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2022年12月23日金曜日

『フランクリン 人生を切り拓く知恵』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)が本日発売されました(2022年12月23日)

 


フランクリンは、いうまでもなくベンジャミン・フランクリンのこと。「アメリカ建国の父」の一人です。米ドルの100ドル札の人。




フランクリンといえば、雷が電気であることを凧をあげて実証して、避雷針を発明。現代に生きるわたしたちは、フランクリンには大いに感謝しなくてはいけませんね。 

起業家として印刷業で成功しただけでなく、科学者・発明家・政治家・外交官と、まさに「万能の天才」ぶりを発揮。しかも、学校教育は2年だけ。「独学の人」でもあるのです。

Twitter の買収でお騒がせ中の起業家イーロン・マスクもフランクリンの愛読者。その理由は読めばわかります。




アメリカ独立によってアメリカ人になった「ファースト・アメリカン」。なんと70歳のときで、「建国の父」のなかでは最長老。42歳でビジネス界からリタイアしたあとも、42年間生きて84歳の長寿をまっとうした「人生100年時代」のロールモデル



  
全国の書店で購入可能ですが、豪雪地帯ではクリスマス寒波で物流が滞ることも予想されます。電気さえあれば電子版で読めます。電子書籍版も同時に発売。有料でダウンロード可能です! 
 
ぜひこの機会にフランクリンの「人生を切り拓く知恵」のことばに触れていただきたく。
  


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2021年2月5日金曜日

『Mr. トルネード 藤田哲也 航空事故を激減させた男』(佐々木健一、文春文庫、2019) を読み、映画『ツイスター』(1996年、米国)でそのすごさの意味を再確認する

 

昨年2020年12月のことだが、気になっていた『Mr. トルネード 藤田哲也 航空事故を激減させた男』(佐々木健一、文春文庫、2019)を読んで、こんなすごい人がいたのか、しかもほとんど日本では知られていないのは、まことにもって残念だと思った。  

トルネードというと、どうしてもメジャ-・リーグで大活躍した野茂選手のことを想起してしまうが(・・古いねえ)、トルネード(tornado)とは竜巻のことだ。そして、世界で発生する竜巻の3分の2が米国で発生する。しかも、そのほとんどがオクラホマ州を中心とした中西部だ。 

日本でもときどき竜巻が発生するが、米国の竜巻のすさまじさは日本の比ではない『オズの魔法使い』の冒頭もそんな巨大竜巻で始まっている主人公ドロシーは愛犬トトろもに、家ごと竜巻で吹き飛ばされて「魔法の国マンチキン」に行ってしまうのだが、そんなことが実際に起こるのが米国の巨大竜巻なのである。Toto, I have a feeling we're not in Kansas anymore. という有名なセリフがある。

日本では地震の規模や台風の規模に関心が集中しているが、竜巻大国の米国には、竜巻の強度を風速や被害状況で表現した「Fスケール」というものがあるらしい。その「F」とは藤田(Fujita)氏の「F」である。英語では Fujita Scale という。そんなことを『Mr. トルネード』ではじめて知った。 



(映画『ツイスター』より Fujita Scale に言及されるシーン)

1920年に現在の北九州市小倉市に生まれた藤田哲也氏は、すでに1998年に亡くなっている。昨年は生誕100年ということになる。からくも原爆投下を免れたが、藤田氏は、その後、長崎で原爆の被害調査に携わっている。 

渡米後にトルネード(=竜巻)研究の本場の米国のシカゴ大学に研究拠点を移していたこともあって、米国籍を取得していた。気象学の世界は、空軍など国防とも関係あるので、軍が大きな予算をに握っている。研究費調達のため米国籍を取得したのでないかとも言われているようだ。

しかも、研究のほとんどすべては英語で発表しているので、日本ではほとんど知られていないWikipediaでは、Ted Fujita として項目が立てられているのは、哲也(テツヤ)では発音しにくいので Theodore という英語名を名乗っていたからだ。


(単行本カバー)

藤田博士が、みずから Mr. Tornado と名乗っていたこともあるが、竜巻もさることながら、藤田氏の業績で最大のものはダウンバーストの発見とされている。「ダウンバースト」(downburst)とは急激に発生する下降気流のことであり、これが着陸寸前の航空機の事故の原因となっていたのだ。 

