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2025年8月10日日曜日

書評『日ソ戦争 ― 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024)― 「中立条約」を無視したソ連軍が侵攻を開始、日本と全面戦争になったのは、長崎に原爆が投下される数時間前のことであった

 

1945年8月8日23時(日本時間)にソ連が日本に対して「宣戦布告」、翌日未明に「日ソ中立条約」を踏みにじってソ連軍が満洲に侵攻してきたのだ。 

長崎に原爆が投下されたのは午前11時02分ソ連軍の侵攻のあとのことになる。ソ連軍の侵攻は、戦争継続能力を失いつつあった日本にトドメを刺す行為であった。 原爆投下だけで日本が降伏したのではない。この論争はとりあえず脇においておこう。*

『誰が日本を降伏させたか 原爆投下、ソ連参戦、そして聖断』(千々石泰明、PHP新書、2025)は、米国は「コスト最小化」を目的として原爆を実戦に投入したものの、「日ソ中立条約」を結んでいた日本が、希望的観測からソ連に期待していた英米との仲介が、「ソ連参戦」によって無残にも打ち砕かれた万事休すと感じたことが、直接的にポツダム宣言受諾につながったという結論を、仮説的推論をもとに行っている。ただし、当時は日本だけでなく、米国も含めた世界中で、ラーゲリにかんするソ連の非道については認識されていなかったことは、割り引いて考える必要はある。(2025年8月21日 情報追加)


ソ連との全面戦争は、8月15日に日本がポツダム宣言を受諾したことを公表してなお終わることなく、8月22日になってようやく停戦が実現している。 その間には満洲国を壊滅させ、朝鮮半島北部を38度線まで占領、さらには南樺太と千島列島を占領するにまでいたった。北方領土はいまだに還ってこない。 

わずか2週間ばかりの戦争ではあった。双方あわせて285万人超の参加兵力が激突したわけだが、軍事的にもさることながら、第二次世界大戦以降の東アジア情勢を激変させることになったことは計り知れない意味をもつ。 

日本に敵対する勢力が跋扈(ばっこ)する大陸の情勢が「戦後80年」の現在2025年においてなお継続していること、いや情勢がふたび悪化しつつあることは、日本にとっては悪夢としかいいようのない現実だ。

だが、この2週間におよぶ「全面戦争」には、いまだに正式な名称がないのだという。『日ソ戦争 ― 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024)によれば、ロシアでは「ソ日戦争」とよばれているのだという。  

この戦争を「日ソ戦争」として命名し、その全体像を概観した本書は、出版以来ベストセラーでロングセラーになっている。「日ソ戦争」という名称が、日本人のあいだでデファクトで定着することになるかもしれない。そう期待したい。 



■「日ソ戦争」において重要なファクターは戦後構想をめぐる「米ソ」の確執

さて、この本が出版されて購入したものの、しばらく積ん読のままとなっていたのは、満洲における戦いや、南樺太と千島列島における戦いもある程度まで知っているので、急いで読む必要はあるまいと思っていたからだ。 

ところが、実際に読んでみると、近代における日中露関係史を専門とする研究者の著書でありながら、米ソの確執が重要な要素として分析されていることに気がついた。 

当時の米国は、4期目に入っていたローズヴェルト大統領がソ連参戦をつよく希望していたが、スターリンはのらりくらりとその要求をかわしつづけていた。国土を荒廃させ、多大な人的被害をもたらした「独ソ戦」を、かたづけることが至上命題であったからだ。大国ソ連といえども二正面作戦はむずかしい。 

ローズヴェルトの死後、大統領に昇格したトルーマンは、ソ連参戦よりも原爆投下で日本を敗戦に追い込むことを選択する。ドイツ敗戦後の欧州情勢をみきわめるうちに、戦後統治にソ連を介入させない方向に舵を切ったのである。ポツダムでのスターリンとの接触でソ連の本質を理解するにいたったからだ。 

ソ連においても、独ソ戦で疲弊し厭戦気分が充満していたこともあり、日ソ戦に奮い立つという状況ではなかったらしい。だからこそ、スターリンは「日露戦争への復讐(!)」というストーリーをつくって、戦争の正当性を主張するしかなかったのである。

