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2021年2月2日火曜日

『エクス・マキナ』(2016年)などハリウッドのSF映画3本を視聴(2020年12月20日)-ほかに『アップグレード』(2019年)と『エリジウム』(2013年)

  
週末はひたすら映画を見るという週末を過ごしていた昨年2020年12月、いままで見てなかった映画をまとめて視聴することにしていた。 

SFを中心に3本見たのはいずれも amazon prime video の会員特典で無料で視聴した(2020年12月20日のこと)。

2000年以降のSF映画は、宇宙ものからAIものが主流になってきたようだ。はたして、AIの進化を人間は制御できるのか? 


まずは、『エクス・マキナ』(2016年、米国)。108分。近未来ものSF。この映画は面白かった。 

独占的市場シェアを占めるサーチエンジン会社のトップが、風光明媚な山中に秘密裏に設置した研究施設で開発を進めている人型ロボット。AIは人間の感情をもつかどうか、「チューリング・テスト」を行うために選抜された若手プログラマーが体験する、1週間で7回のセッションとその結末。

「シンギュラリティ」(=特異点)にかんする会話内容が、なかなかもって知的で刺激的。タイトルの「エクス・マキーナ」(ex machina)とはラテン語で「機械仕掛け」の意味。Deus ex machina(機械仕掛けの神)というフレーズでバロック演劇で使われていた。



つぎに、『アップグレード』(2019年、米国)。これも近未来ものSFといっていいだろう。バイオレンス・アクション・ホラー。99分。 

事故で脊髄を損傷した男性に埋め込まれたAIチップ。男性に語りかける内面の声はAIによるもの。最初は自分の意志で「制御」できたAIが、ある機会をきっかけに「自律性」を獲得し、「制御不能」な暴走状態となる。



最後に、『エリジウム』(2013年、米国)。109分。これはある意味では古典的な宇宙ものSFの系譜にあるというべきか。さらにいえば、古代ローマや古代エジプトなど、奴隷制のあった古代国家スペクタクルものの系譜というべきか。

劣悪化する地球環境を避けるため、「上級市民」たちは地球外に設置された「エリジウム」(Elysium)という衛星(・・宇宙ステーションのコロニー)に移住することになる。ただし、モトローラの衛星通信の「イリジウム」(Iridium)と似ているが、つづりが違う。

「上級市民」と「下級市民」(=下層階級)は、住む場所が完全に区分されるユートピアというかディストピア状態。下級市民が暮らす地球では英語+スペイン語、上級市民が暮らすエリジウムでは英語+フランス語。この対比の「聞こえる化」は、米国市民ではない私には滑稽に響くが、米国の社会意識の反映ではあろう。



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2014年8月7日木曜日

書評『ロボット新世紀』(シリル・フィエヴェ、本多力訳、文庫クセジュ、2003)-ロボット大国ではないフランスのジャーナリストが簡潔にまとめたロボット開発の見取り図


『ロボット新世紀』というタイトルになっているのは、21世紀初頭の2003年に出版されたからだろう。原著は、2002年にフランスで出版された Les robo(レ・ロボ=ロボット) という、じつにそっけないタイトルの本である。

「文庫クセジュ」は、フランスの岩波新書のようなものだ。サイズからいって文庫ではなく新書であるだけでなく、自然・人文・社会の科学全般にわたる百科全書的な知のライブラリーの日本語版である。「クセジュ」は、16世紀のモンテーニュの名言 Que sais je ?(わたしは何を知っているというのか?)という反語的表現からきている。

全般的にその分野の碩学が、簡潔なページ数に学識を詰め込んだかつてのスタイルと異なり、最近のものは読みやすくて理解しやすいものが多くなった印象を受ける。これは翻訳レベルの向上だけでなく、フランス語の本じたいがそういう傾向にあるのだろう。知の軽薄化というよりも、それが本来の「一般読者向け啓蒙書」のあり方ではないか。英語圏の影響だろう。

じつはこの本は、買ってからすでに11年もたっているのだが、ずっと本棚の奥で眠っていたこの本を「再発見」してパラパラと読んでいたら面白いので、あっという間に最後まで読んでしまった。

日進月歩のロボット分野のことだから、原著出版から12年もたてば、もうはるかかなたの昔のような気がしなくもない。だが、押さえるべきところは押さえているので過不足はない。最新事例を入れ替えれば、2014年時点でも読む意味はないとはいえない。

