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2025年5月10日土曜日

ひさびさに成田山を参詣(2025年5月9日)― 成田から成東へ その1 成田山を参詣し「成田羊羹資料館」を訪問

 

ひさびさに成田山にいってきた。

成田山(なりたさん)といっても山ではない。成田山新勝寺のことだ。千葉県成田市にある真言宗豊山派の寺院であり、成田山とはその山号のことだ。

子どもの頃に千葉県北西部の京成電鉄沿線に移住してきて以来、成田山参詣の街道筋である「成田街道」の沿線に住んできたので、成田山はたいへんなじみが深い。いまから10年以上前になるが、断食道場で断食修行したこともある。 

そういえば最近いってなかったな、たまには行かなくては、ということで昨日(2025年5月9日)日ひさびさに成田山へ。 

京成電鉄で成田空港行きに乗車するが、格安航空の利用客であろう、インバウンドの帰国組を含めた海外渡航者とその大型のキャリーバッグがが車両中を占有していて、通勤ラッシュ並の窮屈さに息苦しいこと限りなし。まあ、車内で悪さをするわけではないので大目に見るしかないか・・・ 

そんな海外渡航者とは違って、わたしは京成成田駅で下車する。成田空港方面に向かう乗客で、この駅で下車するのは日本人が大半だ。成田詣でとJR成田駅への乗り換えの人が多いのだろう。 





■成田山のひたすら下へと下っていく参道は・・

成田山の表参道は、いつも思うのだが、じつに興味深い。羊腸のごとき参道をひたすら下へ、下へとくだっていくのだ。いったん死んまた生き返るという、ある種のイニシエーション感覚を体感させるためなのだろうか、いつ来ても不思議に思う。 参道は産道か?

表参道を下りきったところに山門があり、そこから入って急な石段を登ると本堂がある。この石段が急なのだ。 

参道沿いには名物のうなぎ店など飲食店や雑貨店がぎっしりと軒を連ねている。だが、真言宗の本山である高野山より俗化された印象がないのは、参道が狭くて自動車は下に向けての一方通行だからだろうか。 

ゴールデンウィーク開けの平日午前中の成田山は、参拝客は少ない。少ない参拝者のなかで、インバウンド比率はせいぜい2割くらいだろうか。この日はタイ人観光客はいなかったようだ。 





「二宮尊徳翁開眼の地」の石碑があるのは、二宮尊徳がこの成田山で連続21日間(!)の断食を達成して、開眼しているからだ。知る人ぞ知るエピソードである。 

ところがその断食修行は、現在中止になっている。そのわけが現地にきてはじめてわかった。3年後の「開山1090年!」に向けて、「信徒会館」の建設地となっているためだ。はたして、断食修行は再開されることがあるのだろうか? 




境内の売店で、『成田街道いま昔』(湯浅吉美、成田山選書14、2008)を購入する。この本を買うのも、ひさびさに成田山にきた理由の一つだ。この本には ISBN がついてないので、一般書店には流通していない。 

この本以外の成田山選書は、断食道場に滞在した際に、たいてい読んでしまったが、この本は書架になかったような気がする。成田街道について詳しく知るために、手元においておきたい本の一冊だ。




■「成田羊羹資料館」をはじめて見学

さて、ふたたび表参道を、こんどはひたすら歩いて登っていく。つぎなる目的は、「成田羊羹資料館」である。今回ひさびさに成田に来た理由には、「成田羊羹資料館」を見学することもあった。 

成田と羊羹(ようかん)の結びつきは古い。成田で羊羹といえば米屋(よねや)である。全国的な知名度のある虎屋ほどではないが、すくなくとも千葉県民なら「米屋の栗羊羹」の存在を知らないはずがないのが米屋の羊羹。

ただし、古いとはいっても明治32年(1899年)の創業だから、125年の歴史しかないわけだが、けっして短いとは言えないだろう。 その米屋の企業ミュージアムが「成田羊羹資料館」である。その存在は昨年知ったばかりだ。 

