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2010年12月9日木曜日

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?





単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か

 かつて「邪悪な帝国」と多くの人から警戒されていたマイクロソフトを上回る巨大な存在となったグーグル。

 フリー(無料)経済の先導役でもあるグーグルは、単なる IT企業であることにとどまらず、社会変革の原動力として、「邪悪になるなかれ」という理念のもと日々進化を遂げている。

 このように書く私は、グーグルは検索で使うだけでなく、現在では新聞は取らずにグーグル・ニュースで記事を読み、ユーチューブで映像を楽しみ、メールもカレンダーもブラウザーもブログもみな、グーグルのクラウド・コンピューティングに多大な世話になっている。広告が入るのでうっとうしいという感もなくはないが慣れてしまえば気にならない。無料(フリー)というのはユーザーにとっては実に魅力的だ。

 つまるところ、原著英語版のタイトル "Googled" ではないが、私自身がすっかり「グーグル化」されてしまっているわけであり、私の日々の生活のほぼすべてがプライバシーも含めてグーグルのアルゴリズム改良に寄与しているわけだ。もちろん、この状況を無邪気にも無条件に肯定しているわけではない。

 だが、グーグルを肯定するにせよ否定するにせよ、その中身をよく知らなくては、表面をなぞったに過ぎないであろう。

 その意味では、本書は読者の要望にかなりの程度まで応えてくれる本になっている。

 共同創業者のプロファイリングから、スタンフォード大学を舞台にした立ち上げ時代、最初の鳴かず飛ばずの時代から急成長し、マイクロソフトを上回る存在となっている現在に至るまで、グーグル内部の関係者は言うに及ばず、グーグルによって破壊され壊滅の危機にある業界関係者、競合相手に至るまで実に多くの人たちにインタビューし、調べ尽くしている。

 何よりも当事者と彼らをめぐる人たちのナマの肉声がそのまま紹介されているのがよい。


 本書を読んでいて、なるほどグーグルのような会社は日本からは出てこないのが当然だと思われるのは、エンジニアの能力の優劣の問題ではなく、そもそもの根本的発想が違うからだと強く実感される。

 世界全体をデジタル技術によってデータベース化し、すべてを検索によってアクセス可能なものにするという共同創業者たちの壮大な構想と野望

 サプライサイド(=供給側)ではなく、あくまでもユーザー、つまりデマンドサイド(=需要側)に立った発想であり、世界を変革するという壮大なビジョンとミッションはきわめて明確だ。

 これには、全体主義のソ連から、両親とともに米国に移民したセルゲイ・ブリンの生い立ちも大きく影響しているようだ。

 検索(サーチ)技術を極めることによって、検索の効率性向上に徹底的にこだわる姿勢は、『ネットバカ』の著者ニコラス・カーにいわせれば米国の「テイラー主義」の系譜にあるといえるし、「合理性の兵士」たちといわれた、戦後米国を動かしてきたシンクタンクであるランド・コーポレーションにつどった研究者たちの系譜にもあるともいえようか。

 フレデリック・テイラーとフォン・ノイマンの申し子たちが追求する効率性と合理性、これらはまさに米国のエンジニアの発想そのものである。

 ともにユダヤ系米国人で学者の家に生まれ、ともに自主性を重んじるモンテッソーリ教育を受けた二人の共同創業者セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジというエンジニアたちは、この世界のすべてを数式と論理で解明し、アルゴリズムで表現しようという野望をもつエンジニアである。

 ある意味では、数式と論理という普遍志向がきわめて強く、直線的な思考パターンを示す彼らの世界観は、無意識のうちではあるが、一神教的な世界観が反映されているように思われてならない。

 もちろん、こういう会社を支える投資家と資本市場のというビジネスインフラがあってこそ米国に成り立ちうるものだ。これもまた、ずいぶん昔から指摘されていながら、いまだに日本には定着していないものである。


 「技術的楽観主義」に貫かれ、一般常識や社会性を欠いたエンジニアたちの直線思考。自分たちが信じるものに従って、がむしゃらに突き進み、さまざまな分野で物議をかもし、また既存の業界構造を徹底的に破壊するブルドーザーのような存在。

