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2023年1月19日木曜日

書評『生き方としての哲学』(ピエール・アド、小黒和子訳、法政大学出版局、2021)― 西洋文明のまっただ中で育ったフランス人哲学者が「古代哲学」に見いだしたもの

 


「生き方としての哲学」とは、じつに魅力的なタイトルではないか! 原著のタイトルは、La philosophie comme maniere de vivre という。「生きる様式」。日本語タイトルには珍しく、ほぼ直訳である。 

ピエール・アド(Pierre Hadot 1922~2010)は、古代哲学研究家で哲学者。30歳で教会から離れるまでカトリックの司祭だった人だ。つまり、西洋文明にまっただ中で、西洋文明にどっぷり漬かって育ったフランス人である。 「第2バチカン」以前だからなおさらである。

だが、感性レベルにおいてはキリスト教的ではないもの、キリスト教とは相容れないものを子ども時代からもっていたようだ。そんな哲学者が、古代ギリシアや古代ローマの「古代哲学」に見いだしたものは、西洋の近代哲学のように体系化を目的とする哲学ではなく、「哲学をつうじて人間を育成」するスタイルのものであった。それが著者のいう「生き方としての哲学」である。 

ソクラテスの哲学、すなわちその生涯そのものに体現されているのが「生き方としての哲学」であり、ストア派やエピクロス派の哲学には「精神の修練」が方法論として実践されていたのであった。 

ピエール・アドの名前を初めて知ったのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの晩年の著作を通じてである。アドによる「精神の修練」(exercise spirituelle)ということばと概念を知ったのも、そのときだった。 

『超訳 自省録 よりよく生きる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019)を作成する際に、大いに役立ったのが「精神の修練」についてのフーコーの言及であった。参考文献に上げてあるので、気づいている人もいるかもしれないが。 

ストア派の哲学者であった皇帝マルクス・アウレリウスにとって、「書く」ことは「スピリチュアル・エクササイズ」(精神修行)であるとして援用したが、3年前のその時点では、まだピエール・アドの翻訳がなかったので、時間的制約もあって参照できなかったのだ。 

江戸時代の日本人の「修養」をめぐる思想を考察した『修養の思想』(西平直、春秋社、2020)を読んだあとでは、「精神の修養」としておいたたほうが良かったかもしれないと思う。哲学を通じて「自己を養い」、「他者への共感を養う」という含意があるからだ。 

ようやく2021年になって日本語版がでた『生き方としての哲学』は、フランス人と米国人の2人の哲学者との対話録である。哲学者アドの半生をたどりながら、古代哲学に見いだした「生き方としての哲学」と「精神の修練としての哲学」について、さまざまな形で語られる。 

そうして見いだされた古代ギリシアや古代ローマの哲学は、むしろキリスト教の影響を受けなかった時代の東洋哲学ときわめて近いものであることを感じるのである。過去でも未来でもなく「現在というこの瞬間」こそ大事なのだという哲学。仏教哲学にも近いものがある。 

現代日本人を含めた東洋人にとっては、「人生哲学」という表現に見られるように、「生き方」そのものが「哲学」であることは当たり前のように響く。 

だが、西洋文明のまっただ中において、古代哲学においては「生き方」が「哲学」であったことを、欧米の一般読者に示した哲学者アドの功績はきわめて大きい。この哲学者は、西洋世界を一歩もでたことはなく、しかもインド哲学や中国哲学の研究者ではないのである。 

さらにいえば、欧米の読者だけでなく、日本人読者にとっても、人生哲学もまた哲学なのだという安心感をあたえてくれる。その意味では心強いものを感じるのである。 

この本は、西洋哲学史の読み換えにもなりうる内容の本である。もちろん、著者がそう言明しているわけではないが、古代ギリシアと古代ローマの哲学を、かならずしも西洋近代哲学の枠組みのなかだけで理解する必要がないことを示していることになるからだ。 

その点では、古代ギリシア哲学を「東洋哲学」の枠組みのなかでとらえていた、イスラーム哲学研究の世界的権威で哲学者であった井筒俊彦の『神秘哲学 古代ギリシアの部』とあわせて読むべき本であろう。 

すでに亡くなってから10年以上もたっており、遅きに失した感がなきにしもだが、ピエール・アドの著作は、もっともっと日本語訳してほしいもである。 



(画像をクリック!)


