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2023年1月13日金曜日

書評『「ネオ・チャイナリスク」研究 ― ヘゲモニーなき世界の支配構造』(柯隆、慶應義塾大学出版会、2021)― 中国人エコノミストがみる経済を越えたチャイナリスク

 

『「ネオ・チャイナリスク」研究 ー ヘゲモニーなき世界の支配構造』(柯隆、慶應義塾大学出版会、2021)を読んだ。中国人エコノミストがみる、経済を越えたチャイナリスクにかんする本である。  

柯隆(か・りゅう)氏は、1963年南京生まれ。1988年に大学入学のため来日して以来、日本を拠点に研究活動をつづけているエコノミストである。メディアへの出演も少なくない。 

「ネオ・チャイナリスク」というのは、従来からある中国ビジネス実行上のリスクではない、あらたなリスクが浮上しているからだ。世界が中国を危険視していることから生じるリスクである。これに対して、過剰とも思える反応を示している中国共産党が中国の経済と社会にもたらすリスクである。 

「改革開放」から40年、急激に膨張した中国経済、それにともなって急激に変化した中国社会。社会の変化は外面的なものが可視化されているが、人びとの心の内面の変化もきわめて大きい。 

市場経済化したものの、あくまでも中国共産党の指導下の「社会主義市場経済」であり、共産党による恣意的な介入をともなうものであり、しかも言論の自由はない。これらの点については、あえてここに列挙する必要もないであろう。 

著者は、本書では経済をもっぱら制度面から考察し、1919年の五・四運動からはじまる中国現代史を踏まえた中国の政治経済と社会について分析を行っている。 

わたしは著者とはほぼ同世代だが、生まれ育った環境はまったく異なる。著者の少年時代は毛沢東の時代であり、毛沢東死後の激動の時代を過ごしてきた人だ。それだけに、日本語による著作であるが、中国を視る目は日本人とは異なるものがある。 

毛沢東に対してはきわめて批判的だ。周恩来に対しても同様だ。鄧小平は、あくまでも改革開放にただ乗りした存在だとみなす。

改革を実行したのは趙紫陽であり(それゆえに天安門事件で排除された)、WTO加盟にこぎつけた朱鎔基首相(当時)である。改革を停滞させた胡錦濤に対しても批判的だ。 

習近平氏は1953年生まれの現在69歳。世代的には「文革世代」であり「紅衛兵世代」である(・・ただし、本人は紅衛兵にはなれなかった)。高等教育を受ける機会を奪われた、いちじるしく基本的な教養を欠いている世代である。かれの取り巻きもまた同様だ。

市場経済にかんする理解も高くはなさそうだ。 これに対して、1980年代、とくに1990年代以降に生まれた中国人は情報化時代の世代であり、おなじ中国人とはいえ、まったく異なる存在といっていいのである。

それほど、この40年間の中国社会は激変しているのである。だから、あたらしい世代が指導層につくまで期待できないと著者はいう。それまでは、過去の蓄積を食いつぶしていくことになるのであろう。 

著者とは生まれた場所は異なるが、わたしもTV放送をつうじて毛沢東や、江青女史など五人組の問題を同時代的に知っている世代であり、1972年の「日中国交回復」を小学生としてリアルタイムで体験している。この本を読みながら、あの時代のことを思い出しながら読んでいた。

中国社会の激変ぶりは日本の比ではない。あまりにもブレが大きすぎるのだ。 あまりにも変化しているだけでない。政策のブレが大きすぎる

日本に活動拠点を置いている著者だが、中国人として、中国には世界から尊敬される存在になってほしいという思いが強いのだろう。だからこそ、現状の悪化する情勢に対しては批判的にならざるを得ないのであろう。 

著者の本を読むのは初めてだが、短文を並べていくような文体には、なかなか慣れないものを感じた。日本語は著者の母語ではないからだろうが、こなれた日本語ではなく、なんだか中国語を日本語化したものを読んでいるような感じだった。 

とはいえ、ところどころ漏らされる著者の感想が面白い。おなじ漢字表現をつかっていても日中でニュアンスが異なること、「理」にこだわる日本人と「情」で動く中国人など、日中双方を熟知している著者ならではの面白い指摘がある。 




目 次
序章 中国の台頭と「ネオ・チャイナリスク」の浮上
第Ⅰ部 「チャイナリスク」の再定義
 第1章 変化する「チャイナリスク」の意味
 第2章 リスクを生み出す既存制度の脆弱性
第Ⅱ部 新しいチャイナリスクの諸相
 第3章 チャイナリスクの制度分析 
 第4章 韜光養晦から「戦狼」外交への展開 
 第5章 経済自由化と国家資本主義 ― 国有企業戦略の光と影 
 第6章 IT・先端技術大国化への道 
第Ⅲ部 取り残される旧態部分 
 第7章 二極化で置き去りにされる階層 
 第8章 自由なきところに文化は育たず 
 第9章 「改革すべきでない改革」とは何か 
 第10章 「赤い帝国」の興亡
終章 中国民主化への道程とネオ・チャイナリスクの行方 
あとがき 
参考文献

著者プロフィール
柯隆(か・りゅう)
1963年、中国・南京市生まれ。1988年来日、愛知大学法経学部入学。1992年、同大学卒業。1994年、名古屋大学大学院修士課程修了(経済学修士号取得)、長銀総研入所。1998年、富士通総研経済研究所へ移籍。2006年より同研究所主席研究員。2018年、東京財団政策研究所へ移籍、現在、同研究所主席研究員。静岡県立大学グローバル地域センター特任教授、多摩大学大学院客員教授、国際経済交流財団(JEF)Japan Spotlight 編集委員を兼務。この間、財務省関税外国為替等審議会委員、財務政策総合研究所中国研究会委員、JETROアジア経済研究所業績評価委員、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員、広島経済大学特別客員教授等を歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2015年5月26日火曜日

書評『潜入ルポ 中国の女 ― エイズ売春婦から大富豪まで』(福島香織、文春文庫、2013 単行本初版 2011)― 中国に生きる女たちから中国社会のリアルを知る



この本はじつに面白い! 中国関連の本で、これほど面白いものはそうなかなかないのではないか。日本人初の女性北京特派員となった著者が、ときにはモンゴル人と偽ったりしながら、体当たりで行った取材の記録である。

過酷な政治に翻弄されつづける大陸の中国人。そのなかでも「天の半分を支えてきた」女性たちに焦点をあてた本書は、「中国の女」をとおしてみた中国論でもある。具体的であるだけに印象も強い。

「女性は天の半分を支えている」(=「婦女能頂半辺天」)とは、中華人民共和国が建国されてからの毛沢東のコトバだが、毛沢東自身が男女平等主義者であったかどうかは、きわめて疑問は多い。この本の随所に指摘されているが、儒教国・中国に根強く存在する男尊女卑が払拭されているとは言い難い。