 ひところ流行った表現を使えば、「IQは高いがEQの低い」経営者に率いられた、「IQは高いがEQの低い」会社であるといえようか。

 このブルドーザーは結果として、次から次へと破壊を続けていったが、ここ数年は世論と政府という大きな壁に激突して、少しずつではあるが社会勉強をしつつあるようだ。

 ただ、著者がいうように、まだマイクロソフトやアップルのように、決定的に大きな挫折には直面していない。これがグーグルにとっての最大の弱点の一つだと著者は指摘している。世界全体を検索可能にするというミッションと邪悪になるなかれというバリューは明確だが、これといった明確な戦略がないまま突き進んでいるからだ。

 本書の英語版原書が出版されたのは、2009年11月のことだが、この世界においては状況の変化は目まぐるしい。最終章の第17章で扱われているが、同じく米国発の SNS 最大手フェイスブックとの競合を見ていると、グーグルですら最強ではないという感想を感ぜずにはいない

 日本ではまだ普及スピードの遅いフェイスブックであるが、グーグルの世界観とはまったく異なる、人間どうしの関係性を見るか見ないかという根本的な発想に違いがある。スマートフォンのOSアンドロイドをめぐるアップルとの対立も含めて、技術をめぐる攻防戦は飽きさせないものがある。

 『イノベーションのジレンマ』(クレイトン・クリステンセン教授の表現)がつねにつきまとう先端技術ビジネスの世界においては、イノベーションをもって既存企業を脅かした企業は、また新たなイノベーションによって存在を脅かされることになる。盛者必衰というわけでもないが、グーグルとてけっして未来永劫にわたって盤石とはいえないだろう。巨大化した現在、エンジニアの流出が始まっているようだ。

 米国のノンフィクションは非常に長いものが多いが、日本語訳で500ページを優に超える本書もまた例外ではない。「ニューヨーカー」のベテラン記者による本書は、しかしながら最後まで飽きさせずに読ませてくれる内容の本だ。

 創業から現在に至るグーグルの全体像と、そのインパクトの功罪両面について知るうえで、時間を割いてでも読む価値があるといってよい本であるといえよう。


<初出情報>

■bk1書評「単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か」投稿掲載(2010年11月16日)
■amazon書評「単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か」投稿掲載(2010年11月16日)

*再録にあたって大幅な加筆を行ったうえ再編集した。






<原著タイトル名>

Ken Auletta, Googled: The End of the World As We Know It, Penguin Press HC, 2009
・・amazon.com のレビューはなかなか面白いので一見の価値はある。


目 次

まえがき
第1部 別の惑星
 第1章 君たちは魔法をぶち壊しているんだ!
第2部 グーグルの物語
 第2章 ガレージからの出発
 第3章 活気はあれど収入はなし(1999~2000年)
 第4章 グーグル・ロケット、発射準備(2001~2002年)
 第5章 無邪気、それとも傲慢?(2002~2003年)
 第6章 株式公開(2004年)
 第7章 新たな "悪の帝国" か?(2004~2005年)
第3部 グーグル vs. 旧メディア帝国
 第8章 ユーチューブ買収(2005~2006年)
 第9章 戦線拡大(2007年)
 第10章 政府の目を覚ます
 第11章 グーグル、思春期に入る(2007~2008年)
 第12章 "古い"メディアは沈むのか?(2008年)
 第13章 競争か、協調か
 第14章 ハッピー・バースデイ(2008~2009年)
第4部 ググられる世界
 第15章 ググられた世紀
 第16章 伝統メディアはどこへいく?
 第17章 これからどうなるのか?
謝辞
原注
訳者あとがき


著者プロフィール

ケン・オーレッタ(Ken Auletta)

1942年ニューヨーク生まれのイタリア系米国人。米国のジャーナリストで作家。1992年以来、老舗名門誌「ニューヨーカー」記者。30年近くニューヨークを拠点に政治経済とメディアをカバーしてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。



<書評への付記> 

 それにしても文藝春秋社は『××秘録』というのが好きだな(笑)。『周恩来秘録』など、「秘録」ものの系列につらなる本として出したかったのかな?
 内容はさておき、本の分厚さからいったら、「秘録」ものの系列としては、おかしくない。

