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2025年2月6日木曜日

書評『室町は今日もハードボイルド ― 日本中世のアナーキーな世界』(新潮文庫、2024)― 中世の日本人のぶち切れ方がスゴイ。現代という時代を「相対化」するためにも、読む価値のある本

 

 世界的にみて「温和でおとなしく礼儀正しい」とされる日本人だが、一方では「日本人はキレやすい」と言われることもしばしばある。 

「口より先に手が出る」傾向もあるのだ、と。つまり議論の中身で相手をねじ伏せるよりも、暴力的に問題解決しようとする姿勢があるということだ。SNSで多発している「ことばの暴力」もそのなかに含めて考えるべきだろう。 

そんな「キレる日本人」は、中世においては当たり前の存在で珍しくもなんでもなかった。この事実を一般読者向けに明らかにしたのが、室町時代を専門とする歴史家の清水克行氏の大きな功績だ。 


それにしても、室町時代から戦国時代にかけての日本人のぶち切れ方はすさまじい。なにかとすぐにキレて、脊髄反射的に暴力で問題解決しようとする姿勢。武士に限らず、誰もが刀で武装していた時代だ。 

登場する人物は、ほとんどが無名の人びとだが、史料から浮かび上がってくるその姿は、秀吉による「刀狩り」を経てから1世紀後の、「暴力を飼い慣らし」た江戸時代中期以降の日本人とはまるで大違いだ。 

確実に史料から言えることだけでもスゴイのだから、記録に残されていない事象など、それこそ無数にあったことだろう。 まあ、そういう話は別にしても、とにかく面白いエピソードのオンパレードである。 

とはいえ、その時代にはその時代なりの「常識」があり、その背後には「合理性」があるというのが、歴史家としての著者のスタンスである。つまり、中世の日本は現代から見たら「異文化」以外のなにものでもないのである。 

高野秀行氏との対談本『世界の辺境とハードボイルド室町時代』では、室町時代の日本は、実質的に無政府状態になっていたソマリアのような状態だったという記述があった。そういうアナロジーも意味あることなのだ。 

現代という時代を「相対化」するためにも、読む価値のある本だ。いや、激動化する現在の世界情勢は、中世から近世への移行期に戻りつつあるというべきなのだろうか? #





目 次
はじめに 
第1部 僧侶も農民も!荒ぶる中世人 
 悪口のはなし ― おまえのカアちゃん、でべそ 
 山賊・海賊のはなし ― びわ湖無差別殺傷事件 
 職業意識のはなし ― 無敵の桶屋 
 ムラのはなし ― “隠れ里”の150年戦争 
第2部 細かくて大らかな中世人 
 枡(ます)のはなし ― みんなちがって、みんないい 
 年号のはなし ― 改元フィーバー、列島を揺るがす 
 人身売買のはなし ― 飢身を助からんがため… 
 国家のはなし ― ディストピアか、ユートピアか? 
第3部 中世人、その愛のかたち 
 婚姻のはなし ― ゲス不倫の対処法 
 人質のはなし ― 命より大切なもの 
 切腹のはなし ― アイツだけは許さない 
 落書きのはなし ― 信仰のエクスタシー 
第4部 過激に信じる中世人 
 呪いのはなし ― リアルデスノート 
 所有のはなし ― アンダー・ザ・レインボー 
 荘園のはなし ― ケガレ・クラスター 
 合理主義のはなし ― 神々のたそがれ 
余話 室町ピカレスク ある地侍の生涯 
おわりに 歴史は民衆によって作られる 
対談 ヤマザキマリ×清水克之 
参考文献

著者プロフィール
清水克行(しみず・かつゆき)
1971年生まれ。明治大学商学部教授。歴史番組の解説や時代考証なども務める。著書のほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)が話題になった。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む・・日本の戦国時代と同時代の「初期近代」の西欧もまた、2010年当時のソマリアのような時代であったというべきだろう


