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2023年9月21日木曜日

四半世紀ぶりに井筒俊彦の『ロシア的人間』(初版1953年)を読み直してみた(2023年9月)- 内容が古びることのない「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


 
ひさびさに井筒俊彦の『ロシア的人間』(中公文庫、1989)を読み返してみた。約四半世紀ぶりである。イスラーム哲学の研究者として著名な著者による異色の著作である。

中公文庫(旧版)で『ロシア的人間』を読んでからすでに四半世紀近い。弘文堂から初版がでたのは奥付によれば1953年(昭和28年)2月20日、独裁者スターリンは現役であった。

スターリンが急死したのは、その翌月の1953年3月5日のことだ。スターリンの急死の報を受けて、日本の株式市場では「スターリン暴落」が発生している。日ソ国交回復は1956年10月のことである。

単行本として復刊されたのち、中公文庫版として文庫化されたのは1989年1月、ソ連が末期的状況となっていたが、いまだ崩壊していなかった。井筒俊彦もまだ存命であった。ソ連が崩壊したのは1991年のことだ。

だがそんな状況にあった1953年においても、1989年においても、ソ連ではなく、あくまでもロシアと表記していたことに意味がある。

当時の日本では、ソ連をロシアと言い換える人は、きわめて少数派であった。だが、TIME誌など英文雑誌では  USSR でも Soviet Union でもなく、つねに Russia と表記していた。英語圏の人間は本質を突いていたのだ。井筒俊彦もまた本質を見抜いていたわけである。




わたしがこの本のことを知ったのは、大学の学部時代のことだ。

井筒俊彦といえば『イスラーム思想史』の著者であったが、古代ギリシア語を駆使して『神秘哲学』を書いているだけでなく(この本を入手して、読んでいたのも大学時代のことだ)、なんとロシア語を駆使して『ロシア的人間』なんて本まで書いているのか、と。驚異的としかいいようがないな、と。

大学の図書館で検索カードをめくって(・・かつて図書館には検索用のコンピューターなど導入されてなかったのだ!)、図書館の蔵書には『ロシア的人間』は何冊もあった。弘文堂による初版である。おそらく研究室単位で購入したものが、教員の退官とともに図書館に返却されたのだろう。

だから、はじめこの本に触れてから、すでに40年以上たっている。その後、初版の『ロシア的人間 ー 近代ロシア文学史 ー』(弘文堂、1953)は、ネットオークションで安価に手に入れることができた。基本的に中公文庫版と本文に違いはない。


■19世紀はロシア文学の全盛期

なぜ井筒俊彦が「19世紀ロシア文学」にのめり込んでいたのか?

もちろん、ロシア文学が現在よりはるかに多くの日本人に読まれていたという時代背景もあるだろう。だが、なによりも井筒氏がもっとも深入りしていたドストエフスキーを中核とする「19世紀ロシア文学」に、第2次大戦後に大流行した「実存主義」の先駆けを見ていたこともあるようだ。

「実存」というべきか、「存在」というべきか、『神秘哲学』の著者は、生涯にわたって人間存在の根底にうごめくカオスを凝視しつづけた人であった。

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。慶應義塾大学文学部の英文科に席をおきながら、言語学だけでなくロシア文学まで講じていたという。

第5章から第14章までは「各論」ともいうべきもので、個々の文学者について取り上げられている。自分が好きな作家がどう扱われているか、そんな観点から読むのもいいだろう。

取り上げられた作家は、ロシア文学の開祖ともいうべきプーシキンからはじまり、 初期のレールモントフとゴーゴリ、最終的に無神論に行き着いた評論家のベリンスキー象徴派詩人のチュツチェフ、きわめてロシア的な作家のゴンチャロフ、西欧派のトゥルゲーネフ全盛期の大作家トルストイとドストエフスキー、そして帝政時代の最後をしめくくり、つぎの時代への橋渡しとなったチェーホフである。 

著者としては、ほんとうは実存的な関心からドストエフスキーだけでまるまる1冊書きたかったのではないかと思う。全編にわたって通奏低音として流れているのがドストエフスキーである。

「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」とは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にでてくる有名なフレーズである。井筒俊彦はこのフレーズ引用して、自分の父親はそんな人だったと『神秘哲学』に書いている。

そもそも人間とは矛盾に満ちた存在だが、ロシア人はとくにその傾向がつよいのかもしれない。ロシアという存在は、ある種の日本人に特有の単細胞な教条的思考や希望的観測をつねに裏切る存在である。

