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2021年3月2日火曜日

書評『自閉症は津軽弁を話さない-自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(松本敏治、角川ソフィア文庫、2020)-言語の社会的機能についての考察を深めながらコミュニケーションの本質について考える

 

地方で生きている「自閉スペクトラム症」(ASD)の子どもが、なぜその土地の方言をはなさずに、アニメなどの視聴で習得した共通語でしゃべるのか、その謎を解くことで、人間とことばとの関係を「社会的関係性」の観点からさぐった研究成果を1冊にまとめたものだ。 

研究のきっかけと動機が面白い。帯にもあるように「夫婦喧嘩が発端の研究」である。著者の専門は障害児心理の大学教授、妻は臨床発達心理士。

「自閉症の子どもは津軽弁を話さない」という、臨床発達心理士の妻が現場観察から得た経験則は、はたしてほんとうか、もしそうだとしたらそれはなぜか、を探求した10年に及ぶ研究だ。 仮説をたてては検証し、またあらたな仮説をたてては検証を繰り返し、最終的に試論という形で結論に至る。それが科学(的研究)というものである。 

「意図」をキーワードに、言語を社会的相互作用のなかで捉えることで、なぜ自閉症児がアニメなどから習得した共通語をつかい、方言をつかわないかが解明されるのだが、結論もさることながら、結論にいたるプロセスが興味深いのだ。 

言語の社会的機能についての考察を深めながら、コミュニケーションの本質について考え、どうじに自閉スペクトラム症(ASD)についての理解も深まる内容。この本を読んで、はじめてASDについて、多少は知ることができた。 

「ですます調」をつかってわかりやすく書いているが、専門的な内容に踏み込んでいる専門書である。専門書であっても、こういう書き方もあるのだな、という感想をもった。


目 次

発端
第1章 自閉症は津軽弁をしゃべんねっきゃ
第2章 北東北調査
第3章 全国調査
第4章 方言とは
第5章 解釈仮説の検証
第6章 方言の社会的機能説
第7章 ASD幼児の方言使用
第8章 ASDの言語的特徴と原因論
第9章 家族の真似とテレビの真似
第10章 ことばと社会的認知の関係
第11章 かず君の場合
第12章 社会的機能仮説再考
第13章 方言を話すASD
第14章 「行きます」
第15章 コミュニケーションと意図
おわりに
引用・参考文献
謝辞
文庫版あとがき


著者プロフィール
松本敏治(まつもと・としはる)
1957年生まれ。博士(教育学)。公認心理師、特別支援教育スーパーバイザー、臨床発達心理士。1987年、北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。1999年、博士号取得(教育学)。2003~2016年9月、弘前大学教授。2011~2014年、弘前大学教育学部附属特別支援学校長。2014~2016年9月、弘前大学教育学部附属特別支援教育センター長。2016年10より、教育心理支援教室・研究所『ガジュマルつがる』代表。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2021年1月16日土曜日

書評『他者と働く ー「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一、NewsPicksパブリッシング、2019)ー 自分と相手は違う人間なのだから・・


ベストセラーには、それなりに理由がある。気になってはいたが読んでいなかった本を読むのは、その理由を確かめたいからだ。 

『他者と働く-「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一、NewsPicksパブリッシング、2019)。組織論を研究する経営学者による本だ。2020年11月時点で、すでに7刷となっている。帯のウラには絶賛のことばが並んでいる。

たしかに、読んでいると、この本がなぜ支持を受けているのかが、よくわかる。自分自身、この本に書いていることは、この20年近く実践してきたし、あらためて気づかされる点も少なくないからだ。 

なぜ他者に対して不満を抱いたり、怒りを感じたりするのか。それは、相手も自分とおなじだと無意識のうちに思い込んでいるからだ。 

だが、いったんそういう思い込みを捨て去って、そもそも自分と相手は違う人間だと考えてみる。そうすれば、自分が思っていることが相手もおなじように思っているはずはなくだから自分の思い通りに他者が動かないのは当たり前だということに気づくはずだ。 

そこで意味をもつのが、本書のテーマとなるダイアローグ(=対話)とナラティブ(=語り)だ。ナラティブとは、人がそれぞれもつさまざまな背景から生み出されてくる個別の語りのことである。自分のナラティブと他者のナラティブは当然のように異なるものであり、だからこそダイアローグの必要が発生する。 

人と人との「関係」、組織と組織との「関係」は、いずれも目に見えない。そしてその「関係」には「溝」(=ギャップ)がある。相手とのあいだに目に見えない「溝」が存在するということに気づき相手の立場から自分を見る視点でその「溝」を理解し、どうやったらその「溝」に橋を架けることができるかを熟慮して、実際に橋を架ける試みを行う。 

ここで初めて、さまざまな組織変革にかかわるノウハウやツールが使えるようになるのである。組織変革がうまくいかないのは、ここまでのプロセスをすっ飛ばしてしまうからだ。スローガン的に表現すれば、「急がば回れ、ツールのまえに!」とでもなろう。

組織は生身の人間によって構成されている。個々の人間が異なるバックグラウンドをもっており、当然のことながら異なる考えをもっている。だからこそ、ダイアローグが必要なのである。ダイアローグぬきで、一方的に主張を通そうとしても無理なことは、当たり前ではないか。 

この本には、コンサルタント出身者が事業会社の経営ポジションについて、そこではじめてダイアローグの重要性に気づくという 事例がいくつも出てくる。自分の場合も、40歳の頃におなじような体験をして、はじめてダイアローグの重要性に気づいた経験をもっているので、著者の言うことがよくわかるのである。 

