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2021年12月7日火曜日

書評『おんな二代の記』(山川菊栄、岩波文庫、2014)ー 維新から始まる母娘の人生でつづる日本近現代史

 

『おんな二代の記』(山川菊栄、岩波文庫、2014)を先頃読み終えた。単行本初版は1956年の出版。  


「おんな二代」とは、著者の山川菊栄(1890~1980)とその母・千世(ちせ 1857~1947)のこと。水戸藩の儒者という知識人家庭に生まれ育った千世と、その娘で社会主義者になった菊栄。いずれも90歳まで長生きをしている。 

全体の3/4は山川菊栄の自伝であり、残りの1/4はその前史ともいうべき母親の人生で構成されている。当然のことながら、菊栄の子ども時代から学生時代までの人生は、母親の人生と重なっている。

男性中心で政治史あるいは経済史として語られることの多い日本近現代史だが、女性ならではの視点で、しかも学問と生活という観点から語られるのが本書の特色だといえよう。女性史といっていいし、社会史ともいっていい内容の本だ。 

母親が体験した維新後の日本も興味深いが、女性問題を社会主義の観点から解決しようと志し、社会主義者になった山川菊栄の回想が中心になっている。 山川均・菊栄夫妻との関係からみたアナキストの大杉栄など、菊栄からみた同時代人としての社会主義者群像も含め、登場する事物のすべてが具体的に語られているのがいい。 

本書の最大の山場は、関東大震災(1923年9月1日)であろう。 著者の山川菊栄にとっても、戦前日本の社会主義運動にとっても、大きな分水嶺となった出来事だからだ。

きわめて個人的な回想が語られるが、流言飛語が飛び交うなか、「朝鮮人」だけでなく「主義者(=社会主義者)」も虐殺の対象になったことが、手に取るようにナマナマしく描写されている。大杉栄夫妻とその子どもが虐殺されたが、山川夫妻と子どもは危うく難を逃れることができたのであった。 

1925年の「普通選挙法」と抱き合わせで成立した「治安維持法」によって、社会主義者にとっては20年にわたって暗い時代が始まることになるが、分水嶺は「関東大震災」にあったことがよくわかる。 

山川菊栄は、こんな文章を記しているので引用しておこう。

渋沢栄一翁はこの震災を、国民がおごりたかぶるのを天が見かねてこらしめるために下した天譴(てんけん)だといいました。なにしろああいう大金持ちのいうことですから、一も二もなく信用されて、たちまち天譴説がはやりました。が、天はほんとうにそう思っていたかどうか・・。(本書の「天災と人災」P.359) 


渋沢栄一が語ったとされる「天譴」(てんけん)は、天による譴責という意味で解してよいだろう。厳しい咎めのことだ。現代の日本語なら「天罰」といったほうが通りがよいかもしれない。

ちなみに、永井荷風は『断腸邸日乗』に、「外観をのみ修飾して百年の計をなさゞる国家の末路は即此の如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ。」と記している。そう考えると、大震災を天罰と捉える見方は、当時の日本人にとってはけっして不自然なものではなかったのであろう。

渋沢栄一に代表される資本家の視線と、山川菊栄をはじめとして弾圧の対象となった社会主義者の視線は、違っていて当然のことだろう。ここでは、「天はほんとうにそう思っていたかどうか・・」という控えめな物言いではあるが。もちろん、さまざまな視線で語りうるのが歴史というものである。単一の歴史観ほど認識を誤らせるものはない。

その意味でも、社会主義者で女性であった著者による回想録は、主義主張の違いを超えて、時代の証言として面白い読み物であったし、これからも読まれるべき古典であると言っていいだろう。


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2021年4月13日火曜日

書評『メルケル 仮面の裏側』(川口マーン恵美、PHP新書、2021)-「ドイツ再統一」前後から現在に至る現代ドイツの30年間の歴史をメルケルという政治家に即して考える

 

「ドイツ再統一」(1990年10月3日)からすでに30年が経過した。30年といえば1世代に該当するが、その半分以上の16年ににわたって首相の座にいるのがアンゲラ・メルケルという旧東ドイツ出身の政治家だ。

すでに「再統一」を実現したヘルムート・コール元首相の16年間と並んで、「戦後ドイツ」を代表する存在となったといっていいだろう。

現在66歳のメルケル氏は、今年2021年で首相の任期を終えて辞任することになっているが、ドイツでの人気は依然として高い。はたして「メルケル後のドイツ」はどうなるのだろうか? 

