「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 資本主義のオルタナティブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 資本主義のオルタナティブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年5月14日日曜日

「資本主義」の機能不全と「資本主義後」の時代への芽生え ―『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』、『物欲なき世界』、『資本主義の「終わりの始まり」』の三冊をつづけて読む-資本主義のオルタナティブ(4)



2008年の「リーマンショック」以後、「資本主義」が機能不全状態にあることは疑いの余地はないが、はたして「資本主義」が終わるのかどうか、判断を下すのは時期尚早ではないかと思う。

「資本主義」が終わろうが終わるまいが、「人類」が滅亡しないで生きている限り、「経済」が消えてなくなってしまうことはない。これは確実にいえることだ。なぜなら、「近代資本主義」の歴史はたかだか500年程度しかないのであって、人類史全体を視野に入れれば、「近代資本主義」発生以前の歴史のほうがはるかに長いから。

とはいうものの、「資本主義」後がどうなっていくのかについては考えておいて損はないと思うし、考えておくべきだと思う。

というわけで、買ったまま「積ん読」になっていた本を、ちょっと前の話になるが、5月の連休中に読んでみた。その際に書いたFBの投稿を編集しなおして、このブログでもあらためて取り上げることにしたい。




まず読んだのは、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)。単行本は2015年の出版。 たった2年で文庫化された。

著者が偶然のキッカケから読んだ『資本論』から得た教訓は、マルクスのいうように、「生産手段」をもたないから労働者は搾取されるのであって、「生産手段」をもてば主体的に生きることができるということ。まさに発想の転換だ。

そこで著者が選んだのがパン屋だが、そうはいっても並大抵のパン屋とはちがう。本当のほんまもんの「天然酵母」でパンをつくるという試みだ。地域に根ざして「地産地消」で(・・酵母菌もまたその土地のもの!)、「循環経済」を実践するチャレンジの日々である。作家ミヒャエル・エンデの思想も著者を後押ししている。

著者は、資本主義そのものを否定するわけではなく、資本主義のカラクリを知ることによって、搾取されない生き方を模索している実践者なのである。この生き方は、けっしてあたらしいものではないが、「ブラック労働」が社会問題化している現在、あらたな脚光を浴びるものとなっているのも当然だ。




次に読んだのが、『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)。出版当時、話題になっていた本だが、どうやら2015年に、この手の本の出版ブームが始まっているのかもしれない。

「ライフスタイル」という時代のトレンドに敏感な雑誌編集者が、疑問を解決するために人に会い、本を読み、現場に足を運び、一冊にまとめたカタログのような本。「日常生活」をよりよいものにしていきたいという「ライフスタイル」重視の姿勢。これは、成熟経済の日本では、すでに当たり前のものととなって久しい。北欧のライフスタイルの影響も大きいだろう。

書かれている内容には、とくに違和感はない。まったくもって、そのとおりだと思う。これは日本だけでなく、米国の西海岸のポートランドでも、中国の上海のような消費都市でも、同じような傾向があるようだ。

「欲望」が満たされてしまった状態では、「物欲なき世界」になるのは当然だ。モノよりももっと価値がある したがって、「欲望」を原動力とする「資本主義」が減速していくのも当然と言えば当然だろう。

だが、著者も最後に書いているように、そうすんなりと「資本主義」の終わりがソフトランディングになるかどうかは現時点では不明だ。あくまでも強欲な資本主義を追求する資本主義者が消滅したわけではないし、せめぎ合いのまっただなかにあるのが、現在という時代なのであろう。




最後にあげるのは、『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)。「欧州金融危機」で疲弊してしまったギリシアとイタリアという南欧からのレポートだ。

著者は執筆当時、イタリアの首都ローマで特派員として勤務していた新聞記者。 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)については、このブログでも取り上げている。

最初に取り上げた二冊で紹介されている日本の事例も米国の事例も、いずれも「先進国」のものだが、最後のこの本で取り上げられている事例のギリシアもイタリアも、経済という点からみたら「先進国」とは言い難い混迷状態にある。

南欧世界で、いまなにが起こりつつあるのか、映画監督や思想家などの知識人、政治家にインタビューして思索した内容が記されている。「五つ星運動」の主導者である政治風刺コメディアン、ペッペ・グリッロの早い段階におけるインタビューは意味あるものだろう。