著者には一貫して、中国という過酷な世界に生きる女性たちへ共感がある。文庫版の解説の金美齢氏によれば、著者の姿勢は日本の知識人女性からは嫌われているそうだ。日本社会で日本人女性がおかれている状況より、中国で中国人女性がおかれている状況の方が、はるかに過酷であることが視野にないためだろう。

「第1章 エイズ村の女たち」「第2章 北京で彷徨う女たち」は、そんな過酷な中国大陸で、しかも底辺で生き抜いている女性たちのナマの声を伝えてくれる。「都市戸籍」と厳密に区分された「農村戸籍」によって、実質的なアパルトヘイト政策で身分差別されている農村生まれの人間が生き抜く姿を日本人が知る必要がある。

「第3章 女強人(女傑)の擡頭」で取り上げられているのは、スーパーリッチとなった起業家や、セレブとしてNGO活動で世界を股にかけている女傑や、社会問題や民族問題解決のために逮捕もおそれずに活動する女性たちである。

「第4章 文革世代と八〇后と小皇帝たち」では、過酷な「文化大革命」時代を生き抜いた女性たちと、その歴史を知らずに生きてきた1980年代生まれの八〇后(バーリンホウ)の女性たちを対比させながら、両者のあいだに対話が成立するかどうかを考察している。

このように社会の底辺からの視点と、社会の頂点からの視点、さらには少数民族の視点や、中国現代史という視点が交錯しながら、「中国の女」という一貫した視点で描かれた中国社会の断面を知ることは、同時代に生きている日本人にとって必要なことであると思うのだ。





目 次

はじめに-「婦女能頂半辺天」
第1章 エイズ村の女たち
 男の子を産まないと、女は一人前と認められないから命をかけて男の子を産む--栄華
 売れる体があるのはラッキー。どうせなら都会でいい男に売りたい--小●
 男が上に乗っかっているとき目をつぶるの。幼い息子の笑顔が見えるから--小燕
 超生で罰金をくらったけれど、あの娘を産んでよかった--程麗
第2章 北京で彷徨う女たち
 私たちに居場所なんてないのよ! ただ、慰める腕がほしいだけ--艶児
 殺すより売る方がよっぽどいいでしょ--小華・小海
 幸せにはなれない。ただ、生活になれていくだけ--王美●
 私は誇りを買い戻したのよ--小張
 結婚しないことへのプレッシャーの方がずっと重い、同性愛より--秋月・小帆・・
 都会の片隅で、一人ひっそり命を断つ打工妹(出稼ぎ娘)がどれほどいるか--劉雲・謝麗華
第3章 女強人(女傑)の擡頭
 私は「おしん」と性格がすごく似ているの--張菌
 私の活動の力の源泉は「愛」--候文卓
 「私は民族主義者」と漢語で語るチベット民族主義者--ツェリン・オーセル
 人間は誰もが、ちょっとは障害を持っているのよ--胡蓉
 「グッチ・ガール」から「寅女」となりて--●●
第4章 文革世代と八〇后と小皇帝たち
 今の知識人はニセモノよ。本当の知識人はもう亡くなってしまった--章台和
 私は今、水の上に這い上がってようやく世界を見た--田原
 一人っ子である身の上に、祖父母の歴史の物語が凝縮されているのよ--張悦然
おわりに-『大地』から始まった中国への旅
文庫版のためのあとがき-その後の「中国の女」たち
解説-「中国の女、台湾の女そして日本の女」-「場の力」が女を創る(金美齢)

著者プロフィール

福島香織(ふくしま・かおり)
フリージャーナリスト。1967年奈良市生まれ。大阪大学文学部卒業後、産経新聞社に入社。大阪文化部などを経て上海・復旦大学に語学留学。2001年から産経新聞香港支局長に赴任、2002年に香港支局閉局にともない中国総局(北京)に異動。2008年まで常駐記者を務めた。2009年に退職し、中国関連分野でフリーの活動を開始(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

福島香織『潜入ルポ 中国の女 エイズ売春婦から大富豪まで インタビュー① (ニコニコ動画、2011年2月20日)

高額化する上海小姐のゆすりたかり 蜜月時代こそ、ご用心 (福島香織、 日経ビジネスオンライン、2015年5月27日)



<ブログ内関連記事>

『中国美女の正体』(宮脇淳子・福島香織、フォレスト出版、2012)-中国に派遣する前にかならず日本人駐在人に読ませておきたい本
・・「もちろん、中国女性といっても、広大な中国のことです、十把一絡(じっぱひとからげ)げに語るのはムリというのは、この二人にはよくわかっていることですし、内容はその点についてくどいほど語られたものになっています。 なんせ13億人という人口、その半分が女性だとしてもすごい数です(・・じっさいは、非合法ですが男女産み分けが行われているので女性のほうが少ない)。全人口のたった1%でも 1,300万人(!)となるわけですから、違いがあるのは当然ですし、人口の大半が農村戸籍をもつ農民である以上、その生活レベルや文化レベルがいかなるものであるかは推して知るべしというべきでしょう」。

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

書評 『騒乱、混乱、波乱! ありえない中国』(小林史憲、集英社新書、2014)-映像と音声が命のテレビ局の記者によるスリリングな取材記録




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2015年4月26日日曜日

書評 『騒乱、混乱、波乱! ありえない中国』(小林史憲、集英社新書、2014)-映像と音声が命のテレビ局の記者によるスリリングな取材記録


海洋国家で島国に生まれ育った日本人が、大陸国家の中国とそこで生まれ育った中国人を理解するのはきわめて難しい。感覚がまったく異なるからだ。

かつてよく使われたフレーズに、日中は「同文同種」で「一衣帯水」の関係にあるなどの美辞麗句がある。だが、いまやそんなレトリックをそのまま信じるほどおひとよしの日本人は少ないだろう。とはいいながら、「似て非なる」程度の認識以上には進めないのは、ある意味では仕方がないことかもしれない。

そんなことをあらためて感じさせてくれるのが、『騒乱、混乱、波乱! ありえない中国』(小林史憲、集英社新書、2014)という本である。2008年から2013年まで北京特派員をつとめ、中国全土を取材で回ったというテレビ東京の記者によるルポルタージュだ。

テレビ局の記者は、新聞記者や雑誌記者とは異なり、映像として記録しなければ番組に使用されないという大きな制約条件がある。だからこそ、当局による拘束の危険を冒してでも、現場に出向き映像を記録するのである。この本は、そんな取材にまつわる舞台裏まで活字で記したものだ。

帯には、「拘束21回!」と大きく書かれている。これだけでもインパクトが大きい。この記者は21回も拘束されながら身の安全は大丈夫だったのだろうか、と心配になる。なぜなら、日本ではニュースにはなっていないが、中国で逮捕され、投獄されたままのビジネスマンが少なくないことは、現地ではよく聞く話だからだ。

