「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 写真 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 写真 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年6月18日土曜日

「赤羽末吉スケッチ写真 モンゴル・1943年」(JCIIフォトサロン 東京・半蔵門)に立ち寄ってきた(2016年6月18日)ー 絵本作家の赤羽末吉が撮影した戦前の内蒙古

(会場で販売している図録)

東京・半蔵門の JCIIフォトサロンで開催中の「赤羽末吉 スケッチ写真 モンゴル 1943」に立ち寄ってきた(会期:2016年5月31日~6月26日 入場無料)。たまたま、ネットの情報で展覧会のことを知ったのは幸いであった。

赤羽末吉(1910~1990)は戦後日本を代表する絵本作家の一人。日本の民話を題材にした『かさじぞう』や『だいくとおにろく』、そしてモンゴルの民話を題材にした『スーホの白い馬』で有名な絵本作家だ。

その赤羽末吉が、戦前の内蒙古で撮影した貴重な記録写真の初公開である。73年前の写真ネガから、今回あらたにニュープリントしたもので、じつに鮮明なモノクロ写真の数々である。

モンゴル平原の抜けるような青い空、そして乾燥した大地。そしてその大地に生きる遊牧の民と動物。古武士のような風貌のモンゴル人男性たち、そして民族衣装に身を包み装飾品を身につけた女性たち、天真爛漫な子どもたち、馬や羊、ラクダ、そして蒙古犬。

(会場入り口近くの案内 右は王妃の写真)

遊牧民の移動住居であるパオ(=ゲル)、そしてラマ教(=チベット仏教)関連。寺院に僧侶、そして貝子廟(ベイズミャオ)における仏教僧侶による仮面舞踏チャム。

ソ連の影響下で独立を保つことができた外蒙古(=外モンゴル:現在のモンゴル国)とは異なり、帝国陸軍の支援による「モンゴル統一運動」が失敗に終わったのち、中国共産党が中国で支配を確立してから中国領として取り込まれた内蒙古(=内モンゴル)は、文化大革命の時代に仏教寺院が破壊されたのみならず、内国植民地としてモンゴル人のジェノサイド(=大量虐殺)が行われ、漢人の入植によって固有文化や遊牧民としての生活形態まで徹底的に破壊されてしまったことは、近年明らかにされつつある歴史的事実である。

その意味では、赤羽末吉が撮影した90点に及ぶ写真は、じつに貴重なものなのである。

写真が撮影されたのは1943年7月。日本の敗戦後は現地で留用されたが、1947年に帰国した際に写真やスケッチを持ち帰ることに成功したのだ、と。じつにラッキーなことであった。

モンゴル好きなら行くべき写真展である。 そして『スーホの白い馬』の読者ならなおさら。モンゴルでの実体験があってこそ、あの名作が生まれたのだと納得されるのだ。 とくに人々の表情がじつに魅力的だ。

会場で販売している図録(800円)はぜひこの機会に購入しておきたい(通販あり)。貴重な写真資料としてざひ手元に置いておきたい。



赤羽末吉(あかばね・すえきち)
1910年、東京の神田に生まれる。1932年旧満州(中国東北部)大連に渡る。運送業、電信電話会社などの仕事のかたわら独学で絵を学び、満州国国展に出品、特選賞を3回受賞。1947年帰国。1949年から69年までアメリカ大使館に勤務。1959年「民話屏風」で日本童画会展・茂田井武賞受賞。1961年、50歳のときに絵本の処女作『かさじぞう』を出版。『ももたろう』『白いりゅう黒いりゅう』で1965年サンケイ児童出版文化賞、『スーホの白い馬』で1968年サンケイ児童出版文化賞、1975年ブルックリン美術館絵本賞など。1990年、80歳にて没す。(ちひろ美術館サイトの情報に加筆)






<ブログ内関連記事>

『スーホの白い馬-モンゴル民話-(日本傑作絵本シリーズ)』(大塚勇三・再話、赤羽末吉・絵、福音館書店、1967)-「良質な絵本」もまた大事にしていくべき「昭和遺産」だ

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった! 
・・戦前の内蒙古におけるフィールドワークの記録。馬についての生物学、生態学、人類学的な記述がある

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相 ・・この戦争でモンゴル人は内外二つにわかれて対峙することになる

