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2017年10月10日火曜日

JBPress連載第10回目のタイトルは、「解散総選挙は日本の政治制度の“伝統”だった-大義があろうがなかろうが総選挙は民意を反映する」(2017年10月10日)


JBPressの連載コラムの最新コラムが本日公開です。今回で連載開始からめでたく10回目となります。

タイトルは、「解散総選挙は日本の政治制度の“伝統”だった-大義があろうがなかろうが総選挙は民意を反映する」
⇒ ここをクリック http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51266

2018年は1868年の「明治維新革命」から150年目になります。2018年を「明治150年」と捉え直してみると、「戦前」と「戦後」という二分法とは異なる歴史の流れがみえてきます。

日本近現代史は、明治維新以降、連続していると考えるべきでしょう。それが証拠に、1890年に施行された「大日本帝国憲法」のもとでも、衆議院の解散は行われていたのです。

大日本帝国憲法が1890年に施行されてからすでに120年近く。解散総選挙は日本の政治制度の“伝統”だったといっても過言ではないのです。

では、本文をお読みいただきますよう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51266


次回の更新は2週間後の10月24日の予定です。お楽しみに。



PS いまふと気がついたが、連載第10回は10月10日のことであった。10月10日は、「10」が二つの「双十節」で、台湾(=中華民国)の建国記念日だが、その日に「10」が3つ重なる慶事となっていたわけだ。めでたいことである。と、気づいたのが10月20日。面白い暗合だな。(2017年10月20日 記す)。





<ブログ内関連記事>

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

「戦後70年」のことし2015年は「日本国憲法」発布から68年になる(2015年5月3日)

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・価値観多様化は「是々非々」の政治的選択を生む




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2015年5月3日日曜日

「戦後70年」のことし2015年は「日本国憲法」発布から68年になる(2015年5月3日)



本日(5月3日)は憲法記念日。毎年この日のニュースは「護憲」か「改憲」かという決まり切ったものが多いが、ここ数年は「憲法改正」に向けてのニュースが増えてきているので、憲法記念日の当日ではなくても国民の関心がだんだん高まりつつあるのを感じる。
  
冒頭に掲載した写真は、東京・竹橋の国立公文書館で公開された「日本国憲法」の「原本」。この時点ですでに華族は男爵・幣原喜重郎外務大臣ただ一人になっている点に注目しておきたい。欽定憲法である「大日本帝国憲法」とのきわめて大きな違いである。

1925年(大正14年)に実現した「普通選挙法」によって、すでに国会議員の大半は平民が中心になっていたのである。民主主義は、敗戦の結果アメリカ占領軍によって与えられたというのは左派による歴史の歪曲である。

制約条件がきわめて大きかったものの、日本は戦時下においても二院制による議会制民主主義であった。戦時下が暗黒時代になったのは、「普通選挙法」と抱き合わせで施行された「治安維持法」が、1941年(昭和16年)に全部改正によって改悪されたためである。
    
「日本国憲法」はアメリカが作ったものだという主張もあるが、これはかならずしも正しくはない。明治時代前期の「自由民権運動」の流れも入っているのである。自由民権運動の歴史は、自国の日本近代史のきわめて重要な事項として、きちんと踏まえておかねばならない。なにもないところに日本国憲法と民主主義が生まれたのではない。
  
ことし2015年は「戦後70年」であるが、1947年(昭和22年)に「日本国憲法」が施行されてからことしで68年もたっている。憲法は法律である以上デジューレ(de jure)であるが、すでに68年間も大多数の日本国民が受け入れてきたのであるから、たとえそれがアメリカ占領軍の支配下に制定されたものであっても、デファクト(de facto)であるともいってよいだろう。
   
とはいえ、「改正」とまでは言わなくても、どう考えても「チューニング」は必要だろう。日本国をめぐる国際情勢は劇的に変化しているし、日本国内の社会情勢も大きく変化しているからだ。「護憲」か「改憲」かという議論は不毛である。
     
ただし、主権在民(=国民主権)という大原則と、憲法は政府の暴走を防ぐために国民がつくるものという原則をまげることなく、改正を実現したいものだ。
  
そのためには、国民的議論が必要である。まだまだ国民的議論が足りないので、憲法改正に拙速は禁物だ。だが、議論は活発化する必要はある。憲法に関心をもつことは国民の義務であると強調しておきたい。

わたしは基本的に「憲法改正」に賛成である。現行憲法を時代の変化にあわせてチューニングするという意味において。もちろん、そのなかには憲法9条改正も含まれる。




<関連サイト>

日本国憲法(日本語全文) (法務省)

THE CONSTITUTION OF JAPAN (首相官邸)


<ブログ内関連記事>

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと・・民権>国権か、民権<国権か、この議論は明治時代に近代化が始まって以来の争点である

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを! ・・「赤ペン先生」による「自民党草案」(第二次草案)の徹底添削!

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

「五箇条の御誓文」(明治元年)がエンカレッジする「自由な議論」(オープン・ディスカッション)

聖徳太子の「十七条憲法」-憲法記念日に日本最古の憲法についてふれてみよう!

書評 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか-ルールメーキング論入門-』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)-ルールは「つくる側」に回るべし!