経営学の本であり、組織論の本であるが、ふつうのアプローチとは異なる本だ。 

著者をインスパイアしてきたのは、医療現場における医者と患者の相互理解のための実践から得られた知見である。おなじ現象を見ているのに、なぜ医者という専門家と患者とのあいだにスムーズなダイアローグが成り立たないのか、成り立つためにはどういうアプローチをしたらいいのか、その問題意識から生まれてきた実践である。

この本は、営利企業に限らず人間関係によって構成されている組織に生きる人が、どういうポジションにいるにせよ、意識するべき心得といっていいかもしれない。 

自分のなかでダイアローグを行いながら読み、そしてどう日々の実践に落とし込んでいくか、何度も反芻しながら読んで、自分のものとすることが必要なこが書かれた本なのである。

その意味では「セルフヘルプ」の本ということもできよう




目 次 

はじめに 正しい知識はなぜ実践できないのか
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている 
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス 
第3章 実践1 総論賛成・各論反対の溝に挑む 
第4章 実践2 正論の届かない溝に挑む 
第5章 実践3 権力が生み出す溝に挑む 
第6章 対話を阻む5つの罠 
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
おわりに 父について、あるいは私たちについて
謝辞
参考文献

著者プロフィール
宇田川元一(うだがわ・もとかず) 
経営学者。埼玉大学経済経営系大学院准教授。1977年東京生まれ。2000年立教大学経済学部卒業。2002年同大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。2006年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。2006年早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、2007年長崎大学経済学部講師・准教授、2010年西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より埼玉大学大学院人文社会科学研究科(通称:経済経営系大学院)准教授。社会構成主義やアクターネットワーク理論など、人文系の理論を基盤にしながら、組織における対話やナラティヴとイントラプレナー(社内起業家)、戦略開発との関係についての研究を行っている。大手企業やスタートアップ企業で、イノベーション推進や組織改革のためのアドバイザーや顧問をつとめる。専門は経営戦略論、組織論。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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・・ヴォルテールは、人間はそれぞれ違うことを前提にした agree to disagree の重要性を説いた『寛容論』の著者でもある。『論語』なら「和して同ぜず」というところだろう。

(2021年1月26日 情報追加)


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2017年5月13日土曜日

書評『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書、2017)―「日本語の文脈のなかで日本語で伝えることの難しさ」を意識しつづけた23年の軌跡



 『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書、2017)を読んだ。「NHKクローズアップ現代」の23年間をキャスターをつとめた国谷さん自身による振り返り。

いろんな読み方が可能だと思うが、番組そのものの誕生の経緯から2016年の最終回までの23年間は、日本社会の転換期であったこと、日本語よりも英語のほうが得意な「帰国子女」にとっての日本でのキャリア形成の物語、映像重視のテレビ番組でのコミュニケーションの意味、日本語の文脈のなかで日本語で伝えることの難しさ、などが印象に残る。

「NHKクローズアップ現代」という番組は、国谷裕子さんという一本筋の通った個性的な「キャスター」(・・これは和製英語。英語ではアンカー)あってこその番組であったが、チームによる番組製作の舞台裏を知ることができたのはおおきな収穫だった。組織に属さないフリーの立場からみた組織の問題など微妙な問題もきちんと取り上げている。

岩波新書らしく硬派な内容で、読み応えのある本だった。それにしても、「NHKクローズアップ現代」が終わってしまったのは、かえずがえずも残念だ。

アメリカに住んでいたときからNHKの国際放送で英語のニュースを読む国谷裕子さんのことは知っていた。「NHKクローズアップ現代」がはじまる前のことだった。そのときからのファンだったので、「NHKクローズアップ現代」から降板になったのは残念で仕方がないのだ。

だが、いまこうして、23年間の軌跡を振り返った本書としてまとめられたことは、降板になったからこそ実現したともいえなくはない。「禍を転じて福となす」。その意味では、大いに意義あることだというべきだろう。国谷さん、執筆いただいて、ありがとうございました。


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読者のみなさんへ 国谷裕子 (岩波書店の書籍案内サイトより)

番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です.



目 次    

第1章 ハルバースタムの警告
第2章 自分へのリベンジ
第3章 クローズアップ現代
第4章 キャスターの役割
第5章 試写という戦場
第6章 前説とゲストトーク
第7章 インタビューの仕事
第8章 問い続けること
第9章 失った信頼
第10章 変わりゆく時代のなかで
終章 クローズアップ現代の23年を終えて
あとがき

著者プロフィール

国谷裕子(くにや・ひろこ)
大阪府生まれ。1979年、米国ブラウン大学卒業。1981年、NHK総合“7時のニュース”英語放送の翻訳・アナウンスを担当。1987年からキャスターとしてNHK・BS“ワールドニュース”、“世界を読む”などの番組を担当。1993年から2016年までNHK総合“クローズアップ現代”のキャスターを務める。1998年放送ウーマン賞’97、2002年菊池寛賞(国谷裕子と「クローズアップ現代」制作スタッフ)、2011年日本記者クラブ賞、2016年ギャラクシー賞特別賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

さらば「NHKクローズアップ現代」-23年間の幕を閉じ、良き番組がまたひとつ消えた・・(2016年3月17日)

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)-自らの豊富な滞米体験をもとに説くアリストテレス流「雄弁術」のすすめ

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)