今回訪問してはじめてわかったが、資料館はなんと参道に面した「なごみの米屋総本店」の裏にあった。いまのいままで半世紀近く知らなかったとは、まったくもってうかつな話である。 




資料館はこじんまりとした木造2階建てで、1階は企画展示ルームで、2階が常設展示スペースになっている。米屋の社史と羊羹の歴史、そして明治・大正時代の羊羹製造用具と創業者ゆかりの品々、昭和レトロ感のある広告宣伝ポスターなどなどが展示されている。 

なんといっっても目にとまったのは、わたしが生まれた年である昭和37年(1962年)の「缶入りの水ようかん」(当時の新製品)の宣伝に、デビュー当時の岩下志麻が採用されているということだ。いやあ、ほんと美人だなあ、と。 





「モラロジー」とは道徳科学のことで、創始者の法学博士・廣池千九郎(ひろいけ・ちくろう)の造語である。「ニューモラル」という小冊子を見たことのある人も少なくないかもしれない。その後、廣池千九郎の理念にもとづき、千葉県柏市には麗澤学園が開設されている。 

米屋の創業経営者は「米屋羊羹の信條」(昭和33年=1958年)を残している。資料館で配布しているパンフレットから引用しておこう。 


一. 人生本来の使命は享楽乃至(ないし) 財貨の蓄積に非ずして、相互扶助神人和楽の陽気暮らしを営むにあり 
二. 商業の目標は己れの利益を図るに非ずして、物資交流の仲介をなし世を益するの道にて、己れの活きる道亦(また)栄える道もその中にあり
 (・・・中略・・・) 
一七. 買うに元方を絞り、暴利を貪り、求めて飽くことを知らず、又機運に乗じ、狡智を弄し乃至(ないし)投機に輸贏(ゆえい)を争い、一攫千金の富を得て子孫の為に財貨を倉廩(そうりん)に充たすも、之等は何れも槿花一朝(きんかいっちょう)の夢、大自然不測の災いにあい必ず滅亡する 
十八. 己に薄く他に厚くし、苟(いやしく)も余力あらば歓喜して大に善種(社会福祉の為に尽くすこと)を植え、以つて徳を天の御蔵に貯えよ 


ざっとこんな感じで全部で18条まである。すばらしいではないか! 

近年パーパスなる英語がビジネス界で使用されるようになっているが、パーパスやミッションのバックボーンがなんであるか知ることは、とても大事なことだ。

 仏教やキリスト教、あるいは神道その他の宗教や道徳であることが一般的だが、米屋の創業者の場合、それが「モラロジー」だったというわけだ。 第1条に「陽気ぐらし」とあるように、創業者はもともと16歳以来の天理教の信者であった。

さて、展示スペースはそれほど大きなものではないので、一巡したら見学は終了、次の目的地の成東に向かうため、JR成田駅に向かって歩いていく。 (つづく) 


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2024年8月3日土曜日

書評『夕あり朝あり』(三浦綾子、新潮文庫、2000 単行本初版1987)― この伝記小説は文句なしに面白い「創業物語」だ!



『夕あり朝あり』(三浦綾子、新潮文庫、2000)という長編小説を読んだ。水をつかわないドライクリーニングの白洋舍の創業者の伝記小説だ。この本は、ほんとに文句なしに面白い。

読み始めると、どんどん先を読みたくなるので、電車での移動中に読み始めたが、どうしても最後まで読んでしまいたいという気持ちになってしまい、ついに3日目に読み切ってしまった。

三浦綾子の作品を読むのは、これが初めてのことになる。そもそも、あまり文学作品を読まないわたしだが、『氷点』という小説で有名な人であることは知っていたものの、なんとなくずっと避けて通ってきた。

「肺結核に脊椎カリエスを併発して療養生活13年、その病床でキリスト教に目覚め・・」というプロフィールに引いてしまったのだ。「まじめさを絵に描いたようなクリスチャン」、そんなイメージを勝手につくりあげてしまい、敬遠させていたのだろう。

