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2024年4月27日土曜日

上州への日帰り旅 その3 「足利学校」に立ち寄る(栃木県足利市)ー 「日本最古の学校」は、東京・本郷の湯島聖堂よりはるかに古いのである!(2024年4月23日)

 (学校門の前にて筆者撮影 以下同様)


今回の旅の主要目的であった「高山彦九郎記念館と関連史跡」を訪れたあと、東武伊勢崎線の細谷駅から館林行きのローカル列車に乗る。 

電車に乗って移動中に「そういえば来るときに足利市駅というのがあったな・・」と思いだし、かの「足利学校」は足利市駅から歩いていけるのかどうかスマホで検索してみた。 

駅から徒歩15分ということなので、きゅうきょ予定を変更して足利市駅で途中下車することに。なんといっても腹が減っていたので、駅前のコンビニで総菜パンを買って食べる。時間とカネの節約のためだ。 


(足利市駅前の看板)


足利学校は、距離的にはJR両毛線からのほうが近いが、東武伊勢崎線の足利市駅からも歩いていける範囲にある。


(左端が足利市駅 中央左下が足利学校)


渡良瀬川をわたって足利学校の領域に入ると、門前町らしい風情がでてくる。鑁阿寺(ばんなじ)という古刹があるからだ。 


(鑁阿寺(ばんなじ))


12世紀が創建で、足利氏とゆかりの深い鑁阿寺(ばんなじ)参拝は足早にすませ、足利学校へ。足利学校はその隣にある。 

「足利学校は日本最古の学校で・・」というフレーズは、なんど耳にしたことか。足利市駅前の看板にもそう書いている。

行ってみたいという気持ちはあったものの、自分のなかでの優先順位はけっして高くなかった。だから、この機会を逃したら二度と訪問することはないかもな、と思ったわけだ。


■「足利学校」は「湯島聖堂」よりはるかに古い

足利学校は室町時代中期に設立され、戦国時代を生き延びて江戸時代の終わりまでつづいた由緒ある「学校」だ。


(入徳門 ここから入場する 筆者撮影)


正門には「學校」という正字体による扁額が掲げられている(上掲の写真)。この扁額は複製で、17世紀に製作されたものは「方丈」に保管展示されている。


(右から左へ「学校」と読む)


入館料480円はちと高いなという気がしなくもないが、「日本最古の学校 足利学校入学証」なるノベルティがついてくるので、まあ良しとしておこう。カネを払えば「入学」はできても、「卒業」はできないということだな(笑)

足利学校は、言うまでもなく今回がはじめての訪問であるが、なんとなく東京の湯島聖堂のような感じだなと思った。かつての昌平坂学問所(あるいは昌平黌)である。 


(奥に鎮座するのは孔子の木像)


なるほど、足利学校のある地域が「昌平町」というのもうなづける。儒学を学び、孔子を祀る聖堂のある学校。「昌平」とは、孔子の生誕地である魯の「昌平郷」からとられたものだ。

(「孔子のふるさと昌平郷」とある昌平町)


いやいや、そうではないのだ、設立年代からいったら足利学校のほうがはるかに古いので、江戸時代前期に林家の私塾から発展した昌平黌は、足利学校をモデルにしたというべきだろう。

(「杏檀」とは孔子が弟子たちを教えた場所)


戦国時代末期の16世紀、キリスト教の宣教師たちは足利学校を大いに意識していたという。儒学を学んで知的武装している日本人に宣教するのは並大抵のことではないぞ、と。

(真ん中が孔子、左端が孟子。 方丈にて筆者撮影)


さすがに儒学の「学校」だけあって、白人は見かけないが、おそらく台湾人であろう、インバウンド客が少なからず見受けられた。さすがに、これほど古い「聖堂」は台湾にはないのだろう。



■足利学校訪問のため「藤の牛島」訪問は断念

まあ、そんな感想を抱きながら足利学校の訪問を終え、歩いて足利市駅まで戻る。

なんせ館林までは1時間に2本しかないのだ。そのうち1本は特急である。特急料金など払いたくないので、実質1時間に1本の電車を待つ。まったくもってJRのローカル線とおなじ状態だな。 

というわけで、途中下車して予定外の足利学校に立ち寄ることにしたので、予定に入れていた「藤の牛島」行きは断念、足利学校の藤棚の咲き具合を見て満開ではないと判断したためでもある。 

