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2010年4月30日金曜日

本の紹介 『「空気読み」企画術-「消費者の隠れたニーズ」を見つけ出す-』(跡部 徹、日本実業出版社、2010)の紹介




「企画術」とは「人を動かす方法論」のことである

 たしかに昔にくらべるとモノを売りにくい時代になっている。そういわれ始めてからすでに20年近くたっているような気もする。経済的な先行き不安があって財布のヒモが固いというわけでもない。モノがあふれ、特にほしいものもないからだ。しかも、消費者自身も何がほしいのか本当のところよくわかっていない。
 そんな状況に、消費者が無意識に思っていたこと、意識はしていてもコトバにして表現できなかったことを満たす商品やサービスがでてくると、「そうそうこういうのが欲しかったんだ」ということになる。
 つまり、消費者自身がなんとなく思っていても、コトバにはしていなかった無意識の領域にさぐりを入れて、そこから解決策を見いだす企画を打ち出すことができれば、突破口が開けないわけではないのだ。
 しかしこの企画をどうたてるか、これはそう簡単なことではない。

 そんな企画案を考えなければならなくなったビジネスパーソンに対して、これ一冊でわかる企画術の入門本がないかと聞かれれば、本書を推薦したいと思う。R+(レビュープラス)からの献本をいただいて存在を知った本である。
 しかも、もちろん仕掛けを考えるのはビジネスパーソンだけではない。ある意味ではすべての人にとって企画力の有無が大きな違いを生み出す時代になってきている。 
 世の中にはすでに企画術の本はあふれかえっているのだが、一般消費者向けの新商品やサービスの企画を業務としていないフツーのビジネスパーソンには、必ずしも読んですぐに理解できて、しかも実践に移せるという内容の本は必ずしも多くないからだ。
 本書は、誰でも読んで納得できる、非常にわかりやすい本である。

 「空気読み」というタイトルは賛否両論を引き起こしやすい(・・しかも著者は自分が経営する会社の社名にまでしている!)。私も最初このタイトルをみて、ちょっとした違和感を感じたが、内容はしごくまっとうな手法で、企画術のトレーニング方法とフレームワークの使い方について無理なくロジカルに解説を行っている。「空気読み」というタイトルで読者を関心を喚起するというタイトルづけも、本書の企画自体がすぐれた企画となっていることの証拠であろう。
 本書の特徴は、企画から商品化までの期間(リードタイム)に応じて、ユーザーのニーズを表層から深層まで階層化し、「隠れたニーズ」を発見するための思考の整理方法と具体的なアイデア出しのための手法、そして企画案をつくってプレゼンするまでの一連のプロセスをわかりやすく説明していることにある。
 本書は奇をてらった内容の本ではない。誰にでもマネのできる手法であるから安心してよい。

 目次を紹介しておこう。

第1章 なぜ、「空気読み」でいい企画が作れるのか?
第2章 空気が読める「発見体質」に変わるトレーニング
第3章 誰でもヒットメーカーになれる「空気読み」の技術
第4章 関係者のメリットを描き企画に落とし込むフレームワーク
第5章 企画をみんなに理解させ人を巻き込むプレゼン術

 まずは、著者のいうことにしたがって素直に受け止めて、自分でも再現することから始めてみればいいだろう。フレームワークというのはそのために存在するものだ。
その後、慣れてきたら、自分なりの方法論を確立していけばよいだろう。それが仕事ができる人になるための近道である。

 企画術とは、広い意味で、人を動かす術のことである。 






<著者紹介>

跡部徹(あとべ・とおる)
1974年生まれ。宮城県出身。株式会社空気読み代表。東北大学卒業後、株式会社リクルートで、メディアプロデュースを担当。自動車領域(「カーセンサー」)、通販領域(赤すぐシリーズ「赤すぐ」「妊すぐ」「赤すぐキッズ」)で編集長を歴任。現在は独立し、「消費者の気持ちやトレンドの背景をとらえたアイデア・企画により、儲かる場を運営する」をモットーに、中小企業から大手企業までを対象に、メディアの企画立案・新規事業の立ち上げ支援を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



                  
         

2010年4月28日水曜日

書評 『戦いに終わりなし-最新アジアビジネス熱風録-』(江上 剛、文春文庫、2010)




アジアビジネスへの著者の貪欲な関心と深い洞察力が示された、読み捨てにできない本


 2008年に単行本が出版された本書は、もともと2007年に「文藝春秋」に連載されたものだという。だから、この本に描かれた内容は、すでに3年前のものである。 
 文庫化されたのを機会に、あらためて読み直してみたが、とくに古さを感じなかった。おそらく、この本が情報の新しさだけをウリにしたものではないのがその理由だろう。この3年間に限ってもアジアの変化は激しいものがあるのだが、アジアビジネスの現実に対する一般日本人の関心の低さに、あまり変化がないこともまた、原因の一つかもしれない。
 旧第一勧業銀行銀行(現在みずほ銀行)出身で、支店長経験もあるビジネス小説作家である著者の、アジアビジネスの現場を知りたいという貪欲な関心と深い洞察力が示された本書は、読み捨てにできない内容の濃い本なのだ。

 インド、シンガポール、ベトナム、タイ、韓国、インドネシア、中国・・・。私自身、本書で描かれたすべての国を、本書が執筆されたのと同時期にビジネス目的で訪れているし、とくにタイ王国においては現地法人をたちあげて経営していた経験もあるので、現地事情にはつうじていたつもりだった。しかし、本書を読みながらところどころで出会った著者の洞察力には、おおいに唸らされたものである。何度もギクリとする指摘に出会うことになった。

 たとえばこんな一節がある。

「今も、日本は山田長政だと思う。タイの工業化を進める上での傭兵にすぎない。それならば、それでもいいではないか。ただ傭兵は、いつでもその価値を磨いていなければ捨てられる」(第5章)
(太字強調は引用者による)

 かつて、日本航空(JAL)出身で豊富な海外駐在経験をもつ作家・深田祐介による『東洋事情』が、リアルタイムのアジアビジネスを追いかけてシリーズ化もされていた。しかし、ビジネスの現場を熟知しており、かつ筆力のある作家によるアジアビジネス報告が、その後みられなくなったのを、たいへん残念に思っていた。
 作家・江上剛による本書は、深田祐介のものに勝るとも劣らない作品である。アジアビジネス関連の類書のなかでは、群を抜いた内容である。ぜひシリーズ化してもらえないものだろうか。

 著者は「まえがき」でこういっている。「過去において取引先の経営者たちにまともなアドバイスのひとつもできなかった償いに、私は、アジアを徹底的に見たいと思っていた。まずは、自分の目で現在のアジア市場を直接確かめることで、日本の進むべき道が見えてくるのではないか、と考えたのだ」。
 日本国内とアジア現地との認識ギャップは、自ら現地に身を置くことによって、はじめて肌身をつうじて体感することになる。この文庫本は、必ずやそのための「道しるべ」になるはずだ。

 疑似体験であってもいい。ぜひ一読してアジアビジネスを体感してほしい。


<初出情報>

■bk1書評「アジアビジネスへの著者の貪欲な関心と深い洞察力が示された、読み捨てにできない本」投稿掲載(2010年4月14日)





<ブログ内関連記事>

書評『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)・・必読書!

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編



               

2010年4月26日月曜日

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)




クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール

 2005年11月から2008年9月までの2年10ヶ月、正確には1035日にわたってタイ王国に特命全権大使として赴任していた著者によるメモワールである。
 大使赴任中のタイは、もはやあるまいと思われていたクーデターが発生、その後の軍政を経て、国民投票による新憲法の承認、民政移管と目まぐるしく動いている激動の現代政治の渦中にあった。
 しかし、本書にはクーデターそのものについての記述はあまりない。クーデターそのものよりも、総選挙の無効にともない暫定首相となったタクシン政権の末期から、クーデターによるタクシン追放、クーデターを主導した陸軍が擁立したスラユット首相の政府の承認をめぐる中国との先陣争い、日タイ経済連携協定(=日タイFTA)の署名問題をめぐる舞台裏、そして民政移管、といっためまぐるしく動いていたタイの政治状況と日本の関与について、日本外交の最前線の立場からの回想がつづられている。

 大使の重要な公務には、駐在国の政治家たちを公邸に招待し、昼食や夕食で接遇して歓談しながら、彼らの人となりをじっくり観察するというものがある。 
 正式に招待し、実際に食事をともにしたのは、ワチラロンコーン皇太子夫妻やシリントーン王女をはじめとする王族から、めまぐるしく交代した4人の首相(タクシン、スラユット、サマック、ソムチャイ)、そして1991年の民主化闘争をリードし2008年11月のバンコク空港閉鎖事件に大きな影響を与えたチャムロン、現在に至るまで隠然たる存在感を示している枢密院議長プレームなど、名前は耳にすることはあっても、一般人が直接会って会話する機会などまずない人たちばかりである。
 直接タイの政治を動かしてきたこうした人々の素顔が、会話の内容の一部や声のトーンまで含めて紹介されているのだが、アルコールが入ってリラックスした席での、海千山千のタイ人政治家たちの肉声が実にナマナマしい。息づかいまで聞こえてくるようだ。
 ときには歓談後グッタリしてしまうような経験も数多くしたと著者は率直に本書のなかで漏らしており、そういったことを記述する著者の態度には大いに好感がもてる。機密情報にかかわる記述はいっさいないとはいえ、記録としてはたいへん貴重である。

 私にはとくに、タイの王室にかんする記述が興味深く思われた。クーデター発生前に挙行された最重要イベントである「プーミポン国王即位60周年」と天皇皇后両陛下の訪タイをめぐる皇室外交の舞台裏、大使信任状奉呈式と離任のためホアヒンの離宮で謁見したプーミポン国王の素顔、公邸に正式招待して親しく歓談したワチラロンコーン皇太子の素顔は、非常に興味深く読むことができた。
 なぜなら、タイ国内では王室関連の話は公開情報が限定されているため、とかくタイ人の語る「都市伝説」まがいの尾ひれのついたウワサ話が多く流通し、それがまた在住日本人のあいだでさらに増幅されて、まことしやかに語られていることが少なからずあるからだ。当事者でない以上、真相がどこにあるかはまったくわからないのだが、本書を読むとウワサ話だけで判断することがいかに危険なことであるかを思い知らされるのである。
 ちょうど著者の赴任期間とほぼ重なる時期にバンコクに在住していた私には、たいへん興味深い内容の本であった。

 タイに関係する人だけでなく、タイには観光以上の関心を抱いている人にはおすすめの一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール」投稿掲載(2010年4月19日)
■amzon書評「クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール」投稿掲載(2010年4月19日)


<書評への付記>

 今年3月からタクシン派である「赤シャツ組」がバンコク市内の商業地域やビジネス街を占拠して「場外乱闘」をつづけているが、そのタクシン元首相がクーデターという超法規的手段によって追放されたのが、2006年9月に発生した、もはやあるまいと誰もが思っていたクーデターであった。
 1991年の「流血の5月」の引き金となったクーデター以来15年、タイ王国には民主主義が定着したものだと思い込んでいたのだが、それは大きく裏切られる結果となった。

 タイのクーデターはかつて年中行事のように発生しており、1991年当時の駐タイ日本大使で現在は政治評論家の岡崎久彦氏を中心にまとめられた『クーデターの政治学-政治の天才の国タイ-』(岡崎久彦/横田順子/藤井昭彦、中公新書、1993)で主張されているように、そのほとんどが無血クーデターであり、いわば超法規的な手段による、政治のシャッフル手法として多用されてきた。クーデターが成就すると同時に憲法が停止される。フジモリ政権下のペルーや、エリツィンのロシアでも使用された手法であるが、タイの場合は通常は無血クーデターである。
 国民もまたクーデターに違和感をもたず、非常事態には deus ex machina としての国王による仲介に依存するという「甘えの構造」がタイ国民のあいだに醸成してきたことは否定できない。
 岡崎氏はこれをさして「政治の天才」というのだが、国内的にはいいとしても、現在のようなグローバル経済のもとでは、レピュテーション・マネジメントの観点からいって、クーデターは望ましいものとはいえない。民政移管されるまでのあいだ、欧米のマスコミによってタイはミャンマーと同列に扱われれていた。

 2006年のクーデター後は本書にも書かれているが、軍政のもとスラユット退役陸軍大将による暫定政権が新憲法の国民投票を実行、民政移管までの期間を無事に乗り切った。しかし、軍政期間中は経済運営がうまくいかず、タクシン時代と比べるとビジネスにとって好意的な環境であったとはいいがたい。
 2008年11月には「黄シャツ組」によるバンコク国際空港占拠という非常事態を招く結果となった。小林大使はこの前に離任しているので、空港占拠事件については言及が少ないので補っておく。
 この時もクーデター待望論が国民のあいだからわき上がってきたが、陸軍司令官は軍を動かさず、憲法裁判所による違憲判決によってタクシン派のソムチャイ政権を退陣させるという、「司法によるクーデター」という新手の手法が開発された。
 陸軍司令官のアヌポン陸軍大将はまさに知将というべきで、タクシンとは士官学校で同期生でありながら、きわめて政治的バランス感覚のすぐれた軍人である。
 ただしクーデターが今後まったく起こらないとは断言できない。ラストリゾート(最後の手段)としては、これしかないということになるかもしれない。

 現在も「赤シャツ組」がバンコク市内の占拠をやめておらず、市内各地で爆弾テロも頻発している。しかし、2010年度の第一四半期(Q1)の製造業の業況も、商業銀行の業績も好調である。
 日本のマスコミは勉強不足なため、現地取材による情報がそのままダイレクトに日本で報道されるわけではない。どうしても絵になりやすい情報だけが日本国内で配信されえることになる。
 自分なりの視点で状況分析を行う必要があるのだが、そのためにも、日々の情報に流されることなく(・・もちろん、時々刻々と変化する情報を追うことも必要)、背景についてよく知っておくことが必要である。


<ブログ内関連記事>

書評『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)・・必読書!