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2021年11月17日水曜日

書評『武士マニュアル』(氏家幹人、メディアファクトリー新書、2012)-戦国時代の「実戦」的な指南書から、安定化した江戸時代の「実践」的な手引き書と変化

 

amazonで発見した本。こんな本が出ていたのか!「これを読めば君も武士になれる」といった類いの、オチャラカ系のタイトルだなと思った。そんな驚きと好奇心を喚起されたので、取り寄せて読んでみた次第。 

ところが内容は、想像していたものとはぜんぜん違って、いたってマジメなもの。江戸時代の「武士の心得」といった実用書の紹介であった。 

戦国時代の血なまぐさい「戦士」から、江戸時代に入って戦国の気風が消えていくと「刀を差した役人」に変わっていった武士。

マニュアルもまた、戦国時代の「実戦」的な指南書から、安定化した江戸時代の「実践」的な手引き書と変化していった。 

とくに興味深いのが、切腹と介錯にかんするマニュアルだ。

実際に切腹した武士はごくごく少数だし、したがって介錯を行った武士もそう多くはない。だから、実体験をもつ武士は少なかったわけであり、実行にあたっては現場で粗相のないようにマニュアルが必要だったわけだ。 

氏家幹人氏の江戸時代関連本はこれまでにも何冊も読んでいるが、この本もまた大いに楽しませてくれた。武士の末裔であるわたしにとっても、あらたに目を開かれた本となった。

 


目 次 
はじめに 武士道よりも武士マニュアル
第1章 旗本新人マニュアル-『番衆狂歌』
第2章 戦士マニュアル-『卜伝百首』
第3章 精神修養マニュアル-『武士としては』
第4章 武人マニュアル-『志塵通』 
第5章 発言マニュアル-『老士物語之ヶ条覚書』
第6章 切腹マニュアル-『自刃録』 
第7章 武士を生きる
主な引用史料と関連文献

著者プロフィール
氏家幹人(うじいえ・みきと)
歴史学者。1954年、福島県生まれ。東京教育大学文学部卒業、筑波大学博士課程中退。近世に関する著書を多く書いている。人と人の絆のあり方に注目。武士の世界を取り上げることが多く、ほかに男色・姦通など性をテーマにしたものや、老い、家族に関するものも多い。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2020年9月23日水曜日

弱肉強食の「第1次グローバリゼーション」を終わらせた家康のすごさを『戦国日本と大航海時代 ― 秀吉・家康・政宗の外交戦略』(平川新、中公新書、2018)を読んで考えてみる



2020年7月にNHKスペシャルで2回にわたって放送された「戦国~激動の世界と日本~(1)「秘められた征服計画」と「(2)ジャパン・シルバーを獲得せよ」が面白かった。 最新の研究蓄積を存分に活かして、それをビジュアルとして再現した好番組だった。

この番組を視聴した機会に、購入したまま2年間積ん読のままだった『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』(平川新、中公新書、2018)を読んでみたら、これがまためっぽう面白かった。これほど面白い歴史書もなかなかない。  

今回は、この歴史書をベースにして、「第1次グローバリゼーション」という「危機の時代」について考えてみよう。

17世紀は世界的な「小氷河期」という「寒冷期」であり、気象異常にともなう飢饉と飢餓、感染症の蔓延(とくに西欧は14世紀以来のペストが再燃)にみまわれた「危機の時代」(Age of Crisis)であった。
   

■「大航海時代」の進展のなか「第1次グローバリゼーション」が始まった

いわゆる「大航海時代」は、15世紀にポルトガルから始まり、それにつづいてスペイン、さらにオランダとイングランド、フランスなどが続いていった「第1次グローバリゼーション」の時期に重なる。先行した人口小国のポルトガルが息切れし、ポルトガルに代わって世界帝国を築き上げたのが、おなじくカトリック国のハプスブルク家のスペインだ。

神聖ローマ皇帝カール5世は同時にスペイン国王カルロス1世であったが、その息子のフェリペ2世はハプスブルグ家の本家から分家して、スペイン・ハプスブルグ家の初代となった。カルロス1世がドイツ生まれなのに対して、フェリペ2世はスペイン生まれであり、文字通りスペインの国王として君臨することになる。

