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2021年5月2日日曜日

ロープシンの『蒼ざめた馬』― 20世紀初頭ロシアのテロリストのサヴィンコフがペンネームで書いた作品

 

「テロリストといえばイスラム」と盲目的に連想してしまう人が多いだろう。アル・カーイダによる「9・11」の同時多発テロ(2001年)以降のことであるが、それはソ連のアフガン侵攻(1979年)に始まった一連の出来事から生まれてきたものだ。

だが、かつて日本でも、1930年代においては、「昭和維新」なるスローガンのもとに、要人を狙ったテロが頻発した。「戦後」も1960年頃まではテロが行われている。

右翼少年によって社会党の浅沼委員長が刺殺された事件がもっとも有名なものである。また、アナキズム系左翼による三菱重工業本社ビル爆破事件などの爆破テロや、赤軍派によるテルアビブ空港乱射事件なども行われた。

「昭和維新」とは、「明治維新」を先例とした名付けである。「明治維新」に至る幕末は、テロの時代であった。日本においては、幕末の「志士」こそテロリストの原型であったのだ。


つまり、テロやテロリストは、けっして日本の風土とも無縁ではないのである。

自らの思想や政治的な信念を、非暴力的な対話ではなく、暴力で実現しようとするのがテロリストのマインドセットである。「テロリスト」とは、「テロ」ないしは「テロル」を実行する人物のことを意味している。

「テロ」(テロル terror)とは、日本語では「恐怖」を意味することばだ。殺人を含めた破壊行為を見える形で行うことで、直接被害にあわなかった人びとに「恐怖」を与えることを目的にした行為のことである。

近代的な意味における「テロ」が、はじめて登場したのは「フランス革命」である。アナトール・フランスの小説のタイトル『神々は渇く』に表現されたように、革命は流血をともなうものである。しかも、それは凄惨なテロをともなうものだ。

「テロ」が政治的手段としてつかわれるようになったのは、ロシア帝国の専制政治体制に対する抵抗運動からだが、「テロリストといえば、ロシアの革命家たち」であった。



■テロリストには「彼らなりの大義」があった-「勝てば官軍、負ければ賊」

テロリストというのは、じつにむずかしい存在だ。どいうことかというと、どんなひどいテロ行為であっても、「勝てば官軍」という要素があるからだ。テロは悪か正義か、立場によってまったく異なる評価がされるのはそのためだ。

もちろん、「イスラム国」のテロリストが残虐でかつ卑劣であることは言うまでもない。しかし、かれらにはかれらの大義やロジックが存在する。かれら以外には、とうてい受け入れがたい価値観であるとしても、彼らにとっては「大義」なのである。これはきわめて重要なポイントだ。

アルジェリアがフランスから独立するための戦争を行っていたのは、1954年から1962年にかけての8年間だが、独立派の手法は爆弾による一般市民への無差別攻撃という都市型テロそのものである。

『アルジェの戦い』(1966年、イタリア、アルジェリア合作)という有名な映画がある。トレーラーだけでも見ておくといいと思う。日本でも公開されて高く評価されたらしいが。都市型テロそのものである。カフェが爆破されるシーンは圧巻だ。




もしこの独立戦争が失敗に終わっていたら、独立運動もテロ以外のなにものでもなかったという評価がくだされたことだろう。

「ならぬものはならぬ」というのは会津の教えだが、テロ行為もまた「ならぬものはならぬ」と言い切ることが必要だ。「価値観」による経営が大事だと、わたしはつねづね言っているのだが、しかしその価値観が世の中の価値観に反するものであってはならない。

明治維新の元勲であった伊藤博文もまた元テロリストであった。革命家やテロリストは、あくまでも結果論によって評価が生まれる。

そしてその伊藤博文は、朝鮮人テロリストの安重根(アン・ジュングン)によって満洲の哈爾浜駅で射殺された。安重根の評価が日韓で真逆となっているのも、当然といえば当然だろう。

たとえ大義がただしいとしても、失敗した革命は、歴史の表舞台に登場することはなく葬り去られる。伊藤博文も安重根も、ともに「成功」したテロリストであったからこそ歴史に名をとどめているのである。


■テロリストの「かなしき心」を語った詩人がいる

石川啄木の名前を聞いたことのない日本人はあまりいないだろう。啄木といえば歌人という連想がでてくるはずだ。「我泣き濡れて 蟹とたはむる」というフレーズくらいは耳にしたこともあるだろう。

