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2020年9月22日火曜日

書評『グローバリゼーションの中の江戸』(田中優子、岩波ジュニア新書、2012)―「ヒト」の移動に制限はあったが「モノ・カネ・情報」が自由に行き交いしていた江戸時代



「グローバリゼーション」と「江戸」。いっけん水と油のように相反するものと聞こえるのは、いまだに江戸時代が「鎖国」であったという固定観念が世の中には存在しているからでだろう。

ところがじつは、江戸時代は最初から最後まで、江戸時代はグローバル経済と密接に結びついていたのであった。『グローバリゼーションの中の江戸』とはそういう意味だ。

長崎のみが海外に開かれた窓で、それ以前の戦国時代末期の南蛮文化が栄えたキリシタン時代とはまったく異なり、世界史の大きな流れから離脱し引きこもっていたのが江戸時代だ、というのが一般的な理解ではなかろうか。

たしかに、「ヒト」の移動にかんしては、キリシタン対策の観点から、日本人の海外渡航は禁じられていたし、海外から外国人の日本への入国も制限されていたことは事実だ。だから「鎖国」という表現もあながち間違いとはいえない。新型コロナの感染症(COVID-19)の状況下の現在も似たようなものだろう。

だが、「モノ」と「カネ」、そして「情報」に注目すると、まったく違う世界が出現する。江戸時代は最初から最後まで海外商品を輸入し続けていたのであり、中期以降は日本産品の輸出も活発になっていく。江戸時代は、世界とモノでつながっていたのである。しかも、長崎だけでなく、対馬も、琉球も、蝦夷も、海外に開かれていたのである。

いわゆる「四つの口」というやつだ。長崎は幕府の直轄地で中国とオランダ、対馬藩が朝鮮王国をつうじた中国との貿易、薩摩藩が琉球王国をつうじた中国との貿易、そして松前藩が蝦夷地のアイヌとの交易の実務を担っていたのである。対馬藩は釜山の倭館で貿易実務を行っていた。出島の真逆の関係となる。

つまるところ、経済という面に限定して見れば、「鎖国」とは幕府による管理貿易がその本質であったというべきだろう。貿易港にかんしてだけでなく、とくに輸入にかんして、数量と品目にかんして統制を行っていた(・・だからこそ、抜け荷、すなわち密貿易を誘発したという側面がある)。情報にかんしては、キリスト教関係を禁書として輸入禁止にしていたことも周知のとおりだ。刀剣や鉄砲など武器の輸出も禁止していた。

現在でもすべての産品にかんして、貿易が完全に自由化されているわけではない。とくに、ライフラインにかかわる食糧とエネルギー、そして兵器関係にかんしては各種の制約が多い。市場経済体制においても、経済運営にあたっては、「見えざる手」にすべてをゆだねるわけにはいかないのだ。管理貿易体制下にあった江戸時代においても、市場経済が発達していたことを知るべきだろう。

江戸時代、とくに前半に輸入されていたのは、布や糸を中心としたアパレル関係と漢方薬が中心であった。この2つは当時の日本では国産化できなかったためである。

高級な絹織物の原料となる生糸の供給は、もっぱら中国に頼っていたのである。服装で身分の違いを「見える化」する必要のあった時代、支配階層にとって絹織物は必需品だったからだ。生糸が幕末から明治時代にかけて輸出商品の中核をなすようになったのは、江戸時代中期以降に国産化が進んで以降のことである。

生糸の代金として支払われたのが、江戸時代初期までは豊富に産出した銀(シルバー)であり、銀が枯渇してくると銅、さらに俵物(たわらもの)とよばれた水産加工品(=干しアワビ、干しナマコ、フカヒレ)であった。旺盛な購買力を支えた鉱物資源、とくに豊富な銀を産出した「ラッキーカントリー」時代が終焉したことが、吉宗の時代に国産化という輸入代替化政策を採用することになったのである。

水産加工品は主に中国に輸出され、中華料理の高級食材となった。また、銅貨鋳造のために必要な銅の産出が少ない中国は、日本から銅を輸入する必要があったのである。オランダ東インド会社もまた、日本銅を輸入してヨーロッパ市場に投入していた。