ギリシアもイタリアも、ともに「前近代性」を濃厚に残している地中海世界である。こんな状況でも人間がたくましく生きているのは、オモテの経済には出てこないアングラ経済が存在するからだ。プレモダン(=前近代)が後近代(=ポストモダン)に直結している南欧世界。

そう考えると、資本主義後の世界というよりも、「近代化」に成功しなかった圧倒的大多数の世界にとっては、意味ある現象と言えるかもしれない。米国や日本と同一視することは難しいのではないか。



以上、三冊を読んできて実感するのは、行き着くところまで行ってしまった「勝ち組」(?)の国々と、挫折して「負け組」(?)になってしまった国々と、いずれにおいても「資本主義」のもたらす歪みと機能不全状態があらわになってきている。

カネがあってもモノを買わない社会、カネがないからモノを買わない社会。カネのあるなしの違いはあるが、モノを買わない状況にかんしては共通している。大量生産時代だが、大量消費時代ではなくなった現在、需要が供給より下回っている状態では「モノ余り」の状況に変わりはない。

今後の世界がどうなっていくか、ビジネスパーソンでなくても気になる事態が定着しつつある状況だ。答えがすぐに出る問題だとは思えないが、手探りで進むしかないのだろう。




<書籍関連情報>


●『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)

目 次

はじめに
第1部 腐らない経済
 第1章 何かがおかしい(サラリーマン時代の話・祖父から受け継いだもの)
 第2章 マルクスとの出会い(父から受け継いだもの)
 第3章 マルクスと労働力の話(修業時代の話1)
 第4章 菌と技術革新の話(修業時代の話2)
 第5章 腐らないパンと腐らないおカネ(修業時代の話3)
第2部 腐る経済
 第1章 ようこそ、「田舎のパン屋」へ
 第2章 菌の声を聴け(発酵)
 第3章 「田舎」への道のり(循環)
 第4章 搾取なき経営のかたち(「利潤」を生まない)
 第5章 次なる挑戦(パンと人を育てる)
エピローグ
文庫版あとがき


著者プロフィール  

渡邉格(わたなべ・いたる)
1971年東京都生まれ。フリーターだった23歳のときに学者の父とハンガリーに滞在。食と農に興味を持ち、25歳で千葉大学園芸学部入学。卒業後就職した農産物卸販売会社で妻・麻里子と出会う。31歳でパン職人になる決意をし修業を開始。2008年に独立し千葉県で「パン屋タルマーリー」を開業。2011年東日本大震災を機に岡山県真庭市勝山に移転。2015年、パン製造に加え、地ビール事業に取り組むべく、鳥取県八頭郡智頭町に移転した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


●『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)

目次

まえがき-ほしいものがない世界の時代精神を探して
1. 「生き方」が最後の商品となった
2. ふたつの超大国の物欲の行方
3. モノとの新しい関係
4. 共有を前提とした社会の到来
5. 幸福はお金で買えるか?
6. 資本主義の先にある幸福へ
あとがき-経済の問題が終わった後に

著者プロフィール

菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)
編集者、グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年宮崎県宮崎市生まれ。法政大学経済学部中退。『月刊カドカワ』『カット』『エスクァイア日本版』編集部を経て独立。雑誌「コンポジット」「インビテーション」「エココロ」の編集長を務め、出版からウェブ、広告、 展覧会までを編集する。書籍では、朝日出版社「アイデアインク」シリーズ、電通の「電通デザイントーク」シリーズ、 平凡社のアートブック「ヴァガボンズ・スタンダート」シリーズを編集。著書に『はじめての編集』『中身化する社会』など。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



●『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)

目 次  

第1章 アンゲロプロスが遺した言葉
第2章 危機の中の緩く、もの悲しいギリシャ
第3章 捨てられた首相
第4章 福島の影響
第5章 「扉」の手前で何かが動き出した
第6章 「扉」の向こう側
第7章 家族、コミュニティーの復活
第8章 資本主義の危機
第9章 イタリア、ギリシャとつながる福島
あとがき


著者プロフィール  
藤原章生(ふじわら・あきお)
1961年生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山の技師を経て毎日新聞記者。アフリカ特派員、メキシコ市支局長の後、2008~12年、ローマ支局長。『絵はがきにされた少年』(集英社)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

■「近代資本主義の500年」

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない


■資本主義のオルタナティブ

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・エンデその人よりも、ドイツ人実業家で経済思想家のゲゼルの「老化するおカネ」の理論が重要