「21回拘束」の実際については、直接本文を読んで確かめていただきたいが、「拘束」と「逮捕」は異なるのである。「身の安全を確保する」という口実のもとに、外国人記者を取材現場から引き離すのが本書でいう「拘束」である。公安や武装警察による外国人記者の「拘束」は、撮影済みの画像や映像の消去を求められることもあるが、調書をとって終わりというケースも少なくないようだ。ある意味では典型的なお役所仕事でもあるのだろう。

対外的なイメージ悪化を恐れる中国は、2008年の北京オリンピック以降、外国メディアによる取材は原則的に認めている。だがホンネとしては、微妙な国内問題については記事にされることをいやがる。だから、「拘束」という形で外国人記者に警告のメッセージを送るわけだ。

本書で取り上げられている中国の国内問題は、中国西部の少数民族ウイグル族の弾圧にはじまり、四川大地震の被害者たちの封じられた声中国初の民主選挙を実行したウカン村の勝利と共産党の延命を助けることになった意図せざる結果反汚職取り締まりで重慶の人びとの支持を獲得した薄煕来、そして一人っ子政策が残した負の遺産

いずれも、日本では断片的な報道はされているが、なかなか踏み込んだ報道が少ないの諸問題である。

これらの中国の国内問題について、当事者のナマの映像と音声として記録するために、記者は中国人の助手やカメラマンをともなって現地に飛ぶ。事実は現場にいって、自分の足で歩き、自分の目と耳で確かめるしかないからだ。だが、それは中国のような一党独裁の国家では簡単なことではない。

「拘束」する側も、「拘束」される側も、ある種のゲームのプレイヤーであるような印象さえ受ける。外国メディアと公安や武装警察とのいたちごっこの連続である。

相手の手の内を知り尽くした報道記者が、そんなゲームを演じながら、そのもてるワザを最大限に駆使して実行してきた取材である。テレビ番組として編集されるまえの舞台裏が本書にたっぷりと語られている。

それにしても、中国という大陸国家を理解するのは、島国の住人である日本人には難しい。断片的なピースを寄せ集めても、けっして全体像が見えてくるわけではない。逆にマクロの情報をだけを見てもミクロな細部は見えてこない。だが、そんな「事実」の断片を集めるしか中国と中国人を知る方法はほかにない。

本書のような、「親中」でも「反中」でもない、「事実」を伝えることを使命とする報道記者によるルポルタージュを読む意味はそこにある。もちろん記者の主観が入っているが、現地におもむき現場で困難な取材を行って記録された「事実」の重みは違う。

中国に関心がなくても、テレビの報道記者によるスリリングな取材記録とテレビの報道番組の舞台裏として読んでも十二分に面白い内容の本だ。中国に関心があれば、なおさら面白く読めるはずである。






目 次

第1章 ウイグル騒乱
第2章 西部大開発
第3章 四川大地震、その後
第4章 ゴーストタウン
第5章 ウカン村の闘い
第6章 泮河東村の挫折
第7章 薄煕来の重慶
第8章 重慶動乱
第9章 一人っ子政策の限界


著者プロフィール

小林史憲(こばやし・ふみのり)
1972年生まれ。テレビ東京『ガイアの夜明け』プロデューサー。1998年立教大学法学部卒業後、テレビ東京入社。2008年から2013年まで北京支局特派員。『ワールドビジネスサテライト』などの特集を担当する。これまで中国すべての省・自治区・直轄市・特別行政区を訪れ、取材を敢行している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・中国経済がかかえる問題を、短期・中期・長期で整理し、課題解決の可能性とその困難さについて書かれたもの

書評 『チャイナ・ジャッジ-毛沢東になれなかった男-』(遠藤 誉、朝日新聞出版社、2012)-集団指導体制の中国共産党指導部の判断基準は何であるか?
・・中国共産党指導部入りを狙った薄煕来が重慶で行ったこととは

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論 
・・この「80后」と「90后」がその中心である




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2013年4月4日木曜日

書評『中国絶望工場の若者たち ―「ポスト女工哀史」世代の夢と現実』(福島香織、PHP研究所、2013)―「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察




本書は、2010年代中国の「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察である。

『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』というタイトルは、「中国絶望工場」「女工哀史」という、先行する2つのルポルタージュ作品を踏まえたものだ。

『中国絶望工場』とは、2008年に出版された、アメリカの女性ジャーナリストのアレクサンドラ・ハーニーの著書のタイトル。中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本だ。

『女工哀史』とは、1925年(大正14年)に出版された、細井和喜蔵による繊維工場のルポ。劣悪な工場労働の現実についての詳細なルポルタージュである。

たしかに、アップルの iPad などの製品の組み立てを請け負っているフォックスコン(富士康)での連続自殺事件のニュースを耳にしていると、「女工哀史」、あるいは「絶望工場」かという気にさせられる。だがもちろん若い女性だけではない。若い男性も働いている。

「絶望工場」で働いているのは、エリートでも富裕層でもないフツーの中国人新しい都市住民として台頭する「第二代農民工」である。トータルで約1~1.5億人いるといわれる彼らは、われわれの大半がふだん接することのない中国のマジョリティである。フォックスコン(富士康)での連続自殺事件だけでなく、反日デモで暴れまわったのも彼らの一部である。

その意味では、第1章から第3章までのルポが興味深い。突撃型の取材精神には脱帽である。その現場で働いている、あるは働いていた個々人の中国人のナマの声を拾い上げているからだ。「日系企業に対する愛憎」(・・そう愛と憎しみは両立する)や「将来の夢」などを聞くと等身大の「第二代農民工」たちを人間として知ることができる。

時間の関係から十分にルポが行えなかったと著者は語っているが、逆に第4章では分析と考察がなされているので書籍としては充実したものとなったようである。中国社会の現実にかんする著者の見識は、取材経験の蓄積の裏付けがあり説得力がある。

「農民戸籍」という身分差別を前提にした中国の「内国アパルトヘイト」、「内国植民地状態」はアタマでは知っていても、本書で語られる内容であらためてそのナマナマしい実態を知ることになる。根強くのこる都市戸籍者たちの農村戸籍者たちへの恐怖と差別意識

一方、農村部では意外と守られていないのが「一人っ子政策」だ。男の子が生まれるまで何人も女の子を生むという実態。もちろん罰金を払っての上だが。しかし、そのため末っ子である男の子が甘やかされる構造ができあがるわけでもある。それが自殺者が多いという現象につながっているのかもしれない。

マズローの欲求段階説にしたがえば、「第一代農民工」が生存欲求と安全欲求をすでに満たしたとすれば、すでに生活の最低レベルはクリアした状態で育ってきた「第二代農民工」は、自己実現とまではいかなくても承認欲求の段階まで来ているのではないだろうか。

都市部で働く「第二代農民工」は、いわゆる「蟻族」(イーズー:ありぞく)とかさなる側面もある。「蟻族」とは、「大学はでたけれど・・・」という若者たちのことだ。大半が大学には進学していない「第二代農民工」たちもまた、先の全人代で国家主席に就任した習金平が連呼した「チャイナドリーム」には程遠い現実を生きなければならない点においては共通したものをかかえている。