メルケルについて書かれた本は日本語でも少なくないが、いずれも礼賛傾向が強い。だが、ドイツに暮らし、メルケルを20年にわたって観察してきた著者は、メルケルをかなり辛口に捉えている。 

メルケル時代の16年間にドイツ社会が変化したこと、端的に言ってしまえば「左傾化」し、異論を許さない全体主義的傾向に向かっているというのが、実感にもとづく著者の見解だ。

その理由として、社会主義と訣別したはずのメルケルの変節、いや社会主義への原点回帰にあるのではないかと著者は見ているようだ。 

メルケルがどのように社会主義国の東ドイツで育ち、どのようにドイツ再統一前後に政治家として頭角を現し、日本なら「大政翼賛会」と批判されてもおかしくない「大連立状況」のなかで、いかに自分が属するCDUという保守政党を骨抜きにして左傾化させてきたか。

日本の「3・11」後の「反原発」しかり、シリア難民の受け入れを推進した「難民対策」しかり、ドイツ産業界のバックアップをもとにした「中国への傾斜」もまたそうだ。 

時代の流れを読む能力に長け、気を見るに敏であるからこそ、メルケルは16年にもわたって首相の座にいるわけである。メルケルという政治家の言動を追っていくと、その間のドイツ社会の変化が反映されていることがわかるのだ。 

「ドイツは日本の反面教師である」という副題に、著者の主張が込められているといっていいだろう。私も著者の主張に同感だ。 


目 次
プロローグ 
第1章 眠るメルケル-「赤い牧師」の子 
第2章 目覚めるメルケル-社会主義からの訣別 
第3章 動き出すメルケル-完璧な記者会見と選挙活動 
第4章 羽ばたくメルケル-ドイツ統一の事務方として 
第5章 考えるメルケル-「権力は必要なものです」 
第6章 戦うメルケル-裏切りと勲章 
第7章 豹変するメルケル-EU の大地に咲く大輪のダリア 
第8章 君臨するメルケル-国民を味方に付ける快感 
第9章 世界を救うメルケル-「ドイツ人は理性を失った」 
第10章 微笑むメルケル-一瞬で保守を葬り去る 
第11章 ヒューマニスト・メルケル-100年後の世界 
第12章 永遠のメルケル-誰も何も言い出せない 
第13章 シンデレラ・メルケルの落日 
エピローグ

著者プロフィール
川口マーン惠美(かわぐち・まーん・えみ) 
作家、ドイツ・ライプツィヒ在住。日本大学芸術学部卒業後、渡独。1985年、シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。2016年、『ドイツの脱原発がよくわかる本』で第36回エネルギーフォーラム賞・普及啓発賞受、2018年に『復興の日本人論 誰も書かなかった福島』が第38回の同賞特別賞を受賞。


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書評 『ドイツリスク-「夢見る政治」が引き起こす混乱-』(三好範英、光文社新書、2015)-ドイツの国民性であるロマン派的傾向がもたらす問題を日本人の視点で深堀りする

書評 『本音化するヨーロッパ-裏切られた統合の理想』(三好範英、幻冬舎新書、2018)-いまヨーロッパで進行中の状況を理解するヒント

書評『西洋の自死-移民・アイデンティティ・イスラム』(ダグラス・マレー、東洋経済新報社、2018)-かつて世界を支配したこともある「文明」は滅亡へと向かう不可逆のプロセスにある

