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2021年1月16日土曜日

書評『他者と働く ー「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一、NewsPicksパブリッシング、2019)ー 自分と相手は違う人間なのだから・・


ベストセラーには、それなりに理由がある。気になってはいたが読んでいなかった本を読むのは、その理由を確かめたいからだ。 

『他者と働く-「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一、NewsPicksパブリッシング、2019)。組織論を研究する経営学者による本だ。2020年11月時点で、すでに7刷となっている。帯のウラには絶賛のことばが並んでいる。

たしかに、読んでいると、この本がなぜ支持を受けているのかが、よくわかる。自分自身、この本に書いていることは、この20年近く実践してきたし、あらためて気づかされる点も少なくないからだ。 

なぜ他者に対して不満を抱いたり、怒りを感じたりするのか。それは、相手も自分とおなじだと無意識のうちに思い込んでいるからだ。 

だが、いったんそういう思い込みを捨て去って、そもそも自分と相手は違う人間だと考えてみる。そうすれば、自分が思っていることが相手もおなじように思っているはずはなくだから自分の思い通りに他者が動かないのは当たり前だということに気づくはずだ。 

そこで意味をもつのが、本書のテーマとなるダイアローグ(=対話)とナラティブ(=語り)だ。ナラティブとは、人がそれぞれもつさまざまな背景から生み出されてくる個別の語りのことである。自分のナラティブと他者のナラティブは当然のように異なるものであり、だからこそダイアローグの必要が発生する。 

人と人との「関係」、組織と組織との「関係」は、いずれも目に見えない。そしてその「関係」には「溝」(=ギャップ)がある。相手とのあいだに目に見えない「溝」が存在するということに気づき相手の立場から自分を見る視点でその「溝」を理解し、どうやったらその「溝」に橋を架けることができるかを熟慮して、実際に橋を架ける試みを行う。 

ここで初めて、さまざまな組織変革にかかわるノウハウやツールが使えるようになるのである。組織変革がうまくいかないのは、ここまでのプロセスをすっ飛ばしてしまうからだ。スローガン的に表現すれば、「急がば回れ、ツールのまえに!」とでもなろう。

組織は生身の人間によって構成されている。個々の人間が異なるバックグラウンドをもっており、当然のことながら異なる考えをもっている。だからこそ、ダイアローグが必要なのである。ダイアローグぬきで、一方的に主張を通そうとしても無理なことは、当たり前ではないか。 

この本には、コンサルタント出身者が事業会社の経営ポジションについて、そこではじめてダイアローグの重要性に気づくという 事例がいくつも出てくる。自分の場合も、40歳の頃におなじような体験をして、はじめてダイアローグの重要性に気づいた経験をもっているので、著者の言うことがよくわかるのである。 

経営学の本であり、組織論の本であるが、ふつうのアプローチとは異なる本だ。 

著者をインスパイアしてきたのは、医療現場における医者と患者の相互理解のための実践から得られた知見である。おなじ現象を見ているのに、なぜ医者という専門家と患者とのあいだにスムーズなダイアローグが成り立たないのか、成り立つためにはどういうアプローチをしたらいいのか、その問題意識から生まれてきた実践である。

この本は、営利企業に限らず人間関係によって構成されている組織に生きる人が、どういうポジションにいるにせよ、意識するべき心得といっていいかもしれない。 

自分のなかでダイアローグを行いながら読み、そしてどう日々の実践に落とし込んでいくか、何度も反芻しながら読んで、自分のものとすることが必要なこが書かれた本なのである。

その意味では「セルフヘルプ」の本ということもできよう




目 次 

はじめに 正しい知識はなぜ実践できないのか
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている 
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス 
第3章 実践1 総論賛成・各論反対の溝に挑む 
第4章 実践2 正論の届かない溝に挑む 
第5章 実践3 権力が生み出す溝に挑む 
第6章 対話を阻む5つの罠 
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
おわりに 父について、あるいは私たちについて
謝辞
参考文献

著者プロフィール
宇田川元一(うだがわ・もとかず) 
経営学者。埼玉大学経済経営系大学院准教授。1977年東京生まれ。2000年立教大学経済学部卒業。2002年同大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。2006年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。2006年早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、2007年長崎大学経済学部講師・准教授、2010年西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より埼玉大学大学院人文社会科学研究科(通称:経済経営系大学院)准教授。社会構成主義やアクターネットワーク理論など、人文系の理論を基盤にしながら、組織における対話やナラティヴとイントラプレナー(社内起業家)、戦略開発との関係についての研究を行っている。大手企業やスタートアップ企業で、イノベーション推進や組織改革のためのアドバイザーや顧問をつとめる。専門は経営戦略論、組織論。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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・・ヴォルテールは、人間はそれぞれ違うことを前提にした agree to disagree の重要性を説いた『寛容論』の著者でもある。『論語』なら「和して同ぜず」というところだろう。

(2021年1月26日 情報追加)


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2014年4月14日月曜日

ミツバチについて考えるのは面白い!-玉川大学農学部のミツバチ科学研究センターの取り組み


玉川大学・玉川学園の学園誌である『全人』。

「全人教育」をモットーとする学園を一言で表現すれば「全人」となる。いただいているので毎月読んでいるのだが、今月号(2014年4月号)は「特集 玉川のミツバチ研究」。これが面白い。