目 次
はじめに 
第1章 教会の法衣のもとで
第2章 研究・教育・哲学 
第3章 哲学の言述 
第4章 解釈・客観性・誤読 
第5章 合一体験と哲学的生 
第6章 精神の修練としての哲学 
第7章 生き方としての哲学、知の探求としての哲学 
第8章 ソクラテスからフーコーまで―ひとつの長い伝統 
第9章 受け入れがたいもの? 
第10章 いま在ることがわれわれの幸福 
結びとして 
訳注/訳者あとがき/人名索引 


著者プロフィール
ピエール・アド(Pierre Hadot)
1922年生。パリのカトリック家庭に生まれ、神学教育を受ける。15歳で高等神学校に進級、22歳で司祭の資格を得たのち、ソルボンヌで神学・哲学・文献学を学ぶ。27歳でCNRS(フランス国立科学研究センター)の研究員となり、宗教界を離れて哲学の道を選ぶ。文献学の研究を土台として、古代ギリシア思想と新プラトン主義、とくにプロティノス研究で著名となる。1963年には EPHE(高等研究実習院)のディレクター、1982年にはミシェル・フーコーの推薦もありコレージュ・ド・フランスの教授に就任。2010年没 

日本語訳者プロフィール
小黒和子(おぐろ・かずこ) 
東京女子大学文理学部英米文学科卒業。米国ワシントン大学大学院修士課程修了。元東京女子大学助教授、元早稲田大学非常勤講師
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2021年1月20日水曜日

『トゥキディデス 戦史』を読了(2021年1月)― 2020年代のいま進行する事態と重ねあわせたくなる「アテネ民主制の崩壊」は、アテネとスパルタの覇権争いのなかで発生した

 

今年2021年の年始のことだが、トゥキディデスの『戦史』をようやく読了した。久保正彰訳の岩波文庫で全3巻。かなりのボリュームである。年末年始の課題の1つをクリアしことになる。  

古代ギリシアの「歴史の父」と称されるヘロドトスの『歴史』をおなじく岩波文庫の3巻本で読了したのが、いまから40数年も前の古代ギリシアにはまっていた中学生時代のことなので、ようやく肩の荷が下りたという気持ちだ。古典的名著であり、腰を据えてかからないと、日本語訳でもそう簡単に読めるというわけではない。なんと、積ん読歴40数年であった。 

『戦史』で扱っているのは、古代ギリシアの都市国家アテネ(・・正確にいえばアテーナイだが、通例のアテネとしておく)とスパルタの27年抗争「ペロポネソス戦争」の最初の20年である。両雄並び立たずというが、新興国アテネの台頭に不安を感じた軍事国家スパルタが、どちらも望まないのに戦争に巻き込まれていく姿を、同時代に生きた著者が、戦争当事者双方と利害関係国の情報を精力的に収集し、ファクトベースの記述を進めていく。 


(プーシュキン博物館所蔵の頭像 Wikipediaより)


圧巻は、岩波文庫版の下巻で描かれる、増長するアテネによる遠方のシケリア(現在のシチリア)遠征と、有力都市国家シラクサを相手にした壊滅的敗北と敗走である。

指導者層による希望的観測にたった見通しの甘さと、戦争を熱狂的に支持した市民たち。その真逆ともいうべき敗戦と敗走。行き詰まるような描写がつづく。 遠征の失敗によって国家的危機に瀕したアテネで民主制が崩壊していく様子が手に取るように描かれており、2020年現在の世界情勢を見ているかのような印象さえ受けるのだ。 

「歴史の父」といえば一般にヘロドトスを指しているが、戦争を事実関係に即して時系列で記述し、しかも戦争の構造的要因を考察した点において、トゥキディデスに軍配があがる。これは実際に読んでみた確認できたことだ。 

トゥキディデスは、戦争と政治の関係だけでなく、戦争と経済の関係についての考察も深い。軍資金と補給(ロジスティクス)の重要性、都市国家内部の支配構造と利害対立が交戦国につけいるスキを生み出す脆弱性にかんする考察など、まさに古典的名著というにふさわしい。 