1980年代に出版された、日本女性の手になる二冊の「スイス本」・・・犬養道子の『私のスイス』 と 八木あき子の 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』・・・を振り返っておこう
・・海外経験の長い、とくに欧米経験の長い女性たちの意見に耳を傾ける


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2011年1月7日金曜日

いかにして異なる業種業界や職種間、また組織内の異なる機能間で「共通言語」と「コンテクスト共有」によるコミュニケーションを可能とするか




 専門家としての能力と周辺分野とのコラボレーションが必要な時代だ。同じ組織のなかだけで過ごしてこられた時代はすでに終わっている。

 自らが属する組織から一歩出たとき、まったく話が通じない、同じ日本語をしゃべっているのになぜ意思疎通ができないのだ、という思いを抱いた経験は誰にでもあることだろう。

 最近は、いやがおうでもコミュニケーションの必要性に迫られる環境にある。突然、会社が買収された。合弁会社を作ることになったので転籍含みの出向を命じられた、外部の専門家を一緒に新しい事業を立ち上げろ、などなど。

 いや、まさか自分が、と思っていたがリストラを宣告されたことすらある。

 そうなったとき、いままでぬるま湯のなかで気楽に過ごしていた人にとって、突然コミュニケーションが成り立たないという現実に直面することになる。ゆで蛙状態になるのはコミュニケーションも同じである。

 コミュニケーションがディス・コミュニケーション(=コミュニケーション不全)になってしまうのだ。

 これは世代間でも同じだ。同じ日本語でありながら、たとえば「ヤバい」という意味は世代間でまったく意味が異なる。 若者が使う略語は、いつの時代でもジャーゴン(隠語)であるので、その世代や小集団を離れては通じないのは同じだ。

 やっかいなのは、世代が同じだとしても、同じような属性をもつビジネスパーソンどうしでも話が通じないことが多々あることだ。

 話が通じていると思ってお互い会話をしていながら、実は話がまったく通じていなかった、なんとなくわかったつもりになって会話を続けていたが、さてミーティングの議事録のドラフトを作成してみたら、こんなことは言ってないとクレームをつけられた、などなど。
 
 なぜ同じコトバを使っていても話が通じない? 一生懸命コミュニケーションつもりなのに、なぜ結果としてディスコミュニケーションになってしまうのか。

 もちろん「うるわしき誤解」がコミュニケーションをスムーズに進展させることも、ときにはあるのだが、実際問題その真逆であることが圧倒的に多い。


ビジネス界とは違う世界との会合での経験

 業界によって特殊なコトバが使用されることが多いが、これはビジネス界にとっての異世界との遭遇で経験したことだ。一年くらい前のことだが、こんな経験をした。

 「じゅぎょうしゃ」は、「じゅぎょうしゃ」は・・・
 はあ? 「じゅぎょうしゃ」て何のこと? もしかして「授業者」??  
  
 私が委員をやっている私立学園の諮問委員会でのこと、委員の一人の教育学部に属するある教授の発表を聞きながら、アタマを猛烈に高速回転させて、話の内容を理解しようと努めていた。  

 質問してみてわかったのだが、やはり「授業者」であった。

 「授業者」とは、一貫してビジネスの世界に生きてきた私には、まったくもって、生まれて初めて聞いたコトバだ。そのときまで、まったく聞いたことすらなかった。  

 「授業者も事業者も、どちらもマネジメントにかかわっている、授業者は1クラス40人の生徒たちのマネジメントしますからね」・・というのが、その教授の発言を受けた私の話のオチだが、まことにもって専門分野を異にする人のあいだでのコミュニケーションは難しいものだと痛感した。  
 
 このように似たような音のコトバは、自分のいる世界で知っている音で類推するしかないのだが、対面の会話の場面では類推を確かめることができるので実害はミニマムにできるが、そうでない場合は・・・

 会合のあと、別の委員の方としゃべっていて話題になったのは、ビジネス界では Best practice というが、教育界では Good Practice というから始まって、最近は学生のコンピテンシーを測定しようという動きがあるらしいということだった。

 コンピテンシーは食傷気味のビジネス界から見ると、なんともいえない気分ではある。これは話が少しそれてしまったが。


経済用語と心理学用語の混乱、その他の専門分野の用語

 ところが、ビジネス界では「クライアント」というが、心理療法の世界では「クライエント」というカタカナ日本語を使っている。英語では client とまったく同じつづりで同じ意味なのに、日本語では違うコトバにしてしまっている。なんたるコミュニケーション不全の要因たることよ。

 「コア・コンピタンス」と「コンピテンシー」も、何がどう違うのかさっぱりわからない。前者は企業経営の世界、後者は心理学の世界での専門用語。日本での担い手が違うだけで、英語としてはほとんど意味は同じだ。

 英語でも意味の違いがあるが、それがそのままカタカナ日本語に持ち込まれて、互いにコミュニケーション不全をもたらしているケースにはまだまだ例がある。専門のたこつぼ性のもつ弊害である。

 モラトリアム(moratorium)というコトバもそもそもは金融用語で、大震災などの不可抗力によって金融に混乱が発生した際に出される「債務の支払い猶予」のことだが、これが心理学の世界に転用されて、「大人になるまでの猶予期間」の意味で使われている。日本では「モラトリアム人間」というキャッチフレーズで、後者の意味のほうが有名なのではないだろうか。

