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2013年7月28日日曜日

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ


映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年 フランス)をみてきた。オリジナルのタイトルは Cloclo: la fabuleuse histoire de Claude François(クロクロ-クロード・フランソワの驚くべき物語)。

フランク・シナトラが英語で歌い世界的に爆発的ヒットとなった『マイ・ウェイ』は、じつはフランス語のポップスがオリジナルであった。その曲をつくり歌ってフランスでヒットさせたクロクロことクロード・フランソワ(1939~1978)のヒューマン・ドラマを描いた伝記的映画がこの作品である。

"The Voice" といわれていた美声の米国人エンターテイナーであったシナトラにあこがれていたフランスの歌手クロード・フランソワ。その彼がみずからつくりフランスでヒットさせた曲をシナトラがとりあげ、英語の『マイ・ウェイ』として歌い世界的なヒット曲となる。

フランス語のオリジナルは、『コム・ダビチュード』(Comme d'habitude)(1967年)という曲だ。日本語だと「いつものように」。男女のすれ違いの恋愛を描いたものだ。

この曲にポール・アンカがシナトラのために英語の歌詞を書いた「マイ・ウェイ」は、「わが人生に悔いなし」というテーマになっている。フランス語のサビである comme d'habitude (いつものように)は、英語歌詞では  And did it my way (オレはオレ流で生きた)となる。

フレンチポップスといえばシルヴィー・ヴァルタン、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンなどが思い浮かぶ。シャンソンがいまでもインテリ好みのものだとすれば、フレンチポップスは戦後アメリカのジャズやポップスの影響を受けたエンターテインメント性のつよいフランスの大衆音楽である。

日本でもそのむかし奇抜なファッションで有名であったミシェル・ポルナレフが人気があった。『シェリーに口づけ』の歌手かと思い出す人も少なくないだろう。だが愛称クロクロことクロード・フランソワは日本ではそれほど有名ではなかったのではないかと思う。すくなくとも大衆レベルでの知名度は日本ではなかったと思う。

「マイ・ウェイ」(1969年)のオリジナルが、フレンチ・ポップスで歌手がクロード・フランソワによるものだとわたしが知ったのは、いまから20年くらい前のことだ。

Un homme et la femme: Les plus grandes chansons d'amour (男と女-よりすぎりのフランス語の愛の歌) というフランスから輸入されたCDに収録されていてのを聴いてはじめて知ったのであった。このCDはたしかいまは亡き新宿のヴァージン・メガストアで購入したのだと記憶している。

だからこそ、クロード・フランソワの人生が映画化されて日本で公開されることを知って、上映が待ち遠しい思いであった。




クロード・フランソワの人生

1960年代から1970年代にかけて、浮き沈みの激しい芸能界で18年のキャリアを、つねに全力疾走によって走り抜けたスーパースター

自分が歌いたい曲だけでなく、マーケティングの観点からその時代のアメリカの最先端の流行、たとえばブラックミュージックやディスコなどを果敢に取り入れ、歌手以外にもさまざまな関連ビジネスに手を出し、作詞、作曲、音楽プロデューサー、出版などつごからつぎへと事業を拡大していく。

1939年生まれで裕福な生活を送っていたエジプト時代への郷愁、1956年のスエズ運河国有化によってエジプトから脱出した一家は困窮した生活に、人生を変えるため音楽の道に賭けるも最初の曲は鳴かず飛ばず、しかしあきらめずに努力しついにスターダムへ、そして父親との葛藤と死後の和解。

エジプトというフランスにとっては植民地ではない海外で生まれ育ったこともあり、余計にフランス人意識がつよいのだろう。ジョニーなどといったアメリカ風の芸名にすることは断固拒否している。いかにもフランス的なクロードという名前で押し通したからこそ、フランスの国民歌手としてフランス人に受け入れられのだろう。

しかし、これからフランス語圏というローカルマーケットから、音楽の分野では英語圏が支配している世界マーケットへむけて飛翔しようとしたまさにその矢先、1978年に不慮の事故で39歳で急死する波乱万丈で悲劇的な人生。

フランス映画の黄金時代はすでに過ぎ去った過去のことだが、この2011年制作の映画はパワフルでエモーショナルなヒューマン・ドラマである。フランス映画の再生も始まったといっていいのだろうか。

大きすぎる野心とエゴイズム、その裏腹につきまとう不安と孤独、ときに襲ってくる自信喪失、トラブルつづきの私生活とつかの間の安息。アイドル歌手フランス・ギャルとの恋愛。まさにドラマのてんこ盛りのような人生である。その伝記映画が面白くないわけがないのだ。

だから日本公開タイトルに「マイ・ウェイ」の文字が入るのはまことにもって適切だ。クロード・フランソワの人生は「マイ・ウェイ」の英語歌詞そのものだといっても言い過ぎではないからだ。

この映画は、なによりもエンターテインメント作品としてこの波乱万丈のヒューマン・ドラマを楽しむことができるし、クロード・フランソワというフランスの国民歌手とフランスのサブカルチャー、そしてかれが活躍した1960年代から1970年代のフランス社会を知ることもできる作品になっている。




クロード・フランソワとエルヴィス・プレスリー

たしかにそれほどハンサムというわけでもないし、背も高くないのだが、独特のオーラがあったことは、上記のビデオを見ていただければ理解していただけると思う。

この映画で主人公を演じたジェレミー・レニエがクロード・フランソワに瓜二つなのはほんとうに驚きだ。

映画のラストに近い場面に、オペラ劇場であるロンドンのアルバートホールで「マイウェイ」を英語で熱唱するシーンがある。英語の「マイ・ウェイ」の歌詞の内容がクロード・フランソワの人生とシンクロすることを感じながら聴いていると、見ているわたしも胸にじーんとくるものがきた。

映画の場面ではなく、クロード・フランソワが英語で歌う「マイ・ウェイ」の映像を紹介しておこう。 Claude François - My way (En anglais) + Paroles それほどうまい英語ではないが、味のある歌いぶりである。

「マイ・ウェイ」は大御所フランク・シナトラが歌って世界的なヒットになったが、わたしはエルヴィス・プレスリーによるカバーが大好きだ。エルヴィス自身も自分が大好きな歌の一つだといっているのが「マイ・ウェイ」だ。

人生を演劇にたとえた英語の歌詞は大御所フランク・シナトラのためにポール・アンカが書いたもだが、人生の終わりに近い時期に自分の人生を振り返って感慨にふける内容の英語歌詞は、まだ40歳前後であったクロード・フランソワやエルヴィスが歌うと、また異なる感慨を聴いていて抱くのである。

調べてみてわかったが、1977年にエルヴィスが42歳の若さで去ったあとを追うかのように、1978年にクロード・フランソワも39歳で去っている。クロード・フランソワ(1939~1978)と同様、エルヴィス(1935~1977)もまた、短い人生を全力疾走で駆け抜け、若くして世を去ったのである。

映画ではエルヴィスについてはいっさい言及されないが、同時代のこの二人のスーパースターの人生を重ね合わせてみるのは決して間違いではないと思うのだ。ブラック・ミュージックの大きな影響を受けていた点も二人に共通することである。

「神々に愛されし者は短命に終わる」という格言が西欧にある。現代の神々は一般大衆というファンであるとすれば、そのとおりなのかもしれない。








<関連サイト>

『最後のマイウェイ』 公式サイト
・・日本語版ネレーションの海老蔵は声はいのだが、やや耳に付くことも否定できない

Cloclo: la fabuleuse histoire de Claude François
フランス版トレーラーはシンプルに『コム・ダビチュード』の歌声のみ

Cloclo Movie US Trailer アメリカ版トレーラー(英語字幕つき)

Cloclo (film 2012) wikipediaフランス語版

Cloclo - Le film (フランス版 facebookページ)


「いつものように」(コム・ダビチュード)
Comme d'habitude - Claude François
Claude François - Comme d'habitude (My way)


マイウェイ英語バージョン
 エルヴィス Elvis Presley - My Way (with lyrics)
 フランク・シナトラ Frank Sinatra, My Way (With Lyrics)

 クロード・フランソワ Claude François - My way (En anglais) + Paroles 

elvis-cloclo my way sous titres (フランス人が作成したらしい映像 エルヴィスとクロクロの夢の顔合わせコンピレーション フランス語字幕つき)





1997年の出版で内容的には古いがフレンチ・ポップスについてまとまった文献といえば、ペヨトル書房から出版された『Ur (ウル)12号 特集:フレンチ・ポップス』(1997年)が参考になるだろう。このほかの情報はネット情報を検索していただきたい。




<参考> Comme d'habitudeの 英語版 My Way とフランス語版の歌詞
My Way

Songwriters: JACQUES REVAUX, CLAUDE FRANCOIS, GILLES THIBAUT, PAUL ANKA

And now the end is near
So I face the final curtain
My friend, I'll say it clear
I'll state my case of which I'm certain

I've lived a life that's full
I've traveled each and every highway
And more, much more than this
I did it my way

Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
I did what I had to do
And saw it through without exemption

I planned each charted course
Each careful step along the byway
Oh, and more, much more than this
I did it my way

Yes, there were times, I'm sure you knew
When I bit off more than I could chew
But through it all when there was doubt
I ate it up and spit it out
I faced it all and I stood tall
And did it my way

I've loved, I've laughed and cried
I've had my fails, my share of losing
And now as tears subside
I find it all so amusing
To think I did all that
And may I say, not in a shy way
No, oh no not me,
I did it my way

For what is a man, what has he got
If not himself, then he has not
To say the words he truly feels
And not the words he would reveal
The record shows I took the blows
And did it my way The record shows I took the blows
And did it my way

