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2024年12月31日火曜日

NHK大河ドラマ「光る君へ」を年末に振り返る(2024年12月31日)ー 歴史考証を担当された倉本一宏氏の『紫式部と藤原道長』と『藤原道長の日常生活』を読んでドラマと史実のギャップを確認し、さらに『殴り合う貴族たち』(繁田信一)まで読んでみた

 
ひさびさに1年間とおして視聴したNHK大河ドラマ「光る君へ」。 そもそも平安時代の最盛期を扱った大河ははじめてだし(・・平安時代末期にかんしては「新・平家物語」があった)、なんといっても平安貴族の男女の衣装がカラフルで美しく、大いに楽しめた内容であった。 

とはいえ、大学学部で歴史学をやった人間には、フィクションとしてのドラマと歴史的事実とのギャップは気になるものだ。これはほとんど「習性」といっていいものなので、大河終了後に自分なりにファクトチェックで検証してみることにする。 

とはいっても、検証というほど大げさなものではなく、ドラマの監修にあたった歴史家の著作を読んで、どこまでが史実(ヒストリカル・ファクト)で、どこからフィクションなのか、ざっくりと確かめたいといった程度のものだ。自分自身は平安時代を専攻したわけではないので、歴史愛好家的で、アマチュア的な知的好奇心からといっていい。 

まずは、昨年2023年に出版された『紫式部と藤原道長』(倉本一宏、講談社現代新書)から読み始める。倉本一宏氏は、平安時代が専門で著書多数。今回の大河ドラマの歴史考証を担当されていた歴史家。文学史畑ではなく歴史学畑ということに意味がある。

この本は、ドラマでも主人公となった2人の対比列伝みたいな形。史料にもとづいて事細かに記述された本書を読むと、大河ドラマにかんしては、ドラマの演出である恋愛要素を抜いたら、史実はほぼ忠実に踏まえられていたことがわかる。 

紫式部にかんしては、その名前や生没年も含めて現時点では不明なことも多々あるが、藤原道長にかんしては、世界最古の自筆日記である「御堂関白記」が残っていること、記録魔であった藤原実資が60年にわたって書き続けた「小右記」など、一次資料で裏付けが取れるので、かなりのことがわかっており、したがって記述も詳しい。日記につづられた文言から、道長の人間性までうかがうことができるのだ。 

この点にかんしては、2013年に出版された『藤原道長の日常生活』(倉本一宏、講談社現代新書)が詳しい。この本は、11年にわたって積ん読、いや本棚の奥に隠れていた。

『藤原道長の日常生活』は、政務担当者としての道長だけでなく、道長の感情表現や人間性、さらにはその精神世界まで手に取るようにわかって面白い1000年まえの人物だが、人間というか、日本人というか、あんがい変わらないものだな、と。 

『藤原道長の日常生活』の「第5章 京都という町」が、思わず掘り出し物であった。「1 災害」では、あいつぐ自然災害と悪疫「2 京都事件簿」では、支配階層であった貴族にかかわるさまざまな事件がとりあげられている。これらの点に言及しなくては、平安時代はけっして「平安」ではなかったことがわからない。

そこで、これまた買ったまま積ん読になっていた『殴り合う貴族たち』(繁田信一、角川ソフィア文庫、2008)も引っ張り出してきて読んでみたら、これがまためっぽう面白い。  

現代でいえば「上級国民」のバカ息子たちともいうべき、特権階級の貴族の息子たちが繰り広げる殴る蹴るの暴力沙汰や、人権意識などかけらもなかった時代の、さまざまな事件のオンパレード主人の威光を笠に着た従者たちどうしの暴力的な衝突など、キレっぷりが半端ではない。 

「すぐにキレる日本人」というテーマは、室町時代から戦国時代にかけての「中世」というイメージがあったが、「古代」である平安時代の最盛期もまたそうだったことがわかる。 