西洋史の文脈においてはカール5世はきわめて大きな存在だが、世界史という観点からみたら、フェリペ2世のほうがはるかに重要な人物である。なぜなら、フェリペ2世のときに、地球上のすべての大陸がスペインのもとに一体化することになったからだ。1571年にスペインが領有化したフィリピンにマニラを建設したとき、 「第1次グローバリゼーション」が始まったのである。フィリピンは、フェリペ2世にちなんだ命名である。

すこし時計の針を戻して、ポルトガルとスペインが覇権争いをしていた時代に触れておこう。この覇権争いとその解決策が、日本とその周辺の東アジア(東南アジア含む)にきわめて多大な影響を与えることになったからである。


■ポルトガルとスペインが勝手に地球を二分割

仲裁に入ったのはローマ教皇である。ともにカトリック国であったポルトガルとスペインは、上位の権威であったローマ教皇の裁定に従うことになった。それが「トルデシリャス条約」(1494年)だ。この条約によって、両者のテリトリーが確定したのである。覇権争いは戦争に訴えることなく決着したのである。

ヨーロッパからみてポルトガルは地球の東半分、スペインは西半分が、それぞれの勢力圏として確定したのである。さしあたって問題になっていたのが「新大陸」(・・先住民の権利を無視したこの表現はつかうべきではないので、以下の記述は中南米とする)の線引きであった。境界線が引かれたのは子午線の西経46度37分で、ブラジルがポルトガルの領土となり、それ以外はスペインの領土と確定した。現在でも中南米ではブラジルだけがポルトガル語で、それ以外はすべてスペイン語地域であるのはそのためだ(*カリブ海地域には英仏蘭あり)。

ただし、1494年の時点では地球の反対側の境界線は定まっていなかった。ところが、マゼランによる世界一周航海(・・マゼラン自身はフィリピンのセブ島で殺された)の生き残りが1522年にスペインに帰還したことによって問題が浮上した。問題の焦点は、香料諸島(=スパイス諸島)という異名で呼ばれたモルッカ諸島の帰属にあった。

その問題は「サラゴサ条約」(1529年)によって解決された。モルッカ諸島から東へ17度進んだところに境界線を定め、モルッカ諸島のポルトガル領有が確定したことで決着した。条約によればフィリピンはポルトガル領となるはずだが、香料の生産地ではなかったこともあり、スペインのフィリピン領有にかんしてポルトガルからの反対はなかった。

『米中戦争前夜』の著者で米国人政治学者のグレアム・アリソン教授は、ポルトガルとスペインの覇権争いは、戦争によることなく平和裏に解決したことを高く評価している。この500年の覇権争いの大多数が戦争で決着がついているからだ。現在でも、いわゆるグローバル企業が、営業権やブランド使用権の範囲を勝手に確定しているが、その走りであるといってもいいだろう。

問題は、上記2つの条約で定められた境界線が、なんと日本列島の真上を通っていた(!)ことにある。日本列島の大半はポルトガルガル領となっていたわけだが、居住者の知らぬ間にその意向をまったく無視した状態での境界線であり、まことにもってけしからん話だと言わざるを得ない。

問題をさらに・・していたのは、カトリック国のポルトガルとスペインはともに、進出先で推進していたビジネスをカトリック布教と一体のものとしていたことにある。

フレーズ的にいえば「宗経一致」ということになるが、戦国時代の日本に進出したポルトガルは、同時に布教活動も行う根拠を得たことになる。ポルトガル王国をバックにつけていたのは16世紀前半に誕生した新興のイエズス会であった。

組織のトップから布教を始めるイエズス会の方法は、九州各地の大名を味方につけ、さらには信長の知遇を得たことで京都でも成功していた。

資金源は、ポルトガルによるマカオ=長崎ルートの生糸貿易である。中国産の高級生糸と日本銀の交換を担っていたのがポルトガル商人だったからである。日本は倭寇であるとして明朝との直接貿易が許されず、ポルトガルは海賊退治の功績で明朝からマカオを手に入れていたので可能となったビジネスモデルであった。

