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2025年7月12日土曜日

書評『ネオ・ユーラシア主義 ー 「混迷の大国」ロシアの思想』(浜由樹子、河出新書、2025)ー ヨーロッパからアジアにまたがる広大な「ユーラシア国家」であるロシアのアイデンティティをめぐる問い

 

ロシアはヨーロッパか、それともアジアか? 「ユーラシア主義」と「ネオ・ユーラシア主義」は、この問いをめぐる思想の表現である。 

ヨーロッパからアジアにまたがる広大な「ユーラシア国家」であるロシア。多民族国家で多宗教国家であるロシア。そのロシアの揺れ動くアイデンティティをめぐる問いである。 

この「ネオ・ユーラシア主義」について、詳細に検討を行ったのが、この分野にかんしては日本で第一人者である浜由樹子氏による新著『ネオ・ユーラシア主義 ー 「混迷の大国」ロシアの思想』(河出新書、2025)だ。  

新書本ではあるが、詳細な分析をもとにした著作であり、かならずしも簡単に通読できる本ではない。だが、ロシアに関心をもっている人なら読むべき本であり、つよく推奨しておきたい。 



(ユーラシアとユーラシア主義 Wikipediaより)



■19世紀前半からつづく「西欧派」と「スラブ派」の対立 

19世紀前半に「西欧主義」と「スラブ主義」の対立が始まって以来、ロシアではこの対立構造は、現在にいたるまでつづいている。 

この対立構造は、19世紀後半明治時代の日本における「欧化主義」と「国粋主義」に似ている。ロシアも日本も、「近代化」を「西欧化」によって加速しようとした点が共通しているのである。 

この対立を踏まえて1920年代に生まれたのが、「ユーラシア主義」という思想だ。ロシア革命によって帝政ロシアが崩壊して社会主義国家のソ連が成立し、フランスを中心とした西欧に亡命した貴族階級を中心としたロシアの知識階層から生まれたのである。 

その心はフレーズ的に表現すれば、「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもない」ユーラシア、ということになる。 

この「ユーラシア主義」は1920年代に生まれたが、1930年代には下火になってしまった。ソ連の体制が確立し、ロシア帝国復活の見通しがなくなってしまったからだ。 

ところが、1990年代から「ユーラシア主義」の復活が始まる。ソ連の体制が動揺するなかで、ロシアのアイデンティティをめぐる問いが再浮上してきたのである。

この動きは、ソ連崩壊によって一気に加速することになる。 それが「ネオ・ユーラシア主義」である。ソ連崩壊後の情勢を踏まえた、ロシアのアイデンティティ模索なかで生まれてきたものだ。 

そしてこの「ネオ・ユーラシア主義」の心は、「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもある」ユーラシア、ということになる。 

オリジナルの「ユーラシア主義」が「でもない」だったのが、「ネオ・ユーラシア主義」では「でもある」に変化したのである。 



■「ネオ・ユーラシア主義」の特性と主要人物

「ネオ・ユーラシア主義」は、基本的に英米中心のグローバリズム批判、西欧中心主義批判である。 普遍性をうたう西欧中心のグローバリズムで圧殺されかかっている固有文化を見直せ、という思想だ。 

ロシアの場合は、ロシア正教を重視し、内なるアジア性を重視せよ、ということになる。そのアジアとは、内側に抱えたタタールやチェチェンなどのイスラームであり、ときには隣接する中国にも及ぶこともある。 

本書のカバーに掲載されているヒゲもじゃの人物は、日本でもある程度は知られているドゥーギンという思想家だ。アレクサンドル・ドゥーギン。1962年生まれのロシア人。 伸ばし放題のあごヒゲは、ロシア正教を重視するからだという。


(アレクサンドル・ドゥーギン Wikipediaより)


日本ではまことしやかに、プーチンに影響をあたえた「陰のメンター」だという言説も流通しているが、著者によればそれはまったく異なるのだという。 

ドゥーギンは正統派の思想家ではなく、ソ連時代にオカルトから出発した人物で、地政学をふくめたその極右的な思想は、体系的というよりも、パッチワーク的であるのだ、と。 つまり自分に都合のいい思想をつまみ食いしているわけだ。

