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2009年12月9日水曜日

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える


 マイケル・ムーア監督の最新作『キャピタリズム』を東京・日比谷のシネ・シャンテでみてきた。実に待ち遠しかった映画だ。

 このブログでも、米国での公開前の9月16日に記事を書いて投稿しているが、トレーラー(予告編)で見るよりもはるかに面白く、内容はきわめて濃い。

 日本公開時の副題である「マネーは踊る」はなかなかセンスがいい、なんてコメントを付記しておいたが、この副題はあまり内容に即していない、と見終わったいまは思う。

 原題は『Capitalism: A Love Story』、実際に中身をみると、米国の政治経済を30年以上にわたって牛耳ってきた(・・と映画のなかではいわれる)"Wall Sreeters"(ウォール・ストリートのエリートたち)がいかに政財界癒着の体制のなかで "Capitalism" の旗の下、いかにカネを愛し、民主主義を嫌い、自国民から収奪してきたか、がこれでもか、これでもか、と映像で語られることから考えれば、『キャピタリズム-マネは踊る-』ではなく、『キャピタリズム-ヤツらはいかにオレたちから収奪してきたか-』くらいのほうがいいのではないか、と思う。

 何といっても、本人が知らないうちに受取人が会社となっている死亡保険を従業員にかけていた大企業の姿が明るみにしているシーンには、恐ろしいを通り越しておぞましいとの思いしか感じない。投資家の論理もついに"人の道"を踏み外してしまったか、と思わざるを得ないのだ。

 とにかく、この映画を太平洋の向こうのアメリカの話と片付けてしまわないほうがいい。他人事ではない、対岸の火事ではないのだ。

 マイケル・ムーアは、戦後米国の経済発展、とくに自動車工業の発展は、敵国であったドイツや日本が壊滅的打撃を受けた間隙をぬって成功したに過ぎないという認識をもっているようだ。これはある点まで正しい。しかし、戦後のドイツ憲法や戦後の日本国憲法をルーズヴェルトの理想を実現したものだとしてほめているが、このシーンは日本人としてはちょっと面はゆい。

 実際の日本は、米国に洗脳された規制撤廃論者(・・懺悔する前の中谷巌やいっさい自分の非を認めない竹中平蔵など)に主導された"新自由主義者たち"によって、貧富の差は拡大し、貧困層が増大する状況にある。映画館でお金を払って映画を見れる人たちは、まだちょっとマシなだけなのだ。

 今度の最新作は、20年前の『Roger & Me』(1989)から追求してきたテーマの集大成と本人が位置づけている。これは先に来日した際の、NHKの「クローズアップ現代」のインタビューでも語っていたことだ。

 そのためだろう、マイケル・ムーアの思想的背景について、本人が問わず語りで映画のなかで一部明らかにしている。

 世界一の自動車メーカーGMに働く父親の家庭で、絵に描いたようなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフのもと育ったマイケル・ムーアは、カトリック教徒なのだ。

 カトリックの学校に通い、結婚式もカトリックの司祭に式を挙げてもらっている。本人がいうには、子供の頃はカトリックの司祭に憧れていたとのことだ。緋色のガウンが格好いいという理由からではなく、社会不正を正すという社会活動家としての司祭に憧れていた、ということらしい。


 マイケル・ムーアは結局カトリック司祭への道は進まなかったが、映画製作をつうじて自分の理想を追求する人生を送っていることがわかる。

 この映画でも、複数のカトリック司祭に資本主義について質問し、「資本主義は罪である」(Capitalism is sin)、「資本主義は悪である」(Capitalism is evil)といった回答を引き出している。また、不当解雇に対して立ち上がった労働者への激励とミサを行う司祭のシーンがでてくる。この司祭は父親の働く製鉄所が閉鎖されてリストラされた経験の持ち主だという。

 私は別にカトリックでもないし、そもそもキリスト教徒ではないので、一方を持ち上げ、他方をけなすようなことをするつもりはないが、マイケル・ムーアはこの映画ではキリスト教関係者はカトリック司祭以外は登場させていないことには注目しておきたい。

 プロテスタント諸派は、どちらかといって資本主義には親和性が強いことを、暗に示唆しているように思われる。


 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をもちだすまでもなく、プロテスタンティズムが資本主義と親和性が高いのは常識といってよいだろう。