だが、啄木は歌人であるだけでなく詩人でもあったことを知っている人は、少ないかもしれない。

その石川啄木にはこんな詩がある。詩人としてのテーマは、歌人としてのテーマと重なるものがある。なお太字ゴチックは、引用した私によるものだ。


ココアのひと匙 一九一一・六・一五・TOKYO

われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷(さ)めたるココアのひと匙(さじ)を啜(すす)りて、
そのうすにがき舌触(したざはり)に、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。


ちょうど110年前の1911年の作品だ。1911年6月15日前後に集中している。「大逆事件」でもっとも有名な「幸徳事件」(1910年)に触発されて作成された? 関係者は翌年1911年1月に処刑されている。

詩集の「呼子と口笛」からの引用は、ネットで無料公開されている「青空文庫」による。この一連の作品は「連作」として、ぜひつづけて全部読むことを薦めたい。

「ヴ・ナロード V NAROD」(=人民のなかへ!)と叫んだロシアの革命家ナロードニキたちのことから始まり、日々の仕事に疲れた勤労少年が、手に入れることのできない夢や希望を意味しているのであろう、空を飛ぶ飛行機を見上げる姿を詩った「飛行機」という詩で終わる。

ロシアでは、啄木が書いているように、1911年の50年前の1860年代に社会運動家のナロードニキたちによる「ヴ・ナロード運動」が行われたが、知識人や学生によるアタマでっかちな運動は農村では受け入れられることはなく挫折に終わっている。

皇帝アレクサンドル2世のもと、ストルイピンの政策によって「農奴解放」が1861年に実行に移されたものの、農民の意識と知識階層のズレはきわめて大きかったのである。そして、改革の不徹底が、テロリストを生み出す遠因となったのであった。

啄木の「はてしなき議論の後  一九一一・六・一五・TOKYO」も見ておこう。啄木が言及しているのは 「ヴ・ナロード運動」を唱えたロシアのナロードニキたちのことである。


はてしなき議論の後  一九一一・六・一五・TOKYO 
われらの且(か)つ読み、且つ議論を闘たたかはすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜の青年に劣らず。 
われらは何を為なすべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳こぶしに卓をたたきて、
 ‘V NAROD!’ と叫び出いづるものなし。


「われらは何を為なすべきか」は、レーニンも愛読していたという、ナロードニキのチェルヌイシェーフスキーの『何をなすべきか』(1863年)のことをさしているだろうか? 「五十年前の露西亜の青年」たちが読みふけった小説である。

だが、啄木がこう書いた1911年の時点では、チェルヌイシェーフスキーの日本語訳は登場していなかったようだ。あるいは英訳本が念頭にあったのだろうか?


■かつてのテロの本場は帝政末期のロシアであった

日露戦争後に「血の日曜日事件」(1905年1月9日)が勃発したあと、社会革命党(エスエル)戦闘団の党員たちによるセルゲイ大公爆殺(1905年2月17日)が決行される。

暗殺事件の詳細については、エスエル戦闘団を指揮したサヴィンコフによって『テロリスト群像』に描かれている。馬車で移動していたセルゲイ大公は爆殺された。




暗殺決行前夜の心理状態については、サヴィンコフはペンネームのロープシン名義で『蒼ざめた馬』に描いている。テロの実行者は逮捕されて処刑、仲間2人は自殺し、サヴィンコフ1人が生き残ったのである。

たしかに啄木が詩うような「かなしき心」ではあるものの、テロ実行者の内面の空虚としかいいようのないニヒリズムを感じないわけにはいかない。大義のために人を殺す。その意味に耐えきれない、意味を見出せないテロリストも人の子である。

ロープシンの『蒼ざめた馬』は、かつて日本でも一世を風靡した作品である。「蒼ざめた馬」とは「青い馬」のことであり、出典は『ヨハネ黙示録』6章8節である。

1960年の安保闘争後に現代思潮社で編集者であった陶山幾朗氏の『「現代思潮社」という閃光』(現代思潮新社、2014)には、ロープシンの『蒼ざめた馬』をめぐる晶文社との出版競争の話がでてくる。

全共闘世代によく読まれたようで、異端の文献を発掘し、出版し続けた現代思潮社から出版されていた単行本は、いまでも早稲田あたりの古本屋なら簡単に見つけることができるはずだ。1960年代に出版された単行本が日焼けしてほこりをかぶったまま棚の上方にささったままになっていることだろう。