反日暴動の主役となったのは「第二代農民工」であるが、一方では一人ひとりの所得は低いとはいえ、1億から1.5億人というマスを形成しているかれらは消費者としても存在感がある。

かれらの実態を知ることなく、中国ビジネスを行なうことはできないだろう。ビジネスにかかわっていなくても、隣国の社会についてある程度知っておくことは重要だ。

なんせ1億人強もいるのである。日本の総人口とほぼ同じ規模の大集団なのである。






目 次
まえがき
第1章 山東省の日本出稼ぎ村
第2章 ストライキはなぜ起きるか
第3章 フォックスコンの光と影
第4章 第二代農民工が抱える潜在的リスク
第5章 意識の高い農民工の登場
第6章 新しい農民工と日中関係-「希望工場」をつくるのはだれか
長いあとがき

著者プロフィール   

福島香織(ふくしま・かおり)
奈良県生まれ。大阪大学文学部を卒業後、1991年、産経新聞社大阪本社に入社。1998年に上海・復旦大学に1年間、語学留学。2001年に香港支局長、2002年より2008年まで中国総局記者として北京に駐在。2009年に退社後、フリー記者として取材、執筆を開始(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス(日経ビジネスオンラインに連載中の福島香織氏による記事)


<ブログ内関連記事>

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

『中国美女の正体』(宮脇淳子・福島香織、フォレスト出版、2012)-中国に派遣する前にかならず日本人駐在人に読ませておきたい本

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論

書評 『新・通訳捜査官-実録 北京語刑事 vs. 中国人犯罪者8年闘争-』(坂東忠信、経済界新書、2012)-学者や研究者、エリートたちが語る中国人とはかなり異なる「素の中国人」像

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

書評 『ネット大国 中国-言論をめぐる攻防-』(遠藤 誉、岩波新書、2011)-「網民」の大半を占める80后、90后が変える中国

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・中国には、波多野鶴吉はいないのだろうか? 『女工哀史』の時代に先進的経営を実践した経営者について

「マズローの法則」 (きょうのコトバ)


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2010年12月2日木曜日

書評『蟻族 ― 高学歴ワーキングプアたちの群れ』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)―「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論




「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論

 「蟻族」(イーズー)というネーミングを考案し、はじめてかれらの存在を目に見えるものとした本格的な社会調査の記録である。

 昨年2009年に出版されたこの記録は、中国ではベストセラーになり、「蟻族」というコトバが一気に拡がったという。本書はその日本語版である。

 調査対象は、首都北京の「大卒低所得群居集団」、平たくいうと大卒だが低所得層で、都市と農村の境に立地する賃料の安くて狭い集合住宅に数万人単位で群居し、部屋をシェアして集落のなかで暮らしているワーキングプアたちのことだ。

 「蟻族」という表現を、私が初めて耳にしたのは数ヶ月前のことだが、それにしても卓抜なネーミングである。まるでその姿が手に取るように見えるではないか。

 「蟻族」はいわゆる「80后(バーリンホウ)」とは世代的にほぼ完全に重なる「改革開放」の1980年以降生まれの現在30歳以下の若者たちである。

 ただし、「蟻族」はあくまでも大学卒のインテリ大衆であり、同じく地方出身のワーキングプアといっても、「民工」や「農民工」といった下層労働者層とはまったく異なる存在だ。

 中国政府の政策により「知識社会」に備えるべく大量に設置された大学で学んだ若者たちであるが、しかし現実は彼らが夢見た姿とは大違いであった。労働需要を上回る大学卒業生供給の結果、北京のような大都市では、権力もコネももたない彼らが 職を見つけること自体が容易ではなく、たとえ仕事が見つかってもキャリアアップにはつながらないものばかりだ。

 「蟻族」としての生活を送ることを余儀なくされたかれらに共通するのは、そんなはずではなかったのにという思いからくる「剥奪感」。

 まさに「大学は出たけれど・・・」の状態だ。

 そもそも公的な統計データのないのが「大卒低所得群居集団」の世界である。アンケートによって収集したデータにもとづく定量分析と、ディープ・インタビューによる定性分析は、編著者たちが私費も投入して行った苦労の産物であるが、たとえ置かれている状況が大きく異なるとはいえ、「同じ中国人の同世代の若い研究者たちによる同世代の若者たちの調査」であったことが、好結果をもたらしたのであろう。

 とくに後者のインタビュー集「群居村取材レポート」(日本語版のⅢ章)は、等身大の若者たちのリアルを描きだして実に興味深い。隣の国の若者たちの姿を手に取るように理解できるのは、本書のもとになった調査がすぐれたものであるだけでなく、よみやすい日本語になるよう工夫をしているからだろう。

 副題にある「高学歴ワーキングプア」について、この表現は日本では文系の大学院以上の高学歴者が職を見つけられずにいる状態を表現するコトバとして作られたものだが、中国の現状はむしろ「大学大衆化」がもたらしたものであり、ニュアンスは大きく異なることに注意しておきたい。また、編著者は「日本の読者へ」のなかで、「蟻族」は日本では自発的な選択である「フリーター」にあたるといっているが、これもまた実際とは大きく異なるように私には思われる。

 「大学大衆化」と「大学院大衆化」という違いはあるが、中国も日本もともに、経済政策と文教政策と労働政策がお互いバラバラでチグハグな結果、生み出された悲劇(?)であるといえようか。

 日本以上に深い社会矛楯を抱えた中国であるが、しかしながら「蟻族」たちは、成熟社会に生きる日本の若者たちよりも、就学生として日本で働く中国人の若者たちに似て、むしろたくましく生き抜いているように思われるのだ。

 中国の若者たちの「いま」を知るうえで、遠藤誉による『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(日経BP社、2008)『拝金社会主義中国』(ちくま新書、2010)とあわせ読むことを薦めたい。多様な若者たちの姿を知ることによって、現代中国についてより深い理解が可能となることだろう。


<初出情報>

■bk1書評「「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論」投稿掲載(2010年11月18日)
■amazon書評「「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論」投稿掲載(2010年11月18日)





目 次

『蟻族』を読む前に-序にかえて(関根謙) 
Ⅰ. 「蟻族」誕生記
 1. 接触
 2. 第一次研究調査
 3. 研究チーム
 4. 第二次研究調査
 5. 八〇後
Ⅱ. 「蟻族」のすべて
 1. 基本概念
 2. 発生原因
 3. 心理状態
 4. 性・恋愛・結婚
 5. 所得状況
 6. 職業
 7. 教育状況
 8. インターネット
 9. 集団的行動の傾向
Ⅲ. 「アリ」伝奇-「群居村」取材レポート
 プロローグ 都市のスキマ階層に触れる
 1. 北京での奮闘
 2. 非主流の道を突き進んで
 3. すべてはうまくいく
 4. 村から村へ
 5. 上京記
 6. 保険会社のガゼル
 7. 孤独な旅人
 8. 唐家嶺を離れる
 9. 下を向いた青春-「高学歴」貧民村調査
 10. 「大学村」での奮闘
 11. 「唐家嶺」でのショバ代
日本の読者へ(廉思)
解説(加々美光行)