 ディプレッション(depression)も心理学用語で抑鬱(よくうつ)のことだが、経済学では恐慌のことを指している。

 医者の世界で使うカンファレンス(conference)、これはビジネスの世界で使うコンファレンスと英語にしたら同じである。

 こんな例は、まだまだ無数にあるはずだ。



一般世界でも人によって意味の異なるものを指していることが多い

 たとえば、「ゴッド・ハンド」という表現が日本では使われている。

 文字通りの意味は「神の手」ということだろうが、「ゴッド・ハンド」を聞いたとき、サッカーファンならまず現役時代のマラドーナの話を想起するだろうし、空手なら極真空手の大山倍達のことを、考古学ファンなら旧石器遺跡の捏造事件の張本人の話を、マッサージ好きなら名人の手技のことを、それぞれ想起することだろう。

 同じコトバを使っても、人それぞれで想起している内容が違うことはままあるものだ。

 日常生活では、通常わかったふりをしてやり過ごすことも多いが、同じコトバを使っていても、異なる意味で使っていることもままある。それでも、なんとなくコミュニケーションが成り立っていると言うのも、また不思議な話ではある。
 
 神の話がでたから、ついでにキリスト教特有の用語についても書いておこう。

 Passion は、普通名詞では「情熱」を意味するが、キリスト教では大文字で「受難」を意味する。
 Assumption は、普通名詞では「仮定」を意味するが、キリスト教では「聖母被昇天」を意味する。

 こういった用法は、キリスト教世界の外にいる人にはまったく想像もつかない用法としかいいようがない。


ビジネス界における「業界によって意味の異なるコトバ」

 話はビジネスの世界に限ってみても、業界によって意味の異なるコトバは意外と多い。とくに英語をそのままカタカタで表記した日本語に多いようだ。

 たとえば「デフォルト」というコトバがある。英語だと default とつづる。コンピュータ用語では「初期設定」のことだが、金融経済用語では「支払い停止」のことだ。

 双方の世界に足を突っ込んでいる人間には、一瞬のうちにアタアを切り替えることも可能だろうが、それぞれが異なる意味のまま会話し続ける、ということもありうる。

 銀行のなかでも、システム部門の人間とそれ以外の部門でのコミュニケーション不全の一つの要因になりうるかもしれない。

 「ポートフォリオ」(portfolio)も 金融界では、金融商品の組み合わせのことをポートフォリオといい、精緻な理論がポートフォリオ理論として構築され、MBAコースのファイナンスの授業で勉強することになる。

 ところがデザインの業界では、ポートフォリオとは、デザイナーの作品集のことをさしていう。

 私は、たまたま金融系のコンサルティング会社と広告代理店系のコンサルティング会社の両方を経験したので、金融と広告代理店という水と油のような業界では、コトバが通じないだけでなく、ものの考え方も、会議を含めた仕事のやり方もすべてが異なることを身を通じて体験した。

 米国でも、金融と広告代理店は同じニューヨークにあっても、それぞれウォール・ストリートとマディソン・アヴェニューとまったく違う世界に属している。

 ついでだから、この「水と油」の業界についてもう少し書いておきたい。
 
 はじめて米国にわたってUCバークレーのビジネス英語のコースに通っていたときのことだが、熱心な先生でさまざまなゲストスピーカーを教室に呼んで話をしてもらったが、その一人がシティバンクのサンフランシスコ支店のマーケティング担当だった。銀行でマーケティング(!)というのが驚きに感じたくらい、日本の銀行にはマーケティングという考えが 1990年時点には存在しなかったが、もちろん現在は状況は変わっているだろう。

 そもそもいまだにマーケティングというコトバと概念については、MBAコースやコンサルティング会社でいうマーケティングと、広告代理店がいうマーケティングはイコールではないような気がする。広告代理店系コンサルティング会社で感じた違和感だが、私がもともと金融系コンサルティング会社にいたことが原因かもしれない。

 ただし、コンサルティングの世界でも、広告代理店の世界でも顧客のことをクライアントということにかんしては共通している。


「コンテクスト共有」という考えから、企業内や組織内のコミュニケーション不全状態解消策を考える

 企業経営の世界では、よく「共通言語」という表現を使う。英語の common language を直訳した、日本語としてはちょっとかたい表現だ。

 M.B.A.ホールダーがよくクチにするが、彼らが意味しているのは、共通のビジネス用語とその意味を正確に把握して使用すれば、業種業界や個別企業のワクを超えて、共通のコミュニケーションが可能になるということだ。

 私はもっと現場に則して、M.B.A.ホールダーが皆無であるような会社や組織について考えてみたいと思う。

 「共通言語」は、異なる文化をもつ合併企業や合弁企業では、大いに意識すべきものである。

 また、急成長業界で、異なるバックグラウンドをもった中途採用出身者が大半を占めるような会社でも、「共通言語」を作るべく努力すべきだろう。

 こんなことを書くのは、私自身が新卒で設立二年目の会社に入社した経験をもっているからだ。

 銀行の審査部門を中核に設立されたコンサルティング会社だったが、企業向けのコンサルティング部門と官公庁向けのリサーチ部門がそもそも文化として違うだけでなく、銀行出身者、コンサルティングファーム出身者、シンクタンク出身者、一般企業からの転身者、業界団体出身者、マスコミ出身者、などなどまったく異なるバックグラウンドの持ち主の寄せ集めのような状態だった。

 よく言えば多士済々、悪く言えば混乱の極み、そんな状態の会社に何も考えずに飛び込んだわけだが、最後の最後まで、会社全体としての「共通言語」はできなかったのではないかと思う。

 「共通言語」がなくても、日本語で会話しているのでコミュニケーションは成り立つわけだが、自分のアタマのなかで通訳しながら会話をしていたわけで、私はキャリアの第一歩から異文化体験をしていたことになる。