■「トゥキディデスの罠」と覇権争い

「トゥキディデスの罠」(The Thucydides Trap)というフレーズがある。米国の政治学者グレアム・アリソン教授が提唱しているものだ。『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(ダイヤモンド社、2017)で詳しく解説されている。 

「トゥキディデスの罠」とは、チャレンジャーとしての新興国(=古代ギリシアの場合はアテネ)が示す「野心」に対して、チャレンジを受ける側の覇権国(=スパルタ)が感じる「不安」がエスカレートするに従い、双方に生み出されるワナのことだ。 

このワナにはまった結果、覇権国交替が戦争によって決着されたケースが過去に多数発生している。端的にいって米中対立の構造を「トゥキディデスの罠」で解説してみせたのが、この議論のキモである。 

歴史を振り返れば、新興国アテネと覇権国スパルタの抗争は、新興国中国と覇権国米国の関係に対比されるだけでなく、その結末さえ予想させるものがある。長年にわたる抗争で、拮抗する両国はともに消耗し尽くし、共倒れになる可能性すら否定できないという結末だ。そして、第3の新興国が台頭する。

古代ギリシアにおいては、アテネもスパルタもともに疲弊し、この状況のなか「漁夫の利」を得たマケドニアが台頭という流れになる。その後、マケドニアからアレクサンドロス大王が誕生する。

米ソ冷戦時代には米国のパワーが勝っていたために、ソ連が自壊したことで冷戦は終わった。そして第3勢力としての中国が勃興することになっった。

そして、今回の覇権争いの結果、米中双方が疲弊して共倒れになったと仮定すると、漁夫の利を得るのは誰になるのだろうか? 


(地図を上下(=南北)逆さまにすると『戦史』の世界がよく見えてくる。真ん中がギリシア、右上がシチリア) 



■古代ギリシアと日本。その共通点と相違点

トゥキディデスの『戦史』を現代に引きつけて読むと、覇権国の米国人アリソン教授のような読み方にもなろう。だが、政治学の立場を離れて、1つの作品として読んでいると、日本人読者として感じるものがある。 

どういうことかというと、古代ギリシアは日本とよく似ているという感想をあらためてもつことだ。基本的にセム的な一神教が支配する以前の古代ギリシア世界は、日本とおなじく多神教世界であり、感覚的によく似ているものを感じるのだ。古代ギリシアの精神世界は、神道世界のようなものだからだ。「神託」だけでなく、何度も言及される「清め」の重要性。

とはいえ、大きな違いがあるのは、本居宣長がいうように「言挙げせずを良し」とする日本と違って、古代ギリシアでは「弁論」が大きなチカラをもっていたという点だ。 

トゥキディデスは『戦史』において、戦争とその関連情報のファクトベースの時系列による詳細な記述だけでなく、戦争の構造を浮かび上がらせるために「演説」(スピーチ)を多数引用している。 

演説のもつロゴスとパトスで相手を説得し、共同体(=都市国家)としての政策コースが決定されていく。この姿勢は、古代ギリシアから古代ローマに受け継がれ、西欧世界の根幹をつくりあげているのである。民主主義の根幹に、このスピーチのもつコトバのチカラがあることは、何度も繰り返しておくべきであろう。コトバへの不信感が強い現在の日本においては、とくに強調すべき事項だ。


以上、こんな感想をつれづれと書き連ねてみたが、やはり古典というものは、そのものを読む意味があるなと強く感じた次第。たとえ翻訳であっても、著者の息吹をそのまま感じることができるからだ。 


(画像をクリック!)



◆トゥーキュディデース(紀元前460年頃~ 紀元前395年)。
◆ヘーロドトス(生没年不詳:前490年~前480年の間に生まれ、前430年から前420年の間に、60歳前後で死亡したとするのが一般的)