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

書評 『フリー-無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)-社会現象としての FREE の背景まで理解できる必読書


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2014年4月11日金曜日

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと ― 時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門



「とんぼの本」シリーズの一冊のこの本は、写真がたっぷりのビジュアル本で、エンデと日本との深いかかわりも示してくれる好著です。

いったん手に取ると、収録された興味深い写真の数々を見ながら、ついつい読みふけってしまう。全部で126ページしかありませんが、そんな本です。

わたし自身、エンデの熱心な読者ではありませんが、副題にある「時間・お金・ファンタジー」という三題噺にはひじょうに興味があるからです。書店の店頭でパラパラしているうちに、この本は絶対に買って持ち帰って家で見るべきだという気持ちにさせられてしまいました。

「未来は、エンデの中にあった」というコピーが帯にありますが、ドイツ語を少しでも知っているとなんだか不思議な感じになります。

なぜなら、エンデ(Ende)というドイツ語は、名字という固有名詞でありながら、終わりを意味する普通名詞でもあるからです。ドイツ語では普通名詞でも大文字で始まります。

だから、「未来は、エンデの中にあった」というコピーは、ミヒャエル・エンデの作品や言行に「未来」が表現されたと思想であるとともに、なにかの「終わり」のなかにも「未来」があると暗示しているように聞こえるからです。

資本主義の「終わり」(エンデ)と、すでにオルタナティブ経済として始まっている資本主義以降の経済について考えるための一つの手がかりとして、読まれるべきなのがエンデの作品であるといっても、けっしておかしな言い方ではないのではないか。そんな気にもなるすぐれた入門書です。

ぜひ一度手にとって眺めてください。かならずそのなかに引き込まれてしまいますよ。





目 次

INTRODUCTION はじめに 今、輝きを増すミヒャエル・エンデの残したもの
BIOGRAPHY  エンデのあゆみ 1929~1995 ファンタジー作家の65年
LITERATURE  エンデの作品 邦訳文芸作品31冊解説
WORDS  エンデの言葉 インタビュー・対談・講演より
ILLUSTRATION  エンデの絵 『はてしない物語』『モモ』原書未収録の自筆画
ESSAY  エンデと時間
 『モモ』と2つの時間(青山拓央)
 エンデとお金-エンデが夢見た経済の姿-(廣田裕之)
 エンデとシュタイナー―ホメオパティーとしての物語-(子安美知子)
 エンデと日本-エンデが気づかせてくれた「日本らしさ」-(堀内美江)
TRAVEL  エンデの旅 ドイツ、ゆかりの地をめぐって
COLUMN 
 私とエンデ1 時間の国へ(小林エリカ)
 私とエンデ2 エンデ氏物語(池内紀)
MUSEUM  信濃町黒姫童話館


ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)
1929年11月12日 - 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。 wikipedia日本語版より


<関連サイト>

黒姫童話館・童話の森ギャラリー
・・エンデに関わる多くの資料が収集展示されている

Michael Ende (wikipedia英語版)
・・英語版にはエンデと日本とのかかわりが詳しく記述されている。戦後ドイツと戦後日本の抱えていた問題に共通するものがあったため、エンデは日本でベストセラーとして受容されたという記述がある

http://www.michaelende.de/
・・公式ウェブサイト(ドイツ語)


<ブログ内関連記事>

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ミヒャエル・エンデはシュタイナー思想の影響を多大に受けている

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・「足るを知る経済」はタイのプーミポン国王ラーマ9世が主唱する仏教をベースにした経済思想

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

「資本主義」の機能不全と「資本主義後」の時代への芽生え-『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』、『物欲なき世界』、『資本主義の「終わりの始まり」』の三冊をつづけて読む-資本主義のオルタナティブ(4)

書評 『フリー-<無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)

(2014年5月11日、2017年6月20日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2010年11月2日火曜日

資本主義のオルタナティブ (3) ― 『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン





ソ連時代のもっとも良質な部分で純粋培養された、数学者ペレリマンという生き方

 世紀の難問「ポアンカレ予想」を証明したロシアの天才数学者ペレリマンは、なぜ数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞受賞と賞金100万ドルを拒否し森へ消えたのか。

 『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009)は、ほぼ同時期にソ連で数学のエリート教育をうけたユダヤ人の著者が、ペレリマンの実像を浮かび上がらせる。