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2014年6月18日水曜日

書評『スノーデンファイル ― 地球上で最も追われている男の真実』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)― 国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目



スノーデン関係についてはなかなか関連書籍が発行されていなかったが、ようやくここにきて2冊の翻訳書が出版された。『暴露:スノーデンが私に託したファイル』(新潮社) と 『スノーデンファイル』(日経BP社)の二冊である。

前者は、副題にあるようにスノーデンと香港で密会し、直接ファイルを託された米国人の弁護士で活動家のグリーンウォルド氏によるもの。少数派の自由の侵害に反対する彼はパートナーとともにブラジル在住である。後者は、スノーデンが収集した機密情報の暴露をマスメディアとして行った英国のガーディアン紙の記者によるもの。今回ここで取り上げたものである。

さすがに二冊とも読もうとまでは思わないが、どちらか一方だけでも読みたい思ってレビューをさがしてみた。その結果、どうやらグリーンウォルドは活動家で性格も激しいようであり、そういう観点から書かれた本はわたしの趣味ではないな、そんなことを考えていたとき本書のレビューを頼まれた。「渡りに船」というやつである。グッドタイミングだ。

わたし自身は、スノーデン氏の行為に賛同とか反対とかいう以前に、「事件」そのものを突き放して眺めたいと考えていた。その目的のためには、英国のガーディアン記者でジャーナリストの著者の手になる本書のほうがよいだろうと考えていたこともある。米国人のスノーデンに対する適切な距離感が確保できるのではないかという期待である。

本書は、原題は、Luke Harding, The Snowden Files: The Inside Story of the World's Most Wanted Man である。2001年の「9-11」テロ後に肥大した米国政府の通信監視活動の実態を暴き、2014年度のピュリッツァー賞を受賞した英国の『ガーディアン』紙記者が描いた「事件」の舞台裏のドキュメントである。

翻訳のレベルは高く読みやすい。読んでいて、さすがにアメリカ人ではなく、英国人の書いたものだという感想をもつ。そこらへんの感覚は直接読んで感じてみてほしい。

本書の読みどころが「推薦のことば」として、元外務相主任分析官の佐藤優氏が2ページで簡潔にまとめているが、かならずしもこれに従う必要はない。読み手によって問題関心のあり方が異なるであろうからだ。


(原著の米国版)



米英は通信監視における密接なパートナーだがその関係は非対称的

わたしにとってもっとも興味深く思われたのは、米英は通信監視における密接なパートナーだがその関係は非対称的という事実についてだ。

米国の情報機関 NSA(国家安全保障局)による通信監視が大規模に行われているという事実が明らかになったこと自体は、それほど衝撃的な話ではない。そもそも十数年前前から軍事目的の大規模な通信傍受システムであるエシュロンの存在は日本でも知られていたし、この手の監視が技術的に可能なことは考えるまでもないことだ。こんなことで驚いていてはナイーブすぎる。

それよりも興味深いのは、もっとも密接な関係にあると見なされがちなアングロサクソン世界の盟友である米国と英国であるが、じつは思われているほど、そう一筋縄でいく関係ではないという事実が明らかになったことだ。

本書にもしばしば登場する「ファイブ・アイズ」(Five Eyes)という米英中心にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドを加えたアングロサクソン圏の SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)ネットワークは知る人ぞ知る存在だが、これは中核にある UKUSA協定を多国間で結んだ協定である。

UKUSA(UK:英国+US:米国)の中核にあるのは文字通り英米であるが、斜陽化した小国・英国と超大国・米国のあいだには圧倒的な力関係の違いが存在するという事実である。米英は対等ではなく非対称的な関係なのである。


(「ファイブ・アイズ」協定国はアングロサクソン・ファミリー wikipediaより)


米国からみて英国がもっとも信頼のおけるパートナーであることは、ともに英語圏であるということと、基本的な価値観を共有するからであるが、なによりも海底ケーブルによる通信トラフィックにかんしては米英間が量的にみて圧倒的であることも背景にある(下図を参照)。


(The internet's Undersea World を加工)


北米大陸からの海底ケーブルは英国西端のコーンウォルで上陸し、そこから欧州大陸に分岐している。つまり英国は情報の結節点に位置しているわけであり、米国からみて通信監視を行うにあたってきわめて都合のいいポジションにあることがわかる。

英国は、いわば「地の利」を活かしているわけであるが、英国のGCHQ(政府通信本部)はカウンターパートの米国 NSA から多額の資金援助を受け、その見返りに NSA と情報共有を行っているだけでなく、通信監視にかんする最先端の技術を開発し知恵を出すという関係にあるという。英国の生き残り戦略の一環と見ることもできよう。

これも英国人ジャーナリストの立場で書いているからこそ明らかになったことだろう。



ジャーナリズム活動にかんする米英の違いは「憲法」の存在の有無にある

米国と米国人にとっての「合衆国憲法」の存在がいかに大きなものであるか、この事実について気がつかせてくれるのも、本書が米国人ではなく、英国人ジャーナリストの手になるものだからだ。これも米英の「距離感」のもたらしてくれる重要な視点である。

英国には「成文憲法」がない。これは「常識」ではあるが、米国と対比した際にきわめて重要な意味をもつ。英国では憲法のしばりがないので、国家による監視活動の制約が小さいのだ。

