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2011年11月30日水曜日

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!


■「500年単位」の歴史の端境期にある欧州-「いま、そこに」ある危機の本質を冷静にとらえる■

 現代の賢者ジャック・アタリが警告する日米欧という先進国の10年後の姿。

 その未来像は、いまからちょうど20年前、ソ連が崩壊したときに世界中の人々が感じたユーフォリアとはほど遠く、むしろ暗く重苦しい未来像である。

 2010年5月にフランスで出版された原著からすでに一年半、事態はさらに悪化し、もしかすると共通通貨ユーロが崩壊するかもしれないという瀬戸際まで追い込まれつつあるのがいまの状況だ。

 しかもそれは空想上の絵空事ではもはやない。われわれはいま、それをユーラシア大陸の東端の日本から、ユーラシア大陸西端にある欧州にみているのだが、けっして対岸の火事ととらえることは出来ない。

 以前からこのブログで書いているが、わたしは 1492年に始まった「500年単位の歴史」は 1991年に一応の終止符を打ち、次の「500年単位の歴史」に入っていると考えている。この件については、書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)も参照していただきたい。本書の著者ジャック・アタリによって 1992年に出版された本である。

 なぜなら、ユーラシア大陸の東西に位置する日本と欧州は、梅棹忠夫が『文明の生態史観』をつうじて述べているように、歴史を通じてパラレルに動いてきたからだ。ヨーロッパが興隆したのも衰退するのもパラレルだとすれば、当然ながら日本もまたタイムラグをおいて衰退していくのは必定である。

 そういった巨視的な歴史観は別にしても、欧州各国が抱えている国家債務問題よきわめて似た危機的な様相を示している以上、日本だけが例外とは言えないだろう。たとえ、日本国債の所有者の9割が日本国民だとしても、これから3年以内に臨界点に達するのはほぼ確実な情勢である。

 欧州金融危機は国債の暴落とそれを所有する金融機関の危機である。バブル崩壊と「失われた20年」を体験している日本人の目からみればデジャヴュー(=既視感)であるとともに、あらたなる危機のシミュレーションでもあるように映るのである。


■■主権(ソブリン)と公的債務の関係を欧米を中心に歴史的に概観し、「いま、そこに」ある危機の本質をを冷静に説く

 本書の議論は、「主権国家」(ソブリン・ステート)という概念と、それを発展させてきた欧州の歴史を見ることで、現在の国民国家(ネーション・ステート)危機が、国民国家の主権者である国民にとっての危機でもあることを明らかにしたものである。

 基本的に、公的債務と私的債務は、債務であるという点においては共通点があるが、一方では大きな相違点もある。私的債務は相続拒否をすれば、債権と同様にその人一代限りとすることも可能である。一方、公的債務はいわば無限責任であるから、たとえ革命によって政権が替わっても自らの意志で債務が免除になることはない。

 国王が唯一の主権者であった時代、債務は私的債務であったため、生身の国王一代限りでチャラになったのであったが、近代に入り「主権国家」が誕生すると国王死後も相続放棄できないものとなってゆく。そして、現代社会の主流である「国民主権」(=主権在民)の「国民国家」が18世紀に誕生すると、国家のもつ公的債務は、主権者である国民のものとなっていった。簡単に歴史を振り返ればこのようになる。

 重要なことは、国民主権の主権国家である以上、国家財政が破綻するということは、その国民にも多大な影響を及ぼすということだ。公的債務だからといって他人事とはいえないのである。なぜなら、先に見たように、主権国家の公的債務は、主権者である一人一人の国民にとっても債務であるからなのだ。

 財政破綻(デフォルト)した国家においては、公的サービスが著しく低下することになる。具体的に言えば、上下水道や警察、消防などもろもろの公共サービスに従事する公務員に給料が支払えなくなるので大幅に解雇せざるをえなくなり、その結果、教育レベルも下がり、犯罪も増加し、医療水準もさらに低下し、移民として国外に流出する流れも加速する。これは、まさにいまギリシアで起こっていることだ。

 以上が、アタリの議論の基本線である。歴史から得られる教訓については、第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓 で検討されることになる。

 内容にかんしては、まずは目次をざっと見ていただくのがよいだろう。

目 次

[日本語版序文]日本は、900兆円の債務を背負ったまま、未来を展望できるのか?
[序文]われわれは債務危機から逃れられるか?-いま世界は史上最大の過剰債務に脅かされている

第1章 公的債務の誕生-国家主権と債務の終わりなき攻防のはじまり
第2章 公的債務が、戦争、革命、そして歴史をつくってきた-覇権国家は必ず財政破綻に陥る
第3章 20世紀、<国民主権>と債務の時代-全国民が責任を負うことになった国家の借金
第4章 世界史の分岐点となった2008年-途上国から借金する先進国
第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓
第6章 想定される「最悪のシナリオ」
第7章 「健全な債務」とそのレベルとは?
第8章 フランスの過剰債務を例にとって考えてみると
第9章 債務危機に脅かされるヨーロッパ-ユーロは破綻から逃れられるか?
第10章 いま世界は、何をなすべきか?
[終わりに]債務についての哲学的なメモ


 忙しい人は、日本語訳に付されたアタリ自身による「日本語版序文」と「序文」を熟読したうえで、第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓第6章 想定される「最悪のシナリオ」を読むべきだろう。もし時間的余裕があって、しかも「主権」(ソブリン)と国家をめぐる歴史的考察について知りたいのであれば、最初から順番に読むのもいい。

 第5章の「債務危機の歴史から学ぶ12の教訓」は、歴史から学んだエッセンスである。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言があるが、アタリが概観した主権(ソブリン)と公的債務の歴史から得られた教訓は以下の12に集約されている。 

第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓
 1. 公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである
 2. 公的債務は、経済成長に役立つことも、鈍化させることもある
 3. 市場は、主権者が公的債務のために発展させた金融手段を用いて、主権者に襲いかかる
 4. 貯蓄投資バランスと財政収支・貿易サービス収支は、密接に結びついている
 5. 主権者が、税収の伸び率よりも支出を増加させる傾向を是正しないかぎり、主権債務の増加は不可避となる
 6. 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る
 7. 債権者が債務者を支援しないと、債務者は債権者を支援しない
 8. 公的債務危機が切迫すると、政府は救いがたい楽観主義者となり、切り抜けることは可能だと考える
 9. 主権債務危機が勃発するのは、杓子定規な債務比率を超えた時よりも、市場の信頼が失われる時である
10. 主権債務の解消には 8つもの戦略があるが、常に採用される戦略はインフレである
11. 過剰債務に陥った国のほとんどは、最終的にデフォルトする
12. 責任感ある主権者であれば、経常費を借入によってまかなってはならない。また投資は、自らの返済能力の範囲に制限しなければならない

 この12の教訓については、アタリと対談した大前研一もほぼ同意していることを記しておこうく。書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるためにを参照されたい。



 「教訓6. 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る」の項目では、アタリは日本の例をあげて説明している。これは日本国内の議論と同じである。

 だが、われわれがアタマのなかに入れておかねばならないのは、日本も過去100年のあいだに国家としてデフォルト(=財政破綻)しているという歴史的事実である。すなわち、1945年の第二次大戦における敗戦による財政破綻である。

 さらにいえば、明治維新後も国家財政が空っぽに近い状態であったため、いかに財政を確保するかがきわめて重要な課題であったことも忘れるべきではない。


フランスにおける反響

 フランス語原著のタイトルは、Tous ruinés dans dix ans ?  Dette publique : la dernière chance par Jacques Attali, Fayard 2010、 直訳すれば『10年後にはみな破産する-公的債務、最後のチャンス?』となる。2010年の出版であるから、2020年ということか。

 amazon.fr(amazonのフランス語版サイト)をみると賛否両論であることがわかる。

 なお、このフランス語原著出版後の2010年5月に行われたフランスTVのディベート型インタビュー番組の映像が、「10年後に国家破産の危機 ジャック・アタリ」というタイトルで YouTube に日本語字幕つきで 10分弱の映像がアップされているので、ご覧いただくと本書の議論がより明確に理解できることだろう。

 繰り返すが、欧州金融危機はけっして対岸の火事ではない。ただし、いたづらに不安を感じて悲観論に陥ったり、根拠のない楽観論に安住することなく、自分の身は自分で守るのは絶対不可欠だ。
 
 ユーラシア大陸の東端の国民であるわれわれは、大陸の西端で燃え広がりつつある危機を他山の石としてとらえなくてはならない。





詳細目次

[日本語版序文]日本は、900兆円の債務を背負ったまま、未来を展望できるのか?
[序文]われわれは債務危機から逃れられるか?-いま世界は史上最大の過剰債務に脅かされている


第1章 公的債務の誕生-国家主権と債務の終わりなき攻防のはじまり
 1. 債務という概念ができる前の「債務」
 2. イギリス-「主権債務」のはじまり
 3. イタリアの都市国家-「国債」と「公庫」の誕生
 4. フランス-「徴税請負人」の誕生

第2章 公的債務が、戦争、革命、そして歴史をつくってきた-覇権国家は必ず財政破綻に陥る
 1. 次々に破産していった覇権国の債務システム
 2. フランス大革命前、財政に何が起きていたのか?
 3. アメリカ独立の鍵を握った「主権債務」
 4. 旧体制の債務に翻弄されつづけたフランス革命政府
 5. 債務に頼らず戦争をつづけたナポレオン
 6. 19世紀、平和を謳歌するヨーロッパと独立する中南米
 7. 南北戦争によって借金体質へと回帰したアメリカ

第3章 20世紀、<国民主権>と債務の時代-全国民が責任を負うことになった国家の借金
 1. 第一次大戦から、第二次大戦へ-国際金融システムの形成
 2. 戦後の世界経済体制-インフレによる債務解消
 3. 債務によってコントロールされる途上国-ワシントン・コンセンサス
 4. アメリカ型資本主義システム-主権債務をレバレッジに利用する

第4章 世界史の分岐点となった2008年-途上国から借金する先進国
 1. 世界金融危機と激増する公的債務
 2. ワシントン・コンセンサスから、北京コンセンサスへ
 3. 破綻寸前にまで激増した公的債務-徴候としてのギリシア

第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓
 1. 公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである
 2. 公的債務は、経済成長に役立つことも、鈍化させることもある
 3. 市場は、主権者が公的債務のために発展させた金融手段を用いて、主権者に襲いかかる
 4. 貯蓄投資バランスと財政収支・貿易サービス収支は、密接に結びついている
 5. 主権者が、税収の伸び率よりも支出を増加させる傾向を是正しないかぎり、主権債務の増加は不可避となる
 6. 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る
 7. 債権者が債務者を支援しないと、債務者は債権者を支援しない
 8. 公的債務危機が切迫すると、政府は救いがたい楽観主義者となり、切り抜けることは可能だと考える
 9. 主権債務危機が勃発するのは、杓子定規な債務比率を超えた時よりも、市場の信頼が失われる時である
10. 主権債務の解消には 8つもの戦略があるが、常に採用される戦略はインフレである
11. 過剰債務に陥った国のほとんどは、最終的にデフォルトする
12. 責任感ある主権者であれば、経常費を借入によってまかなってはならない。また投資は、自らの返済能力の範囲に制限しなければならない


