西欧諸国では、増え続けるイスラム教徒との「共生」は破綻したとさえ言われている。言い換えれば、イスラム教徒の社会への統合に失敗したということだ。
既存の宗教が衰退し「世俗化」が進展している西欧諸国において、聖俗分離を認めないイスラム教は、特異な存在として嫌悪の対象となっている。いわゆる「イスラモフォビア」(=イスラム嫌い)である。
もちろん、だからといって西欧諸国からイスラム教徒がいなくなるわけではない。これからも「共生」への模索が続けられることになるわけだが、イスラム教とムスリム(=イスラム教徒)への反発は消えるどころか、ますます増大しつつあるのが現状だ。政治的理由から反イスラムを前面に出す政治家も後を絶つことはないであろう。
だが、イスラム教徒との「共生」の可能性について考える際、重要なピースが欠落しているのではないだろうか?
その重要なピースとはロシアだ。ソ連時代には唯物論で無神論を標榜していたが、ソ連崩壊後のロシアは革命以前に戻って、ロシア正教会のキリスト教徒が中心と思われがちだ。だが、その内部に大量のイスラム教徒を抱えていることは意外と知られていない。
ソ連崩壊後に激化した「チェチェン問題」が記憶に鮮明であるため、どうしてもロシアではイスラム教徒が徹底弾圧されているというイメージが消えないが、実態はかならずしもそうではないのである。
大国ロシアは、トルコやイランなどイスラーム圏と隣り合わせで、16世紀以降の東方進出の過程で、イスラム世界とムスリムを領土のなかに包含することになった。クリミア半島からボルガ川流域、そして中央アジアとカフカス(=コーカサス)である。
中央アジア諸国は、ソ連崩壊後に独立したのでロシアではないが、現在でもタタール人がロシアに生きている。
カフカースのチェチェンがロシアに併合されたのは19世紀とそれほど昔の話ではないのに対して、タタール人は16世紀以降にロシアに編入されて現在に至っている。タタール人は、ユーラシアの遊牧民テュルクの末裔である。トルコ人もまたテュルクである。
ロシア史には「タタールのくびき」というフレーズがある。
13世紀の「モンゴル西征」で支配されたロシアのステップ地帯は、約300年間にわたってモンゴル系のキプチャク・ハーン国の支配下にあった。これをさして「タタールのくびき」というのだが、「タタール」と「モンゴル」が混同されてしまった結果だ。言うまでもなく、スラブ人からみた表現である。
ちなみに、「タルタルソース」や「タルタルステーキ」の「タルタル」は「タタール」のことだ。このタタール人は、紆余曲折があったもののロシアという国家のなかでキリスト教徒のスラブ人と「共生」してきた歴史をもつ。
■タタール人は「共生」のモデル
曲がりなりにも「共生」が実現しているロシアにもっと注目すべきであろう。
現在のトルコやイランと地理的に近いタタールだが、ロシアの版図に入ったことで、イスラム圏から切り離されてしまった。このため、ロシア共和国のど真ん中にタタールスタン共和国とバシコルトスタン共和国というイスラム教徒が多数を占める地域が存在するのである。
ロシア帝国の統治下では、「同化政策」の一環としてイスラム教徒をキリスト教に「改宗」させる政策が強力に推進されたこともあり、キリスト教徒に改宗したタタール人もいる。タタール人貴族がキリスト教に改宗してロシア貴族になった例は多い。19世紀ロシア文学を代表する作家の1人であるツルゲーネフもタタール系らしい。
だが、大多数はイスラム教の信仰を捨てていない。「改宗」したように見せかけて、「隠れムスリム」として何世代も生き抜いた人たちもいたようだ。いったんイスラム教徒になったら改宗が許されないとはよく言われることだが、たしかにイスラム教徒を改宗させることは難しいことが、タタール人のケースからもわかる。
現代ロシアを代表する歌手の1人がアルスーだが、彼女もタタール人だ。本名は、アルスー・ラリーフ・クズ・アブラモヴァ。ボルガ系のタタール人で、宗教はイスラム教であるが、そのことに言及されることはほとんどない。
(ロシアで発行されたアルスーの楽譜集 マイコレクションより)
■16世紀ロシアと16世紀スペインの違いに注目
16世紀ロシアと16世紀スペインの違いにも注目したいものだ。
カトリックのスペインは、イスラーム教徒もユダヤ教徒もその領土から排除したが、東方正教会のロシアは逆に占領地としてあらたにその領土のなかに取り込んだ。おなじくキリスト教という一神教であり、しかもおなじ16世紀であるが、対応が異なるのである。
ロシアも「同化政策」の観点から、改宗を迫ったが成功したとは言い難い。しかも、「無神論」を標榜するソビエト体制のもとでは、キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も不自由を強いられたことを忘れるべきではない。
とはいえ、この紆余曲折に満ちた400年の歴史を振り返る意味は大きい。曲がりなりにも「共生」が実現しているケースとしてロシアについて考える必要があるのだ。
<参考書>
・・ロシア革命前のロシア帝国時代の状況について。啓蒙専制君主であったエカチェリーナ2世の時代に自由化が進んだことがわかる。
・・「タタールよいとこ一度はおいで」という内容のガイドブック。ロシアを代表するタタール人歌手アルスーについても言及されている
・・タタール人を含めたテュルク全般について扱っている。トルコ人もウイグル人もまた、広い意味のテュルクである
上記の3冊で、現在の状況とそこにいたる前史を知ることができる。
(チェリヤビンスク出身の在日ロシア人「あしや」による YouTube動画。本人もじつはタタール人とのこと。見た目は白人のロシア人だが、じつはタタール人というケースは多々ある)
(2022年5月2日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
・・第2章までにロシアにおけるタタール人の歴史が、ロシア革命の前史として書かれている
・・タタール系ロシア人のアルスーが、2000年代のロシアで愛国軍歌を歌う意味について考えてみるといいだろう
・・タタール系に近いバシコルトスタン共和国に本拠地を置いていたバシネフチ事件の顛末
タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム
・・タイもまた、ロシアとおなじくムスリムがマイノリティである社会
書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)
・・日本もまた、言うまでなくムスリムがマイノリティである社会
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(2021年4月12日 情報追加)
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