日本にとっては、原爆投下もソ連参戦も最悪だったと言わざるを得ないが、それでもなお米国による単独占領となったことは、不幸中の幸いであったと言わなくてはならないだろう。 

とはいえ、「ヤルタ秘密協定」において、ソ連が占領した千島列島の範囲を明確に示さなかったことは、「米国の過失」として日本人は知っておく必要がある。北方領土問題は一義的にソ連(ロシア)に非があるのは当然のことだが、米国にも責任があるのだ。 日本の頭越しに、米ソ両大国によって日本の運命が決められたのである。

米そ両大国による頭越しの交渉。聴いたことのあるフレーズではないか! いきなり平和な日常が破壊された衝撃。超大国によって頭越しに左右された戦後処理の不条理さ。

2022年に始まっていまなお終わらない「ウクライナ戦争」を重ね合わせて読むことも可能だろう。 いや、「ウクライナ戦争」によって、80年前の「日ソ戦争」は、あらためて日本人にとってはリアルなものとして、あらたな意味を帯びて再生しつつあると言えるかもしれない。






■新発見の史料も踏まえた最新研究であり読ませる文章

ソ連崩壊後、ソ連軍によって鹵獲(ろかく)された日本側の資料が、ようやく一部が閲覧可能となった。

本書は、そういった新資料やソ連側の公文書も踏まえたものでおり、史料のもつ限界があるものの、全体をとおして比較的公平な視点で記述されている。 

「日ソ戦争」がもたらした国際情勢の激変だけでなく、もちろん個々の戦闘の詳細にかんする軍事面の記述も充実している。 

在留日本人が被った多大な被害についても、その当時を回想した人びとのうち、満洲から命からがら引き揚げた森繁久彌や宝田明などの演劇人、赤塚不二夫のようなマンガ家、朝鮮から引き揚げた五木寛之のような文学者の文章も挿入し、読ませる工夫がされている。

(作家・新田次郎の配偶者あった藤原ていによるベストセラー『流れる星は生きている』への言及がないのは、ちょっと寂しいところだ。満洲から引き揚げた途中で朝鮮で足止めを食らった苦難の記録は、日本人必読だ) 

「日ソ戦争」と、それがもたらした現在につながる国際環境の激変の全体像を知るために、ぜひ本書を読むべきだと薦めたい。 



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目 次
はじめに 
第1章 開戦までの国家戦略 ― 日米ソの角逐 
 1 戦争を演出したアメリカ ― 大統領と米軍の思惑 
 2 打ち砕かれた日本の希望 ― ソ連のリアリズム 
第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅 
 1 開戦までの道程 ― 日ソの作戦計画と動員 
 2 ソ連軍の侵攻 ― 八月九日未明からの1ヵ月 
 3 在満日本人の苦難 
 4 北緯三八度線までの占領へ 
第3章 南樺太と千島列島への侵攻 
 1 国内最後の地上戦  ― 南樺太 
 2 日本の最北端での激戦 ― 占守島 
 3 岐路にあった北海道と北方領土 
 4 日ソ戦争の犠牲者たち 
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン 
 1 対日包囲網の形成 
 2 シベリア抑留と物資搬出 
おわりに ―「自衛」でも「解放」でもなく 
あとがき 
註記/参考資料 
巻末史料 ヤルタ秘密協定草案/ヤルタ秘密協定 
日ソ戦争 関連年表 

著者プロフィール
麻田雅文(あさだ・まさふみ) 
1980年、東京都生まれ。20003年、学習院大学文学部史学科卒業。2020年、北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得後退学。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員、ジョージ・ワシントン大学客員研究員、岩手大学人文社会科学部准教授を経て、2025年より成城大学法学部教授。専攻は近現代の日中露関係史。著書『中東鉄道経営史―ロシアと「満洲」1896~1935』(名古屋大学出版会、2012年/第8回樫山純三賞受賞)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