1950年に開設された玉川大学農学部の「ミツバチ科学研究センター」はすでに64年の歴史をもつ研究所で、ミツバチ研究の分野では世界的にも有名なようだ。最初からそれを狙ったわけではないだろうが、絞り込んで特化した個性的な分野で地道に取り組んでいれば、いずれ花開くという好例だろう。

ミツバチについて考えるのは面白い。

ミツバチの生態、ミツバチの組織、ミツバチの役割、ミツバチの脳、もちろん蜂蜜も。自然科学と農学、そして脳科学、組織論など、さまざまな分野に横断的かつ総合的にまたがっってくる、まさに「文理融合」の領域である。

(愛読者必読!?の百田尚樹氏の対談 『全人』 2014年4月号より)

『風のなかのマリア』というスズメバチを主人公にした作家の百田尚樹氏は、スズメバチの生態をくわしく知るために玉川大学の小野正人教授になんども取材したのだそうだ。その二人の対談記事が面白い。

天敵のスズメバチを退治するために、多数のミツバチがスズメバチをくるみこんで熱死させる「ふとん蒸し」、より正確にいうと「蜂殺」というのはすごい。これは小野教授が発見して、1995年には英国の科学雑誌 『ネイチャー』にも論文が掲載され、その後世界的な反響を呼んでいるそうだ。

遺伝による「本能」だけで生きているとみなされがちなミツバチだが、その小さな脳で「学習」もしているのである! 「記憶と学習」のテーマでミツバチの脳を研究した成果である。まさに「一寸の虫にも五分の魂」。昔の日本人はただしいことをいっていたわけだ。

ミツバチについて考えるのは面白い。

『全人』のこの特集号はグラフィック的にもすばらしい出来なので、学内限定というのがじつにもったいない。ぜひミツバチで一般向けに一冊の本に仕立て上げるとよいのではないだろうか。

(ハニカム構造の図案化 『全人』 2014年4月号より)

「文理融合」の全学的テーマとして、ミツバチを軸にして脳科学から映画、マンガ・アニメまで横断的に含めた「ミツバチ大全」をぜひ期待したいところだ。子どもから大人まで楽しめる、「ミツバチ」を軸にした「総合的学習」の本にするのも面白いかもしれない。

その際、「ミツバチ」をキーワードに連想ゲームをやってみるといいだろう(・・詳細については拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』の第4章を参照)。フリーディスカッションをそれぞれの部門ごとに実行すれば、その集大成がある意味でミツバチにかんする「集合知」となる。

材料工学であれば「ハニカム構造」について。「ハニカム」とは蜂の巣を意味する英語 honey comb のこと。蜂の巣の正六角形構造がきわめて安定性が高いのでさまざまな場面で使用されている。

食文化としてはハチミツだけでなく、クロスズメバチの幼虫である「はちのこ」という虫料理。そして、いま大きな問題になっている「ミツバチ減少問題」(=蜂群崩壊症候群)。まさに環境汚染が農業を脅かしている大問題。ミツバチがいなければ受粉できないからだ。形のいい果物はミツバチがいなければできないのだ。

映画ならビクトル・エリセ監督の映画『ミツバチのささやき』(1973年のスペイン映画)の原題が El espíritu de la colmena(=The Spirit of the Beehive)と「ミツバチの精霊」であること、リチャード・ギア主演の映画『綴り字のシーズン』は、原題を Bee Season ということなど。

文学であれば、古代ギリシアのアリストパネースの喜劇『蜂』から『みつばちマーヤ』などを経て、先にも名前がでた百田尚樹氏の『風の中のマリア』まで。人間の私利私欲が世の中を成り立たせていることを示したマンデヴィルの『蜂の寓話』は、経済学においては忘れてはいけない重要文献だ。

そうそう、日本が生んだアニメの名作『みなしごハッチ』は絶対に落とすわけにはいけませんね。

などなど、「ミツバチ」をキーワードにしたら、文系と理系の文理などいかにナンセンスかがわかるというもの。「文理融合」なんて表現じたいがナンセンスなわけです。そもそも文理不可能なのが学問の本来の姿。ミツバチがそれを示してくれるわけだ。

『まるごと一冊ミツバチの本』(仮題)なんてタイトルだと、多くの人の手が伸びるだろう。なぜなら、身近な存在のミツバチについて考えるのはじつに面白いことだからだ。

ミツバチについて考えるのは面白い!






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自然観察

Study nature, not books ! (ルイ・アガシー)

猛暑の夏の自然観察 (1) セミの生態 (2010年8月の記録)

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)

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ファラデー『ロウソクの科学』の 「クリスマス講演」から150年、子どもが科学精神をもつことの重要性について考えてみる

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる


玉川大学関連

『キーワードで学ぶ 知の連環-リベラルアーツ入門-』(玉川大学リベラルアーツ学部編、玉川大学出版会、2007)で、現代世界を理解するための基礎をまずは「知識」として身につける

大学ブランドというプライベート・ブランド(PB)商品について-玉川学園の「抹茶アイス」は新製品!

玉川大学の 「植物工場研究施設」と「宇宙農場ラボ」を見学させていただいた-一般的な「植物工場」との違いは光源がLEDであること!