第6章 想定される「最悪のシナリオ」
 1. 楽観的な主要先進国の指導者たち
 2. 第1段階:国家の過剰債務が、さらに増大する
 3. 第2段階:ユーロ破綻と世界的不況
 4. 第3段階:ドル破綻と世界的インフレ
 5. 第4段階:世界的不況から、アジアの失速へ


第7章 「健全な債務」とそのレベルとは?
 1. 公的債務の「過剰な増加」とは何か?
 2. 「健全な公的債務」の使途と管理
 3. 「健全なレベル」とは?-経済学はまったく役に立たない

第8章 フランスの過剰債務を例にとって考えてみると
 1. フランスの債務に対する挑戦と挫折の歴史
 2. フランスの公的債務の現状
 3. 公的債務の今後の見通し
 4. フランスにおける「最悪のシナリオ」
 5. 財政再建-未来から奪ったものを、未来に返す
 6. 社会モデルの再定義-国家の領域と市場の領域を明確にする
 7. 「健全な債務」のためのガバナンス
 8. 「健全な債務」を実現するのは、断固たる政治的意志である

第9章 債務危機に脅かされるヨーロッパ-ユーロは破綻から逃れられるか?
 1. ヨーロッパの「最悪のシナリオ」
 2. 財政危機の回避策-「ヨーロッパ債」
 3. ユーロの強化のために-「ヨーロッパ予算基金」
 4. ヨーロッパに必要な投資とは?

第10章 いま世界は、何をなすべきか?
 1. 主権債務を管理するための世界的な枠組みとは?
 2. 国際規模での債務の把握・長期分散・制御・管理・効果的利用
 3. 世界経済の持続的成長と世界の富の秩序だった増加のために

[終わりに]債務についての哲学的なメモ

付録 アタリ政策委員会と「第二次報告書」の概要について-フランスは、本書の理念をどのように実践しようとしているのか? (林昌宏)
 1 「アタリ政策委員会」について
 2 「第一次報告書」(2008年1月発表)について
 3 「第二次報告書」(2010年10月15日発表)について
 4 「第二次報告書」の構成
 5 「第二次報告書」が最緊急課題として掲げる「公的債務」対策の概要

訳者あとがき-林昌宏
著・訳者紹介

著者プロフィール

ジャック・アタリ(Jacques Attali)


1943年生まれ。わずか38歳で、フランスのミッテラン政権の大統領特別補佐官を務め注目を浴び、1991年、自らが提唱した「ヨーロッパ復興開発銀行」の初代総裁を務めた。1989年のドイツ再統一、1992年のEU成立の“影の立役者”と言われている。2009年、初のEU大統領選挙では、フランス側の有力候補となった。2010年10月、仏大統領の諮問委員会「アタリ政策委員会」が、フランスの財政再建戦略をまとめた「第2次報告書」を発表し、現在、激しい議論が戦わされている。この報告書は、本書『国家債務危機』の理念を基にまとめられた。「アタリ政策委員会」は、サルコジ大統領が、アタリ著『21世紀の歴史』(2006年刊)に感銘を受け、2007年、“21世紀フランス”を変革するための戦略づくりを、アタリに直接依頼した諮問委員会である。政界・経済界で重責を担う一方で、経済学者・思想家としても幅広く活躍し、まさに“ヨーロッパを代表する知性”として、その発言は常に世界の注目を浴びている。近年では、『21世紀の歴史』(2006年刊)が、翌年発生した「サブプライム問題」や「世界金融危機」を予見していたために、世界的な大反響を呼んだ。著書は多数あり、経済分析・哲学書・歴史書・文化論と幅広いが、主な邦訳書は以下である。『21世紀の歴史』『金融危機後の世界』(作品社)、『カニバリスムの秩序』『ノイズ-音楽・貨幣・雑音-』(みすず書房)、『アンチ・エコノミクス』『所有の歴史』(法政大学出版局)、『ヨーロッパ 未来の選択』原書房)、『1492 西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫)ほか多数(amazonの書籍紹介より転載)。

訳者:林 昌宏(はやし・まさひろ)

1965年、愛知県生まれ。名古屋市在住。立命館大学経済学部経済学科卒。翻訳家。アタリの金融関連書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに補足)。



<関連サイト>

10年後に国家破産の危機 ジャック・アタリ(YouTube フランス語・日本語字幕あり)

アタリ 「日本とドイツとロシアは消滅へ向かっている」(YouTube フランス語・日本語字幕あり)
・・人口動態からみた無意識的選択について



<ブログ内関連記事>

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)
・・ジャック・アタリの基本的歴史観が示された名著。このブログ記事には、ジャック・アタリにかんする詳細な解説をつけておいたので、ぜひ参照していただきたい

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む


欧州共同体(EU)とユーロ経済圏の危機

師走の風物詩 「第九」を聴きに行ってきた・・・つれづれに欧州連合(EU)について考える

書評 『ユーロが危ない』(日本経済新聞社=編、日経ビジネス人文庫、2010)

書評 『ユーロ破綻-そしてドイツだけが残った-』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)-ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている

ドイツを「欧州の病人」から「欧州の優等生」に変身させた「シュレーダー改革」-「改革」は「成果」がでるまでに時間がかかる

書評 『ブーメラン-欧州から恐慌が返ってくる-』(マイケル・ルイス、東江一紀訳、文藝春秋社、2012)-欧州「メルトダウン・ツアー」で知る「欧州比較国民性論」とその教訓

書評 『本当にヤバイ!欧州経済』(渡邉哲也、 三橋貴明=監修、彩図社、2009)

書評 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために


主権国家と国民国家-主権在民(=国民主権)

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと


敗戦国日本が体験したデフォルト(=債務不履行)

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著

(2015年7月8日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)







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end

2011年11月29日火曜日

書評 『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』(松田千恵子、朝日新書、2011)-最悪の事態はアタマのなかでシミュレーションしておく


「国債」を「国家債務」の略だと考えると問題がクリアになってくる

 タイトルは『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』とやや煽り系ですが、タイトルをつけるのは著者ではなく編集者に主導権があり、最終的には売る立場の出版社が決めるものですから、それは割り引いてとらえておきましょう。

 内容は、いたってまっとうな経済と財政にかんする一般書です。やさしい語り口は、とくに経済については詳しくない女性向けといえるかもしれません。

 金融や経済につよくない人は、第1章から順番に読み進めるといでしょう。ある程度まで「国債問題」の意味がわかっている人は、ぜひ第3章を読んでいただきたいと思います。

 「国債」とは国家が発行する公債のことですが、著者が言うように「国家債務」の略と考えると問題がクリアになってくるかもしれません。国家からみれば債務、国債の購入者からみれば債権であり債券です。債務と債権は、同じものを別の角度からみたものに過ぎません。当然のことながら、一方にとっての債務は、他方にとっての債権となり、金額的にバランスされるものです。

 国債を直接に所有していない人でも、預金や保険や年金をつうじて間接的に保有者になっているのです。ですから、国債の問題は、ほぼすべての日本国民にとって無縁の存在ではありません

 日本国債は9割以上が日本国民が所有しているのだから、欧州とは状況がまったく異なるとよく言われていますが、たしかにそれには一理あります。

 とはいえ、おなじ状況であった第二次大戦末期の日本では、結局は敗戦によって国家財政が破綻し、戦費調達のために国民に買わせた戦時国債がハイパーインフレのために価値を失い、紙くずと化したという著者の指摘は忘れてはいけないでしょう。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というじゃありませんか。比較的短いスパンの経験だけで物事を語る専門家がいかに当てにならないかについては、つい最近も「3-11」の大地震と大津波でいやというほど味わったばかりですよね。

 「最悪の事態」は起こらないに越したことはありませんが、それでも「最悪の事態」がどんなものであるかはアタマのなかでシミュレーションだけはしておきたいものです。

 それにはまずは歴史に学ぶことですね。敗戦後の昭和21年(1946年)2月17日におこなわれた「預金封鎖」と「新円切り替え」は歴史的「事実」です。

 当時の大蔵省は現在では財務省と名前は変えましたが、組織体としては継続したものであることを考えれば、財務省が「最悪のシナリオ」として想定していても不思議ではありません。たとえそれがラストリゾートであるにしても。

 いたづらに不安を感じて悲観論に陥ったり、根拠のない楽観論に安住することなく、自分の身は自分で守るのは絶対不可欠です。非常事態の際には「お上」が守ってくれないことは、すでに数々の有事の際にいやというほど見ているではありませんか。

 自分、そして友人家族、これが同心円状に拡がっていく「つながり」をつうじて生きぬくこと、この覚悟と準備を日本国民の一人一人がもつべきなのです。

 「国債・非常事態宣言」や「暴落へのカウントダウン」が、政府によって公式になされることなど絶対にありえません。だからこそ、それは自分のアタマとココロのなかでしなければならないのです。

 あえて口にはしなくても、ひそかに覚悟と準備を始めることが、いざというときにあなたとあたなにつながる人たちを守ることになるのです。 

 希望的観測ではなく、覚悟と勇気をもって生きぬかなければなりません。





目 次

はじめに
第1章 国債と格付けの正しい関係-借金だらけの日本の国債が、なぜダブルAなのか?
 Ⅰ. 国債の何が問題なのか
 Ⅱ. 日本国債は大丈夫なのか
 Ⅲ. 債務の見方をわかっていますか
第2章 国債暴落のシナリオ-足りない資金、これから国債はどうなるのか?
 Ⅰ. 格付け会社の最近の動き
 Ⅱ. 今そこにある危機
 Ⅲ. 先送りが状況を悪化させる
第3章 国債暴落後の日本経済-やはり、ハイパーインフレがやってくるのか?
 Ⅰ. 最も悪いシナリオは何か
 Ⅱ. 本質的には何が問題なのか
 Ⅲ. X-Day に向けてどう備えるか

 Ⅳ. 次世代に向けた成長のために
参考文献


著者プロフィール

松田千恵子(まつだ・ちえこ)

首都大学東京大学院教授(経営学)。東京外国語大学外国語学部卒、仏国立ポンゼ・ショセ国際経営大学院経営学修士。日本長期信用銀行、ムーディーズジャパン格付けアナリストを経て、国内外戦略コンサルティング会社のパートナーを歴任、戦略・財務アドバイザリーであるマトリックス株式会社を設立、運営。2011年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