ところが、この長編小説は、わたしのような経歴と趣味嗜好をもつ人間には面白い。創業者の一人語りという形をとった伝記小説だからだ。起業家の創業物語であるからだ。

ドライクリーニングの白洋舍の創業者は、五十嵐健治(1877~1972)という人である。


(五十嵐健治 Wikipediaより)


どんなキッカケだったか正確に覚えていないが、この人がキリスト教の精神にもとづいて起業したということを知って興味を抱き、『夕あり朝あり』の存在に行き着いたというわけだ。

思い立ったらすぐ行動に移す直情径行の人であり、まさに波瀾万丈としかいいようのない前半生、そして北海道で出会ったキリスト教に導かれ、キリスト教伝道を目的に起業する。キリスト教がまだ白眼視されていた明治時代のことである。

労働者としてさまざまな事業にかかわってきたが、最終的に選んだ事業は「洗濯業」であった。

明治時代当時は社会的に低く見なされていた仕事だが、「人の垢を落とす」ことに大いなる意義(=パーパス)を見いだし、苦難に満ちた試行錯誤の実験と研究開発の末に、独力で日本初のドライクリーニングに成功する。1907年のことだ。開拓者精神のたまものである。

この人ならぜひ助けたいという気持ちにさせるものが、創業者にはあったのだろう。化学者たちや、さまざまな人たちに応援されて成功したのである。

事業とは奉仕(=サービス)なのである。世のため人のために奉仕する。しかも、それを営利事業として行うことで、私益と公益を両立させることができる。

だから、1920年に会社組織にした際には大いに悩んだらしい。株主が多いと自分の思うようにキリスト教伝道というミッションを追求できないのではないか、と。65歳で社長を長男に譲ったあとは、会長としてとどまりながらも、起業本来の目的であったキリスト教の伝道(=ミッション)に生涯を捧げている。

それにしても、信仰をもっている人は精神的に強い。世間的にみたらあきらかに成功者なのだが、自分のことを小説の題材にしてほしいとは思わない、そう生前に語っていた謙虚な人だったそうだ。

だが、その人物をよく知る著者のおかげで、その生涯が作品として残されることになったのである。

『夕(ゆう)あり朝(あさ)あり』というタイトルだけだと、どんな内容かまったくわからない。サブタイトルもないから、内容を想像するのもむずかしい。

もちろん、著者としては一(いち)キリスト者の人生を描くのが目的だったのだろう。だが、1986年に書かれたこの小説は、エンタテインメント性がきわめて高い。新聞連載ものだったからだろう。

山あり谷ありの起業家の人生であり、近代日本を生き抜いた一人の日本人の人生。その素材としての素晴らしさだけでなく、著者のストリーテリング能力がきわめて高いのである。

だからこそ、「明治の日本人の創業物語」だといえば、ぜひ読んでみたいと思う人も少なくないのではないだろうか。


(画像をクリック!)



<関連サイト>

・・「創業者五十嵐健治は、日本におけるドライクリーニングの創始者であり、つねに業界のパイオニアでもありました。本資料館には、まさにクリーニングに生涯をささげた故人を偲ぶ遺品、著書や写真など、数多くの資料を展示しています。
「他人の益をはかり、他人をよろこばす、人生これにまさる愉快なことはありません」五十嵐健治は、1877(明治10)年に新潟県に生まれました。洗濯業を生涯の仕事と定め、1906年(明治39年)白洋舍を創業しました。外国には水を使わない蒸洗濯のような便利な洗濯方法があることを知り、多くの苦心を重ねながらも研究に打ち込み、日本において初めてドライクリーニングの技術を開発しました。
 創業当時から健治の信念である「開拓者精神」「奉仕の精神」は、今もなお受け継がれています。館内には、健治の遺品、著書や写真をはじめ、洗剤として用いられた植物や洗濯板をはじめ、火熨斗や炭火を用いたアイロンなど貴重な洗濯の歴史や技術に関する資料を展示しています。」
場所は、東京都大田区下丸子2丁目11番8号 白洋舍本社ビル1F。ぜひ一度訪問してみたい