「ロボカップ ジャパンオープン 2013」(会場:玉川大学・玉川学園)の最終日にいってきた(2013年5月6日)

(2014年8月11日、2017年8月8日 情報追加)




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2013年12月30日月曜日

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、ぜひ復刊を望みたい基本書



『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、ずいぶんむかしのことだが、1980年代の終わりあたりに当時は日本最大の大型書店であった八重洲ブックセンター(本店)で見つけて購入した本だ。

こういう内容のある本が、重版がかからないまま入手不能になっているのはじつに惜しい。

著者は35年後に『明治キリスト教会形成の社会史』(森岡清美、東京大学出版会、2005)という形で類似するテーマの単行本を出している。専門研究書であり、わたしは未見であるが、「目次」をチェックすると重なっている部分もあるようだ。だが、別個の著作と考えたほうがよさそうだ。

『日本の近代社会とキリスト教』は講談社学術文庫かちくま学芸文庫、あるいは岩波現代文庫あたりがぜひ文庫本として復刊していただきたいと思う。あらたに参入した文春学藝ライブラリー(文庫)でもいいかもしれない。


プロテスタントとの出会いと受容のプロセス

明治時代日本の近代社会とキリスト教の関係については、『日本の近代社会とキリスト教』の目次をみれば、おおよそのところを知ることができるだろう。

明治以降のキリスト教は、アメリカ発のプロテスタントが中心となって推進された。

受け入れたのは「維新の負け組」となった幕臣や東北諸藩の旧武士層が中心である。儒教でトレーニングされてきた知的エリートたちが、マイナスからの人生構築のために受け入れ、かれらが中心になって日本人に伝道を行っていった歴史である。

新島襄や内村鑑三などキリスト教世界の著名人については教科書的な知識はすぐに得られるが、じっさいに、いかにしてキリスト教がひろまり、あるいは広まらなかったかは、社会学的なものものの見方が必要だ。

この本はプロテスタントのキリスト教を受け入れた側、反発した側の双方を押さえて立体的に歴史を再構成していることに意義がある。

以下、小項目をふくめて目次をすべて掲載しておこう。参考にしていただきたい。


目 次

Ⅰ. キリスト教の出現

 1. 宣教師の活動
  艦上での聖日礼拝/ハリスの日本滞在記
  日米修好通商条約第8条/宣教師の渡来
  キリスト教の日本語化/教育
  医療奉仕/宣教師を取り巻く危険
 2. キリスト教への接近
  宣教師をめぐる人々/最初の受洗者
  新しい進行を求めた層/初週祈禱会の初め
  基督公会設立さる/諜者の潜入
 3. 入信の契機とキリスト教理解
  キリストの品性と生活/宣教師の人柄
  熱誠あふれる祈禱/神との倫理的関係
  平民の入信/キリスト教の理解
  生命がけの信仰/公会規則外の三カ条
 4. 信徒に対する迫害
  迫害を避けず/衆人環視のなかの浸礼
  政府による弾圧/藩の重立ちによる糺問(きゅうもん)
  信仰ゆえの離縁/熊本バンドが受けた迫害
  死をもって棄教を迫る/座敷牢に禁固さる
  離婚か棄教か/迫害の論理

Ⅱ. キリスト教会の形成と展開

 1. 日本基督公会
  公会成立の必然性/「長老の官」
  公会の内規定/公会主義
  超教派の立場/公会の信仰
  公会の施設と財政/公会会員の出金
  東京公会の分立/各地公会の成立
  長老派と組合派の分離/公会主義の挫折

 2. 安中組合教会 (・・組合派、群馬県)
  安中教会への関心/新島襄の伝道
  安中教会の成立/安中の伝道圏
  リバイバル/信徒の分布
  四季と教会活動/キリスト教と「家」
  信徒の社会層/伝道圏の変化
  神棚と仏壇/氏神の祭祀
  僧侶の対応/キリスト教側の応戦
  倫理性の強調/高い教育を
  その後の安中教会
 3. 島村美以教会 (・・米国メソジスト監督教会系、群馬県東南端の利根川沿い)
  島村教会への関心/島村の産業
  島村養蚕業の発達/発達を支えたもの
  蚕種輸出の盛衰/蚕種業の収益性
  島村の文化的クライメート/キリスト教のおとずれ
  島村教会の成立/キリスト教の理解
  寺院と神社からの反撃/ヤソ退治
  共同体規制/教会の成長
  信徒の社会層/矯風運動
  神棚と仏壇/先祖祭祀  
  年中行事/その後の島村教会

 4. 日下部メソジスト教会 (・・カナダ・メソジスト教会系、勝沼方面)
  日下部教会への関心/教線勝沼方面に伸びる
  指導的信徒像/日下部教会の成立
  教勢伸張の背景/東方区の分割
  小野と自給独立/自給問題の背景
  自給への歩み/信徒の苦心
  自給の達成/自給達成への契機
  勝沼教会との比較/教勢の発展
  組合を足場として/禁酒運動との結合
  禁酒運動と地域社会/西保村の禁酒運動
  各地の禁酒運動

(明治期プロテスタント教会の教勢 P.176~177)

 5. 教会発展の諸条件
  教会の増加/信徒の増加
  受洗者数の推移/教会発展の諸条件
  大リバイバル/大リバイバルの源
  リバイバルの非日常性/リバイバルの功罪
  自由キリスト教の伝来/新神学の影響
  二十世紀大挙伝道/福音主義論争
  信徒層の変化/新しい信徒層