 新卒入社の人間が増えるにつれて、少なくとも新卒入社の人間のあいだでは「共通言語」でしゃべれる状態になっていたようだ。

 こうした状況でのコミュニケーションについては、米国の文化人類学者エドワード・T・ホールが打ち出した概念である、「ハイコンテクスト文化」と「ローコンテクスト文化」が役にたつ。

 この概念は、とくに日米経済摩擦の激しかった頃に日本語に翻訳されて一世を風靡したものだが、日本のように凝縮性の強い文化はコミュニケーションにおいていわゆる「あうんの呼吸」が通じるので、これをコンテクスト(=文脈)を共有する度合いの強い文化として「ハイコンテクスト文化」(high context culture)とし、米国のように雑多な異文化状況ではコンテクスト(=文脈)の共有度合いが低いので「ローコンテクスト文化」(low context culture)と命名された。

 「ローコンテクスト」状態でコミュニケーション不全状態を解消するかについては、単にコミュニケーション・スキルの向上だけでは問題解決はできない

 組織内に委員会などを設定して、組織内で使用されているコトバを収集分析したうえで「辞書」をつくるという試みが必要だろう。

 その際に、それぞれの構成員がもつコンテクストの違いを明確に認識し、あらたなコンテストを作っていくという姿勢が必要だ。

 これはある意味では、あたらしい組織文化を創っていくということにも等しい

 このためには、ミッション・ビジョン・バリューで表現される企業理念の構築ないしは再構築が必要になってくる。これについて書いているとキリがないので、これは後日に期したい。




企業や組織の枠組みを超えて出会う個人と個人が「コンテクスト共有」でコミュニケーションを成立させるには

 同じ組織に属しないビジネスパーソンどうしが「共通言語」で話をするには、バックグラウンドが違う以上なかなか難しい。

 このためには、そもそもコミュニケーションはディス・コミュニケーション(=コミュニケーション不全状態)になってしまうのだということを最初から意識しておくに越したことはない。

 つまり、話が通じないことを前提にして話をするべきなのだ。

 マイドセットはそうだとしても、実際にはさまざまなテクニックは駆使したほうがいい。

 一つは、会話が始まる前、あるいは始まったらすぐに、共通の話題や、共通のバックグラウンドを探すことだ。

 共通性があれば人間というのものは不思議なことに共感を覚えて、気持ちがリラックスしやすい。これはよく知られている心理学上の知見だが、私がここでいたいのは、できるだけ早く共通のコンテクストを形成するためにコンテクストのすりあわせをするべきだということなのだ。

 「ああ、この人はこういう意味で、このコトバを使っているのだな」とアタマのなかで考えてみる。そのうえで、「私がこのコトバで言ってるのは、こういう意味で言ってるのですが・・」、「あなたの話は、私はこういう風に受け取りましたが、間違ってませんか?」、「ああ、つまりこういうことなんですね」・・といったことを実際に会話の場でクチに出すことによって、コンテクスト共有を進めてゆく

 出来る限りコトバを厳密に定義して「共通言語」を使うことは重要だが、法律家ではないので、契約書のような厳密なことをいっていては、コンテクスト共有どころか浮いてしまうだろう。

 むりに「共通言語」化を進めることなしに、こういったテクニックでコンテクスト共有化することは可能だ。

 ロジカル・シンキングなどとクチにする前に、すべきことは多いのではないかと思うのだが・・・



PS 姉妹編のブログ 「「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!」 もぜひご覧ください。

PS 読みやすくするために、改行を増やし、語句の修正を必要最小限の範囲内で行った。 (2014年8月29日 記す)





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書評 『海外ビジネスを変える英文会計-経営の判断力が身につく!-』(木幡 幸弘、インテック・ジャパン監修、エヌ・エヌ・エー、2010)
・・英語と数字はビジネスの「共通言語」

M.B.A.(経営学修士)は「打ち出の小槌」でも「魔法の杖」でもない。そのココロは?
・・MBAで学ぶ内容は国際ビジネスの「共通言語」。そういう観点からMBAに取り組むべき。基本はテクニカルターム(=専門用語)とその概念をいかに理解してつかいこなすかにある

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
・・「いわゆるコラボレーション型の仕事である。 細分化された狭い専門に閉じこもっているということ、あるいは自社内に閉じこもっているということは、自分の専門内でしか、また自社特有のコトバでしか語れないということである」

「ブルータス、お前もか!」-立派な「クレド」もきちんと実践されなければ「ブランド毀損」(きそん)につながる

「ゆでガエル症候群」-組織内部にどっぷりと浸かっていると外が見えなくなるだけでなく、そのこと自体にすら気が付かなくなる(!)というホラーストーリー

(2014年8月29日 情報追加)



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2010年10月10日日曜日

書評 『ビジネス・ツイッター-世界の企業を変えた140文字の会話メディア-』(シェル・イスラエル、林信行=解説、滑川海彦/前田博明訳、日経BP社、2010)




ツイッターの多用な用途のなかにビジネス・ユースを位置づけていることに本書の意味がある

 米国のノンフィクション作品は長いものが多い。本書もその例外ではないが、読んでいて長いということがそれほど気にならないのは、著者がベテランのジャーナリストであるだけでなく、1944年生まれの現在66歳でありながら、新しい世界への好奇心が旺盛で、なんでもやってみようというチャレンジ精神に充ち満ちた人だからだろう。

