は揺らぐことになった。

そして、科学と帝国、資本主義、産業革命とエネルギー革命、こういったフィクション(=虚構、擬制)の複合的な組み合わせが、人類の急速な発展を実現化させたのは、著者のいう通りだろう。

とはいえ、歴史の専門家が無意識に陥っているバイアスも感じられる。

それは、歴史イコール人類の歴史としている点だ。人間がかかわるものにだけ歴史があると考えていては、ホモサピエンス誕生以前には歴史はないことになってしまう。そこに不満が残る。地球の歴史や宇宙の歴史といった観点は著者にはない。

歴史を生物学との対比と相克という点から見ている点に、著者の立ち位置のユニークさがあるのだが、それは同時に弱点でもあるように思う。

というのは、著者の立ち位置には「環境」という視点がないからだ。地球科学や地理学という観点が欠落しているのだ。まあ、あえて捨象したのかもしれないが・・。


■『サピエンス全史』には、進化と進歩のもたらした負の側面も視野にある

本書のような「人類史」はいままであまりなかったように思う。ベストセラーとなった理由はそこにある。

進化と進歩のもたらした負の側面にまで視野に入っているのは、1970年代以降のものだからだろう。(・・その意味では、日本ではすでに人類学者の梅棹忠夫やSF作家の小松左京による試みが先行していたことは記しておかねばならない)。

個人的な話だが、この本を読みながら思い起こしたのは、中学生時代に愛読していた『人間の歴史 上下』(岩波書店、初版1971年)という本のことである。 




著者は、ソ連の科学読み物の作家であるイリーンとセガール、ソ連で出版された子ども向けの人類史の本である。いまでこそポピュラー・サイエンスものといえば英語圏の翻訳が中心になっているが、かつてはソ連の科学読み物も多く日本で紹介されていた。

岩波書店による書籍紹介には次のようにある。


人間の祖先は力弱い生きものであったが、手を働かせることを発見し、道具を使い、協力して働くことを覚えて以来、今日のような「巨人」にまで発展してきた。人間の歴史の一大ドラマを若い読者に語る。

「先史時代」(・・この表現も歴史家特有のバイアスがあるが)から始まって、1600年のジョルダーノ・ブルーノの刑死で終わる内容。もともとのタイトルは「人間はいかにして偉大になったか」だっと思うが、基本的に進化と進歩が基調にあり、しかも唯物論で貫かれた内容のユニークな本だ。紆余曲折を経ながらも、人類は偉大な存在になったという内容だ。ロシア語によるソ連の出版物なので、当然のことながらロシア史にかんする記述が多い。

『サピエンス全史』の著者ハラリ氏は、ユダヤ系のイスラエル人。『人間の歴史』の著者イリーンとその配偶者のセガールも、ともにユダヤ系ロシア人であった。イリーンはペンネームで本名はマルシャーク、『森は生きている』で有名なマルシャークの実弟だ。

イスラエルという21世紀前半の資本主義社会(・・ただし、集団農場キブツに代表されるように、もともとイスラエルは社会主義的傾向が強かった)と、ソ連という20世紀の共産主義社会との違いはあるが、人類史という観点で、人類が個別性を喪失しながら一元化の方向に向かうとする歴史を記述する姿勢に、なにか共通するものを感じるのである。

単なる偶然ではないと思う。普遍性志向の強いユダヤ人特有の一元志向だろうか? 両者はともに無神論者のユダヤ人である点は共通している。

違いといえば、『サピエンス全史』の著者は、すでに人類のペシミスティックな未来が見えていることだろうか。

1970年代の「成長の限界」以降に生まれ、しかもテクノロジーの急速な進歩によって「超人類」が誕生し、ホモ・サピエンスが唯一絶対の立場から、再びワンノブゼムの存在に転落しつつあるというペシミズムだ。