書評 『国債クラッシュ-震災ショックで迫り来る財政破綻-』(須田慎一郎、新潮社、2011)-最悪の事態をシナリオとしてシミュレーションするために

書評 『ゼロから学ぶ経済政策-日本を幸福にする経済政策のつくり方-』(飯田泰之、角川ONEテーマ21、2010)

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

書評 『ジパング再来-大恐慌に一人勝ちする日本-』(三橋貴明、講談社、2009)

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・(2011年3月15日)

書評 『ジパング再来-大恐慌に一人勝ちする日本-』(三橋貴明、講談社、2009)

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)

書評 『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ-』 (畑村洋太郎、講談社現代新書、2011)

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)

(2014年8月14日 情報追加)





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end

書評 『国債クラッシュ-震災ショックで迫り来る財政破綻-』(須田慎一郎、新潮社、2011)-最悪の事態をシナリオとしてシミュレーションするために


すべてを「想定内」に!-財政破綻のシミュレーション小説とその解説を読んで自分のアタマのなかでシミュレーションしてみる

 『国債クラッシュ-震災ショックで迫り来る財政破綻-』(須田慎一郎、、新潮社、2011)という本が、「3-11」から 3ヶ月たった今年の6月に出版されています。金融問題が専門のジャーナリスト須田真一郎氏が書いた本です。

 内容は、第1部がシミュレーション「2012年日本国債クラッシュ」第2部が 解説「国債暴落」危機の真実になっています。この二つを順番に読むことで、アタマのなかで「最悪の事態」をシミュレーションする構成になっています。

 タイトルになっている「日本国債クラッシュ」とは、日本国債の国債価格の暴落、つまり長期利回り上昇によってもたらされる日本経済破綻のことを指しています。詳細な説明は書籍のほうにゆずりますが、具体的な数値で言えば、日本国債の長期利回りが 2% を越えたらクラッシュし、猛烈な「円安」に反転する恐れがあり、それを回避するためには消費税 "実質" 20%も覚悟しなければならないという議論です。

 現在は「超円高」ですが、これは日本経済のファンダメンタルが良好なためではなく、あくまでもユーロや米ドルなど日本円以外の通貨安の状況があるために相対的に価値が上昇しているに過ぎません。輸出政策においての「通貨安戦争」の敗者になっているのが現在の日本だといえるでしょう。

 日本が財政破綻(=デフォルト)したら日本国の信用も低下することになり為替は一気に「円安」に針が振れることになります。「超円高」が、突然「円安」に転換したらどうなるか? これを日本経済全体、金融機関や企業、そして個人の生活で考えてみようというのが本書の趣旨です。

 おそらく、バブルが崩壊してからタイムラグをおいて生活実感として感じられたのと同様、「国債クラッシュ」による「円安ショッック」を実感するには時間がかかるでしょうが、エネルギーを中心に輸入物価の高騰や公的サービスの縮小による不利益は想像を絶するものになると考えられます。

 シミュレーション小説の設定は 2012年10月ですので、もうすでに1年を切っています。2012年内に「日本国債暴落」が発生するかどうかについては、わたしは可能性としては小さいと考えています。

 ただし、これは計算可能な「リスク」というよりも、政治的な「不確実性」にかかわる話ですので、現時点でははなんともいえません。というのも、国債を扱っている債券ディーラーは、日本政府の動きをモニターして判断材料としているようですから、いかなるキッカケで日本国債に「売り」指令が出るかわからないからです。

 このままの状況が続けば、いまから3年後の2015年以降にはアウトの可能性があるということは、すくなくともアタマの片隅には置いておきたいものです。欧州各国とは違って、国債の引受先の 9割以上が日本国民である日本国債は絶対に問題ないという議論もありますが、何事にも限度というものがあります。わたしは、「国債クラッシュ」の可能性は「近未来」には起こりうる話だと考えます。

 「日本国債クラッシュ」を回避するためには財政健全化が必要ですが、それが経済成長の芽を摘んだのでは本末転倒。しかし、このままでは「国債クラッシュ」への道が進行してしまう恐れがあってじつに悩ましい。国民に増税を受け入れる覚悟ができ、政策として実施されるのか、それとも政治的迷走のなかで意志決定が先送りにされ、手をこまねいている内に財政破綻(=デフォルト)してしまうのか。

 財務官僚や経済官僚、政治家やといった政策立案と政策実行の「当事者」ではない一般の日本国民が行わねばならないことは、ミクロ的には「最悪の事態」を想定して個人生活や個人資産を守ることに努めるとともに、マクロ的な「最悪の事態」を回避するために、増税などの覚悟を国民の一人として受け入れることでありましょう。  

 現時点での可能性がたとえ小さなものであっても、中期的(=3年から5年)、長期的(=5年から10年)にはどうなるかわからないわけですから、すくなくともアタマのなかでシミュレーションだけはしておきたいものです。

 ハッキリしているのは、財政破綻した結果ハイパーインフレとなったとしても、人間は生きているし、生きていかなければならないということです。これはすでに破綻した夕張市などの自治体をみていれば理解できることです。

 「最悪の事態」をイマジネーションすることによって、「想定外」を一つでも減らしておくのが、その時になって狼狽しないためには不可欠ですね。こういうときには、いわゆる「専門家」ほど当てにならないのは、「3-11」でわれわれがいやというほど見たとおりです。ただし「杞憂」しすぎるのも禁物でしょう。

 世の中はなるようにしかならないというのもまた事実です。これは個人の信念や願望とはまったく関係ありません。

 そうなったらなったで、勇気をふるって生きる道をさぐる。最終的にはこういうことになるのかもしれません。エリック・ホッファーが言うように、あてにならない希望ではなく、確実な勇気をもって。






目 次 

はじめに 震災でいよいよ現実味を増す「最悪のシナリオ」
第1部 シミュレーション「2012年日本国債クラッシュ」
第2部 解説「国債暴落」危機の真実
あとがきにかえて


著者プロフィール

須田慎一郎(すだ・しんいちろう)

1961年東京生まれ。日本大学経済学部を卒業後、金融専門紙、経済誌記者などを経てフリージャーナリストとなる。民主党、自民党、財務省、金融庁、日本銀行、メガバンク、法務検察、警察など政官財を網羅する豊富な人脈を駆使した取材活動を続けている。週刊誌、経済誌への寄稿の他、「サンデー!スクランブル」、「ワイド!スクランブル」、「たかじんのそこまで言って委員会」等TVでも活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』(松田千恵子、朝日新書、2011)-最悪の事態はアタマのなかでシミュレーションしておく

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・(2011年3月15日)

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)

書評 『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ-』 (畑村洋太郎、講談社現代新書、2011)

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)



 



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2011年11月28日月曜日

第2回 【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップを開催いたします (2011年12月8日)


 【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップを開催いたします。前回2011年7月5日に続いて第2回目の開催となります。

 もともとは、「営業パーソン」のために開発した「研修メソッド」を、一般向けに公開するワークショップです。

 対面コミュニケーションでモノを言うのが「アタマの引き出し」。仕事も人生も豊にするための「アタマの引き出し」を増やし方と活用の仕方をみなさんと一緒に考える機会にしたいと考えています。

 内容は、ほぼ 8割がワークでレクチャーは2割のワークショップ形式ですので、眠ってしまう心配がないだけでなく、参加人数も20人と比較的少人数ですので、ワークショップをつうじて密接な交流も可能になります。

 わたしがファシリテーターとして進行役をつとめます。


■日時: 2011年12月8日(木)
■場所: 「コンファレンス銀座」
 東京都中央区銀座 6-5-13 JDB銀座ビル5F コンファレンスC 
 地下鉄銀座駅から徒歩2分、JR有楽町駅徒歩5分
■募集人数: 20人




 次に該当する方々にご参加いただけると幸いです。

「アタマの引き出し」の増やし方を身につけたい人
豊富な話題で営業に不可欠な 「人間力」 を高めたい人
部下の育成のお悩みの人
「会話力」を越えた「対話力」を身につけたい人
ファシリテーションの実際を体験したい人
ワークショップ最中の密接な交流が楽しみな人
ワークショップ終了後の交流会が楽しみの人


 ご興味のあるかたは、詳しくは facebookページのイベント紹介(☚ ここをクリック!)をご覧ください。

 ご質問、お問い合わせ、申し込みは ken@kensatoken.com まで

 今回は、前回より広めの会場を確保しましたので余裕があります。まだ席の余裕がありますので、ぜひご参加ご検討くださいますよう、よろしく申し上げます。

 また、法人など組織向けにカスタムメイドの研修も実施しておりますので、詳しくは ケン・マネジメントのウェブサイト http://kensatoken.com をご覧ください。



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【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ (2011年7月5日 19時 東京八重洲) を開催しました

【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ を開催します (2011年7月5日 19時 東京八重洲)
 
ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある




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2011年11月23日水曜日

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった


 中村天風(なかむら・てんぷう:1876~1968)は、日本版のポジティブシンキング(=積極精神)の元祖のような人と言ってよいだろう。一般人もさることながら、現在でも政財界に根強い人気を保っている。

 その前半生は波瀾万丈そのものである。どこまで本当なのかはわからないが。

 若い頃は手の着けられない暴れん坊で、日露戦争にはみずから志願して軍事探偵(・・つまるところスパイ)として大陸に渡り、生きて帰ってきたものの健康も精神も疲弊し、しかも当時は不治の病であった結核にかかって、出口のない煩悶に陥る。

 手当たり次第に本を読み、人に会い意見を求めるが安心立命の境地にはいっこうにたどりつかない。ついに密航に近いかたちで米国に渡り、その後は欧州にわたって、思想家やセレブなどと交遊することになる。

 フランスからの帰国船で、たまたま寄港先のエジプトのカイロで知り合ったインド人から誘われてインドの山奥にいった中村天風は、自然のなかのヨーガ修行によって、ついに開眼することになる。このインド人は、カリアッパ師というヨーガ行者であったのだ。

 「私は力だ」という詩に、そのときの覚醒が記録されている。

私は力だ 力の結晶だ
何ものにも打ち克つ力の結晶だ
だから何ものにも負けないのだ
病にも運命にも・・・・
否あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ
そうだ、強い強い力の結晶だ


 日本に帰国後は実業家として縦横に活動していたが、ある日このままでいいのかと思い来たって、スッパリとビジネス界から足を洗い、辻説法を始めたという。

 その後は「心身統一法」を実践する人生の教師として、多くの人たちに指導を行った。現在でも、熱烈なシファンが多いのは冒頭に書いたとおりだ。

 中村天風が説いた、まずは「心から」というのは、日本ではほとんどすべての行(ぎょう)では実践してきたことである。山岳宗教である修験道でも、座禅でも、古神道の行法のいずれも同じである。