ところが、フェリペ2世の時代の1580年には、同君連合としてスペイン王がポルトガル王を兼ねることとなり、実質的にポルトガルはスペインに併合され世界最大の帝国が誕生することになった。三大陸に及ぶ領土は「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたのである。スペインは、日本へのビジネス進出と布教活動を同時に進めることが可能となり、フィリピンがその前線基地となった。

スペイン王国をバックにつけていたのは、フランシスコ会やドメニコ会、聖アウグスチノ会などの托鉢修道会であり、イエズス会が開拓していた日本市場への新規参入者が混乱をもたらすことになったのである。 この状況で発生したのが秀吉の時代の「二十六聖人殉教」であった。殉教者のうち宣教師はいずれもフランシスコ会の修道士であった。

先に見たように、ポルトガルとスペインの覇権争いは条約によって平和裏に解決し、しかもポルトガルがスペインに併合されることで、スペインが覇権国となったが、西欧では局地戦が継続して進行していた。スペインの金庫番ともいうべきネーデルラント北部7州(=オランダ)が1581年に独立戦争を開始、足許では大いにゆらぎが生じていたものの、世界規模の戦争は発生していなかった。

ところが東アジアでは状況はまったく違っていた。秀吉が、1592年に中国征服を目的として「朝鮮出兵」を断行したのである。16万人弱という大軍勢を送り込んだ大戦争であった。

もともと、中国征服はスペインの出先フィリピンで計画されていたものだった。宣教師たちは、人口大国の中国を支配すれば、大規模に布教が可能だと考えたからだ。1600年当時の中国の人口は1.5億人で、スペインはポルトガルとあわせて1,050万人、日本は2,200万人であったと推計されている(・・ちなみに、李氏朝鮮は500万人、オランダ150万人、ブリテン諸島全体で625万人)。おそらく、南米大陸のように簡単に征服は可能と想定していたのだろう。

だが、スペインによる中国征服計画はフェリペ2世が却下したことで立ち消えになった。1588年の「アルマダの海戦」で艦船を大幅に失った影響もあったろうし、ビジネスベースで考えれば中国を征服するメリットがないと判断したためかもしれない。

中国征服計画は、スペインではなく、天下統一を果たしたばかりの秀吉が実行することになったのである。秀吉は同時にフィリピン侵攻も計画しており、中国征服の暁には天皇を北京に移し、自らは寧波(ニンポー)に移ってインドまで征服する野望(夢想?)を抱いていたのである。

ところが、朝鮮半島では快進撃を続けていたものの、援軍に入った宗主国の明軍は想定以上に強く、日本軍の火縄銃に対して明軍は大砲を装備しており苦戦を強いられることになる。朝鮮が戦場となったが、実質的に日本と明朝との激突であったのだ。

日本側と明朝のあいだで(・・朝鮮の頭越しに!)講和条約交渉が行われたが交渉は決裂、秀吉はふたたび出兵を命じて朝鮮半島南部を占領したが、秀吉が1598年に没したことで(・・なんとその5日前には因縁のスペインのフェリペ2世が没している!)、無謀な大戦争は当事者に大きな被害をもたらしたことで終わった。とくに明朝の財政悪化が進行し、滅亡を早めた可能性がある。

日本では、秀吉亡き後の覇権をめぐる関ヶ原の戦い(1600年)で家康が天下取ることになったのだが、この直前に日本に登場したのがオランダとイングランドという新興勢力であった。ともにプロテスタント勢力であり、カトリック勢力のスペインと対立していた。


■家康は最終的にオランダを選択、天下泰平への道をつけた

NHKスペシャルの第2回放送「(2)ジャパン・シルバーを獲得せよ」では、家康がオランダ東インド会社(・・以下、オランダとする。東インド会社には外交権ろ戦争権も付与されていた)を使ってスペイン帝国を牽制し、大坂夏の陣の勝利によって豊臣側についたキリシタン大名とスペイン勢力を敗退させることに成功するところまでカバーしていた。 