人口あたりの監視カメラ数が世界でもっとも多いのは英国であることを想起したらいいだろう。ジャーナリズム活動への制約が存在することは、英国当局がガーディアン紙に命じて、スノーデファイルのハードディスクの破壊命令を実行させたことに象徴的にあらわれている。

スノーデン氏自身、「合衆国憲法」への思い入れが強く、とくに「憲法修正第4条」の「不当な逮捕・捜索・押収の禁止、安易な礼状発行の禁止」へのこだわりが、NSAによる通信監視の実態を暴露する動機になったようだ。

政治的には共和党支持者で、思想的にはリバタリアンらしい。リバタリアニズム( libertarianism)とは、国家や政府の介入は最小限であるべきだというアメリカ特有のレッセフェール思想のことで、自由を志向することは共通するものの、大きな政府を志向するリベラリズムとは根本的に異なる思想である。

スノーデン氏の言動には、そもそも憲法というものは、国家権力の恣意的な運用を牽制するために、国民が国家に対して課すものだという原点を想起させてくれるものがある。いわゆる「立憲主義」であるが、これは近代西欧の法思想の核心に存在するものだ。その意味ではスノーデン氏は思想犯であり、しかも確信犯であることがわかる。

米国は2001年の「9-11」同時多発テロ以降、「愛国法」の成立によってNSAによる監視社会という怪物フランケンシュタインを生み出したわけだが、立憲主義の存在の有無が、おなじアングロサクソンでありながら、米国と英国との違いを生み出していることを知ることができるわけだ。


(原著の英国版)



「監視社会」に敏感なドイツ

とはいえ、ドイツを考慮に入れると、米英はやはり似たもの同士だなと思わされるものもある。

ドイツのメルケル首相の個人使用の携帯電話が NSA によって盗聴されていた事実。旧東ドイツの秘密警察・情報機関シュタージの盗聴世界のなかで生き抜いてきたメルケル氏にとっては、まさに悪夢の再来ともいうべき事態であったことだろう。

この件が明るみになってドイツの世論に火がついたのだが、東ドイツ時代の秘密警察シュタージによる監視社会を体験しているドイツ人は、ことさら監視についてはナーバスであり、西ドイツ出身者であってもナチズム体制を体験している点においてドイツ人にとっての共通認識であるのかもしれない。

ドイツと比べると、全体主義を体験していない英国や米国はどうもこの点にかんしてナイーブな印象を受ける。監視社会についてはジョージ・オーウェルの『1984』がつねに引き合いに出されるが、『1984』はあくまでもフィクションの世界であってアタマのなかの話であり、体感をともなう実感ではないのかもしれない。

全体主義を体験しているという点では、日本人はドイツ人と共通の体験があるはずだが、個人意識の強くない日本人には、「見てみないふりをする」、「長いものには巻かれろ」的な国民性があるためか、ドイツ人ほどナーバスではないようだ。そもそも日本にはプライバシーという概念もコトバも存在しなかった。

この点、日本と米英はいっけん似ているような印象を受けないでもないが、日本と米英との違いは危険を冒してカラダを張ってでも告発する勇気をもったジャーナリズムの存在の有無であろう。

監視技術を含めて、テクノロジーというものはそれ自体のロジックによって無限に進化していくものだ。テクノロジーの発達と法律による規制はいたちごっこの関係であり、テクノロジーの暴走に歯止めをかけることができるのは倫理感のみだといっても過言ではない。その倫理感を支えているのはジャーナリズム活動による牽制だという認識である。

国際メディアは米英が支配する世界だが、そちらをポジとすれば、おなじ「情報」の世界といっても諜報の世界はネガである。情報機関とメディアとのせめぎあいと表現することもできる。

いわゆる「タブロイド戦争」の存在する英国の激しいメディア状況と比較すると、米国は政府とのなれ合いが存在するように見えると著者はいうが、マスコミにかんしては、日本の状況はとてもそんなものではないことは現在では多くの人にとっての「常識」であろう。

米英アングロサクソン世界は、国家による「監視社会」化が進行しているが、一方ではジャーナリズムによる牽制も存在する。「スノーデン事件」においては、米英圏においてはジャーナリズムがまだまだ健在であることが実証されたわけでもある。



国家による「監視」と巨大IT企業による「監視」

スノーデン事件は国家による個人の監視であったが、国家に勝るとも劣らぬ活動を行っているのが米国を中心としたIT系の巨大民間企業であることを忘れるべきではない。

ビジネスの世界でいう「ビッグデータ時代」は、膨大な個人情報を統計解析によって分析し、ビジネスに有用な情報を探索する技術を背景に成立していることを確認しておく必要があるだろう。ビジネスにおけるデータマイニング技術は、国家による通信監視の情報解析と基本的に同じである。

しかも、国家と巨大民間企業この両者の関係もまた一筋縄でいくものではない。その力関係もいまではかならずしも国家のほうが上というわけでもない。

「監視社会」と「開かれた社会」、そのどちらが望ましいか言うまでもない。だが、家族の安全や国防上の安全という「監視社会」のメリット面にかんする議論になったとき、議論のシロクロを明確に言い切れる人はそう多くあるまい。メリットとデメリットは、ある種のトレードオフの関係にある。