中流社会が崩壊に向かい格差社会が進行している現代ドイツの状況を知る3冊-『そしてドイツは理想を失った』『メルケルと右傾化するドイツ』『ドイツ帝国の正体ーユーロ圏最悪の格差社会-』

ドイツを「欧州の病人」から「欧州の優等生」に変身させた「シュレーダー改革」-「改革」は「成果」がでるまでに時間がかかる
・・大連合によって成立したメルケル政権は「シュレーダー改革」の延長線上にある

ドイツが官民一体で強力に推進する「インダストリー4.0」という「第4次産業革命」は、ビジネスパーソンだけでなく消費者としてのあり方にも変化をもたらす

書評 『なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力40年戦争の真実-』(熊谷 徹、日経BP社、2012)-なぜドイツは「挙国一致」で「脱原発」になだれ込んだのか? 



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2021年1月18日月曜日

映画『マルクス・エンゲルス』(2016年、ドイツ・フランス・ベルギー)― 若き日のマルクスをエンゲルスとの出会いと盟友関係のなかで描いた「青春映画」?




『サピエンス異変-新たな時代「人新世」の衝撃』(ヴァイパー・クリガン=リード、飛鳥新社、2018)という本を読んでいて、19世紀半ばに「産業革命」がもたらした労働災害を描いたエンゲルスの古典的ルポルタージュ『イギリスにおける労働者階級の状態-19世紀のロンドンとマンチェスター』が何度も言及されていたので、ふとこの映画の存在のことを思い出したのだ。公開された際に見に行かなかったのは岩波ホールだから。あそこはタバコ臭いから嫌いだ(笑) 

原題がフランス語で "Le jeune Karl Marx" (英語なら The Young Karl Marx)とあるように、1818年生まれのカール・マルクスが、あの「マルクス」になるまでの、『共産党宣言』(1848年)発表までの若き日の20歳台のマルクスを描いた「青春映画」(?)だ。日本語版のタイトルが「マルクス・エンゲルス」になっているのは、日本ではその方が通りがいいからだろう。 

なかなかよくできた映画だと思う。117分が短く感じられる、エンターテインメントとして面白い作品であった。




舞台は大陸ヨーロッパと英国。19世紀半ばのプロイセン王国ケルンから始まり、フランスの首都パリ、産業革命後のイングランドは工業都市マンチェスターと首都ロンドン、そしてベルギー王国のブリュッセル(・・ベルギーは1830年に独立した新興国)。セリフはマルクスとエンゲルスの母語であるドイツ語、フランス語、英語である。 

大学で哲学を専攻した急進派ジャーナリストで、改宗ユダヤ人の弁護士の息子であったカール・マルクス。経営者の跡取り息子で、マンチェスターにある紡績工場の代理を務めていたブルジョワ階級のフリードリヒ・エンゲルス。生まれも育ちも真逆のような2人であった。

共通しているのはドイツ人であることと、労働問題に多大な関心を持っていたということだったが、この2人がパリで再会し、生涯の盟友となったことで、その後の近現代史のコースができあがってしまったのである。それは、レ・ミゼラブル』のラストシーンから10数年後のパリだ。 




私自身はもともと「反共」の家に生まれ育ったこともあって、社会主義はまだしも、共産主義には断固反対の立場である。 だが、それはそれとして、マルクスとエンゲルスについては、知っていくべき「常識」である。この映画は、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』の副教材(?)としてもいいくらいだ。 拙著でもエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に言及している。

というのは、マルクス本人とマルクス主義は別物だからだ。ブッダとブッダ主義が別物、イエスとキリスト教が別物であるのと同じ事だ。エンターテインメントとして楽しめばいい。いつの時代でも若者が反抗するのは当然だからだ。映画の終わりにボブ・ディランの Blowing in the Wind が流れるのは、製作者の時代観がもろにでている。 

とはいいながら、この映画が、マルクス主義がもたらした人類史上の災難に「免疫」をもたない若者たちへの勧誘として使われることには反対だ。格差問題など解決しなければならない問題が山積しちるが、マルクス主義はすでに失敗しただけでなく、人類に大きな災難をもたらしたことも同時に知らせなくてはならない。