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・「連邦制を最終的に拒否した中国共産党においては、漢族中心の国家体制においては少数民族のチベットや内モンゴルを「国内植民地」扱いしてきた」

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・
・・モンゴル、トルキスタン

書評 『朝青龍はなぜ強いのか?-日本人のためのモンゴル学-』(宮脇淳子、WAC、2008)
・・同じアジア人であっても自然環境と地理的条件で大きく異なった文化と民族性

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
・・チベットの密教僧によるチャム(仮面舞踏)の映像あり


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2012年5月24日木曜日

エスニシティからアメリカ社会を読み解く ― フェイスブック創業者ザッカーバーグというユダヤ系米国人と中国系米国人のカップルが写った一枚の結婚写真から


Congratulations !!!

フェイスブック(Facebook)の創業者のマーク・ザッカーバーグとその新婦プリシラ・チャンの写真です。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグのページにアップされています。

フェイスブックの外ではありますが、これも「シェア」(share=共有)といえば、「シェア」です。すでに一万以上「シェア」されてますが、フェイスブックのIPOよりも、本人にとってはこちらのほうが重要かもしれませんね。心から祝福したいと思います。

さて、この写真から読み取るべきなのは、幸福感にあふれた若いアメリカ人カップルだけではありません。

「エスニシティからアメリカ社会を読む」という観点から、この写真を読み解いてみましょう。エスニシティ(ethnicity)とは、民族性としておきます。

まず、マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)はユダヤ系アメリカ人。結婚相手のプリシラ・チャン(Priscilla Chan)は中国系アメリカ人。プリシラ・チャンといえば、香港の女性歌手・陳慧嫻を思い出しますが、もちろん彼女とは別人です。ハーバード大学時代の同級生だそうですね。

ユダヤ系はアメリカの総人口のわずか2%程度、中国系はわずか1%強で、ともにアメリカ社会ではマイノリティ(少数派)です。しかし、ユダヤ系も中国系も教育熱心なことではアメリカ社会では双璧といってよいでしょう。

昨年2011年には日本でも話題となった「タイガー・マザー」(Tiger Mother:虎母)という本の著者エイミー・チュアは、中国系アメリカ人の大学教授です。「孟母三遷」という故事があるように、孟母ならぬ猛虎母といったところでしょうか。教育熱心という特性は、アメリカでの中国人のイメージの一つとなりました。

アメリカは、英国ほどあからさまな階級社会ではありませんが、そうはいってもエスニシティ(民族)による擬似的な階級は存在します。いわゆるWASPを頂点にした支配構造がガッチリと構築されて揺るぎないことは、書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)を参照してください。

ユダヤ系というと、「ユダヤ人=金持ち」というステレオタイプの固定観念を日本人はもっていると思いますが、すべてのユダヤ系アメリカ人が金持ちではありません。むしろ、知的職業に従事している中流階級がマジョリティであるといってよいでしょう。

マーク・ザッカーバーグの場合も、両親がともに医者という知的環境に生まれた人で、金融などのビジネス関係ではありません。

映画『ソーシャル・ネットワーク』を見れば明らかなように、アメリカのエリート層はユダヤ系ではないのです。ウィンクルボス兄弟という登場人物をみれば明らかなように、ハーバードなどアイビーリーグの大学に多額の寄付をしている一族などが、WASPという伝統的な支配層なのです。ザッカーバーグは財力ではなく、アタマの良さで合格を認められたわけですね。

映画 『ソーシャル・ネットワーク』 を日本公開初日(2011年1月15日)の初回に見てきた にもいろいろ書いておきましたのでご参照してください。

ちなみに、子どもの教育という観点から、ザッカーバーグ夫妻に子どもが生まれたときどうなるのかは興味があります。

ユダヤ人は、母親がユダヤ人の場合のみユダヤ人と見なされるので、新婦がユダヤ教に改宗すれば問題ありませんが、そうでない場合はユダヤ人にはならないわけです。

ユダヤ系アメリカ人と結婚したマリリン・モンローやエリザベス・テイラーがユダヤ教に改宗したことは、知る人ぞ知る事実です。マリリンは劇作家のアーサー・ミラーと結婚した際にユダヤ教に改宗しましたが、女性の場合は比較的簡単に改宗が許可されるようです。

なお、ザッカーバーグ(Zuckerberg)という名字は、文字通りの意味は「砂糖山」。

ドイツ語の Zucker(ツッカー:砂糖)にBerg(ベルク:山)ですから、日本語でいえば里山さんという感じでしょうか(笑) 