ぞれはプライバシーという私権をどこまで制約できるかという問題である。

そう簡単に答えのでる問題ではないが、はっきりしているのはテクノロジーの進歩が止まることはないということだ。あとはテクノロジーが先行して切り開いていく世界に、生身の人間であるわれわれ自身がどこまで適応(?)できるかという点にあるだけかもしれない。

こんな言い方をすると、身も蓋もない話になってしまうかもしれないが・・・



PS. この書評は、R+(レビュープラス)さまより献本をいただいて執筆したものです。


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目 次 

推薦のことば
序文
プロローグ  ランデブー
第1章 The True HOOHA(ザ・トゥルー・フーハ)
第2章 市民的不服従
第3章 情報提供者
第4章 パズル・パレス
第5章 男との対面
第6章 スクープ!
第7章 世界一のお尋ね者
第8章 際限なき情報収集
第9章 もう十分楽しんだだろう
第10章 邪悪たるべからず
第11章 脱出
第12章 デア・シットストーム
第13章 「押し入れ」からの報道
第14章 おかど違いのバッシング
エピローグ  故国を追われて
謝辞
訳者あとがき



著者プロフィール

ルーク・ハーディング(Luke Harding)
ジャーナリスト、作家、『ガーディアン』海外特派員。デリー、ベルリン、モスクワに勤務し、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアの紛争も取材。2007年から2011年まで『ガーディアン』モスクワ支局長。冷戦後初となる国外追放処分をロシア政府から受けた。ノンフィクションの著書が3冊ある。The Liar: The Fall of Jonathan Aitken(オーウェル賞候補作)とWikiLeaks: Inside Julian Assange's War on Secrecy(邦題『ウィキリークス アサンジの戦争』)は、いずれもデヴィッド・リーとの共著。Mafia State: How One Reporter Became an Enemy of the BrutalNew Russia は2011年に刊行された。著書は13カ国語に翻訳されている。妻のフィービー・タプリン(フリージャーナリスト)、2 人の子どもとハートフォードシャーに住む。

翻訳者プロフィール
  
三木俊哉(みき・としや)
1961年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業。企業勤務をへて、主に産業翻訳に従事。訳書に、『世界はひとつの教室』(ダイヤモンド社)、『ヘッジファンド-投資家たちの野望と興亡』(楽工社)、『完全網羅 起業成功マニュアル』(海と月社)などがある。


<関連サイト>

Five Eyes (wikipedia英語版)
・・いわゆる米英を中心にした「ファイブ・アイズ」について。監視対象となっていた著名人の情報も実名で紹介されている。ジェーン・フォンダやジョン・レノン、ダイアナ妃も監視対象となっていたことがわかる。こういう重要な項目の日本語版がないのは(2014年6月現在)、日本人のアングロサクソン認識の欠落を意味しているといってよい。


「スノーデン暴露本」ストーン監督が映画に 2014年06月04日 12時34分
 【ロンドン=佐藤昌宏】 http://www.yomiuri.co.jp/world/20140604-OYT1T50031.html
・・米映画監督オリバー・ストーン氏が『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』の映画化権を取得。一方、映画会社ソニー・ピクチャーズエンタテインメントもグリーンウォルド氏の『暴露:スノーデンが私に託したファイル』の映画化権を取得した」そうだ。わたしとしてはオリバー・ストーンの作品のほうが面白そうな気もするが・・・

Googlephobia Germany’s opposition to American technology firms is short-sighted and self-defeating (The Economist, Sep 6th 2014)
・・不安心理を背景にしたドイツ人の「グーグル嫌い」(Googlephobia)。英米と欧州大陸国であるドイツやフランスの反応の顕著な違い

海底ケーブルから情報が盗まれる? 国家戦略としての重要性 (ウェッジ、2014年11月6日)
・・海底ケーブルから盗聴されていることは常識。それ以外でもケーブルの結節点に英米があることはブログ記事で触れたとおり

監視社会に向かいつつある世界 治安かプライバシーか、テロへの恐怖で拍車がかかる通信データ保存をめぐる議論(河口マーン恵美、JBPress、2015年2月10日)
・・「ドイツ人はもともと、当局のプライバシーへの介入を極端に嫌う。そのため、国勢調査もできないほどだ。前回2011年の国勢調査は、なんと、西では24年間ぶり、東では30年間ぶり。もちろん、90年に東西が統一してから初の国勢調査だった。 それも、抵抗が大きかったので、無作為に抽出された3分の1の家庭のデータから作られた。そして、ようやく実施してみたら、いつも公表していたよりも、人口が160万も少ないことが判明した。 こういうお国柄だけあって、データの保存など、その言葉を聞いただけで絶対反対となる。法務省もデータ保存には元から反対している。通信の秘密という基本的人権が侵害される危険があるからだ。」