東武伊勢崎線を館林まで乗り、さらに久喜行きに乗り換え、久喜から先は中央林間行きに乗り継ぐ。最終目的地である「久伊豆神社」再訪のため、北越谷駅に向かうのである。 

(つづく)



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2023年8月26日土曜日

書評『近世日本社会と宋学(増補新装版)』(渡辺浩、東京大学出版会、2010 初版1985年)― 政治思想史の観点から「外来思想としての儒学」の受容とその意味について考える

 


旧版をもっていたが読まないままに月日が流れ、そのうちに「増補新装版」が出版されていた。旧版が行方不明になっていることもあり、増補新装版で読むことにした次第。

この本は、 江戸時代(=徳川時代)を思想面から理解するための必読書といっていいだろう。すでに古典的名著といってよい。

読んでみてそう思ったのは、一般的な理解とは異なるように見えながら、ほんとうに重要なことが書かれているからだ。

この点にかんしては、歴史教育の怠慢こそ責めなくてはならないが、おそらく本書が研究書であり、正確を期すために採用されたタイトルに原因があるかもしれない。

「宋学」ってなに? そこでつまづいてしまうと、もうそれだけで敬して遠ざけてしてしまうのではないかな。


「宋学」とは、「朱子学」を中心とした儒学

「宋学」とは、「朱子学」を中心とした儒学のことである。「新儒学」ともいう13世紀中国の南宋時代に始まった動きを、朱熹(=朱子)が体系化した儒学のことだ。この段階にいたって、はじめて「四書五経」が正式に儒学の経典となった。

このようにとっつきにくいタイトルであるが、論旨はきわめて明解だ。しかも、きわめて
説得力がある。

「宋学」すなわち「朱子学」は、江戸時代において本格的に導入されることになったが、18世紀末まで正式に「官学化」されたことはなく、儒者はマイノリティ的な存在だった。なぜなら、徳川幕府は武家政権であったからだ。

論旨は明快で読みやすい。その論旨を立証するために、「封建」「士農工商」「華夷」「士」「仁政」「君臣」 「修己治人」「孝」「礼」といった朱子学の概念ごとに、個々の日本人儒者たちの言説が、これでもか、これでもかと引用され、読者にむかって提示される。引用をもって語らしめるというスタイルである。

ただし、引用文はそのままのかたちで掲載されており、残念なことに現代語訳がついていないので、その点はガマンして読む必要はある。だが、それだけの価値のある読書体験となることは間違いないだろう。


「外来思想としての宋学」の導入とその「日本化」

「外来思想としての儒学」は、近世以前は宮中の学問であった。4世紀から5世紀にかけて、王仁(わに)によって「千字文」と「論語」が伝えられたと伝承されているが、「統治者にとっての支配の学である儒学」が一般化されることはなかったのである。

「外来思想としての仏教」が鎌倉時代に日本化され、室町時代、そして戦国時代まで日本人の思想の中心をなしていたが、江戸時代に入ってからは儒学がそれにとって代わるようになる。

徳川幕府は、仏教を民衆支配のためのツールとしてつかった次第はよく知られているとおりだ。キリシタン禁教政策の観点から、宗門改帳と檀家制度の確立がなされたのは江戸時代前期のことである。

よく言われているように、学問好きの徳川家康が朱子学に注目したわけだが、なぜ朱子学だったかといえば、同時代の東アジアにおいては、朝鮮でも中国では「科挙」をつうじて朱子学の解釈が正統とされていたからだ。とくにこれといった理由はないようだ。

ところが、武家政権であり、官職は「家」による世襲によって行われた日本では、科挙が採用されることがなかった。したがって、朱子学の意味づけが朝鮮や中国とはまったく異なるのである。この状況は18世紀末の「寛政の改革」まで変わらない。

大学頭になった林羅山も、あくまでも家康の「お伽衆」のひとりという扱いだったというのは驚きだ。けっして特権的な地位が与えられていたわけではないのである。支配階層においてもそうだったのであり、民間の朱子学者の社会的な影響も限定されていたのである。

ただし、例外は五代将軍の綱吉であろう。儒学に入れ込んでいた綱吉については、ドイツ人のケンペルが礼賛しているとおりである。「生類憐れみの令」だけが綱吉ではない。

八代将軍の吉宗は、現代でいう「実学」に関心があって、儒学そのものはそれほど重視していたわけではない。とはいえ、荻生徂徠が吉宗の政策アドバイザーとなったのは、儒者としては異例の出世であった。同様の事例としては、先行する新井白石くらいだろうか。