訳者プロフィール
久保 正彰 (くぼ まさあき)
1930年10月10日生まれ。西洋古典学者。広島県呉市出身。戦後、日本人として初めてハーバード大学を卒業し、日本における西洋古典学の地平を切り拓いた久保正彰教授。東京大に西洋古典学の研究室をつくり、世界的な拠点に育て上げた。
18歳で日本の成蹊高校を中退し、単身アメリカに渡り、フィリップス=アカデミーに編入。1953年、ハーバード大学卒業(古典語学・古代インド語学専攻)、1957年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
1959年東京大学教養学部助手、1965年成蹊大学文学部助教授、1967年東京大学教養学部助教授、1975年に文学部教授、文学部長(1985~87年)、1991年退官し名誉教授、東北芸術工科大学初代学長(1992-98年)・名誉教授。
1992年12月に、日本学士院会員に選任、人文科学部門の第1部長・幹事を経て、2007年10月に第24代院長に就任(任期は3年で、2期を限度とする)。2013年任期満了し退任。2014年7月に松尾浩也の後任で学士会理事長に就いた(2016年6月に退任、後任は佐々木毅)。なお日本学士院第1部長在任中に「皇室典範に関する有識者会議」メンバーも務めた。
著訳書多数。(Wikipedia情報などをもとにした)。


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2020年4月19日日曜日

「ベジタリアン」とのからみで「トルストイ主義」を振り返る ― そのけっして古びないチカラを思い起こせ!



肉食がすべての悪の根源だとする「ベジタリアン」の思想。肉食を否定し、大地から産まれた植物だけを食べることから「菜食主義」と訳されることもある。

だが、インドがその中心である「菜食主義」と、古代ギリシアのヘシオドスやピュタゴラスまでさかのぼることができる「ベジタリアニズム」は、イコールではないのだという。

ベジタリアン(vegetarian)と植物を意味するベジタブル(vegetable)は、いっけん見ているがもともと関係のないコトバなのだ。


■ベジタリアンの思想を知る

ベジタリアンの思想を知ることができるのが、ベジタリアンの実践者である鶴田静氏の『ベジタリアンの文化誌』(中公文庫、2002)と『ベジタリアンの世界-肉食を超えた人々』(人文書院、1997)の2冊だ。

2冊とも部分的に読んではいたが、今回はじめて通読してみた。入手してからずいぶん時間がたつ。 この2冊は重なる面もあるが、出版は前者のほうが早い。後者は、前者の積み残しの課題を解決したものとなる。
   
古代ギリシアのピュタゴラスやヘシオドスに発するベジタリアンの思想は、キリスト教世界の修道生活を経て、中世前期のアッシジのフランチェスコや、中世後期ルネサンス時代のレオナルド・ダヴィンチを経て、イタリアからフランスへ。両者はともに豊かな農業国だ。 そして19世紀の英国で一大潮流となった。

「ベジタリアン」(vegetarian)というコトバが誕生したのは、1842年のことだそうだ。それまでは、「ピュタゴラス的食事法」と呼ばれていたらしい。そう呼ばれてきた歴史のほうがはるかに長いということだ。逆にいえば、思想として確立したのは近代になってからということになる。

以後、英国から米国、ドイツ、さらにはロシア、日本へとベジタリアンの思想と行動が拡がっていく。日本では、詩人で童話作家の宮沢賢治がもっとも有名だろう。賢治には「ビジテリアン大祭」という作品がある。


  


■ベジタリアン思想の系譜にあるトルストイ主義

このベジタリアンの系譜のなかにあるのが、19世紀ロシアの文豪トルストイ。土地貴族であったトルストイ伯爵は、自分の農地でみずから汗を流して農作業に従事、大地に根ざした生活を信条としていた。トルストイは、59歳で最終的にベジタリアンになった。肉食はいっさいしないことを決意し、実践するようになったのだ。

非暴力主義と平和主義を実践し、武器を焼き捨て兵役を拒否したのがドゥホボール教徒たちだ。カフカス地方に生まれたかれらについては、『武器を焼け-ロシアの平和主義者たちの軌跡』(中村喜和、山川出版社、2002)が最新の研究成果である。

ロシア帝国もその1つであった「近代国家」は、兵役を義務としていたが、その兵役義務を拒否したため、徹底的に弾圧されたドゥホボール教徒たち。カナダへの移住を資金援助するため、印税目的で執筆されたのがトルストイ晩年の大作『復活』だ。ああ、そうだったのだなと、あらためて深く感じ入る。ドゥホボール教徒たちの思想信条は、トルストイ主義ときわめて近い存在であったのだ。