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編







                   

 

2010年4月25日日曜日

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)




現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことなのだ

 「複眼思考」を自分自身の「ものの考え方」として身につけて使いこなす方法を、著者自身による教育実践を踏まえて、具体的な方法論として紹介してくれた、日本語では初めて出版された本である。自学自習用のテキストとしても活用できる、「自分のアタマで考える」ための基礎をつくる必読書といってよい。

 本書は、基本的に1996年以前の6年間に当時の大学生(・・それも著者が教えていたのは東大生だ!)に「ものの考え方・・」を教える経験をつうじて生まれた本であり、大学生を主要な読者として設定している。東大生ですら、いや東大生だからこそ、受験勉強でアタマがコチコチになって、思考の柔軟性がなくなっていたようだ。「複眼思考」とは、思考に幅広さと柔軟性をもたらし、創造力の基盤となる「ものの考え方」でもある。
 とはいえ、もちろんビジネスパーソンも読める本であることはいうまでもない。日本の大学教育では、なぜか「ものの考え方」が、方法論として教育されてこなかった。その意味では、大学生だけでなく、ロジカルシンキングを身につけたいビジネスパーソンにとっても必読書といってよいのだ。

 著者による問いかけを自問自答しながら、順番に読み進めてゆくうちに、おのずから「複眼思考」のなんたるかが体得できる、ムリのない構成になっている。

 序章 知的複眼思考法とは何か(知的複眼思考への招待、「常識」にしばられたものの見かた、知ることと考えること)
 第1章 創造的読書で思考力を鍛える(著者の立場、読者の立場;知識の受容から知識の創造へ)
 第2章 考えるための作文技法(論理的に文章を書く、批判的に書く)
 第3章 問いの立てかたと展開のしかた-考える筋道としての問い(問いを立てる、「なぜ」という問いからの展開、概念レベルで考える)
 第4章 複眼思考を身につける(関係論的なものの見かた、逆説の発見、「問題を問うこと」を問う)


 1996年に単行本初版がでてからすでに15年近く、2002年に文庫化されてからもロングセラーをつづけている本書だが、著者が「あとがき」にも書いているように、1995年のオウム事件に際して「複数の視点からものごとをとらえていくことの重要性、そしてまたそれをなるべく広く読者に伝えることの大切さを、あらためて感じた」(P.375)という。
 著者も本書のなかで指摘しているように、とかくビッグワードやマジックワードが一人歩きして、ものを考える手間を省略したがる傾向のある日本では、「複眼思考」をしっかりと身につけて、あふれかえる知識を自分なりに制御して生きてゆくことは、サバイバルのツールとして不可欠といってよい。

 「知識社会」が到来したさかんにいわれているが、インターネットの存在によって知識量そのもので勝負がつく時代は完全に終わっている。本当に必要なのは知識そのものではなく、知識を使いこなす知恵である。現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだと言い換えてもいいだろう。
 本書には、著者が米国の大学院で鍛えられた、いい意味でのアングロサクソン的思考法が全編を貫いている。

 現代人にとっての必読のテキストとして、あらためて推奨しておきたい。


<初出情報>

■bk1書評「現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだ」投稿掲載(2010年4月23日)


<書評への付記>

 苅谷剛彦氏は、教育社会学専攻、教育問題を社会学の観点から研究する学者で、『大衆教育社会のゆくえ-学歴主義と平等神話の戦後史-』(苅谷剛彦、中公新書、1995)という名著で、いちはやく教育における格差問題を、データをもとに実証して論じていた。教育が不平等を再生産している現実を指摘し、脱神話化をおこなった。
 その後も旺盛な著作活動で、日本の教育をめぐる状況に様々な・・を投げかけてきた論客である。
 1955年東京生まれ、東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、ノースウェスタン大学大学院博士課程を修了、社会学博士。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、現在はオックスフォード大学教授。

 苅谷氏とは、私立大学の教育諮問委員として一時期、同席して親しくお話させていただいたことが何回かある。
 帰りの電車のなかで、「ベストティーチャー」といわれているんですよねーと聞くと、あまりうれしそうな反応でもなかったのが印象に残っている。「ベストティーチャー」マスコミが勝手に貼り付けたレッテルだろうか。レッテルが勝手に歩き回るというのも痛し痒しといったところだろうか。
 
 マスコミ情報だけでものごとを判断するのは危険がともなう、ということでもある。
 その意味は、本書を読めばよく理解できるはずだ。



               
            

2010年4月24日土曜日

『グーグルのグリーン戦略 レビューコンテスト』 で、【準グランプリ】 をいただきました。


                 
 私事(わたくしごと)ではありますが、朗報です! 
 『グーグルのグリーン戦略 レビューコンテスト』 で、【準グランプリ】 をいただきました。

◆ 書評『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010) ここをクリック


 以下は、コンテストを主催している「R+コンテスト事務局」からいただいたメールから転載させていただきます。

著者ならびに編集者による厳正なる審査の結果、
ご応募頂きました下記エントリーが見事、

【準グランプリ】

に選ばれましたのでご報告致します。おめでとうございます!

───────────────────────────────────
【エントリータイトル】
書評 『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010)

【URL】
http://e-satoken.blogspot.com/2010/04/r.html

【著者コメント】
論理的にストーリーが進められていて、ボリュームの多さを感じさせず、
メッセージが明確な書評でした。また、今後についてのコメントもあり、
著者として参考になる点が多かったです。

【編集者コメント】
「インターネット社会を成立させるための基本インフラが電力網である」と極めて
本質的な捉え方をしながら、グーグルにとって最大のテーマは「エネルギーインフ
ラの再構築」と明言するなどしっかりとした書評になっている。また、本書に関す
る全体像の見えにくさ、著者の視点の打ち出し方への注文など、辛口の書評となっているが、これは、著者の今後への期待ととらえることができる。
───────────────────────────────────

 入賞はまったく意識せず、かなり辛口の書評を書きましたが、著者からも、編集者からもきわめてフェアな評価をいただきうれしく思います。

 書評に書きましたが、もう一度繰り返します。『グーグルのグリーン戦略』のテーマ自体は非常に重要なものです。
 「クリーン」(clean)で「グリーン」(green)なテクノロジー開発、どうしてもテクノロジーというとIT(インフォメーション・テクノロジー)ばかりが注目される状況ですが、社会基盤であるエネルギー・インフラ面への関心を多くの人にもってもらいたいと考えているためです。

 私自身の専門分野ではないので、今後も大いに啓蒙していただけることを期待しております。個人的には、「電気自動車とスマート・グリッドと IT の三題噺」を読みたいものです。

 次回のテーマはさておき、次回作を大いに期待しております。




                     

2010年4月22日木曜日

書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)




東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集

 「知的生産」にかんする本はむかしから読んできたが、最近のものでは火山学者の鎌田浩毅・京大教授のものが面白い。
 ド派手でオシャレなファッションで、テレビでも十二分に「キャラ立ち」している鎌田教授の一般向けの一連の著作は、理系の思考法を豊かな教養で裏付けた、プラクティカルで、しかも平易な語り口によるものだ。
 この意味においては、梅棹忠夫の『知的生産の方法』(岩波新書、1969)にも連なる、京都の知的風土が生み出してきた、きわめて良質な部分を継承しているといってもいいだろう。

 この本は、『一生モノの勉強法-戦略とノウハウ-』(東洋経済新報社、2009)が生まれてきた背景を探った、ビジュアル・エッセイ集のような趣の本である。前者が、大学生からビジネスパーソンまで、知的生産にかかわる者であれば、すぐにでも使えるスキルやノウハウを紹介した内容の本であるとすれば、後者は、むしろライフワークともなるべき長期的なテーマを探して、じっくり取り組むためには何が本質的に必要であるのかについて語った内容の本になっている。
 いっけん軽く読み流せるような体裁の本だが、中身はけっこう本質的なことに触れている。それは「京都」のもつ意味について語っているからだ。個と自由を尊び、人間関係においては適度な距離を保つ風土の京都は、いつの時代も外部の才能を受け入れ、自らを活性化してきた歴史をもつ。東京生まれで東京育ちの著者もまた、ヨソからきて厳しい京都の風土で鍛えられ、京都で自己実現した一人である。

 京都の風土で培われた、精神的に豊かな「知的生産な生き方」をつづった本書は、豊かな教養があってこそ知識が生きたものとなり、また自分のペースを守ってこそ創造的な良い仕事ができることを自ら実証している。
 氾濫する情報に日々追いまくられる効率一辺倒の東京から、物理的に身を離していることで可能になる「知的生産な生き方」。たとえどこに住んでいようと、自分のなかに「心の京都」をもつことをすすめる著者のアドバイスは傾聴に値する。
 なによりも、副題になっている「ロールモデルを求めて」いる著者自身が、読者にとってはロールモデルとなるわけだ。

 この本は、必ずしも即効性はないが、より深いレベルでの知的生活を志向するする人にとっての、またとない「自己啓発本」となっているといえよう。


<初出情報>

■bk1書評「東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集」投稿掲載(2010年2月24日) 
■amazon書評「東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集」投稿掲載(2010年2月24日) 


<書評への付記>

 
 目次を紹介しておこう。

『京大・鎌田流 知的生産な生き方-ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

第1章 知的生産の現場で
第2章 本は手元に置きたい
第3章 知的な生き方には教養が不可欠だ
第4章 京都に暮らす
第5章 食と豊かな人生
第6章 旅行―非日常という楽しみ
第7章 瞑想的な生活とオフタイムの効用
第8章 人と人とのかかわりから生まれる「活きた時間」




京都は観光都市だけではない!

 京都は、外部からさまざまな才能を惹きつけ、ふるいにかけた上で受けいれて自らを活性化してきた歴史をもつ。本書の著者である鎌田浩毅氏も、受け入れられた一人であるといっていいだろう。
 明治維新以後の首都東京のように、官僚と大企業(・・ある意味では大企業も官僚そのものだ)の都市というよりも、「知的センター」として学問の中心であり、かつきわめてプラグマティックな精神風土をもっている。古都でありながら、あたらしもの好きという、京都人はきわめつけのベンチャー体質をもっているといってよい。

 学問の世界でいわゆる「京都学派」といわれるものとしては東洋史学が一番有名だが、これも内藤湖南という秋田出身のジャーナリストを外部からの招聘して、教授に据えたことから出発している。
 これは哲学でも同様で、創始者となった西田幾多郎は金沢出身であり、純粋の京都出身者がきわめて少ないことは、『物語 京都学派』(竹田篤司、中公叢書、2001)にも詳述されている。
 また京大には東南アジア研究センターもあり、日本での研究の中心になっている。
 これは、ハーバード大学など米国の有力大学にも共通する特徴であるようだ。人材はつねに外部から求め、厳しい競争のなかで切磋琢磨させる。こういう環境のなかかからしか、本当の才能は生まれてこない。独創性とは、人と違うことをやることからしか生まれてこない。

 ビジネス界でも、京セラの稲盛会長(現在 JAL会長)は鹿児島出身。鹿児島といえばノーベル賞受賞者の田中氏の在籍する島津製作所も京都の老舗ハイテク企業、このほか京都近郊の出身者も含めて「京都モデル」といわれる徹底した合理主義に基づいたハイテク企業は、半導体のローム、村田製作所、小型モーターの日本電産、計測器の堀場製作所など枚挙にいとまない。
 日本型経営というよりもむしろ米国型にも近い京都の合理主義経営は、グローバルに勝負できる経営モデルでもある。すべてを内部に取り込んで抱えこむことはせず、必要なものは必要なときにヨソから買ってくればいいという合理性。ネットワーク型である。
 ある意味で数ある大学を知的センターとして、ハイテクベンチャーが数多く生まれてくる京都は、米国カリフォルニア州のシリコンバレーに似ている。スタンフォード大学が日本センターを京都に置いているのは、その意味ではきわめて正しい選択である。

 また、お笑いの世界でも大阪の吉本興業を代表する島田紳助が、京都出身だということは、関西以外ではあまり知られていないようだ。
 政治の世界でも、いわゆる「革新派」が長く居座っていたため、産学協同が長い間にわたって阻害されたという歴史もあるが、革新志向がきわめて強い土地柄であることもまた事実である。『突破者』の宮崎学もまた京都出身である。
 しかし、それにしても、本書には天一(てんいち:天下一品)餃子の王将も登場しないこの本は、やはり東京人が書いた京都本なのだなあ、とは思う。飲食の分野におけるこれらの企業もまた革新的な存在である。コテコテというと大阪の代名詞のように思っている人が多いが、天一も王将も京都発の飲食ビジネスである。京都人が、湯豆腐や湯葉ばかり食べているわけがないではないか。
 サービスの点では天下一品のタクシー会社 MK も京都である。任天堂も、ワコールもまた京都企業である。

