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2015年1月4日日曜日

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?

(筆者が大学時代に使用したフランス語初級会話テキストより)


ことし2015年は干支でいえば未年(=羊年:The Year of the Sheep)。ヒツジにかんする話題でまずは一つ書いてみたいと思う。ヒツジの存在の意味はきわめて大きいのににかかわらず、日本ではあまり考慮が払われていないようだからだ。

ヒツジは、もともと中国大陸から朝鮮半島を経て古代の日本列島に導入されたらいが、家畜として定着することはなかったようだ。中国文明の中核である漢字を大規模に導入し、羊をそのなかに含む漢字を日常的に多く使用している割には、ヒツジについてのイメージは直接的なものではなく、あくまでも観念的なものにとどまっている。

十二支のなかでは、日本では野生に存在する猿や猪、農耕に使用されてきた家畜の馬や牛とくらべて馴染みは薄い。想像上の動物である龍とくらべてすら、羊は馴染みが薄い。羊年になったのにかかわらず、ヒツジ関連の話題が少ないのは致し方あるまい。

ヒツジは明治時代になってから、あらためて西欧から導入された。そのため、日本ではヒツジは「近代化=西欧化」と密接な関連をもっている家畜なのである。まずは羊毛生産と皮革生産のために飼育が始まったのであり、マトンやラム肉として意識されるようになってから、そう年月がたっているわけでもない。

このような経緯があるので、羊関連の漢字や熟語などを使用していながら、ヒツジというとどうしても西欧的なイメージをもちがちなのである。日本国内の飼育地はアメリカの影響の強い北海道が中心であり、もともと英国の植民地であったオーストラリアやニュージーランドである。したがって、どうしてもアングロサクソン圏の連想が強い。

日本では「ヒツジの歌」というと、「メリーさんの羊」という子ども向けの童謡が有名だが、これはアメリカのものである。参考のために英語の歌詞の冒頭を掲載しておこう。

Mary had a little lamb
Little lamb, little lamb,
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow.

英語の原詩の最後にでてくる雪のように白い fleece とは羊毛のこと。ユニクロの「フリース」で日本語でもすっかり日常的になった。


■フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」

日本ではあまり知られていないが、フランスには「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」という童謡がある。

Il pleut, Il pleut, bergère (イル プル、イル プル、ベルジェール)で始まる歌詞がそのままタイトルになっている歌だが、タイトルを仮に直訳しておけば、「雨が降ってるよ、雨が降ってるよ、羊飼いさん」となる。ここにでてくる羊飼い(ベルジェール)は女性である。

この童謡は、わたしが大学一年でフランス語会話の授業を選択したときに知ったもの。先年お亡くなりになった精神科医のなだ いなだ氏の奥様のマダム・ラガッシュに教わったのだが、ルネ・ラガッシュ先生が作成したテキスト『すなおなフランス語』(第三書房、1978)に掲載されていた(・・下記の黄色い本)。

(筆者が習ったフランス語会話のテキスト『見て、聴いて、しゃべる』)

記憶がはっきりしないが、わたしがいまでも保存しているテキストには、童謡の歌詞に線引きがないので、おそらく授業では取り上げられなかったのだろう。だが、フランス語の音声に慣れるために購入したカセットテープで何度も繰り返し聞いているうちに、冒頭の一節はすっかり覚えてしまった。



参考のためにフランス語の歌詞の一部を掲載しておこう。歌詞は wikisource に収録されている。 

Il pleut, il pleut, bergère,
Presse tes blancs moutons ;
Allons sous ma chaumière,
Bergère, vite, allons :
J’entends sur le feuillage,
L’eau qui tombe à grand bruit ;
Voici, venir l’orage ;
Voilà l’éclair qui luit.

仮に日本語訳をつけておけば、こんな感じだろうか。

雨が降ってるよ、雨が降ってるよ、女の羊飼いさん
白いヒツジたちを急かしなさい
藁葺きのおうちに入りなさい
羊飼いさん、急ぎなさい
木の枝のうえで聴こえているよ
すごい音して雨粒が落ちてる
雷雨だね。ほら、稲妻がピカリと光る

この歌は、、wikipedia の記述によれば 1780年に書かれたもので、歌詞にでてくる女羊飼いはマリー・アントワネットのことを指しており、雷雨や稲妻は近づきつつあったフランス革命を暗示しているのだという。フランス革命は、1789年のバスチーユ襲撃から始まった。

なるほど、このような含意があるとは! このことは、いまのいままで知らなかったが、童話や童謡というものは、意外と怖い背景をもっているものだ。そういえば、『ほんとは怖いグリム童話』という本もあったな、と。

ちなみに、フランス語でヒツジはムートン(mouton)という。日本でも羊毛のついた羊皮のカーペットがムートンとして導入された。ムートンは英語に入って羊肉を意味するマトン(mutton)となっている。

英語では生きている羊はシープ(sheep)であり、羊飼いはシェパード(shep-herd)と関連が明確だが、フランス語では羊(ムートン:mouton)と羊飼い(ベルジェ(男):berger、ベルジェール(女):bergère)との関係は明確ではない。