日本人読者にとって、ほとんどなじみがないのが象徴派詩人のチュッチェフだろう。おそらくいまだ一編も日本語訳されていないのではないか。

チュッチェフだけではないが、『ロシア的人間』には井筒俊彦自身による日本語訳が掲載されている。『神秘哲学』の著者であり、ロシア語でロシア文学を読み込みんだ井筒俊彦だからこそなせるわざというべきだ。そして、間違いなく井筒氏の好みの詩人なのである。

ドストエフスキーのフレーズに先行するのが、チュッチェフの有名なフレーズ「ロシアはアタマでは理解できない」(Умом Россию не понять:ウモーム・ラシーユ・ニェ・パニャーチ)である。このフレーズは、すでに誰が作者かわからないほど一般化している。

まったく相矛盾する自己認識が同時に両立しているのがロシア人のメンタリティーなのである。われわれの尺度でロシアを理解しようとしても、どだい無理な相談なのである。


■「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


井筒俊彦の『ロシア的人間』は、津田左右吉の著書をもじっていえば、『文学に現われたるロシア思想の研究』とでもいうべき内容である。「ロシア的人間」の「ロシア思想」、さらにいえば「ロシア神秘主義思想」というべきか。

ロシア語には精通していたが、この本を書いたときもそれ以後も、著者にはソ連(=ロシア)への渡航経験はないのである。あくまでも「19世紀ロシア文学」をロシア語の原文で読み解くことで、「ロシア的人間」を探求してみせた内容なのである。

全編をつうじてキーワードとなる概念は、以下のようなものだ。

ロシア文学、ロシア人、ロシア神秘主義、キリスト教、東方正教会、キリスト教、カオス、ディオニュソス的、黙示録、終末論、無神論、第三のローマ、奴隷の宗教、などなど。

総論ともいうべき「最初の4章」で上記の概念が繰り出されている。「総論」こそ繰り返し読むに値する

第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都

ロシアを考えるにあたって重要なことは、13世紀から約240年にわたってモンゴルの支配下にあったこと、いわゆる「タタールのくびき」といわれているものだ。*

*ただし、これはロシア側からの見方であって、モンゴル帝国のジョチ・ウルス(=キプチャク・ハーン国)の支配のもとでは、過酷な支配はなかったというのが近年の定説である。

だが、異民族支配から脱したあとも、1861年に解放されるまで「農奴制」がつづいていたことを忘れてはならない。諸外国とは違ってロシアの場合、モスクワにいる一握りのロシア人が、支配者として圧倒的多数のロシア人を奴隷化していた時代が、約2世紀にわたってつづいたのである。そういえば、チェーホフの祖父も農奴であった。

モンゴルの支配をあわせると、約5世紀にわたって奴隷時代がつづいたことになる。*この意味を過小評価することなどできはしない。国民性、あるいは民族性に大きな刻印を記しているといっても過言ではないだろう。

*ロシアで「農奴制」が確立したのは1647年であり、廃止されて農奴が解放されたのは1835年。正確にいうと200年のことである。とはいえ、農民の自由がきわめて制限されていたことは否定できないことだ。


首都をモスクワから、「西欧の窓」とよばれたサンクトペテルブルクに強引に移転したピョートル大帝の存在なくして、「19世紀ロシア文学」は生まれなかったのである。プーシキンからチェーホフにいたる「19世紀ロシア文学」は、「サンクトペテルブルク文学」でもある。


■じつはきわめてアクチュアルなテーマを語っている

17世紀後半から18世紀前半にかけて生きたピョートル大帝は、積極的に西欧化を推進した天才的政治家であったが、その一方できわめてロシア的な専制君主でもあった。「第4章 幻影の都」から引用しておこう。

彼はあくまでもロシアの天才、ロシアの英雄であった。中庸の徳なるものを絶えて知らぬロシア魂の象徴的顕現としてのみ初めて正当に理解できる人物。すなわち彼は最もロシア的な暴力革命の権化(ごんげ)なのである。

1953年の時点でこう断言しているのである。ソ連礼賛があたりまえであった日本の知識人のなかでは、きわめて例外的な姿勢といえるかもしれない。引用をつづけよう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