Ⅲ. キリスト教への迫害と批判

 1. 寺院とキリスト教
  北陸での迫害/敵意をもつ真宗
  『耶蘇教之無道理』/村はちぶ
  葬儀と埋葬の妨害/葬儀の自由を求めて
  墓地問題/二重帰属
  寺院側の対応/仏事禁酒

 2. 神社とキリスト教
  『浸透排斥』/偶像を拝すべからず
  神官僧侶の妨害/祭礼時の嫌がらせ
  「耶蘇退治馬鹿のしんにゅう」/背後にある国家権力
  迫害の担い手/氏子区域と氏子の義務
  児童の神社参拝/神社本来の性質/明治神宮創建是非

 3. 学校とキリスト教
  信徒の小学校教員/教師の子ども
  内村の「不敬事件」/事件あいつぐ
  教育と宗教の衝突/信徒の抵抗
  「訓令第12号」/苦境を脱す
  学校教育とキリスト教

 4. 国家とキリスト教
  宗教政策の変遷/官憲による規制
  本音の底にあるもの/『耶蘇教国害論』
  『耶蘇教亡国論』/天皇制との矛盾
  信徒の反論/『我国体と基督教』
  
Ⅳ. 近代日本におけるキリスト教

 1. 生活暦への影響
  キリスト教の影響/改暦
  安息日を守る/外人との関係
  日曜休日制の実施/その意義
  クリスマス 

 2. 婦人の地位への影響
  女子教育/西洋の技芸
  教会での婦人の地位/婦人会吏の出現
  家庭での婦人の地位/一夫一婦の倫理
  炭谷小梅/愛情にもとづく結婚
  社会での婦人の地位/廃娼運動

 3. キリスト教の土着化
  土着化の準備/土着化の試み
  さまざまな形態/現役か土着化か
  孤立か土着化か/土着化を阻むもの

略年譜
さくいん
図表・写真目次


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著者プロフィール

森岡清美(もりおか・きよみ)
1923(大正12)年、三重県生まれ。東京文理科大学哲学科倫理学専攻卒業。東京文理科大学助手に就任以降、同専任講師、東京教育大学助教授、同教授、同文学部長、成城大学文芸学部教授、同文芸学部長、民俗学研究所長、淑徳大学社会学部教授、同大学院特任教授などを歴任し、学会では、日本社会学会会長、日本家族社会学会会長、日本学術会議会員(二期)などを歴任。現在は、東京教育大学名誉教授、成城大学名誉教授、大乗淑徳学園学術顧問、中央学術研究所講師。文学博士。専門分野は、歴史社会学、家族社会学、宗教社会学。著書に、、『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会、2005)、『真宗教団と家の構造』(御茶の水書房、2006)『家族社会学』(有斐閣、編著)、『新社会学辞典』(有斐閣、編著)など多数(2012年刊行の最新著書の著者紹介から引用)。




主要目次

第1部 明治前期の士族とキリスト教 
 序章 課題と理論モデル 
 第1章 青年士族のキリスト教入信 
 第2章 キリスト教界指導者たちの家族形成 
第2部  明治期地域社会のキリスト教 
 序章 課題・概念・方法 
 第1章 安中キリスト教会の形成と展開 
 第2章 島村キリスト教会の形成と展開 
 第3章 日下部キリスト教会の形成と展開 
 終章 地域社会におけるキリスト教の受容と定着 
第3部 明治期キリスト教の教派形成 
 序章 課題・概念・視角 
 第1章 日本基督一致教会-長老制教派の形成 
 第2章 日本組合教会-会衆制教派の形成 
 第3章 日本美以教会-監督制教派の形成 
 終章 キリスト教の制度的定着


<内容紹介>
維新の敗戦による喪失感に苦悩しながらも,新たな理想を希求してキリスト教に入信した青年士族たちがいた。試練や迫害に耐えて伝道に励み、明治半ばにはプロテスタント三大教派の礎を築き上げた。――明治近代化の壮大なドラマを個別信徒・教会・教派の三層構造にわたって描き切る。




補論 「日本の近代社会とキリスト教という問題設定」は

明治時代前期は、近代化が西洋化(=欧化)として始まった時代だ。

だが、明治時代のキリスト教を考える際は、日本全体の宗教状況がどうなっていたかを押さえておく必要がある。時代が激変するとき、宗教状況もおおきく変動するのである。

思想史の安丸良夫氏に『神々の明治維新』(岩波新書、1979)という名著があるが、幕末から明治維新にかけての時期は政治の世界だけでなく、宗教の世界でも「維新」が炸裂したのであった。

幕末から明治維新にかけては、「尊王攘夷」運動から「攘夷」が消え、「尊王」がメインストリームになった時代だ。「尊王」の「王」とは天皇のことである。

「尊王家」の先駆者は、いまではまったく顧みられることのない江戸時代中期の高山彦九郎などだが、儒教研究の古学(=古代研究)の触発を受けてはじまった国学が平田篤胤の平田国学に至って、豪農層を中心にした草の根の民衆運動のうねりを生み出す。一方、水戸藩で発展した儒教から生まれた水戸学の「尊王」思想が志士たちを支えるエネルギーとなる。

「浄化」という側面が前面に打ち出された、いわゆる「下からの近代化」である。

きわめて奇妙なかたちで融合した「尊王」思想は、明治維新体制を「祭政一致」という「神権政治」(=テオクラシー)実現の方向へと向かわせる狂的な熱情となる。島崎藤村の『夜明け前』の世界である。