話がちょっと語学方面にそれたが、ヒツジを中心とした牧畜は、アングロサクソン圏以外の欧州でも当然のことながら盛んに行われてきたことは言うまでもない。

フランスにはこんな童謡があることを知っておいて損はないだろう。






<関連サイト>

Il pleut, il pleut, bergère (YouTube)
・・フランス語の歌詞つき


PS Il pleut, il pleut, bergère の YouTube 動画を挿入した。これでどんな曲かわかることだろう。(2023年8月16日 記す)


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2014年12月14日日曜日

書評『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(島田昌和、岩波新書、2011)― 事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く



『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(島田昌和、岩波新書、2011)は、「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一を「社会企業家の先駆者」として描いた、一般向けだが中身の濃い一冊である。これ一冊で渋沢栄一の全体像を掴める、無駄のないコンパクトな構成である。

よりよい社会を構築するために、民間ビジネス分野の事業プロデューサー的役割を果たした渋沢栄一。日本社会を近代化し高度化するための基盤構築のために組んだ膨大な営利企業の事業創造、そして資本主義の矛盾を解消するための社会事業創出の取り組み。この両者があってこそ、「日本資本主義の父」という呼称がふさわしいことが実感される。

本書には、渋沢栄一が「官尊民卑」打破というスローガンと、「民」主導の社会理想実現にあたっての困難を乗り越えるうえでのブレない理念、そしてその限界と挫折を乗り越えての現実的な対応の92歳の生涯が描かれている。

古いしきたりと序列を打破してきた新興豪農の家に生まれた若き日の原点から説き起こしているだけでなく、ビジネス界に入ってからの渋沢栄一を詳細に跡づけたことが本書の最大の特徴となっている。この点を押さえておかないと、社会企業家の意味が正確に把握できないからだ。

渋沢栄一にはもちろん限界もあった。理想が完全に実現できたわけではない。現代からみた評価も大事だが、時代のコンテクストのなかで捉えることが重要だ。そのときどきの状況で、いかなる現実的な問題解決を行ってきたか。それが現実主義に立脚した実務家のスタイルであり、その実践に渋沢栄一の思想を見ることも可能なのである。

実践家の思想は、渋沢栄一の場合でいえば、『論語と算盤』などの言行録だけで判断するのは不十分なのである。事にあたっていかなる判断をし、問題解決の意志決定を行ったか。そこに思想がおのずから表現されているのである。、


■渋沢栄一の事業創造とマネジメント・スタイル

本書によれば、渋沢栄一が取り組んだ営利事業は以下の二つがもっとも多い。後者のインフラ関係の事業は、民間企業によるものだが公益性が高い。

1. それまでの日本には存在しなかったまったく新しい西欧の知識や技術を導入した事業
2. 近代ビジネスに不可欠な社会基盤構築にかかわる事業

また、営利事業に取り組む際の原則は以下のようなものであった。

1. 基本的に一業種一社
2. 同一業種でも複数の役職につく場合は地域的に重複しないことを基本原則

「一業種一社」の原則は、大手広告代理店や大手コンサルティング会社のクライアント契約方針を想起させるものがある。あるいは、ロサンゼルス・オリンピックを商業的に成功させたピーター・ユベロスのスポンサー設定手法もそうだ。さすが近代ビジネスのプロデューサー渋沢栄一が敷いたレールが、いかに時代に先んじていたかがわかる。

渋沢栄一は第一国立銀行を司令塔にして事業創造を行ったわけだが、基本的にみずからが発起人となって株主を募集して会社を設立し、みずからも出資したうえで事業が軌道に乗れば株式の一部を売却し、そのキャピタルゲインをつぎの事業に投入するという形で、連続的に事業創造を行っていたようだ。現在風にいえばシリアル・アントレプナーのようなものか。

株主として経営参加がその基本形態であった。株式をつうじて小口の資金を集めて大規模な資本金とするモデルがいわゆる「合本主義」であったが、この理想を貫くためには、株主間の複雑な利害対立を調整し、合意形成を図る必要がある。

現在とは異なり、株主資本主義の原則が貫かれていた明治時代においては株主総会がそのメインイベントであったわけだが、それ以外のさまざまな機会をつうじて、渋沢栄一は調停役を演じていた。直接人と会って話をするというスタイルでそれを行っていたようだ。

数字をみるだけでなく、直接人にあって報告を受け、相談に応じて指示を出すというスタイルで複数の上場企業を同時並行に経営するためには、分刻みのスケジュールが必要となる。このため第一国立銀行と事務所があった兜町を中心に動ける範囲に事業を集中させていただけでなく、最新の交通手段を駆使し、最新の情報通信手段をフルに活用していたようだ。現代のエクゼクティブ以上の激務を効率的にこなし、かつ社会全体のこともつねに考えていたのである。

渋沢栄一のマネジメント・スタイルとして人の面についてみると、非財閥系の会社モデルを志向していたため、いわゆる腹心の部下(=ナンバー2)をつくらずに、出資パートナーや事業パートナーと組む形でトップマネジメントは押さえ、ミドルマネジメント層は、みずからも設立に関与していた商業学校を人材供給源にし、専門能力をもった人材を適材適所に配置するというスタイルをとっていた。