おそらくドイツ語というよりもイディッシュ語でしょうから、東欧系ユダヤ人のファミリーということになるわけです。イディッシュ語というのは、ドイツ語とヘブライ語が融合した東欧のユダヤ人の言語です。

ニューヨーク市長のブルームバーグ(Bloomberg)も同様です。Bloomberg BusinessWeek-知らないうちに BusinessWeek は Bloomberg の傘下に入っていた・・・ に書きましたが、Bloom+berg で花の山。「人のゆく裏に道あり花の山」という相場の格言を想起させるこの名字は、株関連ビジネスにはまさに最適な名字だといえるでしょう。

一枚の写真からさまざまなことを読み取る。これは、「アタマの引き出し」をフル活用しないとできません。漫然と眺めているだけでなく、「写真を読む技術」は向上させたいものですね。







<関連サイト>

紅茶館(Youtube)・・1965年生まれの香港の女性歌手・陳慧嫻(プリシラ・チャン:Priscilla Chan)の、わたしがいちばん好きな曲。平浩二の「バスストップ」(1972年)の、1992年発表のカバー曲。

ザッカーバーグ氏、「FB禁」の中国で新戦略-清華大学経営管理学院の諮問委員に就任 (東洋経済オンライン、2014年10月24日)

マーク・ザッカーバーグ、北京の清華大学で中国語を披露して大反響 (TechCrunch日本語版、2014年10月24日)
・・中国語で質疑応答に応じるザッカーバーの動画(29分)リンクあり(字幕なし)

ザッカーバーグ氏が中国語で講演、聴衆わかせる (CNN日本語版、2014年10月24日)
・・「同氏が中国語を話し始めると、聴衆は驚いた様子で拍手と歓声を送った。妻のプリシラ・チャン氏は中国系米国人。ザッカーバーグ氏は以前から、親類と話をするために中国語を習っていることを明かしていた」

(2014年10月26日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)

映画 『ソーシャル・ネットワーク』 を日本公開初日(2011年1月15日)の初回に見てきた

書評 『フェイスブック 若き天才の野望-5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた-』(デビッド・カークパトリック、滑川海彦 / 高橋信夫訳、日経BP社、2011)

Bloomberg BusinessWeek-知らないうちに BusinessWeek は Bloomberg の傘下に入っていた・・・
・・ブルームバーグというユダヤ系米国人

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)

イラン系日本人ダルビッシュがベースボールをつうじてアメリカとイランの関係改善に一役買う可能性がある

書評 『人種とスポーツ-黒人は本当に「速く」「強い」のか-』(川島浩平、中公新書、2012)-近代スポーツが誕生以来たどってきた歴史的・文化的なコンテクストを知ることの重要性
・・エスニシティの観点んから

(2014年2月14日、8月22日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2012年2月4日土曜日

「今和次郎 採集講義展」(パナソニック電工 汐留ミュージアム)にいってきた ー「路上観察」の原型としての「考現学」誕生プロセスを知る



「今和次郎 採集講義展」にいってきた。青森県立美術館でも開催された巡回展が、東京のパナソニック汐留ミュ-ジアム(旧 松下電工ミュージアム)で行われていることを知り、仕事のあいまをぬって立ち寄ってみた。

今 和次郎(こん・わじろう: 1888~1973)は、青森県弘前市出身の画家、デザイナー、建築家で、長年にわたって早稲田大学の教授をつとめた人。家政学関連で精力的な執筆活動もおこなった学者であり、関東大震災後に 「考現学」を創始した人でもある。

「今和次郎 採集講義展」の主催者による概要は以下のとおり。「考現学」については、のちほど取り上げて解説したいと思う。

「3-11」の歴史が大転換したいま、関東大震災を自分のなかで受け止めてつよい問題意識をもった今和次郎について考えるいい機会になると思われる。

●開催要項


開館期間: 2012年1月14日(土)~3月25日(日)
(※ 一部の作品について展示替え。前期展示は1月14日から2月26日、後期展示は2月28日~3月25日)
開館時間:  午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時半まで)
休館日::  月曜日
入館料: 一般:500円(65歳以上400円)、大学・高校生:300円、中・小学生:200円
主催: パナソニック 汐留ミュージアム、読売新聞社、美術館連絡協議会
特別協力: 工学院大学図書館
協賛: ライオン、清水建設、大日本印刷、損保ジャパン
後援: 社団法人日本建築学会、社団法人日本建築家協会、社団法人全日本建築士会、日本生活学会、港区教育委員会
協力: 青森県立美術館