「暴力と日本人の千年史」でも、誰か書いてくれないかな、と。 





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2024年12月30日月曜日

書評『台湾のデモクラシー  メディア、選挙、アメリカ』(渡辺将人、中公新書、2024)ー 民主主義が定着した台湾の政治はアメリカの存在抜きに理解できない

  

 先の12月3日に韓国で起こった「戒厳令」を利用した「大統領による上からのクーデター」。 

あっという間に短時間で収束し、失敗に終わったクーデターであるが、その件にかんして韓国の民主主義がすばらしいなど、賞賛する声がこの国でもあがっていることに対して強い違和感を感じている。 

では、台湾はどうなのだろうか? 台湾の民主主義はどうなのか? そう思うのは自然なことだろう。 

というのは、朝鮮半島と台湾はともに、かつて日本の植民地だったことが共通しているからだ。しかも、日本の支配が終わったあと権威主義体制がつづき、長きにわたって「戒厳令」が敷かれていたことも共通している。 

だからこそ、政治制度と民主主義の実態にかんして、韓国と台湾を比較して考えてみる必要があるはずだ。 

というわけで、ことし5月に出版されたが積ん読のままになっていた台湾のデモクラシー  メディア、選挙、アメリカ』(渡辺将人、中公新書、2024)を読んでみた。韓国のクーデター騒動からすぐあとのことだ。 

 渡辺将人氏は、アメリカの政治の研究者で、アメリカの選挙制度にかんしては民主党の選挙スタッフとして働いた経験をもち、しかも日本のテレビ局での経験もある人だ。 副題の「メディア、選挙、アメリカ」にあるように、そんなキャリアが存分に発揮され、台湾の民主主義が多面的に考察されている。 

帯にもあるように、台湾は「権威主義体制から、いかにしてアジアの民主主義の雄、になったのか」という問いに答えてくれる、内容豊富でじつに面白い読み応えある1冊であった。


台湾社会やデモクラシーを考える上で外せない要因が「アメリカ」である。それは必ずしも外交安保や経済におけるアメリカ政府のハードな政策だけを意味するものではない。学術、移民社会、ジャーナリズムなどを介した地続きのデモクラシーを刺激する、価値や文化要因としての「アメリカ」である。(P.9) 


この引用文に尽きるといっていいだろう。ずいぶん前のことになるが、アメリカにMBA留学していた頃に、台湾からの留学生多数と交流していたわたしも、大いに実感できることだ。韓国からの留学生たちとも交流はあったが、台湾人たちほど深い関係にはならなかった。 台湾人たちは、おなじ「儒教国」(?)であるはずの韓国人のことを、礼儀がなってないと批判的であった。

いまだ李登輝人気の高い日本だが、李登輝氏自身アメリカの大学で博士号を取得した人であることを忘れてはいけない台湾にとって日本は重要な存在だが、それ以上にアメリカが重要なのだ。エスニシティーの点でも、文化的にも多元的社会である台湾は、日本よりもアメリカに近いかもしれない。 

韓国は「クーデター」収束後、さらに混迷を深めている。すでに法治国家としては機能不全状態となりつつあり、したがって「韓国の民主主義」は、左派によるあらたな「独裁」へダイレクトにつながっていくようにさえ見えるのだ。 

韓国と比較すると、まさに台湾は「アジアの民主主義の雄」であるといって過言ではない。法治国家であり、民主主義が定着している日本だが、台湾には大いに学ぶべきものがあると感じる。 

本書は、「台湾のデモクラシー」の実際をつぶさにみていくことで、アメリカそして日本についても理解が深まる内容となっている。ぜひ一読をおすすめしたい。 


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目 次
序章 危機のデモクラシー 
第1章 激変した台湾イメージ 
第2章 民主化の動力と白熱する選挙 
第3章 ジャーナリズムと権力批判 
第4章 政治広報と「世論」戦 
第5章 言語と文化、多様性の政治学 
第6章 在米タイワニーズとアイデンティティ 
第7章 デジタル民主主義の光と影 
終章 デモクラシーの未来図 
あとがき 
主要参考文献


