二・二六事件(1936年2月26日)からもう85年。すでに歴史的事件としてのみ語られる状態になってしまった。
だが、失敗に終わったが蹶起した青年将校たちの志は、けっして忘れてはならない。
1936年(昭和11年)の日本がどんな状態にあったのか、世界全体がどんな状態にあったのか、あらためてよく考えてみることだ。
2020年に始まった「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)で想起されたのは、まずは100年前の「スペイン・インフルエンザ」であり、さらにさかのぼって14世紀に地中海世界と西欧で猖獗した「ペスト」についてであった。
100年前の1920年は、1914年に始まった「世界大戦」(第1次)が終結した1919年の翌年である。スペイン・インフルエンザは戦争を終結させる要因の1つになったと言われている。感染症の拡大が戦争を終わらせたが、変異したウイルスの第2波、第3波が世界中で人命を奪うことになった。日本も例外ではなかった。
インフルエンザは物的損害をもたらさなかったが、その3年後の「関東大震災」で帝都が壊滅、震災からの復興が起動に乗ったものの、追い打ちをかけるように1929年に始まった「世界恐慌」が翌年1930年には「昭和恐慌」として日本経済を直撃、経済格差が拡大することになり社会不安は高まっていく。
1931年には大陸で「満洲事変」が勃発、中国戦線は膠着状況となり、1936年の「二二六事件」、1939年には「ノモンハン事件」と欧州で「第2次世界大戦」が勃発、1941年には日本が米英に宣戦布告して破局への道を突き進むことになる。
「二・二六事件」でクーデターが成功していたとして、それが問題解決につながったかどうかはわからない。というよりも、クーデター後の青写真を持ち合わせない計画は、さらなる混乱をもたらしたであろうことは容易に想像できる。実際は、蹶起した青年将校たちの意図に反したものとなった。
だが、青年将校たちの志は、けっして忘れてはならない。問題は、方法論にある。暴力ではなく、あくまでも言論と草の根の活動で行うべきであろう。
昨年2020年は、ちょうど三島由紀夫の自決から50年の節目でもあった。『憂国』で死に後れた青年将校夫妻の自決を描いた三島由紀夫。節目の年であったが、盛り上がりはやや欠けるものであったのは「新型コロナウイルス感染症」のためかもしれない。
パンデミックのあとに自然災害がつづく可能性もある。そんな時代であるからこそ、過去を振り返って考える必要があるのではないか。
78年前の本日、東京は雪だった。そしてその雪はよごれていた-「二・二六事件」から78年(2014年2月26日)
二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)
4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)
「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・
■行動を促す思想
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)
「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)
『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
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