●展覧会概要     

青森県弘前市に生まれた今和次郎(1888-1973)は、昭和初期の急速に大都市化していく東京の街の様子や人々の生活の変化を採集(観察し、記録する)・分析した「考現学」の創始者として知られています。また、民俗学者の柳田國男らがつくった民家研究の会「白茅会」の活動に参加したことをきっかけにはじめた民家研究の分野でも重要な足跡を残しました。

一方、関東大震災直後の街頭に出て、急ごしらえのバラック建築をペンキで装飾した「バラック装飾社」の活動や積雪地方の暮らしを快適にするための試験家屋の試み、村の共同作業場の設計などに携わった建築家・デザイナーでもありました。さらに戦後になると、日常生活を考察する「生活学」や「服装研究」といった新しい学問領域も開拓していきます。こうした幅広い領域にわたる活動の根底には、都市と地方を行き交いながらさまざまな暮らしの営みを"ひろい心でよくみる"ことをとおして、これからの暮らしのかたちを、今を生きる人々とともに創造しようと模索し続けた今和次郎の生き方がありました。

本展は工学院大学図書館の今和次郎コレクションに所蔵される膨大かつ多彩な資料の中から、スケッチ、写真、建築・デザイン図面等を展示する他、本展のために制作された模型や再現映像を通して今和次郎のユニークな活動を紹介する初の本格的な回顧展です。





かつて1980年代後半に、作家でイラストレーターの赤瀬川原平氏や建築史家の藤森照信氏などが中心になって、「路上観察学会」というグループが活躍していた頃、今和次郎がその先駆者として復活したのだが、わたしが今和次郎の名前を知ったのはその頃である。

その頃、再刊されたのが『考現学入門』(今和次郎、藤森照信=編、ちくま文庫、1987)である。その後、『日本の民家』(今和次郎、岩波文庫、1989)も再刊されたが、この両者とも、その当時に購入した文庫本を現在でももっている。

今回の展示会では、民俗学研究の一環として民家の調査からはじめた今和次郎が、その後、関東大震災後の東京の「現在」を「観察」することから、「考現学」という学問へと移行していったことがよくわかる内容になっていた。しかも、たんなる「観察」者ではなく、デザインの観点から、現状をただしく認識することから、生活改良へに建築家、デザイナーとして貢献するという姿勢。これは、民俗学者としては柳田国男や宮本常一にもつうじる「経世済民」姿勢が根底にあることを想起させる。

考「古」学に対して考「現」学。考古学(archaeology)に対して考現学(modernology)、へえ、なかなか面白いなあ、と思った記憶がある。しかも、考現学というのは今和次郎による造語なのであり、それも大正時代後期の関東大震災後のことだ。きわめてクリエイティブな話ではないか。

1985年に大学を卒業して、よく考えたわけでもなく、偶然の結果から金融系コンサルティング会社にさまよいこんだわたしは、いちばん最初に指導してもらった上司から、いろんなことを学ばせてもらったが、そのなかの一つが「観察」の重要性であった。

もともと生物学志向で自然観察が大好きだったわたしにとって「観察」そのものはきわめて慣れしたんでいたものであったが、産業社会や消費社会の観察というのは、じつは腰を据えて本格的に行ったことは社会人になるまでなかった。人類学のフィールドワークには大学時代から関心はあったが、実地に行ったことはなかったので、会社生活を「参与観察法」で観察するいい機会となったわけだ。

工場視察の話は脇においておくが、流通業界からコンサルティング業界に転進してきたその上司からは、地方出張したらかならず百貨店を観察すべしというアドバイスをもらった。その際は、まず最上階までエレベーターで登ってから、エスカレーターをつかいながらワンフロアごと観察してまわる。どういう配置になっていて、どういうものが売れ筋になっているか、細かくかつ全体をつかむ観察法。そして、何よりも重要なのが、人の流れをみること。

こんな教えをうけていたので、以後、世界中どこにいっても、百貨店に限らず市場などを訪れ、モノ(=商品)と人の流れを「観察」するクセがついてしまったのだが、当時の上司からアドバイスをもらった1980年代後半に、ちょうど時を同じくして『路上観察学会』が大々的に活動していたというわけなのだ。