著者プロフィール

廉思(リエン・スー)

1980年生まれ、男性、北京在住。中国人民大学法学院法学理論専攻博士課程。管理学修士、法学博士。中国共産党員。現職は対外経貿大学副教授。専門は法政治学、法経済学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

関根謙(せきね・けん)

1951年福島県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。慶應義塾大学文学部教授。20110年4月より文学部長。専門は中国現代文学、特に日中戦争期の都市の文学、現代文芸理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 「高学歴ワーキングプア」というのは、本人もその一人である水月昭道という人の著書 『高学歴ワーキングプア-「フリーター生産工場」としての大学院-』(光文社新書、2007)という本から産まれたコトバである。

 この本は出版直後すぐに目を通してみたが、「高学歴ワーキングプア」というのは、日本では出るべくして出てきた存在だな、と強く思ったものだ。

 その心は何かというと、理工系ならいざ知らず、人文系の大学院に進学するなんてことは、ある意味では「自殺行為」に近い、もう少し穏当に言えば「清水の舞台から飛び降りる行為」だということは、私が大学学部に在学していた1980年代でも、すでに自明のことであったからだ。
 だから、コトバはきついが、ある意味では「自業自得」といっても言い過ぎではない。

 端的に言って、「歴史では食えない」とは昔から言われていたことだ。ゆえに、私はさっさと見切りをつけて就職する通を選んだ。完全に未練を吹っ切ったわけではなかったが、まったく後悔はない。日本の大学院進学などしなくて良かったとさえ思っている。
 ちなみに、M.B.A.を授与するビジネススクールは、いわゆるプロフェッショナル・スクールであって、アカデミズムという、目的があいまいな日本の大学院一般とはまったく異なる存在だ。日本でもこの10年間にプロフェッショナル・スクールが大幅に増えたことは喜ばしい。
 ただし、日本版ロースクールの制度設計失敗は、きわめて愚かなことであった。需要供給の法則というミクロ経済学の基礎がわかっていないことと、教育の世界に市場競争を無原則に適用したことの過ちである。制度設計を主導した法務省と文部科学省の罪は大きい。

 『高学歴ワーキングプア』という本を読んで思ったのは、なぜこの人たちは、人文系の大学院に進学などしたのか、と強い疑問である。
 大学院卒業者という供給に対して、教員という需要がきわめて限られている事実に、なぜこの人たちは気がつかなかったのか、ということだ。なぜ、誰も言ってやらなかったのか?

 意志決定の主体はあくまでも自分。自分が下した意志決定の結果は、自分が覚悟して受け取らねばなるまい。どうも日本人は、自分のアタマで考え尽くすというマインドセットに乏しいのではないか? 正直なところそう思うのは仕方あるまい。

 もちろんこの背景には、文部科学省による「大学院重点化計画」というものが存在する。大学院設置して定員を満たした大学には助成金を出すというインセンティブ政策である。
 この背景には「知識社会化」というトレンドがあることは言うまでもない。経済産業省、厚生労働省、法務省など、それぞれの省庁の思惑も関係している。 
 また、大学院進学者の側には、就職が思うようにいかなかったという事情もあるだろう。大学院に余剰労働力を吸収することによって、失業率を下げるという思惑もあったかもしれない。

 経済政策と文教政策と労働政策がお互いバラバラでチグハグな結果、生み出された悲劇(?)というのは、日本の大学院卒業者も、中国の大学卒業者も同じである。

 何か政策を実行するということは、たとえ成功したとしても、かならずやその意図に反した結果も副作用として派生する。「意図せざる行為」の結果というのは、少なくとも社会科学をやった人間なら知っていて当然のことではないか?

 その意味では、制度設計失敗の責任は、政策立案し実行した諸官庁にもある。なんらかのセーフティーネットは必要だろう。

 日本では「大学大衆化」は、1960年代にすでにひとつのピークを迎えていた。戦前のエリート大学生というポジションはすでに崩壊し、「大学大衆化」の結果として大量に増えた大学生が、学生運動の原動力になったことは歴史に明らかである。
 2010年代の中国の現状が、1960年代の日本と同じような現象をもたらすのかどうか、これは一概には言えないだろう。

 重要なことは、『蟻族』によれば、「反日」の意見表明をするのはネットのヘビーユーザーであって、「蟻族」たちは生活費を稼ぐのに忙しくてネットなんかやってるヒマがあまりないということだ。日本のかつての「学生運動」のような、何か一つの社会勢力となっているわけではない。ただしそのポテンシャルはある。

 いずれにせよ、『蟻族』という本を読む限り、中国人には生命力がありたくましい、という感想をもつ。この「蟻族」という「インテリ大衆」たちが中国にとっていかなる意味をもつのか、今後もモニターしていく必要があろう。


<ブログ内関連記事>

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)
・・著者の遠藤誉(えんどう・ほまれ)氏は、『チャーズ-出口なき大地 1948年満州の夜と霧-』で作家デビューした人。1941年中国の長春で生まれた彼女は、1953年に帰国するまで中国を現地で体験し、中国語にも中国人にも精通。また、物理学者としてキャリアを積んだ人だけに構成も文章もきわめてロジカルで読みやすい

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)
・・「民工」と「農民工」については、日本語と中国語に堪能な著者による本書を読むべし

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)
・・「意図せざる結果」については、この本を熟読すべし

書評 『コンピュータが仕事を奪う』(新井紀子、日本経済新聞出版社、2010)-現代社会になぜ数学が不可欠かを説明してくれる本

(2014年1月27日 情報追加)



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2010年5月5日水曜日

書評『中国貧困絶望工場 ―「世界の工場」のカラクリ』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)― 中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本




原題が『チャイナ・プライス』であることを念頭に読めば、中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage (by Alexandra Alexandra)

 日本語と中国語に堪能な米国人経済ジャーナリストが複眼的に見た中国の生産現場のリアル。原題は『チャイナ・プライス』(The China Price:中国価格)である。

 生産現場における労務管理の実情だけでなく、米国の世界的ブランド企業や巨大流通業の中国におけるビジネスの現場にも踏み込んで話を聞き出しているので、読んでいてきわめてリアリティが高いと感じるだけでなく、「チャイナ・プライス」が生み出される構造と、今後の行方についてもヒントを得ることができる。

 したがって、日本語版のタイトルは適切ではない。また帯のコピーが「これはまさに中国版「蟹工船」」というのも、日本語版出版当時の世相を反映したものだが、扇情的すぎるし一面的に過ぎるので本書の価値を損ないかねない。