 数学者ペレリマンについては、NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか-天才数学者 失踪の謎-」と同じくNHKスペシャルの「ポアンカレ予想・100年の格闘-数学者はキノコ狩りの夢を見る-」で興味をもったのが最初のキッカケである。NHKの番組では触れられていないが、ペレリマンという明らかにユダヤ系の名字から予想されるとおり、ソ連においてユダヤ系知識人がいかに苦労したかについて本書では詳しく書かれている、
 しかも、著者のガッセン自身がソ連出身のロシア系ユダヤ人という出自をもつ人なので、おなじ時代の空気を吸った人として著者としては最適であろう。著者は現在米国在住である。

 世界を解明したいという、学問にとって本質的な欲求にもっとも忠実なのが数学者ではないだろうか。「ポアンカレ予想」については、数学が専門ではない私には、本書の第9章で要約されているいこと以上にはわからないのだが。
 最初からカネ儲けが目的の研究であればいざ知らず、純粋数学にかかわる者は理論の証明に人生を賭けているのであって、カネが主目的ではなかったことは十二分に推測できることだ。本書の最後の段階でいきなりでてくる中国人数学者たちの非常に醜い行動から、なおさらペレリマンの姿が崇高に見えてくるのである。

 ペレリマンがフィールズ賞の受賞と賞金100万ドルを拒否した件については、私も含めて多くの人が、なにやら痛快で爽快な、一服の清涼剤のようなものを感じるだろうが、当の本人はまったく異なる考えのようだ。著者の推測もその一つの試みであるので、ぜひ一読して確かめてみてほしい。
 ペレリマンはユダヤ人ではあるが、なにかしらロシア正教会の隠修士のような趣がある。世俗の評価にはいっさい背を向け、世間との接触をすべて断って引きこもってしまった、まさに隠者(エルミタージュ)のような生き方である。
 信頼していた数学に失望し、数学にかかわる人間関係に失望した一人の純粋な男。これは、資本主義におけり学問のあり方、つまり学問的探求の成果をカネに換えるということへの嫌悪感の現れでもあるのかもしれない。

 ある意味では、ペレリマンは、ソ連時代の「もっとも良質な部分を純粋培養」したまま、ソ連崩壊後のロシアで生きているともいえるのだろう。
 本文の記述によれば、父親と妹はイスラエルに移住、本人も米国での研究生活のなかで、米国移住の可能性を検討していたようだが、結局ロシアに戻り母親と一緒に暮らしているという。資本主義社会のど真ん中で生活した経験がカギとなっているのかもしれない。

 数学者ペレリマンの生き方とは、学問と資本主義の関係について、もっとも深いところから反省を迫る生き方であるといえようか。ぜひ一読を薦めたい。


<初出情報>

■bk1書評「ソ連時代のもっとも良質な部分で純粋培養された、数学者ペレリマンという生き方」投稿掲載(2010年10月29日)
■amazon書評「ソ連時代のもっとも良質な部分で純粋培養された、数学者ペレリマンという生き方」投稿掲載(2010年10月29日)


画像をクリック!



<書評への付記>

「資本主義のオルタナティブ」とは、「ソ連」や社会主義、共産主義のことではない

 「ソ連時代のもっとも良質な」という表現に違和感を感じる向きがあるかもしれない。
 
 「ソ連」と「良質」という二つのコトバが結びつかないという人も多いだろう。
 だが、一方的にソ連を切り捨ててしまうのは間違いだと私が思っているのは、私がソ連時代を懐かしんでいるからではもちろんなく、共産主義礼賛者でももちろんない。私はその真逆の人間、すなわち反共産主義である。これは現在でも一貫して変わることはない。

 「資本主義のオルタナティブ」が、イコール社会主義や共産主義と主張するつもりは毛頭無い。また、そのように狭く解釈しないでほしいとも期待したい。
 私が意図しているのは、資本主義と対立する経済体制というよりも、資本主義とはどこか違う、人間性回復のための経済システムがあるのではないかという模索である。だから、資本主義の補完的要素のある経済も含めて考えている。