 中村天風の特色は、この東洋ではあたりまえの「心身一如」の教えを、みずからのヨーガ体験をベースに、誰にでも実践しやすいものにしたことにあるといったらいいだろう。

 中村天風の名前を知ったのはずいぶん昔のことだが、人生前半のエピソードがあまりにも波瀾万丈なのでで、長いあいだ眉唾ものではないかと疑っていた。

 たまたま文庫化されていた女流作家・宇野千代の『天風先生座談』(広済堂文庫、1987)を本屋の店頭で見かけて購入して読んだのは 1995年のことだが、それ以来、中村天風を素直に受け取れるようになった。

 なんせ、宇野千代と言えば、これまた日本を代表するポジティブシンカーの一人、『生きてゆくわたし』晩年には「わたしは死なないような気がする」とか言っていたくらいだ。

 日本経営合理化協会からでている一万円もするような本はさすがに手は出さないが、同じ日本経営合理化協会から出ている『君に成功を贈る』(中村天風、2001)は、1,890円(税込み)と比較的廉価なので、購入して読んでみたが、なるほど天風の言うとおりだと思ったものである。誰だって失敗者よりも成功者にりたいものだ。成功の定義は人によってまちまちだろうが。

 波瀾万丈の前半生だが、本書に豊富に収録された写真を見ると、さらに具体的なイメージをもつことができるようになる。なんといってもビジュアル資料は、文字資料とは比較にならない情報量とイメージ喚起力をもっているからだ。

 本書は、福岡の地方出版社から出版されたものだが、中村天風はじつは福岡出身のみならず、玄洋社の頭山満とも密接な関係をもっていた人なのだった。前半生の軍事探偵としてのキャリアや、アメリカ渡航には頭山満のチカラが働いていたことを知ると、中村天風という人物をさらに大きなパースペクティブでとらえることができるようになる。

 天風ファンはもちろん、天風についてよく知らない人には「天風入門書」にもなる一冊である。












<ブログ内関連記事>

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・玄洋社につらなる人たちの肖像写真は、この写真集でとくとご覧いただきたい

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある
・・玄洋社につらなる人たちを東京の墓地にさぐる旅

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋・・紀州出身の植芝盛平は南方熊楠や、大本教の出口王仁三郎の人脈に連なる人。また海軍や満洲にも大きなかかわりをもった

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・山梨出身の肥田春充(ひだ・はるみち)は日本型キリスト教の人脈に連なる人

「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)
・・山伏は修験道





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2011年11月22日火曜日

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある


「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に

 「近代日本の裏面史」である。日本史の教科書にでてくる有名人も数多く登場するが、お墓を媒介にして見えないところでつながっている人脈をたぐりよせると、日本史の教科書にはでてこない世界が浮かび上がってくる

 幕末に「開国」を迫られ、欧米中心で弱肉強食の厳しい国際社会のまっただなかに放り込まれた小国・日本。「近代日本」とは、日本と日本人が生き残りをかけた生存競争の時代であった。その状況のもと、日本人の潜在能力が解き離たれ、さまざまな分野で爆発した時代でもあった。

 本書は、著者が東京に散在する霊園をたずねて、死者たちと交わした対話記録といってもいい本である。墓が墓を呼び、イモヅルをたぐりよせるようにして現れてきたのは「見えないネットワークでつながっている人脈」であった。

 その中心にあって、本書の通奏低音として流れているのは、福岡に源流を持つ政治結社「玄洋社」に連なる人びとである。そしてその背後にあった名も無き日本人たちだ。東京にいくよりも朝鮮半島のほうが近い、東京までの距離と上海までの距離はほぼ同じという地理的条件をもった国際都市・福岡。福岡出身の著者が、福岡の出版社から出したこの本は、福岡出身者でなければ書けない内容だといっていいかもしれない。関心のありかたが、福岡出身者以外とはやや違いがあることを感じさせるからだ。

 幕末から明治維新にかけての動乱期、当時の藩主・黒田長溥(くろだ・ながひろ)の致命的な情勢判断ミスによる意志決定のため、本来は倒幕派であったのにかかわらず、佐幕派とみなされて維新後の社会において苦杯を飲まされることになった福岡藩。明治維新の敗者となった「負け組」は、会津藩や越後長岡藩といった東北だけではなかったのである。

 その環境のなかからでてきたのが「玄洋社」であった。いまだに右翼団体というレッテルを貼られたままの玄洋社だが、最初の頃は自由民権運動の担い手の一つだったことに、少なからぬ読者は驚くのではないだろうか。この玄洋社が民権から国権に比重を移していたのもまた「近代日本」である。

 面白いことに本書には、ただの一枚も肖像写真は掲載されていない。出てくるのはひたすら墓、墓、墓...

 著者みずからが撮影した墓石と墓碑銘の写真ばかりである。東京はある意味では、近代日本のオモテだけでなく、ウラの歴史もあわせた巨大な霊園地帯なのかもしれないという気さえしてくる。

 霊園で死者たちの声を聴き取った著者は、さながら霊媒のような存在だといったら著者からは叱られるだろうか。むしろ、タイトルは『霊園で聴いた近代日本』とするべきだったかもしれない。

 すでに中途半端なままに終わってしまった「近代日本」とは何であったのか、本来どういう方向にむかう可能性があったのか。このことを考えることは意味のあることだろう。だから「近代日本の裏面史」である本書は、オルタナティブな可能性をもっていた「近代日本史」でもあるのだ。

 本書には珍しく「主要人名索引」が完備しているので、索引から人名をたぐりよせてみる読み方も面白いかもしれない。ぜひ一読を薦めたい。





<初出情報>

■bk1書評「「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に行ったこととは?」投稿掲載(2011年9月13日)
■amazon書評「「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に行ったこととは?」投稿掲載(2011年9月13日)


目 次

第1章 朝鮮半島をめぐる外交摩擦
 青山霊園のあたり
 外人墓地から
 日清戦争の背景
 金玉均の墓所にて
第2章 幕末から西南戦争まで
 黒田長溥の墓所から
 維新の策源地「延寿王院(えんじゅおういん)」
 戦国大名の争奪地「博多」
 西南戦争という価値転換
第3章 アジアとの関わり
 玄洋社の看板、頭山満
 自由民権団体の玄洋社
 ロシアの南下政策とヒンターランド構想
 宮崎滔天の「落花の歌」
第4章 近代化のはざまで
  日露開戦の予言
 新興宗教と病気なおし
 宮沢賢治という宗教と科学を極めた人
 エスペラント語と革命
第5章 日本近代化の総仕上げに向けて
  「五箇条の御誓文」という近代化
 ハルビン学院と杉原千畝
 大杉栄と後藤新平の関係
 犬養毅、後藤新平の産業立国主義
あとがき
参考文献
索引

著者プロフィール

渡辺 登

1956年(昭和31年)福岡県生まれ。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌への投稿を行う。オンライン書店bk1では「書評の鉄人」の称号を得る。著書に『太宰府天満宮の定遠館』(弦書房)。



<書評への付記>

 ことしは奇しくも「中国革命100年」の年にあたる。

 革命家・孫文につらなる縁で、本書にもその多くが登場している玄洋社につらなる人びとや、その周辺にいた日本人たちに脚光が浴びたのは、たいへん喜ばしい。

 東西冷戦が崩壊してすでに20年、左翼の崩壊にともない右翼もその意味を失った結果、右でも左でもない日本と日本人を見直すにはじつによい時代となった。 

 本書の出版は、「3-11」という、未曾有の大地震と大津波という自然災害と、それ原発事故という人災に苦しむ国難が発生する以前に書かれたものだ。「3-11」によって「戦後」も完全に終わったことは、ある意味では、さらに物事を虚心坦懐に見ることを可能としたといってもいいだろう。

 ところで、文化人類学者の山口昌男に『敗者の精神史』という大著がある。明治維新の敗者の側から描いた近代日本史もまた、オルタナティブな日本近現代史となっている。

 福岡生まれの著者が福岡の出版社から出版した本であると言うことは、東京のまなざしとはイコールではないということを意味している。

 本書は、やや玄人ごのみの内容だが、索引もしっかりつけてあるので、人物エピソードで読む近代日本裏面史として、あるいは東京の墓地めぐりガイドとしてもいいかもしれない。

 それぞれの墓地の案内図はつけていないが、これはみずから足を運んで、自分で墓探しをすべしというメッセージだろうと受け取った。

 維新後、1/10の規模に縮小させられた谷中墓地、あらたに造成された青山霊園。「人間、至る所に青山あり」という詩句がるが、青山(あおやま)と青山(せいざん)は同じ漢字を書く。青山(せいざん)とは墓のことであり、青山霊園というのは、なにかトートロジー(=同語反復)なものを感じてしまう。霊園とファッションは、なぜか親和性が高そうだ

 本書には、お墓の写真以外、人物写真はいっさい収録されていない。写真資料が満載の『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』(読売新聞西武本社編、海鳥社、2001)とあわせて読むことを望みたい。


<ブログ内関連記事>

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・玄洋社につらなる人たちの肖像写真は、この写真集でとくとご覧いただきたい

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
・・著者の古田氏は、福沢諭吉のように、「アジア主義との決別」を説く

両国回向院(東京)で戦後はじめて開催された「善光寺出開帳」にいってきた(2013年5月4日)+「鳥居清長名品展」(特別開催)
・・関東大震災と東京大空襲の死者の無縁墓地

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録
・・西欧の墓をめぐる解剖学者の紀行エッセイ

(2014年11月16日 情報追加)





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2011年11月21日月曜日

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!