今和次郎が実行していたのは悉皆調査。悉皆(しっかい)というのは、「残らず全部」という意味であり、「観察」対象を、細大漏らさず、コンテクスト(文脈)ごとすべて記録するという人類学の手法の応用である。どうでもいいようなディテールまで「観察」し、「記録」するという姿勢が、大上段ふりかぶってろんじる議論ではなく、具体的なモノをつうじて時代を語らせる技法として、わたしがうけた影響はきわめて大きい。

科学者の冷静な目をとおした「観察」、考現学者の冷静な目をとおした「観察」、両者には共通するものがあると感じる。写真ではなくスケッチを多用した点も、自然科学出身の梅棹忠夫とも共通するものがあるような気もする。梅棹忠夫は、写真よりもスケッチのほうが対象とをより正確に捉える点において優っていると語っているが、今和次郎の場合もおそらく同じような考えがあったのだろう。

しかも、今和次郎は、ただたんに目の前にある現象を見つめるだけではなく、現象の背後にある歴史も見つめていたようだ。おそらくその点が、90年後の現在においても古さをまったく感じさせない点ではかなろうか。

とくに、今回この展示会をみてつよく印象を受けたのが、新婚家庭の室内を調査し記録である。調査対象者の協力を得て、新居のなかにあるものを、間取りから装飾品や持ち物まですべてを細大漏らさず記録した手書きのペーパーである。1980年代に大活躍していた、舞台演出家でグラフィックデザイナーの妹尾河童(せのお・かっぱ)氏の室内イラストレーションのような印象を受けるものでもある。

この調査手法は、家電メーカーなどが行っている調査手法の先駆的存在となっていることに気がつかされるのだ。TVの企画で「お宅にお邪魔します」というものが、かなり以前から定番となっているが、すでに成熟した先進国で、モノに対する欲望の減退している日本とは違って、新興国の中国やインドで行われている調査では大いに効果を発揮しているようだ。

これぞまさに考現学。現在そのものを「観察」し、「記録」することで、ディテールと同時に全体像もつかむ観察法なのだ。

そんな現代的でもある「考現学」という学問を立ち上げた今和次郎の回顧展である。企業ミュージアムの企画展であるが、企業色は全面に出ていないのが好感される。

今和次郎という名前を聞いたことがない人もぜひ、訪れてみてほしいと思う。会場のパナソニック汐留ミュージアムは、新橋駅からも近いので、仕事の移動中にちょっと立ち寄ってみるのもいいと思う。

なお、展覧会のカタログは会場外でも出版ルートに乗っているので、展覧会にいく時間のとれない人も、カタログは入手する価値があるといっておこう。







<ブログ内関連記事>

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・松下電工ミュージアム(現在のパナソニック汐留ミュージアム)で開催された展覧会を機に書いた記事

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた・・これまたインテリア関連の企業が運営するギャラリー

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・「観察」とスケッチについて、今和次郎の考えと比較してみるのも面白い

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2011年6月26日日曜日

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた


 昨日(2011年6月24日)、「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)にいってきた。

 今年(2011年)は、岡本太郎が 1911年2月26日に生まれてから 100年にあたる。

 2011年5月8日まで国立近代美術館(東京・竹橋)で開催されていた「生誕100年 岡本太郎展」を見逃した人も、常設展「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」とあわせて訪れることをすすめたい。
 
 「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)が「生誕100年 岡本太郎展」(国立近代美術館)と違うのは、前者には「人間」という文字が入っていることだ。

 ポスターに掲載されている「どうしても本職というなら人間です」という岡本太郎のコトバにそれは端的にあらわれている。

 画家とか、文筆家とか、カメラマンとか他人が勝手につけたレッテルを拒否し、「職業は人間だ」と言い切る岡本太郎の啖呵(たんか)にも似た物言いにしびれる思いをするのはわたしだけではないだろう。ああ、やっぱり岡本太郎はいい! そういう気分にさせてくれる名コピーである。

 会場の川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎の母である作家・岡本かの子の出身地にまつわる地縁による。岡本太郎作の彫刻作品「母の塔」(1971年作)がシンボルタワーとして設置されているのは、それにまつわる彫刻としてふさわしいからだ。