ロシア社会における影響力の大きさからいえば、アレクサンドル・パナーリンという政治思想研究者のほうが「思想界のインフルエンサー」として重要なのだ、と。 


(アレクサンドル・パナーリン Wikipediaロシア語版より)


1940年生まれのパナーリンは、2003年に63歳で亡くなっているが、その予見力の確かさは、2020年代になってもロシアでは賞賛されるほどだという。

パナーリンについては、日本語世界だけでなく、英語世界でも知られざる人物であるようだ*。本書で取り上げて詳細に分析していただいたことは、じつにありがたい。 

*Wikipedia情報も、ロシア語版のほか、ブルガリア語版とフランス語版しかない(2025年7月12日現在) 


「ネオ・ユーラシア主義」の思想家は、ドゥーギンやパナーリンだけでなく、外交の実務家を中心に多数に及んでおり、その思想的な幅はかなり広いようだ。 その詳細は本文で確かめていただきたい。


■ロシアの「内なるアジア性」に目をむけることが重要

日本からみたら、日本海をはさんで対岸にあるウラジオストクは、ロシアの東方進出によって建設されたが、あきらかにヨーロッパのテイストを漂わせている。 

2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻するまでは、「日本からもっとも近いヨーロッパ」というキャッチフレーズで観光プロモーションが行われていたくらいだ。 

そんなロシアだが、実際にシベリア鉄道に乗って横断してみれば、ヨーロッパとアジアが混在する地域であることが、実感的に理解されるはずだ。わたしは、1999年にシベリア鉄道を利用して北京からモスクワまで、イルクーツク経由でロシアを旅した経験がある。 

日本人はロシアをヨーロッパに準ずる存在とみなしがちだが、ロシアの「内なるアジア性」に目をむけることが重要だ。「ネオ・ユーラシア主義」が主張する「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもある」ユーラシア。現在のロシアがふたたびアジア志向を強めている背景になにがあるのか知らなくてはならない。 

今後もロシアは、ヨーロッパとアジアのあいだを揺れ動いていくことであろう。西欧の極右勢力は権威主義体制のロシアをヨーロッパの範囲に入れて考えているが、この認識がヨーロッパ人一般のロシア観や、日本人のロシア観とは異なるものがあるのは当然の話だ。

ユーラシア国家ロシアのアジア性について、アジアに立地するが西欧化されている日本人は、自分なりの考えをもっておく必要がある。そのためには、19世紀以来の「西欧派」と「スラブ派」の対立に起源をもつ「ユーラシア主義」と、さらにその21世紀バージョンである「ネオ・ユーラシア主義」について理解しておく必要がある。 

いたづらにロシアを敵だと決めつけないほうがいい。好き嫌いは別にして、ロシアを知的に理解しようとする姿勢が大事なのだ。 


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目 次 
はじめに
第1章 ネオ・ユーラシア主義誕生の背景
第2章 最右翼―アレクサンドル・ドゥーギン
 1 ドゥーギンとは誰か
 2 ドゥーギンのネオ・ユーラシア主義
 3 ドゥーギンはプーチンの「陰のメンター」なのか?
第3章 思想界のインフルエンサー―アレクサンドル・パナーリン
 1 パナーリンとは誰か
 2 パナーリンのネオ・ユーラシア主義
  (1)政治思想研究者として
  (2)グローバリズム批判と文明論の論客として
  (3)「予言者」として
第4章 主流化―実務家たち
 1 アメリカへの対抗―イスラームとの共存
 2 中国研究者たち―特にミハイル・チタレンコ
 3 ユーラシア地域統合
第5章 政界・思想潮流における現在地
 1 ネオ・ユーラシア主義の共通項と伸縮性
 2 ロシア・ウクライナ戦争のイデオロギー
おわりに
謝辞
主要参考文献