ロボット前史からはじまり、ロボット開発の方向性を分類している。「目次」を見ていただければわかると思うが、現在のロボット開発の方向性はほぼ網羅されている。

フランス人のコンピュータエンジニアでジャーナリストの著者が、フランス人向けにフランス語で書いた本だが、でてくる事例の大半は日本とアメリカである。この両国がロボット分野では世界の二大大国なのである。とはいえ、日本人が書いたのでもアメリカ人が書いたものでもないので、第三者が俯瞰的に見ている公平な視点が感じられる。



読んでいて思うのは、現在でも圧倒的に中心に位置づけられる産業ロボットを除けば、ヒューマノイドという二足歩行の人間型ロボット開発に注力してきたのが日本だが、どうも日本人には「ロボット性善説」があるようだ。人間の生活空間における人間とロボットの共生というテーマである。たしかに著者がいうように、文化的な影響が無意識のうちに働いているのだろう。

だが、アメリカにかんしてはかならずしもそうではない。アメリカは軍事以外でもさまざまな用途のロボット開発が行われてきているが、あくまでも「道具」として位置づけている印象を受ける。いってみれば「ロボット性悪説」とでもいうべきか。ヨーロッパもそうだが、アメリカでも開発者の動機の背後には、哲学や思想が背景にある印象を受ける。人間機械や人造人間である。

本質においてコンピュータであるロボットは、ますます「自律性」を明確にしつつある。コンピュータに自律性とモビリティが加わると自立型のロボットになる。フランス人の目からみると、アメリカのロボット開発にある種の懸念をもっていることがわかる。

「第4章 特殊探査ロボット」では、「自律性」を備えたロボットの出現によって、アシモフのロボット三原則の尊重がますます難しくなるであろう事が指摘されている。

特殊探査ロボットのカテゴリーには、戦争、観測、偵察、探索などの目的が含まれるが、もっとも裾野が広く投資額が膨大であり、目的性や道具性が明確なこの分野では、自律性をもったロボットが制御不能になった場合の What-if (もし~なら)にかんするイマジネーションが必要となってくるはずだ。「性悪説」が不可欠なのである。

人工知能そのものにはページはあまり割いていないが、「ロボットが知能的であるとは?」という問いを最後に行っている。こういう問いは西欧人ならではという気もする。

著者は、人間型ロボットであるヒューマノイドが感情面まで備えたように見えるのは、人間型ロボットだけでなくペットの動物に対しても、人間はどうしても擬人化して感情移入しがちだからだとする。ロボットに知能があるのは、人間がそのように設計しているからだ、と。2002年当時でも、2014年現在でも、この見解はそのとおりだろう。

だが、著者は未来にかんしては断定的な結論は出すことなく、アメリカの発明家で人工知能研究の第一人者カーツワイルの「特異点」にかんするビジョンも含めて、さまざまなロボット開発者や人工知能開発者の議論を紹介している。ここでもその大半がアメリカ人と日本人の見解になるのだが、その違いが興味深い。

先日(2014年6月)、日本のソフトバンクが人間の自然言語を理解する人間型ロボット Pepper を発表したが、プロトタイプはフランスのベンチャー企業 Aldebaran Robotics のものだという。日本企業でもアメリカ企業でもなく、フランス企業と提携したというのが興味深い。個別企業との提携だが、ロボット開発思想にフランス的なものがあるのかどうか。

「クセジュ」は写真も図版もいっさいない、文章だけのそっけないつくりの本だ。日本語版もそうである。フランスの「クセジュ」は、同じタイトルの本を、著者を替えて定期的にアップデートしているが、つぎのエディションではホンダでもソニーでもなく、ソフトバンクの取り組みが全面にでてくるのかもしれない。