家康とオランダとの出会いは、オランダの貿易会社が派遣した貿易船隊に属していたリーフデ号が豊後国(現在の大分県)に漂着したことから始まる。それは関ヶ原の戦いの半年前のことであった。

家康は、航海士のイングランド人ウィリアム・アダムズ(=三浦按針)とオランダ人のヤン・ヨーステン(・・東京駅八重洲口の「八重洲」の語源)を外交顧問に採用したことは、よく知られていることだろう。その後のオランダとイングランドとの関係の始まりの原点である。南蛮人に対する紅毛人である。

その2年後の1602年には、オランダ本国で連合オランダ東インド会社(略称VOC)が設立された。ハイリスクの遠洋航海を実行し、無用な競合を避けて利益を確保するために統合された。イングランドの東インド会社は設立はオランダより2年早かったが、資本金と貿易金額の規模においては、オランダがはるかに勝っていた。

オランダ東インド会社が、幕府から平戸に商館を開設することを許されたのは1609年のことである。その後、幕府の命令によって出島に移転させられるまでの33年間が平戸時代である。イングランドの東インド会社の平戸商館開設は、4年後の1613年のことであった(*)。

(*)イングランドは、アンボイナ事件によってオランダとの勢力争いに敗れたことと、日本での商売不振のため、10年後の1623年に商館を閉鎖し日本市場から撤退。半世紀後の1673年に家康が発行した朱印状をもって貿易再開を求めてリターン号で来日したが、幕府はイングランド国王がポルトガルの王女であることを理由に拒否。


オランダ東インド会社(以下、オランダとする)が欲しがっていたのは日本銀であった。16世紀から17世紀にかけては、銀がほぼ実質的な世界通貨の役割を果たしていたからである。西洋人も日本人も、絹織物や生糸、陶磁器などの中国製品が欲しかったほしかったのである。

当時の日本は世界中の銀の1/3を産出(!)しており(・・のこり2/3はスペイン植民地のペルーを中心にメキシコも)、オランダはスペイン銀だけでなく、日本銀が必要だったのだ。というのも、オランダはスペインからの独立戦争を戦っていたため、スペインに代わる銀獲得のオルタナティブ・ソースとして日本銀に目をつけており、いかなる手段を使ってでも日本に食い込みたかったのである。 

そして、日本から入手した「銅」もまた、オランダ製の大砲の材料として使用されたのである。17世紀前半のオランダにとって、日本の存在は想像以上に大きかったというべきだろう。

関ヶ原の戦いで天下は家康のものとなったが、まだ豊臣氏の勢力が一掃されたわけではなかった。その間は、生糸貿易の中心は依然としてポルトガル商人の独占であり、オランダとイングランドもしのぎを削っていたが、その牙城を崩せる状況にはなかった。

熟柿が落ちるのを待っていた家康は、ついに大坂の陣を開始する。1615年のことだ。だが、大坂冬の陣では決着がつかず、翌年1616年の大坂夏の陣で勝利し、徳川幕府の基礎を固めることに成功する。その決め手の一つとなったのが、オランダ製とイングランド製の大砲であった。

キリシタン浪人が豊臣側に集まっていたこともあり、キリシタン勢力と宣教師は豊臣側についており、プロテスタント勢力 vs カトリック勢力の戦いともなっていた。幕末の戊辰戦争が、裏面では英仏の対決であったことと似ている。

大坂の陣の終了後、満足のうちに家康は没する。長生きはするものである。

少し先回りしてしまったが、このプロセスと同時に進行していたのが、スペインとの関係構築の動きだ。スペインとの関係といえば、伊達政宗がスペインに派遣した支倉常長のことが想起されるが、その件が『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』で扱われており、これが本書の最大の特色といっていいだろう。家康と政宗の神経戦ともいうべき確執が手に汗握るような展開を見せるからだ。 