だから、藤田氏は「航空事故を激減させた男」なのである。航空業界における貢献は、計り知れないものがあるのだ。にもかかわらず、「気象学の世界にはノーベル賞がない」ので知られざる存在になっている。

日本人は、もっと藤田哲也という科学者のことを知るべきだろう。三度の飯よりも研究が大好きだというタイプだったようだ。そんな、素顔をもこの本で知ることができる。




先に「Fスケール」について触れたが、藤田博士がモデルとされているのが、スピルバーグが総監督として携わった『ツイスター』(Twister)という映画だ。1996年製作のこの映画のことは、この本を読むまで知らなかった。ツイスターとは、トルネードのスラングであるらしい。 

というわけで、先週末はじめて『ツイスター』を視聴。さすがスピルバーグ系列のものとあって、映像で再現された竜巻のすさまじさ。そのすさまじさは、日本人なら、台風が予告もなく突然発生し、しかもわずか数分で通過すると考えてみればいい。 

竜巻研究に人生をかけている科学者たちの研究競争に、研究チームの結束や主人公の恋愛などからめたディザスターもののエンターテインメント作品だ。脚本には、科学作家のマイケル・クライトンも参加しているのが強みだろう。 

映画の前半49分頃に「Fスケール」(Fujita Scale)のことがでてくる。DVDで視聴してキャプションを英語にして確認。日本語の字幕には説明なかった(上記の画像を参照)。

映画では、Fujita が日本人科学者の名前であることの説明はない科学の世界では、国籍や出自など意味はないのである。ちなみに映画の終盤近くで「F5レベル」の巨大竜巻に襲われることになるのが 、オクラホマ州の Wakita という町であるが、日本の脇田(ワキタ)さんとはまったく関係ない(*注)

(*注)Wakita, Oklahoma(オクラホマ州ワキータ)は、Wikipedia情報によれば、チェロキー族の酋長(チーフテン)の名前にちなんで命名されたらしい。 

長々と書いてしまったが、海外に出ると、日本出身だが日本ではまったく知られていない人に多く出会うことになる。藤田哲也氏だけではないのである。 

科学研究は、国籍や民族などに囚われることなく、人類全体に貢献することが目的であるが、藤田氏のような日本人がいたことを記憶にとどめたいと思うのだ。


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2017年7月24日月曜日

たしかに「神の意志」は「忖度」(そんたく)しなけりゃわからない-『神の意志の忖度に発す-科学史講義』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)を読んでみた


「2017年度の流行語大賞」候補(だと、わたしが勝手に決めている)「忖度」(そんたく)ですが、タイトルに「忖度」が入った本はないかなと amazon で検索してみたところ、引っかかった数少ない本がこれ。

『神の意志の忖度に発す-科学史講義-(LECTURE BOOKS )』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)。 いまから32年前の1985年(昭和60年)に出版された本です。バブル前ということになります。

内容は科学史。日本を代表する科学史家の村上陽一郎教授と、SF作家の豊田有恒氏との対話。「アマゾン・マーケットプレイス」に1円の出品があったので、合計258円でゲット。さっそく読んでみました。

 「神の意志の忖度」とはなにかというと、西欧の「17世紀科学革命」はキリスト教の枠組みの中で生まれて発展したことをさしたもので、なんとか「神の意志」を知りたいという強い思いが自然研究者たちの研究を促し、科学(サイエンス)を発展させてきたという歴史的事実をさしたものです。

なるほど、「神の意志」は、たぶんそうだろうなと推測して「忖度」するしかありませんねえ。預言やお告げ(オラクル)という形で直接神の声を耳にするごく少数の人以外は。その「忖度」によってみずからが構築した「仮説」を、観察と実験で検証するのがサイエンスというものです。

なお、「神の意志の忖度」というフレーズを使用しているのは豊田氏で、本書のなかで3回使用しておりました。(*太字ゴチックは引用者=さとう による)

人間というものは、神の意志がどこにあるかと言うことを忖度しようと思ったことが科学の進歩のもとになったということなんですね。(P.104)

それは科学というものを築こうというものじゃなくて、単なる神の意志を忖度するということの働きから起こってきたんですね。(P.106)

それも、ヨーロッパ世界では、神の意志を忖度するようなものがあって、それと進歩史観が絡み合うから、一番簡単なものから進歩してきたというふうに考えたいという、潜在意識的な操作が働いているのでしょうね。(P.175)