詳しい内容はぜひ直接本文を読んで確認していただきたい。複数の事業経営を効率的に遂行するための渋沢栄一メソッドが読み取れるはずだ。


■社会事業への取り組み

渋沢栄一は、上記のようなスタイルで膨大なビジネスを生み出していったわけだが、この事業創造とマネジメント・スタイルは、教育やその他の社会事業においても、そのままヨコ展開していたことに注目する必要がある。

社会事業や公共事業も、あくまでも民間ビジネスと同様に、経済的に自立していないと事業としての持続性がない。渋沢栄一は、そのための仕組みの構築に注力していたのである。「社会企業家」の先駆者とはそういう意味だ。

資本主義の矛盾解消のための労使協調、ビジネスの倫理性を強調する取り組み、ビジネス支援のための金融経済政策提言などなど。本書では日米関係悪化阻止の取り組みについては扱われていないが(・・『渋沢栄一 日本を創った実業人』や『渋沢栄一 上下』を参照)、あくまでも実業家としての立ち位置を守りながら、「民」主導のよりよい社会構築に尽力した姿勢に学ぶべきものは多い。

本書のテーマが「社会企業家(ソーシャル・アントレプルナー)の先駆者」としての渋沢栄一にある以上、経済や経営にかんする知識がある程度まで求められるが、それさえクリアできれば新書本だが充実した読後感をもつことができるだろう。

渋沢栄一を専門に研究してきた経営史の研究者の手になるだけに、実証を踏まえた堅実で手堅い内容で、教えられることも多い。歴史に学ぶビジネス倫理のケースとして、ぜひ読むことを薦めたい一冊である。


 (画像をクリック!)

目 次

はじめに
第1章 農民の子から幕臣へ-才覚を活かせる場を求めて 
 1. 養蚕・製藍農家の長男として 
 2. 一橋家の家臣になる 
 3. パリ万国博覧会への参加 
 4. 静岡藩・新政府へ出仕 
 5. どのようにキャリアを形成したか
第2章 明治実業界のリーダー-開かれた経済の仕組みづくり 
 1. 第一国立銀行を創設 
 2. 近代産業創出のシステムづくり 
 3. 関わったビジネスの全体像 
 4. 多くの会社設立への尽力 
 5. 株主総会で力を発揮 
 6. 資金面からみた経営術
第3章 渋沢栄一をめぐる人的ネットワーク  
 1. コンパクトなビジネス空間の創出
 2. 多様な人材による経営サポート 
 3. 会社運営チームの派遣 
 4. 竜門社による次世代経営者の育成 
 5. 地縁・血縁者たち 
 6. 新しい渋沢家の創出
第4章 「民」のための政治をめざして-自立のための政策を提言  
 1. 日清戦後の経済政策と経済動向 
 2. 清国賠償金問題 
 3. 金本位制問題をめぐって 
 4. 外資導入問題の是非 
 5. 鉄道国有化問題での葛藤 
 6. 鉄道抵当法問題への積極的な関わり 
 7. 保護主義の是認へ 
 8. 強い「民」への期待と挫折
第5章 社会・公共事業を通じた国づくり    
 1. 実業教育への強い関心 
 2. 私立商業学校の支援 
 3. 社会事業への献身 
 4. 思想統合の試みと挫折 
 5. 協調会と修養団 
 6. 新たな労使関係の模索
おわりにかえて-渋沢の構想した近代社会
あとがき
年譜
参考文献
索引



著者プロフィール
島田昌和(しまだ・まさかず)
1961年東京都生まれ。1993年明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期中退。現在、文京学院大学経営学部教授。専攻、経営史、経営学 博士(経営学)。
著書は、『日本経営史3「大企業時代の到来」』(共著、岩波書店、1995)、『ケースブック 日本企業の経営行動4「企業家の群像と時代の息吹き」』(共著、有斐閣、1998)、『日本の企業間競争』(共著、有斐閣、2000)、『失敗と再生の経営史』(共著、有斐閣、2005)、『岩波講座「帝国」日本の学知 第2巻「「帝国」の経営学」』(共著、岩波書店、2006)、『渋沢栄一の企業者活動の研究』(日本経済評論社、2007)、『進化の経営史』(編著、有斐閣、2008)ほか。(出版社サイトより) 
  

<ブログ内関連記事>


■渋沢栄一関連

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた

『雨夜譚(あまよがたり)-渋沢栄一自伝-』(長幸男校注、岩波文庫、1984)を購入してから30年目に読んでみた-"日本資本主義の父" ・渋沢栄一は現実主義者でありながら本質的に「革命家」であった

『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く


■財政史の観点から日本近現代史を考える

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・「第二部 軍部が理解しなかった金本位制」の「第1章 江戸の通貨制度」「第2章 江戸の金銀複本位制から明治の金本位制へ」は渋沢栄一も関与した大蔵省初期の近代化の意味を知る参考になる

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3)


■社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・シャーシャルビジネスの事例

書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)
・・"Patient Capital" というソーシャルファンドについて

(2014年12月20日、23日 情報追加)


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2014年10月8日水曜日

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!



梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)がついに文庫化された。中央公論社から刊行されている自選の『著作集』に収録されているとはいえ、単著として手軽な形で読めようになったことは、じつに喜ばしいことだ。

わたしはこの「幻の名著」をオリジナルの単行本を古本で入手したが、なぜいままで文庫版を含めた別バージョンで出版されないのか不思議でならなかった。その意味でも講談社学術文庫から文庫化されたのはありがたいことだ。ウメサオタダオの本は、『狩猟と遊牧の世界-自然社会の進化-』と『生態学入門』(共編著)が講談社学術文庫が発足した 1976年 に出版されているが、それ以来ということになる。

『日本探検』というネーミングは1960年前後では、ひじょうに新鮮かつ斬新なものであったようだ。そもそも「探検」とは、未知なる世界で行うものであって、既知であるはずの世界を「探検」するとはどういうことか、と。

たしかに、未踏の地(terra incognita)が消滅し、未踏峰の高山も、未開の森林もなくなりつつあったのが1960年代であったが、完全になくなってしまう前に、既知であるはずの世界をあえて「探検」するという姿勢で取り組んだ先駆的な意味は大きい。


(1960年刊のオリジナル単行本 マイ・コレクションより)


『日本探検』がいかなる意味で「幻の名著」であるかについては、講談社BOOK倶楽部のウェブサイトに掲載されている踏み切った「紹介文」を読んでいただくのがよいだろう。学術文庫編集部の思いが伝わってくるはずだ。

知の巨人は「日本」をどう見たか。『文明の生態史観』 と 『知的の生産技術』の間に書かれた梅棹学のターニングポイント、文庫化!

梅棹忠夫こそは、戦後日本に屹立する知の巨人です。若き日に『モゴール族探検記』『文明の生態史観』『知的生産の技術』をひもといた人は多いのではないでしょうか。しかし、ここにもう一冊、あまり知られていないスゴイ本があります。それが本書『日本探検』です。

1955年のカラコルム・ヒンズークシ学術探検、1957年の第一次東南アジア探検から1961年の第二次東南アジア探検までの数年間、梅棹には一見「小休止」ともみえる時期があります。しかし、そんなことはありません。この期間にも彼の知的関心はやむことなく、その視線は「日本」に向いていました。それまでの探検で培った比較文明的、巨視的手法でみずからの生まれた社会を対象化したのです。

1959年に『中央公論』誌上ではじまった連載は7回にわたり、そのうちの4回分が翌年に単行本となりました(著作集では第5回の「事務革命」を除くものが収録され、新たに著者自身による解説的な新稿が付されています。今回の文庫はそれに基づきます)。このあと梅棹は国立民族学博物館の設立という大事業に乗り出していくわけですが、「日本探検」は梅棹学が生態学から文明学、情報学へとフィールドを拡げていくうえでの転換点であったと位置づけられます。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「「日本探検」は梅棹学が生態学から文明学、情報学へとフィールドを拡げていくうえでの転換点であったと位置づけられます」、とある。この点については、『日本探検』を直接読んで実感していただきたいと思う。


(京都大学人文研をリードした桑原武夫の推薦文 単行本カバー袖より)



■「なんにもしらないことはよいことだ」(ウメサオタダオ)

『日本探検』の冒頭に収録された「福山誠之館」は、以下の文章が導入となっている。まずは文庫版からではなく、1960年出版の単行本から引用を行っておこう。この段階ではまだ漢字の使用が多い。

何にもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の眼でみて、その経験から、自由に考えを発展させることができるからだ。知識は、あるきながら得られる。歩きながら本を読み、読みながら考え、考えながら歩く。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしは考えている。わたしはいままで、日本の外を歩く機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕方をしてきた。

まさに名言である。これこそフィールドワークを学問の中心においたウメサオタダオの方法論である。知らないからこそ、知りたいのである。知りたいというのは人間の本能である。子どものような好奇心をもって観察する。これが学問の原点なのである。

19世紀アメリカの生物学者ルイ・アガシーの Study nature, not books ! に匹敵する名言だとわたしは考えている。まずは知的好奇心となる対象が自分のなかで生まれ、それを観察し、考察を深めるために本を読むのである。本の知識で語るのは本末転倒なのである。まずは一次情報を最重要に位置づけなくてはならないのだ。

つぎに文庫版から同じ箇所の引用を行っておこう。文庫版は、1990年の『梅棹忠夫著作集 第7巻』を底本としている。30年後のバージョンでは、さらに漢字が減っていることに気がつくはずだ。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。わたしはいままで、日本のそとをあるく機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕かたをしてきた。

小学生でも読める文章になっていると思うが、漢字を極限まで減らしたこの文章は、みずからもその一役を担った事務合理化の流れのなかで登場したワープロの発明が、日本語文章に不要な漢字を増やしてしまったことへのアンチテーゼではないだろうか。日本語論については別にブログ記事として書いているので、そちらを参照していただきたいが、1990年段階のつぎは、ローマ字化を想定していたと考えられる。


(企画展「ウメサオタダオ展にて筆者撮影)


企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)では、会場にこの名言が展示されていたのは当然といえば当然だろう。

この方法論は、「1957年の第一次東南アジア探検から1961年の第二次東南アジア探検までの数年間」に行われた 『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) では、「移動図書館」として実践されている。現在なら、気になったらすぐにスマホで検索し、さらに詳しく知るために本を読むという方法論になるだろう。問題意識の深め方として、これほどすぐれた方法論はない。