 京都は、観光都市という側面だけで語ってほしくないのである。生きた人間が住んでいる都市であるから当然といえば当然だ。しかも歴史の集積度は、東京の比ではない。
 この話題はキリがないので、ここらへんでやめておこう。
 


鎌田氏が一番好きな映画『愛のイエントル』

 本書では、バーブラ・ストライサンド製作・監督・主演の『愛のイエントル』が一番好きな映画だとして、講義中に映画の内容について語り出したら、涙が止まらなくなったと吐露している。
 私もこの映画が大好きだ。この映画については、以前このブログでも紹介したので参照していただけると幸いである。
 本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)


『一生モノの勉強法―京大理系人気教授の戦略とノウハウ』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

 この本もおすすめである。ど派手で奇抜なファッションがイヤだ、という人もいるだろうが、中身はきわめてプラティカルでかつ内容がある。


第1章 面白くてためになる「戦略的」な勉強法とは
第2章 勉強の時間を作り出すテクニック
第3章 効率的に勉強するための情報整理術
第4章 すべての基本「読む力」をつける方法
第5章 理系的試験突破の技術
第6章 人から上手に教わると学びが加速する





               

2010年4月21日水曜日

書評 『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)




ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ

 「知的生産」にかんする本はいまではたくさん出版されているが、この本は老舗である「知的生産の技術研究会」によるものだ。通称「知研」は、現在ではNPO法人になっている。
 「知的生産」において革命的な影響を与えた原典である、梅棹忠夫の『知的生産の方法』(岩波新書、1969)以来すでに40年、「知的生産」の担い手は学者から、一般のビジネスパーソンへと大幅に拡大されて今日に至っている。

 最近はビジネスパーソン向けの「勉強法」のノウハウ本も多いが、ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論を真似てみることが重要だ。なぜなら、どんな分野でも、仕事とはアウトプット以外の何者でもないからだ。身近に「知的生産」の人がいれば直接ワザを"盗み取る"のが一番だが、そういう環境にない人は、こういう本から"盗み取る"のが手っ取り早い。
 この本では、登場する21人を、「書斎派」、「フィールド派」、「出会い派」、「場所を選ばない人々」の4つのカテゴリーに分類しているが、これはあくまでも便宜的なものだと考えるべきだろう。「知的生産」に携わる人は、何らかの形でみなこの4分野にあてはまるからだ。実際に読んで確かめて欲しい。
 
 どんな人でも仕事をしている限り、自分の「現場」(フィールド)をもっている。"評論家"にならずに、本当の「知的生産者」になるには、自分の「現場」をベースにして、それをいかに知見まで高めて、アウトプットとして仕事に反映していくかが問われているのである。そういう仕事への取り組みをしていれば、論文にもなるし、本にもなる、ということだろう。

 そのための具体的な方法論(ワザ)を本書から盗み取ればよい
 ただ欲をいえば、新しい世代の、情報技術を使いこなして「知的生産」に従事する事例を大幅に増やして欲しかったところだ。


<初出情報>

■bk1書評「ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ」投稿掲載(2010年2月25日)
■amazon書評「ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ」投稿掲載(2010年2月25日)





<収録者一覧>

●常に問題解決型思考で臨む(寺島実郎 述)
●1冊のノートさえあれば情報の整理ができる(奥野宣之 述)
●知とはイーグル・アイで考え、人と会って話を聞くこと(北康利 述)
●小論文指導こそ我が基本(樋口裕一 述)
●現代ピラミッドの建設を提唱する(武者陵司 述)
●宇宙を構想して身の丈で生きる(望月照彦 述)
●温泉で心と体を治し、「温泉学」の確立を目指す(松田忠徳 述)
●鉄道と二宮尊徳が「知」の原点(野村正樹 述)
●「実体験が「知の源泉」(久保田達也 述)
●「現場の知」を創造する(久恒啓一 述)
●領域を超え、大きな流れにつながる(久米信行 述)
●世界中に手作りおもちゃ教室を広げる(昇地三郎 述)
●「世界を書斎に」リベラルな国際活動を目指す(小中陽太郎 述)
●イノベーションを生み出すための仕事術(小山龍介 述)
●知識よりもアウトプット力(望月実 述)
●Moso力で社会起業家的プロジェクトを(松山真之助 述)
●「オンリーワン人生」を楽しむ(舛井一仁 述)
●自然体で、高いレベルのアウトプットを生み出す(山田真哉 述)
●優れたデータベースシステムから優れた企画を生み出す(原尻淳一 述)
●落語に知の究極を見る(田中靖浩 述)
●暴れる「情」を「知」で抑える(小飼弾 述)


 なんだか「♪昔の名前ででています」(小林旭)なんて感じの面々だなあ。
 「さおだけ」公認会計士・山田真哉投資家でブロッガーの小飼弾の世代をもっと増やすべきだったと思うのだが・・・






          

2010年4月20日火曜日

書評 『本当にヤバイ!欧州経済』(渡邉哲也、 三橋貴明=監修、彩図社、2009)




欧州経済へのレクイエム-欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知るための必読書

 欧州の金融経済を専門としない私のようなビジネスマンが、日々の断片的情報をから大きな見取り図を描くことは難しい。
 著者のブログも見ていない私のような者にとっては、こういう形で単行本として一冊になったものを読むことで、はじめて事の重大さに気がつくことになる。

 欧州経済が想像以上に危機状況にあることは、本書に目をとすことで確信に変わった。サブプライム問題の震源地である米国よりもひどい状況にある欧州、われわれはすでに日本でバブル経済の崩壊と失われた10年(・・いや20年)を経験しているのだが、欧州経済の崩壊が、想像を絶するスピードと規模で一気に進行したこと、そして回復までの道のりがはるかに遠いことを思い知らされた。1997年のアジア金融危機の比でもない。
 デレバレッジ、レパトリエーション、リワインド・・・日頃聞き慣れない金融用語の意味も、恐怖とともにアタマのなかに刻み込まれることになる。

 サブプライム問題の首謀者であり真犯人であるドイツ銀行、欧州の金融システムに大きな影響を与えたドイツのヒポ・リアルエステート、爆弾を抱えたままのフランス、衰退する金融立国でかつ貯蓄率の低い英国の暗い見通し、不動産バブルの崩壊したスペイン、欧州経済崩壊の引き金となりかねない中東欧の新興諸国、そしてその中有東欧諸国に大きく貸し付けているスウェーデンの銀行、金融強化の流れの中、口座の秘匿性を維持できなくなったスイス・・・。
 これら各国の金融状況は、バブル崩壊のメカニズムを知っている人間にとって、これは恐怖以外の何者でもない現実である。また、そこから導き出される将来予測は暗澹たるものとしかいいようがない。
 
 おそらく、そうでなくても衰退過程にある欧州は、さらに衰退スピードに拍車がかかったというべきであろう。
 また、発行に際して国家の裏付けのないユーロの脆弱性政治主体である国家と通貨管理主体である欧州中央銀行(ECB)が別個の存在である二重構造ゆえに、政策決定のスピードが極度に遅い欧州連合の脆弱性。こうした事実から、われわれ日本人が得るべき教訓は実に多い。「友愛」にもとづくアジア連合など、愚策の最たるものであることがわかる。

 情報ソースも明示された本書は、欧州経済の現状についての正確な見取り図であり、また欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知ることのできる警告書でもある。
 2009年11月の本書出版後も、時々刻々と悪化する欧州経済の状況が報道されているが、いまからでも遅くない、ぜひ本書を一読して情報武装することをすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「欧州経済へのレクイエム-欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知るための必読書」投稿掲載(2010年4月6日)


<書評への付記>

 上記の書評を書いたあとにさらに追い打ちをかけるような事態が発生している。
 2010年4月15日に噴火したアイスランド火山が噴出させた大量の火山灰のため、欧州の主要空港が本日(2010年4月20日)現在でもロンドンのヒースロー空港は閉鎖されたままとなって、すでに6日目に入っている。
 航空会社が損害を被っているだけでなく、何よりもヒトもモノも移動が止まっているために、計り知れない大きなダメージを欧州の政治経済に与えている。

 現在の懸案事項であるギリシア問題も、スペインで開催された ASEM にもアジアから政治家が参加できない状況・・・
 アイスランド火山も現在は小康状態になりつつあるが、火山活動が収束したわけではなく、いつまた噴煙を噴き上げるかわからない状況だ。
 そうでなくても金融破綻によって大きな問題を引き起こしたアイスランド、今度は不可抗力の天災とはいえ、なにやらシンボリックな自然現象でもある。

 欧州経済が世界恐慌の引き金とならなことを祈るばかりである。


<ブログ内参考記事>          

「不可抗力」について-アイスランドの火山噴火にともなう欧州各国の空港閉鎖について考える




            


            

2010年4月19日月曜日

「不可抗力」について-アイスランドの火山噴火にともなう欧州各国の空港閉鎖について考える


              
 ヨーロッパでは本日(2010年4月19日)現在で、24カ国の空港が閉鎖されている。

 アイスランドで火山が噴火し、桁違いに大量の火山灰が噴出されたためだ。航空機の運行には大きく2つの面で影響を与える。一つは視界不良になること、もう一つはエンジンの多大に損傷を与えることである。こういった状況では運行停止も仕方がない。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という名言を残したのは、物理学者で随筆家の寺田寅彦だが・・・

(つづきは http://ken-management.blogspot.com/2010/04/blog-post_19.html にて)




                   

2010年4月18日日曜日

満80歳を迎える強運の持ち主 「氷川丸」 (横浜・山下公園)にあやかりたい!




 先週土曜日(2010年4月17日)、ひさびさに横浜にいって、山下公園に係留されている氷川丸(ひかわまる)を観覧してきた。日本郵船に勤務する友人に誘われたからで、氷川丸を観覧したのは実は初めての経験だ。
 午前中は41年ぶりの積雪となった南関東だが、午後は天気も晴れて実に気持ちがよかった。何よりも、海の空気をたっぷり胸のなかに吸い込むと、生き返るような心持ちになる。とくに太平洋にむかって開かれた横浜港は、世界とじかにつながっているのだという思いが、人間を開放的にしてくれる。

 氷川丸は、1930年に建造され就航した日本郵船 (NYK:Nippon Yusen Kaisha)の貨客船である。今年2010年4月25日で、ちょうど建造から満80歳を迎えることになる。まさに、いま時の人ならぬ、時の船である。
 戦前はまだ航空機の時代ではなく、客船の時代であった。客船の時代にはまさに花形であった豪華客船も、第二次大戦中には徴用されて病院船として、また敗戦後は引き揚げ船として使用された。
 しかし、戦争中も米海軍の魚雷攻撃にも遭遇せず、その結果まったく沈没することもなく、現在は引退してから久しいが、誕生から80歳を祝うことができるのである。

 もちろん現在では、氷川丸からはエンジンもプロペラもとりはずされいるので自ら動くことはできないが、渓流されている船内を200円で内部を観覧することができるのは、たいへんうれしいものである。
 かつて、1930年代の「豪華客船の黄金時代」に活躍していた氷川丸の内部には、ほとんどホテルのスイートルームのような一等船室、またラウンジや図書室やカクテルバーなど、在りし日の後か客船の旅を偲ばせる姿が、そのままの形で保存されている。
 日本郵船は、世界一周航路を展開する豪華客船「飛鳥」を就航しているが、現在は基本的にはコンテナによる貨物輸送が事業の中心である。戦前は旅客輸送が中心であったことを想起するためにも、氷川丸の保存とと公開は意義ある事業だといっていいだろう。

 友人の話では、氷川丸は日本郵船の数ある貨客船のなかでは、魚雷攻撃にあわずに生き残った唯一の船であるという。絶対に沈まなかった船、「幸運の船」としての氷川丸
 しかも、ブリッジの操舵室の神棚には氷川神社が祭られていることを知った。
 氷川丸に氷川神社、たんなる偶然か、それとも見えざる手が働いたのか。なにやら非常に霊験あらたか、ではないか。
 友人は、氷川丸で氷川神社のお札やお守り売ったら絶対に売れるのに、というのだが、これにはまったくもって賛成だ。売り出されたら、何よりもまず、私がまず買いたいくらいだ。小舟で荒海にこぎ出した私の課題は、とにかく沈まないこと、それに尽きるから。
 ちなみに、氷川丸以外の貨客船はどうだったのだろうか、と友人にきてみたところ、とくにそうしたことはしていないようだ。浅間丸が浅間神社、秩父丸が秩父神社だったかどかうかはわからない。
 いっそのこと、氷川丸自体をご神体にして神社にしてしまえばいいではないか。宗教法人としての資格を満たすかどかはわからないが。
 「絶対に沈まなかった氷川丸詣で」が、新規開業者など起業家のあいだで熱烈な信仰を生み出せば、お札やお守りなどのグッズの販売や、成功した企業家による寄付金などで、船体の維持修繕費くらいは稼げるのではないだろうか。なんて考えてみるのも面白い。事業計画でもつくってみるかな。
 いずれにせよ、強運の持ち主であった氷川丸には、私はあやかりたいと強く思ったのであった。
 「運も実力のうち」とは、よくいうではないか。

