『ロシア愛国主義-プーチンが進める国民統合』(西山美久、法政大学出版局、2018)を読了。1985年生まれの新進気鋭のロシア研究者による、博士論文をもとにした研究書である。
多民族で多宗教のロシアを統治するのは、並大抵のことではない。比較的に同質性の高い島国の日本人の想像の範囲を大きく超えている。
かつて「民族の牢獄」とよばれていたソ連であるが、「民族」を超えた「ソ連」というメタレベルのフレームワーク(枠組み)をもっていたため、「民族」も「宗教」も前面に出ることはなかった。つまるところ、「民族問題」はなんとかコントロールされていたのである。
だが、ソ連崩壊によって「民族問題」が噴出、バルト三国をはじめ中央アジア諸国が分離独立した後のロシアは、ソ連時代より縮小したとはいえ、依然として多民族国家であり多宗教国家であることに変わりはない。周辺地域ではどうしても遠心力が働きがちである。ユーゴスラビア解体のような最悪の事態は避けなくてはならない。
こんな状態のロシアをバラバラにさせずに「国民統合」を維持するためには、「国家」と「国民」を前面に打ち出す必要がある。ロシアにおいては、けっして排外主義的な「民族」主義が前面に出てはいけないのだ。この点は誤解がなされがちなので強調しておく必要がある。
そこでエリツィン政権末期に浮上してきたのが「愛国主義」であり、そのためのさまざまなシンボル操作であった。国旗と国歌はその最たるものである。
「愛国主義」はプーチン政権のもとで全面的に展開されることになる。ロシア国歌は、エリツィン時代のグリンカ作曲のものから、 プーチン時代には歌詞を変更したうえでソ連時代の曲に戻している。
国旗や国歌は、「国民統合」の求心力をつくりだすためのシンボルとしてあげられるが、もっとも重要なものは毎年5月9日に行われる「対独戦勝記念日」というイベントにまつわるものであろう。
第2次世界大戦の地獄の「独ソ戦」を戦い抜くためにスターリンが打ち出したのは、「大祖国戦争」というスローガンであった。このスローガンのもとにソ連全土で総動員がかけられ、
多大な犠牲者を出しながらも、最終的に侵略者であるナチスドイツを打ち負かした。
戦勝を祝う軍事パレードをともなうこの「対独戦勝記念日」は、スターリン時代のソ連で誕生し、その後スターリン色が薄れながらもソ連時代に定着した。「対独戦勝記念日」は、ソ連崩壊後も「民族」や「宗教」を超えた連帯感をロシア全体で生み出す重要な行事となっているのである。
(本書カバーより 戦勝記念日のバナーに描かれた「聖ゲオルギー勲章」)
ロシアとドイツは歴史的にみても、切っても切り離せない密接な関係にあるが、たとえそうであっても「対独戦勝記念日」はロシアで重視されているのであり、その意味にについて知ることが重要なのだ。
プーチン政権は、このソ連時代の遺産をフルに活用しているのだが、けっして上からの政策ではないというのが著者の主張だ。 独ソ戦の退役軍人とその家族を中心とした下からの突き上げが地方政府を動かし、ひいては連邦政府を動かす要因になっていることを実証している。
このほか官製の青年組織である「ナーシ」の盛衰など、さまざまな事象を見ていくことで、現代ロシアの「愛国主義」の実態がいかなるものか、いかに「国民統合」のために機能してきたかが分析されている。
「愛国主義」などというと、敬遠したくなる人も少なくないだろう。だが、少数民族を抱えているものの、国家と民族がほぼ一致している日本のような国は世界的にみてきわめて例外なのである。ロシアを考えるにあたって、留意しなければならないポイントがそこにある。
いかに「国民統合」を図っていくか、その課題解決のための「愛国主義」は現代ロシアを考えるために重要な事象なのである。音楽や映画など、現代ロシアにおける「愛国主義」を支える大衆文化状況についての言及があれば、さらに内容豊富なものとなったことであろう。
目 次序章 国家の崩壊と構築第1章 プーチン政権の思惑第2章 連邦構成主体の取り組み第3章 戦勝記念のダイナミズム第4章 民族共和国の動向-タタルスタンと連邦中央第5章 青年層の台頭と政策の転換第6章 官製青年組織の設立第7章 ナーシの再編終章 ロシアの愛国主義初出一覧あとがき参考文献・索引
著者プロフィール西山美久(にしやま・よしひさ)1985年長崎県生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程単位修得退学。博士(比較社会文化,九州大学,2016年)。サンクトペテルブルグ国立大学留学、日本学術振興会特別研究員(DC2)、筑紫女学園大学、北九州市立大学、長崎県立大学の非常勤講師を務める。
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