広東省を中心にした消費財分野の中国企業の生産現場

 前半では、華南の広東省を中心にした消費財分野(アパレル、シューズ、玩具などの日用品や家電製品)の中国企業の生産現場を記述している。労務管理の実態と労働環境は、労働者自身による証言やさまざまな中国人労働者のライフストリーを語らせており、読み物としても興味深い。

 「世界の工場」となった中国について、著者は19世紀英国で発生した産業革命に匹敵する「第二の産業革命」といっているが、たしかに生産現場での労働状況をみるかぎり、直接は言及されていないが、フリードリヒ・エンゲルスが書いた『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生/杉山忠平、岩波文庫、1990)を想起させるものがある。つまり本書はルポルタージュとしても中身が濃いということだ。

 本書は、基本的に米国人読者向けに英語で書かれた本なので、米国の消費者の関心が高いテーマに焦点をあてている。その意味では、本書の最大の読みどころは、後半の「第7章 損得勘定と社会的責任」であろう。1992年に大きく火を噴いたナイキの「搾取工場」(スウェット・ショップ)問題のメカニズムと構造について、中国の生産現場を舞台に描いているのが特筆すべき特色だ。

 米国の世界的ブランド企業や巨大流通業のサプライチェーンの末端に位置づけられる中国の工場。これらの米国の大企業にとって、中国の工場は自社工場ではなく、国際分業の一環として、あくまでもアウトソーシング先の下請け工場として位置づけられている。

 「チャイナ・プライス」を実現させた要素は、米国企業の立場からみれば製品のコモディティ化にともなう生産のモジュール化、IT化、オフショアリング。一方、低賃金で無尽蔵に供給され続けた中国の労働力。この両者がジャストミートした結果うまれてきたものだ。

 こういう事情については、日本のマスコミではほとんど取り上げられないので日本人にはピンとこない問題かもしれない。日本メーカーの場合、ユニクロやEMSに生産委託している一部の家電メーカーを除けば(*)

(*この点については、<書評への付記>を参照)、消費財メーカーは中国人が経営する工場に生産委託は行わず、自ら現地生産するのが当たり前になっている。労務管理も生産管理も、5Sなど日本流を徹底させているのが当たり前だ。中国人ワーカーを使うにあたっては、そもそも日本企業と米国企業とではアプローチの仕方に違いがあるのだ)

 低価格の製品を望みながら、一方ではCSR(企業の社会的責任)の観点からコンプライアンスを要求する米国の消費者の要求に応えるため、米国の大企業はとくに生産労働者の労務実態について、AS8000という「ソーシャル・コンプライアンス監査」を中国の工場に対して実施しているのだが、この実態についての記述を読んでいると、一筋縄ではいかない問題であることが実感される。そもそも中国は「上に政策あれば下に対策あり」という国柄だ、納入先の米国企業の政策に対して、地場の中国企業がとる対策は、なんだかイタチごっこのような感さえある。

 著者に指摘されてはじめて気がついたのは、「改革開放」から30年が経過した現在、出稼ぎ労働者はすでに第一世代ではないということだ。「第二世代」は農村出身者ですら「一人っ子」政策の申し子なのだ! しかも農業体験なしで、いきなり農村から都市に出稼ぎにきている。すでにさまざまな労働問題を経験してきた中国の労働者は労働法にも詳しくなってきているという、訴訟社会中国の実態。

 労働現場の是正への方向性にむけた動きが、なぜ必ずしも効果的に進まないのか、そのメカニズムについて多面的に考察した著者は政府の役割に大きく期待しており、中国で新しい「労働契約法」が2008年1月から施行されたことが、労働法制において大きな転換点になることを指摘して本書を閉じている。

 とかく一面的にみがちな中国ビジネスと中国の労働問題だが、本書で展開される「複眼的な見方」で見直してみると、中国と中国ビジネスの今後について考えるための多くのヒントが書かれていることに気がつくはずだ。

 バランスのとれた記述が、とくに後半に向けて展開されていくので、中国に関心のある人はビジネスパーソンも含めて、ぜひ最後まで目を通すことをすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「原題が『チャイナ・プライス』であることを念頭に読めば、中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本」投稿掲載2010年5月4日






<書評への付記>


原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage の意味するところ


原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage を直訳すれば、「中国の競争優位性の真のコスト」というきおとになろう。この cost というコトバは、原価にしめる「コスト」でもあり、「犠牲」や「代償」という意味にも解釈できる。

 「プライス」をタイトルにしているので、おそらく両義的な意味合いが込められているのであろう。「中国価格」を構成する原価のうち、わずかな部分をしめるに過ぎない中国製造の「コスト」は、中国価格を実現するための工場労働が支払わねばならない犠牲や代償を指しているのだ、と。

 こういったことを念頭においておけば、訳文はこなれて読みやすいし、なによりも地名などの固有名詞が特定されているので、英語よりは読みやすいはずだ。ただし、「ブランド業者」などというおかしな訳語も散見される。原文がどうなっているのか知らないが、ナイキやティンバーランドなど、世界的な有名なブランドをもつ米国の大企業のことを指している。


著者のアレクサンドラ・ハーニー(Alexandra Harney)について

 日本語にも中国語(普通話)にも堪能な米国人経済ジャーナリストで、英国の FT(Financial Times)の記者をやっていた人。略歴(英語)はここを参照。http://thechinaprice.org/AboutAuthor.html
 「The China Price」というウェブサイト(英語)をもっているので紹介しておこう。
http://thechinaprice.org/home.html
 なお、著者の blog である The China Price には、著者が寄稿した記事が、日本語のものもリンクされている。
 http://thechinaprice.blogspot.com/
 なお、本書『チャイナ・プライス』出版以後については、日経ビジネス・オンラインのインタビュー記事を含めた6回の記事を参照。



オフショアリングについて
 
 オフショアリング(offshoring)とは、研究開発から試作設計を経て量産、そしてマーケティングとセールスに至る製造業の一連のフローから、製造(=量産)にかんする部分をアンバンドル(分離)し、生産コストの低い海外で生産を行う経営戦略をさす、経営専門用語である。米国企業がかなり以前から採用している戦略である。

 本書にもでてくるスポーツ関連製品のナイキやテインバーランド、玩具メーカーのマッテルといった世界的なブランド企業だけでなく、ウォルマートに代表される巨大流通業も積極的に推進してきた。

 本書でも詳しく取り上げられているように、かつてはメキシコの米国との国境地帯に設置されていた特区マキラドーラで行われていたオフショアリングも、いまでは完全に中国に移管、さらには東南アジアやアフリカに移転も始めている。ローコストでの調達戦略といいかえてもいい。

 製造業の観点からいえば、いわばファブレス(fabless=工場をもたない)製造業といってもいい形態であり、流通業の開発輸入によるPB(プライベート・ブランド)も同様の形態である。

 こういったファブレスメーカーにおいてカギとなるのは、アウトソーシング先である下請けの中国メーカーで製造される製品の品質保証(QA)機能であり、工場における品質管理(QC)の管理と監査である。