 なお、日本郵船は、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のもう一人の主人公・岩崎弥太郎が創りあげた会社であることを、付け加えておこう。三菱商事とともに三菱財閥の源流となった海運事業である。
 日本は海洋国家である、このことをいま一度かみしめたいものだ。


<付記>

特別展「船をとりまくアール・デコ」


 なお、氷川丸80歳を祝って、山下公園から徒歩で約20分のところにある「日本郵船歴史博物館」では、特別展「船をとりまくアール・デコ」が開催されている(2010年2月27日~6月6日)。
 アール・デコ(art deco)は、まさに氷川丸誕生の前、1920年代に一世風靡したアート様式である。日本のアール・デコが、欧州航路を就航する、当時最先端の豪華客船の内装や、宣伝用ポスターとして残っているという事実。世界のアートの同時代的現象として面白い。
 この特別展示も、あわせてぜひ見ておきたいものである。



<関連サイト>

◆日本郵船歴史博物館 氷川丸  http://www.nyk.com/rekishi/index.htm
◆NHK大河ドラマ「龍馬伝」 http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/


<ブログ内関連記事>

書評『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)

書評『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

書評『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む 


<アール・デコ関連の展覧会情報>

「美しき挑発 レンピツカ展」にいってきた


PS. 海運は開運に通ず

 いまふと気づいたが、海運は開運に通じる。横浜の氷川丸は開運の船。太平洋戦争中も沈没を免れてこのたび80歳を迎えた「幸福の船」とされているが、「開運の船」というべきなのだ。(2010年5月3日)



                
            

                  

2010年4月17日土曜日

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)




「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジンスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい

 最近ふたたびドラッカー・ブームになっている。
 「ドラッカー経営学」をもっとも熱心に学んで受け入れ、高度成長を実現したのが日本企業であったことから、この流れが続いていくことはたいへん結構なことである。今後も長く影響を及ぼしていくことだろう。
 日本人が理解してきたドラッカー、日本人が誤解しているドラッカー、この両面を知るうえでも、まずこの「自伝」をよむのがよい。

 本書はドラッカー(1909-2005)唯一の自伝とうたわれているが、正確にいうと少しだけ違う。訳者解説でも触れられているように、ドラッカーには欧州から米国に移住した時代までの前半生を題材にした『傍観者の時代』という、実に面白い本があるのだ。
 しかし、生誕から晩年にいたるまでのライフヒストリーを簡潔に語ってまとめられたのは本書だけだろう。何といってもビジネスパーソンにとっては、「マネジメント」という概念を発明した米国時代以降が面白い。GMから依頼された巨大企業組織の徹底調査から、「マネジメント」という概念が誕生したのである。
 本書の記述はあまりにも簡潔すぎるのが玉にキズだが、訳者によるインタビューによって補足されているので全体像をつかむことができる。また、訳者インタビューによって初めて明らかになった事実もあるので、その点は興味深い。 
 ドラッカーについて知るための、ドラッカー自身による入門書になっているといってよい。いわゆる礼賛本や解説本とは違い、ドラッカーによる肉声は正確な事実を後世に伝えることに徹している。

 単行本初版のタイトル『ドラッカー20世紀を生きて-私の履歴書-』とあるように、日本経済新聞社の人気連載企画「私の履歴書」の一つとして、27回にわたって連載されたものだ。当時まだ日経を読んでいた私も、この連載をリアルタイムで読んで、たいへん興味深かったという記憶をもっている。
 このドラッカー自伝は、前半が退屈なウィーンから脱出し、さらにナチスドイツから逃れたロンドンからも沈鬱だとして脱出し、最終的に米国に移民として落ち着くまでの欧州時代を、後半が米国で全面的に開花して「経営学の父」となった後半生を描いている。幕末維新の激動期を生ききった福澤諭吉は、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にせい)を経(ふ)るが如く」と述懐しているが、ドラッカーの人生もまたそのとおりであるといっていいだろう。前半生の欧州人としての体験なくして、後半生の「マネジメント生みの親」が誕生しなかったことが、この自伝を読むと理解される。
 「マネジメント」という概念は、「マネジメント」という既存の学問から生まれたのではない、自学自習による幅広い知識とさまざまな職業体験によって培われた、鋭く深い観察眼から生み出されたものなのである。

 ドラッカーは、狭い意味の「経営学者」というワクに収まるような人ではなく、自らを「社会生態学者」と称していたことはもっと広く知られていい。文庫版では、ドラッカーに「知の巨人」というタイトルがつけられることとなったが、「経営学者」よりもこの称号のほうが、はるかにふさわしい
 自ら提唱していた「知識社会」の到来で、ドラッカーは今後もはるかに仰ぎ見る存在として、あるいは目指すべきロールモデルとして、生き続けていくことであろう。

 ビジネスパーソン以外の一般読者にも、「ドラッカー自身によるドラッカー入門」として、ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)
■amazon書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)





<書評への付記>
        
 ドラッカー(Drucker)という名字について、ピーター・ドラッカー自身が第一次世界大戦前にハプスブルク帝国、正確にいうと、オーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンに生まれた人なので、ドイツ系だろうと思って、ドイツ語の辞書を引いて調べてみたことがある。

 Drucker(男性名詞)印刷工、印刷業者
 Druck(男性名詞) 圧力をかけて押すこと、印刷すること
  <drucken 印刷する、圧搾する

 
 本書によれば、ドラッカー家の祖先は、オランダで宗教書の印刷業をやっていた、とある(第12話)。オランダ語とドイツ語は近い関係にあるから、意味も似たようなものだろう。本書の記述によれば、オランダにはいまでも Drucker という名字をもつファミリーが多いという。
 おそらく推測するに、ドラッカー家の先祖はプロタスタントだったのではないだろうか。プロテスタンティズムが聖書を印刷することで普及したことは歴史的な事実である。印刷術は当時最先端の技術であった。
 オーストリア人のペーター・トゥルッカーは、父親の教育方針によって、子どもの頃から英語とフランス語を習得していたという。英国を経て、最終的に米国に落ち着いて、ピーター・ドラッカーとなる。
 ギムナジウムのギリシア・ラテンの古典教育も受けているが、こういった人文教育が崩壊しつつある最後の世代であったようだ。もっとも、本人はギムナジウムは面白くないので、自学自習する生活態度が身についたといっている。

 ブダペスト生まれのユダヤ系ハンガリー人・アンドリュー・グローブも、子どもの頃に父親の方針で英語を勉強していたことが、ハンガリー動乱で国を脱出し難民となったときも、米国に移民できることになったと述懐している。
 本書によれば、ドラッカー自身もグローブの米国定住にはチカラを貸している。ハンガリー人が、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国の臣民の子弟であることもまた、何らかの意味で難民救済事業にドラッカーを向かわせたのだと推測できる。
 オーストリア出身で米国で大成功した有名人としては、シュンペーターなどの知識人を除けば、ハリウッド俳優でカリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガーがいる。シュワルツネッガーもドイツ語なまりの英語をしゃべっているが、ドラッカーもそうであったことを、訳者で解説者の牧野洋が書いている。

 一般に知られている「経営学者ドラッカー」は、GMのコンサルタントになって徹底調査をおこなったことによって誕生した存在で、長年にわたって大企業の経営コンサルタントと大学教授をつづけてきた人である。
 ところで、元代議士の栗本慎一郎"先生"が、まだ大学の"先生"だった頃の著作に、ブダペストの天才たちを描いた『ブダペスト物語-現代思想の源流をたずねて-』(晶文社、1982)という、忘れられた好著がある。
 本書にも交友関係の重要な一人として登場する、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(この人もユダヤ系)に関連したエピソードがある。この件についてドラッカーに質問状を送ったところ、来日したドラッカーから直接自宅に電話がかかってきて、奥さんが驚いたというエピソードが、「第2章 革命と恐慌の嵐をひかえて」の冒頭に記している。ドラッカーの『傍観者の時代』を一つの導きとして、『ブダペスト物語』が書かれていることも紹介しておきたい。

 ドラッカー自身は、「退屈なウィーン」から脱出し、最終的には米国に定住することにした人だが、ハプスブルク帝国の高官を父親にもったドラッカーに、これらハプスブルク帝国関連の人脈などがあることが、少なからず影響を与えていることは知っておいたほうがいい。
 
 そういうコンテクストのなかに置いてみると、メイキング・オブ・「知の巨人ドラッカー」の形成過程について、より深く知ることができるはずだ。
 世紀末ウィーンが、また世紀末ブダペストが、大量の天才たちを生み出したインキュベーターとなっていたたことは、思想史では常識である。この件については、機会をあらためてまた書いてみるつもり。



 

2010年4月16日金曜日

「美しき挑発 レンピツカ展」にいってきた





 今週、「美しき挑発 レンピツカ展」にいってきた。東京では、渋谷の Bunkamura で、5月9日まで開催中。


 タマラ・ド・レンピツカ(1898-1980)は、ポーランドの裕福な家庭に生まれた美貌の女性画家。ロシアのサンクトペテルブルクで暮らし、その地で結婚もしたが、ロシア革命勃発によってフィンランドに亡命、その後フランスのパリに移住。
 1920年代に絶頂期を迎えたアールデコの時代に、フランスのパリで、一度見たら必ず記憶に残る、非常にインパクトの強い、現代的な描法で数々の肖像画を残した人である。
 第二次大戦中に米国ニューヨークに移住、晩年はメキシコのクエルナバカで過ごし、その地で没した。

 冒頭に掲げたのは、実の娘をモデルに描いた「緑の服の女」(1930年)で、フランス政府買い上げとなった、レンピツカの代表作である。

 1980年代の日本のバブル期には、レンピツカ自身の作品や、レンピツカ風のイラストレーションを多く目にしたものである。
 1920年代のアールデコの時代が、60年後の1980年代と非常に親和性の高い時代であったことは、1980年代に出版された数々の本や、アート作品に大きな痕跡を残している。
 アール・デコ(art deco)とは、装飾芸術(art decoratif)の略、デフォルメの多い、華やかで様式性の強い装飾形式で、いわゆる芸術性の高いアートと商業性の強いアートが融合して、広告宣伝やファッション、建築にと広く影響を及ぼした。モダンガールの時代であり、アメリカのジャズ・エイジであり、フィッツジェラルドの『ザ・グレイト・ギャツビイ』の時代でもある。
 だから、1980年代の時代精神と非常に親和性が高かったのだ。

 1929年の米国発の大恐慌がすべてを終わらせ、その後不景気と戦争の時代に突入していったことと、日本では1989年にバブルが崩壊して、その後長い「失われた時代」が続いているのも、なにやら暗合を感じさせて気分も重くなる。  幸いにして第三次世界大戦は現在のところ回避できているが・・・

 実際、今回の美術展も、レンピツカの生涯にわたる作品約80点を一同に集めたものになっているが、1930年代以降の作品は、正直いってあまり私の好みではないし、素晴らしいとまではいえるものではなかった。趣味の違いはあろうが、1920年代の華やかさは永遠に封印されてしまったかのような印象を受ける。
 奇しくもレンピツカが亡くなった1980年、日本で大々的に取り上げられるとは、予想だにしなかったのではなかろうか。

 この美術展の特色として、彼女自身が自分をプロの写真家たちに撮らせたポートレート写真が多数展示されていることだ。グレタ・ガルボなみの美貌の持ち主で、スラブ系美女の一つの典型といってよいレンピツカは、そういたポートレート写真じたいが芸術作品になっている。
 批評家ヴァルター・ベンヤミンの、いわゆる「複製芸術時代」にあって、自ら多数の注文を受けて肖像画を制作、セルフ・ポートレートの絵画作品も数多く残しながら、自らを被写体として作品にして表現しているという行為が、実に面白く感じられた。

 見る側であり、見られる側であるという二面性
 セルフ御用達の肖像画家であり、自らもセレブであったという二面性。
 こうした二面性を明確に意識していたアーチストであったわけだ。かなり高度な知性の持ち主であったのだろう。現在でもレンピツカ作品は、映画俳優のジャック・ニコルソンなど個人蔵のものが多く、世界中のセレブの好みに合致しているようだ。

 ルネサンスやマニエリスム絵画を徹底的に研究し、自らの技量を落とさないために、つねにデッサンを欠かさず、世界中の美術館で名画の模写をつづけていたという。後半生においては、オランダやフランドル画家も熱心に研究していたらしい。

 今回の美術展は絵画作品もさることながら、ポートレート写真も必見である。

 いまの時代精神とは必ずしも合致していない気がしなくもないが、個人蔵も多いだけに、画集以外では、これだけまとまってレンピツカ作品を見る機会も当分ないだろう。

 連休にでもお出かけになってはいかがだろうか。



<美術展情報>

「美しき挑発 レンピツカ展」 渋谷の Bunkamura で、5月9日まで開催中。
 兵庫県美術館で、5月18日から7月25日まで。

 今回の美術展カタログは購入する価値はある。

 画集としては、『レンピッカ』(タッシェン、2002)が一番コンパクトで、しかも値段が手頃。
         





                  

2010年4月15日木曜日

【ドキュメント会社設立】日本で会社をつくる、ということ


                                 
 このたび、4月1日のエープリルフール(=四月馬鹿)に会社を設立した、株式会社ケン・マネジメント代表の佐藤賢一(さとう・けんいち)です。
 このブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 エープリルフールといっても、「会社設立」自体はジョークではありませんよ・・・ 

