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2025年8月4日月曜日

書評『明治維新という物語 ― 政府が創る「国史」と地域の「記憶」』(宮間純一、中公新書、2025)― アーカイブの確立を断念し「維新史観」の一元化を実現できなかった失敗がオルタナティブな「郷土史」を生み出すことになった

 

『明治維新という物語 ー 政府が創る「国史」と地域の「記憶」』(宮間純一、中公新書、2025)という本を読んだ。この本は面白い。ある種の盲点を突いた内容の本である。  

この本が新刊として出版されたのは、ことし2025年の5月のことだが、どうせまた「明治維新物語」の類いかと思って黙殺していた。この手の本は山ほどあるからね。 

先週のことだが、リアル書店の店頭でこの本を手に取ってパラパラめくってみたら、どうやらその手の本ではないようだとわかった。しかも、第5章では佐倉藩が取り上げられているではないか! 

幕末に老中まで出した大藩であったのにかかわらず、佐倉藩にかんしては、意外と専門家以外の一般人が読めるような本が少ないのだ。わたしがいま住んでいる船橋は幕府直轄領であったが、その東隣が佐倉藩だった。 

というわけで、さっそく購入して読み始めたら、これが面白い。明治維新政府の公式な「国史」という歴史語りとは微妙に異なる、地域独自の視点からみた「記憶」にもとづく歴史語りについて検証した内容の本である。 

検証の対象になっているのは5つのケースである。①笠間藩の「志士」たちたち、②四境の役と周防大島、③飯能戦争、④秋田大館の戊辰戦争、⑤旧佐倉藩主堀田家と「開国」。 

分析の視点については、章ごとのタイトルに検証の視点が示されている。それぞれ、①記憶/忘却される者、②讃えられる業績、③塗り替えられる記憶、④中田家の記録、⑤創られる記憶、である。 

なぜ「国史」と「記憶」のあいだに微妙な、あるいは大きな違いがでてくるのか? 

それは歴史というものが、つねに「いまを生きる人」による主体的な解釈であり、その人の立ち位置によって、そしてまた生きている時代環境によって、異なる語りが生まれてくるからである。 

さらに明治維新に限定していえば、その根本理由は、「維新革命」によって誕生した明治維新政府が、中央政府であるにもかかわらず、アーカイブ(=文書館)による情報一元化を実現できなかったことにある。 「維新史観」すなわち「革命史観」が徹底しきれない余地を残したことを意味している。

だが、そのおかげで大量の文書が破棄されることなく、地域に残されることになった。関係文書はいまだすべてが収集されつくされたわけではなく、しかもバラバラに所蔵されている未発見文書も多数ある。このなかには顕彰碑など石碑もふくめるべきだろう。 

これが「フランス革命」を体験した「中央集権国家フランス」との大きな違いなのだ。中央集権制度をフランスに学んだ「近代日本」であったが、公的なアーカイブの確立に失敗したがゆえに、逆に「郷土史」というオルタナティブな無数の語りを生み出すことになったのだ。 

フランスでは、ルペンの極右政党といえども、大衆政党化のためには「共和国の公的な語り」に反する言説はできないことが、『ルペンと極右ポピュリズムの時代 〈ヤヌス〉の二つの顔』(渡邊啓貴、白水社、2025)という本を読むとよくわかる。それほど、フランス革命史論は、フランスでは絶対的なのだ。

関係文書が一元的に管理されていないことは、日本史の専門研究者にとって利用が困難だという問題もある。だが、一方では、まだまだ発掘されていない文書が埋もれているわけであり、公的な語りとは異なる歴史が書かれる余地があることを示している。 

ケーススタディとして取り上げられた地域に住む人は、それぞれ郷土史あるいは地域史と自分史を重ね合わせて読む楽しみもあることだろろう。 そうではなくても、自分が生まれ、あるいは暮らしている地域の歴史語りと、公式な歴史語りとの違いがなぜ生じたのか考える材料にもなるだろう。 

明治維新からすでに150年が経過し、もはや同時代として体験した人が完全に消えた。今後さらに明治維新史の書き換えが進んでいくことであろう。面白い時代になってきた。 


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目 次
はしがき 
序章 明治維新の「記憶」の正体を求めて 
第1章 笠間の「志士」たち―記憶/忘却される者 
第2章 四境の役と周防大島―讃えられる功績 
第3章 飯能戦争―塗り替えられる記憶 
第4章 秋田大館の戊辰戦争―中田家の記録 
第5章 旧佐倉藩主堀田家と「開国」―創られる記憶 
おわりに 書き替えつづける地域の明治維新 
あとがき 
参考文献/関連年表