輸出品には、漆器や蒔絵、陶磁器などの手工業品もあった。手工業品は、オランダ東インド会社をつうじて西欧にまで輸出されている。明清交替期の中国が混乱していたため、景徳鎮からの供給が細った時期にオランダ東インド会社は、代替品として日本の陶磁器を扱うようになった。また、マリー・アントワネットの蒔絵コレクションは、オランダ東インド会社をつうじて日本に特注されたものだった。

ではなぜ、江戸時代に海外商品が輸入されつづけられたのか? それは、可処分所得が増えた一般庶民のファッションへの需要がきわめて大きかったからだ。絹糸やカラフルな布は日本の技術水準が低いので国内で生産できなかったのだ。いまでもそうだが、日本人は海の向こうからやってくる舶来品に弱いということもあろう。江戸時代には、生活必需品は輸入されていなかった。輸入されたのは、ある意味では贅沢品であった。

興味深いのは、江戸時代ほどインドの影響を受けていた時代はないという著者の指摘である。綿製品の染め物である「印度更紗」(いんどさらさ・・バティック、ろうけつ染め)は、当時の日本にはない柄として大いに人気を博し、着物に仕立てられていたのである。

江戸時代の文学や浮世絵にかんして圧倒的な知識量をもち、そのむかし『江戸の想像力』という刺激的な好著でデビューした著者の研究蓄積から生まれたエッセンスである。

あえて問題点を指摘すれば、タイトルにある「グローバリゼーション」ではなく「グローバル経済」というべきだ。江戸時代初期には銀(シルバー)が主導した「第1次グローバリゼーション」がほぼ終了しており、その後の19世紀初頭に「第2次グローバリゼーション」が始まるまでは、「すでにグローバル化していた世界」のなかで安定的な状態が続いていたからである。

「グローバリゼーション」は経済急拡大とカオス的不安定化をもたらすが、現象というよりも運動である以上、かならず始まりと終わりがある。その終わり方はいつも劇的だ。「グローバリゼーション」という表現を江戸時代にあてはめるべきではない。江戸時代を終わらせたのは、英国が主導した「第2次グローバリゼーション」である。

また、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」にかんする著者の見解にはやや違和感がある(・・どうしても左派リベラル派的バイアスを逃れられないようだ)。とはいえ、著者の思想傾向がどういうものかさえ知っておけば問題はないだろう。

「ヒト」の移動が自由ではなかったものの、「モノ」と「カネ」、そして「情報」が国内外を行き来していた江戸時代。次の時代に「つながる」基礎をつくったのが江戸時代だったことを知るための好著である。認識を改めるために読むべき本である。



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目 次

はじめに-グローバリゼーションって何?
1. 江戸の西洋ファッション
 ボタンとズボン
 水玉とフリル
 江戸のインド
 ファッションで見るグローバリゼーションの意味
 着物は巡る
2. 江戸の茶碗とコップ
 お茶碗でご飯を食べました?
 日本人と磁器
 漆の時代から陶磁器の時代へ
 様々な修理人たち
 お茶碗の中身-ご飯
 コップ-和ガラスの世界
3. 江戸の視覚の七不思議
 一不思議め レンズ 
 二不思議め 眼鏡をかけた江戸人たち
 三不思議め 遠近法と陰影法が描いた江戸
 四不思議め 中国版画とカラー浮世絵 
 五不思議め 大首絵-クローズアップの迫力
 六不思議め 風景が動く
 七不思議め 五感で感じる本の世界
 そして循環
4. 江戸時代が出現したグローバルな理由
 コロンブス日本到着?
 国際海賊集団「倭寇」が鉄砲を持ってきた
 いよいよ朝鮮侵略へ
 朝鮮通信使がやってくる!
 琉球国とアイヌ民族をめぐって
 江戸時代に日本はアジアから自立した
 教科書に「鎖国」と書かれる理由
参考文献
おわりに-どうやってグローバルになればいい?