事実、ピョートル大帝は生まれながらの革命家、徹頭徹尾ロシア的な天成の革命家であった。彼はテロリズムの積極的建設的意義を認めて、これをロシアの政治史に実践導入した最初の人物である。彼にはロシアの運命に関する遠大な計画があり、人類の未来について真に予言的な見通しがあった。(・・・中略・・・) テロリズムの仮借なき行使が、必然的に無辜(むこ)の人民の血を流し、無数の人々からその個人的幸福を奪わずには済まないにしても、全ロシアの未来のために、この人道的悪は偉大なる「善」となる。(・・・中略・・・)
まぎれもなく、この道を行くピョートル大帝はレーニンの先駆者、18世紀のレーニンであり、彼の決行した暴力的な国政改革は、コミュニズムの暴力革命の原型であった。

さらにテロリズムにかんするトロツキーの発言を引きながら、つぎのように議論を展開している。

つまり人を惨殺することそれ自体に善悪があるのではなく、ただ何のために殺すかという目的の如何(いかん)によって殺人の善悪が決まると言うのである。だから、その目指す目的が正義と真理である以上は、目的実現を阻害しようとする一切の敵に対してどんな種類の暴力を振るっても正しいのだ。(・・・中略・・・)
トルストイとは反対に、ドストイェフスキーは、良きにつけ悪しきにつけ、ピョートル大帝とその事業の深刻な結果を生涯の最後まで最大の関心事として考え続けた


きわめてアクチュアルな発言であると言えるのではないだろうか。ソ連崩壊後の21世紀のロシアを考えるにあたっても、説得力のある指摘というべきである。

しかしながら、スターリンへの言及がまったくない。現在の日本人なら、まずはレーニンよりもスターリンを想起するだろう。だが、スターリンはレーニンの思想の忠実な継承者であったので、あえてその名前を出す必要はなかったのかもしれない。

先に見たように、この本が出版された1953年2月時点ではスターリンはいまだ健在であった。フルシチョフによるスターリン批判」は、スターリンが急死した翌月から3年たった1956年のことである。この年の10月には「ハンガリー動乱」が発生している。


(『ロシア的人間』初版の「奥付」)

レーニンやトロツキーへの言及はあるが、スターリンについて言及していないのは、存命中の人物ゆえ出版社サイドからの要請があったのかもしれない。

とはいえ、井筒俊彦のこの記述から、なによりもソ連体制の開祖はレーニンであり、レーニンの方針がすべての原点であったこと、そしてさらにその原型がピョートル大帝であることがわかる。あえてスターリンについて言及しなくても、スターリンがレーニンの直系であることは自明の理としているのであろう。

アジア主義者の大川周明の要請のもと、戦前からアラビア語によるイスラーム研究に従事していた井筒俊彦である。いわゆる「転向」とはいっさい無縁であった。そもそも、共産主義的世界観とキリスト教的終末観の共通性を見ている井筒氏である。当然といえば当然だろう。

戦前から戦後にかけて、その姿勢にブレはないようだ。というよりも、自分の関心事が最優先で、それ以外のことは基本的に無関心だというべきかもしれない。天才の天才たるゆえんである。


■「語学の天才」であった井筒俊彦だが、なぜロシア語なのか?

『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)の編者である坂本勉氏の「序 イスラーム学事始めの頃の井筒俊彦」に興味深い記述がある。

この時期(1937年~1945年)に先生は起きてから寝るまで一日中、アラビア語の生活に明け暮れたということを後になっていろいろなところで回想しています。しかし、それと並んでロシア語にもこの時期に打ち込んでいます。想像するに、これはムーサーといっしょに勉強していくのに、英語が通じないということもあったのでしょうか。(・・・中略・・・)私自身はムーサーとの実践的な会話という必要性こそが、先生をロシア語の学習に駆り立てたのではないかと推測しています。


アラビア語とイスラームの師であった、ロシアはロストフ州生まれのタタール人学者ムーサー・ジャールッラーと会話するため、実用的な目的からロシア語に専念したという推測。これは大いに説得力がある。そのロシア語を駆使して読み込んだロシア文学に、ロシア神秘主義思想の発見と共感と没入が生じたと考えれば納得がいくのである。

メソディスト派のミッションスクールである青山学院中学出身の井筒俊彦にとって、アメリカ英語は得意中の得意だった。

チュッチェフを軸に『ロシア的人間』をとりあげているのが、ソロヴィヨフ研究者の谷寿美氏による「『ロシア的人間』ー 全一的双面性の洞察者」である。上掲の『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)に収録されている。