(出典: http://www.lexilogos.com/claude_francois/my_way.htm



Comme d'habitude

Je me lève
Et je te bouscule
Tu n'te réveilles pas
Comme d'habitude

Sur toi
Je remonte le drap
J'ai peur que tu aies froid
Comme d'habitude

Ma main
Caresse tes cheveux
Presque malgré moi
Comme d'habitude

Mais toi
Tu me tournes le dos
Comme d'habitude

Alors
Je m'habille très vite
Je sors de la chambre
Comme d'habitude

Tout seul
Je bois mon café
Je suis en retard
Comme d'habitude

Sans bruit
Je quitte la maison
Tout est gris dehors
Comme d'habitude

J'ai froid
Je relève mon col
Comme d'habitude

Comme d'habitude
Toute la journée
Je vais jouer
A faire semblant
Comme d'habitude
Je vais sourire
Comme d'habitude
Je vais même rire
Comme d'habitude
Enfin je vais vivre
Comme d'habitude

Et puis
Le jour s'en ira
Moi je reviendrai
Comme d'habitude

Toi
Tu seras sortie
Pas encore rentrée
Comme d'habitude

Tout seul
J'irai me coucher
Dans ce grand lit froid
Comme d'habitude

Mes larmes
Je les cacherai
Comme d'habitude

Mais comme d'habitude
Même la nuit
Je vais jouer
A faire semblant
Comme d'habitude
Tu rentreras
Comme d'habitude
Je t'attendrai
Comme d'habitude
Tu me souriras
Comme d'habitude

Comme d'habitude
Tu te déshabilleras
Oui comme d'habitude
Tu te coucheras
Oui comme d'habitude
On s'embrassera
Comme d'habitude

Comme d'habitude
On fera semblant
Comme d'habitude
On fera l'amour
Oui comme d'habitude
On fera semblant
Comme d'habitude

(出典: http://www.lexilogos.com/claude_francois/my_way.htm )




<ブログ内関連記事>

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた
・・フランス語圏のベルギーで修道女が歌って大ヒットとなった「ドミニクの歌」(1963年)にまつわる秘話。このレコードもクロード・フランソワのデビュー曲と同様にフィリップスから

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

由紀さおり世界デビューをどう捉えるか?-「偶然」を活かしきった「意図せざる海外進出」の事例として




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2013年7月27日土曜日

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念


『終戦のエンペラー』を初日に見てきた。このテーマの映画であれば気になる存在だからだ。

『終戦のエンペラー』(原題: Emperor)は、2012年度製作のアメリカ映画である。日米合作ではなく、アメリカ資本で製作された映画である。これはこの映画をみるうえで重要なポイントだ。

舞台は敗戦によってアメリカを中心とする連合国の占領下におかれた日本、とくに東京と静岡が舞台である。登場人物はアメリカ側は連合国最高司令官のマッカーサー元帥とその副官であるフェラーズ准将。日本側はフェラーズ准将の運転手兼通訳の日本人、そしてA級戦犯とされた日本人たち(・・東条英機、近衛文麿、木戸孝一)、そして昭和天皇。

映画『終戦のエンペラー』のキャスティング・ディレクターとして日本側配役の選定と推薦を担当した奈良橋陽子氏は、ハリウッドは”日本ネタ”を求めているハリウッドと日本の”橋渡し役”奈良橋陽子氏に聞く (東洋経済オンライン 2013年7月26日)というインタビューのなかで以下のように語っている。ちょっと長いがそのまま引用させていただこう。

――ハリウッドの映画が日本を描くと、「それは日本じゃない」と言いたくなるようなシーンもあります。そのことについてどう考えていますか?

監督のタイプも大まかに言うと2つあると思います。ひとつは、日本のことをすごく尊重している人。そういう方はこちらが「ここは間違っている」と指摘すると、「じゃあ直そう」と受け入れてくれます。

そしてもうひとつは、自分の世界を持っていて、本当は(日本の描写は)こうだと知っているけれども、あえて違う描写でやってしまう人。美的感覚が違うのでしょうね。ただ、私がキャスティングした日本人の俳優さんに関しては、きちんとこちらの意向を説明して、衣装などにも意見を取り入れてもらいました。

――今回の『終戦のエンペラー』は、そうした「日本らしくない」という違和感はありませんでした。

今回はキャスティングだけでなく、プロデュースをしましたから。美術やメイクなどもすべてチェックしました。

だが、じっさいに見た感想としては、やはりなにかが違う、というものだった。個々の日本人俳優の演技そのもの大きな違和感はないのだが、どうもなにかが違うのだ。もちろん、1945年当時の日本人というを2012年現在の日本人が演じるにはムリがあるのだが、それは脇においておこう。

この映画はアメリカ人がアメリカ人の視点、つまり占領する側が敗戦国を描いた映画である。この枠組みにはいささかの揺るぎはない。そうでなかったら、アメリカでは受け入れられないだろう。つまり敗戦国の日本人の視点で描かれた物語ではないアメリカ映画である。それも脇においておこう。

もちろんエンターテインメント作品であり、個々の史実を意図的に曲げて描いているシーンがあるのは仕方ない。これは演出の問題だからとやかく言う筋合いはなかろう。

だが、最初から最後まで違和感が残ったのは、メロドラマ的に一つの軸となっているフェラーズと、いかにもアメリカ人からみた "いかにも和風" な日本人女性との悲恋の描かれ方である。

正直いってオリエンタリズム以外のなにものでもないという印象である。アジアを描く際のアメリカ人の無意識の視点がでているという印象がぬぐえないのだ。さすがに1980年の『将軍 SHOGUN』に登場する島田陽子ほどではないが、30年たっても基本的になにも変わっていないという印象だけが残る。

今回のキャスティングに渡辺謙が入ってないのはよかった。といっても、渡辺謙が嫌いなのではなく、あまりにもハリウッド映画に登場しすぎるので食傷気味だということ以外に意味はない。

近衛文麿役の中村雅俊はいい線いってるし、関屋貞三郎役の夏八木勲はじつにいい味を出していた。また、西田敏行が演じる海軍将校の英語がじつに流暢で、それには大いに感心させられた。さすが役者である。

このように個々の日本人俳優はシークエンス単位で好演しているのだが、ぜんたいの枠組みが占領軍の側からみたオリエンタリズム映画なので、見終わった感想としては、日本人としてはイマイチとしかいいようがない。

以上がじっさいに映画をみての正直な感想である。



原作は『陛下をお救いなさいまし』(Save the Emperor)

じつは今回は映画を観るまえに原作を読んでおいた。映画化によって、原作がどこまで再現されているかいないかを見てみたかったからだ。

なぜなら、先にも感想を記したように、この手の映画はよほどのことがないかぎりアメリカ側の一方的な解釈や演出で台無しになっているケースが多いからだ。

たとえば、かつて話題になった『硫黄島からの手紙』(Letters from Iwo Jima 2006年)。クリント・イーストウッド監督はすばらしいのだが、どうぢてもあの映画にはなじめないものを感じたのはわたしだけではないのではないか? なにかが違う、という感じがぬぐえないのである。

同じ監督による二部作のもう一方である『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)のほうがはるかにすぐれているのは、アメリカ人の監督がマイノリティの置かれているアメリカの現実を熟知しているからだろう。

日本人からみた違和感をなくすには、かつて真珠湾攻撃を描いた戦争映画『トラ・トラ・トラ』(1970年)のように、アメリカのパートはアメリカ人監督、日本のパートは日本人監督がメガホンをとる以外はムリだろう。そうでないと『パール・ハーバー』のような愚作となるのが落ちだ。

さて、原作のタイトルは『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)。文庫化にあたっては映画のタイトルを主に、単行本のタイトルが従となった。『終戦のエンペラー-陛下をお救いなさいまし-』(集英社文庫、2013)と変更された。

内容を正確に表現するなら、『陛下をお救いなさいまし-恵泉女学園創設者河井道とマッカーサーの副官フェラーズ准将』とするべき内容で、知られざる歴史を描いた正統派のノンフィクション作品である。

河井道(かわい・みち)という女性は、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒恵泉女学園を創設した教育家でもある。信念が堅固で、ハッキリとモノを言う人だったらしい。

フェラーズ准将という学者肌のアメリカの陸軍軍人は、大学時代にアメリカに留学してきていた日本人女性との交友から日本びいきになり、ラフカディオ・ハーンの全作品を読み込んでいた人。

この二人の日米をまたいだ戦前と戦後の友情が、天皇の戦争責任回避を実現させたのである。これがほんとうの「真相」である。無責任体制とも批判される日本の意思決定構造ゆえに、天皇の戦争責任論に結論をつけるのが困難であったのだが、フェラーズ准将が書いたレポートが最終的にものを言うことになった。

新渡戸稲造もフェラーズもプロテスタントの一派であるクエーカーであり、河井道をふくめた日本のプロテスタント人脈とプロテスタント国アメリカの密接な人的関係が、天皇の戦争責任回避を実現させたというのが原作の内容である。したがって、日米をまたいだ人脈が実現させたヒューマン・ドラマというのがほんとうの物語なのだ。メロドラマ的な要素はじつは皆無である。

もちろん、映画はエンターテインメントであるから、脚色や事実関係の変更、虚構の導入はあってもとくに文句をいう筋合いはない。この映画の脚本もひとつの歴史解釈というべきであり、これと異なる解釈があってもおかしくはない。