著者プロフィール
田中優子(たなか・ゆうこ) 
1952年横浜生まれ。法政大学社会学部教授、同大国際日本学インスティテュート(大学院)教授。法政大学文学部卒業、同大学院博士課程(日本文学)修了。1986年『江戸の想像力-18世紀のメディアと表徴』(筑摩書房)で芸術選奨文部大臣新人賞、2000年『江戸百夢-近世図像学の楽しみ』(朝日新聞社)でサントリー学芸賞などを受賞。その他の著書に『近世アジア漂流』(朝日新聞社、1990)、『春画のからくり』(ちくま文庫、2009)など多数。現在、法政大学総長。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


PS. このブログ記事は、2016年にいったん書きかけたものの中断していたものを、2020年9月22日に完成させたものである。



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2020年9月21日月曜日

書評『誰も語らなかったフェルメールと日本』(田中英道、勉誠出版、2019)― 17世紀の「オランダの黄金時代」に与えた同時代の日本の影響



日本にはフェルメールのファンが多い。日常生活の何気ない仕草をテーマにした作品に親しみを感じるからだろう。

西洋美術だと身構えることなく、これといった背景知識を知らなくても受け入れることができる点も好まれる理由の1つだろう。聖書の知識もギリシア神話の知識も必要ない。ほぼ同時代とはいえ、おなじく17世紀オランダを代表する画家レンブラントとの大きな違いだ。

ちなみにフェルメールは、1632年生まれで没したのは1675年、レンブラントは、1606年生まれで1669年に没している。ほぼ一世代違うが、おなじ時代におなじオランダに生きていた。

日本でフェルメールがブームになったのは、どうやら2000年以降の現象らしい。世界的にみても、かつてはそれほど人気があったわけではないようだ。

すでに一昔前の話だが、1980年代前半に過ごした大学時代に受けた「美術史」の授業でフェルメールが取り上げられていた記憶はない。

とりたててフェルメール好きではない私も、全点には遠く及ばないものの、日本で開催された美術展に足を運んで何点か見ている。フェルメールは、画集やネットで見ている限りはディテールまで細かく見れるが、実物はえらくサイズが小さいことに驚かされる。近くに寄ってじっくり観察したいのだが、出展の目玉であるので並んでいる人が多すぎるのは困ったことだ。


■フェルメールと同時代の日本

『誰も語らなかったフェルメールと日本』(田中英道、勉誠出版、2019)という本が面白い。美術史家の著者が、フェルメールを見る上で黙殺されがちな同時代の日本の影響について、詳細に語ったものだ。

フェルメールは言うまでもなく17世紀オランダの画家だが、17世紀というのはオランダの黄金時代であり、その富をもたらしたのは東インド会社などによる貿易であった。

そして、この時代の日本が、ヨーロッパ勢力で唯一関係をもっていたのがオランダである。江戸幕府は、カトリックのスペイン・ポルトガル勢力を排除して、オランダとイングランドを選択したが、最終的に残ったのはオランダであった。

オランダの画家フェルメールが生きたのは、3代将軍・家光から4代将軍・家綱の時代である。

中継貿易を行うオランダ東インド会社(VOC)が日本にもたらしたのは中国の絹製品が中心であったが、それ以外にも東インド(・・現在のインドネシア)のバタフィア(=ジャカルタ)を拠点にアジアに張り巡らせたネットワークを活用して、さまざまな物品を日本にもたらしていた。

その対価が日本産の「銀」(シルバー)であったことは世界史の常識だろう。日本から銀が調達されなくなったあとは、銅がこれに代わる。資源国日本も資源が枯渇してきたからであり、国内で貨幣として使用するために必要であったからでもある。銅は、東インド会社が解散されるまで日本から販売されつづけた。

貿易というのは双方向の活動であり、帰国する船が空身で戻ることはない。銀のほかにも、さまざまな日本物産を積んで、貿易ネットワーク上の各地に持ち込んで販売している。もちろんん、陶磁器などオランダ本国まで持ち帰っていた物品もある。

その筆頭にあげられるのが、貿易の返礼品として将軍から下賜された小袖(こそで)だ。

出島にあるオランダ東インド会社の商館長(カピタン)は、幕府の家来として貿易をさせていただいていることを感謝するために、毎年1回、献上品を持参して江戸に赴き、将軍に謁見を賜わることになっていた。参勤交代のようなものだと考えていいかもしれない。その返礼品が大量の小袖だったのだ。この日本産の小袖が、同時代のオランダでは大人気となっていたらしい。