 原題の Twitterville とは著者の造語のようだ。140文字で「つぶやく」(・・英語のもともとの意味は小鳥が「さえずる」)ソーシャル・メディアの Twitter に 町という意味の ville を合成したもの。だから、本書の内容はビジネス・ユースにとどまらず、ツイッターの使い手のほぼすべてをカバーしている。

 こうした多用な使い手のなかにビジネス・ユースも存在するのだが、こういう広いコンテクストのなかに置いてこそ、ビジネス・ユースの意味も浮き彫りになる。つまり、ビジネス関係者がツイッターをうまく活用するためには、顔の見える存在としてツイッターを使いこなさなければならないということなのだ。

 本書には成功事例もさることながら、失敗経験も豊富に紹介されているので参考になる。ツイッターの存在により、本当の意味で個々の顧客との対話が可能となってきた。

 ビジネスコミュニケーションの新しいあり方としてのツイッターはもはや企業のコミュニケーション活動において欠かせないものとなりつつある。実際に試行錯誤しながら本書を読むことは有意義な体験となるだろう。


<初出情報>

■bk1書評「ツイッターの多用な用途のなかにビジネス・ユースを位置づけていることに本書の意味がある」投稿掲載(2010年5月26日)





原著タイトル

Shel Israel, Twitterville: How Businesses Can Thrive in the New Global Neighborhoods, Portfolio Hardcover, 2009

目 次

第1部 ツイッターはこうして始まった
 一杯のワインがオデオをやめさせた
 ツイッター、衝撃のデビュー
 デルも同じ道を歩んでいた
 なぜコムキャストがツイッターを?
 ユーザーが主導権を握る
第2部 企業はどのようにしてツイッターの利用に成功したか
 ツイッター・マーケティング
 世界企業が地域に密着 
 魔法使いに会いに行く
 B2B 利用でもやはり人が重要
 スモールビジネスが脚光を浴びる
 ツィッターと個人としてのブランド作り
 複合ジャーナリズムの時代
 市民との対話に使われるツィッター
 慈善活動について
 ダークストリート
第3部 企業のツイッター活用術
 ヒントと指標、加えて少々細かい話
 グローバルに広がる隣人の世界)


著者プロフィール

シェル・イスラエル(Shel Israel)

1944年生まれの、ソーシャル・メディアを専門とする米国のジャーナリスト、著述家、講演者。ファースト(Fast.com)、ビジネスウィーク(BloombergBusinessWeek)、ダウジョーンズ(Dow Jones)などの有力ブログに寄稿中。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)








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2010年6月6日日曜日

書評 『普通の家族がいちばん怖い ― 崩壊するお正月、暴走するクリスマス』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007) ― これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ




国際競争力を失い、大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏を見よ!

 「嫌なものを読まされたなあ」、という感じが最初から最後までつきまとった。

 自分の自由意思で読みながらなんだ、という感がなくもないが、同時に読んでいるうちに、「いや、こういうものかもしれないなあ」という気持ちに変化していく自分を見いだした。単行本は読んでいないので、この文庫版ではじめて読んでみての感想だ。

 いかに否認しようが、怒りを感じようが、これがいまの日本の家庭の現実なのだ。生活習慣が大きく変貌した現在の日本では、お正月が衰退するのも仕方がないし、クリスマスのほうが盛り上げやすいのは否定できない。

 この調査からあぶり出されてきたのは、30歳台から40歳台にかけての主婦たちのホンネである。

 自由意思と個人主義をはき違えた「甘えの構造」快楽原則に基づき、ひたすら不快で苦痛なこと、つまり嫌なことを回避する行動特性。現実を見ないよう、考えないようにして家族を偽装する日々。

 しかしこうした女性たちを責めたところで問題が解決されるわけでもない。専業主婦とは、その多くが人生に意味を見いだせない、寂しい女性たちのように思われるからだ。

 大きく変化したように見える日本の家庭だが、30歳台から40歳台にかけての主婦たちの行動を規制しているのが、あいもかわらず日本的な「世間」であることにも、一方では驚かされる。まわりがやっているからやる、まわりにあわせないのが怖い。ここにあるのは、「個」の存在しない「世間」そのものである。

 この本を読んで強く思ったのは、日本人は個人主義を完全にはき違えている、という事実だ。

 この本に登場する主婦たちは、多くの者が自由意思などとクチにしているが、日本人の家庭にあるのは、「個人主義」ではなく、「孤人主義」である。責任をともなわない「個」は「孤」でしかない。すでに集団主義でもなく、個人主義でもない日本人。内向きの孤人主義者の集団

 また子どもに対して、コトバで説明し、説得することを回避している多くの主婦たち。これでは子どもたちが一体どうやって、グローバル化のなかで生きてゆけるというのだろうか? 日本を一歩出れば、コトバでの戦いが当たり前の光景だというのに・・・。

 コトバによる論理的思考とはほど遠い日本人。多くの日本人から、国際的な競争力が急速に減退しているのは当然の帰結というべきだろう。

 日本企業もまたマーケティング活動をつうじて、こうした動きを促進しているわけだから、ほぼすべての日本人の大人が同罪であるといわねばならない。一部の地方での風習でしかなかった「恵方巻き」が普及したメカニズムについては、いろいろと考えさせられるものがあった。企業サイドと受容サイドがシンクロした結果なのである。

 いくら正論を吐いたところで、多くの日本人が大きく劣化しているのは否定できない事実だ。この現実を見据えたうえで、処方箋を書いて行動に移していかなくてはならないのだが、日本人の劣化を食い止めるためには、かなりハードな方法しかないだろうという気もする。それこそ見たくない、考えたくないような方法によって。
 