著者プロフィール
渡辺将人(わたなべ・まさと)
1975年、東京都生まれ。シカゴ大学大学院国際関係論修士課程修了。早稲田大学大学院政治学研究科にて博士(政治学)。米下院議員事務所・上院選本部、テレビ東京報道局経済部、政治部記者などを経て、北海道大学大学院准教授。コロンビア大学、ジョージワシントン大学、台湾国立政治大学、ハーバード大学で客員研究員を歴任。2023年より慶應義塾大学総合政策学部、大学院政策・メディア研究科准教授。専門はアメリカ政治。受賞歴に大平正芳記念賞、アメリカ学会斎藤眞賞ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2024年12月29日日曜日

書評『朝鮮民衆の社会史 ー 現代韓国の源流を知る』(趙景達、岩波新書、2024)ー 朝鮮史の「全体像」は上からの「政治史」だけを見ていてもわからない。下からの視線である「社会史」が必要だ



先日(2024年12月3日)に韓国で起こった「大統領による上からのクーデター」。 クーデターじたいは、あっという間に短時間で収束し、失敗に終わっているが、大統領や代行していた首相の弾劾など、その後に動きを見ていると、まさに李朝時代の「党争」の現代版としか思えない。 

その点にかんしては、『朝鮮半島の歴史 政争と外患の600年』(新城道彦、新潮選書、2023)という本を読んで大いに納得したわけだが、いかんせんこの本は「政治史」が中心で、つまり支配者についての記述が中心なので、朝鮮半島の全体像を知るには欠けるものがある。 

そのため、さらに『朝鮮民衆の社会史 ー 現代韓国の源流を知る』(趙景達、岩波新書、2024)を読むことにした。下からの視線である「民衆史」を中心とした、「社会史」でみた朝鮮半島600年の歴史である。 

李朝以来の朝鮮半島600年は、基本的に「朱子学原理主義国家」のような体制であり、仏教は山に追いやられていったが、女性を中心とした被支配層においてはシャマニズムが濃厚に息づいてきたというのが、基本的にわたし自身の理解であった。 

だが、本書を読むと、民衆世界ではシャマニズムにとどまらない豊穣な世界があったことを知ることになる。 

著者の記述にしたがえば、朱子学は支配層が奉じる「ヘゲモニー教学」であり、「一君万民」や「儒教的民本主義」が理念としてて掲げられていた。支配者層が上からの「教化」によって民衆レベルまで朱子学を徹底しようとしたものの、かならずしも徹底していたわけではない。
  
もちろん、支配者層のあいだでは、朱子学の解釈をめぐって政治的な党派争いが「党争」となっていた。「科挙」に合格すると官僚としての出世につながるので、一族郎党がむらがってくる結果、金銭的な腐敗が進む。朱子学と科挙のもたらす弊害である。 

朱子学の「正統性」を際立たせるために、朱子学以外の仏教や道教、シャマニズムの存在まで否定していなかったこと、朱子学そのものも本家本元の中国とは違って、朝鮮独自の運用が行われていた。 

その最たる例が、極端なまでの「男尊女卑」である。女性の地位の低さには、あらためて驚くばかりであり、だからこそ女性たちは仏教やシャマニズムに救いを求めていたのである。 

本書が面白いのは、同時代の江戸時代の日本との比較が随所に見られることだ。「兵農分離」が徹底していて「村」が完結的な独立単位として機能していた江戸時代の近世日本と違って、朝鮮社会においては、早い段階から流動性がきわめて高い社会だった。この違いはきわめて大きい。日本と違って、18世紀の早い段階ですでに流動化が活発化しているのである。 

多面的に民衆世界を描いている本書が、著者の専門だけあって「第5章 民衆運動の政治文化」は読み応えがある。スタティックな記述から、一気にダイナミックな記述に変化していくからだ。 