「ヤポンセ・ロック」という名前で、支配階層や富裕層のあいだではガウンとして大流行していたのだ。これは、フェルメールを含めた同時代のオランダ画家の作品に登場することでわかる。

本書には、こういった話だけでなく、光の画家フェルメールとおなじくデルフトの住人であった生物学の父レーウェンフック(・・顕微鏡をつかって、はじめて微生物を観察した人だ)、レンズ磨きの職人だった哲学者スピノザとの関係など、興味深い話が登場する。

もともとユダヤ系商人の家に生まれたスピノザは、オランダ東インド会社の日本貿易のことも知っていたようだ。『神学・政治論』には、キリスト教を禁止されていた日本に駐在するオランダ東インド会社社員の話がでてくる。


このように面白い内容の本なのだが、著者の着眼点は素晴らしいものの、確実な証拠がないまま推論のみで結論づけている点が多く見られる。やや牽強付会ではないか、と感じてしまうのだ。

とはいえ、こういう見方もあるのだと知って、フェルメール作品を鑑賞してみるのは、大いに意味あることだろう。フェルメール好きの人はもちろん、そうでない人も読んで損はない1冊だと思う。


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目 次
 はじめに 
第1章 フェルメールが生きた時代、オランダそして日本
第2章 神の光と自然の光、フェルメールとスピノザの交流
第3章 『天文学者』と『地理学者』の世界
第4章 フェルメールのフォルモロジー研究
第5章 オランダとフェルメール

 

著者プロフィール
田中英道(たなか・ひでみち) 
1942年生まれ。歴史家、美術史家、東大文学部卒、ストラスブール大学Phd. 東北大学名誉教授、ローマ、ボローニャ大学客員教授。 主な著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史』(育鵬社)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社)いずれも欧語版、『芸術国家 日本のかがやき』『高天原は関東にあった』『日本の起源は日高見国にあった』『天孫降臨とは何であったのか』『日本人を肯定する』『邪馬台国は存在しなかった』(勉誠出版)他多数。



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2014年4月7日月曜日

書評『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)― 出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史



日本でも観光地としてはもちろん、テーマとしても人気の高いヴェネツィアだが、活字印刷による出版がビジネスとして花開いたヴェネツィアを描いたこの歴史ノンフィクション作品は、ヴェネツィアをみる新たな視点を提供してくれる。ヴェネツィア共和国は、出版ビジネスの中心であったのだ。

『そのとき、本が生まれた』という日本語版タイトルの巧みさに引きつけられて読み始めたが、じつはヴェネツィア共和国の歴史なのだとわかり、「うれしい誤算」を喜びながら最後まで読んだ。なぜなら、わたしは本好きではあるが、それに劣らず旅好きであり、しかもヴェネツィア好きでもあるからだ。

これまでヴェネツィアは二度訪問している。最初はウィーンから直通夜行列車で、二度目はスロヴェニアの首都リュブリャーナから直通列車で入った。ともにかつてのハプスブルク帝国ゆかりの地であるが、駅から一歩出て目に飛び込んできた運河に驚いた初回は、とくに強く印象に刻まれている。
    
イタリア語の原題は、L'alba dei Libri. Quando Venezia ha fatto leggere il mondo (2012)。つい最近でたばかりの本である。直訳すれば、『本の夜明け:ヴェネツィアが世界を読んだとき』とでもなろうか。著者はヴェネツィア(Venezia)生まれ。ヴェネツィア大学で地元のヴェネト(Veneto)地方の歴史を専攻した週刊誌ニュース責任者。その意味では地方史あるいは地域史でもあるわけだ。




なぜ15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国に出版ビジネスが確立し、欧州の一大中心地となったのか? そしてどんなタイトルの本が出版され、ヴェネツィア共和国内、そしてで欧州全土で流通し、さらには地中海世界やその他の輸出されていたのか? 知的好奇心を大いに刺激してくれる内容である。