■『ロシア的人間』の原型である『露西亜文学』

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制(?)のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。『露西亜文学』が慶應義塾大学出版会から2011年に復刻されている。




それぞれの章ごとに、受講する学生向けの「研究課題」が設問の形で掲載されている。この設問を読むと、なにを読み取るべきか、井筒俊彦がロシア文学になにを見ていたかがわかるのである。参考のために引用しておこう。

第1章 露西亜文学の性格 

研究課題
⑴ 露西亜文学は何故ひとに沈鬱な印象を与えるのか。 
⑵ 露西亜的人間の性格がディオニュソス的であるとはどういうことか
⑶ 露西亜の自然露西亜的魂の関聯を説明せよ。
⑷ 露西亜文学はどのような意味で哲学的人間学なのか。

第2章 露西亜の十字架

研究課題
⑴ 韃靼人侵入の精神史的意味を述べよ。
⑵ 「露西亜の黙示録」とは何か。
⑶ 共産主義的世界観は基督教的終末観と如何なる関係にあるか。 

第3章 ピョートル大帝の精神

研究課題
⑴ ピョートル大帝の精神史的意味を説明せよ。
⑵ 「第三のローマ」とは何か。


慶應義塾大学出版会から復刻された『露西亜文学』には、あらたに発見されたという「附録 ロシアの内面的生活 ― 十九世紀文学の精神史的展望」が収録されている。

また、ドストエフスキーの新訳で話題になった亀山郁夫氏による「解題」は本書にはふさわしい。なぜなら、井筒俊彦のロシア文学理解の根底にはドストエフスキーがあるからだ。

すでに言及しているが、自分の父親の複雑な性格について、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』から「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」というフレーズを引いてくるくらいだから。


■経済学でいう「経路依存性」はロシアについても当てはまる

1953年に初版が出版された『ロシア的人間』は、すでに70年前の著作である。先に述べたように、『文学に現れたるロシア思想の研究』とでもいうべき古典的名著だといってよい。

「19世紀ロシア文学」の作家論として、あるいはロシアという複雑な存在について考えるため、さまざまな読み方が可能な著作として、今後も読み返される価値のある本である。

1989年の中公文庫(旧版)の「後記」で、井筒氏はこう記している。

ペレストロイカという新しい文化理念の導入によって、今、ロシアはその面貌を変えつつある。おそらくこれからのロシアは、新しい文化パターンの創出に向かって大きく旋回していくことだろう。だが私が本書で描き出そうとした。ロシア人の魂の奥底にひそむ根源的人間性だけは、そうたやすく変わらないだろう。

時代はさらに旋回し、1991年にソ連が崩壊してロシアが復活し、さらに旋回してプーチンの独裁体制がつづいている。つまりロシアの地肌がふたたび露出するようになっているのである。

1993年に亡くなった井筒俊彦が、ロシアの行く末まで見通していたかどうかはわからない。だが、いずれにせよロシアという存在が、ロシア以外の尺度で測ろうとしても困難なことには変わりない。

経済学でいう「経路依存性」(path dependency)は、当然のことながらロシアについても当てはまるのである。なぜならロシアは、ロシア人によって構成されているからだ。

1917年のロシア革命によって誕生したソ連は、1991年に崩壊した。約70年にわたってつづいたのある。ソ連時代を払拭するのには最低でも70年はかかるであろう。2023年の現在はいまだ30年を経過したに過ぎない。

いや、「タタールのくびき」から始まる5世紀にわたる「奴隷時代」を考慮に入れれば、ロシアは変わらないというべきかもしれないのである。

 
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目 次 (中公文庫の旧版)
序 
第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都
第5章 プーシキン 
第6章 レールモントフ 
第7章 ゴーゴリ 
第8章 ベリンスキー 
第9章 チュッチェフ 
第10章 ゴンチャロフ 
第11章 トゥルゲーネフ 
第12章 トルストイ 
第13章 ドストイェフスキー 
第14章 チェホフ 
後記
『ロシア文学的人間』と読み替えて(袴田茂樹)


著者プロフィール
井筒俊彦(いづつ・としひこ)
1914~1993年。東京都生まれ。1931年、慶應義塾大学経済学部予科に入学。のち、西脇順三郎が教鞭をとる英文科へ転進。1937年、慶應義塾大学文学部英文科助手、1950年、同大学文学部助教授を経て、1954年、同大学文学部教授に就任。1969年、カナダのマギル大学教授、1975年、イラン王立哲学研究所教授を歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2020年5月6日水曜日