結論としては、基本的にエンターテインメント作品ではあるが、製作者の意図はよく読み込んだ上でエンターテインメント作品として楽しむべきだろう。 

ただ私として残念なのは、おなじくドイツ出身の改宗ユダヤ人の詩人ハインリヒ・ハイネとのパリ時代の交流が描かれていないことだ。 

プルードンやバクーニンなど、高名な社会主義者との交友を中心に据えた脚本の必要上であろうが、たいへん残念なことであった。若きマルクスを知る上で、同郷の先輩ハイネとの交友が欠かせないはずだからだ。

かつてハイネといえば、日本では「愛を語る抒情詩人」という位置づけだったが、ハイネが体制批判を社会風刺の詩や論文で行っていたことが、かならずしも知られていないのも残念なことだ。だからドイツを脱出して、フランスで人生を終えることになったのである。

ハイネが読まれなくなっているのは残念だ。いや、そもそもドイツ文学じたいがもう読まれなくなって久しいのか・・





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2018年8月5日日曜日

書評『ロシアと中国  反米の戦略』(廣瀬陽子、ちくま新書、2018)ー「離婚なき便宜的結婚」というフレーズに見る「中ロ蜜月」のタテマエとホンネ


 英米を中心に(・・トランプ大統領は別だが)ロシアとプーチンを非難する姿勢や論調が支配的だが、実際はどうなのか疑って見る必要はある。
 
逆にそういった論調がロシアを中国に追いやって、「反米」を国是とした「中ロ蜜月」状態を作り出しているのではないか、と。 たしかに、権威主義的な国家資本主義体制という点においては共通する中ロ両国ではあるが・・・。

そんな印象をもっているので、『ロシアと中国 反米の戦略』(廣瀬陽子、ちくま新書、2018)という出版されたばかりの新刊書をさっそく読んでみた。この著者の著作は、わたしはほとんど読んでいる。 

論旨が行ったり来たりして、やや重複感がなきにしもあらずだし、著者の専門が旧ソ連なので中国の分析がやや手薄で物足りなさを感じることは否定できないが、「中ロ蜜月」のタテマエとホンネを、さまざまな側面で検証しているので、ものを考えるための参考にはなる。

スパッと黒白で割り切れない、まどろっこしい叙述そのものが、「中ロ関係」にかんしてはホンネとタテマエが明確に区別できないあいまいなものであることを示唆しているともいえよう。

ロシアは中国を必要とし、中国もロシアを必要としている。こういうものの見方が「中ロ蜜月」論を生み出しているのだが、たしかにお互いが必要としあっていることは事実であるものの、呉越同舟とまでは言わなくても、双方の思惑にはどうやら少なからぬズレがあるようだ。 

というのも、ロシアは中国経済に期待しており、中国はロシアの資源と最新軍事技術に期待している。だが、中国の「一帯一路」は、ロシアの「影響圏」(sphere of influence)、とくに中央アジアの旧ソ連圏(カザフスタン・ウズベキスタン・タジキスタン)においては食い込んでおり、ロシアの利害に抵触しかねない状況である。

しかし、ロシアは「忍の一字」のようだ。経済力の点ではますます中ロの格差が開く一方だし、中国と長い国境線を接しているロシアは、中国とは軍事的な衝突は回避したいのがホンネのようだ。 

著者は、こうした中ロ関係を「離婚なき便宜的結婚」というフレーズを使用して説明している。お互いが必要としあっているので離婚はしないが、あくまでも自己利益第一の関係であって、そこには愛情はないということだろう。別の箇所では「偽装蜜月」などという表現もでてくる。 

そもそもロシアは、はたして現在でも「大国」なのかどうかも疑ってみるべきだ。たしかに周辺の小国にとっては依然として大国であることは否定できないし、いまだに核弾頭を所有し、周辺諸国に軍事的圧力を掛けているロシアだが、もはやかつてのソ連のような圧倒的存在ではない。いまでは一隻しかない空母も、実質的に不稼働資産と化している。

