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2010年12月19日日曜日

思考と行動の主体はあくまでも「自分」である。そして「自分」はつねに変化の相のもとにある



思考と行動の主体はあくまでも「自分」である

 「自分」を中心に置くことが重要だヒクソン・グレイシーはいう。

 「自分にとって何が最も重要だと思うかと聞かれて、「自分自身だ」と答えた人以外はみんな間違っている」と言っている。書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくるにすでに書いたとおりだ。

 ヒクソン・グレイシーとは、日本の柔術にルーツをもつ「グレイシー柔術」最高の使い手、いわゆる「400戦無敗の男」というキャッチフレーズをもった男である。

 「自分」を中心に置くとは、「自分」を一番に置くとはどういうことだろうか。

 いわゆる「自己中心」を意味する「自己チュー」のことか?
 利己主義を意味するエゴイズムのことか?

 こういったレスポンスがすぐさま帰ってくるのではないだろうか。

 いや、そうではない。ヒクソンが言いたいのは、「自分」を思考と行動の中心、すなわち出発点に置くことによって、「自分」が「自分」にかかわる人たちに責任をもち、自ら主体的に考えて行動するということを言いたいのだろうと推察する。

 そういう意味であれば、「自分」を中心に置くということはきわめて重要な人生哲学ではないだろうか。

 利己主義というコトバの対語は利他主義である。
 利己主義に対して利他主義、自分ではなく、他者を中心に置く考え方。美しい響きである。

 しかし、実際問題、「自分」なくして「他者」を思いやることができるだろうか。生きる目的を利他主義に置いたとしても、その考えを思考し、行動する主体はあくまでも「自分」である。食べて排泄することによって自分の肉体を維持することなくして、その美しい思想を実践することもできない。

 儒教の徳目の中心に「修身斉家治国平天下」(礼記) というものがある。「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということですでに取り上げたとおりだ。

 まず何よりも「修身」、すなわちセルフコントロールからすべてが始まることを断言している思想のコトバだ。


「顧客中心」を行動原理とする企業も、思考と行動の主体はあくまでも「自社」である

 企業経営についても同じことだ。
 
 企業の存在目的は「顧客創造」にある、と喝破したのは経営学者ドラッカーだ。そして企業活動のエッセンスはマーケティングとイノベーションである、と。

 したがって、企業の行動原理において「顧客中心」というのはまったく正しい。利益というものは、正しい企業活動の結果、タイムラグをおいて発生する派生物であるからだ。だから「利益至上主義」は短期的にはさておき、長い目でみると続かないのである。

 しかしこの「顧客中心」という行動原理を採用し、これに基づいて行動する主体は、あくまでも「自社」である。顧客という他者ではない。

 この意味において、思考と行動の主体が「自社」が中心であるという姿勢に間違いはない。行動原理としての「顧客中心」とはまったく矛楯しない。これは実践というものの性格だ。

 そして、企業という組織体もまた、企業を取り巻く「外部環境」と、企業という組織体の「内部環境」の変数である。企業という存在は、つねに変化する相のもとにある。

 企業にとっての「外部環境」とは端的にいって市場環境であり、マクロ経済の状況であり、法規制などである。「自社」のチカラで変えていくことのできるものと、一企業のチカラではいかんともしがたいものの二つに区分できる。

 企業にとっての「内部環境」とは、一言でいってしまえば「自社」のもつ内部資源のこと、究極的には神座的資源(人材)のことである。個々の人間が集まって組織を形成している以上、個々のメンバーについても「自社」のチカラで変えられる側面とそうでない側面がある。

 「自社」は、その「外部環境」と「内部環境」が交差する点のうえに存在するといってよい。だからつねに変化する「外部環境」と「内部環境」という二つの変数によって、時々刻々と変化する存在であるといえる。


「自分」は不変の存在ではない。「外部環境」と「内部環境」の交差する点である「自分」は、時々刻々と変化する相のもとにある

 「自社」と同様、「自分」という存在も、不変の存在ではない。「自分」を取り巻く「外部環境」は時々刻々と変化しているし、「自分」という肉体をもった存在の「内部環境」も同じく時々刻々と変化している。