 ここまでなら米国企業であれ、日系企業であれ共通する話なのだが、こと中国においては、「搾取工場」(sweat shop)問題が米国内でわき起こり、ナイキを筆頭に消費者団体によって追いつめられ、ブランド毀損が懸念され事態に追い込まれた企業もある。米国企業の基本スタンスが、自社工場ではないので自社の雇用する従業員ではない、というものだったからだろう。

 「搾取工場」とは文字通り、労働者を搾取して利益を上げている企業というレッテル貼りの表現だが、製造現場における労働状況にかんするものである。ただしく労働者が扱われているかどうかも含めた監査が、いわゆる「ソーシャル・コンプライアンス監査」であり、米国の大企業は風評被害や、レピュテーション・リスクをミニマムにし、ブランド毀損を防ぐため、「ソーシャル・コンプライアンス監査」を行っていることを強調せざるを得ないのである。

 「SA8000」は、ソーシャル・アカウンタビリティー・インターナショナル (Social Accountability International, SAI) による、就労環境評価の国際規格のことである。世界人権宣言や児童の権利に関する条約、国際労働機関 (ILO) の諸条約を基に作成したものである。主に、消費財分野の米欧の世界的大企業が参加している。

 正確にいうと、日本企業でも米国と同様のオフショアリングは行っている。誤解を生んだらいけないので補足しておくが(・・ハーニーの本は、華南の軽工業について書いているので、私もウッカリしていた)、たとえば、日本でもJTが生産委託していて問題になった冷凍餃子の例があるように、食品製造の分野では例が多い。また、「100円ショップ」のダイソーなども同様に、中国の下請けメーカーに製造を委託している。このほか、日本企業が中国メーカーに生産委託している例は無数にあるが、少なくとも世界的なブランド企業の日本メーカーで、米国企業のように完全にファブレスに徹しているものはないといってよい。

 日本のハイテクメーカーや家電メーカーは、中国においても自社工場での製造が中心で、協力工場に生産委託することがあっても、労務問題でトラブルにならないように細心の注意を払っているのが実情である。これがコスト高の要因となっているといわれることもあるが、日本企業は比較的誠実にやっているといっていいだろう。

 米国企業のとるオフショアリング戦略という国際分業については、一長一短があるが、製造業における中国との国際分業だけでなく、ソフトウェアの分野ではインドとあいだで国際分業が行われていることは比較的よく知られていることだろう。

 このオフショアリングが、いい悪いは別にして、米国企業の(・・米国ではなく、あくまで米国企業の)競争優位性を作り出していることは特記しておかねばならない。
 日本企業も過度に「ものつくり」を強調しすぎないことも必要なのではないだろうか。

 オフショアリングについては、また別途取り上げることとしたい。日本企業が研究すべき、重要な経営手法であることは否定できないからだ。



PS 2014年現在では本書で描かれた内容には修正が必要であろうが、歴史的なドキュメントとしての価値はある。読みやすくするために改行を増やした。また、<ブログ内関連記事>をあらたに導入したので、本書の置かれたコンテクストを意識していただきたいと思う。 (2014年1月27日 記す)

<ブログ内関連記事>

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

書評 『グローバル製造業の未来-ビジネスの未来②-』(カジ・グリジニック/コンラッド・ウィンクラー/ジェフリー・ロスフェダー、ブーズ・アンド・カンパニー訳、日本経済新聞出版社、2009)-欧米の製造業は製造機能を新興国の製造業に依託して協調する方向へ

書評 『空洞化のウソ-日本企業の「現地化」戦略-』(松島大輔、講談社現代新書、2012)-いわば「迂回ルート」による国富論。マクロ的にはただしい議論だが個別企業にとっては異なる対応が必要だ

書評 『現代中国の産業-勃興する中国企業の強さと脆さ-』(丸山知雄、中公新書、2008)-「オープン・アーキテクチャー」時代に生き残るためには
・・「垂直分裂」というコトバが定着したものかどかはわからないが、きわめて重要な概念である。この考え方が成り立つには、「ものつくり」において、設計上の「オープン・アーキテクチャー」という考え方が前提となる。 「オープン・アーキテクチャー」(Open Architecture)とは、「クローズドな製品アーキテクチャー」の反対概念で、外部に開かれた設計構造のことであり、代表的な例が PC である。(自動車は垂直統合型ゆえクローズドになりやすいが電気自動車はモジュール型)

書評 『中国ビジネスの崩壊-未曾有のチャイナリスクに襲われる日本企業-』(青木直人、宝島社、2012)-はじめて海外進出する中堅中小企業は東南アジアを目指せ!

書評 『誰も書かない中国進出企業の非情なる実態』(青木直人、祥伝社新書、2013)-「中国ビジネス」をただしく報道してこなかった日本の大マスコミの大罪

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論

「脱・中国」に舵を切るときが来た!-『中国がなくても、日本経済はまったく心配ない!』(三橋貴明、ワック、2010)はすでに2年間に出版されている

TIME誌の特集記事 「メイド・イン・USA」(2013年4月11日)-アメリカでは製造業が復活してきた

(2014年1月27日 項目新設)


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2010年5月2日日曜日

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人



「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをたたき込まれた中国人は、「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進


 本書は、「改革開放」以降の中国と中国人の変貌を、科学者の眼と建国前後からのインサイダーならではの視点で描いた中国社会論である。

 著者は経済の専門家ではないとはいえ、物理学で鍛えられた科学者の精神でもって、中国社会の急激な変容ぶりを冷静に見つめてきた。中国と中国人への深い理解とあいまって、並大抵の中国本にはない深みを与えている。事象の表層だけを追った中国本とはまったく性格を異にする。

 本書はもともと「日経BPオンライン」に連載された内容を中心に再構成した本だが、あらためて全編読んでみて、著者の観察眼の鋭さと深さにはあらためて感じ入った次第だ。

 1941年に当時は満洲といっていた中国東北部の長春に生まれ、中華人民共和国成立後の1953年まで多感な少女時代を中国に過ごした著者は、日本人でありながら建国前後の中華人民共和国をインサイダーとして体験し、以後現在に至るまである意味では当事者としてかかわってきたことになる。

 昨年2009年に「建国60年」を迎えたが中華人民共和国は、著者の眼をとおして見ると、前半の30年(1949-1978)「改革開放」以降の後半30年(1978-2009)のコントラストはあまりにも鮮やかである。

 前半の毛澤東時代の「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをマインドセットとして形成された中国人は、「社会主義国家として生き残るために」に「改革解放」路線に大きく舵を切ったトウ小平時代の「先富論」の大号令のもと、後半の30年はひたすらゼニに向かって突進するという「向銭看」(カンチェンカン)という欲望全開時代に突入して現在にいたっている。