『風の谷のナウシカ』を読み終えた(2020年5月4日)ー マンガ版を購入してから四半世紀。いまこの時期だからこそナウシカを読む



新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延し、マスクしなくては外出もできないような、こんな状況下だからこそ読みたいのがナウシカだ。

言うまでもなく宮崎駿の『風の谷のナウシカ』。ただし、アニメ映画版ではなくマンガ版のほうだ。

アニメ版とマンガ版ではずいぶん違うという話を聞いていて、ではマンガ版を読んでみなくちゃな、ということで全7巻を購入したのが、いまからもう四半世紀も前の1995年のこと。表紙には「定価340円」とある。物価水準は現在の半分以下なのかな?

本格的に読み始めたのは、じつは連休に入る前のこの4月下旬からだ。誰かがネットで、「新型コロナウイルスのパンデミックの現在こそ読むべきだ」とか発言しているのを目にしたからだ。そうだな、いまこの時期を逃したらマンガ版を読まないまま終わってしまうかもしれないぞ、と。


(「腐海」のなかマスクを装着し王蟲(オーム)に乗るナウシカ)

途中で中断をはさみながらも、全7巻を読み終えた。読むだけでものすごく疲れた。

物語が複雑なだけでなく、扱っているテーマがあまりにも壮大だからだ。アニメ版のように単純化されたストーリーではないからだ。

ちなみにアニメ版は、マンガ版の第2巻までの内容それに飽き足らない作者は、その後9年かけてマンガ版を第7巻まで書き継いで完成させた。だから、アニメ版とマンガ版は、ある意味では別物と考えるべきなのだ。

最後まで読み切って思うのは、光に満ちた静寂な世界は、生きている人間のものではない、生きとし生けるものすべてにとっての世界ではない、ということだ。それは、死者の世界である。魂の住まう空間である。

生命とは、「闇のなかに生まれる光」(第7巻)。そんな光であるからこそ、ありがたい。闇がなければ光はないし、「光しかない空間」は、人間を含めた生物の世界ではないのだ。それがたとえ汚濁にまみれたものであっても、人間は生き抜かなくてはならない。闇との共生が人間には求められるのだ。

言い換えれば「光しかない空間」は「向こう側の世界」であり、それが天上世界であるか地下世界であるかは関係ない。そしてそこは、あくまでも意識(あるいは魂)だけが存在する世界であり、肉体をともなわない世界である。

「光しかない空間」が「こちら側の世界」でないことだけは、確かなことなのであり、「こちら側の世界」でしか人間は生きることができないのである。そう気づいたとき、人間はふたたび「こちら側の世界」に戻ることができる。ただし、気づくのが遅すぎてはいけないのだ。還ってこれなくなってしまう危険がある。

もちろん、ここに書いたのは個人的な感想に過ぎない。だが、いまのような状態だからこそ、読むべきもの本なのだという主張には全面的に賛成だ。

『風の谷のナウシカ』のマンガ版の連載が始まったのは1982年完結したのが13年後の1994年。単行本として出版されたのが1995年。その年に購入したわけだ。

1995年という年がどういう年だったのか、あえて書くまでもないだろう。オウムと王蟲(オーム)。偶然の一致とはいえ、なにか不思議な暗合を感じないわけにはいかなかった、ある意味では黙示録的な時代であったことを思い出した。ある種の「空気」があったのだ。

その時代の「空気」というものを感じないわけにはいかない。だが、そのこと自体は、作品の内容とは直接関係ないことだ。

というわけで、私もまたマンガ版の『風の谷のナウシカ』をいまこそぜひ読むべきだと言いたいいくらでも深読みできる作品だが、どう読むかは読む人次第だ。ストーリーについては、ここで要約することはしない。

したがって、ここではそれ以上は書かないでおこう。最後まで読み抜くことだ。汚濁でまみれた世界であっても、そのなかで生き抜くことだ







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2011年4月26日火曜日

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する


 チェルノブイリ原発事故とアンドレイ・タルコスフキー監督の『サクリファイス』。

 ソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリで原発事故が発生したのは、いまからちょうど 25年前の 1986年4月26日のことであった。

 アンドレイ・タルコスフキー監督の最後の作品『サクリファイス』の撮影が開始されたのは 1985年、完成して公開されたのは 1986年5月9日である(日本公開は翌年)。