だが、原作の内容がなんであれ、メロドラマ的なオリエンタリズム映画となったことはじつに残念以外のなにものでもない。またかよ、といった思いで、正直いって閉口する。

ぜひ日本人監督によって『陛下をお救いなさいまし』を別バージョンとして映画化すべきだろう。そうすれば、歴史観の相違というものがおのずからにじみ出てくるはずだ。

占領する側と占領される側とは、それほど溝が深いのである。おそらく製作者サイドとしては無意識なのだろうが。








<関連サイト>

映画 『終戦のエンペラー』 公式サイト

学校法人恵泉女学園|創立者 河井道 - 恵泉女学園 中学・高等学校

ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ(加藤哲郎、一橋大学政治学 『講座 小泉八雲 1 ハーンの人と周辺』(平川祐弘・牧野陽子編、新曜社、2009)所収)
・・「したがって、「ハーン・マニア」フェラーズを、たんなる親日家・日本理解者とするのは誤解を生じる。その天皇制保持・不訴追工作も、当時の米国心理作戦の一部と見るべきであり、米国有数の有能な情報戦エキスパートであったフェラーズの全生涯との関連で、歴史的に評価されなければならない」



<ブログ内関連記事>

占領下日本(=オキュパイド・ジャパン)

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『占領史追跡-ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記-』 (青木冨貴子、新潮文庫、2013 単行本初版 2011)-「占領下日本」で昭和天皇とワシントンの秘密交渉の結節点にいた日本通の英国人の数奇な人生と「影のシナリオ」

書評 『731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く-』(青木冨貴子、新潮文庫、2008 単行本初版 2005)-米ソ両大国も絡まった "知られざる激しい情報戦" を解読するノンフィクション


「戦後」の日米関係

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加(2013年7月18日)-軍港クルーズと徒歩でアメリカを感じる横須賀をプチ旅行

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!


戦犯裁判

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い

書評 『東條英機 処刑の日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」-』(猪瀬直樹、文春文庫、2011 単行本初版 2009)


オリエンタリズム

映画 『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?
・・この映画のような知的な立場とは無縁のオリエンタリズム映画がハリウッドには多すぎる


恵泉女学園創設者の河井道

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・映画の原作 『陛下をお救いなさいまし』の主人公の一人、恵泉女学園創設者の河井道は新渡戸稲造の弟子であった

(2014年7月23日 情報追加)




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2013年7月26日金曜日

書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明



スマートフォンという概念をつくりだした iPhone の売り上げが鈍ってきているようだ。サムスンなどとの競合も厳しくなってきており、アップルの業績が2四半期連続で悪化していることが昨日(2013年7月25日)ニュースで報道されていた。

ジョブズが死んですでに2年近くたち、アップルの神通力にも陰りが見えてきたのかもしれない。いやスマホというガジェットが普及した結果、市場はすでに飽和状態にあるというのが正確かもしれない。

アップルの業績が上がろうが下がろうが関係ない、ということはないのである。それはアップル製品の熱狂的なファンにとってだけでなく、日本の製造メーカーの多くにとってもそうなのだ。とくに部品製造にかかわる日本の製造業にとってはきわめて大きな問題である。

アップルの各種製品の生産量が減少すると、それはもろに日本のメーカーにはダイレクトにはねかえってくる。アップル製品に日本の部品がじつに多く使用されているだけでなく、生殺与奪まで握られているケースが多いからだ。つまり日本企業はアップルの下請けになっているのが実態なのだ。

いまや時価総額で50兆円を超える巨大メーカーに成長したアップルは、自社だけが高い利益率を確保することができるよう設計された、自社を頂点とする生態学(エコ・システム)を形成してきた

その生態系のなかには日本企業、台湾企業、中国企業などがガッチリと組みこまれており、徹底した在庫管理と販売計画、生産計画の24時間リアルタイム化によってアップルは組立メーカーと部品メーカーを管理している。ジョブズがモデルとしてきたソニーですら、現在のアップルにとってはカメラ用の半導体というキーデバイスの調達先にしか過ぎないのである。

アップルは製造機能をもたないファブレスメーカーであり、受託製造に特化した台湾のフォックスコンなどEMSに大きく依存している。しかも、iPhone や iPad といった少数の品目に絞りこみ、その単品ごとの販売量と生産量がきわめて巨大な「少品種大量生産」モデルとなっている。現在ものづくりの世界では標準となっている「多品種少量生産」モデルの真逆である。

2008年時点ですでに iPhone の累計販売数は1,000万台を突破しており、部品メーカーからみれば膨大な量が販売できるので魅力的だが、一方ではアップルとの「独占供給契約」にしばられて、生産量を自社でコントロールできないというデメリットがある。

まさにアップルという「毒リンゴ」を食べてしまった日本企業の苦悩は深い。それは製造メーカーだけではなく、販売会社や通信会社にとっても同様だ。美しいバラだけでなく、うまそうなリンゴには毒があったわけだ。

本書は、アップル社がつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を日本からみたレポートである。徹底した秘密主義のベールに隠されているアップルの生態系(エコ・システム)を末端からみた内容だといっていい。そう、日本企業はアップルにとっては「末端」なのである。

とくに第1章と第2章をよめば、アップルをアップル帝国たらしめているのはスティーブ・ジョブズという天才肌のビジョナリー経営者がつくりだした神話だけではなく、完璧主義であったジョブズが指示してつくりあげた盤石のビジネスモデルにあることがわかるのである。

アップルの完璧主義は、よくいえばあたかもかつての高度成長期の日本企業のようでもある。完璧や徹底といった基本姿勢は、文字どおりアップルで働く人間にとってはそこで生き抜くためには不可欠のマインドセットとなっているのである。

しかし一方では、悪くいえばアップルは、なんだかいま日本で問題になっている「ブラック企業」そのものようだきわめて過酷な労働環境といっていいだろう。しかも、そのなかで働いている人にとってだけでなく、その生態系(=エコ・システム)にかかわっているすべての人にとってもまたブラックな存在となっているのではないかという気もする。

だが、冒頭に書いたように「アップル帝国」もゆらぎが生じ始めている。「死せるジョブズ」の神通力にも影が見え始めている

普通の会社になりつつあるアップルが今後いかなる状態になっていくか、それはアップルにとってだけではなく、日本企業にとっても関係のない話ではないのである。

ビジンスパーソン以外にもぜひ一読をすすめたいビジネス・ノンフィクションである。





目 次

プロローグ アップル帝国と日本の交叉点
第1章 アップルの「ものづくり」支配
第2章 家電量販店がひざまずくアップル
第3章 iPodは日本の音楽を殺したのか?
第4章 iPhone「依存症」携帯キャリアの桎梏(しっこく)
第5章 アップルが生んだ家電の共食い
第6章 アップル神話は永遠なのか
エピローグ アップルは日本を映し出す鏡


著者プロフィール

後藤直義(ごとう・なおよし)
週刊ダイヤモンド記者。1981年、東京都生まれ。青山学院大学文学部卒業後、毎日新聞社入社。2010年より週刊ダイヤモンド編集部に。家電メーカーなど電機業界を担当。

森川 潤(もりかわ・じゅん)
週刊ダイヤモンド記者。1981年、米ニューヨーク州生まれ。京都大学文学部卒業後、産経新聞社入社。横浜総局、京都総局を経て、2009年より東京本社経済本部。2011年より週刊ダイヤモンド編集部に。エネルギー業界を担当し、東電問題や、シェールガスなどの記事を執筆する
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





著者の元アップル社員の松井氏がいう「私設帝国」ともいうべき超巨大グローバル企業企業が、ビジネスだけでなく、消費のあり方や労働のあり方を根底から変えていく様子がアップル社での体験を踏まえてよく描かれている(2014年6月20日 記す)。


<関連サイト>

アップルのニッポン植民地経営の深層(1) “リンゴ色”に染まる巨大工場の苦悩(ダイヤモンドオンライン 2013年7月18日)
アップルのニッポン植民地経営の深層(2)キャリアを悩ます“iPhoneブルー”アップル・通信会社支配の裏側(ダイヤモンドオンライン 2013年7月25日)
アップルのニッポン植民地経営の深層(3) クックCEOが抱える時限爆弾 アップルのテレビ開発の深層 


製造を外注しても技術力を失わないアップルの凄み -  欧米モデルを誤解し安易に模倣する日本企業のリスク (ダイヤモンドオンライン 2014年5月7日)


拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』、iBookstore から「電子書籍化」されました!(2013年10月23日)


<ブログ内関連記事>

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-日本の未来を真剣に考えているすべての人に一読をすすめたい「冷静な診断書」。問題は製造業だけではない!

書評 『中古家電からニッポンが見える Vietnam…China…Afganistan…Nigeria…Bolivia…』(小林 茂、亜紀書房、2010)
   
書評 『グローバル製造業の未来-ビジネスの未来②-』(カジ・グリジニック/コンラッド・ウィンクラー/ジェフリー・ロスフェダー、ブーズ・アンド・カンパニー訳、日本経済新聞出版社、2009)-欧米の製造業は製造機能を新興国の製造業に依託して協調する方向へ

書評 『現代中国の産業-勃興する中国企業の強さと脆さ-』(丸山知雄、中公新書、2008)-「オープン・アーキテクチャー」時代に生き残るためには
・・「垂直分裂」というコトバが定着したものかどかはわからないが、きわめて重要な概念である。この考え方が成り立つには、「ものつくり」において、設計上の「オープン・アーキテクチャー」という考え方が前提となる。 「オープン・アーキテクチャー」(Open Architecture)とは、「クローズドな製品アーキテクチャー」の反対概念で、外部に開かれた設計構造のことであり、代表的な例が PC である。(自動車は垂直統合型ゆえクローズドになりやすいが電気自動車はモジュール型)

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

三宅一生に特注したスティーブ・ジョブズのタートルネックはイタリアでは 「甘い生活」(dolce vita)?!