このような状況のなか、「神仏分離令」(1868年)が発令され、「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れる。日本を日本たらしめていた「神仏習合」が暴力的に否定し断罪され、仏教寺院が徹底的に破壊された地域もある。全国レベルで仏教寺院から神社が切り離される。「神権政治」の主張者たちが、外来宗教であるとして仏教に否定的だったからである。

それは仏教を事実上の「国教」として民衆統治の核に据えていた江戸幕藩体制の全面否定という意味もあった。あくまでも比喩的な意味だが、1979年のイラン・イスラーム革命をほうふつとさせるものがあったのだ。あるいは、現代中国の「文化大革命」のような時代であったといえよう。

仏教が外来宗教であるとして排斥されただけでなく、明治維新によってキリシタンは「解禁」されたわけではなく、かえって激しく弾圧された。

キリスト教信仰が公式に認可されたのは、条約改正のために奔走していた政府が、欧米諸国による非難からしぶしぶ認めたものである。その後も、キリスト教が黙許されながらも取り締まりの対象とされていたのである。

西欧化という形で近代化を推進した明治政府の指導者たちは、西洋文明の核にキリスト教があることを重々承知していながら、キリスト教を導入するわけにいかなかった。そのため、苦肉の策としてつくりあげたのが「国家神道」であった。国家神道は宗教ではないというフィクションによって。

「国家神道」は、ある意味ではキリスト教の代替物であったことは押さえておく必要がある。従来の神概念とは合致しない近代の産物だったのである。だからこそ、それに違和感を感じる一般民衆のあいだから、天理教や大本教など、「反近代」としての教派神道がつぐつぎと発生してきたわけなのだ。

キリスト教がもつ政治的な役割は国家神道によって代替し、キリスト教はあくまでも個人の信仰という側面で意味をもつことになる。そのため、キリスト教と国家との緊張関係がその後もながく続くことになった。ただし体制内エリートと体制外ではキリスト教の意味合いは異なる。

「廃仏毀釈」で壊滅的な打撃をこうむった仏教、長年の禁圧がようやく解けて「解禁」されたキリスト教、この二つの「外来宗教」はその後お互いを意識しながら競合関係に入っていく。近代仏教が、じつはキリスト教の影響を受けていることも押さえておきたいところだ。

キリスト教人口は1%を越えることなく推移しているが、キリスト教の影響は日本のすみずみにまでゆきわたり、「キリスト教的なるもの」にどっぷりつかっているのがいまの日本人である。しかし、最初からそうだったわけではないのである。



<ブログ内関連記事>

「神々の明治維新」

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・明治維新以前の神仏習合について安丸良夫の『神々の明治維新』を踏まえて書いた。以下、該当箇所を再録しておく。

 民衆思想史の安丸良夫はが著書のタイトルに『神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈-』(岩波新書、1979)と使っているように、明治維新は政治経済上の革命であったとともに、宗教革命としての様相を色濃く帯びていた。
 幕末にイデオロギーとして急成長した国学と水戸学、この本来なら相容れるはずのない両者が融合し、「神権国家」構想を現実すべく、新政府への働きかけに成功するや、近代国家のイデオロギーを求めていた新政府との野合が生じたのである。それは短い期間であったが、この間に行われた「文化破壊」が取り返しのつかないものであったことは繰り返し、繰り返し指摘しておきたい。
 「神仏分離」は一言で言ってしまえば、近代には発生しがちな、純化(purification)と合理化(rationalization)の実にストレートな表現である。すなわち、神仏習合状態から、仏を分離して廃棄せよ、という主張に他ならない。
 新政府の方針は、中国や朝鮮とは違う、民族国家として日本を確立するという命題、近代化=合理化であったが、その際に手を組んだ平田派国学が、いきすぎた「祭政一致」の方向に一気に突っ走ろうとした。彼らの脳裏には、ある意味ではイラン・イスラーム革命のような、「神権政治」(テオクラシー)確立を目指していたといってもいいのかもしれない。

書評 『仏教徒 坂本龍馬』(長松清潤、講談社、2012)-その死によって実現することなく消え去った坂本龍馬の国家構想を仏教を切り口に考える
・・明治時代における「仏教復興」

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
・・江戸時代に民衆統治の手段として幕藩体制下において公認されていた仏教。以下、該当箇所を再録しておく。
しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。
 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。
 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。
 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。
 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。
 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。
 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。
 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。」

「日本の近代社会とキリスト教」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
・・「「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一」とも関係のある旧津軽藩士とキリスト教

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となった

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈のひとつの中心は新渡戸稲造は盛岡藩士の息子

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに


書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・「欧化主義」を推進した知的エリートたちと一般庶民にとっての「近代」は意味合いがおおきく異なっている


日本では「習俗化」したキリスト教

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
(2014年7月18日、8月22日 情報追加)


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2013年12月24日火曜日

書評『バチカン近現代史 ー ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(松本佐保、中公新書、2013)ー「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える



『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘』は、フランス革命以降の「政教分離」を推進する「近代国家」の登場で、領土や権威を失い弱体化していったバチカンが、いかにみずからの生き残りをかけて生き抜いてきたかを描いた近現代史である

本書の圧巻は、なんといっても「反近代」の立場を貫いたバチカンが、環境変化にあわせてみずからを「近代化」させつつ、不倶戴天の敵であった「共産主義」という「悪魔」を、武力というハードパワーではなくソフトパワーによって打倒した外交史であり、国際政治史を描いた第Ⅴ章以降にある。