岩波現代文庫から2007年に復刊されて、ふたたび簡単に入手できるようになった。私はこの岩波現代文庫版ではじめて読んでみたが、テロリストの心理について知るためには第一級の作品であることは間違いないと思う。

岩波文庫版の内容紹介を引用しておこう。

秋の夜が落ちて、星が光りはじめたら、わたしは最後の言葉を言おう―20世紀黎明のロシアの漆黒の闇を、爆弾を抱えて彷徨するテロリストたちの張り詰めた心情と愛と孤独。社会革命党(エス・エル)戦闘団のテロ指導者サヴィンコフがロープシンの筆名で発表した終末の抒情に富んだ詩的小説は、9・11以後の世界の黙示録である。


その後のサヴィンコフについては、『黒馬を見たり 附サヴィンコフの告白』(ロープシン、川崎浹訳、現代思潮社、1968)に記されている。残念ながら、こちらは岩波文庫から復刊はされていない。



1917年の革命ののち、ボルシェヴィキに反対して「ロシア内戦」においては白軍の武装蜂起を指導し、その後は亡命生活を送っていたが、ボルシェヴィキにはめられてソ連に入国後に即逮捕。最期は投身自殺という数奇な運命をとげている。

サヴィンコフにかんしては、芦田均元首相が外交官時代のモスクワ駐在中にロシア革命を現地で体験し、サヴィンコフとパリで面会したことが、回想録の『革命前後のロシア』(自由アジア社、1958年)(*)に記されている。革命干渉戦争が行われている際、サヴィンコフはコルチャーク提督のオムスク政府の代表の1人となっていた。

(*)初版のタイトルは『革命前「夜」のロシア』(1950)であった。『革命前「後」のロシア』はその増補版である。




芦田均によれば、「サヴィンコフはロシア人としては小柄な物静かな男であった。髭のないとがった顔は蒼白な皮膚に小皺が目立った。話すときには低い声でゆるゆると、しかしはっきりと歯切れの良い口調であった。何とはなしに腹に一物ある曲者であることを思わせた」とある。

面会する前にはすでに、ロープシン名義の『蒼い馬』をロシア語の家庭教師について読んでいたそうだ。

『ロシア革命前後』には「ロシアのテロリスト」という1章があるが、サヴィンコフについては5ページを割いて、その最期にかんしても記している。よほど印象に残る存在であったのだろう。


■啄木はロシア革命を知ることなく逝った

ロシアの帝政が倒れたのは第1次世界大戦中の1917年のことであった。そのとき、啄木はすでに亡くなっていた。啄木が亡くなったのは、「呼子と口笛」に収録された一連の詩が書かれた翌年の1912年のことである。

石川啄木が詩人として語っていることは、大塩平八郎を礼賛した三島由紀夫とどれだけ違うというのだろうか?? 

政治的立場の違いはあれ、ともに「知行合一」をモットーにしていた点に違いはない。


  


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・・「火薬陰謀事件」(1603年)という世界史上初の大規模テロ未遂事件の主人公顔フォークスにヒントを得たアンチヒーロー転じた監視社会と戦うヒーロー

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・「われは知る、テロリストのかなしき心を-」(石川啄木)

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する
・・「人間の欲望に突き動かされ、意志を乗り越え、制御不能となる暴走するマネー。マネーに蹂躙され、失われる倫理観。暗殺というテロリズムの横行。それが「昭和恐慌」の時代であり、その後、破滅に向かって突き進んでいった日本なのであった」

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる

映画 『ザ・コーヴ』(The Cove)を見てきた
・・「エコ・テロリスト」たちの言動をかれらの視点から描いたドキュメンタリー映画

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・「「1968年世代」の中心にあった「ドイツ赤軍」の、1967年から10年にわたる過激な革命運動に焦点を当てた、ドキュメンタリー映画とも見まごうような2時間半の大作」

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)-対テロリズム実務参考書であり、「ネットワーク組織論」としても読み応えあり

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い


「ドイツ表現主義」の画家フランツ・マルクの「青い馬」

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する
・・「原発事故の起こった土地の名前であるチェルノブイリとは、ウクライナ語では「にがよもぎ」という意味だそうだ。しかも、その「ニガヨモギ」は『黙示録』に出てくるのだと」


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2015年10月29日木曜日

映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)ー 失敗に終わったヒトラー暗殺を単独で計画し実行した実在のドイツ人青年を描いたヒューマンドラマ