村上陽一郎氏は、豊田有恒氏の問いかけに対して「はい」と答えてはいるものの、さすがに自身ではそのような不用意な表現はつかってません。たぶん編集者が「これだ!」と膝を打ってタイトルに入れたのでしょう。

サイエンスがキリスト教のなかから生まれたのに、なぜ中国やイスラーム圏では生まれなかったのか? この問いとそれに対する答えは、すでに日本の教育でも常識になっていると思いたいのですが、はたしてどうでしょうか。答えは、本書のタイトル通り、「(キリスト教の)神の意志の忖度」にあるわけですがね。

ひさびさに充実した内容の「科学史」の本を読んで、アタマが整理されたのはよかったのですが、残念ながら「忖度」そのものの理解は深まらなかったというのが今回のオチでしょうか。いや、それで済ませてしまうわけにはいきませんよね。つづけましょう。

現代の世俗的な日本社会では、神ならぬ権力者の「意志を忖度する」のであります。権力者は、明示的な形で命令も要請もしないので、証拠はいっさい残らない。文字として残らないだけでなく、ICレコーダーで秘密に録音されることもない。語らずして悟らせる、これですね!

「空気」を読むことに長け、「行間」を読む能力に長けた日本人には、「忖度」など得意中の得意技ではありましょう。「忖度」もまた、コミュニケーションの一種ではあります。「あうんの呼吸」。「忖度」できる部下は、上司から寵愛されるわけです。

とはいえ、西欧人にも「神の意志を忖度」してきた人たちもいるわけですから、「忖度」なる意識の働きは、けっして日本特有のものとはいえないと結論しても間違いではないでしょう。

まあ、それが結論というところでしょうか。






PS 「2017年度の流行語大賞」は「忖度」に決まり!

2017年度の「ユーキャン新語・流行語大賞」に、「インスタ映え」とともに「忖度」が選出された。古くて新しいコトバとして、今後もしばらくは使用されることだろう。 (2018年2月15日 記す)




<ブログ内関連記事>

■世間と空気

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」

ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた


■科学史

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・



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2014年9月2日火曜日

書評『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹/梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)―「問い」そのものに意味がある骨太の科学論



『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹/梅棹忠夫)は、もともと中公新書から1967年に出版された対談である。いまからすでに47年前、ほぼ半世紀前ということになる。

「人間にとって科学とはなにか」という「問い」は、当時はありそうでなかったものだったらしい。そういう感想を文系の学者からもらったと梅棹忠夫は「あとがき」で書いている。こういう問いの立て方は、いまでも新鮮さは失っていないのではないのかもしれない。

「人間にとって科学とはなにか」という問いは、二段構えになっている。まずは「科学とはなにか」という問いである。これは、いわゆる「科学論」だ。

そして「科学とはなにか」という問いは、「人間にとって」という限定がつけられる。その結果、「人間にとって科学とはなにか」という問いは、「科学」とはそもそも「科学者」という人間によって行われてきた営みであるが、人間である科学者たちにとって、それから科学者ではない一般人にとって、意味合いが異なるのではないかということが示唆されている。

1907年生まれの湯川秀樹は日本人としてはじめてノーベル物理学賞を受賞した人であり、しかも人文系の教養を持ち合わせている人である。1920年生まれの梅棹忠夫は動物学出身で生態学者であったが最終的に人文科学の分野にいった人である。ともに文系的な素養をもった理系的発想の人たちである。しかも、ともに京都人で京大理学部卒である。

本書は、この二人の知的巨人による「人間にとって科学とはなにか」という「問い」をめぐる骨太の対談である。


科学者という存在と科学者以外の一般人

この二人の対談で重要なことは、科学者の視点で「科学とはなにか」を論じていることだ。

科学者は、ある種の知的衝動ともいうべきものによって突き動かされ開かれた世界で、つねに未知のものを探求するがゆえに、安心立命の境地とはほど遠い存在である。いわばあらたな科学的発見によって否定されるという、「自己解体」の可能性につねにさらされているのが科学者である。

不安定な状態がつづくことに耐えることのできる強靱な精神力、研究テーマに対する執着心とそれ以外のことには関心がないという変人性。人格円満とはほど遠い。

科学者の探求は、「未来」という未知の世界、「過去」という未知の世界に向かう。未来も過去も、ともに未知の世界であるのは、人間は一般に、「いま、ここ」という「現在」に生きている存在であり、未来も過去も、ともに「認識」の対象でしかないからだ。