近現代の国際政治のメインプレーヤーが英米を中心とするアングロサクソンであったことは言うまでもないが、これをバイプレイヤーであったバチカンの側から描いてみせたのが本書の最大の特色であろう。

プロテスタント国である米国も英国も「反バチカン」では一貫してきたが、この姿勢に転換が生まれたのが第二次大戦後の冷戦構造の成立であった。

米国にとっては正式な外交関係はなかったものの、実質的な「反共」のパートナーとしてのバチカンの存在は大きかったのだ。カトリック地帯であるポーランドをはじめ、カトリック国であるハンガリーやチェコが共産主義国家ソ連の影響下である共産圏に入ってからは、バチカンのもつネットワークが米国にとっては大きな意味をもったからだ。

無神論を標榜する共産主義はまさに「近代」の産物そのものであり、政教分離を強力に推進したフランス革命以降の「近代」は、バチカンにとっては領土と影響力を失っていった苦難の時代であった。「近代」の推進者であったプロテスタント国の英国や米国とは真逆の状態にあったわけだ。

イタリアの独裁者ムッソリーニとのあいだで締結された「ラテラノ条約」(1929年)がバチカンにとっては反転攻勢のキッカケとなる。世界最小の主権国家・バチカン市国として再出発することになったが、無神論の共産主義との対決姿勢からナチスドイツともかかわりをもち、第二次大戦後は米国に接近することとなった。このプロセスをつうじて国際政治におけるプレイヤーとしての存在感を増し、威信と影響力を回復していく。

「変わらないためには変わらなくてはならない」というのは、ヴィスコンティ監督の『山猫』のなかの有名なセリフだが、バチカンもまた近代世界という環境に適応するために大胆な自己変革を断行する。いわゆる「第二バチカン公会議」(1962~1965年)である。ここには詳述しないが、「第二バチカン公会議」以前と以後の違いは著しい。

冷戦崩壊からすでに20年以上の月日がたち、世界に残る共産党政権が中国や北朝鮮、ベトナムやキューバしか存在しなくなった現在、共産主義との戦いといってもリアリティを欠いているように聞こえるかもしれない。

だが、まさにその共産主義との戦いを同時代人としてリアルタイムで経験してきたわたしのような世代の人間にはじつに感慨深い。この時代を知らない若い世代にはぜひ熟読してしていただきたいと思う。中国共産党が存在し信仰の自由を抑圧する体制がつづく限り、バチカンの戦いが完全に終わったとは言えないからだ。

米国とのパートナーシップのもと共産主義との戦いに勝利し、冷戦構造が崩壊したあとは、ナチスドイツとの関係など過去の歴史が逆風が吹くことにもなった。さらに現在は、聖職者による少年の性的虐待やバチカン銀行によるマネーロンダリングなどさまざまな問題が噴出する渦中にあり対応に苦慮しているが、ラテラノ条約(1929年)以前のことを考えれば乗り切れない問題ではなかろう。

ことしは600年ぶりのローマ教皇退位とバチカンがふたたび大きな注目を浴びたが、清貧を説いたアッシジのフランチェスコから名前をとったあたらしい教皇フランシスコ一世はバチカン改革をすすめることであろう。

これまでバチカンが生き残ることができたカギが「反近代」にあった。「近代」においてはすでに「普遍」ではなく、「アンチ」としての存在感のほうがアイデンティティとしては大きかったバチカンであるが、ようやく「アンチ」ではなく、ポジティブな価値観で人類社会に貢献できるようになったいえようか。

それは、近代世界のなかで確立してきた普遍的原理である「人権」を前面に打ち出し、擁護推進する主体としてである。この意味では、現在のバチカンは単純な「反近代」とはいえないだろう。「近代」を経験し、みずからを「近代化」しつつ「近代」を超えるという課題にチャレンジしているように思われる。

「近代」がすでに終わっているいまだからからこそ、バチカンに目を向ける意味もある。なんといっても世界最古の組織がバチカンである。自己刷新なくして組織は生き延びることができないことの典型的な事例といっていいだろう。

バチカンの秘密文書館にもアクセスし、信者ではないもののカトリック教育を10年間受けてきた著者によるこの新書本は、歴史のなかの存在よりも、リアルタイムでプレイヤーとして活動しているバチカンを理解するために、日本人として読んでおきたい一冊である。


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目 次

はじめに
序章 前近代のバチカン-起源から一七世紀まで
第1章 フランス革命の衝撃-超保守主義の台頭
第2章 ピウス9世の近代化政策と "豹変"-イタリア王国統一への抵抗
第3章 イタリア政治への介入-第一次世界大戦下の多角外交
第4章 ムッソリーニ、ヒトラーへの傾斜-バチカン市国成立と第二次世界大戦
第5章 ピウス12世の反共産主義-冷戦下、米国への接近
第6章 第二バチカン公会議-他宗教との和解と対共産主義・無神論
第7章 独自の対共産圏外交の追求-パウロ6世の意図
第8章 ポーランド人教皇の挑戦-ベルリンの壁崩壊までの道程
第9章 グローバル時代の教皇-宗教・民族紛争への介入
終章 バチカンと国際政治
【コラム】 コンクラーベ-教皇選出
      マリア信仰Ⅰ-信仰承認とピウス9世
      満洲国承認
      バチカンの統治システム
      マリア信仰Ⅱ-ファティマの奇跡とその後
あとがき
参考文献
バチカン近現代史関連年表