(つづきは、http://ken-management.blogspot.com/2010/04/blog-post_15.html にて)




              

2010年4月14日水曜日

書評 『フリー-<無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)




正直いってこの本は長すぎるのではないかと思うが、全部読むと社会現象としての FREE の背景まで理解できるので、ビジネスパーソン以外の一般人にも読むことをすすめたい

 この本のなかでも説明されているように、英語の Free というコトバには、「無料」という意味だけでなく、「自由」という意味もある。後者の「自由」というのは、「~からの自由」という意味だ。これが価格についていわれるとき、「価格から自由」すなわち「無料」ということになる。

 最近よく目にする「無料」だが、現象自体は著者も詳細に説明しているように、けっして目新しいものではない。ラジオも民放TVも、そもそもの最初から視聴するのは「無料」だし、試供品(サンプル)は「無料」で配布されている。また、「無料」でご招待、というのもあるし、ボランティアのような、お金を介在させない「無償の行為」というものも存在してきた。とくに中国では蔓延している海賊版という、ただ乗りの「無料」もある。
 これだけでは当たり前すぎて面白くも何ともない。また、著者がいいたいのもこういうことではない。

 著者がいいたいのは、とくにグーグルなどのネット企業が主導する「無料」をベースにしたビジネスモデルのことだこれを「フリーミアム」(Freemium)という。大多数の使用者には基本製品(またはサービス)を「無料」で使用させるが、高機能のプレミアム製品(またはサービス)を使用したい一部の顧客には課金するというビジネスモデルのことである。このモデルは、グーグルだけでなく、スカイプなども同様であり、いまだビジネスモデルが確立していないツイッターなども同様の方向を向いている。
 試供品や無料ご招待などは、著者の分類によれば「直接的内部相互補助」になる。携帯電話本体を「無料」で配布して回線使用料収入で儲けるビジネスモデルなどがそれに該当する。民放などのコンテンツの無料放送は「三者間市場」。視聴者は無料で視聴できるが、第三者であるスポンサー企業が CM という形で広告料を放送事業者に支払うモデル。アマゾンのブックレビューなど「無償の行為」は、金銭以外の動機付けによるもので、注目(traffic)や評判(link)などが報酬となる「非貨幣的市場」である。
 著者は「無料」モデルを以上の4つに分類して説明しており、読者のアタマの整理になる。

 日本人は昔から「タダほど高いものはない」とクチにしていた。そう、世の中にはタダのものなど本来存在しないのである。誰かがどこかで、あなたのかわりにお金を払っているのである。ところが、タダ(無料)が当たり前の世の中になってきていることもまた、否定できない事実である。
 それは、実体経済から情報経済に移行しつつあるからだ。著者の表現を使えば事態経済はアトム(atom)の世界、情報経済とはビット(bit)の世界である。集積回路の価格が劇的に下がり、記憶容量は劇的に上がった結果、情報処理能力と記憶容量、通信帯域帯(bandwidth)の3つのテクノロジーのコストがそろって同時に下がってゆくことで、インターネット世界のコストは限りなくゼロに近づいているのである。
 いまだゼロから遠いのは電力コストだけだ。だからグーグルはスマートグリッド(smart grid)に熱心に取り組んでいるのだ。

 この現象をさして、かつてインターネットビジネスにおける「収穫逓増(ていぞう)の法則」という表現が経済学で使われたが、情報世界では、経済学用語を使えば「限界費用」(marginal cost)、すなわち複製という形で情報を一単位余分につくるのにかかる費用が、限りなくゼロに近くなっている、ということなのだ。これは実体世界としてのリアルの世界では依然としてありえないことである。これが、著者のいう「アトム」ではなく「ビット」の世界の実態なのである。
 そしてこの、限りなくコストがゼロに「近づいている世界では、情報はあふれんばかりに潤沢に存在し、さらに日々増大している。かつての実体経済が中心だった頃の「希少財」という概念が、情報世界では成り立たなくなってきているのである。デジタルのものは遅かれ早かれ「無料」になって潤沢になる。「ポスト希少社会」、これは新しいパラダイムである。

 著者はこういったことを、日本語版の翻訳で300ページ以上にわたって、えんえんと書いているのだが、エッセンスだけ知りたいのであれば、「週刊ダイヤモンド」(2010年3月13日号)「特集 FREE の正体」を読むのが手っ取り早い。日本人識者のコメントも多数掲載されているので、むしろ解説としては読者にとってありがたいつくりになっている。あらたに「無料」ビジネスモデルを考えたい人や、自社の「無料」モデルの問題点を考えたいビジネスパーソンは、本書『フリー』の巻末付録「フリーを利用した50のビジネスモデル」とウェブサイト(www.freemium.jp)、そして「週刊ダイヤモンドの特集」も手元においてリファレンスとして活用したい。

 しかし、背景も含めて FREE の意味を根本的に理解したいと思う人は、この日本語版を通読する意味はあると思う。この FREE というのは、ただ単にビジネスモデルも問題と捉えるべきではないし、またテクノロジーだけの問題でもないからだ。
 著者もいうように、30歳を分水嶺として、「FREE が当たり前の30歳台以下の人たち」と、「FREE に対しては懐疑的な30歳台以上の人たち」に分離される。FREE がすでに当たり前のものとなって疑問をもたない「フリー世代」の人たちの存在は社会現象として考えるべきであり、30歳以上の人たちはその社会現象の意味を考えることが必要になってくる。30歳以下の世代がいずれマジョリティになるからだ。

 日本語版のタイトルが『フリー-<無料>からお金を生み出す新戦略-』となっている。日本語版のタイトルづけは、ビジネス書として最近にない大成功した大きな要因であるが、ビジネス書にはまったく関心のない人たちの関心からはずれてしまう恐れがある。英語の原題は、FREE: The Future of a Radical Price である。
 ゼロという概念は、古代インド人が発見したこと著者も触れているように、無料=ゼロとは1円でも10円でもなく、ゼロ円なのである。この「ラディカルな価格設定」が現在進行する世界においていかに大きな意味をもつかは、行動経済学者が実験をつうじて明らかにしてきていることでもある。

 この本は、思想書とまではいわないが、いままさに進行しつつある社会現象を解読するための思索が書き込まれた本として読んでみてもいい。そう考えれば、ビジネスパーソン以外の、一般人も目を通す価値のある本であるとわかるはずだ。著者クリス・アンダーソンは、そもそもがビジネスマンではなく、サイエンスとテクノロジーの世界で長年ジャーナリストとして活躍してきた人である。現在はITの専門誌『ワイアード』(Wired)編集長である。サブカルチャーまでカバーするこの雑誌は、ウェブ版も印刷媒体もともに発行しており、この両者に編集長として関与して得た知見も本書には十分に反映されている。

 変化しつつある「21世紀型資本主義社会」を理解するためにも必読書といっていいだろう。ビジネスパーソンはもとより、広く一般にもすすめたい本である。          



<初出情報>

■bk1書評「正直いってこの本は長すぎるのではないかと思うが、全部読むと社会現象としての FREE の背景まで理解できるので、ビジネスパーソン以外の一般人にも読むことをすすめたい」投稿掲載(2010年3月29日)

*再録にあたって、字句の一部を修正した。


<関連サイト>

●「フリーミアム」ウェブサイト(日本語) www.freemium.jp
●「freemium-jp」ツイッター(日本語) http://twitter.com/freemiumjp

●「ダイヤモンドオンライン」独占インタビュー!『FREE』著者のクリス・アンダーソンが語る 「無料経済を勝ち抜く企業と個人の条件」週刊ダイヤモンド『FREE』特集連動企画【第1回】    


     
            
                

2010年4月13日火曜日

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内



          
 「三度目のミャンマー、三度目の正直」、いかがでしたでしょうか?
 とても10回では書き尽くすことができない、というのがホンネですが、しかしこの話題ばかり書いているわけにもいきませんので、ここで終了といたします。
 冒頭に掲げた絵はがきは、ミャンマーの観光名所であるゴールデンロック世界三大仏教遺跡バガンの夕景。13年前に購入したものです。

 まず、「総集編」ということですので、ここに「総目次」を掲載しておきましょう。

三度目のミャンマー、三度目の正直  (1) ミャンマーで ツイッター(twitter)は使えるか?
三度目のミャンマー、三度目の正直  (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)
三度目のミャンマー、三度目の正直  (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)
三度目のミャンマー、三度目の正直 (4) ミャン猫の眼は青かった-ジャンピング・キャッツ僧院にいく (インレー湖 ③)
三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
三度目のミャンマー、三度目の正直 (6) ミャンマーの僧院は寺子屋だ-インデインにて (インレー湖 ⑤)
三度目のミャンマー、三度目の正直 (7) 日産ディーゼル、命(いのち)!-ミャンマーのトラック野郎たちは、日産ディーゼルを死ぬほど愛している、のだ
三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列
三度目のミャンマー、三度目の正直 (9) 13年ぶりのチャウタン水中寺院(イェレー・パヤー)
三度目のミャンマー、三度目の正直 (10) 特別講義:「即席ミャンマー人なりすまし」作戦


 総集編でもありますので、前回の「ミャンマー再遊記」には掲載していない、参考文献について解説を加えておくこととします。この連載では、ビジネス関係のものはいっさいはぶいていますので、・・

 いずれもかつて目を通したもの。出版が1996年から1997年にかたよっているのは、1997年がミャンマー観光年(Visit Myanmar Year 1997)で、ミャンマー投資ブームが燃え上がる(はず)だったからです。
 1997年当時は、次の投資先はミャンマーか、ベトナムか?などといわれていたのですから、隔世の感というより、ミャンマーはいったいどうなってしまったのだろう、というのがビジネス関係者のつぶやきです・・・
 でも、それだけポテンシャルをもった国なのです。条件さえ整えば、かならずやテイクオフすることでしょう。でもそうなってしまうと、少し寂しいかも・・・ちょっと悩ましいですね。

 あまりにも政治的に片寄っているものや、ミャンマー奥地の少数民族にかんするものなど、ミャンマーの全体像を知る上で、目を通していてもあまり参照する価値がないとみなしたものは、このリストから外してあります(・・私が目を通していないもので、すぐれた本があるかもしれませんが、内容について責任をもてませんのでここには掲載してません)。


<経済・ビジネス関係>

『ミャンマービジネスガイドブック』(ヤンゴン日本人商工会議所、JETROヤンゴン事務所、非売品、2008)
『魅惑のミャンマー投資』(松田 健、カナリア書房、2008)
『ミャンマー経済の実像-なぜ軍政は生き残れたのか-(アジ研選書) 』(アジア経済研究所、工藤年博=編
アジア経済研究所、2008)
『ミャンマー経済入門-開放市場への胎動-』(桐生稔/西澤信善、日本評論社、1996)

<一般書>

『ビルマ-「発展」のなかの人びと-』(田辺寿夫、岩波新書、1996)
『秘密のミャンマー』(椎名 誠、小学館文庫、2006)
『アーロン収容所』(会田雄次、中公文庫、1973)




<ガイドブック>
『ミャンマー-仏教遺跡の宝庫を歩く-第二版(旅名人ブックス)』(邸 景一/武田和秀=写真/旅名人編集室=編、日経BP企画、2007)
『ビルマ東西南北ミャンマーへの旅(旅行人156号)』(旅行人=編集・発行、2007)
『ミャンマー-慈しみの文化と伝統-』(フジタ・ヴァンデ編、奥平龍二監修、
『Lonely Planet Myanmar (Burma)』
『地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)』


<料理と食べ物>

『アジア怪食紀行-「発酵仮面」は今日も行く-』(小泉武夫、光文社知恵の森文庫、2004)


<仏教>

『ビルマ佛教-その実態と修行-』(生野善應、大蔵出版、1975)
『ビルマ仏教-その歴史と儀礼・信仰-』(池田正隆、法藏館、1995)
『ミャンマーの瞑想-ウィパッサナー観法-』(マハーシ長老、ウ・ウィジャナンダー訳、国際語学社、1996)


<マンガ>

『どこへ行っても三歩で忘れる鳥頭紀行-くりくり編-』(西原理恵子/鴨志田譲/ゲッツ板谷、角川書店、2001 現在は文庫化 2004)



 なお、今回のミャンマー国内旅行の手配にかんしては、M & J Travels & Tours Co., Ltd.(チョウ・ウィン社長)のお世話になりました。社長は日本語が堪能、日本側の窓口は、イージー・インターナショナル です。

 2度目のミャンマー訪問については、「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次 をご覧下さい。

 さあて、4度目のミャンマーはいつになるのかな? 
 その前に、まずミャンマー料理食べに行かないと、ねっ!!