目 次

はじめに
第1章 ロボットの歴史
 Ⅰ ロボットという言葉の進化と方向
 Ⅱ 映画とサイエンス・フィクション
 Ⅲ 最初のロボット
第2章 産業用ロボット
 Ⅰ 敏感でダイナミックな市場
 Ⅱ 目的が異なるさまざまなロボット
 Ⅲ 外科手術支援ロボット
第3章 家庭用ロボット
 Ⅰ 純粋に仕事が目的のロボット
 Ⅱ 高級なオモチャ
 Ⅲ アイボ、家庭用ロボット、すべてをこなすパートナー
 Ⅳ ロボット泥棒にご用心
 Ⅴ パーソナルロボットのオペレーションシステム
第4章 特殊探査ロボット
 Ⅰ 戦争と秩序の維持
 Ⅱ 探索ロボット
 Ⅲ 闘争するロボット
第5章 人間型ロボット
 Ⅰ ヒューマノイド型ロボット、なにを目ざすのか?
 Ⅱ 歩くロボット、アシモ
 Ⅲ ソニーの夢ロボット
 Ⅳ HRP、日本の未来のスター
 Ⅵ アメリカのコグが道筋を示す
 Ⅶ 「社会化」する機械、注目されるキズメット
第6章 ロボットの未来
 Ⅰ いくつかの大きな傾向
 Ⅱ 問題の人工知能
 Ⅲ 未来を予測する
おわりに
 Ⅰ 多様性の支配
 Ⅱ 曲がり角
 Ⅲ 意識するロボットか? あるいは一緒に存在するロボットか?
訳者あとがき
参考文献/ウェブリスト



著者プロフィール
シリル・フィエヴェ(Cyril Fiévet)
1967年生まれ。コンピュータエンジニアでジャーナリスト.1991年、トゥールーズの国立電子情報高等学院を卒業。1994年までパリのオルガ・コンセイユというコンサルタント会社に情報システムエンジニアとして勤務したあと独立。現在、ウェブサイトを利用したコンピュータ、ロボット、ナノテクノロジーなどの先端科学技術を専門とするジャーナリスト、フリーランスライターとして活躍。(訳者あとがきより)

訳者プロフィール
本多力( ほんだ・つとむ)
1977年東京工業大学大学院博士課程修了。国内外の大学研究所等をへて現在日本原子力研究所勤務。富士山火山洞窟学研究会理事、日本洞窟学会評議員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『ロボットとは何か-人の心を写す鏡-』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」という哲学的な問いを考える手引き
・・本書ではカバーされていないジェミノイド

「ロボカップ ジャパンオープン 2013」(会場:玉川大学・玉川学園)の最終日にいってきた(2013年5月6日)
・・対戦型ロボットの大会

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・・「ロボット性悪説」

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・・ロボットと一体化する人間と知能の行方

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・カーツワイルの「特異点」(シンギュラリティ)



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2014年8月5日火曜日

書評『ロボットとは何か ー 人の心を写す鏡』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」というロボット工学者の哲学的な問い



「ロボットとは何か」というズバリそのもののタイトルである。

そう、「ロボットとは何かと、ときには立ち止まって考えてみる必要がある。とくに多くの日本人のように、物心ついた頃から人型ロボットやネコ型ロボット(笑)が当たり前のようにマンガやアニメの主人公として活躍する国に生まれ育った人間にとってはなおさらだ。

あまりにもロボットという存在が当たり前すぎて、その意味を考えたこともないというのが、ロボット研究者や開発者以外の日本人の状況ではないか。ロボットはつねに人間と共生し、ロボットは人間を助けてくれるだけでなく、人間がそのなかに乗り込んでついには一体となるという存在。そういう「思考実験」は、日本人は子どもの頃からアニメをつうじて、当たり前のように吸収し無意識のうちに感じている。日本という「希有な環境」において。

だが、欧米人、とくにヨーロッパ人はそうではないらしい。これは著者の石黒教授自身が本書のなかで書いていることだ。ドイツ、イタリア、英国、フランスなどのメディアが頻繁に取材に訪れるだけでなく、教授が開発している「ジェミノイド」(・・上掲の帯の写真)をじっさいに見た人は、根掘り葉掘り質問してくるらしい。

ヨーロッパでは、ロボットというのはかならずしも日本人が考えているように「善なる存在」という側面だけではなく、「悪にもなる存在」にもなりうるという両義的な理解があるからではないだろうか。それはゴーレムやフランケンシュタインに端的に表れている。

だからこそ、ロボットが従うべき有名な「アシモフの三原則」なるものがあるわだ。人間への安全性、命令への服従、自己防衛を目的とする、という三原則である。だが、考えてみれば、ロボットだけではなく、人間だって善だけでなく悪にもなりうる存在ではないか。