 頭山満(とうやま・みつる)といってピンとくる人は、九州北部(とくに福岡)を除いては、よほど近代日本史につうじた人か、あるいは大学受験前の高校生くらいだろう。

 東京にいくよりも、玄界灘をはさんで対岸の朝鮮半島のほうがはるかに近いのが国際都市・福岡だ。

 朝鮮半島だけではない。福岡から東京までの距離と、福岡から上海までの距離はほぼ同じである。これは上海から日本にむけて飛行機で移動してみれば、すぐにわかることだ。上海を飛び立った飛行機は、あっという間に五島列島上空にさしかかる。
 
 藩主の優柔不断と意志決定の間違いによって、藩論が左右に揺れるたびに、多くの優秀な人間が切腹を強いられて命を落としている。明治維新においても「敗者」となってしまった福岡藩からは、本来なら中央政府で立身出世したはずの人材が、多く民間に流れることになった。

 旧福岡藩士を中心とした、反中央、反官僚の立場を貫くひとたちが、個をベースとしたゆるやかな結合をしたのが政治結社「玄洋社」である。福岡に基盤を置いていた玄洋社は、日本近代のオルタナティブな歴史のの担い手となった。

 「玄洋社」の憲法は、以下の三ヵ条であった。

第一条 皇室を敬戴すべし
第二条 本国を愛重すべし
第三条 人民の権利を固守すべし

 国権と民権がともに存在していたのが「玄洋社」であった。自由民権運動のさなかに生まれた結社なのである。

 その「玄洋社」の実質的な中心にいたのが頭山満である。

 わたしもこのブログで、西郷隆盛と、自由民権運動にからめてなんどもその名を登場させてきた頭山満。わたしがはじめてその名を知ったのは、福岡出身の小説家・夢野久作(ゆめの・きゅうさく)を通じてである。大学時代のことだからすでに30年近く前のことだ。

 夢野久作といえば『ドグラマグラ』という小説で知られているが、その父は杉山茂丸という右翼の巨頭であった。茂丸の交友関係のなかに登場する最重要人物が頭山満であり、その姿は『百魔』(講談社学術文庫、)に活写されているだけでなく、息子の夢野久作(・・本名・杉山泰道)の『近世怪人伝』(昭和10年)に愛情をこめて描かれていることは知る人ぞ知ることだ。わたしの愛読書の一冊でもある。現在は、ちくま文庫に収録されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい(*)

(*) 夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い という記事をブログに書いたので(2013年10月16日)、ぜひあわせてお読みいただけると幸いです。(2013年10月19日 追記)


 頭山満を「右翼」というレッテル張りで扱うのは大きな誤りである。とくに重要なのが、本書のタイトルでもある「大アジア主義」とのからみである。植民地支配に苦しむアジア解放の志士たちとの熱い友情について知らねばならない。

 ただ、頭山満の「大アジア主義」はイデオロギーというよりも、人間どうしの熱い友情を基礎にしたものだ。

 孫文のみならず、朝鮮の金玉均(キム・オッキュン)、インドのビハリ・ボース(・・いわゆる「中村屋のボース」)、チャンドラ・ボース、タゴールなどそうそうたる人物との交友に及んでいる。

 しかも単なる交友ではない。外国政府の刺客に追われ、官憲に追われている革命人士の匿い、身の安全を守るという義侠心から発したものでもあった。孫文もまたその一人である。

 本書に収録された写真が、その熱い友情を語っている。ぜひ直接手にとって見ていただきたい。

 本書には、日本のナショナリズム研究に従事してきた松本健一氏の講演をもとにした文章「一人で居ても淋しくない」が収録されている。

 「一人で居ても淋しくない」ほど、頭山満を言い表した表現はほかにないだろう。

 頭山満は、つねづね若い人たちに対して「一人で居ても淋しくない」と語っていたという。松本健一氏は以下のように解釈している。

この、「一人で居ても淋しくない」とは何か。たんに孤独に強い人間という意味ではない。それは、みずからの内部に「太陽の光」のような強い「火種」、いいかえると発光源をもつ人間になれ、という意味ではないか。みずからの内部に発光源をもてば、一人で居ても、すこしも淋しくない。(P.97)

 頭山満については、じつは数多くの著書が発行されているし、取り上げてみたいものの多数あるのだが、それはまた別の機会に譲るとして、この写真集だけはぜひ手元に置いて、眺めてほしいと思うのである。

 学校で教える日本近現代史とは違う、オルタナティブな歴史がここにあることを発見することであろう。福岡の出版社から出版された本であるということは、東京のまなざしとはイコールではないということも意味しているのだ。





目 次

はじめに
解説・頭山満と玄洋社-その封印された実像(石瀧豊美)
歴史資料
 維新動乱
 筑前玄洋
 大アジア
 敬天愛人
 封印命令
 あの人この顔
 ふくおか玄洋社マップ
 一人でいても淋しくない(松本健一)
資料
 「人ありて 頭山満と玄洋社」報道の記録
 回顧展「大アジア!燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社」開催の記録
 出品協力団体・個人一覧
 主な参考文献
 編集後記



<参考>

田中清玄の『自伝』より

あんた、なんだと聞かれたら、本物の右翼だとはっきり言いますよ。右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする。

戦前の共産党の闘士だった田中清玄ならではのスゴミのある発言。田中清玄は会津藩家老の末裔。『田中清玄自伝』(初版は文藝春秋社 1993)は松岡正剛の「千夜千冊」にもとりあげられている。上記の発言はそこから引用した。わたしは単行本で読んだが、こんな面白い本はなかなかない。  

(2013年10月19日 追記) 




<ブログ内関連記事>

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民主主義は米国占領軍によって与えられたものではない!明治の自由民権運動の志士たちによる闘いのたまものだ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 
・・頭山満といえば西郷精神!

「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい! 

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし・・「革命」を資金で助けた「陰徳」の人・梅屋庄吉と孫文の友情。長崎出身の梅屋庄吉もまた「頭山人脈」のなかにあった

宮崎滔天の 『支那革命軍談』 (1912年刊)に描かれた孫文と黄興の出会い-映画 『1911』 をさらに面白く見るために
・・宮崎滔天もまた「頭山人脈」のなかにあった

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある
・・玄洋社につらなる人たちを東京の墓地にさぐる旅

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い






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2011年11月20日日曜日

宮崎滔天の 『支那革命軍談』 (1912年刊)に描かれた孫文と黄興の出会い-映画 『1911』 をさらに面白く見るために


 映画『1911』は、オリジナルの中文バージョンでは『1911 辛亥革命』となっている。1911年の「辛亥革命」とは、1949年の中国共産党による中華人民共和国成立にいたる「中国革命」の第一歩となった重要な歴史的事件である。

 その「中国革命」に人生をかけた日本人がいた。宮崎滔天(みやざき・とうてん:1871~1922年)である。

 宮崎滔天といえば、その半生の自叙伝である『三十三年の夢』(1902年刊)が有名であるが、残念ながらその記述は「辛亥革命」成功に至る十年前で終わっている。

 『三十三年の夢』で書かれなかったが、もちろん孫文は革命運動を継続し、全世界を飛び回って(・・いや、まだ飛行機のなかった時代だ、船で移動を続けていたのだ!)、革命のための軍資金調達に奔走していた

 さが、もちろんその後日談はある。それがこの『支那革命軍談』(1912年)である。

 1967年に法政大学出版会から復刊された『支那革命軍談』は、もともと辛亥革命の翌年1912年に東京で出版されたものである。いまだ「文化大革命」の最中にあって、中国を美化する言説があたりまえであった時代の復刊なので、その時代の匂いのつよい解説文であるが・・・

 これが読むとめっぽう面白いのだ。残念ながらそれ以後は版を重ねていないようですでに絶版状態だが、どこか文庫本で復刊してくれないものだろうか。

 文語体の『三十三年の夢』よりも読みやすく面白いし、「辛亥革命」に至までの孫文を知る上でも、宮崎滔天が当事者であっただけに、臨場感あふれた内容なのだ。

 「目次」を掲載しておこう。なお、孫逸仙とは孫文のことである。中国では孫中山先生と呼ばれることが多い。

1. 孫逸仙生ひ立ちの事
2. 一味の志士結社の車
3. 鄭頭目快撃を促す車
4. 孫逸仙欺かれて倫敦(ロンドン)の公使館に捕るゝ事
5. 公使舘の窓から命の綱の投文の車
6. 孫逸仙、公使館を脱け出さんと図る事
7. 両博士、孫の救助に苦心の事
8. 英政府の談判成功して孫 引渡しの事
9. 犬養毅 斡旋の事
10. 滔天、革命党員を尋ねて澳門(マカオ)行の事
11. 香港の革命党と秘密室に相語る事
12. 孫の入京を聞き、小村寿太郎吃驚(びっくり)の事
13. 壮士相会して対露清事業を約する事
14. 康有為、計策破綻して逃鼠の事
15. 亡命の康有為、梁啓超相抱いて泣く事
16. 比律賓(フィリピン)の志士、孫に大事を頼む事
17. 比律賓(フィリピン)志士の為に弾薬調達の事
18. 福州にて布引丸(ぬのびきまる)の沈没を聞く事
19. 布引丸の沈没に味方大損害の事
20. 革命党の頭目等、香港に会合の事
21. 三派連合の秘密会、意外の妨害に会ふ事
22. 滔天、同志の吃驚(びっくり)を鎮むる事
23. 三派愈々(いよいよ)合同して孫を首領とする事
24. 孫の一党、愈々(いよいよ)革命の大連動に着手する事
25. 康有為、滔天等を刺客と誤る事
26. 滔天、英国の警官に取調べらるゝ事
27. 滔天等、拘禁に先(さきだ)つて大酔する事
28. 滔天、新嘉坡(シンガポール)監獄に入牢の事
29. 英国官憲の命により新嘉披(シンガポール)追放の事
30. 孫等、又た香港を追放さるゝ事
31. 革命旗撃決行の事
32. 革命の挙、遂(つい)に敗るゝ事
33. 孫逸仙、黄興と初対面の事
34. 孫、黄を首領とせる大同盟組織の事
35. 革命党、鎮南関攻撃の事
36. 鎮南関攻撃準備の事
37. 孫、黄 鎮南関の天険を陥るゝ事
38. 弾薬窮乏して鎮南関退陣の事
39. 革命軍再起して雲南河口を取る事
40. 汪兆銘、北京宮廷に撮政王を覗ふ事
41. 黄興、広東総督衛門焼打の事
42. 革命新政府樹立の事


附録 革命事情

湖北革命の発端
黄興の変装
孫及び黄等の砲台奪取事件
黎元洪(れいげんこう)の人物
支那の革命婦人
 革命の先駆者秋瑾(しゅうきん)
 男装剣を横ふる王夫人
 怪女優錦芝蘭

 映画『1911』に描かれているのは、本書の 41. 黄興、広東総督衛門焼打の事 と 42. 革命新政府樹立の事 が中心である。

 映画冒頭に出てくる女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の処刑シーンについては、支那の革命婦人 革命の先駆者 秋瑾(しゅうきん) で触れられている。

 冒頭のシーンをみて、すぐにピンとこなければ、中国近現代史をもう一度、勉強し直したほうがいい。


映画『1911』にない、孫文とその盟友・黄興との出会いのシーンがこの本には臨場感たっぷりに活写されている

 映画『1911』は、ジャッキー・チェン演じる黄興と孫文との男の友情がメインテーマでもあるが、肝心要の二人の出会いのシーンがない。

 孫文と黄興が出会うキッカケをつくったのは宮崎滔天であったことはまったく触れられていないのは、じつに残念なことだ。

 孫文の盟友の一人として、多額の資金援助を行った陰徳の日本人実業家・梅原庄吉の名は知る人も増えてきたが、逆に宮崎滔天の名前が忘れ去られているのはじつに残念至極。

 事の次第はこのようなものだ。

 黄興が、宮崎滔天の「中国革命」奔走記である『三十三年の夢』の中文抜粋訳を読んで感激し、亡命目的で来日した東京で宮崎滔天と知り合いになった。その黄興に、来日した孫文を引き合わせたのが宮崎滔天であった。