■「16世紀メディア革命」の担い手はヴェネツィアであった

本書は、活字印刷による出版業の産業史であり、情報史であり文化史でもある。書籍、出版、印刷業、情報、貿易、商業史、経済史、産業史、文化史、ヴェネツィア、経済覇権、メディア革命と、さまざまな観点からカレイドスコープのようにヴェネツィアの黄金時代を振り返る。

ヴェネツィアには、豊富な資本、商業ネットワーク、そして世界各国から人とモノが集まる港湾都市ならではの言論の自由があった。出版が成功するための要素が揃っていたのだ。出版ビジネスは、その本質において印刷機と金属活字への固定資産投資をともなう印刷業であり、かつ商品としての知識と情報を商う情報産業でもあった。どうやらこの時代には分業モデルは存在しなかったようだ。

ヴェネツィアで出版ビジネスが繁盛したのは、ヴェネツィアが海洋国家で貿易を中心とした商業国家であったことが大きい。つまり、海運と海軍力を必要とする国家であり、文字通り海外に雄飛するという進取の気性というマインドセットと「実学」が背景にあったことが大きい。

だからヴェネツィアで出版された本は、現在の日本と同様に実用書が多いというのも十分にうなづける話である。本書にはトピックとしての聖書印刷やヘブライ語のタルムードやアラビア語のコーラン印刷の話もでてくるが、出版点数が多かったのは軍事関係、医学書に美容書、料理本、そして楽譜といった実用書であった。

活版印刷の発明とメディア革命というと、どうしても15世紀ドイツのグーテンベルクの名前ばかりがでてくる。だが、実際に印刷を印刷業として、そしてその発展形である出版業として確立し、ヨーロッパ世界で覇権を握ったのは16世紀、すなわち近世(=初期近世)に入ってからのヴェツィア共和国である。だから「16世紀メディア革命」はヴェネツィアが担い手であり、その中心地であったというほうが正確なのだ。


■「東方への窓」であった海港都市国家ヴェネツィア

ヴェネツィアというと、現在の日本では観光地以外で話題になるのは、「ヴェネツィア国際映画祭」や「ヴェネツィア・ビエンナーレ」といった文化面でのイベントであろう。北野武監督など日本人も含めたアジア人アーチストが受賞することも多いこれらのイベントは、ヴェネツィアが「東方への窓」であった時代をほうふつさせるものがある。

欧州における経済と文明の中心が南部から北部にシフトし、海洋国家ヴェネツィアは英国に取って代わられるが、全盛期には欧州大陸内では中東欧、地中海ではクレタ島を領有し、商業ネットワークはオスマン・トルコやコーカサスまで及んでいたのである。

1453年のコンスタンティノープル陥落による東ローマ帝国(=ビザンツ帝国)滅亡により、ギリシア語をつかう知識人たちがヴェネツィアに亡命してきたが、ヴェネツィアの後背地にあるパドヴァ大学を活性化し、その結果ルネサンスで復興したギリシア・ラテンの古典が印刷出版される。1492年のレコンキスタによってスペインから追放されたユダヤ人はヴェネツィアに定住し、その地でヘブライ語の聖書とタルムードを印刷出版する。アラビア語の活字でコーランを印刷し輸出しようとしていた(!)というのも興味深い。

だが、教皇庁のおひざ元ローマで1542年にはじまった「異端審問」はヴェネツィアにも及び、禁書リストの作成と焚書も行われたのは、一時的とはいえヴェネツィアの出版ビジネスには打撃となったようだ。

アドリア海をはさんだ対岸のバルカン半島のセルビア人はセルビア語の、コーカサスのアルメニア人はアルメニア語の宗教文書をヴェネツィアで出版し、世界に散らばるエスニックコミュニティ向けに輸出していた。なんと1792年からソ連崩壊の1992年まで200年にわたり、ヴェネツィアがアルメニア語出版の中心地だった(!)のである。

本書は、ヴェネツィア好きの日本人読者向けに書かれたものではないので、やたら登場する日本人になじみのない固有名詞がわずらわしいかもしれない。イタリア人の名前は長ったらしいのだ。また、数字が異様にまで細かいので、文化史というよりも商業史としての要素もつよい。