はじめて儒学を日本化し、日本人にフィットしたものに読み替えたのが伊藤仁斎と東涯の親子である。

仁斎は『論語』を最大級に評価し、それが現在の日本での儒学評価につながっている。現代日本では『論語』だけが関心の対象である。「古学」を重視した仁斎の延長線上に、荻生徂徠の「徂徠学」がある。

徂徠以降は、狭義の日本儒学史の範囲を越えた思想展開となるので、本書での記述はそこで終わる。


■「徂徠学」の流行と衰退、朱子学の「官学化」は思想史の対象外

言語の解釈に出発点として強調した「徂徠学」は、ヨコ展開の応用によって本居宣長の「国学」を生み出し、また「蘭学」の発展を促進することになる。それぞれ日本の古語とオランダ語の徹底究明が学問の原動力となった。

朱子学が正式に官学化され、徂徠学が衰退していったのは、松平定信の時代の18世紀末以降のことだが、あくまでも制度化されたわけであって、朱子学の分野で思想的に面白い展開があったわけでない。陽明学は宋学の範囲を越えている。

本書では、寛政の改革による朱子学官学化については言及されていない。これは著者の専門である「政治思想史」ではなく、「教育社会史」において取り上げられるテーマである。

とはいえ、江戸時代の儒学を考えるにあたっては、思想史と教育社会史の両者をあわせた理解が必要なのではないかとわたしは考えている。

どうしても、思想史による記述を読んでいると、朱子学にかんする位置づけを誤解しかねないからだ。思想史の特性とその限界である。思想的な面白さと、社会的な影響は必ずしも比例しない。ところが、制度化された思想は社会的には大きな意味をもつ。

思想と制度の関係については、俯瞰的な視点での記述が必要だろう。そうでないと、幕末の状況を理解することはできなくなる。朱子学の理解があって、はじめて陽明学の意味がわかってくるからだ。






目 次 
宋学と近世日本社会 ー 徳川前期儒学史の一条件
はじめに
第1章 徳川前期における宋学の位置
 第1節 その「盛行」
 第2節 幕府との関係
第2章 宋学と近世日本社会
 第1節 形式の適用
  1 「封建」
  2 「士農工商」
  3 「華夷」
 第2節 「士」
  1 「仁政」
  2 「君臣」
  3 「修己治人」
 第3節 「家」
  1 「姓」
  2 「孝」
  3 「国家」
 第4節 「礼」
  1 「家礼」
  2 「王礼」
 第3章 儒学史の一解釈
補論1 伊藤仁斎・東涯 ー 宋学批判と「古義学」 
 1 はじめに
 2 批判の対象
 3 批判と主張
  1 「道」
  2 「人情」「風俗」
  3 「仁」
  4 「王道」
  5 「革命」
 4 主張の背景
増補にあたって
補論2 「礼」「御武威」「雅び」ー 徳川政権の儀礼と儒学 
 1 儒学の「礼」
 2 徳川将軍をめぐる儀礼と儀式
 3 新井白石の改革
 4 吉宗による逆転
 5 むすび
索引

著者プロフィール
渡辺浩(わたなべ・ひろし)
1946年、横浜生まれ。1969年東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。同助手、同助教授を経て、1983年より東京大学教授、同じ丸山眞男門下の松本三之介の後任として日本政治思想史講座を担当する。専門は日本政治思想史、アジア政治思想史。東京大学理事副学長、日本政治学会理事長などを経て、2010年、法政大学法学部教授。2017年定年、法政大学名誉教授。同年、日本学士院会員に選ばれる。東京大学名誉教授。 
著書は、『近世日本社会と宋学』(東京大学出版会、1985年) 『近世日本政治思想』(放送大学、1985年) 『東アジアの王権と思想』(東京大学出版会、1997年) 『日本政治思想史 十七~十九世紀』(東京大学出版会、2010年)がある。(Wikipedia記載の情報を編集)



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2023年1月18日水曜日

書評『朱子学入門』(垣内景子、ミネルヴァ書房、2015)ー 日本人の思考を見えないとことろで支配している「朱子学」のさわりに触れる



「朱子学」といえば儒教(=儒学)の本流であり、東アジアにおいてきわめて大きな意味をもったことは、ある意味では教科書的な「常識」だといっていいだろう。 

では、あらためて「朱子学」とはなにか説明せよと言われても困ってしまう。知識としてなんとなく知ってはいても、きちんと向き合ってその中身を知ろうとはしていなかったからだ。 