 だから、映画『1911』では、せめて回想シーンでいいから、そのシークエンスがほしかったものである。宮崎滔天は中国共産党もお墨付きの日本人なのであるから。

 では、『支那革命軍談』から引用しておこう。33. 孫逸仙、黄興と初対面の事 から。まさに、そこに居合わせているかのような臨場感あふれるシーンである。なぜなら、この一節を語った宮崎滔天(・・下の写真)自身がそこに居合わせているからだ。



33. 孫逸仙、黄興と初対面の事 

(前略)超えて三十八年(注:明治38年=1905年)春、孫逸仙(=孫文)は欧米の漫遊を終へて日本へ帰り、僕の茅屋を訪ひ僅僅(きんきん)一三年の間に非常に留学生の殖えた事より留学生中変わつた人物がないかと云ふ問であるから、僕は黄興と謂ふ偉い人のある事を話すと孫は、『夫(それ)ぢゃ是から其(その)人を訪問しやう』と云ふから、僕は黄興の処へ行つて黄興を迎へて来やうと云ふと『其様(そのよう)な面倒な事は要らぬ、是から一人で訪問しやう』と云ふので相携へて神楽坂附近の黄興の寓所を訪ふた、当時僕と寝食を共にして居た末永は此時(このとき)黄興と同棲して居た故、孫を表へ立たして置いて格子を潜(くぐ)つて『黄さん』と声を掛ると末永と黄は一緒に顔を出して表に立つて居つた孫の顔を見るや『イヤ孫さん』と叫ばんとすると、黄興は直ちに其れと心付き大勢の学生が来て居るので、手真似で孫の家内へ入ることを差止めた。僕もそれと察したから、直ちに戸外へ出て、其まゝ待つて居ると、間もなく黄興、末永、張継の三人が出て来て鳳楽園と云ふ支那料理屋へ案内した、彼等は初対面の挨拶もそこそこに既に、見旧知の如く互いに添加革命の大問題に向かつて話を始める、僕等は支那語は十分に解する力が無いので如何なる話をして居るか分らぬが兎に角支那の豪傑が茲(ここ)に一堂に相集まつて手を握ることの嬉しさに、末永と二人で頻(しき)りに盃を傾けて居ると稍々(やや)二時間ばかりと云ふもの孫と黄の両人は酒にも肴にも口を着けず議論を上下して居つたが、終に萬歳(バンザイ)を唱へて祝杯を挙げたのであつた。

34. 孫、黄を首領とせる大同盟組織の事

 此(この)黄、孫二人の握手が革命運動に対して非常なる発展の動機となつた、・・(以下略)・・

(出典:『支那革命軍談』(西田勝編・解説、法政大学出版会、1967) 引用は P.71~72。ただし、旧字体の漢字は新字体に直し、引用者(=わたし)の判断で( )内に読み仮名を補足した)

 孫文と黄興は、東京・神楽坂(かぐらざか)の中国料理店ではじめて胸襟(きょうきん)を開いて革命について熱く語り合ったのである。宮崎滔天は当事者としてそこに立ち会っていたというわけだ。

 『三十三年の夢』を書いたあと、革命の志やぶれて浪花節語りの桃中軒雲右衛門に弟子入りして、桃中軒牛右衛門と名乗っていた宮崎滔天の語りである。

 自由民権運動と浪花節は密接な関係にあったが、宮崎滔天の本意がどこにあったのかはうかがい知ることは難しい。

 しかし、苦労は報われたのだ。

 西田勝氏による解説は「文化大革命」の渦中に書かれたものだけに、現在からみると違和感を感じるトーンがあるが、「辛亥革命」成功を知って、孫文に会いに行くことになった宮崎滔天のことを長男が回想した文章が引用されているので、孫引きさせていただこう。

「・・・この年の秋(明治44年)になって俄然四川省に変乱か起り、それから武昌の義挙となり、革命運動はそのドン底の苦しみから一時(いっとき)に成功の火の手を見ることが出来るやうになりました。革命の烽火(のろし)が上がった時、孫(文)さんはフランスにをられました。滔天等も急いで行かなければならなかったのですが、何しろこの上ないの貧乏ですから、おいそれとはたてません。その内幾分か工面のよかった菅野(長知)氏は、加納清蔵、杉浦和介、金子克巳、亀井一郎、三原千尋等の諸氏を連れて先発されました。
 滔天は折よく駆けつけて来られた石丸鶴吉、島田経一両氏の心尽しを得て出発する事になりました。中でも永年の貧乏時代を見捨てもせず出入りしてくれた江戸ッ子紺屋の川城七太郎氏は
 『旦那! 私が見込んだ眼に狂ひはねえや、ポッチリですが気は心、あんまり少なくて旅費の足しにもなりますめえが、船ん中で煙(煙草)にして下さい』
 と心からの餞別を贈ってくれました。滔天は盃に一杯傾け、
 『二十五年の苦しみがやっと報いられた。空想だ、夢想だと笑はれた革命が、どうやら出来た。これからが大変だ』
 と哄笑しながら、旅装も簡単に大きな身体をのそりと旅立ちました。滔天は上海に直行し、フランスから帰る孫さんを迎へに香港に転航しました。上海に着いた孫さんは同志と共に南京に入り、臨時大総統に就任されて、いよいよ革命の基礎が築かれたのです。」(昭和十八年四月三十日、文藝春秋社刊『三十三年の夢』所収の宮崎龍介『父滔天のことども』による)


 宮崎滔天は 1922年に亡くなっている。その 3年後の 1925年には孫文も亡くなった。「辛亥革命」後、意見対立から孫文とは袂を分かった黄興は「辛亥革命」から3年後の1915年には病死している。






<関連サイト>

■『1911』の予告編比較

日本版予告編(YouTube映像)

外国版予告編(英文・中文字幕)(YouTube映像)

香港版(中文字幕)(YouTube映像)



<ブログ内関連記事>

「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい! 

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし・・「革命」を資金で助けた「陰徳」の人・梅屋庄吉と孫文の友情

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・大陸浪人を多く生み出したのは維新の負け組となった福岡藩であった

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い
・・大陸浪人を多く生み出したのは維新の負け組となった福岡藩であった

書評 『恋の華・白蓮事件』(永畑道子、文春文庫、1990)-大正時代を代表する事件の一つ「白蓮事件」の主人公・柳原白蓮を描いたノンフィクション作品
・・柳原白蓮の不倫の恋の相手となり、のち結婚した宮崎龍介は宮崎滔天の長男であった

(2014年8月21日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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2011年11月19日土曜日

ジャッキ-・チェン製作・監督の映画 『1911』 を見てきた-中国近現代史における 「辛亥革命」 のもつ意味を考えてみよう


 映画『1911』をやっと見てきた。

 ジャッキー・チェンの記念すべき映画100作目は、「辛亥革命」100年を記念する映画である。骨太の歴史ドラマであり、スペクタル大作である。

 この件については、すでにこのブログでは「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい! に書いたので参照していただきたい。

 中国近現代史においてもっとも重要な歴史的事件である「辛亥革命」について知るためには、見る価値はあると言っておこう。

 中国近現代史とはまた日本近現代史でもある。この意味については、おいおい書いていくこととする。


この映画で描かれる「辛亥革命」とは

 腐敗する王朝を倒し、漢民族によるあるべき世の中をビジョンとして描き、そのための手段として革命を行うというミッションを掲げたのが孫文であった。

 しかし、なんども試みても武装蜂起はことごとく失敗に終わり、革命烈士である若い命が次から次へと失われていくことになる。

 そして、中国近現代史を一変することになる「辛亥革命」 が始まったのが、ちょうど100年前の1911年10月11日のことだった。

 その後、約2ヶ月を経て、清朝最後の皇帝、いわゆる「ラストエンペラー」であった皇帝溥儀(ふぎ)は退位を余儀なくされる。といっても溥儀は幼児であったので、意志決定したのはその母である皇太后であったのだが。それとともに、清朝は倒れることになったが、それは皇帝退位と引き替えに命を選んだからである。

 そして、翌年1912年1月1日に孫文は中華民国の臨時大総統に就任する。これが「辛亥革命」であり、映画『1911』もここでほぼ終わりとなる。

 
「アヘン戦争」以後の中国近現代史における「辛亥革命」の意味

 ジャキー・チェンは香港人なのに中国共産党寄りだという批判というか批評をされていたが、おそらくこの映画を完成させるのにはそれも必要だと判断したのだろう。実際問題、中国政府からの協力がなければこれだけの作品を製作するこことは不可能だ。きわめて戦略的な映画製作なのである。

 「国父・孫文」は、国民党だろうが共産党だろうがその立ち位置にかかわらず、中国人・華人であれば共通に抱いている尊敬の対象である。このことは、日本人はもっとよく知っておくべきことだろう。

 わたしが見たのは当然のことながら字幕版(・・音声は普通話と英語)だが、映画の冒頭に日本語による1分程度の背景解説が入っていた。オリジナル版にはないと思うが、この程度のことは最低限知っておきたいものだという内容である。

 日本版の宣伝には、『レッドクリフ』(赤壁)のスタッフが総動員とうたわれているが、『三国志』をテーマにした『レッドクリフ』と違って、「辛亥革命」をテーマにした『1911』は、日本人には難しいテーマかもしれないと、映画をみながら思ったのは正直なところだ。

 おそらく多くの日本人の認識では、「辛亥革命」は『三国志』ほど知られていない可能性がある。

 江戸時代以来、『三国志』は日本人の一般教養のなかに通俗的なかたちで存在してきただけでなく、基本的に合従連衡(がっしょうれんこう)の国盗り合戦であるから、RPGゲームとも親和性が高いし、これまでも小説に、マンガにと何度も何度も取り上げられてきた作品だ。

 これに対して、わずか100年前とはいえ、1911年の「辛亥革命」の意味は、1840年の「アヘン戦争」から、1949年の中国共産党による中華人民共和国成立という「中国革命」の歴史の流れをある程度まで知っていないと理解しにくいのではないだろうか。

 全般的に、中国人や西洋人にくらべると歴史意識が低い日本人は、現代人として生きるうえでもっとも肝心な近現代史が、常識のなかから欠落しているという問題があるのではないかと思うのだ。日本史でも世界史でも高校の授業で触れられないまま終わってしまうことも、大きな原因のひとつだ。

 今回の映画は、『宋家の三姉妹』とは違って、日本や日本人はただ一人の例外を除いて出てこないので、日本近現代史との関係も見えにくいという難点がある。これはこの映画を日本で公開する際の致命的な欠陥であろう。「命」や「感動」といった、やや陳腐なコトバをちりばめなければならなかった日本版の宣伝コピーには苦労のあとが見える。

 ただひとつの例外とは宮崎滔天(みやざき・とうてん:1871~1922)のことであるが、映画にでてくるのは名前だけでシーンとしてではない。



 孫文の盟友として、「中国革命」に全身全霊をもって身を投じたこの日本人は、若き日の毛澤東も中文版の著書を読んで感激し、直接ファンレターを日本に送ったという存在であるので、中国共産党も公認の日本人なのだろう。宮崎滔天についてはべつに記事を書くこととする。

 今年は、孫文に資金援助した陰徳の日本人実業家・梅屋庄吉(うめや・しょうきち)の存在がクローズアップされたが、中華民国(=台湾)政府は日本でも梅屋庄吉を顕彰する写真展を東京で開催したが、中国共産党の革命正史のなかではいまだ認められていないのは残念なことだ。

 「全面協力(?):朝日新聞社」という文字が画面にでてきたが、これは一部の日本人にとっては逆効果になりそうな気もしなくはない。


「辛亥革命」の1911年は明治44年であった-その年まで清朝が存在したのだ!