                 

仏歴2553年、「ラオス新年会」に参加してきた(2010年4月10日)-ビア・ラオとラオス料理を堪能



                
 本日から、タイ・ラオス・ミャンマーは、それぞれの国で「水かけ祭」(water festival)新年のはじまりでお正月です。カンボジアでは水かけ祭ではなく、水祭としてボートレースが行われるようです。
 いずれも、東南アジアの上座仏教圏の国々ですね。そしていずれも「水の民」「コメつくり」の国々。水の恵みと水の災難をともに経験する人々にとっての、一年でもっとも重要な正月を祝う行事です。
 (*今年は仏歴2553年だが、ミャンマーとスリランカでは仏歴2554年である。お間違いなきよう)。

 本年 2010年の「水かけ祭」のスケジュールは以下のとおりです。「 」内は、それぞれの国での「水かけ祭」の名称です。情報源は、世界の公休日が日本語でわかる http://www.saijitsu.net/index.htm です(・・ただし日本語の翻訳がヘンテコなので、英語版でみたほうがよい)。

タイ「ソンクラーン Songkran」 4月13日~15日
ラオス「ピーマイラーオ Pi Mai Lao」(ラオス新年)4月13日~16日
ミャンマー(ビルマ)「ダジャン Thingyan」4月13日~16日(ミャンマー新年4月17日)  
カンボジア「Chaul Chnam Thmey」(クメール新年)4月14日~16日

 西洋化のすすんでいるタイ、とくに首都のバンコクでは、西暦の正月も大々的にお祝いします。大晦日のカウトダウンと、1月1日になった瞬間に始まる花火の打ち上げ。
 それはそれで盛り上がりますが、やはり本ちゃんはタイ正月のソンクラーンですね。これは、ラオスもカンボジアもミャンマーもみな同じです。
 東南アジアでは華人も多いので、華人にとっての正月である春節(CNY:Chinese New Year)もありますが、すくなくとも私がいたタイでは国民の休日、ビジネス的にいえば bank holiday にはなっていませんでした。しかし、商業の担い手の華人ビジネスマンはみな春節休暇をとってしまうので、急ぎの仕事には支障がでます。
 「水かけ祭」ですが、不思議なことに、この「水かけ祭」の前までは、ものすごく暑い日が続くのですが、この祭が終わるとほぼ同時に東南アジアは雨期に入っていくのですね。
 現在、バンコクではソンクラーン(新年)だというのに、依然として「赤シャツ組」が市内の中心部を占拠しており、正月といった感じではないようです。本来なら、バンコク市内ではもっとも派手に水のかけ合いが行われる、バックパッカーのたまり場であるカオサン・ストリートでは、今年は水のかけ合いは自粛のようです。日本人カメラマンが撃たれて即死した場所でもありますし・・・・


 さて、今週日曜日(2010年4月11日)、東京の在日ラオス人民共和国大使館で行われた「仏歴2553年 ラオス新年会」に初めて参加してきました。来客者の都合を考えて、早めに日曜日に開催されたようです。案内状とスケジュールは、こちらにアップしてあります。ラオス国際航空の日本代表からのお誘いで参加してみました。

 では、「ラオス新年会」について、ごくごく簡単にご紹介しておきましょう。
 
 式次第を掲載しておきます。

●10:30-11:30 仏像のお清めおよびバーシーの儀式(* wish ring を手首に巻く儀式)
●11:35-12:00 新年お祝いの言葉(ラオス大使)
●12:00-16:00 昼食会、ラオスおよび日本の伝統文化の披露会



 「仏像のお清め」は、トロピカル・フラワーを浸した水から、銀製のカップで水をすくい、仏像にひとつづつ水をかけて清めるもので、日本でもちょうど同じ季節にある「花祭り」みたいなものです(冒頭の写真を参照)。

 しかし、なんといってもお得なのは、参加費3,000円でラオスを代表するビア・ラオ(Beerlao)の小瓶が飲み放題、ラオス料理が食べ放題という、たいへんおいしい新年会だったことですね(^^)。



 ひさびさに飲んだビア・ラオ、久々に食べた本格的なラオス料理は実に旨かった。ラオス料理は、タイの東北地方であるイサーン料理とよく似たもので、鶏肉料理や、ブタ挽肉を使って香辛料を効かせたラープなどの料理が多く、これがまた実にビールに合うんですねー。
 こういった肉料理と一緒に、タイ語ではカオ・ニャーオといっているモチ米を食べますが(・・ラオス語でなんというのかは知りません)、これは日本人にとってはうれしいもの。右手でちぎりながら食べますが、粘りけがうれしいですね。



 しかも、日本人にとってラオスで一番うれしいのは、川海苔の存在だ。日本では海海苔が中心だが、ラオスでは川海苔を食べる習慣があり、味付けした川海苔をパリパリと食べるのは、無上の幸せを感じる瞬間だ! 日本にいるとそれほどありがたみはないのですが、ラオスの首都ヴィエンチャンで川海苔を食べたときは感動しましたね-。



 それともう一つ。今回はじめてラオスそうめんを食べました。ココナッツミルクがたっぷりはいったカレー汁でいただくのですが、これがまた旨いのですね。しかも、そうめんというのが実にうれしい。ラオスもまた日本と共通点が多いのです。



 な~んてことで、ビア・ラオ飲み過ぎ、ラオス料理食べすぎで、眠くなってしまったので、伝統文化を見ることもなく帰宅しました。というよりも、新規開業準備のつづきをやらなくてはならなかたので、早めに退散したという次第です。
 伝統文化の舞を見れなかったのは残念な、グルマン(食いしん坊)の私です。

 来年もぜひ参加したい「ラオス新年会」でした。
 

 ここで、重要情報です!!
 
 第2回目の「ラオス・フェスティバル 2010」が、2020年5月22日(土)と23日(日)の二日間、2年ぶりに代々木公園で開催されます。伝統文化や物産の紹介と販売だけでなく、おいしいラオス料理とビア・ラオを楽しめる絶好の機会です。
 公式サイトはここ http://laos-festival.info/

 その前の週の、2010年5月15日(土)と16日(日)には、毎年恒例の「タイ・フェスティバル 2010」も開催されます。公式サイトはここ http://www.thaifestival.jp/

 二週連続で東南アジア気分を満喫できることの機会、関東在住の方はぜひ参加してみてください。

 いまから楽しみだなあー。


<関連サイト>

ラオス国営航空 公式サイト http://www.lao-airlines.jp/
ビア・ラオ(Beerlao)公式サイト  http://www.beerlao.la/eng/main.php(英語)音声に注意!




               

2010年4月12日月曜日

書評 『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010)




 『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010)の献本が、「R+ レビュープラス」から届いていたのだが、会社開業準備で多忙をきわめていたため、えらくずれ込んでしまった。
 もう待ったなし、ということなので、本日やっと目を通して書評を書いてみることにした次第。

 さて、本書については、結論から先にいうと以下のようになる。

 環境エネルギー問題、とくに電力コスト削減については、大規模なデータセンターを稼働させている民間企業グーグルにとって死活的な問題である。この問題解決のための必死の企業努力が、結果として環境問題解決につながっているということを、もっと整理して、著者自身の視点として明確に書いてもらいたいと思った。

 
 これだけではあまりにも簡単すぎるので、あくまでもビジネスマンである私の観点から、本書についてやや詳しく感想を述べておこう。


 世の中に存在する情報のすべてをデータベース化し、それを整理して公共財として無料で一般公開し、誰にでも使用できるようにする、というのがグーグルのミッションであるが、インターネット上の情報のデータ単位である「ビット」は限りなく「フリー」(無料)にはできても、インターネットそのものを動かす動力源である電力は情報ではなく、しかも現状では電力はかなり高価であり、フリー(無料)というにはほど遠い。
 コスト構造に占める電力消費金額を極限まで下げたいというのが、グーグルが環境エネルギー問題に、一般人の想像以上にチカラを入れている理由だろう。しかも、扱い情報量の急速な増加にしたがって通信量が増加し、今後さらに自社内での電力需要が増大することが確実だからだ。
 インターネット社会を成立させるための基本インフラが電力網であるかぎり、ハード面での省力化投資は不可避なのだ。

 昨年には日本語版も出版された米国のロングセラー『フリー』におけるクリス・アンダーソンの考えをヒントにして、私はそのように考えているのだが、こういった仮説を前提として本書を読むと、環境エネルギー問題においてグーグルが取り組んでいる具体的な施策について、その意味と重要性を理解することができるだろう。

 ところが本書は、多くの読者がおそらく知りたいであろう疑問にダイレクトに答えているわけではない。疑問とは、IT企業であるグーグルが、なぜこれほど環境エネルギー問題にチカラを入れているのか?

 もちろん丹念に読めば、著者が翻訳紹介している、グーグル自身による断片的な言及をつなぎ合わせることによって、私の仮説が必ずしも見当違いではないことが確認できるが、そういった努力を回避する普通の読者にとっては、あまりにも不親切といわざるをえない。
 本書において、著者はグーグルの環境報告書(英文)を翻訳紹介しているのだが、資料集としても徹底しているとはいい難く、不完全である。よくよく注意して読まないと、どこから翻訳で、どこから著者による地の文なのかが明確ではない。
 とくに、グーグルの内部事情に詳しくない、私のような一般読者からみてよくわからないのは、Google.com  Google .org の関係である。たしかに環境エネルギー問題は、後者の Google.org の重要なミッションであることはわかる。しかし、それが Google.com にとっていかなる意味と重要性をもつのか、明確に見えてこないのだ。

 本書に収録されているコラム(P.107)で、グーグル CEO のエリック・シュミットがいみじくも語っているように、「気候変動といういわば漠然とした取り組み」を行うのではなく、「エネルギーインフラの再構築」こそが、グーグルにとってのテーマなのである。
 サステイナブルな「再生エネルギー」が、ビジネスにとってもプラスであることが言及されているが、これは話が逆だろう。企業の立場からいえば、まずコスト削減というビジネス上の要請ありきで、環境問題は後付けの理由ではないのだろうか
 しかし、私はそれでまったく構わないと思う。結果として電力コストが下がり、しかも環境破壊を食い止めることができるなら一石二鳥であり、それで万々歳である。つまり、この点においては、企業経営上の問題解決と、気候変動という公共的な政策課題の解決が両立することになるのである。
 「環境報告書」として表現されたグーグルの広報が、抜群に戦略的であるといっていいのは、企業の直接的な動機については明確に書いていないにもかかわらず、結果として環境問題解決に、グーグルが大いに貢献していることを躊躇なく示せることにある。

 地球温暖化という仮説が正しいかどうか、それはイデオロギーに過ぎないのではないか、という見解も最近では有力になってきている。
 しかし、少なくとも個別企業の観点からいえば、グーグルならずとも、電力コストの削減は至上命題である。しかも日本と比較して大規模な停電が発生する確率の高い、ほとんど発展途上国並みとしかいいようのない米国の電力事情(第8章)を考慮にいれると、グーグルが死にものぐるいで、電力を中心としたエネルギー問題に取り組んでいることが、十分に理解されるのだ。 

 本書はそもそものが、R&D と冠した出版社から出た本であり、理科系的色彩の非常に濃厚な本なのだが、細部へのこだわりは良しとしても、全体像が見えにくいのが大きな欠点だ。
 だれが読者層のターゲットになっているのか見えてこないし、書籍としての論理的な階層構造がよくわからないので、目次を読んで見当つけて、ざっと目を通すという読み方も容易でない。

 えらく辛口の批評になってしまったが、もちろん本書に意義がないといっているわけではない。
 グーグルが自社のデータセンタの電力消費を抑えるために、いかにハードとソフトの両面でいかに技術的な努力を行っているか、この点にについてグーグル自身によって書かれた具体的な記述は、実に興味深く読むことができた。こういった具体的な記述は、読む意味がある。

 要は、本としての見せ方の問題なのである。

 テーマ設定そのものは面白いと思うのだが、著者自身の切り口や視点を、もっと明瞭に打ち出すべきであったと思う。そうでなければ、「資料集」として徹底したほうがよかったのではないか。

 やや中途半端な感もないが、類書がないだけに先駆的意味はあるといってよいだろう。
 



 

株式会社ケン・マネジメント 本日2010年4月12日、新規開業いたします。


 
 各位

                                2020年4月12日(大安)

 
 みなさま、いつもお世話になります。

 さて、私こと 佐藤賢一(さとう・けんいち)は、本日2010年4月12日付で、新規に「経営コンサルティング業」を開業する事といたしました。
 会社名は 株式会社ケン・マネジメント、略してケンマネ と呼んでいただければ幸いです。

 「リーマンショック」が引き金となった、一年間の「サバティカル」期間中は、これまでの過ぎ来し方を振り返り、今後何をやっていくべきか、大いに悩みかつ考える機会となりました。
 この期間中に思索してきたことは、私のパーソナル・ブログ「つれづれなるままに ほぼ毎日更新中!!」に、書き記してきたとおりです。思索の記録は、それこそログ(log)として、私の大きな財産になったと思います。
 もちろん、最終的な答えがでたわけではありませんが、自らが動くことによって、自分自身だけでなく、日本も日本人も変革への道を歩むキッカケになれば・・・と考える次第です。

 「自分のボス(my own boss)になりなさい」と強く背中を押していただいた西水さまはじめ、人生の諸先輩、年上年下の友人たちには、この場を借りて、深く、深くお礼申し上げます。

 事業内容については、会社の公式ウェブサイトに記載しましたので、ご覧いただけると幸いです。http://kensatoken.com/

 荒海へなか、小舟での出発となりますが、今後とも、よろしく申し上げます。
 今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしく申し上げます。


                                  敬具



株式会社ケン・マネジメント 
KEN Management Ltd.
代表取締役社長 経営コンサルタント
佐藤賢一(さとう・けんいち)

e-mail: ken@kensatoken.com
URL: http://kensatoken.com


P.S.