この違いは、イスラエルとソ連の違いを超えて、世代観として意外に大きな意味をもっているのかもしれない。

『人間の歴史』がソ連で出版されたのは、ソ連を自壊に追い込むキッカケとなったチェルノブイリ原発事故(1986年)のはるか以前のことであった。科学と技術が輝いていた「科学万能時代」のことである。そこには一片のペシミズムも存在しなかった。

チェルノブイリ原発事故以降、それ以前に存在したユートピア的な科学信仰の空気は、もはやロシアには存在しない。いや、先進国のどこにも存在しないといっていいのではないか。もちろん、2011年の福島原発事故以降の日本も同様だ。



*****


以上ながながと書いてきたが、結論としては、ある種の偶像破壊的な内容であるが、人類史を一気通貫で描く試みとして、読み物としては面白い、ということになる。

ただし、著者特有のバイアスに注意を払いながら読めば、有意義な読書体験となるであろう。こういう本は、シンギュラリティ(=特異点)が来るとされる2045年の時点で読み返して見ると面白いのではないだろうか。


(画像をクリック!)


PS こういうベストセラーでロングセラーは出版社にとってはドル箱なので、なかなか文庫化されないと覚悟したほうがよさそうだ。

PS2 ところが、2023年11月にはあっけなく文庫化されてしまった。それでも、単行本の出版から7年後のことになる。単行本もひきつづき増刷されつづけているが、文庫版のほうが読みやすいのはたしかだな。(2024年9月8日 記す)



目 次 
歴史年表 
第1部 認知革命 
 第1章 唯一生き延びた人類種 
 第2章 虚構が協力を可能にした 
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし 
 第4章 史上最も危険な種 
第2部 農業革命 
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇 
 第6章 神話による社会の拡大 
 第7章 書記体系の発明 
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別 
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界 
 第10章 最強の征服者、貨幣 
 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン 
 第12章 宗教という超人間的秩序 
 第13章 歴史の必然と謎めいた選択 
   1 後知恵の誤謬 2 盲目のクレイオ 
第4部 科学革命 
 第14章 無知の発見と近代科学の成立 
 第15章 科学と帝国の融合 
 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック 
 第17章 産業の推進力 
 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和 
 第19章 文明は人間を幸福にしたのか 
 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ 
あとがき-神になった動物 
謝辞 
訳者あとがき 
原註 
図版出典 
索 引 

著者プロフィール 
ハラリ、ユヴァル・ノア(Harari, Yuval Noah)  
1976年、イスラエルのハイファで生まれた歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻、2002年に博士号を取得。現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、2018年のダボス会議での基調講演など、世界中の聴衆に向けて講義や講演も行なう。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。著書は、世界的なベストセラーの本書のほか、日本語訳されている『ホモ・デウス』と『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』はいずれも世界的ベストセラーとなっている。このほか、軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書* があるが、いずれも日本語訳はない。(最新刊の略歴に引用者が加筆)。

(*注)タイトルは以下のとおり

Renaissance Military Memoirs: War, History and Identity, 1450–1600 (Woodbridge: Boydell & Brewer, 2004)


The Ultimate Experience: Battlefield Revelations and the Making of Modern War Culture, 1450–2000 (Houndmills: Palgrave-Macmillan, 2008)

(2023年11月13日 情報追加)


<関連サイト>

『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!(2020年3月24日 河出書房新社のサイト)
・・基本的にこの人は理想主義的傾向が強いのだが

Yuval Noah Harari’s History of Everyone, Ever His blockbuster “Sapiens” predicted the possible end of humankind. Now what?  By Ian Parker February 10, 2020, New Yorker Magazine
・・最新の密着取材記事。『サピエンス全史』の読者層が20歳代から30歳代の男性が中心で(そうだろうなと納得)、その著者の学問経歴、知的に早熟で、中世史と軍事史を専攻しながらも病気(?)のため兵役は済ませていないこと、交友関係からプライベートの性的傾向(パートナーは男性)、いわゆるヴィーガン(=完全なベジタリアン)であること、オックスフォード大学留学中に始めたヴィッパサナー瞑想法の深い影響(たとえば、仏教の「無常」観が記述に反映? 毎年1回はインドで瞑想のリトリートを行い、その間はいっさい情報機器に触れない情報断食の実践、そもそもスマホはもたない)、現在は無神論など。Wikipedia英語版以上に詳しいプロファイルがよくわかる好記事