家康は、キリスト教は嫌いだが貿易はしたかった。そのため、様々なプレイヤーを互いに競わせて操っていたが、フィリピンを植民地にしていたスペインとの貿易も考えていたのである。

そんな状態で登場したのが伊達政宗だ。彼は、帰国船の確保に困っていたスペインの交渉担当者に助けを出す。そこで企画されたのが支倉常長の慶長遣欧使節である。スペイン貿易を行うため、家康からガレオン船建造と使節派遣を許可されたのである。 

支倉常長は、1613年に太平洋を横断してスペイン・ルートでメキシコのアカプルコ経由で欧州に行き、スペイン国王とローマ教皇に謁見することまでは成功した。だが、肝心要の貿易交渉は失敗に終わり、支倉は失意のうちに帰国することになる。 1620年のことだ。

その時点ですでに豊臣氏は滅亡しており、家康も没していた。政宗は健在だったが、すでに情勢は大きく転換していたのだった。

支倉の帰国から数日後、「禁教令」が出たのである。政宗の構想も夢と消えた。1624年にはスペイン船の来港も完全に禁止された。そこですべては終わったのである。 だが、江戸時代をつうじて日本列島の南のフィリピンにスペインが居座り続けたことは、アタマのなかに入れておく必要がある。

このあとは本書の範囲を越えるが、ポルトガルとの断交はまだしばらく先のことである。中国産の高級生糸確保のため、ポルトガル商人のマカオ=長崎ルートの貿易が必要とされていたからだ。

だが、「島原の乱」の鎮圧にあたって、ポルトガル勢力が背後にいるとにらんでいた幕府は、オランダに命令して軍艦から発砲させた。島原の乱鎮圧後、生糸入手に問題がないことをオランダから確認した幕府は1639年にポルトガルと断交し、以後カトリック勢力の排除が徹底して実行される。キリシタン弾圧とは、カトリック勢力排除のことであった。

日本は、幕末までオランダと、そして「開国」後は英米アングロサクソンというプロテスタント勢力との緊密な関係が現在にいたるまで継続している。日本とプロテスタントは相性がいいのだろうか。この関係は、すでに400年以上に及んでいるのである。


■強いからこそ江戸幕府は「鎖国」を実行した

『戦国日本と大航海時代-秀吉・家康・政宗の外交戦略』が扱っているのは、それだけではない。なぜ秀吉は明を征服するとして「朝鮮出兵」を行ったのか、さらに家康がヨーロッパ勢力から家康が「皇帝」と呼ばれていたことの意味を踏まえ、当時の日本は世界有数の「軍事大国」であったことを描き出す。 

そう、だからこそ、家康の意志決定によって最終的にオランダが選択され、スペインが切り捨てられたのである。弱いから、怖いから、引きこもって「鎖国」したわけではないのである。強いからこそ「鎖国」できたのである。これが著者の結論であり、わたしもまったく同感だ。 

日本と手を組んだオランダは空前の繁栄を享受し、世界初の「覇権国家」となって「黄金時代」を享受した一方、戦争にあけくれて財政破綻したスペインは衰退の道へ転落していく。世界情勢のカギを握ったのは軍事大国・日本であり、その中心にいたのが家康だったのだ。 

さらに付け加えれば、弱肉強食の「グローバリゼーション」を終わらせた家康が、いかにすばらしかったかを深く感じるのである。

家康が強大な軍事力を背景に、いち早く「第1次グローバリゼーション」から抜け出し、「パックス・トクガワーナ」(=徳川の平和)と称される「天下泰平」の基礎を作り上げた功績は、強調しても強調しすぎることはない。 

現在もまた、行きすぎた自由化がもたらした弱肉強食の「グローバリゼーション」の弊害が目に余るようになっている。新型コロナウイルスのパンデミックを機会に、「第3次グローバリゼーション」に、一時的にせよ強制終了が入ったことは、人類全体にとってたいへん善いことだ。 

