『人類学と骨 ー 日本人ルーツ探しの学説史』(楊海英、岩波書店、2023)を読了。今週のはじめ(2023年12月25日)にでたばかりの新刊書である。
テーマに対する関心だけでなく、著者にしては意外(?)な感のあるテーマだったので、さっそく読むことにした次第だ。
ちょうどタイミングのいいことに『人類の起源 ー 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』(篠田謙一、中公新書、2022)を読んだばかりだったので、ゲノム解析以前の方法、つまり人骨の計測を主に行っていた「形質人類学」の歩みをトレースできたことになる。
■近代日本の「形質人類学」の特徴
本書は、「旧植民地」出身の「文化人類学者」による、近代日本の「人類学」、とくに「形質人類学」の「学説史」である。
「学説史」といっても、無味乾燥なものではない。しかも、狭い意味の専門分野の「内側からの視点」ではない。日本語で書かれたものであるとはいえ、「日本国民」である著者の立ち位置は、「日本人」のマジョリティとは異なる。
「人類学」とは、人類の特徴をつかもうとする学問だ。狭い意味の人類学、もっぱら人骨の計測をもとに分析を行う「形質人類学」は基本的に自然科学に属するものであり、研究者の所属先としては医学部であることも少なくない。
「人類学」は、16世紀に始まる「第1次グローバリゼーション」を機に、地球全体に進出しをはじめた西欧人によって、全世界に植民地を拡大しくプロセスのなかで生まれてきた学問だ。
自分たちとは異なる色の皮膚をもち、異なる言語と生活習慣をもつ人びとに対する旺盛な好奇心から始まった人類学だが、効果的かつ効率的に植民地を経営するための基礎学問として、「第2次グローバリゼーション」以降の19世紀に活発化したものだ。
ここから生まれてきたのが「人種」という概念である。黒人だけでなく、黄色人種なる概念が生み出され、かれらを劣った存在とみなすことで白人の優越感が満足されることになる。
この人種概念が、ユダヤ人差別と結びついて20世紀前半のナチスの暴虐に至ったことは、けっして過ぎ去った過去の話ではない。ゲノム分析によって自然科学の分野では「人種」概念が過去のものとなっているのにもかかわらず、「人種」概念がヘイトを生み出す源泉になっているからだ。
西欧には約40年の格差のもとに近代世界に参入した日本は、キャッチアップのために西欧近代化を積極的に推進した。人類学だけでなく、植民地獲得もまたそれにならったものであり、植民地拡大によって、「人類学」の研究フィールドもまた拡大する。
方法論を西欧に学んだ日本の「人類学」の特徴は、研究の主要目的が「日本人の起源」を探ることに置かれたことにある。その探求は、日本列島の北にある北海道のアイヌ、南にある沖縄、そして植民地拡大にともない、台湾から朝鮮、そして満洲へと研究フィールドが拡大していった。
つまり日本の「人類学」は、植民地拡大によって「帝国」化した、近代日本の歴史そのものなのである。
■「旧植民地」出身で「調査される側」という「他者の視線」から見えてくるもの
著者は、日本に帰化した「日本国民」であるとはいえ、南モンゴルのオルドスの出身のモンゴル人であり、ユーラシア大陸に生まれ育った「大陸人」である。
したがって、日本で生まれ育った「島国の人間」とは感覚が違う。現在は国境があるので移動は容易ではないが、大陸の人間は陸路での移動が可能であった。この点が重要だ。「日本の人類学」の歴史を見る視点も、おのずから異なるものとなるのは当然である。
それだけだけでなく、「旧植民地」の出身者として、著者は「調査される側」の視点をもっている。つまり、二重の意味で「他者」の視線をもっていることになる。
だからこそ、日本人が無意識のうちにもっている、「日本人の起源」を知りたいというバイアスから免れているのであり、「日本人の起源」を探ることを主目的としてきた人類学の歴史を距離をおいて見つめることができるわけだ。
とくに重点的に取り上げられているのが、鳥居龍蔵と江上波夫である。いずれも満洲でフィールドワークを行った人類学者であるが、この2人の突出した研究者の共通点と相違点が興味深い。
著者は、鳥居龍蔵(1870~1953)には好意的な評価を示している。現在すでに失われているモンゴル人の生活習慣を記録した鳥居龍蔵の著作は貴重な内容だが、いまなお中国では中国語訳が許可されていないという。人類学が意図せずにもっている、ある種の政治性のためである。
著者は、かつて一世を風靡した「騎馬民族征服説」で有名な江上波夫(1906~2002)とは面識をもっていたというが、評価すべき点は認めながらも、批判すべきところは批判している。
批判すべき点とは、満洲での研究材料としての人骨収集にかんしてのものだ。江上波夫らの行った人骨収集は、限りなく盗掘に近いものだ。墓荒しといっても言い過ぎではない。
■人類学が抱える倫理的問題。学術目的ならすべてが許されるのか?