 生田緑地(神奈川県川崎市)の丘のうえにある美術館までは、緑あふれる遊歩道を散策しながらの道のりとなる。

 最寄りの駅は、小田急線の向ヶ丘遊園駅。ここからタクシーでワンメーター710円乗って、日本民家園入り口で下車して、そこから5分ほど歩くのがいちばん近い。今回は、町田市に用事があったので、早めに家をでて途中下車して美術館に立ち寄った。この美術館にくるのは8年ぶり、2回目の訪問である。



 展覧会は、前期・後期の2期に分かれている。

 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にしたもの。後期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)は岡本太郎の影響を受け、岡本太郎の精神を継承する人たちを中心に紹介するもの。

 前記に正規料金900円(大人1枚)で入場したら、チケットのうらに200円割引のスタンプを押してくれる。後期の展覧会に入場する際に200円割引になるということだ。

 それも理由の一つかどうかわからないが、前期だけのカタログ(図録)はないらしい。ミュージアムショップで聞いたところ、後期がはじまった7月末に出るとのことである。ちょっと残念な気がした。


会期: 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)
   後期期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html
料金: 一般900(720)円/高大学生・65歳以上700(560)円/ 中学生以下 無料
   ※本料金で常設展もご覧いただけます
   ※( )内は20名以上の団体料金
休館日: 月曜日(祝日を除く) 、祝日の翌日(土日を除く)
主催: 川崎市岡本太郎美術館、NHK横浜放送局
協力: 岡本太郎記念館、すわ製作所、株式会社シュヴァン、小田急電鉄株式会社、東京急行株式会社


■常設展も見逃せない

 企画展には、常設展の会場を通っていくことになる。8年ぶりの訪問だが、なんといっても楽しみは「座ることを拒否した椅子」をみて、「手の形をした椅子」に座ること。こういう遊び心にみちた彫刻作品(?)を見て、直接ふれることができるのは、子どもではなくてもワクワクするものだ。

 常設展のテーマは「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」。日本の東北や沖縄だけでなく、韓国やそれ以外の世界中の仮面の写真を撮影し、収集もした岡本太郎にとって、仮面や顔は重要なテーマの一つである。

 岡本太郎というと、大阪万博(1970年)の「太陽の塔」ばかりが有名だが、パリ時代の10年のあいだには、パリ大学で民族学者マルセル・モースのもとで民族学(エスノロジー ethnology)を学んでおり、仮面にはなみなみならぬ関心を終生もちつづけていたようだ。

 大阪万博では、人類学者の泉靖一、梅棹忠夫とともに、世界中の仮面や神像を収集するプロジェクトに深く関与していたことは、すでにこのブログでも 書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) に書いてある。

 今回の常設展で何よりもわたしの目をひいたのは、ガラスケースのなかに展示されていた『世界の仮面と神像』(岡本太郎・泉靖一・梅棹忠夫編、朝日新聞社、1970)という箱入りの大型美術本。

 大阪万博の仕事は、こういう形でも結晶していたのかという感慨とともに、この収集品が梅棹忠夫が館長として実現に奔走した国立民族学美術館(大阪・千里)の基礎になったのだと思うと、あらためて岡本太郎の仕事の意味を、絵画や彫刻にのも限定することの視野の狭さを感じるのである。




■企画展「生誕100年 人間・岡本太郎 展」

 常設展が終わるところから、企画展が始まる。バナー(のぼり)に記された岡本太郎のコトバの一つ一つを読みながら進むことになる。

 こうしたバナーの一つに書かれているのが、「どうしても本職というなら人間です」という名コピー。これを目にして、またあらためて Wow !(ワオ!) という気持ちになる。

 さて、企画展は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にした展示だ。中心にあるのは「パイラ星人」のイメージ。岡本太郎といえば目だが、その目をカラダのまんなかにもったパイラ星人とは、映画「宇宙人東京に現る」のためにデザインされたものとか。

 岡本太郎の母かの子と父一平の「聖家族」。作家・岡本かの子と漫画家・岡本一平の一人っ子として、なに不自由なく育った岡本太郎は生まれながらにして全身芸術家だったわけだ。家族にまつわる思いでの品々の展示。

 このほか交友のあった芸術家の絵画作品のなかでは、岡本太郎を息子のようにかわいがっていたという北大路魯山人の陶芸作品と、岡本太郎の陶芸作品をならべた展示は興味深い。それにしても北大路魯山人の陶芸作品には圧倒される。