 したがって直接の関係はない。ただあまりもの偶然の符合に、何か暗示するものを感じた人は多かったようなのだ。とくにヨーロッパでは。この映画は、核戦争の恐怖のなかにいきていた時代の人間にとっては、映画が理解できなくても、暗黙のメッセージを感じ取ることができたからなのだ。

 大学時代、西洋中世史を専攻したわたしは、その当時はまだヨーロッパを実際に歩いたことはなかったが、チェルノブイリ原発事故の報道を知ったとき、そうでなくても衰退過程にあるヨーロッパは、これで滅亡するのではないかとさえ思ったくらいである。

 今回の福島第一原発にヨーロッパ人、とくにドイツ人が過剰なまでに反応するのは理由がないわけではないのだ。


タルコスフスキー監督の『サクリファイス』は難解な作品

 タルコスフスキー監督の『サクリファイス』は、非常に難解でわかりにくい映画だった。いまでも、正直なところよくわからないと告白しておこう。

 映画評論家でもないわたしが、わかったようなことをここに書き付けたとしても意味はない。正直いって好みの映画ではない。1986年に一度だけ見たきりで、その後ビデオでもDVDでも見てはいない。

 芸術映画をみるのが趣味(?)だった私は、もちろんタルコフスキ監督のこの作品もリアルタイムのロードショーで見ている。といってもリアルタイムでみたタルコスフスキー作品は、『ノスタルジア』と『サクリファイス』の2本だけだが。寡作の監督だったからだ。

 アンドレイ・タルコススキー(1932年~1986年)はソ連生まれの映画監督、のちに亡命して、イタリアで『ノスタルジア』スウェーデンで『サクリファイス』を完成後に亡命先のパリで亡くなった。

 『ノスタルジア』(1983年)、『ストーカー』(1979年)、『鏡』(1975年)、『惑星ソラリス』(1972年)、『アンドレイ・ルブリョフ』(1967年)、『僕の村は戦場だった』(1962年)、『ローラーとバイオリン』(1960年)。監督した映画作品はきわめて少ない。

 三田線の千石駅の近くにあった、いまはなき「三百人劇場」で、「ロシア・ソビエト映画の全貌」だったと思うが、大半の作品をみた。

 『惑星ソラリス』は好きで何でも繰り返し見ているし、ポーランドのSF作家スニスワフ・レムの原作も読んでいるので、まったくわからない映画ではない。『惑星ソラリス』以降は、いずれも難解な作品だが、映像詩として、アタマで考えて見るのではなく、素直に感じるのがいちばんいいのかもしれない。

 抑圧体制下のソ連で撮影した映画も、一貫して「絶対者」つまり「神」について語ったものだが、共産主義統治下ではストレートな映画表現ができなかったために、かなりわかりにくいのも仕方がない。

 ついにソ連崩壊を見ることなく、異国の地で没したのは無念なことであったろう。まさに自ら監督した作品『ノスタルジア』をなぞるかのような生涯となった。だが、ソ連崩壊後の宗教事情をみたら、いったいどう思うのだろうか?

 1980年代には、パンフレットを買う習慣のあった私は、『サクリファイス』のパンフレットも購入して、捨てずにもっている。今回、ここから何枚かスキャンして掲載しておこう。1990年から米国留学して以降、米国の映画館ではパンフレットを売る習慣がないことを知ってからは、パンフレッットは滅多に買わなくなってしまった。パンフレット発行は、日本の映画文化の貴重な財産といえよう。

 『サクリファイス』の簡単なあらすじについては、wikipedia の記述を参考にしてもらうといいと思う。もっとも、あらすじがわかったからといって、この作品はアタマで考える映画ではない。コトバを介さない映像でもって、感じなければならない映画なのだ。

 「サクリファイス」(sacrifice)は、「犠牲」という意味とともに、神への「捧げ物」という意味がある。キリスト教の文脈で考えるべきなのである。キリスト教の信仰をもたない人間には、感覚的にわからないのもムリはないのではないかと思う。



奇しくもチェルノブイリ原発事故の直後に公開されることになった『サクリファイス』

 1986年という年は、さきにも書いたようにソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原発事故が起こった年である。

 時代はまだ「米ソ連戦時代」のまっただなか、いつ核戦争がおこってもおかしくない、そういう時代の空気のなかで生きていた。いまとなってはすでに過去の話だが、核戦争の恐怖は現在よりもはるかにアクチュアルなものがあったのだ。