いまのロシアは、「大国」イメージをうまく活用しているだけなのではないか? 冷戦時代のソ連の位置に、現在では中国が取って代わったというべきだろう。「米ソ冷戦」から「米中冷戦」へという流れは、まさに象徴的だ。

長い目で見れば、ユーラシア地域の歴史は、モンゴル帝国の後継者である中国とロシアのせめぎ合いの歴史である。ロシアが優勢なときは中国は劣勢であり、中国が優勢な現在はロシアは劣勢である。おそらく長期的には、ふたたび逆転現象が見られるかもしれない。とはいえ、今後数十年は中国が優勢の状態が覆されることはなさそうだ。

つまり、現在ではロシアと中国は対等な関係ではなく、著者によれば、ロシアはすでに中国の「ジュニアパートナー」(弟分)的存在だという見解もロシア人研究者のあいだでは少なくないらしい。わたしも同感だ。 

この本は、基本的に「ロシア側からみた中国」についてのものだが、逆に「中国側からみたロシア」についても考えてみたい。おそらく、中国にとっての最大関心マターは米国であって、ロシアはワン・ノブ・ゼムに過ぎないのかもしれないが・・・。 


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目  次  
序章 浮上する中露-米国一極支配の終焉  
第1章 中露関係の戦後史-警戒、対立、共闘  
第2章 ロシアの東進-ユーラシア連合構想とは何か  
第3章 中国の西進-一帯一路とAIIB  
第4章 ウクライナ危機と中露のジレンマ  
第5章 世界のリバランスと日本の進むべき道 
あとがき  注  主要参考文献

著者プロフィール 
廣瀬陽子(ひろせ・ようこ)  
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了・同博士課程単位取得退学。政策メディア博士(慶應義塾大学)。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。著書には『コーカサス 国際関係の十字路』(集英社新書、アジア・太平洋賞特別賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事> 

書評 『帝国自滅-プーチン vs 新興財閥-』(石川陽平、日本経済新聞出版社、2016)-ロシアを政治や軍事だけで判断するなかれ。基本は経済であり財政だ

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?

書評 『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(グレアム・アリソン、藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2017)-「応用歴史学」で覇権交代の過去500年の事例に探った「トゥキディデスの罠」

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)-海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

JBPress連載コラム第22回目は、「日本は専制国家に戻るロシアを追い詰めてはいけない-「東洋的専制国家」の中国とロシア、その共通点と相違点」(2018年3月27日)

JBPress連載コラム16回目は、「「米中G2時代」の現実から目をそらしてはいけない-日本人が想像する以上に長くて深いアメリカと中国の関係」(2018年1月2日)

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態


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2014年3月20日木曜日

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む



『テロルの決算』と『危機の宰相』は、「戦後」の転換点となった1960年(昭和35年)を沢木耕太郎の傑作ノンフィクションである。

1960年とは「安保反対」が国民的な運動になった年であり、そしてその挫折後に「高度成長」が「所得倍増」というスローガンのもとに開始された年でもある。

2014年という現在から振り返れば、1868年の明治維新以来の課題であった日本の「近代化」を完成させるステッピングボードになった年だといえるだろう。

『テロルの決算』『危機の宰相』は、文春文庫からそれぞれ新装版と新刊として2008年に出版されたが、この二冊はあわせて読むべきだ。もしまだ読んだことがなければ、まずは『テロルの決算』を読み、そのうえで『危機の宰相』を読むべきだろう。

『テロルの決算』(文春文庫、2008、1982 単行本初版 1978
『危機の宰相』(文春文庫、2008 単行本初版 2006、2004 雑誌発表 1977
『未完の六月』ついに「未完」に終わった