 フランスのビジネス・スクール INSEAD(インシアード)で長く教鞭をとっていた経営学者の吉森賢(よしもり・まさる)は、『フランス企業の発想と行動』(ダイヤモンド社、1984)の第一部を「フランスの反資本主義」と題して、その思想的背景について分析を行っている。

 "反資本主義としてのカトリシズム"として、否定的労働感、現世超越的傾向、計画性と合理性の欠如、富の形成に否定的、異なる働く動機、反自由主義的性格、などの項目をあげて説明している。

 一言でいってしまえば、プロテスタント色のきわめて濃厚なアメリカ社会とは根本的に異なるということだろう。もちろん、25年前の分析だから、アメリカナイズされたフランス人起業家も発生しているとはいえ、基本線に変化はなさそうだ。 


 前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がその晩年、キューバを公式訪問した際、行き過ぎた資本主義を批判する説教を行ったことは記憶に残っているし、1992年には回勅「ケンテシムス・アンヌス」(Centesimus Annusを出して、行き過ぎた資本主義の弊害に警告を発している。この回勅の作成にあたっては、日本の経済学者・宇沢弘文が教皇から依頼され、作成に参画したらしい。

 この回勅のでた100年前の1891年にも、当時の教皇レオ13世が、回勅「レールム・ ノヴァールム」(Rerum Novarumで、資本主義の弊害と社会主義の幻想について警告している。

 ヨハネ・パウロ2世が、米国大統領のロナルド・レーガンとタッグを組んでソ連崩壊を実現したことを考えると、ローマ教皇庁にとってのこの100年で遺された大きな課題の一つが、行き過ぎた資本主義の是正であることが理解されるのである。


 資本主義の暴走に歯止めをかける制御装置として、カトリック思想がその重要な一つであることは否定できない。

 もちろんマイケル・ムーアのこの映画はカトリック思想の宣伝映画ではないが、自らの思想的バックグラウンドを開示して見せたことで、メッセージの意味も明瞭になっているようにも思われるのである。深読みかもしれないが。

 まあとにかく、実際に自分の目でこの映画をみてほしい、と思う。1月からは拡大公開されるとのことである。


日本版オフィシャル・サイト
米国版オフィシャル・サイト







<付記>

 カトリックの経済思想については、このブログでは、中沢新一の『緑の資本論』の<書評への付記>として書いてあるので、興味があれば参照されたい。
 また、米国資本主義の実態については、滞米26年のアナリスト・小林由美による『超・格差社会アメリカの真実』(文春文庫、2009 原本 2006)に勝る本はない。金持ち階層のために、レーガン大統領以降この30年間に歴代の政権によって、政党に関係なく、いかに金持ちに有利な政策誘導がなされたか、語り尽くして余すところはない。
 しかし考えてみれば、ゴールドマン・サックスに代表される、ウォールストリートの強欲な資本家はすでに米国には見切りをつけて、中国やインドにシフトしている。
 米国では、中産階級を育成することによって経済成長の果実を享受し、さらに成長が止まって刈り取りが済んだあとは中間階層を骨の髄まで絞りとって疲弊させる、という数十年にわたる長期戦略で臨んできた、ということになる。焼け野原になった米国にはもはや用はない、ということか。
 ウォール・ストリートの強欲な資本家たちは、同じことを中国やインドでやろうとしているのではないか?そう邪推してもおかしくはないのが米国の現在の姿である。
 これは、いってみれば、焼き畑農業みたいなものだろうか。強欲な資本は、宿主を求めて地球上を移動して回る、ということであろう。成長戦略と収奪戦略はフォーミュラ(公式)としてパッケージ化されているようにも思われる。
 これは産業資本主義でも商業資本主義でもなく、金融資本主義の悪しき側面である。倫理だけでは制御不可能なのかもしれない。行き着くところまで行き着かないと終わらないのかもしれない・・・・
 行き着くところとは??
 







<ブログ内関連記事> 

CAPITALISM: A LOVE STORY
・・『キャピタリズム:マネーは踊る』日本公開前に書いたブログ記事

GMついに破綻-マイケル・ムーアの "Roger & Me" から20年
・・ムーア監督1989年の作品『ロジャー&ミー』

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2010年3月号の特集「オバマ大統領就任から1年 貧困大国の真実」(責任編集・堤 未果)を読む

映画 『ウォール・ストリート』(Wall Street : Money Never Sleeps) を見て、23年ぶりの続編に思うこと                 





(2012年7月3日発売の拙著です)







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