著者プロフィール
宮間純一(みやま・じゅんいち)
1982年、千葉県生まれ。2005年、中央大学文学部史学科卒業。2012年、中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期課程修了。博士(史学)。宮内庁書陵部研究員などを経て、2016年、国文学研究資料館准教授、2018年、中央大学文学部准教授、2022年より同教授。専攻/日本近代史・明治維新史・アーカイブズ学。



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2017年8月3日木曜日

「私鉄沿線」からアプローチする「日本近現代史」― 永江雅和教授による姉妹作 『小田急沿線の近現代史』(2016年)と『京王沿線の近現代史』(2017年)を読む



日本では一般的に「私鉄」とは生活路線であり、中核都市から放射状に伸びた路線の沿線、すなわち郊外に居住する住民や学生が通勤や通学などの日常的利用が主目的の鉄道路線である。

その沿線の住人や沿線に勤務地や学校などない限り、その私鉄に乗ることもない。わざわざ「乗り鉄」として乗りに行く人も少ないだろう。したがって、その路線の利用者でないとあまり関心がない
のは当然だ。

東京であれ大阪であれ、またその他の中核都市であれ、その中核都市を起点に放射状に拡がっていくのが私鉄だ。東京の場合は、南は東京湾になるので、基本的に東西方向が多い。小田急線や京王線や西武線のように西方向に、京成線のように東方向にいく路線である。北方向に向かう東武線だ。

専修大学経済学部の永江雅和教授からいただいたのが、小田急線と京王線の「沿線史」だ。タイトルはそれぞれ、『小田急沿線の近現代史』(永江雅和、クロスカルチャー出版、2016) と 『京王沿線の近現代史』永江雅和、クロスカルチャー出版、2017)。姉妹本である。

この2冊の「姉妹本」は、「地域史」とは重なる面もあるが、それとは異なるカテゴリーというべきかもしれない「沿線史」といった観点から「日本近現代史」を描いたものだ。経済史の観点からみた、「鉄道史」であり「沿線開発史」となる。

著者の永江教授が教鞭をとっている専修大学は「小田急沿線」に立地している。歴史に関心のない大学生の興味を引き出すために行っている講義を書籍化したものだそうだが、小田急を利用している人には面白い内容だと思う。パラレルに東西方向を走っている京王線もまた。

構成もまた工夫されていて、小田急線は始発の新宿駅から終点の小田原駅まで、京王線は始発の渋谷駅から終点の高尾駅まで、沿線にそって話が展開する。各駅停車の旅みたいなスタイルは、内容にはよくフィットしているといえる。ビデオ化するといいかもしれない。

鉄道ファンには、「乗り鉄」や「撮り鉄」などさまざまな形があるが、「読み鉄」といった楽しみがあってもいいのかもしれない。「日本鉄道史」は「日本近現代史」そのものだし、「沿線開発」もまたそうだからだ。

西武鉄道と東急電鉄については、その創業者たちがアクの強い起業家であったこともあり、作家の猪瀬直樹氏による1980年代に出版されたノンフィクション作品が、それぞれ『ミカドの肖像』『土地の神話』として、もはや古典的作品となっているが、おなじく新宿・渋谷から東京西郊にむけて放射状に路線を広げていった小田急電鉄と京王線の沿線開発しについては見るべきものがなかった。

永江教授による小田急線と京王線の「沿線史」は、その意味では補完的となる意味合いももっているので興味深く読んだ。fあえていえば、小田急線のほうが京王線より面白いというのが正直な感想だ。これは小田急の創業経営者の個性や、電力事業や民間デベロッパーとしての性格によるものも大きい。

小田急線あるいは京王線の沿線住民や通勤通学で使用している人にとっては興味深い内容だと思う。電車の車両のデザインを書籍のカバーにしているのも面白い。


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●『小田急沿線の近現代史(CPCリブレ no.5 エコーする「知」)』(永江雅和、クロスカルチャー出版、2016)