新たな“情報の生命線”始動へ--日米をつなぐ光海底ケーブル「FASTER」が陸揚げ (CNet Japan、2015年6月18日)
・・「日本は、米国との海底ケーブルの敷設に適した位置にあるという。「オレゴン州と日本は最短距離で結べる。およそ9000km~1万kmの間。平面の地図だとわかりにくいかもしれないが、地球は丸い。球状で見ると、アジアから米国へつなぐ場合に日本はいい位置にいる。そのため多くのケーブルが日本を経由して作られている」(梧谷氏) 日本とアジアをつなぐ光海底ケーブル「SJC」 日本とアジアをつなぐ光海底ケーブル「SJC」 日本をハブとして、シンガポールなど東南アジアのデータセンターと米国西海岸のデータセンターとの間を最短ルートで接続する「South-East Asia Japan Cable(SJC)と組み合わせ、米国とアジアを最短ルートで接続していく。 このほかにも新潟県の直江津にも海底中継所があり、日本とロシアを結ぶ光海底ケーブル「RJCN」を経由してロンドンと繋がっているという。」

(2014年9月5日、11月7日、2015年2月11日、6月19日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

諜報(インテリジェンス)と情報(インフォーメーション)

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)-「無極性時代のパワー」であるウィキリークスと創始者アサンジは「時代の申し子」だ
・・SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)を暴露したアサンジよりも、スノーデンのほうるかに破壊力はすさまじく大きい

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい
・・SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)によって米国の情報機関によって居場所を突き止められた苦い経験をもつビンラディンは・・・

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)
・・古典的なHUMINT(ヒューミント:人間を媒介にした諜報活動)の記録として第一級の資料でもある

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった
・・古典的なHUMINT(ヒューミント:人間を媒介にした諜報活動)として、日露戦争では軍事探偵の仕事についていた中村天風


「監視社会」

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで  「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?
・・「監視社会」にナーバスなドイツ社会

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた

エンマ・ラーキンの『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』(Finding George Orwell in Burma)を読む-若き日のオーウェルが1920年代、大英帝国の植民地ビルマに5年間いたことを知ってますか?
・・「オーウェルはビルマについて一冊の小説を書いたが、実は三部作だ。すなわち『ビルマの日々』『動物農場』『1984』だ」、という軍政下ビルマ人のジョーク

書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)
・・アラブ世界におけるインターネット上の情報統制と監視を技術の観点から考える

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ


成文憲法と立憲主義

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!


「市民的不服従」という米国社会の伝統

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる


アメリカの政治思想における「リバタリアン」

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・スノーデンもその「一人であるリバタリアンという政治思想について知る


アングロサクソン世界の情報をめぐるポジとネガ

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある


日本にジャーナリズムは存在するのか?

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

(2014年6月24日、27日、7月13日 情報追加)


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2014年5月3日土曜日

書評『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る



基本的に「憲法改正」の立場から書かれた本である。しかも、「憲法改正の最重要課題は9条2項である」という考えの持ち主であり、基本的にわたしも同じ立場である。

ただし、最新の「自民党憲法草案」(=「第二次」草案)を斬り捨てる姿勢を明確に示している。この点に、わたしは大いに共感を感じるのである。

舛添氏は自民党の参議院議員時代、小泉政権のもとで「新憲法起草委員会」事務局次長として「第一次草案」とりまとめで汗をかいた人である。本書はその「第一次草案」(2005年)の舞台裏をドキュメントとして再現したものだ。政治家としての発言の背後に政治学者としての現状認識が垣間見られるのが興味深い。

強すぎる参議院からの圧力、省庁の縄張り争いと族議員、個人的道徳観や価値観を持ち込もうとする人たち、問題解決を憲法改正で行おうという浅はかな発想、思いつき程度の発言で憲法を論じる代議士たち・・・。

「憲法改正とは「政治」そのものである」という著者の発言にリアリティがある。著者は、憲法改正を実現するためには一定以上の国民の支持が必要だという「現実派」の立場に立つのだが、それは政治の世界に入る前にテレビというマスコミの世界を体験していること、政治の世界でもまれたことも大きく与っているようだ。

(日本国憲法の原本 国立公文書館にて筆者撮影 2014年4月)


「天賦人権説」を否定する「復古主義者」たちとは対極の立ち位置

そもそも舛添氏による本書にはとくに関心はなかったのだが、たまたま書店の店頭で手にとって「はじめに」を読んだことで、よんでみておおいに納得するものがあったのだ。

「はじめに」に著者の憲法観が集約されているが、その最初で「立憲主義」のなんたるかを強調し、「第二次自民党草案」で「天賦人権論」を西欧起源の思想だからという理由で否定した東大法学部卒の自民党議員を徹底批判している。

おそらくK女史もその一人なのであろうが(笑)、「立憲主義」を否定するこの元官僚の女性議員の言動は言語同断であり、舛添氏の発言には大いに意を強くした。思うところはいろいろあるだろうが、個人的怨恨(?)とは関係ないと捉えるべきだろう。

(土佐出身の民権運動家・馬場辰猪による「天賦人権論」 国会図書館蔵)


舛添氏の著書を読むのはほぼ四半世紀ぶりである。フランスに留学して、ミッテラン社会党政権のことを書いた本だったと思うが、新進気鋭の政治学者として颯爽としていた。政治学者を廃業後の舛添氏はもっぱらTVのコメンテーターとしてのみ認識していたが著書を読むことはなかった。

舛添氏に対しては、個人的な好き嫌いの感情、とくに女性の立場からは絶対に許せないという意見も少なくないだろう。だが、そういった個人的感情は「それはそれ、これはこれ」として脇に置き、その主張には虚心坦懐に耳を傾ける意味があるのではないかと思うのである。