 ただ、正直いって日本語訳の訳文はあまりよいとはいえない。なんだか文体が古くさいのだ。
 と思って、訳者プロフィールをみたら私より若い人のようだ。さすがにこんな分厚い本の原著はみていないが、どうも翻訳者キャスティングのミスではないかと思う? 原文はみていないが、なんだかなあという誤訳もところどころなくはない。

 共同創業者であるセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、後にCEOとして招聘されたエリック・シュミット、グーグルの経営者はいずれもエンジニア出身である。ある意味では、グーグルもまた、マイクロソフトのビル・ゲイツや、アップルのスティーブ・ジョブズなどのように、明確なビジョンをもったエンジニア志向の企業風土をもつ。

 カネ儲けそのものよりも、共同創業者たちが自分たちの理想実現のために存在するグーグルは、ビジネスパーソンが経営する会社というよりも、彼らが主張するとおりの社会変革を目的とした会社であるというのはそのとおりであろう。

 グーグルには。持ち時間の20%を自分の研究に使ってよいという「20%ルール」がある。その意味では、エンジニアにとっての楽園である。GE や 3M などにも同様のルールがあることは日本でも知られているが、さすがに「20%」ということはありえない。その点においてグーグルは突出している。
 それでもエンジニアの流出が始まっているというのはグーグルにとっては悩ましいところだろう。米国のエンジニアは自分が面白いと思うことをとことん追求したいというタイプの人間が多いから、報酬を上げただけで引き留めるのは難しいようだ。

 書評本文にも書いたが、フェイスブックがグーグルにとって脅威となりつつあるようだ。グーグルがいっさい「囲い込まない経営」スタイルであるとすれば、フェイスブックは「ゆるいつながり」という友達の輪のなかで情報が共有される仕組みである。哲学が根本的に異なるといってよい。

 経営面にかんしては、グーグルの「囲い込まない経営」には大いに共感を感じる。ただし、今後成長が鈍化するようになると「囲い込み」になる可能性もなくなはい。要注目であろう。


<関連サイト>

著者ケン・オーレッタの公式サイト The Official Ken Auletta Site


<ブログ内関連記事>

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)
・・グーグルのことを「テイラー主義」の系譜にあるといったのはニコラス・カー。『グーグル秘録』とあわせ読むとその意味がよくわかる。「テイラー主義」とは、経営学の祖ともいうべき19世紀米国のエンジニアであったフレデリック・テイラーが実践した生産管理哲学のことで、徹底的な効率性重視でムダをなくすことを至上命題とした合理主義。その哲学はフォーディズムに継承された。

書評 『フリー-<無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)
・・グーグルもその先導役の一つである「フリー」(無料)経済についての基本書

書評 『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010)
・・膨大な量のコンピュータを可動させているグーグルにとって電力消費量削減は至上命題。ビジネス上の目的と社会的責任を同時に推進するグーグルの戦略について

Google が中国から撤退!?-数週間以内に最終決定の見通し
Google が中国から撤退!?(続き)
Google が中国から撤退!?(その3)
・・全体主義ソ連を腹の底から嫌っているセルゲイ・ブリンの思想が反映? 米中関係についても示唆的な「グーグル撤退騒動」


資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン
・・ソ連で数学教授であった父親の子どもとして生まれたセルゲイ・ブリン。米国に移住したブリン・ファミリーとはまたく異なる道を選択したペレリマン。「数学をつうじて神に近づこうとする姿勢」には共通性を感じる

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・ともにユダヤ系のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、ユダヤ教にはあまり熱心ではない彼らも、根底にはユダヤ的発想があると考えてよい

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋社、2008)
・・米国を動かしてきた、フォン・ノイマンに代表さっる「合理性の兵士」たちの牙城であったシンクタンク、ランド・コーポレーションについて

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
・・グーグルの創業経営者は二人とも少年時代に米国でモンテッソーリ教育を受けている。彼らの発想や行動に与えたモンテッソーリ教育の影響は大きいと思われる。『グーグル秘録』から該当箇所を引用しておいた。

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)・・モンテッソーリ教育とも共通性のあるユダヤ人の子育てについて



 
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