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2026年6月28日日曜日

美輪明宏さんが亡くなった(2026年6月28日)― 「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かったと心から思う

 

美輪明宏さんが亡くなった、というニュースが飛び込んできた。享年91歳。 

たいへん残念なことだが、老衰ということであれば仕方ない。生死は自然の摂理である。ご冥福をお祈りします。合掌 



■人生にかんする著作の数々

 マイ蔵書のなかから美輪明宏関連の本を取り出してみた。 

まずは『紫の履歴書』(水書房、1992 初版は1968)。美輪明宏というと「黄色」のイメージがすっかり定着していたが、もともとは「紫」だったんだな、と思い出した。 




そして『ああ正負の法則』(PARCO出版、2002)。この本で「盈(み)つれば虧(か)くる」というフレーズを知った。

満月になれば月は欠ける。盛者必衰。ひとりの人間の人生においても運命は循環する。まさこれが「人生の法則」なのである。「地球の法則」あるいは「宇宙の法則」といっていいだろう。  




なんとっても『愛と美の法則』(PARCO出版、2009)をあげるべきだろう。2005年に放送された「NHK人間講座 人生・愛と美の法則」の書籍化だ。全ページがカラーで、美しい装丁の単行本。この本じたいが美を体現している。  

「この世の中には、愛と美さえあればそれだけで充分なのです。」この文章で始まる本である。「愛と美」こそ、人間にとってもっとも大事なのだ。まったくその通りだと思う。 

古代ギリシア以来「真・善・美」と言われてきたが、日本人にとっては「美」こそが最上位にくる。日本人にとっては、「美」がもっとも大事な倫理なのである。「愛」については、あえて言うまでもない。 

『愛と美の法則』は、日本語シャンソンと芝居を除けば文字どおり美輪明宏の生涯の代表作であり、後世にもぜひ読み継がれていってほしい。 

ほかにも美輪明宏がの本が何冊かあったと思うのだが、いますぐ取り出せる状態にはない。『ほほえみの首飾り-南無の会辻説法』(美輪明宏、水書房、1989)もいい。

わたし自身は法華経信者ではないが、美輪明宏を精神的に支えていたのが『法華経』であったことは知っておくべきことである。  


「特定の教団のメンバーになることと信仰を持つということは別」であり、「信仰はあくまでも個人のもの」だというのが、美輪明宏の一貫した信念であった。21世紀に生きる日本人ににとって、心すべきことである。



■ 「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かった

いま『美輪明宏全曲集』をあえてCDで聴きながらこれを書いている。日本語シャンソンの名曲の数々。エディット・ピアフの「愛の賛歌」や「ヨイトマケの唄」だけではない。 

「最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました。」と「訃報」と題して公式サイトに記されている。






「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かったと心から思う。ありがとうございました。 

あらためてご冥福をお祈りします。旅立ちに合掌。 


PS. 映画『黒蜥蜴』(1968年)をはじめて視聴

NHK・BSで午前9:30から映画『黒蜥蜴』(1968年)をはじめて視聴した。江戸川乱歩原作で三島由紀夫が戯曲化したもの。

この映画で「黒蜥蜴」を演じているのが美輪明宏(当時は丸山明宏)。妖艶な美女を快演する美輪明宏は、まさにはまり役である。映画のなかで男装(!)するシーンがあるが、マレーネ・ディートリヒより素晴らしい。




秘密倶楽部の壁面には、ビアズリーのサロメ。秘密美術館にはギリシア風彫刻。江戸川乱歩のエログロ趣味と、三島由紀夫のキッチュな古典主義が融合、いかにも三島好みの演出。三島自身も出演しているこの映画は、カルト映画の古典というべきであろう。そんな感想をもったのであった。

この日は『黒蜥蜴』のことがアタマにこびりついて、なかなかほかのことに集中できないままであった・・   (2026年7月7日 記す)




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2025年12月31日水曜日

書評『縄文 革命とナショナリズム』(中島岳志、太田出版、2025)― 「縄文」という切り口で読みとく「戦後日本」の「精神史」

 

2025年(令和7年)の読み納めは、『縄文 革命とナショナリズム』(中島岳志、太田出版、2025)。年末年始の休みは、仕事とは直接関係ない本を読むには適している。  