「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」、というのが石黒氏の基本姿勢だ。しかも人型ロボットであるアンドロイド(android)、しかも「自分」そっくりの不気味な「ジェミノイド」(geminoid・・双子座のジェミニからの造語)の開発は、「人間とは何か」だけではなく、「自分と何か」という哲学的な問いさえ誘発する。人型ロボットに対して人間は「擬人化」してしまうだけでなく、ジェミノイドには「自己」の複製、あるいは分身としてのドッペルゲンガーを見てしまうからだろう。

副題にあるように、ロボットとは自己探求を促す、まさに「人の心を写す鏡」のような存在なのだ。いや正確にいえば、鏡そのものというよりも、鏡に映った自己像を立体造形化したものだというべきであろう。

本書は、じっさいに人型ロボット開発の最先端にいる研究者が、日々感じていること、考えていることを自分のコトバで語ったものだ。じつに読みやすく、いろんなことを考えさられる。

現在じっさいに普及しているロボットの大半は、いわゆる産業用ロボットである。あくまでも人間の作業の延長線上の仕事を行い、あるいは人間にはできない、人間がやると効率的ではない仕事を代替する「機械」としての意味合いが大きい。すでに家庭でも普及しているお掃除ロボットなども、そのコンセプトが基本にある。

産業用ロボットであれ、人型ロボットであれ、ロボットの本質は「機械」であり、しかも「人工知能」で制御されている。「知能を備えた機械」がロボットなのである。

しかも自然言語処理のスピードが格段にアップしてきており、人間と人型ロボットの共生も時間の問題となりつつある。いわゆる「機械学習」によるパターン認識能力の向上により、「知能」の側面だけみれば、いずれロボットが人間を追い越すのは間違いないだろう。

ここで思い出さなくてはならないのが、「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」という著者の基本姿勢である。ロボットと人間は、何がどう違い、共通しているのか。人間を軸にして、ロボットと動物を比較してみると見えてくるものがある。

コトバを理解するという点においては、動物よりもロボットのほうが人間に近い。動物は音声信号でコミュニケーションをとりあっているが、人間が使用する自然言語そのものを理解しているわけではない。動物は、直観的に人間の感情を読み取り反応する能力はもっているが、コトバは理解していない。コンピューターどうしのコミュニケーションはすでに行われており、ロボットとロボットどうしのコミュニケーションも可能だろう。

ロボットにも五感という知覚機能はあるが、現状においてはもっぱら視覚と聴覚が中心である。触覚や嗅覚についても将来的には実装可能だろう。とはいえ、人間の五感に追いつくことがはたして可能かどうかはわからない。ましてやロボットが動物の五感を越えるのは困難なことだろう。ロボットが直観力をもつことになるのかどうかもわからない。

肉体を備えているという点では、人間もまた動物である。この点においては、人間とロボットが大きく異なる点だろう。だが、肉体の定義いかんによっては、そうもいえないかもしれない。「肉体」とはなにかという問いも必要になってくるかもしれない。これは心身問題でもある。エネルギー源として電気を使用しない点も、人間と動物は共通している。そしてこの両者には「死」が存在する。

最終的に、人間とロボットをわかつものは、「魂」の問題になるのではないか? ロボットには死は存在しない。そもそもロボットに「生命」があるように見えても「生命」そのものではなく、したがってロボットには「死」も存在しないのだ。「生命」は「魂」と密接な関係がある。

では、ロボットは「魂」をもちうるのか? そもそも「魂」とは何であるのかという議論が必要になってくるが、これはきわめて難しい。

人間ではない動物、人間ではないロボット。動物とロボットはともに、人間とはなにかを考えるための鏡というか参照系のようなものだ。

ロボットについて考え出すと切りがない。根源的な問いを突きつけられるからだ。「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」。

いずれ人型ロボットが家庭に普及するようになると、「ロボットと人間の共生とは何か」を当事者として考える人が増えていくことを意味している。まずは、読者自身がさまざまな「思考実験」を行うのが現在の段階であろう。

本書は読みやすいが、さまざまな問いを誘発する良書である。ぜひ読むことをすすめたい。





目 次

プロローグ ロボットは人の心の鏡
第1章 なぜ人間型ロボットを作るのか
第2章 人間とロボットの基本問題
第3章 子供と女性のアンドロイド
第4章 自分のアンドロイドを作る
第5章 ジェミノイドに人々はどう反応し、適応したか
第6章 「ロボット演劇」
第7章 ロボットと情動
第8章 発達する子供ロボットと生体の原理
第9章 ロボットと人間の未来
エピローグ ロボット研究者の悩み
謝辞