 同じ挨拶文は、私のもう一つのブログにも掲載してあります。
 「ビジネス・ブログ KEN Management Ltd.」も、もしよろしければご覧いただけると幸いです。http://ken-management.blogspot.com/
 内容的には重複するものもあろうかとは思いますが、よろしくお願いします。 




                       
  

2010年4月11日日曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (10) 特別講義:「即席ミャンマー人なりすまし」作戦




特別講義:「即席ミャンマー人なりすまし」作戦-これであなたもミャンマー人になれる! (講師:ミスター・ロンジー)■


 せっかくの機会ですから、とっておきの話を最後にしておきましょう。

 はじめてミャンマーにいく人も、二度目の人も、三度目の人も、意外と実行した人はあまり多くないのではないのかなと思われるのが、「ミャンマー人なりすまし」作戦です。

 ミャンマー人になりすますのは実に簡単。では私めがご説明いたしましょう。

 まず、ヤンゴン市内のボージョー・アウンサン・マーケットにいって、ロンジーを購入してください。
 ロンジーとは腰巻きのこと。筒状になった布をスカートにようにはいて、腰のところで余った部分を曲げて折るだけ。慣れてくれば、そう簡単にずり落ちてくることはないですし、なんといっても暑い国のことです、スースーしてすごく快適ですよ。ベルトもいらないしね。
 ロンジーですが、織物ですので柄と質によって千差万別です。そんな頻繁にミャンマーに行くのでなければ、安いやつでもいいいでしょう。しかし、安物買いのゼニ失いの可能性がありますよ。安物はすぐに色が落ちてしまうようです。

 本当はロンジーの下には下着はつけないのがミャンマー流らしいのですが、さすがに絶対にずり落ちないという自信がないので、私は試したことはありません。そのほうが気持ちいいのは間違いないですけど、女性たちと一緒に同行しているし、さすがに・・・(赤面)。もっとも、日本でも柔道着の下は何も着けないようですが(笑)。

 写真に写っている「あやしいミャンマー人」は、はい、私です。今回のミャンマー行きの最終日、チャウタンの水中寺院で撮影したもの。サングラスがあやしいですねー、なんだかうさんくさいですねー(笑)。

 しかしこれではまだ欠けているものがありますね。
 さーてなんでしょう?

 そうですね、まず日焼けの度合いが足りませんね。
 でもこれは、長く滞在していれば必然的に色黒になるので心配なし。

 足元にご注目。裸足ですねー。でもこれはパゴダにいるからです。パゴダに入るときは外国人だろうといっさい関係なく、裸足にならなければなりません。当然の礼儀ですよね。

 ではパゴダの外にでたら・・・そうですね履き物が必要ですよね。
 基本的にパゴダにいくと裸足にならなければならないので、靴はやめたほうがいいですね。裸足にサンダル、これはおすすめです。でもそれだけではまだミャンマー人になりすますには、あと一歩足りません。
 何が足りないって?


 そうです、足りないのはミャンマー草履(ぞうり)、なのです。
 写真をみてください。足指の股でで鼻緒(はなお)を挟むタイプの文字通りの「ぞうり」です。ぞうりの底には天然ゴムが貼ってあり、歩き回っても意外と疲れません。ビーチサンダルみたいなものですが、そんな安っぽい物じゃあ、ありません。
 しかも、なんとミャンマーでしか売っていません
 こないだ購入したのは米ドルで約3ドル、Mandalay slippers とありますが、これが商品名なのか、一般名詞なのかは私にはわかりません。
 安価な中国製品が大量に流入している現在のミャンマーですが、さすがに「ミャンマーぞうり」は Made in Myanmar と記されています。国産品愛用でしょうかねー、それとも中国人はこういう製品に手を出さないのか。
 韓国人が日本人を侮蔑する際に使用するスラングに、チョッパリ(=ひづめの割れたものをさす韓国語)というのがありますが、日本人とミャンマー人は韓国人からみれば同類となるわけですね。タイ人はこのタイプのぞうりに対するこだわりはないように思われます。普通のサンダルですね。
 こういうミャンマー草履(ぞうり)を、何の疑問もなく履いてみる私たち日本人も、ある意味では不思議な存在かもしれません。こんなところにも、日本人とミャンマー人の共通性を発見するのは面白いことです。

 日本を捨てて、ミャンマー(ビルマ)で生涯を過ごす決心をしても、何も水島一等兵(@『ビルマの竪琴』)のようにお坊さんになる必要はありません(・・もちろんビザの関係がありますので、なかなか難しい相談ですね。もちろんその必要性があるのかどうか・・・)。
 ロンジーとミャンマーぞうりを購入すれば、はい、即席ミャンマー人が一丁できあがり。安いものですね。あとは数日滞在して色黒になるのを待つだけ。最初から色黒であれば、待つ必要もありません。
 こんなこと書いている私も、メインイベントの僧院の孤児院では、お坊さんからミャンマー語で尋ねられて閉口しました。ミャンマー語がわからないということをわからせるのに少し苦労しました・・・
 一番はじめにミャンマーにいった13年前にも思いましたが、ミャンマー人は日本人とよく似た顔つきをした人が多いのは確かです。いきなりニコニコと微笑みかけられて、高校時代の友人がなぜここに!?なんてことを思ったことがあるくらいです。

 簡単でしょ! では、次はみなさん自身が「ミャンマ-人なりすまし」を実行する番ですよ!
 何事もやってみなくてはわかりません。
 けっして「バカになれ」なんていっているのではありませんよ。これではミャンマー人はバカだといっていることになってしまいますよね。なりすましは、知的な行為ですよ。
 「郷に入りては郷に従え」と昔からいいますよね。
 ロンジー姿にミャンマーぞうりでも、高級ホテルに入るのを阻止されることはありません。

 ただし品格(?)が必要かな?
 なーんてこと語る資格が私にあるのかどうかわかりませんが・・・
 でも本当は、ロンジー姿でも正装はありますので、これは上級編の課題となりますね。

 いつかどこかで ミスター・ロンジーを見かけたら、声をかけてください。さすがに日本国内ではロンジーはきませんけどね(・・私の知り合いには役所にはいていったという「つわもの」がいますが)。


 以上で特別講義は終わりです。

 ではまた!



 (をはり)



 

2010年4月10日土曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (9) 13年ぶりのチャウタン水中寺院(イェレー・パヤー)




 メインイベントへの参加も終わったし、「三度目のミャンマー」の旅もそろそろ終わりに近づいてきた。
 結婚式のあとは、ヤンゴン市内のカバイェー寺院と併設の仏陀博物館、インヤー湖(・・インレー湖ではない!)のカフェ(tea house)へ、そして夜はヤンゴン市内のチャイナタウンにてミャンマー・ビアの生ビールをガンガン飲みまくり・・・という楽しくも充実した一日を過ごした。

 私は早めにミャンマー入りしたこともあり、また会社設立作業を一時中断してのバカンス(?)となったため、翌日の夕方の便でバンコク乗り継ぎで帰国することにしていた。結婚式ツアーの皆さんは、三連休であったのであと2日の予定をまだ残していたのだが。
 さて、日曜日を帰国日としていた。レイト・チェックアウトが運良く午後4時まで可能となったが、夕方まで特にすることもない。友人からの誘いで、昼食までツアーの皆さんと同行することした。
 
 向かった先はチャウタン(Kyautan)、ヤンゴンからはクルマで1時間ほど南の近郊にある「水中寺院」で有名な町である。バスで走っているうちに思い出したが、この道は13年前に通ったことがあるなー、進行方向右側に遊園地の観覧車がある!・・・ひさびさだ。なんんだか妙に懐かしい。
 大河ヤンゴン川の河口に向かって走ることになるのだが、中国の援助で建設された大橋を渡る。
 道すがら、周囲に何もない環境のなかに「ミャンマー海洋大学」Myanmar Maritime University)のキャンパスが現れてくる。以前、バンコク行きのTGで隣り合わせた日本人が日本の海運会社の社長さんで、ミャンマーに経済ミッションで行くというのだが、ミッションの内容は船員確保のための視察がテーマなのだという。

 現在では、人件費高騰のため日本人の船員はほとんどおらず、フィリピン人船員が多いということは知っていたが、ミャンマー人の船員も多いのだということはその時まで知らなかった。
 船員というのは労働集約型産業の最たるものだから、人件費の比較的安いフィリピン人やミャンマー人が採用されることは理解できる。海運会社の社長さんの話では、ミャンマー人の船員の質は高いらしい。ミャンマー政府も人材育成にチカラを入れているようだ。かつては繁栄していても、独立後に経済のテイクオフに失敗した国の共通点かもしれない。
 これといった産業のない最貧国にとっては、観光とならんで貴重な外貨獲得手段と位置づけられているのだろう。

 さてバスはチャウタンの町へ。川を左手にみながら狭い道の陸側には干物屋がぎっちりと軒を並べている。個人旅行なら干物屋をひやかしてみたい気もしたが、団体様一行なのでそこはぐっとこらえてバスのなかから写真を撮るだけにとどめる。
 バスを下りると暑い! にわかミャンマー人スタイルのミスター・ロンジーこと私も、陽射しがきつくいのでサングラスは必携である。
 「水中寺院」は川の中州にある。イェレー・パヤーという名のパゴダ(仏塔)である。アクセスは舟のみである。そうそう13年前に来たときもこうだった。人でごったがえしたような船着き場からはひっきりなしに舟が行き来している。
 舟に乗っている時間はわずかなのだが、それにしても水中(・・というより水上というべきだと思うのだが)にパゴダを建設するのは、インレー湖もそうだが、ミャンマー人一般に共通する性格のようだ。ミャンマーは多民族国家であるが、東南アジアに共通する「水の民」としての性格が濃厚であることを実感する。

 川の中州のパゴダは面積としては小さいのだが、この島にミャンマー各地から大量の善男善女(ぜんなんぜんにょ)が集まってきて、思い思いに祈ったり、そぞろ歩きをして、ごった返しているる姿を見るのは壮観である。日本でいえば、東京・浅草の浅草寺(せんそうじ)を狭い島のなかに移し替えたようなものか。そういえば浅草寺も、漁民が網に引っかかった観音様を拾い上げて、それをお祀りしたことから始まったのが縁起だということを思い出したが、その意味では日本人も「水の民」としての性格をもっていることがわかる。

 ガイドをしてくれたミャンマー人青年によると、この日に多く来ていたのはモン人であるという。チャイティーヨーの「ゴールデン・ロック」周辺地帯に住む民族である。私からみても外見で区別することができないのだが。
 エサをまくと魚が争うようにして集まってくる。どうやらナマズらしいが、神聖な魚なので食べてはいけないらしい。こうやってエサをやることもまた仏教的にいえば功徳を積むことになる。なんだか、房総半島の泡勝浦の鯛ノ浦の日蓮上人の故事を思い出す。

 水中寺院の参観はミャンマー人は無料(フリー)だが、外国人は米ドルで1ドル払わなければならない。面白い看板を見つけた(写真)。「外国人は US1.00 (or) FEC 1.00 per person to the Pagoda 寄付せよ」と看板に書いてある。FEC ねえー、FEC とは Foreign Exchange Certificate の略、日本語でいえば兌換券のことだ。13年前からこの看板はそのままなのだろうか。
 そうそう13年前のミャンマーにはまだ兌換券が使用されていたのだ。空港で(・・しかも現在の新しくて立派な建物ではなく昔の木造のやつ)、300ドルの強制両替が強いられていたことを思い出したが、兌換券は現在でも使用されているのかどうか?
 米ドルの使用は公には禁止されているはずだが、実際には市中に流通しているし、公の交換レートとは別に実勢レートでのミャンマーの通貨チャットとの交換もされるし、受取が拒否されることもそれほど多くない。中国でも昔は兌換券があったが現在では使用されてないし、ミャンマーはいったいどうなっているのだろうか・・・。

 さて、今回の旅は以上で終わりである。

 ミャンマーには、チャイティーヨーの「ゴールデンロック」バゴーの巨大寝仏マンダレーの王宮、世界遺産であるバガンの仏教遺跡など、まだまだ訪れるべき観光名所も多い。これらはみな、13年前にクルマと運転手を雇って1週間で回ったので、この場で紹介することはしないが、いずれも定番コースであるのであえて説明するまでもないだろう。
 上座仏教では、「ゴールデンロック」もそうであるが、女人禁制(にょにんきんぜい)の場所も多いので、女性の方には不満も多いだろうが、これは異文化だと思って割り切っていただくしかない。日本も明治時代になるまで女人禁制の場所は多かったことを思い出していただけばよい。
 