PS あわえてよむべき


原爆投下よりも、ソ連参戦がポツダム宣言受諾につながったとする見解を、仮説推論によって打ち出したのが『誰が日本を降伏させたか 原爆投下、ソ連参戦、そして聖断』(千々石泰明、PHP新書、2025)である。



米国は「コスト最小化」を目的として原爆を実戦に投入したものの、「日ソ中立条約」を結んでいた日本が、希望的観測からソ連に期待していた英米との仲介が、「ソ連参戦」によって無残にも打ち砕かれた万事休すと感じたことが、直接的にポツダム宣言受諾につながったというのが結論だ。

本書『日ソ戦争 ― 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024)とあわせてよむべき。

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2023年9月24日日曜日

『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)と 『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)をつづけて読む。女性の視点による「20世紀前半のハルビン社会史」がそこにある




ロシアについて考えているうちに、ふたたび内村剛介氏の著作をひもとくことになるスターリン時代に11年間の監獄生活を送ることを余儀なくされた内村氏の原点は「ハルビン学院」にあり、その文章を読んでいると、必然的にハルビンそのものへと思考が向かう。

ハルビン(Harbin)という響きがいい。ハルビンは漢字で「哈爾浜」と書く。満洲にあった都市である。伊藤博文が暗殺されたのはハルビン駅である。

ハルビンは、もともと帝政時代のロシアが建設した都市だ。

「東方を制服せよ」という意味のウラジオストック(=ヴラジ・ヴォストーク)がロシアの東方進出を象徴する都市であるとすれば、ハルビンはもともと現地人の満州語の地名である。鉄道建設のために新規に開発されたロシアの都市であった。

植民地となった満洲。その満洲にあるハルビンは、おなじくロシアが開発した大連以上に日本人にとってはヨーロッパを感じさせる都市であった。

共産主義を意味する「赤系」のソ連から逃れてきた「白系」のロシア人が多く居住していたハルビン。ユダヤ人もふくめ、かれらの多くは「無国籍者」となっていた。

ハルビンといえば歌手の加藤登紀子である。加藤登紀子氏は、ハルビンに生まれて日本に引き揚げてきた人だ。そしてその母を描いた本である『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)は買ったまま、ずっと本棚にありつづけた。

その後、『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)の存在を知って、これも入手することにした。

そうだな、この機会にこの2冊を読んでしまおう。そう思った。いつまでも読んだつもりにしておいてはいけない。読まないままにしておいてはいけない。

まずは、『ハルビンの詩がきこえる』から先に読むことにした。内容は、加藤登紀子の母の手記である。91歳になった著書にとって、すみずみまで記憶のなかで生きているハルビン。まさに著者にとってハルビンは青春そのものだった。

本のカバーの内側に著者のことばがある。昭和10年は1935年、昭和21年は1946年である。


昭和10年から21年までのたった11年のハルビン。
でもそれはまさに二十代の私の青春そのものだった。
同じこの場所にその面影が消えてしまった今も、
私の心の中にはすべてがあざやかに刻まれている。
          ーーーーー 加藤淑子


京都の呉服屋に生まれ育った女性が、因習に縛られた狭い京都から自由をもとめて大陸へ。ハルビン学院卒の男性と結婚にしてハルビンへの渡航、白系ロシア人の住居の一部に賃貸で入居を繰り返したことで、さまざまなロシア人の暮らしぶりを目の当たりにすることになる。

ここにあるのは、日常の「生活」(ジーズニ)、この記述がまさに貴重なのである。男性による「満洲もの」には描かれない世界。その他圧倒的多数の日本人とは違って、加藤夫妻はハルビンには日本的生活を持ち込まなかった。避暑を兼ねたダーチャの生活も含めて。だからこそ、加藤淑子氏の手記は「20世紀前半のハルビン社会史」としても貴重な内容なのである。