「縄文」という切り口で読みとく「戦後日本」の「精神史」である。この3つがキーワードである。 

大東亜戦争の敗戦によって、全否定されるにいたった「皇国史観」。戦中期には、オカルト的なまでにエスカレートしていた「皇国史観」にかわって注目されるようになったのが「縄文」だ。 日本と日本人のアイデンティティをどこに求めるか、その問いに対する答えとして注目されるようになったのである。

現代インド研究から出発して、現在は思想史の分野で活発に執筆活動を進めている著者は、1951年の岡本太郎の「縄文発見」から始めて、柳宗悦の民藝運動の行き着いた先、そして1960年代には南西諸島に日本の古層を見る島尾敏雄や吉本隆明たちの言説をていねいにたどっていく。この時代の言説は、著者のいう「縄文左派」である。 

そして、近代文明批判の観点から1970年前後に全面にでてきたオカルトブームや、反体制的なヒッピームーブメントを経て、そのなかから生まれてきたエコロジーへの関心のなか、1980年代には「縄文左派」の内側から「縄文右派」への流れが生まれてくる。 

かつては「縄文左派」によって天皇制を超えるものと見られていた縄文だが、日本が経済的に絶頂期を迎えた1980年代には、ナショナリズムと結びついて「縄文右派」の優勢を迎える。梅原猛に代表される「新京都学派」の言説が国民のあいだに浸透していった。 

そして、2020年代の現在、「縄文ナショナリズム」は「スピリチュアル」と結びついていく。この段階になると「左派」と「右派」の違いはきわめてあいまいとなり、安倍昭恵さんがその代表的存在だが、同一人物のなかで左右の違いは矛盾と感じられなくなっていく。 

「戦後日本の精神史」をざっと眺めたらそんな感じになるわけだが、結局のところ、人びとが見たいもの、そうであってほしいものが投影された存在が「縄文」だというわけなのだ。 

さて、2020年代も半ばを過ぎて、「縄文」に対する日本人の思いはどう変化していくのだろうか。日本をめぐる国内外の危機がエスカレートしていきつつある現在、この流れは加速していくのかどうか、考えてみるのも面白い。 


 (画像をクリック!)




目 次
序章 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの 
第1章 岡本太郎と「日本の伝統」 
第2章 民芸運動とイノセント・ワールド 
第3章 南島とヤポネシア 
第4章 オカルトとヒッピー 
第5章 偽史のポリティクス  ―  太田竜の軌跡 
第6章 新京都学派の深層文化論  ―  上山春平と梅原猛 
終章 縄文スピリチュアルと右派ナショナリズム 
あとがき 
参考文献


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・・「縄文人や弥生人の二重構造説など、「常識」となっている固定観念にゆさぶりをかけ、日本人の認識を変える必要さえ迫ってくる」



■「縄文」をめぐる言説関連





(2026年2月22日 情報追加)


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2024年4月20日土曜日

書評『戦争体験と経営者』(立石泰則、岩波新書、2018)ー 戦後日本の消費社会をビジネスで支えたのは過酷な戦場体験をもつ経営者たちだった

 
 

ダイエー創業者の中内さんなど、過酷な戦場体験を経て、戦後の日本で消費者向けビジネスを起業した経営者がいたことは、もう日本人の記憶から消えつつあるのかもしれない。そんな人たちがみな、すでに鬼籍に入って久しいからだ。 

『戦争体験と経営者』は、フィリピン戦線で生き残った中内氏や、職業軍人だったケーズデンキ創業者の加藤馨氏、それにインパール作戦の生き残りだったワコールの創業者・塚本幸一氏が取り上げられている。いずれも著者の立石氏の取材経験のなかで印象の深い人びとである。 

なかでも分量的に半分近くを占めている、塚本氏の戦争体験と復員後の起業、そして学校時代の同級生2人とのトロイカ体制による経営が、読んでいて感慨深いものがあった。ワコールの起業ストーリーについては、もっと知りたいと思う。 

ケーズデンキ創業者の加藤馨氏のことは、いままでまったく知らなかったが、ダイエーの中内さんやワコールの塚本さんと戦争の話は、かれらがまだ現役の経営者だった1980年代から1990年代にかけては、さまざまな媒体をつうじて見聞きしていた。当時は多くの人がある種の「常識」として知っていたことだ。 

だが、こういった過酷な戦争体験をもつ創業経営者たちの話も、誰かが語らないと、あっというまに風化してしまいかねない。著者のその危機感はよくわかる。 

帯にある「その使命感と「個」の尊重が戦後日本を支えた」というフレーズの意味を、あらためてよくかみしめて考えなくてはならないのだ。 


(画像をクリック!)