「ソ連」時代のユダヤ人の生き方

 ソ連の抑圧的体制と闘っいたユダヤ人には、現在イスラエルで国会議員を務めるシャランスキーのような反体制派(レフューズニク)もいる。右派の政治家である。
 また、チェリストのミーシャ・マイスキーのように、演奏先から亡命を選んだユダヤ系音楽家もいる。ピアニストで指揮者のアシュケナージはかなり早い段階の亡命者である。
 グーグルの創業経営者の一人サーゲイ(セルゲイ)・ブリンもまた、ソ連時代にロシアに生まれて、両親とともに米国に移民したユダヤ系市民である。

 しかし、一方で、ソ連の体制のもとで、なんとかうまく自己実現できた人たちもいる。ソ連崩壊後、転換期の経済をうまく利用してのし上がったオリガルヒ(独占資本家)と呼ばれた人たち、たとえばベレゾフスキー、ホドルコスフキーといったユダヤ人は、共産党組織のなかにいた優等生たちであった。プーチン体制のもと、前者は国外亡命中、後者は獄中にある。

 本書の主人公、グリゴーリー・ペレリマンは、その優秀な頭脳によって数学のエリート教育を受けた天才である。ソ連は、こうした知的エリートや芸術家やスポーツのエリートを養成していたことは、比較的よく知られていることだ。
 ペレリマンもユダヤ人枠のなかで、こういった頭脳エリートの一員として不自由なく過ごすことのできた一握りの人間の一人である。もちろん、ソ連における反ユダヤ主義のため、狭き門であったことは否定できない事実であった。

 「ソ連時代のもっとも良質な」とは、こういったエリート層養成の教育システムのことも指している。

 また、1960年代後半から1970年代に初等中等教育を受けた人間として、それ以外にも、ソ連の良質な部分に触れていたことを否定するつもともない。
 宇宙開発に代表される科学技術、映画芸術、絵本や人形劇といった豊穣な世界。また、ソ連崩壊後に知ることとなった、ノルシュテインに代表されるアニメーションの世界なども。


本の読み方について
 
 そもそも本というのは、どう読もうと読者の勝手である。著者としてはこう読んで欲しいという希望は当然のことながらあるだろう。
 ここに示したのは、私はこう読んだという、ある意味では報告である。
 私は数学専攻の人間でもないし、難問解決に完璧な証明を与えた数学者をめぐる人間ドラマに関心があるだけだ。
 
 なお、本書では英語版からの翻訳であるためだろう(・・ただし、実際に出版された英語版と日本語版は異なるらしい)、主人公の名前は一貫してペレルマンとなっている。英語なら Perelman とつづるのでペレルマンとなっているのだろうが、ロシア語では明らかにペレリマンであり、NHKの番組でも一貫してペレリマンとなっていたこともあり、私はここではペレリマンと表記することとした。

 ユダヤ人としてソ連を生きるということの意味にかんする記述が、英語版では大幅に割愛されているという。これが読めるのは、日本語版の大きなアドバンテージである。
 ただ、ペレリマンの個人的信仰や、ユダヤ教と数学探求の関係にも突っ込んだ記述があれが、もっとも面白かったのではないかと思う。 
  
  
 なお、この文章をもって、ブログ投稿は通算 500本目となった。
 1,000本目指して、まだまだ続けていきたいと思っている。


<ブログ内関連記事>

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる
・・「変人」さの度合いにおいては、ペレリマンにも共通するところのある岡潔(おか・きよし)

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋社、2008)
・・映画『ビューティフル・マインド』の主人公数学者ナッシュについて

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・ユダヤ的思考と「世界を解明したい」という学問との関係についてのヒントもある

書評 『グラハム・ベル空白の12日間の謎-今明かされる電話誕生の秘話-』(セス・シュルマン、吉田三知世訳、日経BP社、2010)
・・発明や発見をカネに換えるということの意味と特許出願制度

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)
・・日本以外の世界のトップエリートはいかなる教育を受けているのかについての本。



資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について
 
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2009年12月9日水曜日

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』(2009年)をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える



 マイケル・ムーア監督の最新作『キャピタリズム』を東京・日比谷のシネ・シャンテでみてきた。実に待ち遠しかった映画だ。

 このブログでも、米国での公開前の9月16日に記事を書いて投稿しているが、トレーラー(予告編)で見るよりもはるかに面白く、内容はきわめて濃い。

 日本公開時の副題である「マネーは踊る」はなかなかセンスがいい、なんてコメントを付記しておいたが、この副題はあまり内容に即していない、と見終わったいまは思う。

 原題は『Capitalism: A Love Story』、実際に中身をみると、米国の政治経済を30年以上にわたって牛耳ってきた(・・と映画のなかではいわれる)"Wall Sreeters"(ウォール・ストリートのエリートたち)がいかに政財界癒着の体制のなかで "Capitalism" の旗の下、いかにカネを愛し、民主主義を嫌い、自国民から収奪してきたか、がこれでもか、これでもか、と映像で語られることから考えれば、『キャピタリズム-マネは踊る』ではなく、『キャピタリズム-ヤツらはいかにオレたちから収奪してきたか-』くらいのほうがいいのではないか、と思う。