著者プロフィール

石黒 浩(いしぐろ・ひろし)
1963年、滋賀県生まれ。山梨大学工学部卒業、同大学院修士課程修了。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。現在、大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授。文部科学省グローバルCOEプログラム「認知脳理解に基づく未来工学創成」拠点リーダー。ATR知能ロボティクス研究所客員室長。JST・ERATO浅田共創知能プロジェクト・グループリーダー。知能ロボットと知覚情報基盤の研究開発を行い、次世代の情報・ロボット基盤の実現をめざす。人間酷似型ロボット研究の第一人者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

「不気味の谷」 by 森 政弘 (GetRobo) (1970年、エッソ・スタンダード石油の広報誌「Energy(エナジー)」(第7巻第4号、上の写真は表紙)に掲載されたもの)
・・『ロボットとは何か』でも、ジェミノイドが不気味な印象を与えることにかんして、日本のロボット工学の父・森正弘博士の「不気味の谷」(uncanny valley)仮説とその概念図が掲載されている。まだ人間型ロボットが登場する以前の1970年に発表されたこの仮説は、その発想が直観的なだけでなく、一般人も十分に共有できるものだろう。森博士へのインタビューも掲載されているので、ぜひ目を通してほしい。森博士は「自律分散型」ロボット開発の先駆者である。

(uncanny valley wikipedia英語版より)


「人間とは何か」に迫る、それがロボット研究の原動力  大阪大学 教授の石黒浩氏に聞く (シリーズ ロボティクスの探求者たち、日経テクノロジーオンライン、2014年8月26日)



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書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!

Παθηματα, Μαθηματα (パテマータ・マテマータ)-人は手痛い失敗経験をつうじて初めて学ぶ
・・「痛みをつうじた学びそのものはネコにも存在するが、ネコなど人間以外の動物と人間を区別するのはコトバの有無である。しかも、そのコトバじたい、コンピューターによる機械言語はさておき、人間があやつる自然言語については、まだまだ解明されていない」

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない

「魂」について考えることが必要なのではないか?-「同級生殺害事件」に思うこと



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2013年5月6日月曜日

「ロボカップ ジャパンオープン 2013」(会場:玉川大学・玉川学園)の最終日にいってきた(2013年5月6日)


「ロボカップ2013」にいってきた。会場は玉川大学・玉川学園(東京都町田市)である。

正式名称は、ロボカップジャパンオープン2013東京。TVでは放送しているロボカップだが、会場でみるのははじめてだ。ことしで14回目の開催だという。

「自分で考えて動く自律移動型ロボットの競技会」というのがそのコンセプト。「西暦2050年にサッカーの世界チャンピオンチームに勝てるロボットのチームを作る」という分かりやすく夢のある目標にむけてのチャレンジの一環である。

仕事の関係で産業用ロボットは飽きるほど見てきたが、学生がつくる競技用のロボットもたまに見るのも悪くないかもしれない。

ロボット相撲やロボットサッカーがあるが、こういうゲーム性の高いイベントには人が集まりやすい。

(ロボットがサッカーボールを蹴る)

このイベントは競技会だが、毎年ルールのハードルをあげてロボット開発の推進を図っているということだ。

(自律的に動く中型ロボットによるサッカー)

このほかレスキューロボットもあった。社会に貢献するためには、大きな期待が寄せられている分野である。

(ロボットが障害物を登っていく)


ジュニアリーグも開催し、研究だけではなく教育面にも力を入れているという。子どもというものは、基本的に自分で組み立てた機械が動くのを見るのは好きなハズだ。

(小学生の好奇心を大学生が支援)

こういう好奇心をうまく学習につないでいくのが教育の役割である。好奇心から始まる学習(ラーニング:learning)は、強いて勉める勉強ではない。この点においては、『ロボカップジャパンオープン2013東京』に向けて」(玉川学園)の基本姿勢は大いに評価されよう。

ロボット王国日本であるが、やはり人型ロボットは大学生以下には難題であるようだ。企業とは異なり開発コストの問題もあるだろう。教育という観点からいえば、まずなによりも機械工学とソフトウェア工学の観点からロボットの基礎開発に取り組む必要があるからだろう。