その意味でも、17世紀に「グローバリゼーション」を終わらせた日本がいかにすばらしかったか、日本人は認識をあらたにすべきであろう。 

1571年に始まった「第1次グローバリゼーション」は、まさに信長・秀吉・家康という3人の「天下人」の時代の出来事なのである。


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目 次 

序章 戦国日本から「帝国」日本へ 
第1章 大航海時代と世界の植民地化 
第2章 信長とイエズス会 
第3章 秀吉のアジア征服構想はなぜ生まれたか 
第4章 家康外交の変遷 
第5章 伊達政宗と慶長遣欧使節 
第6章 政宗謀反の噂と家康の情報戦 
第7章 戦国大名型外交から徳川幕府の一元外交へ 
終章 なぜ日本は植民地にならなかったのか

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2019年5月7日火曜日

JBPress連載コラム第51回目は、「略奪と殺戮の時代に終止符を打ったストイックな女王-『自省録』を座右の書にしてきたトップリーダーたち」(2019年5月7日公開)

(グレタ・ガルボ主演のハリウッド映画『クリスチナ女王』(1933年)のポスター Wikipediaより)


21世紀の現在、米英の英語圏を中心に「ストア派哲学」のリバイバルにある。だが、リバイバルは今回が初めてのことではない。西欧では、いまから約500年前にもリバイバルした時期があっった。 

21世紀の現在もそうだが、どうも時代が激動期に入ると、周囲の状況にまどわされずに、何ごとにも動じない「強いメンタル」をもつニーズが個人レベルで生まれてくるようだ。「内面」の重視である。「内省」の重視である。 

何ごとにも動じない「強いメンタル」のことを「不動心」(アタラクシア)という。「不動心」はまた「恒心」ともいう。「恒心」は、16世紀から18世紀にかけての「バロック時代」の基本精神でもあった。 

JBPressの連載コラムだが、本日(2019年5月7日)公開のコラムは、「略奪と殺戮の時代に終止符を打ったストイックな女王-『自省録』を座右の書にしてきたトップリーダーたち」と題して、17世紀スウェーデンの女王クリスティナを取り上げた。 
⇒  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56277


(クリスティナ女王の肖像画 Wikipediaより)

クリスティナ女王は、それほど知名度は高くないが、きわめて重要な役割を果たした人物だ。

ストア派哲学に支えられた強固な意志によって理想を貫き、キリスト教徒同士が血で血を洗う宗教戦争を終結させることに成功した人物だ。 

ぜひお読み頂きたいと思う。
⇒  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56277



■『超訳 自省録 よりよく生きる』について

全12巻で構成されている『自省録』を、編訳者である私が、内容に従って9項目に分類した「目次」を紹介しておこう。


目 次
はじめに
1 「いま」を生きよ
2 運命を愛せ
3 精神を強く保て
4 思い込みを捨てよ
5 人の助けを求めよ
6 他人に振り回されるな
7 毎日を人生最後の日として過ごせ
8 自分の道をまっすぐに進め
9 死を想え


『超訳 自省録 よりよく生きる』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、4月27日の発売。





<ブログ内関連記事>

『超訳 自省録 よりよく生きる』(マルクス・アウレリウス、佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019)が、来る2019年4月27日出版されます-わが人生初のハードカバー!

不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!
・・「不動心」を説いたストア派。「不動尊」信仰を発展させた真言密教


■初期近代の西欧とバロック

「ルーベンス展-バロックの誕生-」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年1月3日)-南部ネーデルラントが生んだバロックの巨人をイタリア美術史に位置づける試み

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる!

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る


■略奪と殺戮の時代の西欧近世

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ


■500年単位で繰り返す「激動の時代」

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために


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2016年3月20日日曜日

書評『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行 × 清水克行、集英社インターナショナル、2015)ー いまから500年前の室町時代は2010年代のソマリアのようなものだ


 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行×清水克行、集英社インターナショナル、2015)を読んだ。この本は面白い!