(追記)



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・・もともとキリスト教徒であった夫妻が立ち上げた事業はパン屋であった




・・17世紀のオランダには、フランスやイングランドから洗濯物が集められ、集中的に洗濯が行われていた。カルヴィニズム精神が「清潔」をなによりも重視したことも背景にあったらしい


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2024年2月24日土曜日

書評『命知と天理 ― 青年実業家・松下幸之助は何を見たのか?』(住原則也、道友社、2020)―「青年実業家」は急成長する宗教組織から貪欲に学んでいた

 

『命知と天理 ー 青年実業家・松下幸之助は何を見たのか?』(住原則也、道友社、2020)という本を読んだ。期待どおり、松下幸之助にかんする長年の疑問に答えてくれる本であった。


■創業から14年後に「真の使命」を知った松下幸之助

松下幸之助は、1932年(昭和7年)5月5日をもって「命知元年」としている。会社創業の14年後のことである。

「命知」とは、「使命を知る」という意味でつかわれている。漢字熟語なら本来は「知命」とすべきであろう。とはいえ、松下幸之助は「命知」という表現で松下電器製作所(現在のパナソニック)がその「使命」を知り、その真の誕生であるとした。

そして、いわゆる「水道哲学」を前面に打ち出したのである。「水道哲学」とは、蛇口をひねれば水がでるように、適正価格で製品を大量に供給することで、世の中から貧困をなくしていこうという経営哲学のことである。現在でいえば限りなくNPO的な経営理念といえる。

そのきっかけが、取引先の知人に熱心に誘われて奈良県の天理教本部を見学したこと、そして大いに思うことがあり、目が開かれたことであった。ここまでは、比較的知られている話であろう。


■「青年実業家」は天理教本部で何を見たのか?

32歳の松下幸之助は1932年3月某日(・・正確な日付は不明)、なんと10時間(!)にわたって天理教の本部を知人の説明を聞きながらくまなく見学したのだという。大阪から片道1時間とはいえ、約半日を天理教本部の見学に費やしたのである。

そのとき松下幸之助は、天理教信者たちの熱心なはたらきに何を見たのか? 何を感じたのか? 何を学んだのか?  

本書は、その詳細について、天理教の「内側」から考察を行ったものだ。出版元の道友社は天理教の出版社である。

著者の住原氏は、天理大学教授で経営人類学を専門とし、経営理念などの研究を行っている研究者である。天理教の信者であるかどうかは分からない。

戦前の松下電器と天理教組織の類似点と相違点を詳細に分析している。この内容が、わたしの長年の疑問に答えてくれるものであった。とはいえ、なにぶんにも当時の関係者はすべて物故しており、資料の制約があり、推論に頼ることが多いとしている。 あくまでも、そういう前提のもとに読むべきであろう。

当時の松下電器は、数々の危機を乗り越えて発展途上にあったとはいえ、従業員規模は1,200人あまり。これに対して、急成長のさなかにあった天理教は信者が300万人(!)という大組織であった。 

信者たちは、どうしてみな嬉々として無料奉仕ではたらいているのか? どうやったらそんな巨大な組織を動かすことができるのか? それはもう、青年実業家にとっては驚きの連続であったことだろう。 


■天理教本部の見学後、松下幸之助は独立採算の「事業部制」を構築した

とはいえ、そこから先が、当時36歳の松下幸之助が並の経営者とは違うところであったのだ。

貪欲にも異分野である宗教組織のあり方から学び、それを大胆にも企業経営に取り入れて応用したのである。

天理教が独立採算の組織形態をとっていることをヒントに(・・ただし、これはあくまで推測)、独立採算の「事業部制」を構築したのである。そして、組織としてのベクトル統一を図るための求心力となりうる「使命」の明確化を行っている。

90年前の当時は、現在のように「経営学」は理論化も体系化もされておらず(・・ドラッカーがマネジメントを体系化したのは第2次大戦後のことだ)、経営にかんする有用な知識もメディアをつうじて流通していなかったのである。