 せめてこの映画をみる人は、1911年が明治44年であった(!)ことをアタマのなかにたたき込んでおいてほしい。

 映画では、米国人や欧州人がでてくるシーンがいくつもあり、清朝の高官たちの弁髪と礼服姿が、革命によって倒されるべき旧体制というイメージを際立たせるためにコントラストをもって描かれているが、すでにその時点の日本は明治44年、つまり「明治維新」から44年(!)もたっていたことに思いをはせるべきなのである。

 孫文は、「辛亥革命」から13年後の 1924年(大正13年)に神戸でおこなった最後の講演「大アジア主義」のなかで、「明治維新」と「日露戦争」が植民地支配で苦しむアジア人を覚醒させたことを取り上げて語っているいるが、「辛亥革命」からはじまった「中国革命」もまた、「明治維新」にインスパイアされたものであることはアタマのなかにいれておきたい。

 「大アジア主義」は、『孫文革命文集』(深町英夫編訳、岩波文庫、2011)で読むことができる。


孫文と黄興の男の友情-もっとも重要なシーンがこの映画には出てこない

 さて映画そのものだが、前半は武装蜂起における激しい銃撃戦とそのあいつぐ失敗によって失われた若い命への慟哭によって見る者の胸を打つが、後半の革命成就による孫文の臨時大総統(・・大統領ではなく大総統!)就任のシーンでクライマックスを迎える。

 この映画は、シークエンスの数があまりにも多すぎて、しかも短い時間でつぎつぎと場面転換するので、正直言って目が疲れた。本来なら連続ドラマか、映画なら3時間超必要なテーマを、2時間20分に押さえているから仕方ないといえば仕方ない。

 この映画の人間ドラマとしては、ジャッキー・チェン演じる黄興と孫文の男の友情をメインに据えているのだが、この二人が出会うキッカケをつくったのは宮崎滔天であったことはまったく触れられていないのが残念だ。

 黄興が宮崎滔天の『三十三年の夢』の中文訳を読んで感激し、来日して東京で宮崎滔天と知り合いになったのだが、その黄興に孫文を引き合わせたのが宮崎滔天だったのだ。せめて回想シーンでいいから、そのシークエンスがほしかったものである。この点については、宮崎滔天の 『支那革命軍談』 (1912年刊)に描かれた孫文と黄興の出会い-映画 『1911』 をさらに面白く見るために に書いておいた。

 また舞台が、サンフランシスコ、ペナン島、デンバー、ロンドン、広東、香港と全球的に及んでいるが、孫文の活動は主に在外華僑に向けての革命の軍資金のファンドレイジング(資金調達)であったのだが、軍資金のうち多くが、日本の実業家であった梅原庄吉から出ていたことにはいっさい触れられていないのは不自然である。

 中国共産党の正史においては、梅原庄吉はいまだ公式に認められた存在ではないのだろう。

 
この映画でもっとも興味深い登場人物は袁世凱(えん・せいがい)ではないか?

 映画『1911』の主人公は孫文、盟友の黄興が脇役(バイプレイヤー)と考えるのが自然なのだろうが、どうしても国際的知名度からいってもジャッキー・チェン(成龍)が演じる黄興のほうに目がいってしまうのではないだろうか?

 この結果、主人公が孫文と黄興の二人になって希薄化してしまった結果、むしろ袁世凱(えん・せいがい)の存在感が、この映画でもきわめて大きく浮上してくるのを感じてしまう。

 プロレスでいえば、「ヒール」の魅力といったものだろう。いわゆる悪役レスラーのことだ。ずいぶん昔だが、似たような体型のアブドラ・ザ・ブッチャーを思い出した。

 この映画でも、袁世凱はでっぷりと太った、権謀術数を駆使する古狸(ふるだぬき)として登場しているが、この駆け引きの才能と交渉力、政治家としての演技力と遊泳術はなかなかのものだ。

 袁世凱を演じた役者の演技力ももちろんあすかって大きいが、わたしとしてはぜひ、袁世凱を主人公にした映画を見てみたいものだと思った。「皇帝になれなかった男」なんてタイトルでいかがか?

 「革命は銃口から生まれる」(毛澤東)という有名なセリフがあるが、軍を握っている者が、革命の行方を左右するもの。これは古今東西まったく変わらない事実である。

 袁世凱もまた、清朝の軍の近代化の推進役として権力の座に上り詰めた人物であった。

 
「革命就尚未成功」(=革命いまだ成らす)

 じつは、この映画のあとの歴史がまた激動の連続であった。

 この映画のヒールである袁世凱は、孫文から大総統の地位を譲り受け、その後、革命を後退させる役割を演じることになる。皇帝になりたいがために、日本からの「対華21ヵ条要求」も含め、列強の要求を受け入れた袁世凱は、国内外からの激しい反発をうけ皇帝になるのは断念、その後急死してしまう。

 臨時大総統の地位を袁世凱に譲ったのち、孫文はその後も革命指導者として、共和制の理念を定着させるために国内外を奔走することになる。その間、日本にも亡命している。

 そして、「辛亥革命」成就から 14年後の 1925年(民国14年、奇しくも日本は大正14年)3月12日、肝臓がんのため北京で死去。享年59歳であった。

 そして、翌年12月12月25日、大正天皇崩御にともない昭和天皇が即位、孫文が危惧したように、日中関係は激動の時代へと突き進むことになる。

 孫文は 「革命就尚未成功」(=革命いまだ成らす)というコトバを残して亡くなった。

 中国共産党の正史では、1949年の中華人民共和国成立をもって「中国革命」は完結したといいいたいのだろうが、やはりいまでも「革命就尚未成功」(=革命いまだ成らす)と言わねばならないのではないか?中国の現状を見る限り、そう思わざるを得ない。

 「三民主義」は、民族主義、民権主義、民生主義の三つから成るとしたが、いまだ民権主義が貫徹しているとは言い難いのが大陸の現状なのだ。

 その意味でも、「革命就尚未成功」(=革命いまだ成らす)。いまだ孫文は過去の人ではない







<関連サイト>

宗家の三姉妹(宗家皇朝 The Soong Sisters)
SOONG SISTERS_Trailer


■『1911』の予告編比較

日本版予告編(YouTube映像)

外国版予告編(英文・中文字幕)(YouTube映像)

香港版(中文字幕)(YouTube映像)



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「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい! 

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし・・「革命」を資金で助けた「陰徳」の人・梅屋庄吉と孫文の友情
 
宮崎滔天の 『支那革命軍談』 (1912年刊)に描かれた孫文と黄興の出会い-映画 『1911』 をさらに面白く見るために

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)





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2011年11月16日水曜日

今年2011年の世相をあらわす漢字は 「水」 に決まり-わたしが勝手に決めました(笑)


(カンボジアの高床式民家は洪水対策用)

 まだ11月半ばですから時期的にはまだちょっと早いのですが、年末の話題を一ヶ月以上前に先取りしておきましょう、来年の話ではありませんから、鬼が笑うこともありますまい。

 毎年恒例の「世相をあらわす漢字」というイベントがありますね。

 「漢検」という漢字検定試験の実施主体である、財団法人日本漢字能力検定協会が主催しているイベントですが、12月12日の「漢字の日」(・・なぜこの日んなの?)にちなんで京都の清水寺(きよみずでら)の貫主が大きな筆で揮毫(きごう)するので有名なイベントです。

 ま現在、漢字検定協会のウェブサイトで募集していますが、今年2011年の漢字をひとつ選べといわれたら、わたしならためらうことなく「水」と答えたいと思います。きょうが水曜日だからではありません。

 今年は、日本では「3-11」の千年ぶりの大津波に、集中豪雨被害が西日本だけでなく、東北(新潟と福島)の河川氾濫、紀州山地の大洪水など立て続けに続いています。

 それだけでなく、日本にも縁の深いタイ王国では 50年ぶりの大洪水で工業団地の集中している古都アユタヤと、その下流域の首都バンコクも混乱しています。

 まさに、「水」に翻弄された一年となっています。だから、今年の漢字は「水」だと言いたいわけです。お亡くなりになった方も多いので、あまりうれしい話ではありませんせんが、記憶にとどめるためにも必要だと考えます。


「治水」は「治国」のかなめ

 今年は日本各地で大洪水が発生していますが、それでもむかしに比べたらだいぶ減ったようですね。

 日本でも戦後のある時期までは各地で洪水があいついでましたが、治水技術の向上で大規模な洪水を防げるようになったからなのです。

 安全と引き替えに、日本の河川はコンクリートで護岸工事が行われて景観が失われてしまいましたが、それはそれで仕方がないでしょう。また暗渠(あんきょ)という形で、地上に水があふれでない工事も都市部では行われてきました。

 タイの大洪水の話をしましたが、平野がひろがるインドシナ半島でも、洪水はけっしてまれな話ではありません

 日本のように急流がないので突然洪水になるということがないかわりに、じわじわと浸水する面積が拡がっていくのが特徴です。

 写真はカンボジアの民家です。ベトナムのホーチミン(=旧サイゴン)から陸路でカンボジア王国の首都プノンペンにいく途上で撮影したものです。

 この地域は、雨期の洪水によって水没することを前提に民家がつくられているのです。アンコールワット周辺にあるトンレサップ湖は雨期には約3倍にも面積が拡大するのです。つまり、乾期の陸地が水没するというわけなので、雨期には民家は水中に浮かぶ小島のようになるわけです。