本好きだが小説など文学作品しか読まないような人はすこし面食らうかもしれない。本書に登場するのはピエトロ・アレティーノのポルノ作品だけだから(笑)

だが、本が好きなら、しかもヴェネツィアが好きなら、もう言うことはない一冊である。翻訳もこなれていて読みやすい。


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目 次

第1章 本の都、ヴェネツィア
第2章 出版界のミケランジェロ、アルド・マヌーツィオ
第3章 世界初のタルムード
第4章 消えたコーラン
第5章 アルメニア語とギリシャ語
第6章 東方の風
第7章 世界と戦争
第8章 楽譜の出版
第9章 体のケア-医学、美容術、美食学
第10章 ピエトロ・アレティーノと作家の誕生
第11章 衰退、最後の役割、終焉
訳者あとがき
註
参考文献

 
著者プロフィール

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ(Alessandro Marzo Magno)
ヴェネツィア生まれ。ヴェネツィア大学でヴェネト史を専攻。週刊誌『ディアーリオ』の海外ニュース担当責任者として活躍中。おもな著書に、La guerra dei dieci anni. Jugoslavia 1991-2001 (10年戦争・ユーゴスラビア1991-2001)、Atene 1687. Venezia, i turchi e la distruzione del Partenone(アテネ 1687 ヴェネツィア、オスマントルコ、パルテノンの破壊)などがある。現在ミラノ在住(出版社サイトより)。

訳者プロフィール

清水由貴子(しみず・ゆきこ)
東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業。翻訳家。おもな訳書に、セルヴェンティ、サバン『パスタの歴史』(原書房)、カッリージ『六人目の少女』(早川書房)、ウェイクフィールド『早送りの人生 愛につつまれた最後の日々』(ソフトバンククリエイティブ)、シャーウィン『ドリーム・チーム  佐々木、イチロー、長谷川のマリナーズ2002』(朝日新聞出版)などがある(出版社サイトより)。


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■本についての本

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

書評 『脳を創る読書-なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか-』(酒井邦嘉、実業之日本社、2011)-「紙の本」と「電子書籍」については、うまい使い分けを考えたい

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!


■水の都ベニス(=ヴェネツィア)

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)


■ヴェネツィアにおける出版物と「16世紀メディア革命」

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・「異端審問」によって焚書となったエラスムスの『痴愚神礼讃』

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!
・・ヴェネツィア人マルコー・ポーロの『東方見聞録』(・・しかも、ヴェネツィア1626年バージョン)が東洋文庫に所蔵されている。写真あり

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?


■人類史におけるヴェネツィア共和国

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと
・・アメリカを代表する歴史学者マクニールのヴェネツィア史

盧溝橋事件(1937年7月7日)から77年-北京の盧溝橋が別名マルコポーロ橋ということを知るとものの見方が変わってくるはずだ
・・13世紀のヴェネツィア人マルコ・ポーロ

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう
・・当時ヴェネツィア共和国領であったクレタ島生まれのエル・グレコ

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・オスマントルコとの交易拠点であったヴェネツィア

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する


■「東方への窓」であったヴェネツィア

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・クレタ島は長期にわたってヴェネツィア共和国領であった。その時代に生まれてスペインのトレドで活躍したのが画家のエル・グレコ(=ギリシア人)である

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・レバント(東地中海)のキリスト教とイスラーム

(2014年7月14日 情報追加)


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2010年6月19日土曜日

書評『オランダ風説書 ― 「鎖国」日本に語られた「世界」』(松方冬子、中公新書、2010)― 本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」




 情報と貿易を軸にした関係であった江戸時代の日蘭関係。

 日本とオランダという、現在でも実利優先のプラクティカルな傾向の強い二国民の関係を「オランダ風説書」の解読成果をもとに、時系列で通観した本書『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」』(松方冬子、中公新書、2010)はじつに面白い。