松下幸之助は、みずからの体験をもとに実践的な経営知を確立したのである。「経営の神様」の原点がそこにある。 

もともと身体が弱く、宗教的な感受性の強い人だったようだが、松下幸之助は、まさに希有な資質の持ち主であったというべきだろう。

以上、ざっと簡単に本書の内容について見てきたが、じつに面白い本であった。長年の疑問が大いに氷解する内容であった。


■できる経営者は異分野からも貪欲に学ぶ

わたしもそうだが、松下電器(=パナソニック)にとっても、天理教にとっても「外側の人」である人は、読むと得るものが少なくないはずだ。

企業経営におけるミッション(=使命)とパーパス(=志)、組織論について考えるうえでも、参考になる点が少なくない。 

本書は天理教の出版社からでた本だが、天理教について詳しくない人にも理解できるよう、一般書としてくどいほど丁寧に解説している。 

松下幸之助と天理教に関心のある人は、食わず嫌いすることなく読むことを薦めたい。 


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目 次
はじめに 
第1章 天理教と松下電器の「類似」 
第2章 起業から昭和7年までの松下電器 ―「通念」に基づく経営の時代 
第3章 初めて親里(おやさと)を歩く(午前) 
第4章 教祖中山みきの足跡と初期教団の歩み 
第5章 初めて親里を歩く(午後) 
第6章 戦後の展開に見る「類似性」 
第7章 松下電器の経営理念の独自性を考える 
おわりに

著者プロフィール
住原則也(すみはら・のりや)
1957年生まれ。神戸大学文学部卒業。ニューヨーク大学大学院博士課程修了(文化人類学博士、Ph.D)。天理大学国際学部教授。国立民族学博物館共同研究員、Anthropology of Japan in Japan学会長(2012~2018)、公益財団法人松下社会科学振興財団理事(2010~2019)など歴任。著書に、『グローバル化のなかの宗教』(編著、世界思想社)、『経営理念』(共編著、PHP)、『経営と宗教』(編著、東方出版)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




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2016年2月7日日曜日

映画『オデッセイ』(2015年、米国)を見てきた(2016年2月7日)ー 火星にたった一人取り残された主人公は「意思のチカラ」と「アタマの引き出し」でサバイバルする


先週から日本公開されているハリウッド映画の『オッデセイ』(2015年、米国)を、TOHOシネマズで見てきた(2016年2月7日)。

近未来を舞台にしたSFアドベンチャー映画で、サバイバルものである。主演はマット・デイモン、監督はリドリー・スコット。



NASA の火星探索ミッション遂行中のクルーは、予期せざる突然の砂嵐に巻き込まれ、行方不明になった主人公一人を残したまま命からがら火星を脱出。だが、隊長を筆頭にクルー・メンバーを見捨てたのではないのかという良心の呵責がわだかまる。

ところが、主人公は生き残っていたのだ。チームメンバーも NASA も知ることなのないまま。

生き残ったのはたのはいいのだが、次のフライトが火星に来るのはなんと1,400日後、つまり4年後だ。火星は地球から 2億2,530万kmも離れている。しかも、そう頻繁にロケットが打ち上げられるわけではない。

通信は途絶え、食料も31日分しかないという極限状況に追い込まれていることに気がつく主人公。 こんな極限状況のなか、主人公はとにかく前向きの姿勢でサバイバルすることのみを考える。けっしてあきらめないのだ。

(日本版チラシ)

ネットも使えない状況では検索もできない。頼りになるのは、生き残るというきわめて強い「意思のチカラ」と「アタマの引き出し」のみだ。

植物学専攻の主人公は、次々と発生する難問を一つ一つ問題解決していくが、一難去ってまた一難という状況だ。だが、神に祈ることはいっさいしない。頼るのは自分のアタマのなかにある科学知識と手仕事のスキルのみである。資源の限られた閉鎖空間のなかで生き抜くには、これしか対応がないのだ。この姿勢は最初から最後まで一貫している。地頭(ぢあたま)のよさを感じさせる主人公である。