An apple a day keeps the doctor away. (リンゴ一個で医者いらず)

(2014年8月18日 情報追加)




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2013年7月25日木曜日

本日(2013年7月25日)は「聖ヤコブの日」-サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道(El Camino de Santiago de Compostela)



昨日(2013年7月24日)現地時間の9時に発生したスペインの特急列車脱線事故がたいへん痛ましい。死者が77人、負傷者が100人以上の大事故となっています。(*26日現在では死者80人)。

以前にはマドリードでも通勤列車の爆破テロがありましたが、今回はテロではなかったようです。200km近い高速を出した特急列車が急カーブを曲がり切れずに脱線したと報道されてます。2005年の福知山線の脱線事故を思い出してしまいます・・・
http://www.asahi.com/international/update/0725/TKY201307250014.html

ところで、事故の起こったスペイン北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラはカトリックの巡礼地。サンティアゴはスペイン語で聖ヤコブのことだそうで、ちょうど7月25日が聖ヤコブの日なので世界各地から巡礼者が集まってきていた最中の事故だったようです。

「聖ヤコブの日」(毎年7月25日)とは、エジプトで亡くなったイエスの使徒ヤコブの遺骸が、9世紀にスペイン北部で発見されてサンティアゴに移葬された日とされています。

いまから20年以上前の1991年のことですが、わたしもマドリードから列車でサンティアゴ・デ・コンポステーラを往復したことがあります。わたしが乗ったのは深夜にマドリードを出発して現地には早朝に着く列車でした。当時はまだ世界遺産にはなっていなかったと思います。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、9世紀から建築がはじまった美しいロマネスク様式の教会建築が現在まで保存されており、ひじょうに風情のあるところです。本来はフランスから「歩き巡礼」するのが正式なのですが、なかなか時間には恵まれないのでそれは実現していません。

上掲の写真はそのとき現地で購入したスペイン語のガイドブックと巡礼者をかたどった金属製の置物。中世においてはサンティアゴ巡礼者は、貝と瓢箪(ひょうたん)のついた杖をもつのが目印だったそうですね。

日本でいえば四国巡礼の歩き遍路の「同行二人」の笠と杖のようなものですね。中世のサンティアゴ巡礼では、行き倒れてそのまま死ぬ人も少なくなったようです。五体投地で尺取り虫のように進むチベットのカイラス山巡礼よりかは体力的にはラクなはずなのですが・・・。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼は近世になってからはすっかり衰退してしまったようで、むかし読んだゲーテの『イタリア紀行』のなかに、乞食のような巡礼者を見かけたシーンがでてきたのを覚えています。18世紀末のことです。

今回の悲惨な大事故をうけて、ことしの「聖ヤコブの日」関連行事はすべて中止になったようです。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

サンティアゴ・デ・コンポステーラには、またぜひ行ってみたいです。今度は巡礼の道を歩いてみたい。








<関連サイト>

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(wikipedia日本語版)


<ブログ内関連記事>

スペインと近代カトリック

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)


■中世から初期近代のカトリック世界

「祈り、かつ働け」(ora et labora)

「説教と笑い」について

クレド(Credo)とは

本日12月6日は「聖ニコラウスの日」

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ


現代カトリック世界

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)


ヒョウタン

「世界のヒョウタン展-人類の原器-」(国立科学博物館)にいってきた(2015年12月2日)-アフリカが起源のヒョウタンは人類の移動とともに世界に拡がった

(2016年4月4日 情報追加)




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書評 『誰も書かない中国進出企業の非情なる実態』(青木直人、祥伝社新書、2013)-「中国ビジネス」をただしく報道してこなかった日本の大マスコミの大罪


中国経済の減速はもはや誰の目にも明らかになっている。すでに英語圏においては「中国経済の奇跡」は終焉したという論調が支配的だ。ことしの経済成長率予測は 7.4% と ついに 8%を下回ったが、じっさいには 5%台ではないか、という予測すらでているくらいだ。

まさにこのタイミングにあわせるかのように痛快な本が出版された。『誰も書かない中国進出企業の非情なる実態』(青木直人、祥伝社新書、2013)である。中国問題の取材では定評のあるジャーナリストによる最新刊だ。

日中関係には 「井戸を掘った人を大事にする」というフレーズがある。なにごとであれ、最初に貢献してくれた人の恩はずっと忘れないという内容だが、じっさいは「美辞麗句」に過ぎなかったようだ。

昨年(2012年)夏に爆破した「反日暴動」で青島(チンタオ)のパナソニックの工場も襲撃されたが、パナソニックは "井戸を掘った" 松下幸之助が創業した会社であっただけに、日本サイドの衝撃は大きかったのだ。

1972年の日中国交回復を実現した田中角栄と周恩来にまつわるえエピソードとして、"井戸を掘った" 角栄の娘の田中真紀子が中国を訪問するたびにマスコミに撒き散らしてきたものであるが、もはやこのフレーズは中国サイドでは完全に死語となっているようだ。いやむしろ、日本サイドはこの美辞麗句に象徴される甘い認識に付け込まれてきたようだ。

本書には、パナソニックのほか、おなじく "井戸を掘った"全日空、上海に建設した「世界一」の森ビル、王子製紙の巨大プロジェクト、「中国最強商社」伊藤忠の実態、労働争議の標的とされる日系自動車企業などについての事実が取り上げられている。

本書に取り上げられた事項はすべてが本邦初公開というわけではない。著者自身がさまざまな媒体に記事として書いてきたし、部分的には大新聞以外のネットもふくめさまざまなメディアで取り上げられてきたものでもある。中国ビジネスにかかわる者であれば、直接間接を問わず耳にしてきたはずだ。

だが、こうして2013年現在の事実を一冊にまとまった形で読みとおすと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。著者も強調しているように、大口広告主に気兼ねした日本の大マスコミが書いてこなかったことこそが大きな問題なのだ。だから、中国ビジネスを知らない人はある意味では騙されてきたのである。

とくに丹羽某なる元中国大使のひどさについては、よくぞ書いていただいたという気持ちでいっぱいだ。過去の経緯もさることながら、丹羽元大使の出身企業においては、経営をあずかる立場にある社長が「反日暴動」が勃発する一年前の 2011年8月8日時点で、事実上の中国撤退論を、なんと日本経済新聞(!)のインタビューで述べていたという事実はアタマのなかにいれておいたほうがいい。

この記事はその当時の丹羽大使との主張の違いが話題になったものだが、総合商社という情報ビジネスの経営者の立場としては、きわめてまっとうなものであるというべきだろう。インテリジェンスを重視してきた元大本営参謀・瀬島龍三の影響のよい側面であろう。

著者は「中国から撤退せよ」と主張しているが、じっさいに中国から撤退するのはかならずしも容易ではない。もし撤退するにしても、中国への投資は放棄することも覚悟しなくてはなるまい。

かつてソ連時代のロシアへの投資に際しては、共産主義という異なる政治体制でのビジネスであり、撤退する際には工場も爆破するという覚悟をもった日本人経営者もいたものだ。だが、中国に対してはなぜ催眠状態に陥ってしまったのか・・・。これもまた日本人の悪癖である「希望的観測」(wishful thinking)のあらわれか。

ただ思うのは、中国から脱出したとしても、東南アジアにおいても中国と同様の事例は存在することを忘れてはならないということだ。「親日」や「反日」だけでものごとを判断するのはきわめて危険である。

「アウェイ」における海外ビジネスというものが「ホーム」である日本国内のビジネスとはいかに異なるものかを認識するとともに、中国ビジネスの失敗はきちんと検証しておくことが今後のためにも絶対に不可欠なことだろう。必要なのは『失敗の研究』である。