これに対して、科学者ではない一般人は、未知よりも既知の世界、不安定よりも安定を志向する傾向が強い。対比的にいえば、科学よりも宗教の立場になびきやすいということだろうか。

この対談のなかでは、「科学」と「宗教」の共通性と違いがなんども指摘されているが、宗教を狭い意味の宗教ではなく、「~すべき」という当為(Sollen)の体系ととらえれば、一般人の日常な生活はほぼこの枠組みにしたがってなされているといっていいかもしれない。


(科学的認識は「未来」と「過去」に向かう 中公新書版より)


つまり、科学者と科学者以外の一般人は、それぞれが自分なりに「納得」したいというマインドセットを共有しているにもかかわらず、精神構造が大きく異なるということだ。そもそも科学と科学者という存在が確立したのが19世紀であるから、科学者はある時期までかなり特殊な人間類型であったのである。

ところが、この対談でも話題としてでてくるが、科学者が特殊な存在ではなくなり、「職業人」として一般化したことの意味について考える必要もある。研究所という組織に属する「組織人」としてのロジックに従わざるをえない状況についてである。2014年前半の理研をめぐる騒動における責任者の自死もまた、その一つの悲劇的結論といってよいだろう。科学者と組織人という、相異なるロジックの狭間で苦悩したのであろう。

科学の大衆化によって科学的知識が一般化するにともなう変化についても語られている。たしかに、科学的認識と科学的世界観の普及がなければ、未来と過去という時間意識は一般人にはあまり縁のないものであったかもしれない。ビジネスパーソンを含めた大多数の一般人にとっては、科学的探求精神による不確実な未来よりも、確実に予測できる未来がほしいのである。これは「科学」というよりも「宗教」に近いマインドセットである。

この対談が行われて出版された1967年当時は、「人類の未来」をうたう大阪万博を前にした「明るい未来」信仰と同時に、「高度成長期」のひずみによる公害問題など科学批判が発生していた。楽観主義と悲観主義が同時に存在していたのであった。

そのため、この対談は全体的にペシミスティックな基層低音を感じるのだが、2014年現在では、また異なる意味で科学批判が発生している。原発事故だけでなく、遺伝子工学やロボットなど、科学的知識をバックにした技術開発が、人間存在そのものに「ゆらぎ」を生じさせ、制御不能になっているのではないかという不安を一般人に与えているからである。

それが「科学信仰」のゆらぎということであれば、批判そのものは健全でもある。とはいいながら、狭義の科学者以外の一般人にとっては、宗教も科学もともに、もはや安心立命を与えてくれる存在ではなくなっていることを示しているのであり、不安感と不透明感は1967年当時よりも、さらに増しているといっていいのかもしれない。


「科学的探求」と「科学の未来」

対談では、「科学とはなにか」そのものについてのやりとりもきわめて面白い。

法則性についての因果論と目的論の違い、物質・エネルギー・情報で自然科学を統一できるという方向性、全体像が一瞬にして明らかになる直観的などである。これらは、科学者でなければ論じにくいテーマである。

最終章の「科学の未来」のなかで、超人間的存在としての神の実在の可能性について論じ合っている箇所がひじょうに興味深いので引用しておこう。この対談の雰囲気が理解できるだろう。

梅棹 科学は、どこまでいっても一種の宇宙論ですからね。科学が完結するとしたら宇宙論の段階で完結するしかない。もし、いやらしい結論は出したくないというのなら、そこまで繰り返して問うことはやめるほかはない。しかし、問題は厳然としてあるわけです。そこまで問うたら、いやらしい結論がたくさん出てきます。
湯川 人間が自分を特別貴重なものやというてるだけの話です。逆にいうと、人間より高等なものがあり得るわけでしょう。しかし、それを想像するだけでも、とってもいやなことになる。しかし、そういうことを考えるのが科学です。
梅棹 ここは大事なことですね。私は、神というものの存在が科学によって初めて実体的なものとして考えられるようになったと思う。・・(中略)・・人間自身を相対化し、地球を相対化し、太陽系を相対化する。そういう徹底的な相対化による人間自身の客観化、そしてその結果、なにか人間を超える生物のようなものだって、宇宙のどこかには当然あり得るのではないかという認識が生まれてくる。もしそういう超人間的生物が存在するとすれば、それはまさに「神」ではないか。