 それは、読者一人一人が考えなければならない課題である。その前に、まず本書を投げ出さずに最後まで読み切ってほしいと思う。


<初出情報>

■bk1書評「国際競争力を失い、大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏を見よ!」投稿掲載2010年4月22日




<書評への付記>

 書評としては長くなりすぎたので、投稿する際には大幅にカットして短くした。

 以下、カットした部分を再録しておこう。


 「見たくない現実」を見せられたとき、「否認 ⇒ 怒り ⇒ 取引 ⇒ 抑うつ ⇒受容」 という一連のプロセスがある。キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』で示した「死ぬということを受容するプロセス」からきているが、この本にかかれた「現実」については、否認から受容までのプロセスを、私自身体験することになった。

 いかに否認しようが、怒りを感じようが、まさにこれがいまの日本の家庭の現実なのだ。

 生活習慣が大きく変貌した現在の日本では、お正月が衰退するのも仕方がないし、クリスマスのほうが盛り上げやすいのは否定できない。

 調査対象者の属性、世帯収入が600万以上から800万円以下(26.9%)と800万円以上と1,000万円以下(22.9%)が中心になっており、標準よりやや高所得者層の専業主婦にあるようだ。つまり調査対象者は、居場所が職場にはない女性たちである。 

 調査手法もありきたりの定量調査手法であるアンケート調査ではなく、家族の食卓の写真を提出してもらい、質問票に記入してもらったうえで、ディープ・インタビューを行うとい定性的な手法であることが大きい。写真記録に現れた事実は、クチから出る発言との矛楯をさらけ出すからだ。犯罪捜査にも似た、執拗な調査方法である、といえようか。

 「家庭でのしつけ」というものがほぼ完全に死滅し、一切合切を外部化し、他人のせいに押しつける現在の状況、モンスターペアレンツ現象の背景が何であるのかについても、本書をよめば間接的に知ることができる。

 こういう家庭に育った子どもたちが、いままさに社会人として労働市場に参入してきたわけなのだが、「就活」というハードリアリティで苦戦し、そしてまた会社に入ってから大きなリアリティショックを感じることだろう。会社に入ってから意識変容があるのか、いかに価値観に変化が現れるのか、大いに関心がある。「シュガー社員」現象の背景も、本書をよめば間接的に知ることができる

 また、子どもたち自身が、こうした親をどう見ているのか、ホンネを探ってみたいものだ。著者もエピローグでは「子どもの目線」について少し言及しているが、案外と醒めたものの見方をしているのではないか。

 母親を「反面教師」にしている可能性も・・。あるいまた・・・



<ブログ内関連記事>

「恵方巻き」なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!-「創られた伝統」についての考察-


日本では「習俗化」したキリスト教

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

ケルト起源のハロウィーン-いずれはクリスマスのように完全に 「日本化」 していくのだろうか?


「言語技術」が日本人を真に国際化させる

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)

コトバのチカラ-『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)より


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2010年2月28日日曜日

書評『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)ー 日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法!




日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法! 「論理的思考能力」の基礎づくりにもなる実践的トレーニング法

 本書は、「急がば回れ」の外国語取得法である。というよりも、論理的な日本語を使いこなすためのトレーニング法として、きわめて有用な実用書になっているといっていい。

 多くの日本人が、単語や文法を覚えても、英語をはじめとする外国語を使いこなせないのはなぜか? 

 それは、第一言語である母語であるのにかかわらず、日本語の基礎が自分が思っている以上にあやふやだからである。

 第二言語である外国語が、母語である日本語の能力以上になることはありえないのだ。逆にいえば、日本語をきちんと鍛えられれば、外国語を使うための基礎ができあがったことになるのである。だから「急がば回れ」なのだ。

 著者によれば、欧米の「言語教育」は、「言語技術」と「読書技術」の二本柱から成り立っているという。前者の言語技術とは、自分の得た情報を伝達するための技術のこと。後者の読書技術とは、情報を受信して分析して解釈し、批判的考察を加えて自分独自の考えを構築するための技術のことで「クリティカル・リーディング」ともいう。

 本書で中心に扱われるのは「言語技術」(language arts)、あるいは「コミュニケーション・スキル」とよばれる技術だ。欧米では言語習得は、後天的に、訓練によって獲得される「技術」(スキル)であると考えられている。たとえ欧米人であっても、適切な言語技術の訓練がされていなければ、筋道立った会話をすることができないのだ。だから、欧米では言語教育は、あくまでも技術教科として実施されているという。

 著者は第一章「外国語と日本語の違いを意識する」で、1.説明の技術、2.描写の技術、 3.明確にいう技術、 4.質問の技術、5.返答の技術、6.分析の技術、のそれそれについて、具体的な事例をとりあげて、日本人の言語技術能力(のなさ)について検証しているが、これらを読んでいると、驚きを通り越してあきれかえるばかりか、少し寒くなってくるはずだ。ぜひ目をとおしてほしい。

 日本人は、いわなくても察してもらえるはずだという主観的な思い込み、別のいい方をすればいわゆる「甘え」を無意識の前提としていることが多い。お互い真意がわからなくても、なんとなく会話が成り立っていることも少なくない。しかし、英語を含めた欧米語の世界では、それは「コミュニケーション」とはみなさないのである。ふだんの日本語の発想で表現しても相手には伝わらないのである。  