梅棹忠夫自身は、文庫版に収録されている「『日本探検』始末記」で、「主著となっていたはずの本」だと、振り返っている。

出版当時は、書評では好意的に取り上げられたのにかかわらず重版がかからなかったままだったらしい。現在でも「良書」にはよくありがちなことだが、1960年当時もそうであったわけだ。

文庫化されることなく、単行本未収録の4本を「続編」として出版する計画も、Tradition & Modernity in Japanese Civilization というタイトルでオックスフォード大学出版局から英訳版を出す計画も頓挫(とんざ)している。そのための定本となる日本語合本版もも実現することなく終わったという。

もしこの『増補改訂 日本探検』と英訳版が出版されていたら、この『日本探検』の仕事は、わたしの著作のなかでも主著のひとつとなったであろう。(『日本探検記』始末記 より)

梅棹忠夫には、実現しなかった「未刊行」の企画が多いことに気がつかされる。みずからの遅筆のせいだとしているが、まことにもって残念なことである。

たとえば、 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) がその最たるものだが、企画をつめてメモもつくりながら結局は書けずじまいになってしまった。この本は、 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012) として没後に編集されて刊行されている。

本書に関連した主題で、1962年に創刊された中公新書から『日本群島』というタイトルで出版される予定があったが、これも企画倒れに終わっていると本人が述懐している。じつに残念なことだ。

ちなみに中公新書の創刊時に出版されてベストセラーとなり現在でも読み継がれているロングセラーとなったのが、おなじく京都学派の歴史学者・会田雄次の『アーロン収容所』である。


■『日本探検』はフィールドワークによる「日本文明論」構築の軌跡

『日本探検』と銘打って「中央公論」で連載されたタイトルは以下の7つである。

① 「福山-殿様と学校」
② 「綾部・亀岡-大本教と世界連邦」
③ 「北海道独立論-根釧原野」
④ 「高崎山」
⑤ 「事務革命」
⑥ 「名神道路」
⑦ 「出雲大社」

なんだかバラバラなテーマがならんでいるようにみえるが、これは著者自身の知的好奇心を最優先にされたためである。

単行本の「あとがき」には以下にようにある。

とりあげた主題は、一見それぞれまるでバラバラである。しかし、わたしとしては一貫して、現代日本の文明史的課題を追求しつづけているつもりである。説きつくされた日本の歴史も、比較文明論の立場から見れば、またいくらかは新しい見方もでてくるであろう。未来のことをいうならば、人類史の未来に日本文明は何を寄与しうるか、あるいはまた、日本文明における新しい可能性は何か、というのがわたしのほんとうの主題である。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

日本近代化と日本文明の関係という一貫した大きなテーマを、個々の具体的な小さなテーマを深掘りすることによって解明しようという、ある種のケーススタディ作成を想定していたのではないだろうか。

その意味では、せっかくの文庫版刊行であったが、きわめて残念なことに、⑤ 「事務革命」が収録されていない。「日本探検 事務革命」を収録しなかったのは編集方針としては大きな誤りであったと言わざるを得ない。

たしかに、梅棹忠夫自身が書いているように、「事務革命」は「日本語論」に近いので『著作集』では「日本語論」として自身の判断によって日本語論の巻に収録している。「事務革命」は、『著作集』のほか、単行本としては『日本語と事務革命』(くもん選書、1988)に収録されている。内容的には、『知的生産の方法』にも重なるものである。

だが、「事務革命」は大阪本町のビジネス街の「探検」記であり、聞き取りを中心にしたフィールドワークの記録であることに変わりはない。

もちろん個々の論考はケーススタディであるのでバラして読んでも差し支えはないが、なぜこのようなテーマを選択したのかという著者自身の当初の問題意識を探るうえでは大きな問題なのだ。

さらに、「日本探検」には着手されながら活字化されなかった「日本探検⑧ 近江菅浦」がある。梅棹家の発祥の地である琵琶湖畔の近江菅浦の「探検」記である。「初公開・草稿」として、 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に収録されている。

文庫版に収録された「「日本探検」始末記」によれば、さらに「日本探検⑨」として「陶」(すえ)が予定され、現地探訪も文献調査も行っていたとある。岐阜県の洋陶の発祥の地を取り上げたこの論考が書かれていれば、「近江菅浦」とともに、人類学的手法による近代日本経営史のよいケーススタディとなったのではないかと惜しまれる。


(「日本探検」はいまだバラバラのまま一冊になっていない!)