 本書の特徴は、海外商品と海外情報を必要とした日本側(=江戸幕府)だけでなく、商品の販売先としての日本市場を独占するために情報を徹底的に活用したオランダ側(=オランダ東印度会社、のちにオランダ東インド政庁)の状況を十二分に押さえたうえの、実に読みやすく、実に興味深い内容の日蘭関係史となっている。

 戦国時代を生き抜いて成立した江戸幕府は、現在の東南アジア海域を舞台にした欧州勢力の動きをつねにモニターしていた。

 武力ではとうてい欧州勢力に対抗し得ないことを熟知していたために実行した「鎖国」なわけだが、「戦わずして勝つ」ために海外情報を必要としていたのである。

 この点はもっと知られてよいことだ。しかも、様々なソースからの海外情報を付き合わせて、クロスチェックも行っていたようだ。

 江戸時代の日本は、朝鮮との「対馬口」、琉球との「薩摩口」、アイヌとの「松前口」、それにオランダ、シャム、清との窓口であった「長崎口」の「四つの口」による「管理貿易」体制が実態であった。だから「鎖国」とあくまでもカッコ書きとなる。そのなかでも、長崎だけは江戸幕府が直接管理していたのは、九州の諸大名のチカラを恐れていたからであり、西洋との窓口を一本化するためであった。

 当時のオランダは、世界最古の株式会社といわれる「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、最盛期は意外と短く、覇権は英国に奪われる。

 アジアが天下泰平を楽しんでいた間には欧州は激動期に入り、19世紀初頭には欧州の激動によりついにオランダは一時的に欧州の地図から消える。

 欧州によるアジアの植民地化が本格的に進行するなか、ついに米国主導により日本は「開国」、以後グローバル政治経済の波に再び飲み込まれた日本にとって、オランダ情報の価値は激減し、ついに「オランダ風説書」は廃止される。そして日本は明治維新を迎えることになる。

 日本とオランダの関係だけでなく、本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい。


(国立歴史民俗博物館の常設展示より江戸時代の日蘭関係)


<初出情報>

■bk1書評「日本とオランダの関係だけでなく、本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい」投稿掲載(2010年6月7日)
■amazon書評「本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい」投稿掲載(2010年6月7日)



 
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 <書評への付記>

 いよいよ本日、FIFAワールドカップサッカー「日本 vs. オランダ戦」。欧州のスポーツ大国オランダは、もちろんサッカーでも強豪。

 日本とオランダの関係は、江戸時代の良好(?)な関係だけではない。大東亜戦争において、日本が蘭領インドネシアを軍事占領し、日本の敗戦後も「インドネシア独立」に日本人が多数関与したことが、長く尾を引いていたことは記憶しておくべき。

 また、南アフリカの白人には、オランダ系のブール人(ボーア人)が多い。

 とはいえサッカーはサッカー、ピッチでは実力がモロにでる。結果は・・・


P.S.
オランダ戦での敗戦。私の予想は3-1でオランダの勝利だったが、1-0で終わった。どうも、オランダは本気出さずに、体力消耗を避けていたように思われた。日本も攻めの姿勢は最後まであったのだが・・・posted at 22:54:04(twitter)


<関連サイト>

日蘭交流の歴史 (オランダ大使館・オランダ総領事館) (日本語)
・・400年に及ぶ二国間関係の歴史が詳細に記されている

江戸時代の日蘭交流 (国立国会図書館 電子展示館 2009年)
・・「第1部 歴史をたどる」「第2部 トピックで見る」 国会図書館の豊富な蔵書をもとにした電子展示館

(2016年2月24日 項目新設)


<ブログ内関連情報>

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・フェルメールとスピノザをつなぐものは光学レンズであった

政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!
・・オランダのプロテスタント漁民による捕鯨業進出の話が触れられている

書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・17世紀オランダの「バブル経済」

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・・オランダの先進植物工場モデル。

書評 『中国市場で成功する人材マネジメント-広汽ホンダとカネボウ化粧品中国に学ぶ -』(町田秀樹、ダイヤモンド社、2010)
・・・グローバルビジネスの原型である「オランダ東インド会社」についての記述あり

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史

書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009)
・・・オランダからの「インドネシア独立」に関与した日本人たち

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

(2014年1月18日 情報大幅追加)


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