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目 次
プロローグ
第1章 太陽は地平線を昇る 
 大地の夜明け/マリア・ニコラーエヴナの家/炊事場のロシア語レッスン/ハルビンでのお買い物/見知らぬ街での生活がはじまる/男の友情/お茶を飲む女たち/いつも音楽があった
(コラム) ウォトカの飲み方/サモワール 
第2章 チェリョームハの木陰で 
 サハロフの家/ロシア人のお祭り/ロシア語を習う/スンガリーで遊ぶ/ストラグスの家/ユシコフはマネキン屋/大和アパートへ/太陽島でのひと夏/父のハルビン訪問/スンガリーのダーチャで/トホール家の動物たち 
(コラム) ペチカ 
第3章 戦火しのびよる街 
 再び京都へ/祖母ハナとの暮らし/祖母ハナの死/トホール家の結婚パーティー/イワノフの家へ/ピアノのレッスン/義弟の結婚、そして召集/新町の家で/夫は露語教育隊/ハルビンへの帰郷/家をつくる若いロシア人夫婦/登紀子の出産/奉天は臨戦態勢/昭和19年年末の空襲/夫はいよいよ戦地へ/ソ連参戦 
(コラム) ハルビン学院/ハルビンという街 
第4章 今日を生きる野草の如く
 終戦の日/トラックに乗って収容所へ/略奪がはじまる/北方からの避難民/将校オサッチ /人形づくり/秋林(チューリン)のお針子になる/星輝寮をでる/ミシンで開業/中国式の食べ物/ソ連軍の撤退/ハルビンに残る?/引き揚げを決心/出発の日 ―― 9日6日/フローシャの最後のごはん/地平線の向こうに 
エピローグ(加藤登紀子) 
あとがき(加藤淑子) 
加藤淑子年譜(加藤淑子・加藤登紀子) 
図版出典一覧


その「生活」を乱したのは外部の状況であった。悪化する戦況は「内地」では大きな被害をもたらしていたが、大陸とのタイムラグが存在したのである。出産のたびにハルビンと京都を往復していた著者だが、昭和20年(1945年)の6月になってからハルビンに戻るのである。

だが、状況は突然やぶられることになる。米国ではなくソ連が侵攻してきたからだ。8月9日のことである。

ソ連軍によって占領されたハルビン、出征したまま帰ってこない夫。そんな状況のなかでも洋裁の技能を活かし、ユダヤ人の顧客たちから信頼されて生き抜いてゆく著者。ユダヤ人とロシア人の違いにかんする観察もさすがである。

戦後のハルビンでの生活も安定してきたが、最終的に日本への帰国を決意し、女手ひとつで3人の子をつれて脱出する命からがらの逃避行へ。手記はそこで終わっている。




『ハルビンの詩(うた)がきこえる』の帯には、作家のなかにし礼氏の推薦文が記されている。

「女たちの満州」
満州の歴史とは、実は女たちの物語なのである。
満州建国を夢見たのは男たちであったが、その夢破れたのちのあとかたづけはすべて女たちがやった。その一つの証言をここに見る思いがする。
加藤登紀子も私も、阿修羅のごとく戦った母によって守られ、日本に流れついた命なのだということをあらためて痛感する。


満洲からの引き上げを描いた『赤い月』の作者だけに、まさにそのとおりだと思う。これに付け加えることはなにもない。『流れる星は生きている』だけではないのである。


■『ハルビン新宿物語』は加藤淑子氏の「戦後」まで描く

『ハルビン新宿物語』は、1995年の出版から28年目にはじめて通読した。しかも、購入から22年もたっている、とは! 

2001年1月7日に amazon で購入していたことが「履歴」からわかった。さすが電子取引である。いまではまず目にすることもない「amazon.co.jp のしおり」がはさまっていたことに気がついた。新刊書として購入していたのだ。

amazon が日本に進出したのは、2000年11月のことである。そんな初期から利用していたわけである。まだ amazon は書籍中心の取り扱いであり、初期段階で利用者が多くなかったのでプロモーションの一環として「紙のしおり」がつけられたのであろう。




先に『ハルビンの詩がきこえる』を読み、ついで『ハルビン新宿物語』を読んだのは正解だった。

前者は加藤淑子氏の「青春時代」であり、後者はそれも含めた「戦後」まで描いているからだ。

女性の自立の物語でもある。洋裁の技能を活かして生計をたて、その後は夫が開いたロシア料理店スンガリーの切り盛りに追われることになる。スンガリーはハルビンを流れる川の名前である。スンガリーは松花江である。