この二冊はもともと三部作として構想されていたものが二部作で終わってしまったものなのだという。『危機の宰相』の「あとがき」で著者自身が語っているが、『テロルの決算』『危機の宰相』『未完の六月』が書かれる予定だったらしい。「安保闘争」そのものを描くはずだった『未完の六月』はついに「未完」に終わってしまった



『テロルの決算』-「苦悩と信念」

『テロルの決算』は、1960年の浅沼稲次郎(社会党委員長)暗殺事件をテーマにした超有名な傑作ノンフィクションだ。暗殺の決定的瞬間を撮影した写真はあまりにも有名だが、じつはいまのいままで読んだことがなかったのだ。

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主人公のテロリスト・山口二矢(やまぐち・おとや)は17歳の憂国の右翼少年であった。多くの読者は『テロルの決算』の、とくに17歳の山口二矢に感情移入に近いものを感じるだろうなと、読みながら思った。

単行本として出版されたのが1978年、そのときわたしは16歳から17歳にかけての年であったのだが、本の存在すら知らなかったのは幸いだったのか、それとも不幸だったか。おなじく反共で右翼的傾向をもっていた1978年当時の自分が読んでいたら、いったいどんな感想をもったことだろうか。

17歳のとき読まなくてよかったかもしれない、そう思うのは正直なところだ。

17歳男子というのは観念論に傾きがちな年頃である。高校を卒業すると踏み入れることになる「大人の世界」という清濁あわせた現実をよく知らないため、どうしても観念論が肥大化しがちであり、肥大化したな観念論はも過激な行動に結びつかないとも限らないピュアといえばそのとおりなのだが、イノセントというのは無知と同義語でもある。

三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

近代日本の「行動主義」の源流にそびえ立つ「革命家」西郷郷隆盛が『西郷南洲遺訓』でそう語っているとおりである。そうでないと突破力は生まれない。

1960年当時17歳(セブンティーン)であった「憂国」の右翼少年は、よくよく考えてみれば1943年(昭和18年)生まれであり、団塊世代より前の世代である。

「自分のアタマで考え、自分で実行した」この少年は、自らの命もまた自分で決めて始末(=自決)したので、「永遠の17歳」として結晶化されてしまったのだが、もし現在まで生きていたとしたら71歳(=セブンティーワン)である。セブンティーンとセブンティーワン。ふとそんなことに気がついた。

もう一人の主人公、暗殺された側の浅沼稲次郎も、暗殺されなかったらおそらく歴史に名を残すことはなかっただろう。

わたしもこの名前は暗殺された人としてのみ記憶していたが、『テロルの決算』を読みながら思ったのは、年齢の問題よりも、厳しい時代に社会主義者として彼が生きてきた人生の軌跡がじつによく描かれているからだ。

本来ならまったくなんの関係もなかった17歳の憂国少年と61歳の庶民派の老政治家。この二人の人生を交錯させながら描いた『テロルの決算』は、傑作としか言いようがない。文体もまた完全に三人称を貫いていながら主人公の二人に寄り添ったものであり、安易な感情移入を排していながら根底には熱い思いがあることを感じさせるからだ。

だが、『テロルの決算』についてのみ感想を記すのはすごくむずかしい。主人公の少年が暗殺者でありテロリストであるからだ。

『テロルの決算』には、「事件後」のてんまつとして、つぎのような記述がある。

玉川学園は二矢(おとや)がかつて在籍したことを隠したり恥じたりするようなことはしなかった。小原国芳(おばら・くによし)は事件後も二矢を自分の大切な生徒とみなし、山口夫妻をその両親として以前と少しも変わらぬ暖かい遇し方をした。(P.302)

高校を中退して「縁」が切れていたはずの少年を、「事件後」も自分の生徒として受け止めた教育者の大きな「愛」に深い感銘を受けたと書いておきたい。



『危機の宰相』-「夢と志」

『危機の宰相』の主人公は、「所得倍増」というスローガンで「高度成長」を実現した自民党の池田勇人首相を中心とした三人の明治生まれの元大蔵官僚たちである。


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池田勇人を支えた二人とは、「高度成長」のイデオローグとなった官庁エコノミストの下村治、池田勇人と下村治をつなぐ役割を果たした自民党の宏池会事務局長であった田村敏男