新書本だが、ひじょうに濃厚な内容なので、このテーマに関心のある人でなければ読み通すのは苦労するだろうが、韓流ドラマや韓国映画で描かれたフィクションとは異なる、リアルな民衆世界を知るために読むべき本であると言っていいだろう。 

どんな歴史もそうだが、上からの視線である「政治史」だけでなく、下からの視線である「社会史」をあわせて見ないと全体像は見えてこないのである。 


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目 次
まえがき 
第1章 朝鮮社会の儒教化 
 1 儒教国家の誕生とその理念 
 2 儒教社会の現実と両班 
第2章 民衆の生活と文化 
 1 村と食の文化 
 2 村の賑わい 
 3 民衆の精神世界 
第3章 周縁的民衆の世界 
 1 賤民社会の諸相 
 2 最下賤民白丁(ペクチョン)の悲哀 
 3 褓負商(ポブサン)の社会 
第4章 女性のフォークロア 
 1 宮女と妓生(キーセン) 
 2 女性と婚姻 
 3 女性の自由と宗教 
第5章 民衆運動の政治文化 
 1 不穏の時代 
 2 民乱の時代 
 3 民衆反乱のフォークロア 
第6章 近代化と民衆 
 1 甲午改革と民衆 
 2 新しい政治文化の誕生と民衆運動 
 3 民衆の迷走と覚醒 
第7章 周縁的民衆の覚醒 
 1 義賊の時代 
 2 褓負商(ポブサン)の近代 
 3 白丁(ペクチョン)の近代 
 4 近代化と女性 
第8章 民衆の行方と現代 
 1 三・一運動と民衆 
 2 儒教国家の過去と現在(儒教国家の現実 這い上がりと分かち合いの社会/現代韓国の政治文化)
あとがき 
主要参考文献

 

著者プロフィール
趙景達(ちょ・きょんだる)
1954年生まれ。中央大学文学部卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同大人文学部助手を経て、千葉大学文学部助教授・教授となり、2020年3月退職。著書に『異端の民衆反乱 ー 東学と甲午農民戦争』など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2024年12月28日土曜日

書評『朝鮮半島の歴史 ー 政争と外患の600年』(新城道彦、新潮選書、2023)ー 韓国の現在を理解するためには、遠回りだが歴史を見よ

 

 先日(2024年12月3日)のことだが、韓国で44年ぶりに実施された「戒厳令」、これは実質的に「大統領による上からのクーデター」であったが、あっけなく6時間で収束し、結果として失敗に終わった。だが、この後遺症は長く尾を引きそうだ。 

「クーデター」の是非は脇に置いておくが、短時間で収束した件にかんして、韓国の民主主義がすばらしいなど、この日本でも礼賛する声があがっている。だが、笑止千万と言わざるを得ない。現在の韓国の状況は、李朝時代の「党争」の現代版としかいいようがないからだ。 

経済学用語に「経路依存性」(path dependency)というものがある。歴史的に形成された民族の個性は、政治のあり方にも発揮されることを指しているが、朝鮮史の600年を振り返れば、朝鮮半島の現在も手に取るようにわかるというものだ。 

そこで、『朝鮮半島の歴史 ー 政争と外患の600年』(新城道彦、新潮選書、2023)を読むことにした。昨日、読了した。  

ようやくこのような、まともな朝鮮史が書かれるようになったか、というのが正直な感想だ。「政争と外患」という切り口で描いた朝鮮史は、朝鮮半島を理解するために、きわめて有用なものの見方である。 

本書は、李朝誕生の前後から、日本による侵略という「朝鮮の役」と「日韓併合」による植民地時代を経て、「分断」という形で<独立>を回復して以降の600年を通史として描いている。