いい機会なので、読まないままになっていたトルストイ晩年の思想を小説化した名作『光あるうち光の中を歩め』(新潮文庫、1952)を読む。

古代ローマの五賢帝時代のハドリアヌス帝時代、いまだキリスト教が迫害されていた時代を背景に描いた作品だ。この小説で、トルストイ主義について知ることができる。享楽にふけるローマ人一般とは異なる、額に汗水流して農作業に従事し、手作業を重視することから産まれる喜び、充実感。「原始キリスト教」の世界を理想としていたトルストイであった。

ドゥホボール教徒は19世紀末にカナダへの移住に成功するが、宗教に基づかないトルストイ主義者たちは、ロシア革命後のソ連で生きていくことになる。ロシア以外では、日本の「新しき村」もトルストイ主義の影響を受けた白樺派の作家・武者小路実篤がつくったものだ。


  


■ソ連に残った「トルストイ主義者」たちの運命

トルストイ主義者たちがソ連でつくった共同生活体(コミューン)に、「生活と労働」というものがあった。

かれらについては、『愛と微笑みのパッションー西シベリアを目指したトルストイ主義者たち』(人見楠郎・油家 みゆき・小波宏全、新読書社、2000)で、詳しく取り上げられている。

著者の筆頭に名を出しているのは、昭和女子大学の学長(当時)、この大学はトルストイ主義を理想として建学されたものであったことを今回はじめて知った。

コルホーズによる集団農場化が推進されたソ連で、モスクワ郊外にあった「生活と労働」は、さまざまないやがらせを受けるようになる。自由意志にもとづくコミューンが許されない状況となりつつあったのだ。

理想の地を求めてウラル山脈の先、アルタイ山脈の近くの西シベリアに移住を実行、苦労を重ねながらも定住に成功する。

しかし1930年代にはスターリンによる締め付けが厳しくなるなか、コミューンの指導者たちは逮捕され、強制労働の刑を受けたり、処刑された者もあった。そして、コミューンはコルホーズ化され、歴史から消えていった。

まさに受難である。タイトルにある「パッション」とは、キリスト教用語で受難を意味する。






■インド独立の父ガンディーに受け継がれたトルストイ主義

ロシアでは息絶えたトルストイ主義だが、その思想はインド独立の父ガンディーにも影響を与えているのである。

南アフリカ時代のガンディーと晩年のトルストイが書簡を交わしており、弁護士として成功していたガンディーは、南アフリカ時代に現地で土地を確保して「トルストイ農場」を開いていた。

言うまでもなく、インド出身でヒンドゥー教徒のガンディーは子どもの頃から「菜食主義」の生活習慣をもっていた。菜食主義を貫くジャイナ教徒たちとの接点があったことも大きい。

このガンディーが、留学中のロンドンで誕生した「ベジタリアン」の思想と出会うことになった。生活習慣としての「菜食主義」と、思想としての「ベジタリアン主義」の出会いである。

ここにおいて、古代インド以来の「菜食主義」と、古代ギリシア以来の「ベジタリアン思想」(=ベジタリアニズム)が融合することになったのである。ガンディーという、インド出身で、近代西欧思想の影響をどっぷりと受けた生身の人間の心身において。

こういう思想の流れがあることを知っておきたい。また、こういう観点からガンディーの思想についても考えて見る必要があるだろう。


  


PS ベジタリアンを実践するのはむずかしい

ただし、私自身は「ベジタリアン」を理想としていながらも、なかなか徹底できないヘタレであります。肉食はできるだけ減らすように努力しておりますが、昔に比べたらあまり肉を食べたいという気持ちは、なくなってきましたけどね。野菜中心の食事を心がけております。もちろん、魚も卵も食べますよ。


<関連サイト>

「コミューン 生活と労働」について
Life and Labor Commune - Wikipedia(英語版。日本語版はなし)
https://en.wikipedia.org/wiki/Life_and_Labor_Commune


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(2020年8月2日 情報追加)


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2019年1月6日日曜日

書評『現代思想としてのギリシア哲学』(古東哲明、ちくま学芸文庫、2005)ー 目が開かれ、認識の地平が一気に拡がる思いがした



昨年のことだが、『現代思想としてのギリシア哲学』(古東哲明、ちくま学芸文庫、2005)を、電車での移動中に読んでいた。どんな内容のものであれ、文庫本は携帯サイズなので移動中に読むのは都合がいい。スマホ時代でも文庫本の良さは消えていない。