 何といっても、本人が知らないうちに受取人が会社となっている死亡保険を従業員にかけていた大企業の姿が明るみにしているシーンには、恐ろしいを通り越しておぞましいとの思いしか感じない。投資家の論理もついに"人の道"を踏み外してしまったか、と思わざるを得ないのだ。




 とにかく、この映画を太平洋の向こうのアメリカの話と片付けてしまわないほうがいい。他人事ではない、対岸の火事ではないのだ。

 マイケル・ムーアは、戦後米国の経済発展、とくに自動車工業の発展は、敵国であったドイツや日本が壊滅的打撃を受けた間隙をぬって成功したに過ぎないという認識をもっているようだ。これはある点まで正しい。しかし、戦後のドイツ憲法や戦後の日本国憲法をルーズヴェルトの理想を実現したものだとしてほめているが、このシーンは日本人としてはちょっと面はゆい。

 実際の日本は、米国に洗脳された規制撤廃論者(・・懺悔する前の中谷巌やいっさい自分の非を認めない竹中平蔵など)に主導された"新自由主義者たち"によって、貧富の差は拡大し、貧困層が増大する状況にある。映画館でお金を払って映画を見れる人たちは、まだちょっとマシなだけなのだ。



■マイケル・ムーアの思想的背景はカトリック

 今度の最新作は、20年前の『Roger & Me』(1989)から追求してきたテーマの集大成と本人が位置づけている。これは先に来日した際の、NHKの「クローズアップ現代」のインタビューでも語っていたことだ。




 そのためだろう、マイケル・ムーアの思想的背景について、本人が問わず語りで映画のなかで一部明らかにしている。

 世界一の自動車メーカーGMに働く父親の家庭で、絵に描いたようなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフのもと育ったマイケル・ムーアは、カトリック教徒なのだ。ミドルネームはフランシス、つまりアッシジのフランチェスコである。

 カトリックの学校に通い、結婚式もカトリックの司祭に式を挙げてもらっている。本人がいうには、子供の頃はカトリックの司祭に憧れていたとのことだ。緋色のガウンが格好いいという理由からではなく、社会不正を正すという社会活動家としての司祭に憧れていた、ということらしい。



■カトリックは伝統的に反資本主義的傾向

 マイケル・ムーアは結局カトリック司祭への道は進まなかったが、映画製作をつうじて自分の理想を追求する人生を送っていることがわかる。

 この映画でも、複数のカトリック司祭に資本主義について質問し、「資本主義は(宗教上の)罪である」(Capitalism is sin)、「資本主義は悪である」(Capitalism is evil)といった回答を引き出している。

 また、不当解雇に対して立ち上がった労働者への激励とミサを行う司祭のシーンがでてくる。この司祭は父親の働く製鉄所が閉鎖されてリストラされた経験の持ち主だという。

 私は別にカトリックでもないし、そもそもキリスト教徒ではないので、一方を持ち上げ、他方をけなすようなことをするつもりはないが、マイケル・ムーアはこの映画ではキリスト教関係者はカトリック司祭以外は登場させていないことには注目しておきたい。

 プロテスタント諸派は、どちらかといって資本主義には親和性が強いことを、暗に示唆しているように思われる。

 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をもちだすまでもなく、プロテスタンティズムが資本主義と親和性が高いのは常識といってよいだろう。

 フランスのビジネス・スクール INSEAD(インシアード)で長く教鞭をとっていた経営学者の吉森賢(よしもり・まさる)は、『フランス企業の発想と行動』(ダイヤモンド社、1984)第一部を「フランスの反資本主義」と題して、その思想的背景について分析を行っている。

 "反資本主義としてのカトリシズム"として、否定的労働感、現世超越的傾向、計画性と合理性の欠如、富の形成に否定的、異なる働く動機、反自由主義的性格、などの項目をあげて説明している。