 そのために必要なのが、主語を明確にすること、主観的な意見と客観的な事実を区別すること、質問を具体的にして的確な答えを引き出すこと、結論を先にいってから根拠を示すこと、である。これは著者のいうように「翻訳できる日本語」といっていいだろう。これに、ナンバリング(numbering)ラベリング(labeling)といった説明の技術を使うことによって、説明能力は飛躍的に向上することになる。

 著者が実践をつうじて練り上げてきた言語技術のトレーニング法が、本書では「対話の技術」と「説明の技術」について具体的に紹介されている。こうしたトレーニングを生活習慣化していけば、外国語の習得が最終目的ではないにしても、少なくとも日本語で論理的なコミュニケーションができるようになるはずだ。

 「言語技術」強化のためのこのトレーニング法は、すでに日本サッカー界では正式に採用されて効果を上げている。子どもだけでなく、すでに大人になった人もこの言語技術を身につければ「ロジカル・シンキング」で苦労することもなくなるだろう。私自身、従業員向けの研修で徹底的に行ってきた内容そのものである。

 熟読した上で、大いに活用してほしい。


<初出情報>

■bk1書評「日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法! 「論理的思考能力」の基礎づくりにもなる実践的トレーニング法」投稿掲載(2002年2月27日)





<書評への付記>

「言語技術」は基礎の基礎、これは反復トレーニングを繰り返すことでしか習得できない性格のものだ

 「外国語を身につけるための」にはあまりこだわることはない。この本で説かれているのは、日本語を論理的に使いこなすための「言語技術」(コミュニケーション・スキル)の訓練法についてである。

 日本語の「言語技術」が向上すれば、おのずから外国語学習も容易になる。しかしそれだけでは不十分なことはいうまでもない。外国語の単語と文法を身につけなければならいのは当然だ。

 私がかつて、ある中小企業にナンバー・ツーの取締役として迎えられたとき、驚いたのは営業担当の従業員たちの現状であった。彼らは営業トークはできるのだが、会議の場できちんと筋道たてて自分の考えることを表現できない、対話になっていない、説明ができていないという状況だったのだ。

 これは多かれ少なかれ、日本企業ではどこでも出会う現象であって、けっして中小企業だけに限ったものではない。大企業でも同じような問題があるのだ。一言でいってしまえば、内輪のコトバでしかしゃべれないという問題である。

 これはいかんな、「自分の頭で考えて、自分で行動できる人間」に変身させないと、本当の意味で優良企業に変身させるなんて夢のまた夢だ。組織内に「暗黙知」は蓄積されていて、それがバランスシートには現れてこない「無形資産」として優位性を作り出しているのだが、いかんせん「形式知」に変換されていないので、まったくの新人にワザを伝承できないし、異なるエリアどうしでの情報交換も実のあるものになっていないいのではないか。何よりも、顧客にきちんと商品特性を説明できているのだろうか、と。

 そんなときに出会ったのが、出版されたばかりのこの本である。私の問題意識にジャストミートした内容であった。そのときは、中身をしっかり読んだわけではなかったのだが、著者のコンセプトには全面的に賛同を感じたので、直接テキストにしたわけではないが、エッセンスは「従業員研修」という場を作ることによって、さまざまな試みを開始したのである。

 私が研修の場をつうじて、また普段からクチうるさく指導してきたのは、まさに本書の内容そのものであるといってよい。これは今回、隅から隅まで読んでみて確認したことである。

 おかげで、いまではそんじょそこらの大企業の中堅社員にも負けない、自身に満ちた優秀なビジネスパーソンになっている。とくに中小企業は人材こそ命であり、現在では胸をはっていいくらいに成長したのである。何事もやればできる!

 さらにいっておくと、本書に説明されている日本語の「言語技術」を完全にマスターしていない限り、いま流行の「ロジカル・シンキング」研修を受けても、あまり効果はない、といってもいい過ぎではない。「言語技術」の基礎の上にたって、はじめて「ロジカル・シンキング」も生きてくるのである。

 そして、蔭山英夫の「百マス計算」や漢字の書き取りではないが、基礎の基礎というものは、ひたすら反復トレーニングを繰り返す以外に、習得は不可能である。これはスポーツとまったく同じである。

 その意味で、本書はうまく使えば、「論理的思考能力」の基礎づくりにもなる実践的トレーニング法として大いに活用できるのである。ぜひ徹底的に活用して欲しいものだ、と感じている。

 ちなみに、書評『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)で日本サッカー界の現状の取り組みについて取り上げたが、田島幸三氏によって「言語技術」強化の講師として招聘されたのが、本書の著者である三森ゆりか氏であることを付け加えておこう。


<参考サイト>

つくば言語技術教育研究所(三森ゆりか氏が主催する「言語技術」教室)

JALの現役パイロットが特別指導! 会議が劇的に早く終わるコミュニケーション術 (ダイヤモンド・オンライン編集部、 2015年7月7日)
・・「言語技術」の企業への応用

(2015年7月7日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)
・・アメリカのエリート教育

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)
・・アメリカのエリート教育

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)-ソムリエの説く「記憶術」と「言語技術」の本は、万人に役に立つ、思想をもった実用書だ

いかにして異なる業種業界や職種間、また組織内の異なる機能間で「共通言語」と「コンテクスト共有」によるコミュニケーションを可能とするか

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)
・・スピーチ

書評 『思いが伝わる、心が動くスピーチの教科書-感動をつくる7つのプロセス-』(佐々木繁範、ダイヤモンド社、2012)-よいスピーチは事前の準備がカギ!

(2015年7月7日 情報追加)



 
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