映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)。東京・日比谷のTOHOシネマズシャンテにて。

ヒトラー暗殺を単独で計画し実行した、実在のドイツ人青年ゲオルグ・エルザーを描いたヒューマンドラマである。

だが残念ながら、ヒトラー爆殺そのものは失敗に終わった。時限爆弾に設定した時間の13分前にヒトラーは演説を切り上げ、会場を後にしていたからだ。それが日本公開タイトルの「13分の誤算」という意味だ。原題は ELSER(エルザー) とじつにそっけない。

こんな人物がいたのかという驚き、未遂に終わったとはいえヒトラー暗殺計画を背後関係なくすべて単独で実行した者がいたのだという驚きでいっぱいである。

暗殺未遂事件はじっさいに1939年11月8日にあったものだが、その後ながく世に知られないままだったという。実行犯であるゲオルグ・エルザー(36)は警察に逮捕されたのち、1945年5月のドイツ敗戦を目前にして、ひそかに獄中で処刑されていたのだが、証拠隠滅のため処刑命令書が直後に廃棄されたためである。

「13分の誤算」の代償はきわめて大きなものについたことは、主人公にとってだけでなく、映画を見る者にとっても、まさに痛恨としかいいようがないだろう。国防軍将校たちによるヴァルキューレ作戦(1944年)などのヒトラー暗殺計画がみな失敗に終わった結果、結局は破局まで突き進んでしまったからである。


主人公のエルザーはドイツ南西部ヴュルテンベルク州の田舎町に生まれ育った家具職人。機械いじりが巧みで、アコーディオン演奏も得意だった彼は、ごくごくフツーの青年であった。

だが、彼は「自分のアタマで考え、自分で行動する」人間であった。ナチス支配の強化によって、世の中から自由が失われ行く状況のなか、このままでは大変なことになってしまう先見性と危機感が彼を突き動かすことになる。時限爆弾を仕掛けてヒトラーを暗殺するという決意に至り、綿密な計画のもとに実行したのである。

国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス)が単独過半数を握るまで、対極的位置ににあって激しく対立していたドイツ共産党のシンパではあったが党員でなかったエルザー。暗殺計画にはいっさいの背後関係はなく、恋人も含めて親しい者にもいっさい漏らさず、完全に単独犯として実行する。

戦前の左翼ドイツ青年エルザーの存在で想起するのは、戦後日本の単独暗殺者であった山口二矢(やまぐち・おとや)という17歳の遅れてきた右翼少年のことである。ともに自分ひとりで思いつめた末に暗殺を決行した単独犯であったが、後者の日本人単独暗殺犯は、巻き添えの犠牲者なし当時の社会党党首を相対で刺殺したのであった。

左翼の家具職人は時限爆弾での暗殺を計画し実行する。そして失敗に終わった暗殺計画の結果、ヒトラーとは無関係の一般市民が8人も爆弾の道連れとして犠牲者としてしまう。はたして大義さえあれば殺人は許されるといえるのだろうか? 主人公エルザーには良心の呵責はなかったのだるか? 主人公への全面的な共感をためらうものがここにあると感じるのは、わたしだけではないのではないだろうか。

事実関係には忠実に、ただし主人公の私生活にかんしては脚色があると断り書きが映画の末尾にでてくるが、主人公の心の奥底にあったものは、本当はいったいなんであったのだろうか。映画を見終わったあとも考え続けてしまう。

独裁者の暗殺が成功して体制の転覆に成功すると、暗殺者は新体制において英雄として賞賛されることになる。だが失敗した暗殺者は、テロリストの汚名を着せられることになる。これが世の中の評価というものだ。

はたしてドイツ青年エルザーは英雄であったのかテロリストであったのか、この映画をみても評価はきわめて難しい。ヒューマンドラマとしては見応えのある映画ではあることは間違いないのだが・・・。







<関連サイト>

映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』  公式サイト 

ヒトラー暗殺をいち早く企てた男の正体とは? 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』の衝撃 (日経トレンディネット、2015年10月16日)

ELSER Trailer German Deutsch [2015] (ドイツ語版トレーラー YouTube)





<ブログ内関連記事>

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと ・・ナチス時代を全否定した戦後ドイツが生み出した鬼子が極左テロ集団

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る

ジョン・レノン暗殺から30年、月日の立つのは早いものだ・・・(2010年12月8日)