最後の最後までアクシデントつづきで、一瞬たりとて気が抜けない内容だが、ストーリーの面白さと、ディテールにこだわった圧倒的な映像のパワーで、最後まで楽しめる知的エンターテインメント映画だ。アカデミー賞は間違いないだろう。見て絶対に損はない。

原題は The Martian といたってシンプルなもの。「火星人」という意味だ。英語版のポスターにある Bring him home (帰還させよ)は、 映画のなかでは Bring him home alive ! というセリフとして登場する。「生還させよ」という意味だ。これは「地球人」からの要求だ。

(チラシのウラ)

近未来の設定であるが、正確な年代は映画のなかでは示されない。なぜか全編を流れるのは、ドナ・サマーやグロリア・ゲイナーなど、1970年代から80年代にかけてのディスコ音楽のヒットソングばかりで、なんだかひじょうに不思議な感覚にとらわれるのだ。映画を見ていてカラダが動いてしまう。この感覚は、わたしと同世代の人間ならわかると思う。

リドリー・スコット監督の傑作SF映画 『ブレードランナー』(1982年)では、近未来のロサンゼルスが舞台で日本がテーマとしてかかわっていたが、今回の『オデッセイ』(2015年)では、とってつけたような印象が残るものの中国がからんでくる。映画配給のマーケティング目的もあろうが、こと宇宙分野では中国に優位性があるのは否定できない。東京ではなく北京なのだ。この30年の変化は残念ながらじつに大きいと感じないわけにはいかない。

地球以外の宇宙空間には国際法が適用されるので、火星は公海だという法的扱いにかんする指摘も、ストーリーとは直接は関係ないが興味深い。

リーダーシップとチームワークなど、いろんな観点からも捉えることも十分に可能な内容だ。ぜひ原作も読んでみたいという気持ちにさせられる。アンディー・ウィアのSF作品 『火星の人』(The Martian)は、アメリカでベストセラーなのだという。

期待を裏切らない文句なしの傑作である。もう一度見たい。





<関連サイト>

映画 『オデッセイ』 公式サイト(日本語)

映画『オデッセイ 』予告編

THE MARTIAN | Bring him Home | Official Trailer | HD (トレーラー英語)


全米ベストセラー小説『火星の人』の映画版『オデッセイ』、評価が真っ二つの理由 (日経トレンディ、2016年2月5日)
・・この記事によれば、原作にも中国が描かれているとのことだ


■映画にでてくるディスコ音楽のヒットソングから

I Will Survive (Gloria Gaynor) (YouTube)

Donna Summer- Hot Stuff (YouTube)

(2016年2月12日 情報追加)


<ブログ内関連記事>


「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「すべてをアタマのなかに記憶して持ち運んだのです。まさに究極のポータブル・ナレッジ、まさに文字通りのノマド(=遊牧)ライフですね。 すべてを失ったかにみえた災難であっても、アタマをさしながら 「ここにすべてがある!」 とクチにすることができるのです。」


■火星探査ミッションのシミュレーション

書評 『バイオスフィア実験生活-史上最大の人工閉鎖生態系での2年間-』(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996)-火星探査ミッションのシミューレーションでもあった2年間の記録


■マット・デイモン主演作

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ
・・アパルトヘイト廃止後の南アフリカで開催されたラグビーワールドカップ大会を描いた映画

映画 『プロミスト・ランド』(米国、2012)をみてきた(2014年9月8日)-衰退するコミュニティ(=共同体)とプロミスト・ランド(=約束の地)
・・マット・デイモン主演で、みずからが脚本を書きプロデュースした映画


■サバイバルもの

書評 『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)-日本人がほんらいもっていた、驚くべきサバイバル能力に大興奮!! ・・航海中に遭難し絶海の孤島で生き延びた日本人たち

書評 『私は魔境に生きた-終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年-』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)-日本人のサバイバル本能が発揮された記録
・・大東亜戦争の敗戦を知らずサバイバルした日本人たちの記録

映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた-ヴァイキングの末裔たちの海洋学術探検から得ることのできる教訓はじつに多い
・・ノルウェーのヘイエルダール博士の第1回探検行の映画化

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い
・・ノルウェーの探検家アムンセンはなぜ成功したのか?