 一言でいってしまえば、プロテスタント色のきわめて濃厚なアメリカ社会とは根本的に異なるということだろう。もちろん、25年前の分析だから、アメリカナイズされたフランス人起業家も発生しているとはいえ、基本線に変化はなさそうだ。 



ローマ教皇庁の課題は「行き過ぎた資本主義の是正」

 前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がその晩年、キューバを公式訪問した際、行き過ぎた資本主義を批判する説教を行ったことは記憶に残っているし、1992年には「回勅ケンテシムス・アンヌス」(Centesimus Annusを出して、行き過ぎた資本主義の弊害に警告を発している。この回勅の作成にあたっては、日本の経済学者・宇沢弘文が教皇から依頼され、作成に参画したらしい。

 この回勅のでた100年前の1891年にも、当時の教皇レオ13世が、「回勅 レールム・ ノヴァールム」(Rerum Novarumで、資本主義の弊害と社会主義の幻想について警告している。

 ヨハネ・パウロ2世が、米国大統領のロナルド・レーガンとタッグを組んでソ連崩壊を実現したことを考えると、ローマ教皇庁にとってのこの100年で遺された大きな課題の一つが、行き過ぎた資本主義の是正であることが理解されるのである。

 資本主義の暴走に歯止めをかける制御装置として、カトリック思想がその重要な一つであることは否定できない。

 もちろんマイケル・ムーアのこの映画はカトリック思想の宣伝映画ではないが、自らの思想的バックグラウンドを開示して見せたことで、メッセージの意味も明瞭になっているようにも思われるのである。深読みかもしれないが。

 まあとにかく、実際に自分の目でこの映画をみてほしい、と思う。1月からは拡大公開されるとのことである。


画像をクリック!


<付記>

 カトリックの経済思想については、このブログでは、中沢新一の『緑の資本論』の<書評への付記>として書いてあるので、興味があれば参照されたい。

 また、米国資本主義の実態については、滞米26年のアナリスト・小林由美による『超・格差社会アメリカの真実』(文春文庫、2009 原本 2006)に勝る本はない。金持ち階層のために、レーガン大統領以降この30年間に歴代の政権によって、政党に関係なく、いかに金持ちに有利な政策誘導がなされたか、語り尽くして余すところはない。

 しかし考えてみれば、ゴールドマン・サックスに代表される、ウォールストリートの強欲な資本家はすでに米国には見切りをつけて、中国やインドにシフトしている。

 米国では、中産階級を育成することによって経済成長の果実を享受し、さらに成長が止まって刈り取りが済んだあとは中間階層を骨の髄まで絞りとって疲弊させる、という数十年にわたる長期戦略で臨んできた、ということになる。焼け野原になった米国にはもはや用はない、ということか。

 ウォール・ストリートの強欲な資本家たちは、同じことを中国やインドでやろうとしているのではないか?そう邪推してもおかしくはないのが米国の現在の姿である。

 これは、いってみれば、焼き畑農業みたいなものだろうか。強欲な資本は、宿主を求めて地球上を移動して回る、ということであろう。成長戦略と収奪戦略はフォーミュラ(公式)としてパッケージ化されているようにも思われる。

 これは産業資本主義でも商業資本主義でもなく、金融資本主義の悪しき側面である。倫理だけでは制御不可能なのかもしれない。行き着くところまで行き着かないと終わらないのかもしれない・・・・

 行き着くところとは??
 

PS 読みやすくするため、小項目を設けた。一部加筆した以外には、内容にはいっさい手はつけていない。(2025年7月20日 記す)



<ブログ内関連記事> 

CAPITALISM: A LOVE STORY
・・『キャピタリズム:マネーは踊る』日本公開前に書いたブログ記事

GMついに破綻-マイケル・ムーアの "Roger & Me" から20年
・・ムーア監督1989年の作品『ロジャー&ミー』

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2010年3月号の特集「オバマ大統領就任から1年 貧困大国の真実」(責任編集・堤 未果)を読む

映画 『ウォール・ストリート』(Wall Street : Money Never Sleeps) を見て、23年ぶりの続編に思うこと 


■カトリックと反近代、反資本主義

・・2025年5月に選出された米国出身の新教皇は、レオ14世を名乗ることにした。その意味するものは、「回勅レールム・ノヴァールム」を出したレオ13世を継ぐという意思の表れであろう。

(2025年7月20日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end