どうも日本人は一般的に過去の失敗をきちんと整理検証しないまま、つぎの戦線に「転進」してしまう悪癖があるようだ。ビジネスパーソンは、とくに心しなくてはならない。






目 次

序説 本当は恐ろしい中国ビジネス
 なぜ、日本からの中国投資だけが突出しているのか
 二〇一二年と二〇〇六年との、三つの違い
 中国人労働者の高まる権利意識
 習近平指導部は、「紅衛兵内閣」
 大手メディアが決して報じない怖い話
 操作される経営の実態
第1章 全日空-「井戸を掘った人」が受けた仕打ち
 日中経済交流のパイオニア、岡崎嘉平太氏
 「北京新世紀飯店」の中国人社長は、なぜ突然姿を消したのか
  「いまの中国人は、水道水を飲んでいます」
 松下幸之助に対する忘恩の仕打ち
第2章 王子製紙-ストップした工事の行方
 投資額二〇〇〇億円、巨大プロジェクトの突然中止の衝撃
 進出企業が合弁事業を嫌がる理由
 なぜ、工事が止まったのか
 ある日突然、順法が違法に変わる恐ろしさ
 環境問題に関する中国国内の対立
 中国進出企業が一様に抱いた幻想
第3章 森ビル-上海に建てた「世界一」の高層ビル
 日本の資本援助でできた上海の近代化
 「日の丸プロジェクト」と浮かれ立つ日本のメディア
 一年で六センチ以上、地盤沈下する土地
 なぜ、絶対に中止することが許されないのか
 一夜にして巨大な富を手に入れる地元の政治家
 度重なる中国からの無茶な追加要求
 失われた景観、笑うしかない仕打ち
第4章 労働争議に立ち向かう自動車メーカー
 ある中小部品メーカーの倒産
 破綻したマイカー・バブル、迫りくる過剰在庫
 中国に全国レベルの市場は存在しない
 「地方主義」がもたらす大きな落とし穴
 人件費の高騰、人員整理、労働争議の止まらぬ悪循環
 ホンダを襲った広州の大規模ストライキ
 トヨタと胡錦濤、GMと江沢民
 宋慶齢基金会に対するトヨタの巨額献金
 なぜトヨタ・バッシングが起こったのか
第5章 伊藤忠-人脈ビジネスの破綻
 中国における伊藤忠の大きな存在感
 伊藤忠が他社を出し抜いた理由
 誰もが断れない政治献金
 鄧小平の息子たちに群がる海外企業
 日本の円借款だけが持つ特異な性格
 伊藤忠・室伏社長と、江沢民との会談
 王震と伊藤忠を結ぶ黒い糸
 元伊藤忠・中国総代表の開き直り発言
 日経新聞に載った岡藤社長発言の大いなる波紋
 「利益は中国現地に寝かせずに、日本に持って帰れ」
 一党独裁国家における人脈ビジネスの末路
第6章 伊藤忠の代理人、丹羽「中国大使」の退場
 なぜ、一企業のトップが中国大使になれたのか
 対中ODAの継続を主張した丹羽大使
 尖閣諸島問題に関しての妄言
 ビジネスのことしか頭にない中国大使
 あまりに軽率なチベット訪問
 なぜ丹羽大使は石をもて追われたか
終章 中国をつけ上がらせた歴代中国大使の「大罪」
 なぜ、歴代の中国大使は中国に迎合するのか
 中国大使退職後の天下り先一覧


著者プロフィール  

青木直人(あおき・なおと)
ジャーナリスト。ネット紙「ニューズレター・チャイナ」編集長。1953年、島根県生まれ。中央大学卒。中国問題に関する緻密な取材力と情報収集力に定評があり、中国・東アジア関連の著作多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

「中国経済のリスク インフレ抑制難しく」(日本経済新聞 2011年8月8日)

Recognizing the End of the Chinese Economic Miracle Geopolitical Weekly TUESDAY, JULY 23, 2013 ・・米国の民間インテリジェンス分析機関ストラットフォー主筆ジョージ・フリードマン氏の論考「中国経済の奇跡の終焉を認識する」。英語圏のビジネスが中国経済を見るまなざしに変化。潮目は急速に変化(sea change)しつつある。変わり身の早い英米の投資家マインド。

周到に準備された防空識別圏-日本は2016年まで孤立状態が続く (イアン・ブレマー、インタビュアー=石黒千賀子、日経ビジネスオンライン 2013年12月20日)
・・「ブレマー氏: 今回、日本に滞在している間に会った2人の日本企業のCEO(最高経営責任者)が、今後の中国への投資は欧州の関係会社や子会社を通じて行うことにしたと明かしてくれました。賢明な判断だと思います。 日本企業による中国投資は今後リスクが増すでしょう。欧州、特に経済の強いドイツにおける子会社や合弁会社を使って投資するのは1つの選択肢と考えられます・・(中略)・・中国に投資するリスクについては今まで以上に警戒する必要があります。中国市場は極めて危うく、中国事業は赤字に陥るリスクさえあると認識すべきです」

「俺は中国から脱出する!」ある中小企業経営者の中国撤退ゲリラ戦記 (ダイヤモンドオンライン、2014年7月4日)
・・「風林火山」はもともと孫子の兵法の一説であり、現代中国のビジネス社会でも有効な戦術。A社長は無意識のままにこれを実践」 ⇒読む価値ある好記事!

(2014年7月4日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評 『中国ビジネスの崩壊-未曾有のチャイナリスクに襲われる日本企業-』(青木直人、宝島社、2012)-はじめて海外進出する中堅中小企業は東南アジアを目指せ!

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論

書評 『誰も語らなかったアジアの見えないリスク-痛い目に遭う前に読む本-』(越 純一郎=編著、日刊工業新聞、2012)-「アウェイ」でのビジネスはチャンスも大きいがリスクも高い


書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

書評 『新・通訳捜査官-実録 北京語刑事 vs. 中国人犯罪者8年闘争-』(坂東忠信、経済界新書、2012)-学者や研究者、エリートたちが語る中国人とはかなり異なる「素の中国人」像

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由





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2013年7月24日水曜日

書評 『世界史の中の資本主義-エネルギー、食料、国家はどうなるか-』(水野和夫+川島博之=編著、東洋経済新報社、2013)-「常識」を疑い、異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ



「これから10年、大転換後の大局を読む」と帯のキャッチコピーにあるが、「10年後」までではなく、さらに数十年もつづくであろう「移行期の長い21世紀」について考えるための本である。

「100年デフレ」論者の水野和夫氏の主張を、エネルギーと食料という人間の経済にとっての制約条件であり、かつ人間の生存に不可欠なライフラインの二大分野を具体的に見ていくことで、ビジネスパーソンを中心にした読者も読めば素直にアタマに入ってくるような読みやすい本に仕上がっている。

エネルギーと食料の分野でいま進行しているのは「商品化」と「金融化」というキーワードで表現することができる。

商品化はコモディティ化といいかえてもいいが、これはもともと差別化が難しく大量にバルクで取引される原油取引市場や穀物取引市場においては常識となっていたものだが、こういった分野では季節ごとの需給変動や天変地異などの気候変動などに対応するため先物取引(フューチャーズ)が発達してきた。

2000年代以降は先進国におけるカネ余り現象のなか、アメリカを中心に「経済の金融化」が進展し、エネルギーや食料などの先物取引市場に実物取引のプレイヤーではない、機関投資家やファンドなどの金融プレイヤーたちが大量に参加するようになってきた。これが「金融化」である。

エネルギーや食料が「金融化」したことにより、実需とは関係なく相場が乱高下する事態が観察されるようになったのである。つまり価格変動は実体経済の動きとは関係なくなっているのである。

そもそも先物取引市場は、実需の変動リスクを最小にするために設計され開設されてきたものだが、いまでは実体経済の動きとは関係なく、金融取引として相場が操作されるようになっているのである。つまりガセネタもふくめた「情報」に過敏に反応する状態となっているのだ。

エネルギーはもちろん無限ではないが、そのときどきの経済状況とエネルギー価格、そして掘削テクノロジーによって不思議なことに埋蔵量は増大している。食料は一般人の常識とは異なり、1910年代の空中窒素固定法の発明による化学肥料というテクノロジーによって、むしろ過剰な状態が続いている。だからこそ食料価格が下落しがちなのであり、そのために先進国は補助金によって農家の所得補償を行わざるを得ないのである。

そもそも食料が過剰でなければ地球全体で人口が増加するはずがないという川島氏の主張には説得力がある。川島氏は本書では言及していないが、大飢饉が発生するのはディストリビューション(流通)の問題であるという経済厚生学のアマルティヤ・セン博士の主張はしっておくべきだろう。したがって、世界的には食料は過剰だが、飢饉や食料暴動が単発的かつ局地的に発生することは今後もありうる

このようにエネルギーと食料について具体的に見てくことで、カネ余り現象のなか「経済の金融化」が進行し、行き場を失ったマネーがエネルギー市場や食料市場という商品市場で暴れ回っている現状が理解されるだけでなく、水野和夫氏の「100年デフレ」論が具体的な裏付けで強化されて、さらに説得力が増すものとなったといえよう。現在はつぎの時代に転換するための移行期なのだ。

しかし、これほど説得力のある水野理論が、なぜいまでも「異端」とされているのか? 

それは機関投資家やファンドマネージャーたちが、いわゆる「ポジショントーク」によって相場が自分たちに有利になるような情報操作しているからだろう。投資銀行のゴールドマン・サックスが打ち出した「BRICs」などその最たるものといっていいのではないか。マスコミもまたそれを煽って増幅している。

経済は「金融化」すればするほど、相場は「情報」に敏感に反応するようになる。たとえそれがつくられた恣意的なストーリーであっても、繰り返し耳にすることによって「常識」となってしまうのである。誰もが無知なビジネスパーソンと思われては恥ずかしい思いはしたくないだろう。それはある意味では、洗脳によるマインドコントロールといっていいかもしれない。

本書ではエネルギーと食料について大きく取り上げられている。共通するのは「過剰」というキーワードだ。

この過剰という現実が超長期的なデフレ状態をもたらし、さらには経済全体の停滞をもたらすのだが、本書では言及されていないのが労働力の過剰である。日本をはじめとする先進国では人口減少フェーズにあるが、省力化テクノロジーの発達によって労働力が過剰になっているのである。

労働力も供給過剰になれば、当然のことながら賃金水準は下がっていくことになる。だが、デフレ状態がつづくのであれば低所得でもそれなりの暮らしを送ることは可能となると考えてよいものかどうか・・・

こういった経済と社会をめぐる重要問題を考えるためにも、「常識」を疑い異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ。

これからどう生きていくか考えるためにも、ぜひ最初からすべて読んだうえで、自分のアタマで考えてほしいと思う。事実を事実として曇りなき眼で冷静に見ることほど難しいものはないのだから。





目 次

はじめに-世界史の中の資源バブル
第1章 【資本主義】-金融バブルが引き起こす世界史の大転換(水野和夫)
第2章 【エネルギー問題】-シェール革命が進むも原油価格の大暴落は起こらない(角和昌浩)
第3章 【食料問題】-これから世界は食料の「過剰な時代」へ突入する(川島正之)
第4章 【世界システム】-金融化した資本主義と第二の近代(山下範久)
終章 近代資本主義の終わりと次なる社会システムについて(水野和夫)
座談会 「長い二一世紀」において、資源、食料、資本主義はどこヘ向かうのか(水野和夫・角和昌浩・川島正之・山下範久) 