わたしは舛添氏は好きでも嫌いでもないし、東京都民ではないが、東京が「一国の首都」である以上、その発言には重みがある。今後も自民党の「復古主義者」には大いに異議申し立ては行っていただきたいものであり、都民だけでなく国民は彼の言動を注視する必要がある。

本書は、都知事選が行われる直前に出版された本だ。都知事選は前知事の猪瀬直樹氏が政治資金問題で辞職をしたあとをうけて急遽行われることになったので、舛添要一氏もまさか都知事になれるとは想定外であっただろう。なりたいという気持ちはあったにせよ、実際になれるかどうかは別である。

だから本書の内容は、都知事になることを前提にしたものではない都知事選に不利になる可能性もありながら躊躇せず出版した点は評価に値する。

自民党を離党した身でありながら、都知事選にあたって自民党の協力をあおいだ舛添氏だが、「価値観多様化という現実」を認めたがらない自民党の「偏狭な復古主義者」たちとは一線を画すことが本書に明言されている。政治家である以前に、自らの信念であることが読み取れるのである。


憲法に価値観や道徳は不要

「家族のことは憲法に書くのではなく、個人の自由にまかせればよい」という舛添氏の発言は、彼自身のライフスタイルを反映したものでもあろう。

だが、一部の「復古主義者」を除けば、おそらく国民の大多数の考えではないだろうか。「基本的人権」はふだんは意識することはなくても、それが侵害されたとき、人ははじめてその意味と価値について目覚めるものだ。

国家からいかに基本的人権を守るかが「立憲主義」である。憲法とは、国民が権力が恣意的になるのを抑制するために制定するものだというのが「立憲主義」である。

国権と民権はバランスが必要だが、民権のほうがはるかに重要である。「人権」は「自然権」であり、たとえその起源が近代西欧であるにしても、すでに人類の普遍的な価値として世界中で共有されているものだ。

「憲法改正」といってもなにをどう改正するのかという点では幅は広い。ただし改正案がいかあなるものであれ、「立憲主義」に立脚したものでなければならないのである。

主権者はあくまでも国民であり、国民主権(=主権在民)の立場は絶対に譲ることはあってはならない。





目 次

はじめに
第1章 参議院への配慮と自民党内の政治力学
 1. 1982年の自民党憲法調査会報告
 2. 2003~2004年の憲法改正プロジェクトチーム
 3. 2004年の憲法改正案起草委員会
 4. 2005年の新憲法起草委員会発足
第2章 どうすれば国民に支持されるかを考える
 1. 前文:歴史観や思想を書き込むのか
 2. 天皇:「お考え」を忖度しながら議論すべき
 3. 安全保障及び非常事態:世界が注目する9条改正
 4. 国民の権利及び義務:「立憲主義」を知らない議員たち
 5. 統治機構:二院制を維持するか一院制にするか
 6. 財政、地方自治、改正:既得権益を巡る省庁・族議員の熾烈な争い
第3章 政治の荒波に翻弄された条文化作業
 1. 独りよがりの案を作っても相手にされない
 2. 憲法改正より政局を優先させた人たち
 3. そして大勲位の私案は却下された
おわりに
現行日本国憲法および自民党「第1次」「第2次」草案対照

著者プロフィール

舛添要一(ますぞえ・よういち)
第19代東京都知事 1948年福岡県北九州市生まれ。1971年東京大学法学部政治学科卒業。東京大学法学部助手、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、ジュネーブ高等国際政治研究所客員研究員、東京大学教養学部政治学助教授などを経て、1989年舛添政治経済研究所を設立。2001年参議院議員(自民党)に初当選し、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)等を歴任。年金問題、薬害C型肝炎問題などの解決に奔走する。2010年~2013年新党改革代表を務める。2014年2月、東京都知事選で211万票を獲得し、都知事に就任。 著書に『憲法改正のオモテとウラ』『日本政府のメルトダウン』『よくわかる政治』(以上、講談社)、『孫文』(角川書店)、『厚生労働省戦記』(中央公論新社)、『舛添メモ』(小学館)など多数。



PS 舛添都知事がついに辞職(2016年6月15日)
 
「週刊文春」でとりあげられた政治資金問題で火がついた舛添都知事。都議会での不誠実な答弁を繰り返した末、全党一致の不信任案を提出される前に、ついにみずから辞職願を提出し受理された。2016年6月15日のことだ。2ヶ月にわたる騒動がついに収束した。

まことにもってお粗末な話である。政治資金を個人流用した件について、たとえそれが法律違反ではないとしても有権者(=納税者)の神経を逆なでするものであることが、最後の最後まで理解できなかったのだろう。法律エリート特有の現実感覚のなさを露呈したというべきか。

憲法観については賛同できる主張をしているのに、政治観としてはまことにもってお粗末な存在であったというべきことだ。もし都知事に選出されなかったら、憲法問題で名をあげることも不可能ではなかったのに・・・。

だが、それもまた身から出た錆。まっとうな主張であっても、それを主張する人物がまっとうでなかれば、説得力はない。

舛添氏は、政治家を引退し、まっとうな憲法論で身を立て直すべきである。それが、最後のご奉公であるというべきだろう。

(2016年6月15日 記す)



<関連サイト>

《発言全文》 安保法案「違憲」とバッサリ、与党推薦の長谷部教授が語った「立憲主義」 (弁護士ドットコム、2015年6月5日)
・・「国会で「安保法制」の審議が行われている最中の6月4日に開かれた衆議院の「憲法審査会」で、自民党、公明党が推薦した憲法学者の長谷部恭男・早稲田大大学院法務研究科教授が、与党の安保法制に「違憲」の評価を突きつける、異例の事態が起きた」(記事冒頭の一文)

(2015年6月6日 項目新設)


日本国憲法(日本語全文) (法務省)

THE CONSTITUTION OF JAPAN (首相官邸)



<ブログ内関連記事>

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!
・・「赤ペン先生」による「自民党草案」(第二次草案)の徹底添削!