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う

書評 『ヒトラーの秘密図書館』(ティモシー・ライバック、赤根洋子訳、文藝春秋、2010)-「独学者」ヒトラーの「多読術」

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

フォルクスワーゲンとヒトラー、そしてポルシェの関係



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2009年8月7日金曜日

映画『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと





映画『バーダー・マインホフ-理想の果て-』を見てきた。「1968年世代」の中心にあった「ドイツ赤軍」の、1967年から10年にわたる過激な革命運動に焦点を当てた、ドキュメンタリー映画とも見まごうような2時間半の大作である。

 現在上映されているのは、渋谷の Cine Rise のみ。10:20からの初回で見たが、なんせ2時間半の大作、終わったらすでに13時を過ぎていた。

 しかし、まったく退屈さを感じることはなかった。マシンガンも含めた重火器による激しい銃撃戦、爆弾テロをともなう展開はアクション映画としての側面もある。また、ドイツ語の耳慣らしにもなる(・・これは副次的効果)。

 まったく共感する余地のない思想内容や内面描写は極力ミニマムにし、ひたすら彼らの「行動」・・・それはつまり「暴力」であり、そして一般市民の側から見たら「テロリズム」以外の何者でもないのであるが・・・「行動」に焦点を合わせたのが、映画としての成功要因だといえよう。



 連続して暴力シーンを見せられることになる観客は、いったい「ドイツ赤軍」(RAF:Rote Armee Fraktion)とは何だったのかと自問自答せざるを得ない。スピルバーグ監督が映画『ミュンヘン』(Trailer が YouTubeで見ることができる。音声注意!)製作にあたって題材にした、1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手団虐殺事件は、まさにこの時代のさなかに起こった事件である。

 映画の後半は逮捕された首謀者たちが、ハンストにより餓死する者がでてくる、また法廷闘争をつうじて仲間割れが始まり、そして独房の中で精神的に追い詰められてゆくさまが、これでもかこれでもかと描かれる。

 結局、彼ら若者たちの「理想」とは何だったのか、そして収監されている彼らの手を離れ、「国際革命」の名の下に過激化していく第二世代による一般社会に対するテロリズムには、「理想のなれの果て」として、おぞましさ以外の何も感じられないことを観客は知ることとなるのだ。

 同じ「赤軍派」という現代史を共有する日本人にとっては、私自身は世代的にも、思想的にも「赤軍派」にはまったく何の共感は感じないものの、この事実を無視しては先進国の現代史を理解することはできないと感じている。だから、この映画について知ったとき、早くみたいと思っていたのだ。



 原題は Der Baader Meinhof Komplex(=The Baader Meinhof Complex)。ここでは米国版の Trailer を紹介しておこう。「赤軍派」が存在した日本版とはだいぶ違う切り口だ。日本版はオリジナルのドイツ版 trailer を基本的に踏襲している。編集によって意味づけが大いに異なることが理解できるはずだ。音声注意! ドイツ版の公式ウェブサイトも参照、trailer も teaser もこちらの映像のほうがはるかに鮮明。

 ドイツ・フランス・チェコによる合同製作であるが、監督・脚本・原作・キャスティングのいずれもドイツ人で固めた、まさにドイツ映画界の総力をあげて、主にドイツ人のために制作された映画である。セリフのほとんどがドイツ語なのはそのためであろう。国際的な商業的成功のみ目指すのであれば、英語で制作することを選択するであろうから。

 ドイツ人、とくにその時代に生きた人間にとっては、原作者シュテファン・アウストがインタビューで語っているように、「・・ドイツ人として何度も何度も新聞やTVで見てきた映像であり、今やドイツ人の集合意識のなかに入り込んでいるイメージ」だからだ(パンフレットによる)。

 日本でも、連合赤軍による浅間山荘事件の映像は、私の世代でも子供時代にTV中継で見ていたので記憶のなかに焼き付いている。現代史のなかの大きな事件として直視しなければならないのであろう。


 「ドイツ赤軍」とはそもそもいったい何だったのか?