編著者プロフィール

水野 和夫(みずの・かずお)
日本大学国際関係学部教授 1953年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。金融市場調査部長、執行役員、理事・チーフエコノミストなどを務める。2010年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券を退社し、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官。2013年4月より日本大学国際関係学部教授。主な著書に『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003年)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、2007年)、『超マクロ展望 世界経済の真実』(共著:集英社、2010年)、『資本主義という謎』(共著:NHK出版、2013年)がある。

川島 博之(かわしま・ひろゆき)

東京大学大学院農学生命科学研究科准教授 1953年生まれ。1977年東京水産大学卒業。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員などを経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。主な著書に『世界の食料生産とバイオマスエネルギー』(東京大学出版会、2008年)、『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋、2009年)、『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版、2011年)、『データで読み解く中国経済』(東洋経済新報社、2012年)

角和昌浩(かくわ・まさひろ)
昭和シェル石油チーフエコノミスト。1953年生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。

山下範久(やました・のりひさ)
立命館大学国際関係学部教授。1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得、ニューヨーク大学ビンガムトン校社会学部大学院においてI.ウォーラースティンに師事。


<ブログ内関連記事>

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

「バークレー白熱教室」が面白い!-UCバークレーの物理学者による高校生にもわかるリベラルアーツ教育としてのエネルギー問題入門

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)-顧客志向の「先進国型ビジネス」としての日本農業論

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?




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2013年7月22日月曜日

「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する


NHK大河ドラマ『八重の桜』は、7月21日放送の第29回でついに「鶴ヶ城開城」で無条件降伏を喫することとなった。次回放送の第30回は「再起への道」。物語は「八重と会津のその後」となる。会津の苦難の歴史も描かれるようなので安心しているところだ。

だが、とはいってもTVドラマには限界がある。大河ドラマはゴールデンタイムに全国津々浦々に放送されるため、残酷なシーンや酸鼻極まる流血シーンなどぼかされてしまうのは仕方がない。

『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993 単行本初版 岩波書店 1990)を読むと、一か月にわたって籠城をつづけた会津では、生きている人間の兵糧も尽きかけていただけでなく、戦死者の遺体の処理もままならない状態であったらしい。

仏教僧によってねんごろに葬るなどできる状態ではなく、戦死者の遺体は次から次へと井戸のなかに放り込み、それでも処理できない遺体が城中に遺棄されたまま腐敗もすすんでいたという。

まさに酸鼻極まる状態で、そのシーンは映像としてTV放送されないのは当然だが、『流星雨』に描かれているように、放置されたまま腐敗してゆく遺体が放つ臭い、イヌに食いちぎられるままになっている遺体までイメージしておかないと、会津戦争のほんとうの意味は理解できないかもしれない。

この『流星雨』という歴史小説は、架空の一人の会津藩士の娘を主人公に設定し、実在の人物の史料をもとに描いた歴史悲劇である。いわば生き残った女の視点から描いた「女たちの会津戦争」である。

戦いの中心となっていた男たちではなく女たちの視点。もちろん武士階級とそれ以外の農民や町人とはまったく異なるが、武人の妻や娘という視点から見えてくるものがある。男は討ち死にしても、生命の象徴である女は生きてくことを本能として選択するからだ。

NHK大河ドラマ『八重の桜』では、山本八重という一人の武士の娘の目を通して戊辰戦争を描いているが、戦争物は女性作家が女性の視点で書いたもの面白い。男の世界はタテマエが多すぎるが、それにくらべると女の世界はより自然な感情を吐露することが多いからだろうか。

反乱軍将校の妻たちの視点で二・二六事件を描いた『妻たちの二・二六事件』(澤地久枝、中公文庫、1975)とならぶ名作といっいいだろう。

『流星雨』はぜんぶで4章あるが会津戦争そのものは第1章だけである。戦乱を逃れ身を隠して逃げ惑った日々本州最北端の下北半島に移封され斗南藩となった地への徒歩での移動下北半島の過酷な自然環境での苦難の日々が描かれる。

まことにもって、なぜここまで過酷な日々を生きなければならないのか、旧会津藩士の魂の叫びが聞こえてくるような作品なのだ。

著者の津村節子氏は、「あとがき」のなかでこう書いている。

戊辰戦争を調べてゆくうちに、太平洋戦争と類似点が非常に多いことを感じた。私はまだ自分の戦争体験を書いていない。調べが進むにつれ、戊辰戦争を書くには何年、何十年も要するだろう、底なしの沼に足を踏み入れたような恐れを抱いたが、一人の会津の娘を通し、女のいくさとして書けぬこともあるまいと、思い直した。(*太字ゴチックは引用者=わたし)

1928年(昭和3年)生まれで戦争を体験した著者もいうように、戊辰戦争は太平洋戦争(=大東亜戦争)と似ているような気もする。

旧会津藩は朝敵の汚名をきせられたうえ、死に物狂いの激戦のすえ完膚なきまでにたたきつぶされ「無条件降伏」したが、その戊辰戦争から77年後の1945年(昭和20年)、日本全体がアメリカを中心とした連合軍に死に物狂いの激戦のすえ完膚なきまでにたたきつぶされ「無条件降伏」することになる。

「勝てば官軍負ければ賊」のフレーズにもあるとおり、旧会津藩は「賊軍」とされ、名誉回復にはじつに長い年月を要した。そしてまた敗れ去った日本もまた「敗戦国」という名の「賊国」のまま、いまだに実質的に半占領状態がつづいているだけでなく、国連をはじめとする国際社会で完全に名誉回復したとは言い難い

その意味でも、たとえ会津出身ではなくとも、またいわゆる「負け組」出身ではなくとも、日本人全体の問題として会津の苦難と名誉回復の歴史を追体験する必要があるとわたしは考えている。

戊辰戦争後の会津の歴史は、大東亜戦争後の日本の歴史そのものである。「敗者の歴史」として、けっして他人事ではないのである。そしてまた敗者として汚名をきせられた二・二六事件の関係者たちの名誉回復もまた。

「苦難をつうじて星まで」(Per aspera ad astra)というラテン語の格言をかみしめ、名誉回復にむけて一歩でも前進しなくてはならないのは会津も、日本も同じである。






<ブログ内関連記事>

NHK大河ドラマ 『八重の桜』がいよいよ前半のクライマックスに!-日本人の近現代史にかんする認識が改められることを期待したい

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山本覚馬と八重のきょうだいについても詳しく触れられている

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと
・・靖國神社と千鳥が淵で慰霊

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・「南北戦争」の「敗者」であるアメリカ南部

二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村  昭、文春文庫、2004、   単行本初版 1970年)-「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く
・・作家の故吉村昭氏は津村節子氏の配偶者でもあった

(2016年6月19日 情報追加)




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2013年7月21日日曜日

書評 『石原慎太郎-「暴走老人」の遺言-』(西条 泰、KKベストセラーズ、2013)-賛否両論はあるが、きわめて「一橋的」な政治家の軌跡をたどってみることに意味はある



石原慎太郎もすでに80歳。毀誉褒貶相半(きよほうへんあいなか)ばする「暴走老人」であるが、好き嫌いは別にして、きわめて個性のつよい「一橋的」な政治家であることは間違いない。「一橋的」というのは「一橋大学の卒業生らしい」という意味だ。関係者は一橋と書いて「いっきょう」と読む。

「第5章 石原慎太郎という生き方」に「嫌いで好きな一橋大学」という節があるが、「好きで嫌いな」という表現ほど石原慎太郎という人物を描くのに適した表現はほかにないだろう。

それは、石原慎太郎みずからの性向であり、また石原慎太郎に対して有権者が抱く気持ちでもある。そう、つまりはアンビバレントな存在であり、アンビバレントな感情を喚起する存在であるのだ。

かくいうわたしも、好きで嫌い、嫌いで好きである(笑) 愛憎相半ばするとまでは言わないが、こういうアンビバレントな感情は男女関係だけではない。

「シャイではにかみ屋」というのは石原慎太郎が母性をくすぐる点でもあるのだろう。嫌われながらも、嫌われきらないのはそのためだ。前歯をチラとみせて恥ずかしげに笑う姿は悪ガキ的な少年っぽさがある。

本書は一橋大学社会学部で社会心理学を学んだ著者が、TVジャーナリストとして知遇をえて描いた石原慎太郎像である。思想信条がかならずしも一致しなくとも、「同窓」という人間関係はきわめてつよい。いわんや一橋大学をおいておや、だ。

一橋大学出身の政治家はかならずしも多くはないが、その少ない政治家たちは、いずれも好き嫌いのわかれる、いずれも個性のきわめてつよい人物が多い

首相をつとめた大平正芳、首相にはなれなかった渡辺美智雄(=みんなの党の渡辺善美の父)、長野県知事をつとめた田中康夫、名古屋市長の河村たかし、などなど。出身は作家、経営者とさまざまだが、きわめてつよい個性の持ち主であることは共通している。

圧倒的多数の卒業生がビジネスの世界にすすむ一橋大学であるが、政治家をふくめビジネス以外の道を選んだ少数派の人たちが個性的なのはなぜだろうか?