目 次
はじめに 
第1章 戦地に赴くということ(堤清二と中内功) 
第2章 日本軍は兵士の命を軽く扱う(加藤馨) 
第3章 戦友の死が与えた「生かされている」人生(塚本幸一と2人のパートナー) 
第4章 終わらない戦争 
おわりにかえて
追記

著者プロフィール
立石泰則(たていし・やすのり)
1950年北九州市生まれ。ノンフィクション作家、ジャーナリスト。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。経済誌編集者、週刊誌記者等を経て、1988年に独立。『覇者の誤算 日米コンピュータ戦争の40年』(日本経済新聞社)により第15回講談社ノンフィクション賞を受賞。『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ』(文藝春秋)により第10回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


PS 『ふたつの轍(わだち)ー ワコール・塚本幸一を支えた男たち』(立石泰則、日本実業出版社、1991)

本文に書いたように、「塚本氏の戦争体験と復員後の起業、そして学校時代の同級生2人とのトロイカ体制による経営が、読んでいて感慨深いものがあった。

ワコールの起業ストーリーについては、もっと知りたい」という思いは、『ふたつの轍(わだち)ー ワコール・塚本幸一を支えた男たち』(立石泰則、日本実業出版社、1991)を読んで解消した。




内容的には、「塚本氏の戦争体験と復員後の起業、そして学校時代の同級生2人とのトロイカ体制による経営」にかぶっている部分もあるが、起業後に「ナンバー2」となった財務担当の中村氏(東京商大卒)を口説き落とした経緯と、ベンチャー段階での資金繰りの苦労、実質「ナンバー3」であった営業担当の川口氏の東京市場開拓の奮闘など、「ワコールの起業ストーリー」を複眼的に顧みることができたのは収穫だった。

三頭立ての「トロイカ経営」と立石氏は言うが、学友2人との協業は、すんなりといったわけではけっしてない。その点はヨイショ本ではない。

だが、過酷な戦場を生き残り、「生かされている」と真顔で語るカリスマ的な経営者・塚本氏を立て、それぞれ副社長として経営を支えたストーリーは、なかなかないのではないかという点には同感だ。
 
「親しむべし、馴れるべからず」という塚本氏のモットーは、渋沢栄一の「君子の交わりは淡きこと水のごとし」を想起させるものがある。学友であっても経営においては話は別であるという姿勢、この禁欲的ともいえる姿勢がワコールの成功をもたらしたことは間違いないだろう。
 
1991年刊であり、いまから30年以上前のものであるが、あわせて読むべきビジネス書である。

(2024年4月29日 記す)





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2021年2月28日日曜日

書評『パステルナーク事件と戦後日本 ―「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)― 1958年の日本の知識階層の精神風景を丹念に跡づけた好著

 

 先日のことだが、『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)という本を読んで、たいへん充実した読後感を抱いた。  1958年の「パステルナーク事件」という知られざる事件にまつわる日本の知識階層の精神風景を描いたものだ。 

パステルナークはソ連時代に生きたロシアの詩人。ロシア革命とその後に続いた内戦を舞台にしたヒューマン・ドラマの映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年)の原作者である(*現在に至るまで原作を読む機会がないのが残念だ。映画のほうはなんども繰り返し見ているのだが・・)
 



そのパステルナークが心血を注いで完成させたものの、当時のソ連では出版できなかった大河小説『ドクトルジバゴ』が、1957年にイタリアで出版されたことに始まるのが「パステルナーク事件」(1958年)だ。 当時すでに「ハンガリー動乱(あるいは革命)」(1956年)によって、ソ連と共産主義への支持に陰りが見え始めていた時期である。 