 日本でいえば弥生時代の高床式住居ですね。穀物を貯蔵するのが目的であった高床式住居はネズミ対策が主目的でしたが、東南アジアは洪水対策が主目的なのですね。 

 建築用語でいえばピロティです。「3-11」の際も、ピロティ建築は津波の被害が軽微だったと聞いています。阪神大震災のさいのに、耐震性について疑問がでたことが記憶のなかにありますが、東北の太平洋沿岸では大丈夫だったようですね。

(ミャンマーのインレー湖)

これはミャンマーのインレー湖の風景です。湖のなかにピロティによる高床式の住居をつくって居住しています。あたかも運河をはりめぐらしたかのような風景ですが、じつはそうではありません。とはいっても、かつて「東洋のベニス」といわれちたタイのバンコクもまた、こんな感じだったのではないだろかと考える材料にはなるでしょう。


洪水が毎年発生するインドシナ半島ではピロティは生きるための知恵

 ピロティ(Pilotis)といえば、世界遺産登録が試みられている建築家ル・コルビュジエで有名ですが、ベトナムやカンボジア、タイでは民家ではよく見られます。伝承されてきた知恵というわけですね。

(東京・上野にあるピロティ構造の建築物)

 写真はコルビュジエ設計の国立西洋美術館(東京・上野)。コンクリート打ちっ放しのピロティ構造の建築物です。

 フランス語系スイス人であったコルビュジエの発想の源泉はどこにあったのでしょうか? もしかして、植民地であったインドシナ三国(=ベトナム・ラオス・カンボジア)の建築物だったのかな、と考えてみるのも面白いものです。

 広い意味では日本の伝統的な家屋もピロティ様式ですが、東南アジアのものと比べると、地面からの高さが 1m程度と非常に低く、洪水対策というよりも湿気対策であると考えられます。日本の家屋があっという間に、床下浸水、床上浸水してしまうことも、洪水対策ではない証拠でしょう。吉田兼好が「家の作りやうは、夏をむねとすべし」(徒然草)と言っているとおりですね。

 その土地、その土地にもっともあった家のつくりがされることによって、自然災害や自然の猛威を防ぐのは、人類の知恵というべきでしょう。

 それにしても、「水の惑星」といわれるこの地球。水は人間が生きるために不可欠でありながら、また人間の命をあっという間にいとも簡単に奪ってしまうもの。自然というのは人間にとってはまさに両義的な存在です。

 2011年は「水」の年として記憶しておきたいものですね。



P.S. 案の定、「2011年 今年の漢字」は「絆」でした。「水」は10位にも入ってないのは残念(笑)(2011年12月12日 追記)



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「家の作りやうは、夏をむねとすべし」(徒然草)-「脱・電気依存症文明のために顧みるべきこと

三度目のミャンマー、三度目の正直  (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)
三度目のミャンマー、三度目の正直  (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)
・・かつてのバンコクも「東洋のベニス」と呼ばれていたが、それをほうふつとさせるがミャンマーのインレー湖

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む
 
(2014年10月8日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)







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2011年11月15日火曜日

「TPP」 という 「めくらましコトバ」 にご用心!


(煽りイカ)

 「バスに乗り遅れるな!」というセリフを、また耳にするようになってきました。

 「バスに乗り遅れるな!」というのは、わたしが子どもの頃よく耳にした表現ですが、そのココロは「ぼやぼやしてるバスは走り去ってしまいますよ、あなたのことなど待ってませんよ」といことですね。比喩的な表現ですね。

 これがまたゾロでてきたわけですね。

 「TPP というバスに乗り遅れるな。これが終バスだ」という脅しというか、煽りというか、まさに二者択一によるイエスかノーかという扇動そのものです。冒頭の写真に掲げた「アオリイカ」ではありませんが、この「煽りイカども」がっ、と罵りたくなります(笑)

 冗談はさておき、「TPP問題」が国内を二分する状況になってきています。

 この問題は立場によって、まったく異なるスタンスをとることになるので、そもそも世論を統一することじたいが難しいものがあります。マスコミが色分けするように、ただたんに経済界と農業界との対立に矮小化するのはきわめて危険です。

 「TPP」については、総論ではなく、業界ごと、業種業態ごと、地域ごと、事業主体ごと、あるいは国民一人一人ごとについて、こまかくメリットとデメリットを見ていかないとあまり生産的な議論はできません

 「総論賛成、しかし各論反対」あるいは「総論反対、しかし各論賛成」といった不毛な議論に陥りがちだからです。


TPPって、そのそも何の略語でしょう?

 ここでは、「TPP」の中身についてはさておき、「TPP」というコトバそのものにまつわる問題点を指摘しておきましょう。

 まず「TPP」は英語の略語ですが、正式名称を言える人間は果たしてどれだけいるのでしょうか?

 「環太平洋経済協定とかいっているから、P は太平洋の Pacific だろう。さて最初の T は? 最後の Pは何だろう?」というのが、比較的英語のできる人の反応でしょう。

 わたしもじつは知らなかったので、調べてみました。

 「TPP」とは、Trans Pacific Partnership の略称のようです。直訳すれば「環太平洋パートーナシップ」。経済のけの字もでてきませんね。"悪名高き" 米通商代表部(USTR)のウェブサイトには、以下の定義が掲載されています(・・2011年11月14日現在)。ここで"悪名高き" とあえて書いたのは、1990年代のクリントン政権時代の「スーパー301条」のごり押しを思い出していただきたいからです。

The Trans-Pacific Partnership (TPP) Agreement is an Asia-Pacific regional trade agreement currently being negotiated among the United States and eight other partners. The United States’ TPP negotiating partners are Australia, Brunei, Chile, Malaysia, New Zealand, Peru, Singapore, and Vietnam.

(私訳)環太平洋パートナシップ(TPP)アグリーメントは、アジア太平洋地域の貿易通商協定で、米国と8つのパートナー諸国とのあいだで現在交渉中のものの一つである。米国の TPP交渉パートナーは、(ABC順に)オーストラリア、ブルネイ、チリ、マレーシア、ニュージーランド、ペルー、シンガポールおよびベトナムである。

 アジア諸国で交渉に参加しているのは、ブルネイ、マレーシア、シンガポールとベトナムのみ。オーストラリアとニュージーランドはアジアに入れるかどうかは検討の余地があります。

 これで環太平洋というのは、すくなくともアジア側にかんしていえば「羊頭狗肉」ではないでしょうか? 

 あるいは「希望的観測」というべきかもしれません。これに日本が加われば、たしかにアジアという色彩もでてきますが、中国も韓国もインドネシアもタイも交渉参加していないの現状からいえば「羊頭狗肉」と言わざるを得ないでしょう。


「TPP」 は 「BSE」と同様に「めくらましコトバである

 わたしがもっとも違和感を感じるのは、TPPの内容もさることながら、マスコミが使用する日本語についてです。

 「TPP」を報道するマスコミ各社は、あきらかに間違っている日本語を意図的に使用しています。

 具体的に言いましょう。野田首相が APEC でTPP参加を表明する直前まで、マスコミは「賛成派」に対して「慎重派」という二分法の表現を使い続けていました。

 「賛成派」の対語は「反対派」だったのではありませんか? 「慎重派」の対語は「推進派」でしょう? 違いますか?

 「賛成派」に対して「慎重派」という存在は、アンケート結果では通常、広い意味の「賛成派」として一括することのあるカテゴリーわけです。狭い意味では「賛成派」が●%、広い意味での「賛成派」が◎%といったような使い方ですね。

 したがって、「慎重派」というコトバからは、全体の「空気」は「賛成派」であり、時間がたてば「慎重派」は「賛成派」に収斂(しゅうれん)されるというニュアンスを醸し出そうとしているのではないかと勘ぐりたくなるのです。あきらかに「反対派」が存在するのにかかわらず、あえて「見える化」を避けているような印象

 「賛成派」の対語は「反対派」、「慎重派」の対語は「推進派」でしょう?

 日本語をゆがめてまでも、なんとか「TPP」を推進しようという姿勢には、世論論操作の匂いを感じるのは、わたしだけではないでしょう。なにか不信感さえ感じませんか?

 わたしは「国語」の教師ではありませんが、「賛成派」の反対語を述べよという設問で、「慎重派」と回答した生徒には、当然のことながら×(バツ)をつけます。「賛成派」の反対語は「反対派」だからです。

 ただしい対語表現はまとめると以下のようなものでしょう。「国語」の授業を思い出してみましょう。

「賛成派」 ⇔ 「反対派」
「推進派」 ⇔ 「慎重派」
「積極派」 ⇔ 「消極派」

 「TPP」という略語表現には「BSE」と似た匂いを感じます。

 「狂牛病」(mad cow desease)という、強烈なイメージをともなった、きわめて明解な表現を葬り去って「BSE」という専門用語だが、一般的な英語人ですら意味のわからない略語に置き換えて報道を続ける姿勢にも似た「いかがわしさ」の匂いです。

 「BSE」という略語については、スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」についてという記事に書きましたのでご参照くださると幸いです。

 「TPP」も「BSE」も、略語のもとの英語まで知っていなければ、いやもし知っていたとしても、一般人には何のことかさっぱりわかりません。その意味では「TPP」もまた「めくらましコトバ」以外の何者でもありません。

 かつて思想家の鶴見俊輔は、大東亜戦争中に流行した「八紘一宇」などの表現をさして「お守りことば」と名づけて用心することを促しました。

 意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがないのが、鶴見俊輔のいう「お守り言葉」です。スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929)をご参照いただきたいのですが、「お守り言葉」は、ある意味では「めくらまし」コトバと同じ機能をもっていますね。

 こういった「めくらまし」コトバや、明らかな日本語の誤用には、批判的に対応しなければならないことは言うまでもありません。

 そうでなくても、あいまいなものをあいまいなままにして、わかった気分にさせてしまう日本語。中身を吟味することなく「空気」というムードだけで、いい悪いを論じることほど、愚かでかつ危険なことはありますまい。

 あなたはTPPの
 「賛成派」ですか? 
 「反対派」ですか?
 「推進派」ですか?
 「慎重派」ですか?
 「積極派」ですか?
 「消極派」ですか?

 それとも
 「無関心派」ですか?

 まさに「愚問」ですね(笑)



<ブログ内関連記事>

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について
・・めくらましとしてのローマ字略語は、狂牛病というわかりやすいコトバを隠蔽し、BSE(?)といういかにも専門用語で語るやり口に酷似

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・スローガンや鶴見俊輔のいう「お守りことば」には要注意。「意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがない「お守り言葉」。 

書評 『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ-』 (畑村洋太郎、講談社現代新書、2011)
・・「未曾有」と「想定外」というコトバもまた、専門家がクチにする責任回避のコトバ以外の何者でもない 





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