そもそも卒業生の数が圧倒的に少ない。一学年わずか1,000人程度である。経済学的にいえば希少財であるが、いかんせん現実世界においてはマイノリティたらざる得ないという弱点がある。それはビジネス界においても同様だ。人材の質は高いとしても、量が少ないという弱点だ。

質の高さを支えている理由のひとつは、ビジネスという実学の大学ゆえに数学が必修であるという入試の難しさもあるが、なによりもゼミナール制度にあることは間違いない。

ゼミとはゼミナールの略で、後期課程の二年間、専門の勉強をするために10人前後という比較的少人数でみっちり学問を行う教育制度のことだ。これは戦前の東京商科大学以来つづいて一橋大学を一橋大学たらしめている制度である。

理系なら「研究室」に該当するもので、かならずどこかのゼミに所属しなければ卒業できない仕組みになっている。その結果、どのゼミの出身かで、その人がどんな傾向の人間であるかまでわかるほどだ。

本書によれば、石原慎太郎は法学部に在籍しながら、一橋大学独自の制度である「トンネル」を利用して社会学部のゼミに入っていた。社会心理学の南博ゼミである。だから、オフィシャルな経歴としては法学部卒業ということになる。

南博ゼミからは歌手でタレントの山本コウタローなどもでているように、基本的にリベラルな姿勢がある。その意味では、南博と石原慎太郎は結びつきにくいが、もともと作家として出発したという経歴から考えればそれほど違和感はないのかもしれない。

教育社会学者の竹内洋氏に「現代思想における一橋的なるもの」というきわめて興味深い論文がある。『中央公論』に2000年に掲載されたものだが、『大衆モダニズムの夢の跡-彷徨する「教養」と大学-』(竹内洋、新曜社、2001)に収録されている。趣旨は以下のとおりだ。

「教養」という概念でタイプ分けすると、「山の手知識人」と「下町知識人」という両極のあいだに、戦後の「新中間大衆」(都市型)タイプを想定することができる。

「山の手知識人」の代表を丸山眞男(東京大学)、「下町知識人」の代表を吉本隆明(東京工業大学)とすれば、「新中間大衆」(都市型)のとして位置づけられる「一橋的なるもの」を代表するのは作家で政治家の石原慎太郎と田中康夫。政治的信条からいって水と油、右と左のようにみえる石原慎太郎と田中康夫だが、一橋的なるもの(平民的・町人的)で共通しているのだ、と。

たしかに言われてみるとなるほどと思われる視点なので、興味のある方はぜひ竹内洋氏の論文を直接読んでいただきたいと思う。

石原慎太郎は、東京都政改革において複式簿記の導入を功績の第一にあげている。単式簿記では財政の実態を把握することはできない。会計士になることをすすめられて一橋大学に入学し、会計学の勉強は半年で放棄したという石原慎太郎だが、意外や意外、じつはきわめて「一橋的」な側面も見せているわけだ。

石原慎太郎は政治家としてはすでに終わった人だろう。わたしは彼が属する党に投票するつもりはいっさいない。だが、大学の先輩としてその「遺言」には大いに耳を傾ける価値はあると思うのである。




目 次

第1章 日本人よ-暴走老人の遺言
第2章 石原慎太郎、立つ
第3章 石原慎太郎のやり方
第4章 都知事・石原慎太郎の14年  
第5章 石原慎太郎という生き方
第6章 石原慎太郎語録

著者プロフィール

西条泰(にしじょう・やすし)
1967年、新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒。読売新聞記者、外資系企業広報などを経て、2012年まで東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)報道部で都庁番記者として密着取材を続けてきた。現在、フリーランス(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

暴走できない石原、維新が誤った全国進出計画とブランド戦略 (田部康喜 Business Journal 2013年1月15日)
・・「作品から見える政治家・石原慎太郎」で記事の筆者は「暴走して、自らの政治的な野心を遂げる意志の力はない」と述べている。なるほどと思わされる指摘だ


<ブログ内関連記事>

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

書評 『狂言サイボーグ』(野村萬斎、文春文庫、2013 単行本初版 2001)-「型」が人をつくる。「型」こそ日本人にとっての「教養」だ!




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2013年7月20日土曜日

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加(2013年7月18日)-軍港クルーズと徒歩でアメリカを感じる横須賀をプチ旅行


「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加してきた。NHKの情報番組で取り上げられていたのを見て、はじめてそういうクルーズがあることを知った。これはぜひ参加したいと思って、さっそく実行に移すことにした次第だ。

横須賀にいくのは21世紀になってからは初めてだ。1980年後半に三浦半島でのダイビングのついでに三笠公園で船艦三笠を見て以来なので、すでに20数年も前のことである。

今回はJR横須賀線でいくことにし、横須賀駅で下車することにした。千葉県から横須賀にいくには、総武線快速と横須賀線が接続しているので直通列車があって便利だからだ。

ひさびさにきた横須賀はまさに軍港だ。とくにJR横須賀駅で下車すると、駅前がすぐ港になっているだけでなく、日本の軍艦が停泊しているのを間近で見ることになるのでその感をつよくする。ただし、今回はセーラー服の水兵の姿は見ることはなかった。

横須賀は日本の海上自衛隊だけではなくアメリカ海軍の軍港でもある。その点においては佐世保もそうなのだが、佐世保港には行ったことがないので実感をもって語ることができないのは残念なことだ。

京都府舞鶴市生まれのわたしは、もちろん舞鶴軍港にはなんども行っているし、広島の呉軍港もいったことはある。あとは佐世保軍港にいけば、日本の主要な軍港はすべて訪れたことになる。舞鶴は基本的に海上自衛隊と海上保安庁の軍港であるが、子どもの頃、寄港していたアメリカの軍艦に乗船したことがある。

(横須賀市内の米軍軍人むけ不動産屋 筆者撮影)

今回、ガイドの説明を聞きながら45分間の「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに乗船して感じたのは、横須賀はやはりアメリカの軍港なのだなということだ。もちろん、大日本帝国海軍以来の軍港であり現在も海上自衛隊とアメリカ海軍が共同で使用している軍港なのだが、圧倒的にアメリカの存在感が大きいのだ。

(米軍施設は立ち入り禁止 筆者撮影)

アメリカ海軍の基地とその周辺には、なんと海軍関係者が家族もふくめて2万人(!)も居住しているという。

なにごとも「現地」を踏んでみなければわからないことは多い。この数字も「現地」で聞いたからこそ実感がある。2万人というのはハンパな数ではない。横須賀市の総人口は41万人強であるから、ざっと5%ちかくがアメリカ人ということになるわけだ。

(クルーズは汐入埠頭から出発 筆者撮影)


「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズ乗船記

さて、本題の「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに戻るが、今回のクルーズ平日の13時に予約しておいた。

なお、2013年8月末日までは横須賀ドル祭りを開催中なので、クルーズのチケットも米ドルで購入することができる。US1.00=JPY100 の固定レートによる換算なので損することはないはずだ。

(パンフレットより 赤線がクルーズの航路)

クルーズの所要時間は45分間。日米のイージス艦、日本の潜水艦、米国の油槽艦などをじっくり観察することができる。

(アメリカ海軍のイージス艦 筆者撮影)

クルーズ前半の進行方向の向かって右側がアメリカ海軍の基地、左側が海上自衛隊の基地になるが、艦船の混雑状態やスペースの空き具合によっては、双方は融通しあっているようである。

今回の見ものは日本の潜水艦3隻が米軍側のドックに停泊していることであった。潜水艦の乗り組み員である海上自衛官たちがクルーズ船にむかって手を振ってくれたのもうれしいことである。たまにしか海面に浮上しない潜水艦乗りにとっては心安らぐひと時でもあるのだろう。

(米軍側のドックに停泊する日本の潜水艦3隻 筆者撮影)

残念ながら原子力空母のジョージワシントンは3週間前に出港したとこのことで見ることはできなかった。このように、「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズはそのとき軍港に停泊している艦船しか見ることができないだけでなく、どの艦船を見ることができると保証もできないのである。艦船の移動は基本的に軍事機密なので、当日になってみないと状況はわからない。

(ガイドがTVモニターの映像で説明してくれた空母ジョージワシントン)

クルーズでぐるっと回ってみて思うのは、波の荒い日本列島周辺においては天然の良港はどうしても入江になるという構造である。これは横須賀だけでなく舞鶴も同様である。

アメリカの軍港は必ずしも日本のような入り組んだ入江ではない。1991年にメリーランド州アナポリスのアメリカ海軍兵学校(Naval Academy)も訪問したがアナポリスも入江ではなかった。カリフォルニア南部の軍港サンディエゴも訪問したことがあるが、日本のような入江ではなかった。

(2013年3月に退役した日本の潜水艦 横須賀市街をバックに筆者撮影)

その意味では、横須賀はアメリカ海軍の軍港というイメージが大きい割には、形態的にはアメリカの軍港っぽくない。やはり、日本の軍港なのである。

クルーズから戻ったらチケット発券所に戻ってお土産を探してみるのもいい。おすすめは潜水艦型ボールペン450円である。

(お土産は横須賀海軍カレーだけではありません!)