初版は1998年だから、すでに出版から20年も立っているのだが、読んだのは今回がはじめてだ。読んでいて、目が開かれ、認識の地平が一気に拡がる思いがした。 

「現代思想としてのギリシア哲学」というタイトルだが、ギリシア哲学を現代思想だと主張しているのではない。ギリシア哲学を現代思想をつかって解説するといった内容でもない。 

ギリシア哲学を、というよりも、哲学そのものを、その「発生」(=誕生)の瞬間から「完成」(=終焉)に至るまで振り返り、哲学の祖とされるタレスから、ヘラクレイトス、パルメニデスを経て、ソクラテス、プラトンに至り、最後はローマ皇帝でありながら『自省録』のストア派哲学者でもあったマルクス・アウレリウスで締めくくられる。 

著者は、この一冊の本を書くためだけに、関連書籍を千冊読み込んだのだという。濃厚なスープのような、しかし平明な内容の詩的な文章で全編が満たされている。 

出版社による書籍解説にはこうある。


近代ヨーロッパ文化の源泉であるギリシア哲学は、現代思想に類似した、「神の死」とも言うべき状況の中から発祥したものだった。人間にとって最も根源的な問題といえる「在ることの不思議」に覚醒し、無常や不条理といった否定性を含みこんだまま、二元論を超克しつつ存在驚愕(タウゼマイン)を直視した、タレス、ソクラテス、プラトンら西洋哲学の開祖たち。人類史上画期的な出来事としてのギリシア哲学を、新たな視座から精緻に検討し、現代思想を鍛えなおす。(太字ゴチックは引用者=さとう)


異邦人として、エイリアンとして地球上の事物を視るのが哲学者のものの見方であり、立ち位置である。一般人が当たり前だと見なして考えもしないことを、驚きの目でもって凝視し、考え抜くのが「哲学者」という存在であり、「哲学」という知の営みだ。

タレスをはじめとして、古代ギリシアの哲学者たちの多くがフェニキア出身のセム系の人びとであり、文字通りの異邦人であった。著者によるこの指摘は、じつに重要だ。ソクラテスとプラトンはギリシア人ではあったが、「内なる異邦人」といっていい。

20世紀後半に「ヒューマニズム」(=人間中心主義)という「近代」の行き詰まりが誰の目にも明らかになって以降、かつて隆盛を誇った19世紀以降の哲学者たちの言説が、あまりにも無意味なものに感じられる状況が続いている。それを超えようとしてきた現代思想も、私には同様に映る。 

そんな状況において、根源(アルケー)にさかのぼってギリシア哲学を再読する意味は大きい。それは非理性の領域に足を踏み込み、心身両面にわたる霊性修行を行い、常識を否定する思考をおこなうことを意味している。

書かれざる部分を読み取らなくてはならない。そういう読み方をしなくては、ギリシア哲学は見えてこないということなのだな、と痛感する。古代ギリシア哲学は、哲学史の教科書的な理解とはほど遠い世界なのだ。 

あらためてギリシア哲学に取り組んでみたいと思う今日この頃である。著者である古東哲明氏のその他の著書も本も読んでみたくなった。


(画像をクリック!)



目 次 
序章 月から落ちてきた眼 
第1章 哲学誕生の瞬間-タレス 
第2章 逆説の宇宙-ヘラクレイトス 
第3章 存在の永遠-パルメニデス 
第4章 非知の技法-ソクラテス 
第5章 ギリシアの霊性-プラトン 
第6章 あたかも最期の日のように-M.アウレリウス
エピローグ 空白の航海術 
解説(永井均)



著者プロフィール 
古東哲明(ことう・てつあき) 
1950年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業後、同大学大学院博士課程修了。現在、広島大学名誉教授・同客員教授。専攻は、哲学、比較思想。著書に『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)、『ハイデガー-存在神秘の哲学』(講談社現代新書)、『他界からのまなざし』(講談社選書メチエ)、『瞬間を生きる哲学-<今ここ>に佇む技法』(筑摩選書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)



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(2024年2月27日 情報追加)


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