著者プロフィール

松本佐保(まつもと・さほ)
1965年神戸市生まれ。88年聖心女子大学文学部歴史社会学科卒業。90年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。97年英国ウォーリック大学社会史研究所博士課程修了。Ph.D.取得。その間イタリア政府給費留学生としてローマのリソルジメント研究所に研究員として滞在。現在、名古屋市立大学人文社会学部教授。専攻は国際関係史(イギリス、イタリア、バチカン政治・外交・文化史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 『ローマ法王の権力と闘い』(小坂井澄、講談社+α新書)は、2002年の出版ではあるが、『バチカン近現代史』では取り上げられていないバチカンの組織内の問題を扱っているので、機会があれば参照するとよいだろう。英語なら文献は多いが、日本語だと意外に公平な記述によるまともな本が少ないのがバチカン関連本の世界




PS アメリカの TIME誌恒例の "Person of the Year" は、ことし2013年度は教皇フランシスコ1世(Pope Francis)に決まった。バチカンにあって清貧を実践するイエズス会出身の新教皇への期待といってよいだろう。




<ブログ内関連記事>

バチカン関係

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・バチカン銀行によるイタリアの政局を巻き込んだマネロン疑惑

書評 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、文春文庫、2013 単行本初版 2009)-"最初の被爆地" 広島と "最後の被爆地" 長崎の背後にあった違いとは?
・・冷戦時代における反共政策をとるバチカンとアメリカとの関係

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る 

600年ぶりのローマ法王退位と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・教皇フランシスコ一世は清貧を説いたアッシジのフランチェスコから名前をとった

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?

「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ-書物がひらくルネサンス-」(印刷博物館)に行ってきた(2015年7月1日)-15世紀に設立された世界最古の図書館の蔵書を実物展示


「近代」とは? 「近代」の問題とは?

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命とナポレオン戦争の意味

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ


「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・ハプスブルク家に生まれてフランス王室に嫁ぐまでウィーンで過ごしたマリー・アントワネット

『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界
・・「かつては修道院醸造所(monastery brewhouse)はフランスにもあったらしいが、フランス革命においてカトリック教会が大打撃を受け、修道院の多くが破壊され、財産が没収された結果、途絶えてしまったらしい」

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・フランス人司祭でイエズス会士のピエール・テイヤール・ド・シャルダンは「近代主義」である「進化論」の主張により「異端」とされ、その著作は「禁書」扱いとなった


反共産主義

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い
・・英米とは異なり、バチカンが「反共」の立場から満洲国を承認した数少ない主権国家のひとつであったことはアタマのなかにいれておいたほうがいい

書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である
・・ソ連崩壊による共産主義敗北後のロシアでいま進行していることは全体主義か?


継承と承継

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!
・・血縁原理を重視する儒教圏、輪廻転生を重視するチベットと異なり、コンクラーベという秘密投票による選挙で後継者を決めるバチカン

(2015年7月7日 情報追加)


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2013年12月23日月曜日

書評『正統と異端 ー ヨーロッパ精神の底流』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)ー 西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典



『正統と異端 ー ヨーロッパ精神の底流』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)は、いまから30年以上前の高校時代に中公新書版で読んで大きな影響を受けた本。この名著が文庫版として復刊されたのはまことにもって喜ばしいことだ。

名著の復刊が実現したのは、ことし2013年は、600年ぶりのローマ教皇の退位と新教皇選出という出来事があったからためだろうか。バチカン関連の本としても読むべき一冊といえよう。

「正統と異端」というタイトルは宗教学のように聞こえるかもしれない。だが本書は基本的に歴史学の立場から書かれたものだ。題材は著者の専門である西洋中世史12世紀に活発化した「宗教運動」と、その動きに対するローマ教皇庁の政治的対応をときの教皇インノケンティウス3世(=イノセント3世)を中心に取り上げ記述したもの。

「正統」とは中央集権組織として西欧世界に君臨していたキリスト教。「異端」とはキリスト教の枠組みのなかでキリストに帰れという、ある種の原理主義的性格を帯びた運動のことである。清貧を説いたアッシジのフランチェスコがその代表であった。

みずからを「正統」とみなす立場の主流派が、それに異なる見解を言動によってチャレンジされたとみなしたときの対応は二つに一つしかない。

「異端」として拒絶し排斥するか、あるいは「正統」を補強するものとみなして抱き込むか、である。これは組織防衛のために不可欠の政治的判断であり行動である。

あるいは免疫系のアナロジーで語ることも可能かもしれない。「異物」に対する免疫反応は拒絶して排除するか、内部に取り込んで自分と一体化してしてしまうか、である。生体を維持するためには二つに一つしか選択肢はない。折衷的な対応はありえないのだ。生き物としての組織もまた同じである。

この「排斥」(=拒絶)と「抱き込み」という政治的選択の原理の原型を、西欧12世紀のキリスト教世界に見ることができるのである。キリストの原点に戻ることを主張したフランシスコ会とドメニコ会がローマ教皇庁によって「正統」のお墨付きを得て托鉢修道会として取り込まれたのたのは「抱き込み」。これに対して4世紀後の16世紀、ルターの段階ではついに徹底的に排除され、同時に「異端審問」の嵐が吹き荒れることになる。