 俗にいう「中国数千年の歴史」からみれば「社会主義の30年」など1%にもみたない、ほとんど一瞬ともいっていいような時期だったのである。

 それまで押さえられていた欲望が一気に解放された結果、むきだしの欲望追求が人間の基本的欲求である物欲・性欲・食欲すべてに展開する。

 一方、支配者である共産党は権力のグリップを維持強化、こうした体制のもとで実行された自由競争において共産党幹部関係者は特権階級となり、農民を代表とする一般庶民との格差がとてつもなく拡大した。

 その結果あらわれたのは「前近代の中国」そのものであった。

 前作の『中国動漫新人類』でも指摘されていたが、政治的自由を抑制する代償として与えられたほぼ完全な経済的自由が、結果として一般大衆を目覚めさせることとなっている。経済発展はどうしても政治的目覚めをともなってしまうのである。これは共産党政権による政策の「意図せざる結果」であるといえよう。

 拡大する格差、顕在化したあらたな階級、こうした一連の「意図せざる結果」のオンパレードに対応するために政府もけっして手をこまねいているわけではない。

 「社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ」という著者の発言の説得力は強い。

 かつての高度成長期の日本以上に猛烈なスピードで爆走しているのが中国、社会的なひずみの拡大も日本の比ではない。むしろ中国の変化するスピードをみていると、日本が抱える社会問題など可愛くさえ見えてくる。結婚できない「デキル女」(A女性)、就職難にあえぐ大量の大学生と大学院生、持てる者と持たざる者の激しい格差とルサンチマン・・・。中国はある種の巨大な社会実験の場となっているかの観さえある。

 先進国日本の経験はある程度まで応用可能だろうが、すでに未知の未体験ゾーンに突入しつつあるのではないか。日本人は中国を自分たちの経験を通して見るクセは捨てた方がいいのではないか、とさえ思うのである。

 著者の前著 『中国動漫新人類』(日経BP社、2008)とともに、ぜひ一読を薦めたい。


<初出情報>

■bk1書評「「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをたたき込まれた中国人は、「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人」投稿掲載2010年5月2日
■amzon書評「「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人」投稿掲載2010年5月2日


*再録にあたって字句の一部を修正した








<書評への付記>

 著者の遠藤誉(えんどう・ほまれ 1941年生まれ)は、中国関連書を多数出版しているので、知っている人は知っているはず。

 中国が「改革開放」政策に大きく舵を切ったのは1978年だが、その翌年には引き続き毛澤東時代の政策の抜本的転換である「一人っ子政策」開始された。この1979年以降に出生した若者を「80后」(バーリンホウ)、「90后」(ジューリンホウ)という。先行する世代の中国人とはまったく異なる「新人類」であるのは当然といえば当然だろう。

 著者が「あとがき」で書いている、「社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ」(P.246)というセリフは、さすがに社会主義時代の中国を肌身をつうじて熟知している著者ならではの表現である。

 実体は資本主義以外の何者ではない現在の中国であるが、国家の支配体制は「官僚独裁制」ともいうべき社会主義そのものである。この体制が生み出す矛楯が、中国の社会問題をさらに難しくしていることは否定できない。

 社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ。「銭力」(ゼニりょく)は社会主義国家だからこそ恐るべき力を発揮する。トップダウンで国を動かす。中華の心で民を一つにつなぐ。そして誰が自分を食べさせ豊かにしてくれるかを思い知らせる。そこには中国数千年の知恵と、中国ならではの「手の打ち方」がある。
 1948年9月、長春の元満映の近くにあったチャーズの柵の門。その開かずの門に中国人の八路軍ではなく、朝鮮人八路を立たせるという「妙技」を中国は演じている。しかし、冷酷無残な行動ができた彼ら朝鮮人八路は、1950年から始まった朝鮮戦争の戦場に送られ、金日成の粛正により全滅している。
 もし歴史が、あのチャーズの非人間性を裁こうとしたならば、「それは中国共産党ではなく、朝鮮人八路がやったことだ」という言い逃れを、中国という国は最初からきちんと用意していた。その見事なまでの「手の打ち方」に私は茫然としたものだが、中国には数千年の歴史が培った知恵と「手の打ち方」があることを、われわれは忘れてはならない。
 中国にとって「銭」は手段でしかなく、国家戦略は「銭力」(ぜにりょく)である。
 こうしてまちがいなく、「中国の特色ある社会主義国家」は生き残ったのだ・・(後略)・・(P.246-247) (*太字ゴチックは引用者=さとう)


 この文章を含んだ「あとがき」を読むだけでも本書を読む価値がある。日本人には想像すらできないような「手の打ち方」である。

 政治権力の本質を知り尽くした中国人のスゴさに、背筋が凍るような思いをするのは私だけではあるまい。

 なお引用文でチャーズと表記したのは(・・「チャ」とは漢字では上と下を重ねて書く一文字、「ズ」は子。ウェブ上で漢字表記できない)、著者が幼少時代を過ごした満洲国の新京(・・現在の長春)で、日本の敗戦後、国民党の占領下に隔離された収容用地域のことをさす。ここで著者は餓死寸前の壮絶な体験をしており、これが著者のデビュー作『卡子(チャーズ)-中国革命をくぐりぬけた日本人-』として知られるようになった。

 ただし著者が多用する「封建的」というコトバの使用はいただけない

 著者のつかう「封建」は日本史の「封建」でも中国史の「封建」でもない。歴史学徒の私としては「封建的」というコトバを使用するのは抵抗がある。正確な表現ではないからだ。

 できれば、「前近代的」)(プレモダン premodern)と言い換えて欲しい

 歴史的かつ複眼的なものの見方を展開している著者だけに、この一点の瑕疵(かし)が実に惜しい。

 

<関連サイト>

 本書の第3章「結婚できない「デキル女」たち」の連載の元となった「中国A女の悲劇」は、BPオンラインの該当ページを参照。
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100301/213093/

 本書に収録されていない文章もネットにはあるので、ぜひあわせて参照されたい。


中国問題研究家 遠藤誉が斬る (連載 2013年10月2日から現在) 








<ブログ内参考記事>

書評 『中国人が選んだワースト中国人番付-やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ-』(遠藤誉、小学館新書、2014)-中国国民の腐敗への怒りが臨界点を超えたとき中国は崩壊する
・・「拝金社会主義」の行き着くところは?

「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか?


■遠藤誉氏の著作

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)

書評 『チャイナ・ジャッジ-毛沢東になれなかった男-』(遠藤 誉、朝日新聞出版社、2012)-集団指導体制の中国共産党指導部の判断基準は何であるか?

書評 『ネット大国 中国-言論をめぐる攻防-』(遠藤 誉、岩波新書、2011)-「網民」の大半を占める80后、90后が変える中国

書評 『チャイナ・ギャップ-噛み合わない日中の歯車-』(遠藤誉、朝日新聞社出版、2013)-中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づけると見えてくるものとは?

書評 『完全解読 「中国外交戦略」の狙い』(遠藤誉、WAC、2013)-中国と中国共産党を熟知しているからこそ書ける中国の外交戦略の原理原則

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!

(2014年1月27日、2016年7月24日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)







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