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・主権在民の民権運動の歴史は明治時代以降の日本人の歴史でもある

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・価値観多様化は「是々非々」の政治的選択を生む


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2014年2月11日火曜日

書評『エジプト革命 ― 軍とムスリム同胞団、そして若者たち』(鈴木恵美、中公新書、2013)― 「革命」から3年、その意味を内在的に理解するために



「エジプト革命」とは、2011年1月25日に始まり、18日後の2月11日に大統領職の「世襲」をはかったムバーラク政権の崩壊で終わった「民主化革命」のことである。1952年の無血クーデターによる王政廃止と区別するために「1月25日革命」と呼ばれる。

隣国のチュニジアで始まった「ジャスミン革命」は、エジプトを経てアラブ圏全体に拡大していくなかで "Arab Spring" と呼ばれるようになった。日本ではこの英語を直訳して「アラブの春」といわれたが、3年たったいま、さすがにその表現をつかう者はいなくなったようだ。

それは、個別の国ごとにその推移を詳細に見なければ、「革命」の本質となぜそれが当初期待されたような形で成就しなかったのかが理解できないからだ。エジプトとチュニジアはもとより、リビアとシリアではまたまったく異なる推移をたどったことは、報道をつうじて見てきたとおりだ。それぞれ歴史も異なれば、社会構造も異なるのである。

『エジプト革命 ― 軍とムスリム同胞団、そして若者たち』(鈴木恵美、中公新書、2013)は、2011年の「1月25日エジプト革命」とその後の2年半の推移を、「軍とムスリム同胞団、そして若者たち」のあいだでの「権力闘争」と捉えて読み説いたものである。「エジプト革命」は、民衆革命という本質とクーデターという二重の性格をもつものである。

国民国家エジプト社会に深く根差した国軍、今回の「革命」の引き金を引き一気に表舞台に浮上したが、その後阻害されていく若者たち、そして漁夫の利を得て革命を乗っ取ろうとした「ムスリム同胞団」を中心とした「宗教勢力」。それぞれの政治的アクターが死守しようとしたこと、実現しようとしたことが何かぞれぞれのボタンの掛け違いが、いかに「革命」後の「迷走」を生んだかが手に取るように理解できる。

じつに面白い本だ。「エジプト革命」の推移を詳細に時系列で追っていくことによって、「革命」のなかに織り込まれたエジプト現代史も、「革命」を生みだしたエジプト社会も理解できる仕組みになっている。しかも、エジプト社会を内在的に理解しようとした著者の姿勢が、本書の記述を厚みのあるものにしている。

チュニジアで始まり、フェイスブックなどのSNSをつうじて都市中間層の若者たちに「伝染」したという外発的な経緯もありながら、「革命」そのものが独立後のエジプト社会に根差した内発的なものであったことがよくわかる。それほど社会の各層において、経済的にも政治的にも不満が高まっていたということであり、街頭デモを行って異議申し立てを行うという「伝統」が、大英帝国による植民地支配に苦しんだ誇り高きエジプト人にあるということを意味している。

「エジプト革命」のキーワードは「自由と公正」だと著者は指摘している。フランス革命が「自由と平等」を標榜したのに対し、「自由」は共通していても「公正」の実現を主軸に置いているのはムスリムが人口の9割を占めるエジプト社会らしい。政党自由化によってムスリム同胞団が名乗ったのが「自由公正党」というのは、そういった文脈でとらえることが必要だ。

そして、エジプトを考えるうえでなによりも重要なのは国軍の存在だ。この点が強調されている点が本書の重要なポイントであろう。

国家の一体性を守護する存在としてのエジプト国軍は、徴兵制や経済活動をつうじて国民のあいだに深く根ざしていながら、いかなる政治勢力からも独立した存在であり、しかも軍人には投票権がない(!)という事実を本書で知ることができる。歴代の大統領が国軍出身者であっても、国軍じたいは独裁者の私兵であったことがないという事実は、その他の発展途上国と比較するとエジプトの際立った特徴であることがわかる。

国軍に寄せる国民の信頼が高いことを、著者は「伝統化しつつある、軍部への「委託」」と表現している。若者たちが中心になって行った反ムルシー大統領デモの後押しを受け、二度目の「実質的なクーデター」で国軍が中心の座に戻った。これにより、迷走をつづけていたエジプト社会が結果としてようやく安定軌道に戻ることになる。選挙によって政権第一党となったとはいえ、ムスリム同胞団の動きに不安と反発を感じる国民が多かったのだ。