梅棹忠夫の意志に反してでも、『著作集』を再度バラして編集担当者がコメントをつける形で再編集し、オリジナルを復元すべきであったとわたしは思う。かならずだれかに実現してほしいので、豪腕の編集者が現れることを期待したい。

文庫版には単行本には掲載されていた写真がいっさいないのが残念だ。権利処理が面倒だから省いてしまったのもしれないが、これまたじつに残念なことだ。そのかわりとして、単行本のカバー袖にある著者近影をアップしておこう。


 (出版当時40歳の著者 単行本カバー袖より)



■文庫版に収録された「日本探検」について

文庫版に収録された「日本探検」の諸編について簡単にコメントを記しておこう。


① 「福山誠之館」(ふくやませいしかん)は、江戸時代の福山藩の藩校である。現在の広島県福山市である。

福山誠之館については、福山出身ではないわたしはまったく知らなかった。福山出身の友人知人もいるが、その名を聞いたこともない。あるいは聞いても忘れてしまったのかもしれない。

藩校という「封建時代」の発明品が、「近代と前近代」「伝統と近代」「中央と地方」「集中と分散」といった、いっけん二項対立的にみえるものをつなぐ存在であることが明らかにされる。

日本近代が突然変異的に発生したものではなく、日本文明には封建制が存在したがゆえに近代化が可能であったという逆説的な事実を、1960年という時点で示したことの意味について意識すべきだろう。

すでに近代が終わっている現在からみればあたりまえと見えることも、唯物史観が猛威を振るっていた1960年当時の「近代」においては、じつに勇気のいる発言であった。ある意味では蛮勇をふるった発言でもあったのである。狭義の歴史学者ではないからこそ可能であったかもしれない。


② 「大本教」は、近代日本で徹底的に弾圧された神道系の新宗教である。

大本教は、京都府の亀岡と綾部に本部があり、ともに京都が始発の山陰本線の途中にある。

個人的な話だが、綾部はわたしの生まれ故郷の舞鶴からも近い。京都始発の列車は綾部駅でスイッチバックして舞鶴線に入る。現在では亀岡はすっかり京都の通勤圏となっている。

大本教を取り上げたのは、梅棹忠夫が京都のエスペランティストであったことが根本にある。戦前から大本教はエスペラントの熱心な推進者であったからだ。

世界平和、人類愛、エスペラント、心霊主義といった広範なテーマを有する大本教の名誉回復を行った文章にもなっている。戦前のモンゴル調査で出会った紅卍会(こうまんじかい)や戦後のベトナム調査で訪れたカオダイ教などの話題もでてくるこの論考は、日本文明の世界への発信という点でも興味深い。

『美意識と神さま』(中公文庫、1985)にも大本教関連として、戦前の国家神道のもとにおける大本教弾圧事件をモデルにした長編小説高橋和巳の『邪宗門』の書評が収録されている。

日本近代を国家の中枢から推進した国家神道とは対立関係にあった大本教を取り上げたことは、日本文明の二元的構造を示した好例といえるかもしれない。




③ 「北海道独立論」は、大東亜戦争の敗戦後、樺太(サハリン)という辺境を失った日本列島において、あらたに辺境(フロンティア)となった北海道を取り上げたものだ。

とりあげられた根室と釧路に拡がる根釧平原は、アメリカやデンマークの影響を受けた近代農業を全面的に展開した、まさに「近代」そのものといえるような地域である。内地ではすべてが実現できなかった「近代化」の実験地であったともいえる。

だが、一方では先住民のほかに、近代以前から内地からの流れ者が定住を行ってきたことも事実であり、漁業関係者や商工業者は、エリートによる近代化とは異質の存在である。内地からの定住者は近代以降も増加し、その意味では北海道も内地化しているわけである。

「北海道独立」の実現性についての考察が行われているが、なぜか沖縄への言及がまったくない。北海道と沖縄は日本文明における位置づけが異なる点は共通しているが、日本近代における位置づけはそれぞれ異なるものであった。沖縄への言及がないのは、当時の沖縄は米軍の軍政下にあったためでもあろうか。

2014年には英国からのスコットランドの分離独立に向けての国民投票が大きなイシューとなったが、北海道の場合も独立よりも連邦制のなかでの自治権強化の方向が現実的というべきだろう。あるいは「道州制」(大前研一)の議論につなげて考えることも面白い。

梅棹忠夫が鋭くも指摘しているように、分離独立は経済基盤の確保がカギとなることは言うまでもない。


④ 「高崎山」は、日本のサル学を世界最高水準のものとした伊谷純一郎の名著『高崎山のサル』(1954年)で知られている高崎山のことである。『高崎山のサル』は、講談社学術文庫から2010年に再刊されている。

高崎山というと日本のサル学の聖地という印象がつよいが、もともとは自治体の首長の発想で開発された自然環境を観光資源化したサル山なのである。現在なら下北半島の「スノーモンキー」が世界的に有名だが、当時の日本国内では高崎山が先駆者としてもっとも有名であった。

サル学は日本独自の「土着科学」である。それは研究対象となるニホンザルが日本国内というフィールドに存在するだけでなく、日本人の自然観が無意識のうちに大いに反映した科学だからでもある。

日本文明におけるサルの位置づけは、キリスト教世界とは異なり、親近感に満ちたものである。人間のつぎにサルがあるという自然序列観は日本人には不思議でもなんでもない。「河童駒引」や柳田國男の『孤猿随筆』などへの言及もあるが、サル学はナチュラル・ヒストリーの復権という意味合いもあることを梅棹忠夫は記している。