日本の人類学者は、「旧宗主国」として「旧植民地」で行った行為について自覚し、その倫理的な意味を理解する必要がある。日本国内であってもそれはおなじだ。研究目的で収集した人骨の返却は必要不可欠である。
「人骨」というと科学研究の対象としての客観的響きしかないが、これを「お骨」や「遺骨」と言い換えたなら、人間の感情がかかわってくる問題だということが日本人なら理解できるはずだ。
誰だって、家族の墓を荒らされて「お骨」が学術研究の名目のもとに持ち去られ、しかも大学の研究室に「ブツ」として展示されていることを知れば、心穏やかではないだろう。戦地に残されたまま、いまだ故国に帰ることのできない「遺骨」の問題もまたおなじだ。
他者の痛みを感じて共感することが必要ではないか。想像力と共感の範囲を拡げなくてはならない。
「人類の起源」の探求において、現在では主流ではなくなった「形質人類学」であるが、ゲノム解析に使用される資料が人骨から得られる以上、人骨との関係がなくなったわけではない。
研究のために収集した人骨の扱いにかんする倫理的問題。この問題が、日本の人類学に突きつけられている。
「日本人の起源」にかんする関心が日本人からなくなることはないだろう。だが、その研究に付随して発生する問題について、研究者ではない一般人も自覚的になることが必要なのだ。
そのことを本書『人類学と骨 ー 日本人ルーツ探しの学説史』によって教えられることになった。他者の視線によって「常識」を疑うことが、いかに重要なことであることか。その意味では、得がたい読書体験となった。
目 次凡例序章 人類学はなぜ骨を求めたか 白熱する日本人のル-ツ探し第1章 遊牧民と骨 ー オルドスの沙漠に埋もれる人骨と化石第2章 アイヌ、琉球から始まった人骨収集 ー 日本の古住民を求めて第3章 台湾、モンゴルからシベリアへ ー 鳥居龍蔵の視線第4章 江上波夫のモンゴル ー 騎馬民族征服王朝説の淵源第5章 人類学者は草原で何を見たか ー 帝国日本の「モンゴロイド」研究第6章 ウイグル,そして満洲へ ー 少数民族地域のミイラと頭蓋骨終章 ビッグデータとしての骨 研究と倫理の狭間で参考文献謝辞索引
著者プロフィール楊海英(よう・かいえい)静岡大学人文社会科学部教授。南モンゴルのオルドス生。モンゴル名はオーノス・ツォクト、帰化後の日本名は大野旭。楊海英は学術上のペンネーム。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。1989年3月来日。国立民族学博物館・総合研究大学院大学博士課程修了。博士(文学)。著書に『墓標なき草原ー内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2010年度司馬遼太郎賞受賞)『中国とモンゴルのはざまで ー ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(以上、岩波書店)のほか、『日本陸軍とモンゴル ー 興安軍官学校の知られざる戦い』(中公新書)、『逆転の大中国史 ー ユーラシアの視点から』(文春文庫)、『羊と長城 ー 草原と大地の<百年>民族誌』(風響社)など多数。(出版社サイトの記述に加筆修正)。
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