先になかにし礼氏の文章を引いたが、加藤淑子氏の戦後もまた「夢破れた男のあとかたづけを」やることになったわけである。

「戦後日本」は「満洲時代」の遺産抜きにはありえないことは、戦後復興や新幹線の存在を知れば明らかである。そんな「男たちの世界」だけでなく、当然のことながら「女たちの世界」でもそうだったのである。

加藤登紀子氏の兄の加藤幹雄氏は一橋大学経済学部の出身で、わたしからみたら大先輩にあたる人だ。

1960年の安保闘争における挫折とその後の国際ビジネスマンとしての人生は、一橋大学卒業生の会である如水会の『如水会報』への本人の寄稿で知った。

その他の関連記事がないか検索していて、父親が京都で開いたロシア料理店キエフの経営を数年前に継いだことを知った。「住金副社長からロシア料理店経営へ 生涯現役モデルに」という記事がある。

加藤淑子氏は夫の遺骨をスンガリーに流すため、加藤幹雄氏ら子どもたちとともに1993年にハルビンを再訪している。『ハルビン新宿物語』の著者である石村博子氏も同行し、その記述が本書の最終章に書かれている。

そのことはまったく知らずに、わたしは1999年にハルビンを含めた満洲に旅している。大陸から引き揚げ者の家庭ではないが、満洲というものは学校の先生をつうじて子ども時代から聞き知っていた。そんなこともあり、どうしても自分の目で見て、自分で歩いて体感したかったのだ。

わたしが訪れたとき、ハルビンにはまだわずかながらロシアの痕跡をとどめていた。ハルビンのロシア料理店で食べたロールキャベツは美味かった。

そんな1999年のハルビン旅行のあと、2001年1月に『ハルビン新宿物語』を購入していたのであった。


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目 次 
はじめに 加藤登紀子
Ⅰ章 敗戦―ハルビンで
Ⅱ章 自由への旅立ち 
Ⅲ章 焦土から、ふたたび
Ⅳ章 出会いと別れ―新宿 
終章 スンガリーの流れのように
おわりに 加藤淑子
あとがき 石村博子
関連略年表

著者プロフィール
石村博子(いしむら・ひろこ)
1951年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。法政大学卒業。加藤淑子が切り盛りしたロシア料理店スンガリーで働いていたロシア人女性クセニアの息子ビクトル古賀を主人公にした『たった独りの引き揚げ隊 ― 10歳の少年、満州1000キロを征く』(角川書店、2009)など著書多数。


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・・「この本でとくに興味深いのが、「物書く商社マン」であったロシア文学者で評論家の内村剛介氏(故人)の回想。(・・・中略・・・)シベリアで抑留され、ソ連の収容所に11年間も抑留されていた内村剛介の諸著作は、ロシアについて考えるためには必読書であり、ほんとうの知識人とはどういう存在かを身をもって教えてくれる存在だ。内村剛介氏は、日本に帰国後は総合商社の日商(のち合併して日商岩井)で、ロシア語を駆使して辣腕の商社マンとしてソ連貿易に携わっていた。大学教授に転身する前は、「物書く商社マン」として知られていたらしい。そんな話が読めたのもうれしい。」




・・『危機の宰相』 のもう一つのテーマは、満洲国の存在と戦後日本におけるその意味である


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2019年9月10日火曜日

JBPressの連載コラム第60回は、「悲壮な肉弾戦で惨敗、「ノモンハン事件」の教訓とは-日本を破滅に導いた国境紛争、連続した世界を生きている私たち」(2019年9月10日)

(戦場まで徒歩で移動する関東軍の歩兵たち Wikipediaより)


JBPressの連載コラム第60回は、悲壮な肉弾戦で惨敗、「ノモンハン事件」の教訓とは-日本を破滅に導いた国境紛争、連続した世界を生きている私たち(2019年9月10日)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57544