(2020年4月15日 項目新設)
(2020年4月18日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『銃・病原菌・鉄-1万3000年にわたる人類史の謎-(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000)-タイトルのうまさに思わず脱帽するロングセラーの文明論
・・「人文社会系の歴史書にはない、動植物の生態も含めた「環境」という切り口からの人類史」

「世界の英知」をまとめ読み-米国を中心とした世界の英知を 『知の逆転』『知の英断』『知の最先端』『変革の知』に収録されたインタビューで読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
・・「資本主義と民主主義を人類史の中心テーマと捉え、過去を簡単に振り返って発展のパターンを抽出したうえで、大胆な予測を21世紀の人類史について行ったのが本書の内容(・・中略・・)世界を動かしてきたのは、宗教人・軍人・商人という三つの人間類型であるが、発展の主導力となったのは「商人」であり、商人が主導してきたのが世界史」

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」
・・「養老氏の基本的立場は、すべては脳で考えられたものだ、というもの」

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・「学者と科学者以外の一般人は、それぞれが自分なりに「納得」したいというマインドセットを共有しているにもかかわらず、精神構造が大きく異なるということだ。そもそも科学と科学者という存在が確立したのが19世紀であるから、科学者はある時期までかなり特殊な人間類型であったのである。ところが、科学者が特殊な存在ではなくなり、「職業人」として一般化したことの意味について考える必要もある」

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える
・・「梅棹忠夫は、「科学や知的探求は、人間の業(ごう)であるから制御できない」という意味の発言を1970年の時点でしていたという。(・・中略・・)思えば、1970年頃は梅棹忠夫のような発言はけっして異様ではなかった。当時でたローマクラブによる暗い未来図など、進歩がうたわれる反面でかなり暗い未来図が提示されていた時代であった」

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・「すべてを「地球レベル」というマクロの視点と、具体的な事物というミクロの視点で同時に見ている」

映画『復活の日』(1980年、日本)を初めて見た-生物兵器と核兵器で2度滅亡した人類の「復活の日」

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「特異点」(シンギュラリティ)が2045年にくるとカーツワイルが予測する。カーツワイルも無神論のユダヤ人

書評 『人類が絶滅する6のシナリオ』(フレッド・グテル、夏目大訳、河出文庫、2017)-人類滅亡シナリオの第1位は「スーパーウイルス」だ!
・・ふたたび「終末論」が語られる時代になってきた

(2020年4月4日、2020年4月27日 情報追加)


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2017年8月10日木曜日

「現代史」を軽視してきた「歴史教育」のツケをどう克服するか? ― 歴史教育の現場で「逆回し」の実践を!

(NHKのニュースサイトより)


昨日(2017年8月9日)のことだが、NHKの夜7時のニュースで、かなり衝撃的な内容の調査結果が放送されていた。

「終戦の日14%が「知らない 18歳と19歳世論調査(NHK)」である。「選挙権年齢」が昨年(2016年)に、20歳から引き下げられて18歳になったのを踏まえて世論調査を行ったのだという。

結果をかいつまんで要約すると、調査に回答した18歳と19歳のうち、「終戦の日」がいつかを知っていたのは14%としかいないという衝撃的に低い数字が出たのである。

だが、記事をよく読むと、広島と長崎に原爆が投下されたことを知っていたのは99%であることも書かれている。この点にも注意を払う必要がある。

「東京大空襲」(3月10日)やその他各都市における「空襲」について質問されたのかどうかはわからないが、なぜ「終戦の日」が「14%」と低いのに、「原爆の日」が「99%」が高いのか、その違いについて、もっと探求する必要がありそうだ。