目 次

第1章 私鉄経営と沿線開発-「阪急モデル」と小田急
第2章 「副都心」新宿の形成と駅ビル建設
第3章 「ファッションの街」渋谷と代々木公園
第4章 世田谷の耕地整理と「学園都市」成城の建設
第5章 狛江市と「雨乞い事件」
第6章 生田村騒動と向ヶ丘遊園
第7章 駅前団地と多摩ニュータウン
第8章 町田の「三多摩壮士」と玉川学園
第9章 「軍都」相模原・座間と林間都市計画
第10章 海老名と厚木の駅前開発
第11章 大山・丹沢の観光と小田急
第12章 小田原・箱根の観光と交通 あとがき、関連年表、参考文献
あとがき
関連年表・参考文献


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●『京王沿線の近現代史 (CPCリブレ― no.6 エコーする「知」)』(永江雅和、クロスカルチャー出版、2017)

目 次

第1章 京王沿線の歴史を知るためのキーワード
第2章 副都心新宿の形成と京王線
第3章 玉川上水沿いを走る京王線-渋谷区旧代々幡村地域の事例
第4章 近郊農村から高級住宅地へ-京王線と世田谷の風景
第5章 環状鉄道の夢の跡-帝都電鉄から井の頭線へ
第6章 「東洋のハリウッド」-京王線と調布市
第7章 南下する玉南電鉄-府中市と京王線
第8章 聖蹟とニュータウン-京王線と多摩市
第9章 稲田堤の桜と多摩丘陵の開発-相模原線と川崎市・稲城市
第10章 動物園がやってきた-日野市と京王線
第11章 御陵線から高尾線へ-京王線と八王子市
あとがき
関連年表・参考文献


著者プロフィール
 
1970年生まれ。専修大学教授。一橋大学経済学部卒、同大経済学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(経済学)。『食料供出制度の研究』日本経済評論社、2013年。『小田急沿線の近現代史』クロスカルチャー出版、2016年。((本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

「私鉄沿線」(野口五郎、1975年)(YouTube)
・・演歌調のヒット曲

小田急電鉄 公式サイト

京王グループ 公式サイト


<ブログ内関連記事>

書評 『鉄道王たちの近現代史』(小川裕夫、イースト新書、2014)-「社会インフラ」としての鉄道は日本近代化」の主導役を担ってきた
・・鉄道史を読むという、「読み鉄」という楽しみ方もあっていいのかなと思う」

書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)-「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じた 
・・「読み鉄」のためのはずせない一冊

書評 『京成電鉄-昭和の記憶-』(三好好三、彩流社、2012)-かつて京成には行商専用列車があった!

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る

"世界最小の大仏"を見に行ってきた・・そしてついでに新京成線全線踏破を実行

「企画展 成田へ-江戸の旅・近代の旅-(鉄道歴史展示室 東京・汐留 )にいってみた・・神社仏閣参詣客の輸送需要に目を付けた鉄道事業者たち

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・東京西郊へ伸びる私鉄路線の出発点としての新宿=代々木地域

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる

書評 『「大学町」出現-近代都市計画の錬金術-』(木方十根、河出ブックス、2010)-1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは? 
・・「くにたち大学町」は「大学町」の代表例

「東京は、民間デベロッパーのビジネスとして宅地分譲と一体型の開発が行われたのに対し、阪神では鉄道会社がミッションスクールを誘致して大学を育成しながら大学町のブランディングを重視した姿勢、大阪は大阪商大(現在の大阪市立大学)が大阪市の都市計画の一環として計画されたのだと著者は整理している。大学町は学園都市ともいうが、東京の東急沿線に形成された大学町は学園都市というべきかもしれない。田園都市との類比を想起するからだ。

(2017年8月10日 情報追加)


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2014年4月7日月曜日

書評『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)― 出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史



日本でも観光地としてはもちろん、テーマとしても人気の高いヴェネツィアだが、活字印刷による出版がビジネスとして花開いたヴェネツィアを描いたこの歴史ノンフィクション作品は、ヴェネツィアをみる新たな視点を提供してくれる。ヴェネツィア共和国は、出版ビジネスの中心であったのだ。

『そのとき、本が生まれた』という日本語版タイトルの巧みさに引きつけられて読み始めたが、じつはヴェネツィア共和国の歴史なのだとわかり、「うれしい誤算」を喜びながら最後まで読んだ。なぜなら、わたしは本好きではあるが、それに劣らず旅好きであり、しかもヴェネツィア好きでもあるからだ。