三笠公園にて日本海海戦の船艦三笠を再訪

20数年ぶりに三笠公園まで船艦三笠を見にいった。クルーズの発着点から徒歩で15分くらいである炎天下に歩くのはややつらいものがあるが、横須賀という街を知るうえでは徒歩にまさるものはない

米軍施設への立ち入り禁止を明示した英語と日本語で書かれた看板、米軍関係者むけの不動産屋の看板、その他もろもろが基地の町というイメージに満ち満ちている。これは同じ軍港といっても舞鶴や呉にはないものだ。あえて言えば沖縄に近いという感じもする。

(United States Navy Fleet Activities: 米海軍艦隊行動施設 筆者撮影)

ひさびさに訪れた三笠公園は、すぐ直前までマンション建設が進行中で、むかしのイメージとはだいぶ違うものになっていた。変わっていなかったのは日本海海戦の勝利を導いた東郷平八郎元帥の旗艦であった船艦三笠の雄姿だけだ。

(戦艦三笠の雄姿 右から「みかさ」 筆者撮影)

今回はじめて戦艦三笠の内部に入ってみた。「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズの半券があれば入場料は100円値引きで400円になる。

船艦三笠はことしミシュランの「グリーンガイド・ジャポン」に掲載されたそうで、フランスはじめ各国からの観光客の来場も期待したいところである。

(戦艦三笠と東郷平八郎元帥の銅像 筆者撮影)

なお、たまたま応接してきださった三笠保存会の方によれば、三笠を製造した英国のヴィッカーズ造船所は現在は英国の軍事産業のBAEの傘下に入っているとのことで、現在でも潜水艦の製造を行っているということだ。

いかに第二次産業が衰退しようと軍事産業だけは国策として維持するという姿勢。船艦三笠から英国の軍事産業政策をしることもできたわけである。

戦艦三笠は英国で製造され、日本が使用し、ワシントン軍縮条約で解体が決定され、その後永久保存され、敗戦後もアメリカ海軍の尽力によって撤去の危機を免れ現在に至る。海洋国家である海軍先進国の英国、その後継者である米国と日本が密接にかかわる歴史的遺産が船艦三笠である。

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加される際は、ぜひ船艦三笠も一緒に見学していただきたいものである。なお売店ではかの「東郷ビール」も販売されているのでお好きな方はどうぞ。



横須賀という町を歩いてみてわかること

横須賀は海軍の町。そしてアメリカを感じる町。ひさびさにアメリカにいったような気分になった。

なるほど小泉純一郎やその息子の小泉進次郎という政治家は、こういう風土から生まれてくるものかということもよく実感できた。

還りは京浜急行の横須賀中央駅から品川方面に戻る。JR横須賀線の横須賀駅で下車し、京急の横須賀中央駅から戻るのが周遊散歩コースとして適当であることもじっさいに歩いてみてよくわかった。

日本のなかのアメリカ海洋国家の防衛拠点としての軍港、などさまざまなことがよく実感された今回の旅であった。

やはり「現地」にみずからおもむいて、「現場・現物・現実」の三現主義を実践しなくてはならないのである。

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズツアーに参加したあとはぜひ『海の友情-米国海軍と海上自衛隊-』(阿川尚之、中公新書、2001)という本を読むことを勧めたい。

太平洋の覇権をめぐって激突した日米両国の海軍は、いまや日米軍事同盟の要(かなめ)として政治家たち以上に密接な関係を築き上げているのである。

著者の阿川尚之氏は弁護士で、帝国海軍ものの作家・阿川弘之氏の長男であり、エッセイストでインタビュアーの阿川佐和子氏の兄である。






<関連サイト>

「YOKOSUKA軍港めぐり」(株式会社トライアングル)

記念艦三笠 公式ウェブサイ


<ブログ内関連記事>

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる


「ニイタカヤマノボレ」 と 「トラ・トラ・トラ」-真珠湾攻撃(1941年12月8日)から70年!

海軍と肉じゃがの深い関係-海軍と料理にかんする「海軍グルメ本」を3冊紹介・・日本海軍の軍港である舞鶴(京都府) vs 呉(広島県)

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み・・現代の海上戦力において潜水艦がもつきわめて大きな意味

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「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) ・・アメリカに留学してマハンの海軍戦略の影響を受けたた海軍士官・秋山真之(あきやま・さねゆき)

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書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)-トップに立つ人、人前でしゃべる必要のある人は必読。聞く人をその気にさせる技術とは? ・・横須賀といえば小泉ファミリー

(2014年4月30日、7月23日 情報追加)





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映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた-ヴァイキングの末裔たちの海洋学術探検から得ることのできる教訓はじつに多い


映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた。戦後ノンフィクションの傑作『コンティキ号探検記』(1951年)の世界初の実写版である。

ポリネシアの民はアジアからではなく、風と海流に乗って南米から渡来したという仮説を実証するために、みずからポリネシア伝来の筏(ラフト)を丸太で組み立てて5人の仲間とともに無謀とも思われた太平洋横断航海にでたヘイエルダール。それは大戦終結後の1947年のことであった。

さすがノルウェー人はヴァイキングの末裔。航海をつづけていくうちに金髪のひげもじゃになるかれらはまさにヴァイキングそのものだ。

学者でありながら冒険家でもあったヘイエルダール。海洋アドベンチャーそのもののような学術探検の記録。学術探検は山岳だけではなく海洋でも行われたのである。

コンティキ号とヘイエルダールの名前は、『コンティキ号探検記』をいまだ読んでいないわたしでもつよくアタマのなかに刻み込まれている。だから、1999年にノルウェーのオスロに行った際、迷わず「コン・ティキ博物館」(ミュージアム)を訪れて、そのヴァイキング的な冒険精神に浸ったくらいだ。

ヘイエルダールが南米からのポリネシア人渡来説を着想したのは、1937年から38年にかけてポリネシアのフォッツヒヴァにて夫婦(カップル)でフィールドワークを行っていた頃である。なにやらニューギニアで調査を行っていたポーランド人の人類学者ブロニスラフ・マリノフスキーを想起させる。

コン・ティキはポリネシアの神ティキからきているが、なんだか不思議な響きをもったコトバである。これは日本語人だけではなく、それ以外でもそうであるようだ。

コン・ティキ号に乗り込んだのはヘイエルダールの友人でノルウェー人とスウェーデン人。それぞれ航海や無線通信専門家などの専門家である。

そしてなかなか計画への賛同者があらわれずにへこんでいたヘイエルダールに元気を与えてくれたアメリカ人の営業マン。冷蔵庫の営業マンはGEの大型冷蔵庫を売っていたのだろうか、人生を変えたいので冒険に同行させてくれと頼み込む。営業スキルは海上では役に立つのかどうかわからないがヘイエルダールは乗船に同意する。

この映画は冒険映画であるとともに、小集団のチームワークとリーダーシップというテーマを描いた作品である。日本人による山岳の学術探検から川喜多二郎の「パーティー学」(・・小集団のパーティーのこと)や「KJ法」が生まれたように、小集団とリーダーシップというテーマは海洋の学術調査であっても同様だ。

小集団とは人間関係が濃密に展開される場である。しかも、山岳の場合もそうだが、海洋の場合、行動の自由がより制約されるので、ささいなことで人間関係が悪化する可能性も大きい

ネガティブな思考にもとづく発言や行動は命取りになりかねない。だからこそ、なによりもリーダーが信念を持ち続けること、そしてそのリーダー以下すべてのチームメンバーが目的とその成功を信じること(have faith)が大事なのだ。

そういう観点でこの映画をみると、おなじくノルウェー人の探検家アムンセンが南極探検を成功させたことが想起されるのである。この映画から導きだせる教訓はきわめて多い。チームメンバーのあいだのフラットな関係と、同時に信念をもって最後までやりぬくリーダーシップが不可欠であるということを。

科学的仮説の実証という探検、海洋における冒険の成功と裏腹に、それとセットになった人生という冒険における苦い現実。「二兎を追う者は一兎も得ず」というが、人生における「選択」の意味について語った映画でもあるのだ。

ロケはノルウェー、マルタ、ブルガリア、タイ、アメリカ、スウェーデン、モルディブで行われたが、撮影がじっさいに海で行われただけに臨場感がすばらしい。見どころのある内容充実した映画である。

冒険譚の映画化としてはじつによくできた内容だが、そこにとどまらずさまざまな意味を感じることができるのは原作のノンフィクションが優れた内容だからだろう。原作もこの機会にぜひ読んでみたいと思う。

ただし、ヘイエルダールが実証しようとした仮説の意味合いについては留保しておく必要はあろう。

ペルー人じたいがアラスカを経由してアジアから移り住んだアジア人の末裔であるので、ポリネシア人の起源がペルーあろうとアジアであろうと、いずれにせよアジア起源であることは間違いないからだ。この点については、日本の探検家・関野吉晴氏が「グレートジャーニー」において南米の先端からアフリカまで歩いて、アジア人の移動について実証していることをつけくわえおこう。関野氏はさらに海洋冒険にも取り組んでいる。

とはいえ、学術上の仮説をみずからもかかわった冒険という形で実証したその冒険精神こそが現在においても高く評価されるのである。なんせヘイエルダールは泳げなかったのだ!

子ども向けの冒険映画とはみなさず、ぜひ大人に見ていただきたい映画である。大人こそ冒険しなければならないからだ。

なお、日本公開版のセリフはすべて英語である。








<関連サイト>


「コン・ティキ博物館」(The Kon-Tiki Museum)
・・ノルウェーの首都オスロにある「コン・ティキ博物館」。facebookページはこちら。

太平洋を1年以上も漂流か、エルサルバドルの漁師が「奇跡の生還」 (ロイター 2014年2月4日)
・・「太平洋上に浮かぶマーシャル諸島に流れ着いた中米エルサルバドル出身の漁師が、1年以上も漂流していたと語り注目を集めている。魚や鳥を素手で捕まえたり、ウミガメの血を飲んだりしながら、生き延びていたという」  まさに意図せざるコンティキ号だ


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アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い
・・ノルウェーの探検家アムンセン

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)
・・楽園タヒチ

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・さらばラバウルよ

矢崎総業がサモア島でワイヤハーネスの現地工場を操業していたとは知らなかった・・・

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?





(2012年7月3日発売の拙著です)





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