1958年度のノーベル文学賞が、パステルナークに授与されることが発表され詩人が受諾したにもかかわらず、わずか1週間で辞退するに至った。ソ連の体制側からの激しい誹謗中傷と圧力がかかったからである。ロシアにとどまりたかった詩人は、受賞を断念することを余儀なくされた。本書の記述を読めば、それはもう、すさまじいの一言に尽きる。これが第3章までの内容だ。 

このうような「パステルナーク事件」について、世界中の文学者たちから「表現の自由」を守れとして大きな非難が起こったのだが、日本のペンクラブではかならずしもそうではなかった。 

日本国内と日本以外では、温度差の違いと要約できるもの以上のものがあったこと、「1958年の日本の知識階層の精神風景」を綿密に描き出したのがこの著作である。 

戦前の挫折した社会主義運動という屈折した前史をもつ、この特殊ともいえる「1958年の日本の知識階層の精神風景」をあぶり出すことになったのが、日本ペンクラブの外国人会員であった米国人の日本文学研究者で『源氏物語』の英訳者である)エドワード・サイデンステッカーによる異議申し立てであり、ちょうどその頃に来日した著作家のアーサー・ケストラーであった。 

1958年は、「反米ナショナリズム」が燃えさかった「60年安保」の前夜であり、当時の日本ではアメリカの大衆文化が圧倒的な影響力をもちながらも、同時に反米意識がかなり強く存在した時代だ。そんな時代に、米国人からの異議申し立てに対して左翼的傾向の強い文学者たちが、どのような反応を示したかというと、現在では想像するのも難しい。 

さらにいえば、もともと熱心な共産党員であったが、その後共産党と縁を切った経験をもつケストラーにとって、日本の文学者たちの姿勢は当然容認できるようなものではなかったのである。ケストラーの『真昼の暗黒』(1940年)は、そんなソ連の体制を徹底批判して世界的ベストセラーになっている。 

冷戦時代のソ連、そして日本。獲得形質は遺伝するとしてソ連で公認されていたルイセンコ学説をめぐる興亡。せっかく著作家ケストラーとルイセンコ学説の双方を別個に取り上げながら、ケストラーの『サンバガエルの謎』(1971年)に触れなかったのは、画竜点睛を欠くというか、ちょっと残念だったような気もする。だが、こんな内容を400ページのボリュームでまとめたこの著作は、じつに充実した内容で読みごたえがあった。 


驚いたことに、著者の陶山幾朗氏は、なんと『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』の出版直前に78歳で急逝されていたらしい。「刊行への経緯」に記されている。だから。この本が文字通りの遺作となったことになる。 

それにしても、素晴らしい内容の著作を残していただいたものである。万人向けの本でないが、このテーマに関心のある人は、読んでけっして損のない本であると言っておきたい。 


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目 次
序章 発端-1958年10月23日
第1章 祝福から迫害へ-1958年10月23日~11月6日
第2章 「事件」前史-1956~58年
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー
第5章 「文士」と政治-高見順(1)
第6章 「怖れ」と「美化」と-高見順(2)
第7章 「モスクワ芸術座」という事件
第8章 《害虫》のポリティクス
第9章  “ワルプルギスの夜” の闇
第10章 『真昼の暗黒』の来日-アーサー・ケストラー(1)
第11章 「目に見えぬ文字」への道程-アーサー・ケストラー(2)
第12章 “勝利” の儀式?-第3回ソビエト作家大会(1)
第13章 クレムリン宮殿の中野重治-第3回ソビエト作家大会(2)
第14章 「事件」の終わり-かくて人びとは去り…
補遺
わが国メディアに現れた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967)
「パステルナーク事件」関連年表
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣
あとがき
刊行までの経緯


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年生まれ。1965年早稲田大学第一文学部卒。著書に『シベリアの思想家ー内村剛介とソルジェニーツィン』(風琳堂)、『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)、『現代思潮社という閃光』(現代思潮社)、編集『内村剛介著作集』全七巻(恵雅堂出版)。 雑誌『VAV』同人。 2018年11月2日 急逝(78歳)。



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