 生物学的にいえば成長や発展とは新陳代謝の繰り返しによるものであり、1年前はおろか、1日前でも1分前でも1秒前ですら同じ「自分」ではない。諸行無常。一切合切は常ならず。すべては変化の相のもとにある。細胞は分裂によって生成と消滅を繰り返す。

 だから「自分」といっても、そこに確固としたアイデンティティ(同一性)など存在するわけではないことは、『バカの壁』などの本において、解剖学者の養老猛司が喝破したとおりである。生物学の研究成果は、仏教の知見に合致する。運転免許証やパスポートなどで、氏名や生年月日などで同一人物であるとアイデンティファイしているのは、社会的な決めごとにすぎないのである。

 つまり「自分」というものは、生きている限り、とくに成長や発展とは言わないまでも、つねに生成途上にあるわけなのだ。人間は生物である以上、死ぬまで細胞レベルでの新陳代謝は続いている。いや、死んでからもしばらくはヒゲが伸びるから、細胞分裂自体はすぐに終わるわけではない。

 時間軸の幅を広く取ってみても、10代の頃の「自分」と、20代の頃の「自分」、30代の頃の「自分」・・・それぞれが同じとは思えないほど違う存在であることは、誰でも納得のいくことだろう。
 「自分」自身は変化したつもりはなくても、「自分」が外部環境と内部環境の二つの環境の交差する存在である以上、自ら望まなくても変化は避けられない。

 そして「自分」が主体であるということは、「自分」の意思で環境を変えることが可能であることも意味している。

 まず理解するということ、思考するということにおいて。「わかる」ことは「変わる」ことだと言ったのは歴史学者の上原専禄だが、何か物事を理解した瞬間、わかる以前の「自分」から、わかった以後の「自分」に変化しているのである。これは主体としての「自分」そのものの変化である。

 また行動することにおいて、主体である「自分」は「環境」に働きかけることができる。

 「内部環境」は、トレーニングや正しい生活習慣によって、能動的に変えてゆくことができる。

 「外部環境」は、変えることのできる外部環境と、変えることのできない外部環境の二つに区分して考えればよい。 
 
 変えることのできる外部環境については、「自分」がリーダーシップを発揮してまわりの人たちの意識を変えるなどの形で、変化を与えることは可能であるし、「自分」が行動する「場」を変えることで、自分を取り巻く外部環境を異なるものにしてしまうことも可能である。


「ありのまま自分」とは変化し続ける存在である。だからこそ、唯一無二(オンリーワン)の存在なのだ

 そう、「ありのままの自分」とは、変化し続ける存在なのだ。
 変わりたくなくても変わってゆく存在、変わろうと思えば変わりうる存在。

 そういう「自分」を虚心坦懐に見ることができれば、少なくとも近似値にまで接近することができれば、その「自分」を受け入れるしかないのであり、そこから出発するしかないのである。

 そして、変化しつづけるからこそ、どんな人でも唯一無二、すなわちオンリーワンの存在であることがわかる。個々の人間に、優劣は存在しない。それぞれが違う存在として生成発展しているからだ。

 「ありのままの自分」を掘っていけば、かならず泉がでてくる。宝がでてくる。たとえ人に誇るようなものではなくても、かならず何かがあることに気がつくはずだ。そしてそれは、他の誰のものでもない、掛け買いのないものだ。

 「自分」というものをそう捉えてこそ、思考と行動の主体である「自分」を中心に置く意味がわかってくるのではないだろうか。
 そういう存在であるからこそ、「自分」を思考と行動の主体に置くことによって、「自分」のまわりの人間関係に影響を与えていくことによって、人生を切り拓いてゆくことができるのである。

 「自分」を中心に置いた生き方は、だから利己主義とは無縁な生き方である。



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■「地頭の良さ」は「自分」を知って深掘りすることから始まる(シリーズ)

「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?

「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ

「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ





(2012年7月3日発売の拙著です)







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