高野秀行氏は、「辺境もの」のノンフィクション作家。
清水克行氏は、室町時代を専門とする日本史研究者。

清水克行氏の本はいままで読んでなかったが、早稲田の探検部出身の高野秀行氏の「辺境ものノンフィクション」はじつに面白い。

たとえば『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫、2006)や『アヘン王国潜入記』 (集英社文庫、2007)などのミャンマーものや、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社文庫、2009)などがそれだ。だが、2013年に出版された、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)が面白いと評判だが、残念ながらまだ読んでない。

そんな二人が意気投合して行った対談がこの本だ。語りおろしを編集して一冊にしたものだ。

(カバーの袖から)

いまから500年以上前の室町時代がなぜ現代の日本人からみて理解しにくいのか、その理由がソマリアをはじめとするアジア・アフリカの発展途上国の現在と重ね合わせると、じつによく理解できるのだ。 この対談を読んでみると、この両者がじつによく似ていることには驚くばかりだ。

わたしも東南アジアを中心に、バックパック背負っていろいろ歩き回った人間だが、何度もウンウン、そうだそうだ、とうなずくばかり。逆にいうと、現代の「辺境」は室町時代のようなものなのだ、と。

室町時代の崩壊が始まり、価値観が完全に崩壊したのが「戦国時代」という約一世紀つづいた過酷な内戦時代である。

生存のための自衛組織として戦国時代に形成された「村」(ムラ)という共同体は、「高度成長期」を経てすでに融解、擬似共同体であった「カイシャ」もまた、すでに生活共同体として意味合いが薄れ、失われた20年(?)のなか、バラバラの個人となった日本人は漂流している。

日本から「村」(ムラ)という共同体はほんとうに消えてしまったのだ。戦国時代以来の大転換期にあることはひていできまい。では日本人は、いったい何にたよって生きていけばいいのか?

そんな時代に生きる現代日本人が、これからどうやって生きていくのかを考えるうえで、同時代に存在するソマリアなどの「辺境」や、自分たちの歴史である「室町時代」というのは、なんらかの参考になるかもしれない。

歴史が役に立つとは、そういうことなのだろう。ほんとに面白い本である。




目 次

はじめに(高野秀行)
第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会
第2章 未来に向かってバックせよ!
第3章 伊達政宗のイタい恋
第4章 独裁者は平和がお好き
第5章 異端のふたりにできること
第6章 むしろ特殊な現代日本
おわりに(清水克行)


著者プロフィール

高野秀行(たかの・ひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京生まれ。『ワセダ三畳青春記』で第一回酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書は他に『移民の宴』『イスラム飲酒紀行』『ミャンマーの柳生一族』『未来国家ブータン』『恋するソマリア』など多数。  

清水克行(しみず・かつゆき)
明治大学商学部教授。専門は日本中世史。1971年東京生まれ。大学の授業は毎年大講義室が400人超の受講生で満杯になる人気。NHK「タイムスクープハンター」など歴史番組の時代考証も担当。著書に『喧嘩両成敗の誕生』『大飢饉、室町社会を襲う! 』『日本神判史』『足利尊氏と関東』『耳鼻削ぎの日本史』などがある。


<ブログ内関連記事>

書評 『アジア新聞屋台村』(高野秀行、集英社文庫、2009)-日本在住アジア人たちの、きわめて個性にみちた、しなやかで、したたかな生き方


■500年前の時代を考える

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・戦国時代の末期、ちょうど大航海時代にあったヨーロッパと日本が出会うことになる

書評 『武士とはなにか-中世の王権を読み解く-』(本郷和人、角川ソフィア文庫、2013)-日本史の枠を超えた知的刺激の一冊

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・この本では言及はないが、日本の戦国時代と同時代の「初期近代」の西欧もまた、現代のソマリアのような時代であったというべきだろう

ミャンマーではいまだに「馬車」が現役だ!-ミャンマーは農村部が面白い


■「村」(ムラ)と「世間」はイコールではない
 
書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・顕在化する「空気」、依然として消滅しない見えない「世間」が日本人の行動を縛っている


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