その基礎のうえにたって人型ロボットに本格的に取り組めば、脳研究などとの相乗効果もでてくることが期待できる。すでに人工知能(AI)研究はすすんでいるが、人間の脳のような複雑でエネルギー低消費型の知能は存在しない。この面での研究も必要だ。

ロボット工学という機械工学とソフトウェア工学の融合分野が、さらに脳研究を含めた人間研究と人間社会研究につながっていくのであれば、文理融合の重要な分野として位置付けることも可能となってくる。

現在アメリカでは無人化兵器開発の一環として軍事ロボットの研究が急速に進んでいるが、ロボット工学先進国日本としては、アメリカとは異なるアプローチがあってもよい。

そんなことを考えながら、会場を回ってみた。五月晴れのさわやかな一日であった。





<関連サイト

ロボカップ ジャパンオープン2013(玉川学園)

“日本ロボット”はどこへ~問われる軍事利用~(NHKクローズアップ現代 2009年4月13日)

アンドロイド“人間らしさ”の追求(NHKクローズアップ現代 2011年1月12日)


<ブログ内関連記事>

ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した

玉川大学の 「植物工場研究施設」と「宇宙農場ラボ」を見学させていただいた-一般的な「植物工場」との違いは光源がLEDであること!




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2009年7月29日水曜日

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』 を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した(2009年7月29日)




1995年にTV放送されてからなんと14年目にして、初めてかの有名なアニメ作品『エヴァンゲリオン』をみた。

 設定は2014年、主人公の碇(いかり)シンジは14歳の設定、意図したわけではないが、なにやら暗合めいた話ではないか。

 4日間かけて全26話を見終わった。総計13時間近くなる。どうせなら最初から28話にして14時間で設定すればよかったのでは?

 放送当時から、とくに主人公のひとりである綾波レイ(写真)のフィギュアがちまたにあふれていたが、アニメそのものはいまだ見たことがなかったし、1995年当時すでに30歳代の大人(?)がアニメについて話すのは、なんだかオタク扱いされかねないので避けていた、ということもあるような気もする。

 それまでのロボットアニメの常識を覆した難解な作品であること、はそのとおりである。その意味では大人でも十分に楽しめる。すでに古典か?


 このアニメが制作・放送された1995年は、私の認識においては、それは「終わりの始まり」の年であった。

 阪神大震災にオウム・サリン事件、キリスト教的伝統のない日本であるにもかかわらず、「終末論」的幻想が世の中にエーテルのようにみちみちていた。

 1995年こそエヴァンゲリオン的にいえば、「セカンド・インパクト」の年だったように思える。

 「終わりなき日常」をむりやり終わらせるチカラとしての「終末論」、オウムの場合は「予言の自己成就」的性格が強かったのだが・・・時代の雰囲気としてはそういうものであった。

 2009年のいまは、ただひたすら生命力の衰退している日本ではあるが・・・もはや暴力的な形での終末ではなく、「終わることにない衰退」か? 宮台真司流にいえば「底が抜けてしまっている」状態だから。

 1995年の制作・放送なので、携帯電話ではなく緑の公衆電話(!)にテレホンカード、i-Podもなく、カードリーダーも非接触型というよりもかなり旧式・・・となんだか笑ってしまう。
 制作時点での考え得る限りの最新テクノロジーも、実際の開発スピードとシンクロすることは絶対にないようで、これはまあご愛嬌か。

 この作品については放送開始以来、世界中で(!)膨大なコメンタリーが作成されているようだが、こういった批評はいっさい参照せず、虚心坦懐に予備知識一切なしで見てみることとする。
 したがって、以下に書いたことはすべて私の感想であり、別に論争に参加するつもりもないし、すでに言い尽くされていることでもあろう。


 今回初めて通しで見た『新世紀 エヴァンゲリオンNeon Genesis Evangelion』は、米国版DVD Platinum Complete Set で、サブ音声の日本語+英語字幕で見た。

 第21話から第24話までは、Director's Cut バージョンが別に用意されている。今回はこちらを見ることにした。どうせ見るなら、監督の意志に近いバージョンに近い方がいいだろう。

 日本語音声で英語字幕という形の視聴をしていて気になるのは、日本語で「使徒」が、英語では大文字の「Angel」になっていること。Angel のもともとの意味は「使者」だから、正確に把握した翻訳だといえようか。

 ヒト(人)とシト(使徒)は、日本語のセリフを耳で聞いてりう限り、なんだかダジャレのようなかんじもするが、あえてそういう設定にしたようにも思える。
 もちろん Evangelion とは、福音を意味する Evangel (Gospel, Good News)からつくった造語だろうが、一方、Adam に対する Eva の含みもあろう。このロボットそのものが何度も暗示さえているように、なにもかも飲み込もうとする母胎の暗示か、自他融合して一体になろうという意志か?
 