 そうそう、女人禁制の話だが、最期にティラシンについて触れておこう。
 タイに比べてミャンマーは、まだまだ生活の中に仏教が生きている国だが、お坊さんだけでなく尼さんのような姿形のティラシンを多く見かける。チャウタンの水中寺院にも多かった。
 スキンヘッドに色鮮やかな衣を身にまとったティラシンは、実は大乗仏教には存在する尼僧ではない。上座仏教では女性は出家できないのは、比丘尼に求められる戒律をみたしていないこと、授戒の伝統が途絶えてしまっていることが理由であるらしい。これはタイの場合も同じであるようだ。
 『ビルマ佛教』(生野善應、大蔵出版、1975)によれば、在俗信者であるが、出家者と在俗信者の中間的存在とみなされているらしい(P.182-185)。生野善應氏は修道女という日本語をあてている。戒律は10のうち8つを守り、独身であり、午後は食事を摂らないようだ。
 東南アジア学の権威である石井米雄氏によれば、タイの場合についていうと、息子が一時出家することが母親にとっては最大の功徳であり、女人救済はこういった迂回ルートをとって行われると説明している。逆にいえば、息子としては一時出家することが母親に対する最高の親孝行となるわけだ。ミャンマー(ビルマ)も同様であろう。
 ただしこのことをもって人権侵害とか短絡的に捉えるべきではないだろう。ユダヤ教正統派やイスラームにおいてと同様、上座仏教圏は異文化なのであるから、それはそれとして受け取るべきである。実際、タイもそうだが、ミャンマーでは女性の社会進出は日本の比ではない。

 ということで、ここでいったん終わりにします。キリがないからね。
 あと1回、総集編を書いて締めくくります。旅のアドバイスや参考文献の追加など。

 二度あることは三度ある、三度あることは・・・。なんだかすっかミャンマーに取り込まれつつある私です。


(つづく)




         

2010年4月9日金曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列




 さて、いよいよメイン・イベントに参加しなければならない。ミャンマー式の結婚式に参列することになっているのだ。そのためにミャンマーに渡航することになったのだ。
 といっても私の結婚式ではない(笑)。私の友人の結婚式である。
 日本人女性とミャンマー人男性のカップルが、娘一人を連れてミャンマーの首都ヤンゴンで結婚式を行う、というわけだ。その日本人女性が私の友人である。

 「ミャンマー式結婚式」がどういうものかは、私は何の知識ももっていなかった。たぶん「タイ式」と同じようなものだろう、と。キンキラのカンムリなんかかぶって、男も「おてもやん」みたいな化粧する、というやつ。
 ところが、今回は新婦じゃなくて、新郎の希望でそういう結婚式はあげたくないので、簡素化したものである、と。しかも、新婦の希望で、豪華なものではなく、孤児院でやりたいのだ、と。
 というわけで、僧院付属の孤児院を会場にして結婚式が行われることになったのであった。

 孤児院で結婚式をやる!?、という話を新婦から聞いたときは、「またまた、なんでそんなとこで」と思ったのは正直な感想であったが、ヤンゴンで日本からの「結婚式ツアー」に合流し(・・私は早めにミャンマー入りしていた)、その翌日の朝にバスで孤児院に到着したとき、「ああ、こういう手作り感に充ち満ちた結婚式もいいものだなあ」、と思ったのであった。

 ヤンゴン市内の、その僧院付属の孤児院は、日本でいえば、お寺が経営する幼稚園みたいなものだ、といってもいいだろうか。2階で行われた結婚式のあと、1階の孤児院の昼食風景や授業前の教室を見学させていただいたとき、子どもたちにまったく暗さがないのが実に印象的だった。
 こういう場所で結婚式を行って、食事を振る舞い、お坊さんや子どもたちに日本からのプレゼントを差し上げるということで功徳を積む、これまた正しい振る舞いなのである。

 われわれ「結婚式ツアー」とほぼ同時期に、かの有名な勝間和代女史が特定非営利法人JEN の視察のため、ミャンマー入りしていたらしいということは、私は友人から教えてもらって帰国後に知った。
 勝間女史のやっていることはそれはそれで正しいのだが、社会貢献というものは、必ずしも狭義の NPO(・・日本の法律に基づく NPO法人 のこと)をつうじて行わなくてもいいのである。
 お寺という広義の NPO(=非営利組織。英語ではむしろ広義での使用が当たり前)に寄進して、それが孤児を含めた子どもたちにために直接使われるのであれば、けっして目新しいものではなく、むしろ伝統的な方法であるが、寄進を行った本人にとっても個人として「功徳を積む」ことになるのである。
 「現世で積んだ徳は、あの世で引き出す」、というわけだ。むしろそのした援助のほうがミャンマー社会からは受け入れられやすいだろうし、いかなる政権であれ拒むことはできないであろう。キリスト教色が全面に出過ぎた欧米の援助団体よりは受け入れやすいはずだ。
 とはいえ、上座仏教徒であるミャンマー人たちは、パゴダを建てることが、現世で徳を積むには最高のことだと考えているので、生活を切り詰めてでもお寺に寄進してしまうことがあるようだ。この寄進の一部でも現世で役に立つことに使われるといいのだが。
 それはさておき、勝間女史のような有名人が、直接ミャンマーに入ってその様子をブログやツイッターで報告するのは、たいへんよいことである。フォロワーの皆さんは、ネット上でフォローするだけでなく、リアルワールドで勝間女史をフォローするべきだろう。これを機に、ぜひ直接、ミャンマーの地に足を踏み入れて欲しいものである。
 

 話が先走ってしまったが、メイン・イベントは「ミャンマー式結婚式」である。この話をしなくてはならない。

 それはどういうものかと一言で説明すれば、「仏教式結婚式」なのである。
 日本でも仏教式のものがあるらしいが、残念ながら私は参列したことはない。
 今回は、仏教は仏教でもミャンマーの上座仏教、日本の葬式仏教とはまったく異なり、仏教はミャンマー人の人生を誕生からその死まですべてに仏教がかかわってくる。これはタイも同様である。機能としては、日本でいえば、むしろ神道に近いかもしれない。上座仏教は宗教と云うよりも、人生全般を律する倫理としての意味合いが大きいからだ。

 式次第を簡単に説明すると、まず僧院の大僧正による法話40分。結婚式をあげるカップルは15分くらいに短くしてくれと頼んだそうだが、大僧正からは即座に却下されたらしい。大僧正いわく、キチンと決められて通りにやらないと祝福したことにならない、と。ごもっともである。
 ただし、日本と違ってずっと正座していなくてもいいので、その点は参列者にとってはラクなものだ。とはいっても、ミャンマーでもタイでも、目上の者や高僧の前でする正式な横座りは、慣れていないと日本人には腰への負担が大きいので、ロンジーをはいて「にわかミャンマー人」になりすました私も、日本人ということで正座と胡座(あぐら)を交互に繰り返して、足がくたびれるのを防止したのであった。
 
 大僧正の法話だが、まったく理解できなかった、というのが正直な告白である。私にとってだけでなく、日本から来た人たちにとっては、まったくもって「お経のようなもの」であり(・・文字どおりお経なのであるが)、ミャンマー人にとっても仏教要語をすべて理解できりうわけでもないらしい。
 なぜなら、法話はミャンマー語(ビルマ語)ではなく、聞くところによるとパーリ語らしい。上座仏教圏に産まれた男子なら、とくにミャンマーでは子どものときに一時出家するのは重要な通過儀礼の一つだから、パーリ語のお経は内容はわからなくても、耳にはしているはずである。
 私のパーリ語の知識といえば、仏法僧の三宝にたてまつるという意味の、「ブッダム サラナム ガッチャーミー、ダンマム サラナム ガッチャーミー、サンガム サラナム ガッチャーミー」くらいしかないので、法話の内容は、結婚を祝福し人生の門出にあたって云々というような意味だろうと推測するくらいしかないのであった。法話の最中に聴き取れたのは、アルハットくらいである。アルハットとは阿羅漢のことである。
 ちなみに誤解あるようだが、上座仏教の経典はパーリ語、大乗仏教の経典はサンスクリット語である。涅槃はパーリ語ではニッパーナ、サンスクリット語ではニルバーナ。仏法の法はパーリ語ではダンマ、サンスクリット語ではダルマ。まあ似たようなものではある。

 大僧正による法話の最中、両隣に高僧が座っているが、まったく一言も発しない。大僧正の衣の色はややオレンジ。この三人はイスに座っている。
 そのまわりに小坊主たちが床に直か座りをしているが、これがまあ落ち着かないといったらありゃしない。まったくもって退屈なのだろうし、じっと座っていられないようだ。そんな小坊主を観察するのも面白い。日本的な形式主義文化ではなさそうだ。

 法話が終わると、そのお礼に食事を差し上げる儀式がある。丸テーブルというよりもちゃぶ台に所狭しと並べられた食事を前に座った高僧と祝福されたばかりのカップルが、ちゃぶ台を持ち上げる儀式が行われる。この意味はよくわからないが、江戸時代の武士が殿中(でんちゅう)でお膳を捧げ持つのと同じようなものなのだろうか。この儀式は、ちゃぶ台ごとに行われる。
 この儀式のあと、高僧から先に食事をとることになる。高僧たちの食事が終わったら、今度は小坊主たちのい食事である。小坊主たち全員でお祈りのコトバを大声で唱えてから、食事をいただくことになる。
 時間は午前11時過ぎ、昼食の時間であるが、上座仏教においては出家僧は、一日2回しか食事をとることが出来ない。しかも、午後12時以降は水以外はクチにすることができないのである。このため、小坊主たちは腹一杯食ってお腹にため込まなくてはならないのだ。育ち盛りの小坊主たちにとっては、空腹を耐えるのもまた、なかなか大変な修行であろう。 
 まかないの人たちが、ご飯をよそって歩き回る光景を眺めているのは、われわれ参列者の食事が一番最後になるからだ。

 このあと、うながされて1階におりて孤児たちの食事風景を見学させていただいた。先にも触れたが、孤児院という感じではなく、幼稚園みたいな感じで、子どもたちはまったく屈託がない。
 ついでに授業開始前の教室も見学させていただいた。私が大声でミンガラバー!(こんにちは)というと、子どもたちも声をそろえてミンガラバー!と返してくれた。

 この教室の場合は、机と椅子があるので、三度目のミャンマー、三度目の正直 (6) ミャンマーの僧院は寺子屋だ-インデインにて (インレー湖 ⑤)で書いたような寺子屋ではないが、僧院付属の孤児院ということもあり、ここでの先生はお坊さんたちである。ある意味で、ミャンマーの基礎教育は仏教抜きには語ることはできないであろう。
 ちなみにミャンマーの識字率は90%以上と、発展途上国とは思えないような高い数値を示している。ミャンマー語(ビルマ語)の独特な丸文字は、漢字仮名交じりの日本語よりは習得は容易だろうと思われる。
 教育は国作りの基礎である。こうして教育を受ける機会にめぐまれた孤児たちのあいだからも、立派な人物がでてくるかもしれない。
 つくづく教育の機会均等の必要性を痛感させられるとともに、基礎教育レベルが行き届いていることに、ミャンマーという国の潜在能力の大きさもまた感じるのである。まあ、もともと第二次大戦後の1950年代には、敗戦国日本よりも生活水準が高かったらしいのだが。

 やっとわれわれの食事の番が回ってきた。お坊さんたちと同様、ちゃぶ台の前に座ってミャンマー料理をいただくことになる。
 メニューはいうまでもなく各種のミャンマー風カレー。中華料理と同様、ミャンマー料理も、大人数でいろんなものを注文して、ちょっとずつ食べるのがよい。
 なんせ腹が減っているし、久々の本格的なミャンマー料理なので、たらふく食べてしまう。

 ついでにでてきた、お茶の葉を発酵させて味付けしたラペットウをいただく(写真左)。ああこれを食べるとミャンマーだなあ、という気持ちになる。
 デザートででてきたマンゴーがまたうまい! 前回の投資ミッションでマンダレーのマンゴー農園を訪問したときに食べたマンゴーもうまかったが、ミャンマーのマンゴーは知られざる名品だなあ。日本ではフィリピン産かタイ産しか入手できないが、ミャンマーのマンゴーはうまい! と繰り返しておく。
 このあとさらにスイーツがでてきたのだが、さすがにちょっとだけ食べてみるだけにとどめておいた。濃いい紅茶があればいいのだが、ミャンマーではインドと同様に砂糖入りのミルクティーになってしまって甘すぎるのだ。まあ、そんな贅沢は求めてはいけないのであるが・・。

 ということで、お昼過ぎには結婚式とその後の食事会もすべて終了、次のスケジュールは、孤児たちへのプレゼントを贈るイベント。エンピツや消しゴムをあげたのだが、こういった形で直接孤児たちに手渡しであげることができるのはよいことだ。
 援助しても本当に必要な人たちに、本当に必要なものが届かない、ということはよくある話である。モノを媒介にしているわけであるが、「収益の一部は寄付しました」というような免罪符的な形よりも、はるかに意味のあることだし、あげる側も貰う側も、ともに幸せを実感することができる機会となる。
 この孤児院じたい、日本の援助によって建築されたものであることが、プレートとして飾られている。具体的に見える形で寄付をする、援助することが重要なだけでなく、こういった本当に必要な援助まで現在は抑制されているのは、どうしたものか、という感もうけるのである。
 杓子定規で、原理原則だけで物事をすすめるのがいいのだろうか、日本人としては、原理原則もさることながら融通無碍(ゆうづうむげ)にフレクシブルに振る舞うべきなのではないかと思ってみたりもした、ミャンマーでの一日であった。

 書き始めると、ついつい長くなってしまうのは悪いクセ。少しまじめな内容になりすぎてしまっただろうか・・・・


(ミャンマーの話、もう少しだけ続きます)