今年2019年は、「ノモンハン事件」から80年にあたる。 

「ノモンハン事件」は、1939(昭和14)年5月11日に始まり、同年の9月16日に停戦交渉が成立し終結した、国境線をめぐる日ソ間の軍事衝突である。国境付近の大草原を舞台にした3次にわたる激戦で、双方ともに1万人の戦死者、2万人以上の負傷者を出している。「事件」というよりも、実質的に「戦争」であった。

反面教師としてのノモンハン事件は、現代に生きる日本人にとっても、いまだ教訓に充ち満ちた教材である。

以下の小項目に従って、ノモンハン事件について考えてみよう。


(『ノモンハン』(辻政信、毎日新聞社、1950)の表紙カバー 筆者撮影)


●朝鮮戦争との類似点
●第2次世界大戦の引き金に
●帝国陸軍が喫した「初の敗戦」
●「工業力」に大きな差があったソ連と日本
●反省すれど、教訓は活かされず
●国境紛争は全面戦争につながりやすい


(『鉄か肉か-ノモンハン秘史』(山中峯太郎、誠文堂新光社、1940)の表紙カバー 筆者撮影)


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのはドイツ帝国の宰相ビスマルクの至言だが、ノモンハン事件は「先の大戦」にも劣らず、今後も繰り返し、繰り返し振り返り、細部にわたって検討を行うべき失敗事例なのである。


(映画『戦争と人間 完結編』(1973年、日活)はノモンハン戦争のシーンで終わる)





<ブログ内関連記事>

JBPress連載コラム第46回目は、「知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある」(2019年2月26日)


JBPress連載コラム第22回目は、「日本は専制国家に戻るロシアを追い詰めてはいけない-「東洋的専制国家」の中国とロシア、その共通点と相違点」(2018年3月27日)


64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した(2008年8月8日)


書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝


(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…


23年間「積ん読状態」だった藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』(現代教養文庫、1995)を読んで自問自答する「日本人にとっての満蒙とは何か?」という問い


書評 『五色の虹-満洲建国大学卒業生たちの戦後-』(三浦英之、集英社文庫、2017 単行本初版 2014)-わずか8年の歴史しかなかった「満洲建国大学」という実験とその後


『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ


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2019年8月27日火曜日

JBPressの連載コラム第59回は、「あの抵抗がなければ日本は分断国家になっていた ― 日本側の希望的観測が招いた「ソ連侵攻」の悲劇」(2019年8月27日)



JBPressの連載コラム第59回は、あの抵抗がなければ日本は分断国家になっていた-日本側の希望的観測が招いた「ソ連侵攻」の悲劇(2019年8月27日)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57403

東アジアは、激動の時代に逆戻りしている。1991年に米ソの冷戦構造が崩壊してから、見えなかった問題が顕在化してきたのである。

尖閣諸島をめぐる日中対立軍事的な台湾統一も辞さないとする中国共産党、いっこうに終わることのない香港のデモ見通しの見えない日韓紛争などなど。枚挙にいとまがない。

こういった東アジアの諸問題は、いずれもかつての「大日本帝国」の領土で起こっていることに注目したい。かつて日本は、良い悪いに関係なく、歴史的事実として海外に植民地を保有する「帝国」だったのだ。

8月6日の米軍による広島への原爆投下につづき、8月8日にソ連は「対日宣戦布告」して、9日午前0時から満洲に侵攻を開始した。「日ソ中立条約」を一方的に破棄したうえで、満洲、朝鮮半島、樺太南部、千島列島に次々に侵攻し、各地で日本軍と戦闘になったのである。

「終戦記念日」は8月15日だが、実際に大東亜戦争が終結したのは9月2日である。 「北方領土問題」の焦点となっている歯舞諸島のソ連による占領が完了したのは、9月5日のことであった。このことは銘記しておきたい。

南樺太と占守島の守備隊の頑強な抵抗のおかげで、北海道北部が占領されることなく、日本が「分断国家」となることから免れ得たのであった。この事実は、日本国民として十分に認識しておく必要がある。

詳しくは本文で https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57403






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