 写真家としての岡本太郎も、パリ時代に写真家ブラッサンスやロバート・キャパとの交友から始まっているようで、写真もまた全体活動の一つであったとともに、民族学者の目がそこにあることにあらてめて気が付かされる。

 大阪万博時代のグッズや人生相談を連載していた男性週刊誌「週刊プレイボーイ」のバックナンバー実物などが展示されている。「週刊プレイボーイ」がこれだけ大量に陳列されているのを見るのは、これはこれである意味では壮観だ。

 わたしにとって今回いちばんの収穫は、岡本太郎が手元においていた「フランス語の蔵書400冊」の一部の展示を見ることができたことだ。

 岡本太郎の死後、蔵書の大半は散逸(さんいつ)してしまったらしいのが残念だが、フランス語の蔵書だけは奇跡的に(!)残っていたらしい。

 戦前のパリ時代に収集した蔵書は、東京大空襲でぜんぶ焼けてしまったらしいが、戦後も民族学や人類学、宗教学関連の最新研究書を取り寄せて読んでいたようだ。そしてそのフランス語の専門書がまとまったままのこsれたことはじつに大きな意味をもつ。

 パリ時代に交友のあった思想家ジョルジュ・バタイユや、民族学の師であるマルセル・モースについては比較的知られていることだが、戦後の岡本太郎は宗教学者ミルチャ・エリアーデのフランス語著作を多く取り寄せて読みこんでいたらしい。これはじつに大きな発見だ。岡本太郎の戦後の作品に、エリアーデの読書から得た知見が反映さえれていると考えると、これはじつに関心をそそられる。

 じつはわたしも宗教学の目が開かれたのは大学時代に読んだ『聖と俗』や『生と再生』、『永遠回帰の神話』などだが、岡本太郎がとくに熟読していたのは大著『シャマニズム』のようだ。

 インドに留学してヨーガを習得し、世界中の宗教を研究したルーマニア出身の宗教学者エリアーデ(1907~1986)は、亡命後はフランス語で著作を発表していた。フランス語で知識を吸収していた岡本太郎の射程にエリアーデが入っていたということは言及されているのは見たことがないので、知られざる隠し球だったのかもしれない。

 この事実をしったあとは、さらに岡本太郎の「人間」としての全体像が大きく膨らんでいくことだろう。






■ミュージアムショップにて

 今回の訪問目的の一つは、過去の展覧会のカタログ(図録)を購入することであった。

 『岡本太郎「藝術風土記」 Art topography by Taro Okamoto-Japan, 50 Years ago-』という 川崎市岡本太郎美術館の2007年度の企画展のカタログである。税込み 1,500円。

 『岡本太郎の沖縄』(日本放送出版協会、2000)、『岡本太郎の東北』(毎日新聞社、2002)として出版されている「縄文」探索写真紀行のほかに、岡本太郎は日本全国を写真で切り取っている。長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国、といった日本各地の写真もまた、民族学者・岡本太郎の目をとおして切り取られた「50年前の日本」の貴重な写真の数々である。

この展覧会にいかなかったわたしは、図録だけでも入手さうたいと思っていた。増刷されることがあるのかどうかわからないので、ぜひはやいうちに入手をすることをすすめたい。

 一枚の写真がもつ情報量はきわめて多い。同じく民族学者であった梅棹忠夫の写真集『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)などと比較したいものである。

 今回は8年ぶりの訪問となったが、マグネットには面白いものがなかったのは残念。それが理由ではないが、「生誕100年 岡本太郎展」では買わなかった「太陽の塔のフィギュア」を買ってしまった。

 どうも、1970年の大阪万博で「太陽の塔」に魅了されてしまった小学生は、40年たったいまでも「太陽の塔」には呪縛さえれつづけているようだ。もちろん、いい意味の呪縛だが(笑)。





<関連サイト>

NHKスペシャル 太郎と敏子-瀬戸内寂聴が語る究極の愛-(2011年6月23日放送) 
・・なぜ岡本(旧姓平野)敏子は岡本太郎の養女になったのか、やっとその理由がわかった。じつはプラクティカルな意味もあったのだった。


<ブログ内関連記事>

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)

本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み・・大阪万博の太陽の塔を見ることのできた少年たち、見ることのできなかった少年たち

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・パブリック・アートとしてのメキシコの「壁画運動」。岡本太郎もその影響を大きく受けており実作もしている。メキシコで発見され里帰りした壁画は、2008年以降は渋谷駅に展示され、有るべき姿でよみがえった

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・宗教学者エリアーデの『聖と俗』について、ややくわしく言及してある

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)
・・民族学者・梅棹忠夫が撮影した写真の数々








(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end

2011年6月8日水曜日

書評『ひらめきをのがさない!  梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)ー 「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!