これが科学者の発想であり、科学的探求の行き着くところである。そしてその「問い」をやめることができないのもまた科学者という存在である。これは、この対談が行われた1967年当時も、2014年現在も変わらない科学者のマインドセットであろう。

科学的探求という知的衝動は、いわば「業」(ごう)のようなものだろう。それをいかに芽を摘むことなく「制御」することができるかは、科学者を含めた人間社会全体の問題である。

「科学者」が探求してきた「科学」という人間のいとなみが、「人間にとって」いかなる意味をもってきたか、そしてこれから持つのであろうかという問い。この「問い」をめぐるこの対談は、とくに結論めいたものはないが、「問い」そのものに意味がある対談なのである。

二人の知的巨人による知的密度の濃いこの対談は、ぜひ一度は読んでほしい。


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目 次

はじめに (湯川秀樹)
Ⅰ 現代科学の性格と状況
 人間からの離脱
 情報物理学の可能性
 自然観の再構成
Ⅱ 科学における認識と方法
 非法則的認識
 納得の構造
 科学の人類学的基礎
 イメージによる思考
Ⅲ 科学と価値体系
 価値の発生
 目的論的追求
 むだと未完結性
Ⅳ 科学とヒューマニズム
 自己拡散の原理
 執念と不安
 非科学ということ
 人間中心主義の根拠
Ⅴ 科学の未来
 当為と認識
 科学の社会化
 究極になるもの
 永夜清宵何所為
あとがき (梅棹忠夫)

増補
 現代を生きること-古都に住みついて
 科学の世界と非科学の世界
 科学と文化
解説 佐倉統


著者プロフィール 

湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)
1907~1981。京都帝国大学卒業後、大阪大学助教授を経て京都大学教授。1949年、中間子理論でノーベル物理学賞受賞。京都大学名誉教授。核兵器廃絶運動にも熱心の参加した。理論物理学専攻 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

梅棹忠夫(うめさお・ただお)
1920~2010。京都帝国大学卒業。大阪市立大学助教授、京都大学教授を経て国立民族学博物館館長。生態学を基礎にしながら多方面に活動した。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。京都大学名誉教授。比較文明学専攻 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>


科学的思考全般

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『「大発見」の思考法-iPS細胞 vs. 素粒子-』(山中伸弥 / 益川敏英、文春新書、2011)-人生には何一つムダなことなどない!

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋、2008)-第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?


梅棹忠夫の「科学論」

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである」(梅棹忠夫)


梅棹忠夫関連その他

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


京都の「知的風土」-現実主義とプラグマティズム

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・京都生まれの京都育ちの生態学者

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・京都生まれの京都育ちの政治学者

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・京都生まれの京都育ちの歴史家による封建制度論

書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)-京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」
・・東京出身の京大名物教授

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・佐渡島生まれで京大卒の京大教授が書いた「戦後日本」の知識人世界。「戦後」というのがいかに異様な時代であったかがよくわかる本

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!
・・「人間中心主義」である西欧ヒューマニズム批判


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2014年5月2日金曜日

書評『「科学者の楽園」をつくった男 ー 大河内正敏と理化学研究所』(宮田親平、河出文庫、2014)ー 理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・


現在の問題を考えるには、その前史ともいうべき歴史的経緯を知らなくてはならない。

現状分析を行うだけでなく、その前史を知り、現在に受け継がれているもの、変容してしまったものをきちんと整理することだ。言い換えれば、連続と断絶という2つのアスペクトで考えるということである。

組織問題を考えるにあたっても同様だ。さらにいえば、組織の名前(=固有名)と実体とのあいだに存在するズレに着目することである。これはブランドと実体と言い換えてもいい。

そういう問題関心から読んでみたのが『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、日経ビジネス人文庫、2001)だ。出版後にすぐ購入したのは、政治家の田中角栄が大河内正敏と深い関係があったということがアタマの片隅にあったからだ。読もうと思いながら12年もたってしまっていた。

「STAP細胞事件」(2014年)をキッカケに理研が国民全般の問題関心の対象となったこの機会に読み出したら、ものすごく面白い読み物であることがわかった。


理研が設立されたのは1917年(大正6年)だが、それは第一次大戦中のことであった。産業立国の基礎は科学技術による自主開発にありという信念が、華族出身の大河内正敏子爵をして「国民科学研究所」設立に奔走させたのであった。大河内正敏自身が科学者であった。