著者プロフィール
浜由樹子(はま・ゆきこ)
東京都立大学法学部教授。津田塾大学大学院後期博士課程単位修得後退学、博士(国際関係学)。専門は国際政治学、国際関係史、ロシア地域研究。著書に『ユーラシア主義とは何か』(成文社、2010)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


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2021年4月16日金曜日

書評『プーチンの国家戦略 ー 岐路に立つ「強国」ロシア』(小泉悠、東京堂出版、2016)ー「見かけほど強くはないが、見かけほどは弱くない」等身大のロシアを軍事という側面から把握する

 

 「ロシアは見かけほど強くはないが、見かけほどは弱くない」。ドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクがそう言っていたらしい。なるほど、言い得て妙とはこのことだろう。 

ロシアは、帝国時代から2回の革命(・・ソ連の誕生と崩壊)を経て現在に至っているわけだが、ソ連崩壊から30年近くが経った現在、ふたたび「強国」イメージを確立することに成功したようだ。だが、イメージと実体にはすくなからぬズレがあることもまた事実である。 

そんなロシアを理解するには、さまざまなアプローチがあるが、「強国」イメージをつくりあげているのは、なんといっても軍事的側面である。

かならずしもハードの軍事力そのものではない「ハイブリッド戦争」が中心となっている現在のロシアであるが、「強国」イメージを増強するのに大いに貢献していることは言うまでもない。 

ロシアの軍事研究の数少ない若手研究家が小泉悠氏である。TVなどさまざまな媒体で活発な発言をしており、その知見には学ぶことが多いが、今回はじめてその著書を読んでみた。 


この2冊のタイトルを見ると、重要な概念が盛り込まれていることに気づくはずだ。 

「強国」と「帝国」がイメージであるとすれば、「地政学」と「勢力圏」は、「ユーラシア」にまたがる広大なロシアを統治するための基本的フレームワークにかんする発想であるといっていい。 

ヨーロッパでもありアジアでもある「ユーラシア国家」としての「大陸国家」ロシアは、日本のような「島国」の住人には感覚的に理解しがたいのは当然だ。 

広大な領土に散在する「多民族・多宗教国家」ロシア。そこではどうしても「遠心力」がはたらきがちであり、統一国家として維持しつづけるためには強力な「求心力」が必要となる。でないと、あっという間にバラバラになってしまう危険がある。 

だから、どうしても、広大な土地を統治するのは、ある程度まで権威主義的な指導者が必要である。カリスマ的な指導者と、目に見える軍事力が必要なのである。

経済規模からみたらけっして「大国」ではない現在のロシアに、固有のロジックにもとづく戦略が存在し、ロシアがロシアとしてきわめて合理的な振る舞いをしていることを知れば、けっして過大視することも、過小視することもなくなるだろう。 

等身大のロシアを把握するために、この2冊はきわめて有用だ。


***********
  


目次
序章 プーチンの目から見た世界
第1章 プーチンの対NATO政策- ロシアの「非対称」戦略とは
第2章 ウクライナ紛争とロシア?「ハイブリッド戦争」の実際
第3章 「核大国」ロシア
第4章 旧ソ連諸国との容易ならざる関係
第5章 ロシアのアジア・太平洋戦略
第6章 ロシアの安全保障と宗教
第7章 軍事とクレムリン
第8章 岐路に立つ「宇宙大国」ロシア
結び


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目次
はじめに-交錯するロシアの東西
第1章 「ロシア」とはどこまでか-ソ連崩壊後のロシアをめぐる地政学
第2章 「主権」と「勢力圏」-ロシアの秩序観
第3章 「占領」の風景 - グルジアとバルト三国
第4章 ロシアの「勢力圏」とウクライナ危機
第5章 砂漠の赤い星 - 中東におけるロシアの復活
第6章 北方領土をめぐる日米中露の四角形
第7章 新たな地政的正面 北極
おわりに ー 巨人の見る夢


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2020年5月9日土曜日

独ソ戦の「戦勝記念日」に「前線の森にて」を聴く(2020年5月9日)