個体識別という方法論が、日本のサル学を世界的なものとした。餌付けによってサルとの関係を構築し、一匹一匹ごとに識別してサル社会の生態を明らかにしたのである。

日本のサル学の成果は、すでに日本では「一般常識」として共有された財産になっている。日本以外ではかならずしもそうではないだろう。

『高崎山のサル』(伊谷純一郎)はわたしも高校時代か大学時代かに読んだが、あわせて読んでおきたい名著である。とくにサルがイモを海水で洗って塩味つきで食べる「文化」が群れ全体に伝播し、その「文化」が世代を超えて継承されていく姿は、ドーキンズの「ミーム」(=文化遺伝子)論を先行しているというべきだろう。 




⑤ 「事務革命」は、講談社学術文庫版には収録されなかったが、内容について説明しておこう。

日本語の近代についての論考である。近代ビジネスと日本語の表記方法との戦いの歴史が、事務革命というイノベーション生み出した源泉となった。

 「日本探検-事務革命」には、総合商社伊藤忠の伊藤忠兵衛が登場する。 若き日に欧米を体験して、ローマ字による事務処理が日本語の漢字かなまじり文の事務処理とは、段違いに効率的であることを痛感していた伊藤忠兵衛は、熱心なカナモジ論者となり、社内でもカナモジ化をみずから推進したのであった。 梅棹忠夫は、この二代目伊藤忠兵衛(1886~1973)を隠居先に訪問してくわしく話を聞き取っている。

『知的生産の方法』ではなぜか黙殺されてきた第7章「ペンからタイプライターへ」にぐっと接近した内容である。 もしわたしが 『実業家の思想』 というアンソロジー集を編集することがあれば、実業家自身が書いた文章ではないが、ぜひ入れたい一編である。

日本文明における日本語の表記法というテーマは、梅棹忠夫においてはカナ文字論やローマ字論として展開されているが、英語全盛時代のなかで日本文明が生き残るための課題として、もっと論じられてよいテーマである。


(くもん選書から出版された「日本語三部作」)



⑥ 「名神高速道路」は、モータリゼーションという「近代化」について、道の文明史の視点で書かれたものだ。

もし「日本探検」がつづけて執筆されていれば、1964年の東京オリンピック開催にあわせて開業した「東海道新幹線」について書かれていたかもしれないと考えてみるのも面白い。

だが、京都中心主義者の梅棹忠夫にとっては、東京を中心にして関西を結んだ東海道新幹線よりも、京都を始点にした国道一号線のバイパスとして建設された名神高速道路のほうが意味があったのかもしれない。

自動車は馬車の延長線上にある発想であるが、ウマが存在しながら馬車が生まれなかった日本文明においては高速道路という発想も生まれてこなかった。日本にはひとが歩く歩道の発想は生まれても、クルマが走る道路という発想が脆弱なことが、現在にいたるまで尾を引いているような気もする。

この論考で展開されている「建設の論理」と「存在の論理」という二項対立も興味深い。「建設の原理=未来志向=近代化」とすれば、「存在の論理=現在と過去=伝統」、と整理できるが、近代がすでに終わっている現在、ますます「存在の論理」がふたたび前面にでてきていることは当然といえば当然だろう。

国土の制約性の強い日本における日本文明と、広大な未開拓地をもつアメリカのアメリカ文明の根本的に異なる点である。この点、ヨーロッパも日本と近い。


⑦ 「出雲大社」は、『日本探検』のなかでは「大本教」と対(つい)になるものであろう。

京都人の梅棹忠夫にとっては、出雲は意外と心理的に近いものを感じていたのではないだろうかという解説者・原武史氏の指摘にはうなづくものがある。山陰本線の夜行特急「出雲」が、京都が始発であったことを想起すればよい。

「日本文明の二元構造」についての指摘が重要だ。幕藩体制における天皇と将軍、中央と地方、東京と京都、国家神道と大本教、そして伊勢と出雲。

同じ関西でも京都や奈良の神社をとりあげず、冥界の主となったオオクニヌシを主神とする出雲大社を取り上げたことに大きな意味を感じる。

縁むすびの神さまとして有名な出雲大社だが、根本にあるのは稲作と密接な関係をもつ農業神であって、縁むすびは神学とは無縁の一般庶民の信仰である。

時代が変われば、神信仰のあり方も変わる。この論考は家族制度についてのテーマでもあり、風俗史でもあり、庶民信仰の話でもある。多彩なテーマを出雲大社という軸で描いている点に梅棹忠夫ならではのものがあるといっていいだろう。

『美意識と神さま』(梅棹忠夫、中公文庫、1985)に「家庭における神と芸術」という一章があるが、収録された文章のタイトルをみれば、この「出雲大社」と問題関心のありかた重なっていることがわかるだろう。

「神々のまきかえし作戦の成功と失敗」
 [追記] 神前結婚の起源
神さまの格づけと小型電気洗濯機について
工業的大量生産と神々の復活
 [追記] 産業化社会のアニミズム
機能的デザインと洗濯ものの美学
三種の神器と嗅覚的芸術 

「近代化」は完成し、すでに「近代」の終わっている日本であるが、日本文明は今後どのように展開し、世界に貢献できるのか、本書を読みながら考えてみたいものだ。


(未完に終わった「近江菅浦」 『梅棹忠夫』(河出書房新社、2011)所収)



■『日本探検』の続きは読者みずからの「日本探検」を!