これまでヴェネツィアは二度訪問している。最初はウィーンから直通夜行列車で、二度目はスロヴェニアの首都リュブリャーナから直通列車で入った。ともにかつてのハプスブルク帝国ゆかりの地であるが、駅から一歩出て目に飛び込んできた運河に驚いた初回は、とくに強く印象に刻まれている。
    
イタリア語の原題は、L'alba dei Libri. Quando Venezia ha fatto leggere il mondo (2012)。つい最近でたばかりの本である。直訳すれば、『本の夜明け:ヴェネツィアが世界を読んだとき』とでもなろうか。著者はヴェネツィア(Venezia)生まれ。ヴェネツィア大学で地元のヴェネト(Veneto)地方の歴史を専攻した週刊誌ニュース責任者。その意味では地方史あるいは地域史でもあるわけだ。




なぜ15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国に出版ビジネスが確立し、欧州の一大中心地となったのか? そしてどんなタイトルの本が出版され、ヴェネツィア共和国内、そしてで欧州全土で流通し、さらには地中海世界やその他の輸出されていたのか? 知的好奇心を大いに刺激してくれる内容である。


「16世紀メディア革命」の担い手はヴェネツィアであった

本書は、活字印刷による出版業の産業史であり、情報史であり文化史でもある。書籍、出版、印刷業、情報、貿易、商業史、経済史、産業史、文化史、ヴェネツィア、経済覇権、メディア革命と、さまざまな観点からカレイドスコープのようにヴェネツィアの黄金時代を振り返る。

ヴェネツィアには、豊富な資本、商業ネットワーク、そして世界各国から人とモノが集まる港湾都市ならではの言論の自由があった。出版が成功するための要素が揃っていたのだ。出版ビジネスは、その本質において印刷機と金属活字への固定資産投資をともなう印刷業であり、かつ商品としての知識と情報を商う情報産業でもあった。どうやらこの時代には分業モデルは存在しなかったようだ。

ヴェネツィアで出版ビジネスが繁盛したのは、ヴェネツィアが海洋国家で貿易を中心とした商業国家であったことが大きい。つまり、海運と海軍力を必要とする国家であり、文字通り海外に雄飛するという進取の気性というマインドセットと「実学」が背景にあったことが大きい。

だからヴェネツィアで出版された本は、現在の日本と同様に実用書が多いというのも十分にうなづける話である。本書にはトピックとしての聖書印刷やヘブライ語のタルムードやアラビア語のコーラン印刷の話もでてくるが、出版点数が多かったのは軍事関係、医学書に美容書、料理本、そして楽譜といった実用書であった。

活版印刷の発明とメディア革命というと、どうしても15世紀ドイツのグーテンベルクの名前ばかりがでてくる。だが、実際に印刷を印刷業として、そしてその発展形である出版業として確立し、ヨーロッパ世界で覇権を握ったのは16世紀、すなわち近世(=初期近世)に入ってからのヴェツィア共和国である。だから「16世紀メディア革命」はヴェネツィアが担い手であり、その中心地であったというほうが正確なのだ。


「東方への窓」であった海港都市国家ヴェネツィア

ヴェネツィアというと、現在の日本では観光地以外で話題になるのは、「ヴェネツィア国際映画祭」「ヴェネツィア・ビエンナーレ」といった文化面でのイベントであろう。北野武監督など日本人も含めたアジア人アーチストが受賞することも多いこれらのイベントは、ヴェネツィアが「東方への窓」であった時代をほうふつさせるものがある。

欧州における経済と文明の中心が南部から北部にシフトし、海洋国家ヴェネツィアは英国に取って代わられるが、全盛期には欧州大陸内では中東欧、地中海ではクレタ島を領有し、商業ネットワークはオスマン・トルコやコーカサスまで及んでいたのである。

1453年のコンスタンティノープル陥落による東ローマ帝国(=ビザンツ帝国)滅亡により、ギリシア語をつかう知識人たちがヴェネツィアに亡命してきたが、ヴェネツィアの後背地にあるパドヴァ大学を活性化し、その結果ルネサンスで復興したギリシア・ラテンの古典が印刷出版される。1492年のレコンキスタによってスペインから追放されたユダヤ人はヴェネツィアに定住し、その地でヘブライ語の聖書とタルムードを印刷出版する。アラビア語の活字でコーランを印刷し輸出しようとしていた(!)というのも興味深い。