『危機の宰相』の主人公は、みな大蔵官僚出身で旧制高校と東京帝大の出身者という絵に描いたようなエリートである。だが共通するのはそれだけではない。みな病気やその他の理由で、キャリアと人生において大きな挫折を経験した「敗者」(=ルーザー)であったという点だ。

日本じたいが「敗戦」によって大きな挫折を経験したのである。広い意味でいえば大東亜戦争の敗戦によって、日本人すべてが「敗者」となったわけである。

だが、大きな挫折を経験し、敗者として傍流に追いやられた人たちだからこそ、民族のエネルギー解き放ち、日本の復興と発展を実現するプロモーターになったという逆説。これが『危機の宰相』に一貫して流れるテーマである。

『危機の宰相』は、「ジャパン・ミラクル」誕生の物語でもある。ハーバード・ビジネススクールのヴィートー教授は、日本の「高度成長」を空前絶後の「ジャパンミラクル」と呼んでいる。

西欧先進国にキャッチアップするという明治維新以来の夢は、東京オリンピック(1964年)と大阪万博(1970年)というセットによって実現し、大東亜戦争の敗戦でいったん大きく「挫折」した日本にとっての「近代」という見果てぬ夢は、1970年前後にはほぼ完成することになる。まさにこの「軌跡」は「奇跡」(ミラクル)であったのだ。

『危機の宰相』という本は、借り物ではなく独自の理論を生み出したにかかわらず、世に知られることがなかった経済学者・下村治を正当に評価したいという「義侠心」が出発点にあると著者自身が語っている。 『テロルの決算』の主人公・山口二矢を書いたのとおなじ「義侠心」である。

『危機の宰相』 のもう一つのテーマは、満洲国の存在と戦後日本におけるその意味である。

満洲国建設に人生を賭けた官僚・田村敏男は、日本の敗戦による満洲国解体後にはシベリア抑留も体験しているが、人生の意味を喪失して虚脱状態となっていた。戦後の黒子としての縁の下の活躍は、戦後日本復興と高度成長を、挫折に終わった満洲国建設の再現と考えていたのではないかと思わせるものがある。

「敗者」となっても、それを精神的なバネとして再起を図ること。その意味を読む人につよく感じさせるノンフィクションなのでもある。

『危機の宰相』は人物ノンフィクションでありながら、すぐれた文章による経済ノンフィクションでもある。著者が経済学部出身であるだけでなく、じつに綿密に取材を行い、経済文献も読みこんでいるからだ。



『テロルの決算』と『危機の宰相』はあわせて読むべき

「1960年」という戦後の転換点になった年を人物に即して描いた二部作。この二冊はあわせて読むべきだ。もしまだ読んだことがなければ、まずは『テロルの決算』を読み、そのうえで『危機の宰相』を読むべきだろう。

「反米」意識をつよくもっていた左翼、「反共」の立場でつよい危機感を感じていた右翼、ともにナショナリストの心情から発した「アンチ」という性格を根底にもった政治姿勢であったことは共通している。

その左右両翼の政治的ナショナリズムを最終的に無力化したのが、自己肯定感に満ちた「経済ナショナリズム」であった。「アンチ」というネガティブな感情ではなく、経済成長というポジティブな意識。

左翼でも右翼でもない中道保守路線への鮮やかな転換。「所得倍増」というスローガンに率いられた「高度成長」の物語。「所得倍増」という卓抜なスローガンを国民の多くが支持したからこそ、日本の復興は実現したのである。

『テロルの決算』につづけて『危機の宰相』を読むことで、「政治の季節」にとどめ刺したのが一本の短刀であったことを立体的に理解できる。どちらか一方だけでは足りないのである。その意味では、『テロルの決算』と『危機の宰相』はセットなのである。