(2016年2月18日 情報追加)



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2015年4月13日月曜日

「企画展 ガールズ ビー アンビシャス! ― 横浜山手のミッション・スクール」(横浜開港資料館)に行ってきた(2015年4月12日)― 女子ミッションスクールは横浜から始まった



「企画展 ガールズ ビー アンビシャス!―  横浜山手のミッション・スクール」(横浜開港資料館)に行ってきた。好天にめぐまれた港町は散歩日和、ミュージアムめぐりの皮切りは、東急みなとみらい線の日本大通りで下車してすぐの横浜開港資料館から始めた。
  
横浜市の山手地区が、女子ミッションスクールの誕生の地となったことは、ある意味では当然といえば当然といっていいかもしれない。

幕末の1859年に「日米和親条約」によって開港された横浜の外国人居留区に集まってきたのは貿易商人たちだけでなく、キリスト教の宣教師や修道女もまた引き寄せられてきた。明治時代初期は、世界的にキリスト教伝道ブームでもあったからだ。

とくにアメリカからは男性の宣教師だけでなく、いわゆる「婦人宣教師」たちが多数来日している。彼女たちは、当時の日本では手薄であった女子教育の充実に取り組むことから、キリスト教の布教の着手したのであった。

日本の女子教育におけるミッションスクールの意義は、強調してもしすぎることはない。明治政府は女子教育にはチカラを入れてなかったため、キリスト教ミッションが果たした役割はきわめて大きかったのである。ミッションスクールの隆盛が、のちに明治政府に危機感をもたせ、女子教育の充実に着手させることになる。
    
今回の企画展で紹介されているのは、フェリス女学院(創立1870年)、横浜共立学園(創立1871年)、横浜英和学院(創立1880年)など5校。いずれも明治初年の創立である。
  
こじんまりとした展示会場だが、創立間もない頃の学校や授業の様子が、当時の写真や教科書の実物、そして制服などをつうじて感じ取れる展示内容で、なかなか内容充実したものであった。
   
横浜開港資料館に行ったのははじめてだが、「常設展示」もなかなか見所が多かった。

ペリー提督率いる米国艦隊が日本を「開国」させた舞台の一つが横浜であり、第二次グローバリゼーションの最先端となった横浜について、同時代の世界情勢のなかで捉えることのできる展示である。

企画展は4月19日までだが、常設展示も興味深いので、ぜひ足を伸ばしてみるといいだろう。ミュージアムショップで販売されている絵はがきや過去の展示会の図録もまた魅力的である。



<関連サイト>

横浜開港資料館 公式サイト

女子教育が遅れた日本で、「名門女子校」が生まれた理由-名門校はいかにして名門校になったのか【4】 (教育ジャーナリスト おおた としまさ、BLOGOS、2015年4月19日)

(2015年4月20日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

■ミッションスクール関連

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー 
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本


■日本における女子教育の先覚者たち

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・津田梅子は、津田英学塾(・・現在の津田塾大学)の創立者となる

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・原作の『陛下をお救いなさいまし』。恵泉女学園創設者の河井道(かわい・みち)という女性と、マッカーサーの副官フェラーズ准将』とするべき内容で、知られざる歴史を描いた正統派のノンフィクション作品

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「新渡戸稲造は日本の女子教育に多大な貢献を行った人としても記憶されるべきだろう。自分自身もそのメンバーであったクエーカー(=フレンド派)が日本につくった普連土学園、津田梅子の女子英学塾(・・のちの津田塾大学)、東京女子大学、そして先に名前を出したが弟子の河井道(かわい・みち)が創立した恵泉女学園などなど。いずれもキリスト教精神にもとづき「人格」を重視した教育を根幹に据えたものである」


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