このカッコ書きの<独立>というのがミソである。なぜなら、明朝から清朝にかけて中国の「冊封体制」のなかにあって「属国」でありつづけた朝鮮(半島)は、真に「独立」していたといえるのは「冊封体制」から解放され「大韓帝国」を名乗った1897年から「日韓併合」(1910年)までの短期間に過ぎないからだ。

朝鮮史を通史として読むと、正直いって面白い時代と、まったくもってつまらない時代で構成されていると言わざるを得ない。中国や日本など周辺諸国が「外患」としてダイレクトにからんだ時代は面白いが、後者の「外患」はないものの、政治的な党派党争に患わされた時代は読んでいてつまらないし、くだらない「党争」は読んでいてバカバカしくなってくる。 

秀吉による「朝鮮の役」による国土の荒廃、さらに女真族(=満洲族)が建てた清朝への屈服を経て、朝鮮半島は平衡状態に落ち着くことになる。 

だが、18世紀の朝鮮史は「日本の古代史」のようだ。19世紀後半になって、国王の外戚が政治を支配するようになるが、それでは王朝時代の「平安時代」と変わらない。18世紀半ばは、日本では徳川時代は吉宗の時代だ。「近代化」への道が始まった日本との差はあまりにも大きい。 

朝鮮半島がやっかいなのは、「外患」にわずらわされた時代にも「政争」が複雑にからんでいることにある。これは「半島」という地政学的な立ち位置からくるものだが、それにくわえて朱子学内の分派党争が政争を生み出しているからである。

さらに18世紀末以降は北京から入ってきた天主教(=カトリック)が絡んでくる。この点は、キリシタンが弾圧されていた日本との違いである。

朝鮮半島を中心に、東アジアの近代史を専攻する著者の本を読むのはこれがはじめてだ。朝鮮史をテーマにした本は多いが、そのなかでは、かなりまともな本である。 

偏ったイデオロギーに左右されることなく、日本人の立場から、あくまでも史実をベースに公平に朝鮮史を見ようとしている点に好感を感じる。朝鮮史は、北であれ南であれ、イデオロギーに左右される度合いがあまりにも大きすぎるからだ。 

それだけに、この本の執筆はなかなか大変だったのではないかと推測している。帯には推薦文が掲載されているが、読者からの反応としては、好意的なものだけでなく、批判も多いのではないかな、と。 

繰り返すが、「党争」にあけくれた朝鮮半島の18世紀は、まったくつまらないので、読んでいて苦痛以外のなにものでもない。だが、それ以外は面白い。

もちろん、日本人が読んで面白い時代というのは、当事者である朝鮮半島の住民にとっては、苦難以外のなにものでもなかったことは重々承知のうえでの感想であるが・・・ 


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目 次
はじめに 
第1章 朝鮮王朝の建国(王氏から李氏への易姓革命/支配基盤の整備/揺らぐ王権/熾烈な派閥争い) 
第2章 華夷秩序の崩壊と朝鮮の危機(日本の侵略/迫りくる女真族の脅威/清の侵略と朝鮮の属国化) 
第3章 終わりなき政争と沈みゆく王朝(蕩平策の功罪/勢道政治と相次ぐ民乱/大院君と閔氏の争い/朝鮮を開いた日本の挑発と清の勧告) 
第4章 清・日本・ロシアの狭間で(親日と親露の角逐/大韓帝国の成立/日本による韓国併合/抗日独立運動の諸相) 
第5章 朝鮮半島の分断(戦後の主導権争い/遠のく独立/国家樹立の理想と現実/朝鮮戦争の帰結) 
おわりに
あとがき
参考文献

著者プロフィール
新城道彦(しんじょう・みちひこ)
1978年、愛知県生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程単位取得退学。博士(比較社会文化)。長崎県立大学非常勤講師、九州大学韓国研究センター助教、新潟大学大学院現代社会文化研究科助教などを経て、フェリス女学院大学国際交流学部教授。専攻は東アジア近代史。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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