■「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!■

 自分のブログに自分が撮った写真をアップして文章でコメントをつける。自分でブログを書いている人にとっては、きわめて当たり前の行為だろう。

 ブログが世の中に登場する以前から、この行為をシステマティックに行っていたのが梅棹忠夫である。

 フィールドワークで写真を撮影し、その場で文章で簡単なコメントを書いておく。写真の情報量はきわめて多いので、写真を撮影することじたいが情報生産である。それを知的生産にまでたかめる第一歩が、写真にコメントする作業である。

 本書の編者である、モンゴル学者の小長谷有紀氏による「はじめに」読んで、なるほどと思わされた。

 「アマチュア思想家宣言」(1954年)をした梅棹忠夫は、だれにでも簡単にできるブログの偉大なる先駆者であるわけだ。梅棹忠夫の方法論を「見える化」したこの写真文集は、21世紀のいま写真撮影の意味と、同時に「観察力」を高める訓練の必要性を感じさせてくれる。



 ところで、以前からわたしが気に入っているのは、『東南アジア紀行』(1964年)に書かれていたつぎの一節だ。

「現地で、実物をみながら本を読む。わたしはまえから、これはひじょうにいい勉強法だとおもっている。本にかいてあることは、よくあたまにはいるし、同時に自分の経験する事物の意味を、本で確かめることもできる」(本書 P.56)

 これなども、電子書籍時代をすでに予見(?)していたような発言かもしれない。

 梅棹忠夫は「移動図書室」といって、参考書を大量に積み込んで東南アジアランドクルーザでフィールドワークしたのだった。だが、この「移動図書室」そのものの写真が本書にないのが残念だが、その精神はいまでも生きているというより、いまだからこそ輝きを増しているというべきだろう。

 フィールドワークの記録とその解説として読むのもよし、「知的発見」と「知的生産」の方法論を学び取るために読むのもよし。ぜひ一冊手元において、眺めては読みふけりたい一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!」投稿掲載(2011年6月2日)
■amazon書評「「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!」投稿掲載(2011年6月2日)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

 

目 次

はじめに
第1章 スケッチの時代
第2章 一九五五年京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊
第3章 一九五七‐五八年大阪市立大学第一次東南アジア学術調査隊・一九六一‐六二年大阪市立大学第二次東南アジア学術調査隊
第4章 日本探検
第5章 一九六三‐六四年京都大学アフリカ学術調査隊・一九六八年京都大学大サハラ学術探検隊
第6章 ヨーロッパ
第7章 中国とモンゴル
第8章 山をみる旅
さいごに

著者プロフィール

梅棹忠夫(うめさお・ただお)

1920年京都市生まれ。京都大学理学部卒業。理学博士。京都大学教授、国立民族学博物館の初代館長をへて、1993年から同館顧問。専攻は民族学、比較文明学。世界各地の探検や調査をもとに、幅ひろく文明論を展開する。文化勲章受章。2010年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

小長谷有紀(こながや・ゆき)

1957年生まれ。国立民族学博物館教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は文化人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

佐藤吉文(さとう・よしふみ)

1975年生まれ。国立民族学博物館外来研究員。総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程単位取得満期退学。専門はアンデス考古学、文化人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

「ウメサオタダオ展」(国立民族学博物館(みんぱく))・・2011年3月10日~6月14日


<ブログ内関連記事>

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

書評 『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)

書評 『達人に学ぶ「知的生産の技術」』(知的生産の技術研究会編著、NTT出版、2010)

書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・大阪万国博覧会(ばんぱく)から国立民族学博物館(みんぱく)へ。志半ばでともに中心になって推進していた盟友の民族学者・泉靖一が斃れたあとをついだのが梅棹忠夫である。その泉靖一との対談記録で、フランンスで民族学を勉強した岡本太郎が議論をバクハツさせる!


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end