だが、教皇庁のおひざ元ローマで1542年にはじまった「異端審問」はヴェネツィアにも及び、禁書リストの作成と焚書も行われたのは、一時的とはいえヴェネツィアの出版ビジネスには打撃となったようだ。

アドリア海をはさんだ対岸のバルカン半島のセルビア人はセルビア語の、コーカサスのアルメニア人はアルメニア語の宗教文書をヴェネツィアで出版し、世界に散らばるエスニックコミュニティ向けに輸出していた。なんと1792年からソ連崩壊の1992年まで200年にわたり、ヴェネツィアがアルメニア語出版の中心地だった(!)のである。

本書は、ヴェネツィア好きの日本人読者向けに書かれたものではないので、やたら登場する日本人になじみのない固有名詞がわずらわしいかもしれない。イタリア人の名前は長ったらしいのだ。また、数字が異様にまで細かいので、文化史というよりも商業史としての要素もつよい。

本好きだが小説など文学作品しか読まないような人はすこし面食らうかもしれない。本書に登場するのはピエトロ・アレティーノのポルノ作品だけだから(笑)

だが、本が好きなら、しかもヴェネツィアが好きなら、もう言うことはない一冊である。翻訳もこなれていて読みやすい。


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目 次

第1章 本の都、ヴェネツィア
第2章 出版界のミケランジェロ、アルド・マヌーツィオ
第3章 世界初のタルムード
第4章 消えたコーラン
第5章 アルメニア語とギリシャ語
第6章 東方の風
第7章 世界と戦争
第8章 楽譜の出版
第9章 体のケア-医学、美容術、美食学
第10章 ピエトロ・アレティーノと作家の誕生
第11章 衰退、最後の役割、終焉
訳者あとがき

参考文献

 
著者プロフィール

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ(Alessandro Marzo Magno)
ヴェネツィア生まれ。ヴェネツィア大学でヴェネト史を専攻。週刊誌『ディアーリオ』の海外ニュース担当責任者として活躍中。おもな著書に、La guerra dei dieci anni. Jugoslavia 1991-2001 (10年戦争・ユーゴスラビア1991-2001)、Atene 1687. Venezia, i turchi e la distruzione del Partenone(アテネ 1687 ヴェネツィア、オスマントルコ、パルテノンの破壊)などがある。現在ミラノ在住(出版社サイトより)。

訳者プロフィール

清水由貴子(しみず・ゆきこ)
東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業。翻訳家。おもな訳書に、セルヴェンティ、サバン『パスタの歴史』(原書房)、カッリージ『六人目の少女』(早川書房)、ウェイクフィールド『早送りの人生 愛につつまれた最後の日々』(ソフトバンククリエイティブ)、シャーウィン『ドリーム・チーム  佐々木、イチロー、長谷川のマリナーズ2002』(朝日新聞出版)などがある(出版社サイトより)。


<ブログ内関連記事>

本についての本

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

書評 『脳を創る読書-なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか-』(酒井邦嘉、実業之日本社、2011)-「紙の本」と「電子書籍」については、うまい使い分けを考えたい

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!


水の都ベニス(=ヴェネツィア)

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)


ヴェネツィアにおける出版物と「16世紀メディア革命」

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・「異端審問」によって焚書となったエラスムスの『痴愚神礼讃』

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!
・・ヴェネツィア人マルコー・ポーロの『東方見聞録』(・・しかも、ヴェネツィア1626年バージョン)が東洋文庫に所蔵されている。写真あり

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?


人類史におけるヴェネツィア共和国

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと
・・アメリカを代表する歴史学者マクニールのヴェネツィア史

盧溝橋事件(1937年7月7日)から77年-北京の盧溝橋が別名マルコポーロ橋ということを知るとものの見方が変わってくるはずだ
・・13世紀のヴェネツィア人マルコ・ポーロ

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう
・・当時ヴェネツィア共和国領であったクレタ島生まれのエル・グレコ

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・オスマントルコとの交易拠点であったヴェネツィア

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する


「東方への窓」であったヴェネツィア

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・クレタ島は長期にわたってヴェネツィア共和国領であった。その時代に生まれてスペインのトレドで活躍したのが画家のエル・グレコ(=ギリシア人)である

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・レバント(東地中海)のキリスト教とイスラーム

(2014年7月14日 情報追加)


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