本日(5月9日)はロシアの祝日。独ソ戦の戦勝記念日だ。とくに今年は75年目の記念日となる。第2次世界大戦の「独ソ戦」は、史上最大の殺戮戦といっていいだろう。 

進撃するドイツに抵抗するソ連。後退しながらも持ちこたえた900日(!)近くに及んだ「レニングラード包囲」ドイツ敗退への分岐点となった「スターリングラード攻防戦」など、島国に生きる日本人には想像もつかないような激戦が5年にわたって続いたのである。 

最終的にソ連軍がドイツに突入して「ベルリン解放」(1945年5月2日)を行い、独ソ戦は終結したのであった。ソ連(のちのロシア)では「大祖国戦争」と呼ぶ。スターリンの命名だ。崩壊後のドイツが降伏文書に署名した5月9日が、ソ連にとっての「戦勝記念日」となった。 

そんな独ソ戦の最中、ソ連のパルチザン兵のあいだで歌われた愛唱歌が「前線の森にて」(В лесу прифронтовом)だ。ワルツ形式の歌謡曲。ロシア民謡ではなく、いわゆるソビエト歌謡。ここではロシア語の歌詞と日本語の訳が掲載されたバージョンを掲載しておこう。 これは、女優エカチェリーナ・グーセヴァが歌うバージョン。




個人的には、ロシアの歌姫アルスーが歌うバージョンが好きだが、アルスーはタタール系ロシア人。エカチェリーナ・グーセヴァのようなスラブ系ではなく、タタール系のアルスーがこのような愛国歌を歌う現在のロシアに関心がある。アルスーはこうしたソビエト歌謡でアルバムを1枚制作して、ロシアでは大ヒットになっている。




死闘の末にドイツを打ち負かしたソ連にとって、最後の戦いは帝国日本との戦争であった。独ソ戦に従軍した将兵と武器の移動に3ヶ月かかることを想定したスターリンは、最終決戦を8月に設定していた。





PS ユーラシア国家ロシアの東西観の違いが現れたか?

今年は新型コロナウイルスのパンデミックで、戦勝記念日どころではないというのがロシアの現状だ。おかげで安倍首相は訪ロできなくなり、北方領土問題で無用な譲歩を迫られる可能性も後退した。

当初は権威主義体制だから感染拡大を押さえ込んだのだと、ある種の敬意(?)をもって眺められたプーチン政権だが、国境を接する盟友・中国を含めた「東方」には厳しい態度で臨んだものの、「西方」の最大感染地イタリアのスキーリゾートから富裕層が持ち込んで一気に感染拡大となった模様だ。

あまり指摘されていないが、東西に広いユーラシア国家ロシアの「東方」に対する見方と「西方」に対する見方の違いが如実に反映したような気がするのである。

第2次世界大戦にあてはめて見れば、「東方」はノモンハン戦争で激突した帝国陸軍(さらにいえばシベリア出兵と日露戦争、中国共産党とのダマンスキー島紛争)「西方」は死闘を続けた独ソ戦である。

(2020年5月11日 追記)





<ブログ内関連記事>

「先の大戦」関連本から「これぞという3冊」をピックアップして紹介
・・2019年度の新書本ベストセラー『独ソ戦-絶滅戦争の戦慄-』(大木毅、岩波新書、2019)を紹介

JBPress連載コラム第29回目は、「ロシアの「飛び地」に見る国境線のうつろいやすさ-Wカップの舞台となったカリーニングラードの歴史」 (2018年7月3日)

64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した

JBPressの連載コラム第59回は、「あの抵抗がなければ日本は分断国家になっていた-日本側の希望的観測が招いた「ソ連侵攻」の悲劇」(2019年8月27日)

「ノモンハン事件」勃発から80年(2019年5月11日)-末尾が「9」の年に起こったこと

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相

JBPressの連載コラム第60回は、「悲壮な肉弾戦で惨敗、「ノモンハン事件」の教訓とは-日本を破滅に導いた国境紛争、連続した世界を生きている私たち」(2019年9月10日)

JBPress連載コラム第46回目は、「知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある」(2019年2月26日)


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