 表紙には一本の弱々しい木が一本(・・下の写真を参照)。映画では、核戦争が勃発したまさにその日に、「日本の木」を植えたことになっている。未来に向けて花が咲くことになっている枯れ木。これは人類の未来への投企なのである。

 三陸の大津波の被災地でも、松の木が一本だけ残ったという、そういう映像をTVで見た。奇しくも、同じ光景だ。デジャヴュー(既視感)を感じたのは、この『サクリファイス』という映画のことを思い出したからでもある。



 『サクリファイス』そのものは難解で好みの作品ではないとはいえ、なによりも記憶に残っているのは、インタビューでタルコススキーが語っているコトバである。 

 原発事故の起こった土地の名前であるチェルノブイリとは、ウクライナ語では「にがよもぎ」という意味だそうだ。しかも、その「ニガヨモギ」は『黙示録』に出てくるのだと。

 パンフレットに収録されている、「Interview タルコスフキー自作を語る」から、該当箇所を引用しておこう。このインタビューは 1986になされたものである。

-(インタビュアー) あなたは黙示録に熱中しているようですが、その到来が速まることを望んでいるからですか?

タルコフスキー 黙示録というのは、やがて起こるであろうことではありません。それはとうの昔に始まっことなのです。問題にできるのはその終わりだけなのです。私はただわれわれがどこまできたか見ているだけです・・・黙示録というのは、「終わりの書物」ですから、悲しみにみちた思想はそこからおのずとやってくるのです。チェルノブイリ(これはウクライナ語でにがよもぎのことです)のタイプは、「にがよもぎの星」 (訳注--『黙示録』のなかで、終末に空から降ってくるとされる破壊の星のこと。(ドストエフスキーの)『白痴』で言及されている)と関係があるのです。(鴻 英良訳)


 チェルノブイリは、ウクライナ語で『ヨハネ黙示録』にでてくる「にがよもぎの星」を連想させるという驚愕の事実! 偶然にしては、あまりにも奇妙なまでの符合である。 

 チェルノブイリ原発事故は、たんに「レベル7」の大事故であっただけでなく、「死の灰」という「黙示録の四騎士」が解き放たれたのである。そういう「黙示録」のイメージもまたまき散らされたのであった。まさに終末意識そのものに、キリスト教世界が覆われていたのである。


『ヨハネ黙示録』はキリスト教の「終末論」を代表する、新約聖書の最後に置かれた特異な一書

 『ヨハネ黙示録』(The Revelation of St. John the Divine)の該当箇所を、日本聖書協会の「文語訳聖書」と英国の「欽定訳聖書」(King James Version)から引用しておこう。ギリシア語の原文は省略する。

第八章 10  第三の御使ラッパを吹きしに、燈火(ともしび)のごとく燃ゆる大(おほい)なる星天より隕ちきたり、川の三分の一と水の源泉(みなもと)の上におちたり。 11 この星の名は苦艾(にがよもぎ)といふ、水の三分の一は苦艾となり、水の苦くなりしに因りて多くの人死にたり。

8:10 And the third angel sounded, and there fell a great star from heaven, burning as it were a lamp, and it fell upon the third part of the rivers, and upon the fountains of waters;
8:11 And the name of the star is called Wormwood: and the third part of the waters became wormwood; and many men died of the waters, because they were made bitter.

*太字ゴチックは引用者(=私)による 

 「にがよもぎの星」が墜ちてきて、水が苦くなった、そして多くの人が死んだ・・・。あまりにも直接的なイメージを喚起するではないか!

 『黙示録』(Revelation)は、新約聖書のいちばん最後の最後におかれたもの。その他の文書とは、かなり性格の異なるものである。Revelation とは、隠れているものを明らかにするという動詞 reveal の名詞形だ。

 日本でも「アポカリプス」の名で知られているのは、フランシス・コッポラ監督のベトナム戦争もの『地獄の黙示録』(Apocalyps Now)のおかげだろう。ギリシア語の元タイトルは Aπōκάλυψις Ιωάννης、ラテン語: Apocalypsis Johannis、直訳すれば「ヨハネのアポカリプス」である。

 「黙示録」の作者のヨハネは、「洗礼者ヨハネ」(John the Baptist)とは区別され、「使徒ヨハネ」(John the Apostle)と呼ばれている。エーゲ海の小島パトモス島に籠もって、黙示録を書き上げたといわれる。