そこで読むことにしたのが、『朱子学入門』(垣内景子、ミネルヴァ書房、2015)という本だ。著者は、朱子学とがっぷり四つに取り組んでいる大学の研究者。  

シンプルなタイトルのこの本は、大学の初年度向け学生を対象にした講義をもとに作成された本であるという。つまり講義用テキストである。前提知識をもたない受講者向けに、練りに練った構成で、かんでふくめるような説明がなされている。 

ここでわたしが教科書的な知識を羅列しても意味はないので、目次を紹介しておこう。 


はじめに 私たちは自由にものを考えているか 
第1章 仏教なんてぶっとばせ ― 朱子学の位置 
第2章 気のせいって何のせい? ― 朱子学の世界観 
第3章 理屈っぽいのが玉に瑕 ― 朱子学の世界認識 
第4章 たかが心、されど心 ― 朱子学の最優先課題 
第5章 まずは形から ― 朱子学の方法・その一「居敬」 
第6章 世界は一枚のジグソーパズル ― 朱子学の方法・その二「格物窮理」
第7章 ああ言えば、こう言う ― 朱熹と朱子学
第8章 心の外には何もない ― 朱子学と陽明学
第9章 朱子学を学ぶと人柄が悪くなる? ― 日本の朱子学
第10章 朱子は君子か? ― 朱熹の人物像
おわりに 世界の辺境で朱子学を問う


 「理」・「気」・「心」・「敬」・「格物」・「究理」といった朱子学のタームが、まさに朱子学らしく理路整然と説明されていくが、もちろん著者は現在に朱子学を普及させようなどと考えているわけではない。 

とはいえ、12世紀の南宋(・・中国南部の王朝)に、心の問題をめぐって禅仏教との対決から朱子(=朱熹)が登場して以来、19世紀まで「科挙」が行われてきた中国や朝鮮、越南(=ベトナム ) は言うまでもなく、18世紀末の江戸時代後期から19世紀の明治時代にかけて体制の学として大きな意味をもった日本を知るためには、朱子学のなんたるかを知ることは不可欠である。 

見えないところで働いている「朱子学的思考」について自覚的になることが必要なのである。19世紀以降、日本人の論理的思考を鍛えたのは朱子学なのである。大半の日本人にとっては格言でしかない孔子の「儒教」と、中興の祖である朱子の「新儒教」は区別しなくてはならない。 

この入門書は、朱子学とはなにかについて、日本人が陥りがちな間違いを正してくれる。陽明学の祖の王陽明自身、朱子学は攻撃したが、朱子そのものを批判していないという。朱子は、孔子と違って聖人ではないのである。 

人間としての朱子(=朱熹)と、その死後にクローズドな世界観として体系化された朱子学の違いについては、自覚的になることが必要だろう。カール・マルクスと、マルクス主義の違いと同様である。 

もちろん、この本を読んで朱子学がわかった、なんてことにはならないが、朱子学がどういうものか、そのさわりだけでも理解できる内容である。大学時代に、こんな講義を受講できたら良かったのにと思う。 

じっくりと読めば、現代の日本人が朱子学に抱いている固定観念を捨てるきっかけにはなるだろう。 


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著者プロフィール
垣内景子(かきうち・けいこ)
1963年生まれ。1986年早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業。1993年早稲田大学大学院文学研究科単位取得満期退学。現在、明治大学文学部教授。博士(文学)。著書に
『「心」と「理」をめぐる朱熹思想構造の研究』(汲古書院、2005)、『朱子語類』訳注(一部)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報を付加した)


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・・「尽忠報国」」をモットーとし、女真族の金に対する主戦派の岳飛(がくひ)和議派の秦檜(しんかい)の対立。主戦派であった朱熹の父は、秦檜からうとまれて左遷、以後隠遁している。朱子が活動したのはそんな時代の12世紀の南宋であった

・・正確にいえば、江戸時代後期の19世紀には科挙にならった「学問吟味」という試験制度が湯島聖堂のある昌平坂学問所で導入されているが、官吏登用の前提とはされていなかった。幕府においては武士が官吏だったからだ。そこが中国や朝鮮とはまったく異なっていた点である

・・朝鮮をよく知る文化人類学者・泉靖一による解説。日本にキリスト教が定着しない理由は、中国や朝鮮とは違って、朱子学が日本では社会化していないことがあげられている。「おそらくベトナムは日本に似ているでしょう。中国仏教が朱子学に塗りつぶされていないという点では、ベトナムをあげられようと思います」、と。


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