分野にとらわれず、自由に研究するという姿勢が多くの科学者を引き寄せ、そのなかから独創的な研究成果が輩出されたのである。それが「科学者の楽園」という別名を生んだゆえんだ。

たとえば、うまみ成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見した池田菊苗ビタミンAを発明した鈴木梅太郎。前者は味の素になった。後者は理研ビタミンとして理研の財政を支えた。また、リコーもまた理研の研究成果の商業化から生まれた会社である。

「科学者の楽園」という表現は、ノーベル賞を受賞した物理学者の朝永振一郎も使っているようだ。戦時中は仁科芳雄博士を中心とした原子爆弾の研究も理研で行われた。だがアメリカに先を越されたことは周知のとおり。

「科学者の楽園」を実現したのは、研究成果を「発明」として終わらせるだけでなく、「製品」として「商業化」したことにある。理研ビタミンなど「理研ブランド」が財政的に自由な研究を支えたのであった。理研は、研究成果を商業化して資金を回収する、ベンチャービジネス的な研究所、研究開発型企業でもあったわけだ。

戦前は「理研コンツェルン」として、科学研究を核にした企業グループを形成するに至る。この頃、新潟県の柏崎に工場を建設したことが、田中角栄との縁をつくることになる。田中角栄は理研の土建関係で財をなし、大河内正敏のことは一生感謝し続けたという。

戦後は、アメリカ占領軍によって「財閥解体」の対象とされ、理研コンテルンは解体された。商業部門はスピンオフされ、理研ビタミンやリコーとして現在に至る。

その後、紆余曲折を経て、国の予算で運営される研究機関となったわけだ。組織の名前(=固有名)は連続しているが、実体とのあいだに大きなズレが存在するわけである。そのズレが制御不能なまなでに大きくなっているのが文部科学省の息のかかった現在の理研と考えていいのだろう。

こういった経緯だけなら、wikipedia の記述でも読めば十分だろう。あるいは理研じしんの広報資料である「理研八十八年史」を読めばいい。

だが、『「科学者の楽園」をつくった男』という本が面白いのは、組織の創立者である大河内正敏という殿様科学者の強烈な個性だけでなく、草創期の科学者たちや戦前・戦中の科学者たちの人物エピソード中心の歴史ノンフィクション作品となっているからだ。

現在、日経ビジネス人文庫版は品切れだが、理研がニュースのネタになってからは引き合いも多いのだろう。河出文庫から2014年5月8日に「復刊」されるというのは「朗報」だ。

面白い内容なので、ぜひ読むことを薦めたい。





目 次
ロンドンの邂逅
国民科学研究所を危機
「明治天皇のお膝」
合成酒の匂い
理研の三太郎
ねえ君、不思議とは思いませんか?
理研コンツェルン
科学者の自由な楽園
殿様と少年
ケンカ太郎
ニ号研究カタストロフ
原子力とペニシリン
大輪の花

著者プロフィール
宮田親平(みやた・しんぺい)
1931年、東京生まれ。医・科学ジャーナリスト。東京大学医学部薬学科卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」編集長、編集委員等を経て、フリー。著書に『毒ガス開発の父ハーバー―愛国心を裏切られた科学者』(2008年科学ジャーナリスト大賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

理化学研究所 wikipedia日本語版

「理研八十八年史」 (理化学研究所)

迷走する理研、エリート研究所の危機「科学者の楽園」は何につまずいたのか (週刊東洋経済、2014年5月12日)

ベル研の先例に学べない理研の腐った組織 STAP細胞の正体が明らかになった今、組織防衛は世界の恥さらしに (伊東 乾、JBPress、2014年7月2日)


<ブログ内関連記事>

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋社、2008)-第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション
・・米国の国防総省と密接な関係にあるシンクタンク。「付記」として、米国モデルのシンクタンクの日本における展開について概観しておいた

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・現在注目すべきは先端分野に積極的に取り組んでビジネス化を推進しているグーグルの研究所であろう。「科学者の楽園」であるようだ

書評 『グラハム・ベル空白の12日間の謎-今明かされる電話誕生の秘話-』(セス・シュルマン、吉田三知世訳、日経BP社、2010)

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる

書評 『「科学技術大国」中国の真実』(伊佐進一、講談社現代新書、2010)-中国の科学技術を国家レベルと企業レベルで概観する好レポート


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