「単行本あとがき」には以下のようにある。

できることなら、まだ当分はこれを続けてゆきたいと思っている。あるいはまた、このまま国外の探検に接続してゆくことになるかもしれないが、そのときはそのときで、それでもよいと思っている。

じっさいにこのとおりとなってしまったわけだが、『日本探検』以降も、さまざまな「探検」が著者によって国内外を問わずに行われている。その記録は『著作集』に結実しているわけだが、失明してからも「探検」は続けられた。 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)にまとめられた体験と観察の記録である。

未知の世界を知りたいという知的好奇心。人間の本能に根ざしたこの欲求は、すべての人間に本来そなわっているものだ。

『知的生産の技術』もそうだが、『日本探検』を手引きにして、読者みずからが自分のフィールドのなかで「探検」を続けていくことこそ、フィールドワークの科学者であった著者自身の願いであったのではないかと思う。

そのための方法論は『知的生産の技術』に結晶しているが、その萌芽が『日本探検』にもある。ぜひ多くの人に読んでもらい、みずからの「日本探検」をブログなどでどんどん発信していってほしいと思う。

「日本探検」のネタは、ぜったいに尽きることなどないのだから。わたしのこのブログもまた「日本探検」の一つである。


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目 次

福山誠之館
 福山
 誠之館
 藩校
 東京の福山
 創業三百年
 地方と中央
  追記 「福山誠之館」その後
大本教
 山陰道
 世界連邦
 大本教
 世界を結ぶことば
 神々の国会
 国を超えるもの
  追記 「大本教」その後
北海道独立論
 津軽海峡のかなたに
 根釧原野をたずねて
 失われた開拓線
 異質化と同質化
 分離か、統合か
 開発論争
 独立への道
  追記 「北海道独立論」その後
高崎山
 高崎山
 幸島・都井岬  
 ウマ・シカ・サル
 個体識別  
 モンキー・センター
 世界への進出
 サルと自然観
  追記 「高崎山」その後
中央公論社刊『日本探検』のためのあとがき

(以下、単行本未収録)
名神高速道路
 過去の道・未来の道
 高速道路
 道の文化史
 未来をひらくもの
  追記 「名神高速道路」その後
出雲大社
 天下無双の大廈(たいか)
 神とひとの歴史
 縁むすびの神さま
 神がみの復活
空からの日本探検

『日本探検』始末記
解説 (原武史)


著者プロフィール

梅棹忠夫(うめさお・ただお)

民族学者。1920年、京都西陣に生まれる。京都府立京都第一中学校、第三高等学校を経て京都帝国大学理学部に学ぶ。はじめ動物学を専攻。今西錦司の薫陶を受け、北部大興安嶺探検隊に参加。モンゴルで牧畜調査に従事する。敗戦で帰国後、大阪市立大学助教授となる。1955年、京大カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参加(この記録が翌年『モゴール族探検記』[岩波新書]となる)。1957年「文明の生態史観序説」を『中央公論』2月号に発表し、大きな反響をよぶ(『文明の生態史観』刊行は1967年)。1965年京都大学人文科学研究所に転ずる。1969年『知的生産の技術』(岩波新書)を刊行。国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年に初代館長となる。1986年、ウイルスによる球後視神経炎のため両眼の視力を喪失するも旺盛な著作活動を展開する。1991年文化功労者、1994年に文化勲章受章。2010年、90歳で死去。主な著作は「梅棹忠夫著作集」(全22 巻 別巻1 中央公論社)に収められている。(出版社サイトより)



(追記) 2015年12月に講談社学術文庫から梅棹忠夫の『日本語と事務革命』が文庫化された。

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<ブログ内関連記事>

■梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録


■梅棹忠夫の「科学論」

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・進化論

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである」(梅棹忠夫)


■梅棹忠夫の「日本語論」

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


■「封建制と藩校」関連

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・千葉県立佐倉高校は佐倉藩の藩校であった

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


■「大本教」関連

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋
・・合気道開祖・植芝盛平は大本教の出口王仁三郎聖師のもとで精神修行をしていた

書評 『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)-『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点
・・人類教教会

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・綾部と郡是(グンゼ)


■「北海道と近代化」関連-アメリカとデンマーク

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・近代化とアメリカ。津田梅子らをアメリカに送り込んだのは北海道開拓使であった黒田清隆である

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・岩波文庫版に一緒に収録されている「デンマルク国の話」とあわせて読むべき

書評 『クオリティ国家という戦略-これが日本の生きる道-』(大前研一、小学館、2013)-スイスやシンガポール、北欧諸国といった「質の高い小国」に次の国家モデルを設定せよ!

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた


■「高崎山のサル」関連

『サル学の現在 上下』(立花隆、文春文庫、1996)は、20年後の現時点で読んでもじつに面白い-「個体識別」によるフィールドワークから始まった日本発の「サル学」の全体像

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本

「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜-」(玉川大学教育博物館)にいってきた(2013年1月26日)-19世紀大英帝国という博物学全盛時代のボタニカルアート
・・英国の動物学の前提には博物学(ナチュラルヒストリー)がある

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)
・・個体識別をノラネコに応用する


■出雲関連

『水木しげるの古代出雲(怪BOOKS)』(水木しげる、角川書店、2012)は、待ちに待っていたマンガだ!

(2016年8月11日 情報追加)


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