ここで老婆心ながら注意しておきたいのは、日本語ではおなじ「せいとう」であるが「正統」(orthodoxy)は「正当」(legitimacy)とは違うということだ。「正統」はかならずしも「正当」である必要ではない。デファクトで主流になった状態が「正統」なのである。「正統」は「異端」とは相対的な関係にあるので、力関係によってはそれが逆転することもある。

「第2章 正統と異端の理論的問題」につぎのような文章があるので確認しておこう。

異端はどこまでも正統に対する異端であって、異教ではない。・・(中略)・・正統と異端はあくまでも根本を共通にする同一範疇(はんちゅう)・同一範囲に属する事物相互の対立なのである。
 ・・(中略)・・
政治の領域において、正統と異端の対立は最も明瞭であるとはいいながら、社会主義国家内における正統と異端の問題も、正統と異端とが、政治的現実に従って、つねに相関的にその内容を変えているので、何が正統であり、何が痛んであるかを一義的・不変的にきめることはむずかしい。
 ・・(中略)・・
あらゆる正統と異端の問題の出発点には、預言者ないし始祖の言葉=啓示が、正統の根本的テーゼとして必要である。・・(後略)・・

初版が出版された1964年は、冷戦構造の真っただ中であったことにも注意しておきたい。

私がこの本を読んだのは、いまでも所有している新書版の書き込みによれば1979年であるが、その年はソ連崩壊の第一歩となったアフガン侵攻が行われた年であった。

この本を読みながら、ソ連を中心とした共産主義国における共産党が、なぜ反対派を汚名を着せて除名したり、粛清したりするのか理解するための必読書だなと、つよく思ったことを覚えている。その意味で、小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊』とともに高校時代に大きな影響を受けた一冊なのである。

このように本書は、政治現象の理解はもちろんのこと、それ以外の組織などにおける政治現象の理解にも資するところが大きい。冷戦崩壊後の現在でも、共産党以外でも、合併と分裂を繰り返す政党の動きをみるうえで大いに参考になるはずだ。

「世界最古の組織であるカトリック教会」で使用された用語は軍隊用語に引き継がれさらには経営用語にも引き継がれている。ミッション(mission =伝道、使命)、ドグマ(dogma =教義)やプロパガンダ(propaganda =福音宣教)、インドクトリネーション(indoctorination=教化)など枚挙に暇がない。この原型は、以後ヨーロッパ人の精神的形成に大きな影響を与えることになる。

その意味でも、現代に生きる日本人にとっても本書で取り上げられた問題設定はけっして無縁ではないし、古びてもいないのである。西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典である。


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目 次

まえがき
Ⅰ 問題への出発
 第1章 ローマ法王権の負い目
 第2章 正統と異端の理論的問題
 第3章 キリスト教的正統論争の争点―秘蹟論
Ⅱ 論争
 第4章 グレゴリウス改革と秘蹟論争
 第5章 グレゴリウス改革と秘蹟論争(続)
Ⅲ 問題への回帰
 第6章 グレゴリウス改革と十二世紀の宗教運動
 イノセント三世と宗教運動
史料と参考文献
年表
文庫版解説(樺山紘一)

著者プロフィール

堀米庸三(ほりごめ・ようぞう)1913年2月、山形県に生まれる。東京帝国大学西洋史学科卒業。北海道大学文学部教授等を経て、56年から東京大学文学部教授。73年退官、東京大学名誉教授。75年12月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

St Francis Before the Pope 
・映画 『ブラザーサン シスタームーン』(1972年、フランコ・ゼッフェレッリ監督)のラストに近いシーンで、アッシジのフランチェスコがバチカンでインノケンティウス3世に謁見し「抱き込まれる」シーンに注目! その宗教政治的意味が見事に映像化されている。


(『ブラザーサン シスタームーン』のシーンから)


<ブログ内関連記事>

西洋中世史

書評 『西洋史学の先駆者たち』(土肥恒之、中公叢書、2012)-上原専禄という歴史家を知ってますか?
・・「『正統と異端』という名著の著者で、東大の西欧中世史をリードした堀米庸三が、若き日に衝撃を受けたという上原専禄の仕事は、歴史家としては当たり前の「あくまでも原史料に基づいて研究する」という態度を西洋史研究において貫いたことにある」

東大西洋中世史をリードしたのが堀米庸三。ちなみに歌手の加藤登紀子氏は東大文学部西洋史学科で堀米庸三氏のもとで学んでいる。一橋大学の歴史学は西洋中世史であっても異なるバウグラウンドがある。

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・付録の「実学としての歴史学」で上原専禄についても触れている。上原専禄の師匠であった歴史家で銀行頭取でもあった三浦新七はドイツ留学時代にランプレヒトの助手をつとめていた。その三浦新七がウィーンでドープシュに師事するよう命じたという。

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・「レジスタンスの戦士ととして斃れた悲劇の歴史家マルク・ブロックも、古典的名著『封建社会』(堀米庸三監訳、岩波書店、1995 原著は 1939)で・・」

カトリックの「異端」とローマ教皇庁

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・フランス人司祭でイエズス会士のピエール・テイヤール・ド・シャルダンは「進化論」の主張により「異端」とされ、その著作は「禁書」扱いとなった

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・「正統」のなかに抱き込まれたフランチェスコ

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える


共産主義と共産党へのアナロジー

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む


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