 革命家アンドレアス・バーダーがはじめた武装闘争に加わった左派ジャーナリストのウルリーケ・マインホフの二人の名前からなっていた「バーダー・マインホフ」グループが出発点にある「ドイツ赤軍」。

 フランスの1968年5月の学生革命に端を発した過激な政治運動は、ドイツを含めたヨーロッパだけでなく、日本を含めた全世界の先進国で同時代現象として波及した、学生による旧世代、旧体制に対する「世代間闘争」という性格をもっていた。

 時代背景は、フランスの場合はとくに中国の文化大革命と毛沢東思想の影響が強いが、このほかベトナム反戦運動、チェ・ゲバラによるボリビアでのゲリラ活動の影響などがあり、日本でも、ドイツでも極左活動家による反資本主義、反国家主義を主張し、「世界革命」を理想として目指した政治運動が暴力闘争の形をとり、テロリズム以外の何者でもない武装闘争はもはや一般市民の支持を得ることができず、挫折していく。

 しかし、三菱重工業ビル爆破事件のようなテロも実行したが、「総括」という組織内リンチによる処刑や「内ゲバ」という形で、運動が袋小路に入っていった陰湿な風土をもつ日本とは異なるようだ。

 ドイツにおけるこのあたりの事情については、ドイツ思想史の三島憲一による『戦後ドイツ-その知的歴史-』(岩波新書、1991)、『ドイツを変えた68年運動(シリーズ・ドイツ現代史Ⅱ)』(井関正久、白水社、2005)を読むとよく理解できる。

 とくに前者の三島氏の著書は名著といってよく、私はこれまで2回通読しているが、この本を注意深く読むと、同じく枢軸国として第二次大戦の敗戦国であっても、日本とドイツでは歴史的前提が異なり、一筋縄ではくくれないことが理解できる。

 ドイツの、イラク戦争における米国への反対姿勢には、「68年世代」が緑の党として政権の中枢に入ったことも関係があると井関氏は指摘している。



イタリアで1978年におきた、極左暴力集団「赤い旅団」によるモロ首相誘拐監禁殺害事件は、イタリア現代史では「鉛の時代」とよばれた時期にあたるものだが、2003年には、マルコ・ベロッキオ監督による『夜よ、こんにちは』(Buongiorno notte)が製作されている。

 日本では2006年に公開された際に見に行った(・・イタリア版のトレーラーを YouTubeで見ることができる。フランス語字幕つき。音声注意! )。パルチザン家族が結婚式で歌うパルチザンの歌(・・ロシア民謡「カチューシャ」の替え歌)は印象深い。

 第二次世界大戦では、パルチザンによるファシストとドイツ占領軍支配からの「解放」という歴史をもつイタリアは、日本やドイツよりもさらに複雑な歴史をもつ。この映画に描かれた極左だけではなく、ネオナチよりもはるかに早い段階から極右が存在することからもそれはわかる。

 ドイツでも、ようやく2008年にこの『バーダー・マインホフ』が製作され、現代史のタブーを明るみに出す試みが行われている。次はネオナチと正面から向き合わねばならないのだろうが、果たしていまのドイツには可能だろうか?

 日本でも「連合赤軍」、「浅間山荘事件」の映画化が行われ、同世代を生きた映画人による、歴史を直視する状況が出てきている。この映画はまだ見ていないので感想はここには記せないが。 (付記:若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』予告編 YouTube映像につき音声注意! 2009年8月12日)


 2001年の「9-11」以降、イスラーム過激派をテロリストの代名詞としてレッテル貼りすることがマスコミに定着しているが、あくまでも外部に「敵」を作り出す思考方法においては、イスラーム過激派の側も、米国を中心とした欧米先進国(・・この中には日本も含まれる)も同じである。

 歴史的過去として封印したままにしておくのではなく、先進国の「内なるテロリズム」を直視することが必要になってきたのかもしれない。

 また時間がたつことによって、それが可能になってきたのかもしれない。

 「見たくない過去」、「触れたくない過去」には、たとえ時間がかかっても、いつかは目をふさがず直視しなくては、前に進むことは実は不可能である。いわゆるポジティブ・シンキングによって、見て見ないふりはできるが、意識の底に沈んだ「封印したはずの過去」は必ずや、なにかのきっかでフラッシュバックによって急浮上し、逆襲してくることがあるからだ。

 「忘れたことにした過去」は、けっして「過ぎ去らない過去」でもある。

 ひとりの人間として生きること自体やっかいなことだが、国家も民族もまた同じ問題を抱えている。

 言語化は、精神的に受けた傷を克服するための一歩であり、映像化は、多くの人にとって克服と癒しの機会を与えてくれる。


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<追記>

2009年8月12日に全体的に文章に手を加えて、論旨がより明瞭になるように試みた。



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