「エジプト革命」で浮上したのが「2つのナショナリズム」というのも興味深い。「エジプト・ナショナリズム」と「アラブ・ナショナリズム」の2つである。前者においては国民国家としての一体意識、後者においてはアラブの盟主としてのエジプトという意識である。これらがともに健全なナショナリズムである限り、エジプトの将来に期待がもてると考えてよいのではないだろうか。

ムスリムが総人口の9割を占めるエジプトであっても、ムスリム同胞団がその中心であるイスラーム主義という「超国家」的な理念よりも、国民の多くが「国家」としての政治経済安定を重視していることがわかるからだ。日本を含めた西側メディアの偏向には注意しなくてはならない。

「エジプト型民主主義」とは何かという問いが著者によってなされている。「民意」をどうくみ取るかという本質的な問いである。選挙における投票によって決定するという多数決原理を中核においた西欧モデルの「民主主義」では一律に論じることのできない発展途上国。「民主主義」をめぐるエジプトの状況は、似たような状況にあるタイ情勢を考えるうえでも示唆的である。

ただし、総人口に若年人口が占める割合が高いエジプトは、すでに少子高齢化にあるアジアの大半とは異なることは念頭に置いておく必要はある。革命の昂揚感を味わった若者が今後どういう動きをするか、考慮に入れて置かばならない。

このほか本書には、訴訟社会エジプトにおける司法のプレゼンス、ムスリム同胞団よりも厳格なサラフィー主義者の存在、エジプト社会ではマイノリティのコプト派キリスト教徒、経済面だけではなく識字率においても存在する都市と農村の格差など、エジプト社会を理解するためのテーマが散りばめられており、多面的な現代エジプトの諸相を全体的に理解することを可能にしている。

「エジプト革命」の具体的な記述ををつうじて「民主主義」とはなにか、「民意」とはなにか、そして民意をくみ上げる方法論について考えてみることは、「民主主義」が揺らいでいる日本の国民にとっても大いに意味あることだろう。


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目 次

はじめに-歴史的画期となった二年半
第1章 革命のうねり
 Ⅰ 政権崩壊までの18日間
 Ⅱ 革命の二つの顔
第2章 将校たちの共和国
 Ⅰ エジプトの真の支配者
 Ⅱ 軍事共和国の成立
 Ⅲ サダトによる脱ナセル化政策
 Ⅳ 体制転換を試みたムバーラク
 Ⅴ ムバーラクから離れた軍最高評議会
第3章 自由の謳歌
 Ⅰ 取り戻した大国としての自信
 Ⅱ 筋書きのない民主化プロセス
第4章 ポスト・ムバーラク体制の土台作り
 Ⅰ 新体制への地ならし
 Ⅱ 新たな政治アクター
第5章 未来を模索する青年勢力
 Ⅰ 熱情のままに
 Ⅱ 譲歩した軍部
 Ⅲ 難航した政党結成
 Ⅳ 街頭の政治へ
 Ⅴ 青年運動の液状化
第6章 軍とムスリム同胞団
 Ⅰ 政治の表舞台へ
 Ⅱ 直接対決
第7章 ムスリム同胞団の夢と現実
 Ⅰ 権力掌握の試み
 Ⅱ ムルシー政権の始動
 Ⅲ 二極化する社会
第8章 民主化の挫折
 Ⅰ 第二革命か、それともクーデターか
 Ⅱ 血に染まった広場
 Ⅲ エジプト型民主主義とは 
おわりに
年表
参考文献


著者プロフィール

鈴木恵美(すずき・えみ)
1971年、静岡県生まれ。1996年東京外国語大学アラビア語学科卒業。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員、中東調査会研究員、早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員などを経て、現在、中東調査会客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

「2-11」関連-「アラブの春」とアラブ世界激動

本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける

書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)-インターネットの「情報統制」のメカニズムからみた中東アラブ諸国の政治学
・・チュニジアもエジプトも「情報統制国家」である

『動員の革命』(津田大介)と 『中東民衆の真実』(田原 牧)で、SNS とリアル世界の「つながり」を考える

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

書評 『イラク建国-「不可能な国家」の原点-』(阿部重夫、中公新書、2004)-「人工国家」イラクもまた大英帝国の「負の遺産」

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・イスラーム勃興前から存在するアラブ人キリスト教徒について知る

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・『現代アラブの社会思想-終末論とイスラーム主義-』(池内 恵、講談社現代新書、2002)を取り上げている。アラブ語世界の出版大国エジプトで流通する「終末論的反ユダヤ主義文書」の多さ


中東における「若年人口過剰問題」

書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)
・・過剰人口、とくに若年層の失業問題をかかえる現在の中近東諸国は、大英帝国とおなじ問題をかかえているのだが、はたして解決策は・・・?

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
・・「しかるべきポジションをゲットできず居場所がない野心的な若者たち。過剰にあふれかえる彼らこそ、暴力やテロを生み出し、社会問題の根源となっている。・・(中略)・・イデオロギーや主義も、しょせん跡付けの理由に過ぎない」


近代とナショナリズム

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命の意味。近代とナショナリズム

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・フランスに始まり、大陸欧州のドイツ語圏で吹き荒れた「1848年革命」。失敗に終わった民衆革命の本資から考えるべきものとは

(2014年6月10日、2016年7月21日 情報追加)


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