 英語版音声や、英語字幕はアメリカ人がつけているが、英語で考えるとこの作品の意味もわかってくる。日本語のわからない英語人の把握は、もしかすると若干違うのかもしれない。
 Genesis だから、「新世紀」というより「新・創世記」なのだろう・・・
 「人類補完計画」は Human Instrumentality Project ・・・Complementality ではなく Instrumentality ・・


 オープニング映像にあるユダヤ神秘主義カッバラーの生命の樹、そしてユダヤ=キリスト教的世界観に違和感なく(?)どっぷりと漬かっていながらそれと気づかない現代日本人、これはオウム真理教も同様であった。

 主人公のひとりアスカ・ラングレー惣流がいつもいらだっているが、主人公の少年シンジがやたら口にする「仕方がない」というセリフが多く、英語では It can be helped. There is no choice. となっていること。これはいかにも日本人的な発想ではないか?
 しかし、主人公の碇シンジの優柔不断さは、よくいえば誠実さといいかえることもできるだろう。いや内向的というべきか。
 14歳くらいの男の子はこんなものだ。女の子にくらべて精神年齢ははるかに低く、実は優柔不断な存在である。自分がそうだっただけに(いまもそうか?)、少なからず共感はある。割り切れない性格。自分を自分として受け止めることができない。
 しかし14歳の思考の限界を超えてしまっている、いや無意識の領域に入り込みすぎてしまっている、というべきか?

 英語のセリフをみていると "I" が自明の存在であることを前提にしているので精神病者のセリフのような奇妙な響きをもつが、日本人の発言としては、そもそも「自分」は自明の存在ではないのではないか?

 そもそも「使徒」とは何なのか?
 なぜこうまで波状攻撃をかけてくるのか?
 そしてなぜ14歳の子供なのか?

 全26話のうち前半の13話までは、ロボットアニメのカテゴリーの作品として、ある意味安心してみていることができたが、折り返しの14話以降、急速にストーリーが複雑化する。またここで14か・・14からすべてが本当に始まるという暗示なのか・・
 ある程度意味は解読可能だが、子供がみても知的に解読することは不可能だろうし、もし自分が14歳のとき見たらトートロジーの悪夢にうなされそうな感じがする。感覚的には理解できるだろうから。

 目的と存在意義が不明瞭なままの状態での自己選択、自己意識のゆらぎ、存在意義のゆらぎ、死への誘惑、潜在意識レベルの浮遊、意識の変容、自他意識境界の消滅・・・
 そもそも内面について語るのは、平安時代の日記文学以来の国文学の伝統だし、別にユングなどに言及しなくても、日本人にとっては奇妙でもなんでもない。
 そして内面において自他意識の融合、自他の消滅が起こるのも不思議ではない。
 自己啓発セミナー?

 居場所を求めて苦しむ現代の14歳の物語、といっていいのだろうか? そして成長の物語?
登場人物の大半が何らかの形でトラウマを負った存在。
 複数の現実、自分がみたいと思っている現実、他人が見ている現実・・・・・
 そもそも自分はどうして自分なのか・・・

 そもそもこの物語自体が現実だったのか、別次元の現実だったのか?



<追記>
 南極で「セカンド・インパクト」が発生し人類の半分が失われたのが2000年、物語は2014年に設定されている。やはり14年だ。この14という数字は何なのか?
 14という数字をめぐるシンクロ(ニシティ)?? (2009年7月31日)


 監督の庵野秀明(あんの・ひであき)は1960年生まれ、私よりは年上ですが、まあ同世代といってよい。なるほど、彼の作品世界との親和感を感じるのも不思議ではないわけだ。

 さすがに26話続けてみたので「エヴァンゲリオンのオープニング主題歌:残酷な天使のテーゼ」(YouTube動画)がアタマにこびりついて離れない kensatoken です。 (2009年8月1日)







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