 『黙示録』の全篇には、虐げられたもののルサンチマン、呪詛と復讐にみちみちた文章。異様なまでのレトリックが充ち満ちている。キリスト教をベースにした西洋文明の根底に存在する「終末論」を代表する文書である。

 何もいまここで、福島第一原発の事故が「黙示録」を想起すると言いたいわけではない。キリスト教の伝統のない日本では、『エヴァンゲリオン』をはじめとする、サブカルチャーの世界では「黙示録」が繰り返し再生産されて語られているにしても、欧米のキリスト教世界とは違って、ほんとうの意味でのリアリティはない。

 以前このブログにも書いたが、リーマンショック後の強欲資本家たちの狼狽ぶりに見られた「終末論」とは様相を異にする。

 だが、原発が立地している土地に住んでいたがゆえに、放射能汚染によって住み慣れた故郷を強制的に追われ、ディアスポーラ(離散)を強いられている福島県人の怒りが解き放たれたことも確かである。

 ある意味では「封印が解かれた」という「黙示録」の比喩的表現で語ることも不当とは言えまい。この事件が、すくなくとも離散を強いられた福島県人のあいだで半永久的に語り伝えられであろうことは間違いない。

 福島県人は文字通り、原発事故という人災の「サクリファイス」(犠牲)となってしまったのか・・・?

 だが、日本史を振り返れば「末法思想」も何度も現れているが、今回の原発事故が「末法の世」や「終末」にあたるとはわたしは思わない。

 なぜかというと、むしろ、1995年のほうがその感が強かったのではないかと思うからだ。言うまでもなく、阪神大震災とオウムのサリン事件が続いた年である。

 永井荷風のコトバを借りれば、「近年世間一般奢侈(しゃし)驕慢(きょうまん)、貪欲飽くことを知らざりし有様」(『断腸亭日常』)だったバブルが崩壊してから 5年、すべてが加速度をつけて崩壊しつつあるという感は 1995年当時のほうが強かった。バブル期とのコントラストがあまりにも強かったこともある。 

 わたしは、今回の大震災と大津波、そして原発事故は、日本人の「新生」にむけての「覚醒」を促すキッカケとなったと、後世からは位置づけられることになると考えている。

 これまで何度も大きな危機をくぐり抜けてきた、復元力のある日本人のことである。日本人の危機からの復元力は、すでに文字通り DNA に確実に刻まれた「民族の集合記憶」というべきだろう。

 これがわたしの時代認識だ。


「使徒ヨハネ」が隠棲していたパトモス島にいってみたことがある

 「使徒ヨハネ」が隠棲して「黙示録」を執筆していたという、エーゲ海のパトモス島にいってみたことがある。チェルノブイリ原発事故から 6年たった 1992年のことだ。

 パトモス島は、とくに何の変哲もないが、農業と牧畜が主要産業の、急坂の続く、静かな小島である。

 ギリシアからトルコにかけて、エーゲ海の島巡りをしていたわたしは、日本人にはあまりなじみはないが、「使徒ヨハネ」と「黙示録」の連想をともなうパトモス島に興味がひかれたのだった。

 たしか、ロドス騎士団で日本人にもおなじみのロドス島からフェリーに乗って渡ったのだろうか。ちょっと記憶が確かではないのだが。

 パトモス島には一泊した。宿泊先では、隣の部屋に長期滞在していたドイツ人女性と、テラスでいろいろ会話したことを思い出した。

 その際の会話では、「ヨハネの黙示録」の話は、なぜかいっさい出なかった。

 ドイツ人にとってのギリシアの島々は、日本人にとっての東南アジアの島々のようなものだ。つまりアイランド・リゾートということである。

 そのことがよくわかったのが、パトモス島を含めたエーゲ海の島々での滞在の収穫であった。





<関連サイト>

チェルノブイリ事故25年を前に集会


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『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む
・・1979年の米国でスリーマイル島で原発事故があった年はまた、ソ連によるアフガン侵攻が起こった年だ。そして、1986年のチェルノブイリ原発事故が、ソ連崩壊につながっていく

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・日本では明治時代以降は主流のプロテスタント聖書を中心に

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した
・・「核戦争後」の世界における、さらなる「終末論」的闘争の世界。サブカルチャーの世界に充満する疑似キリスト教的「終末論」

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・一神教世界における「終末論」について。キリスト教、ユダヤ教、イスラームのそれぞれについて解説。

書評 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)
・・「ユーロ危機」の震源地ギリシアは、欧州というよりもアジア・アフリカの発展途上国に近い


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