メディアにおける露出度の量的な違いも背景にあると考えるべきだろう。

以下、記事内容そのものではなく、記事に触発されて考えたことを記しておきたい。


■教育現場で「現代史」の授業がおろそかにされてきたツケが顕在化

「「終戦の日」がいつかを知っていたのは14%」という調査結果が示しているのは、教育現場で「現代史」の授業がおろそかにされてきたツケが顕在化しているといえる。

「歴史教育」の授業では、古代から始まって現代に至るという「歴史の流れ」を重視しているが、たいていは「現代」に入る前に終わってしまう。これでは、現代史にかんする基本的知識が身につくはずがないし、関心もわかないのも当然だろう。

「地理教育」の授業では、自分が住んでいる市区町村、都道府県、それから世界地理へと、視野の拡大を促す仕組みになっている。つまり、身近で興味のあるもの、身の回りのものから始まって、自分がいったことのない地域を知るという仕組みである。

歴史教育も、地理教育の仕組みを応用すべきであろう。身近で興味のあるもの、身の回りのものから始めるのだ。小学校でやってきた方法を、高校でも繰り返すのだ。

 「現在」からさかのぼれば、たとえ若者であっても「自分史」と重なるし、親や祖父母など大人の体験談ともクロスすることになる。そうなれば、「現代史」から始まって「歴史」全般に興味を抱くことになるはずだ。つまり視野の拡大を過去に向かって行うのだ。


■「現在」を起点に「未来」へ、「過去」に向かう

そもそも、人間というものは近い過去であっても忘却しやすい。思い出せないということが多々あるものだ。未来も同様にわからない。つまり、確実にわかるのは「現在」だけなのである。

だからこそ、「現在」を起点に、「過去」をさかのぼっていくという方法で歴史を考えるべきなのではないだろうか。誰でも「現在」を起点に「未来」を考えているのに、「過去」に対してそれを行わないのは不思議なことだ。向かう方向が違うだけで、やっていることは同じなのに。

『新・学問のすすめ 人と人間の学びかた』(阿部謹也・日高敏隆、青土社、2014年) という本の「第3章 「学び」 の原点はどこにあるのか」には、以下のような対話がある。西欧中世史が専門の歴史学者・阿部謹也は、動物行動学が専門の生物学者・日高敏隆との対話録だ。(*アンダーラインは引用者=さとう による)

阿部 教科書というのはパターンが決まっていて、歴史でいえば古代から始まっているん ですよ。ぼくは、現代からさかのぼっていくような、そういう歴史を書くべきだといっ ているのですが。
日高  「いま現在、こうである」ということから始まって、なんでそうなっているのかと いうふうにしていけば、みんな興味をもちますよ。

拙著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)は、そのサジェスチョンを踏まえて「近現代史」を記述した試みだ。それを比喩的に「逆回し」と表現してみた。

基本的に「世界史」なので、「日本史」に特化した内容ではないが、当然のことながら「日本の終戦=敗戦」についても触れている。

同じような試みを、歴史教育の現場でも「実践」していただきたいと思う。そうすれば、みな興味を持つことだろう。

「現在」から「未来」に向かう、「現在」から「過去」に向かう方向性。それが、人間にとっては自然な知性の働きであり、認識のあり方なのだから。






<ブログ内関連記事>

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である

書評 『新・学問のすすめ-人と人間の学びかた-』(阿部謹也・日高敏隆、青土社、2014)-自分自身の問題関心から出発した「学び」は「文理融合」になる

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・科学的認識の方向性は、現在を起点にして、過去と未来の二つの方向に展開されうることが、同書で指摘されていることを紹介した(・・下図を参照)。

(人間の認識は「現在」を起点に「未来」と「過去」に向かう)


「理科のリテラシー」はサバイバルツール-まずは高校の「地学」からはじめよう!
・・まずは足元の大地の構造から始めて、地球全体、そして宇宙に視野を広げていく

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる
・・「戦後」とは何か?「戦中」と「戦前」を否定し隠蔽した「戦後」とは何か?考えるためのキッカケとなる本

(2017年8月12日 情報追加)


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