ほんとうは安保闘争そのもの描くはずだった『未完の六月』があったらよかったのだろうが、安保闘争についてはあまりにも多くのことが語られてきたので、それはそれでいいだろう。別に読むべき本はたくさんある。

『テロルの決算』には、17歳の少年と61歳の老政治家という二人の人生の一瞬の交錯に「生から死への跳躍」がある。『危機の宰相』には、「所得倍増」にかけた三人の「敗者」(=ルーザー)に、死から生への道をつけた情熱がある。そして共通するのは、いずれも信念と志をもった人たちであったということだ。

1960年前後を描いたこの二冊は、「1960年」という年が「戦前」と「戦後」をつなぐ年であっただけでなく、1868年の明治維新以後の日本近代史を一貫して流れるテーマが凝縮した年であったといえるかもしれない。

そう思うのは、この二冊の主人公の五人が、いずれも「戦前」の生まれであったことだ。「戦前」と「戦後」は当然のことながら断絶しているわけではない。若い順に並べてみよう。

山口二矢(やまぐち・おとや 1943~1960) 右翼少年
下村治(しもむら・おさむ 1910~1989) エコノミスト(経済学博士)
池田勇人(いけだ・はやと 1899~1965) 自民党総裁
浅沼稲次郎(あさぬま・いなじろう 1898~1960) 社会党書記長
田村敏男(たむら・としお 1896~1963) 宏池会事務局長


『危機の宰相』では1960年までの国家官僚は「国士」としての意識を濃厚にもっていたことが語られている。国のために尽くす、国と国民のために貢献したいというつよい思い。

右翼少年の山口二矢は当然のことながら、浅沼稲次郎もまた国家社会主義として出発した人であり、国士的なものをもっていた。

そう、みな「国士」だったのだ。ナショナリズトだったのだ。しかも、みな「敗者」であり「傍流」であり「時代への違和感」をつよく感じていた人たちであった。だからこそ、「自分のアタマで考え、自分で実行した」人たちとなったのかもしれない。とかく少数派はものを考えざるをえない

忘れてはならないのは、生き残った「敗者」たちの背後にある大きな犠牲についてだ。日本近代史は、きわめて大きな犠牲のうえに成り立っているということ。高度成長もまた同じだ。

いまさら「1960年」なんてむかしのことを考えてどうするのだという疑問もあるだろう。だが、日本と日本人が「世界の静かな中心」として生き続けていく限り、民族の底力がどこにあるかを感じとるためにも、沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 は読む必要があるのだとつよく思うのである。

「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。




『テロルの決算』

目 次
序章 伝説
第1章 十月の朝
第2章 天子、剣をとる
第3章 巡礼の果て
第4章 死の影
第5章 彼らが見たもの
第6章 残された者たち
第7章 最後の晩餐
終章 伝説、再び
あとがきⅠ
あとがきⅡ
あとがきⅢ
主要参考文献


『危機の宰相』

目 次
序章 ささやかな発端
第1章 黄金時代
第2章 戦後最大のコピー
第3章 第三のブレーン
第4章 敗者としての池田勇人
第5章 敗者としての田村敏雄
第6章 敗者としての下村治
第7章 木曜会
第8章 総理への道
第9章 田文と呉起
第10章 邪教から国教へ
第11章 勝者たち
第12章 やがて幕が下り
終章 世界の静かな中心
あとがきⅠ
あとがきⅡ
主要参考文献
解説 父が見た「危機の宰相」(下村恭民)

著者プロフィール

沢木耕太郎(さわき・こうたろう)1947年東京生まれ。1970年に横浜国立大学経済学部卒業。若きテロリストと老政治家のその一瞬までのシーンを積み重ねることで、浅沼稲次郎刺殺事件を描ききった『テロルの決算』で79年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『一瞬の夏』(1981年 新田次郎文学賞)、『凍』(2005年 講談社ノンフィクション賞)など常に方法論を模索しつつノンフィクションに新しい地平を開いてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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