「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2015年1月3日土曜日

下総国の二宮神社(千葉県船橋市)に初詣(2015年1月3日)-藤原時平を祀る全国でもめずらしい神社

(二宮神社の拝殿)

ことし2015年の初詣は、千葉県船橋市の二宮神社にすることとした。といって、とくに理由があるわけではない。現在の居住地からそう遠くにあるわけでもないのに、いままで一度も参詣していないからというのが最大の理由だ。

二宮神社は、周辺の神社とあわせて4市9社で「下総三山の七年祭」が行われることで、それなりに有名らしい。船橋に住むようになってから5年がたったが、引っ越してきた2009年がちょうどその「七年祭」の年だったのにかかわらず、結局行けずじまいに終わってしまっていたのであった。

だが、次回の「七年祭」は2015年秋、先のことなどわからないわけだし、とにか積み残しの課題は早く解決するに越したことはない。というわけで、ことし2015年の初詣先としたわけだ。

(ご神木の大イチョウ)

下総国の一宮は香取神宮。二宮は・・

二宮神社は、千葉県船橋市三山5丁目20番1号にある。別名で三山明神(みやまみょうじん)ともいうのは土地と密着した関係があることがわかる。三山は御山からきているらしい。

二宮というからには一宮もあるわけだが、船橋市は下総の国であり、下総の国の一宮は全国的にも有名な香取神宮である。千葉県南部の上総の国は、太平洋岸の玉前神社が一宮であり、上総一ノ宮という駅名にもなっている。船橋市の二宮神社は、すでに鎌倉時代から下総の国の二宮とされてきたようだ。

二宮神社は、正直いって交通の便があまりよくない。クルマで行けばいいのだが、クルマがなければバスで行くか徒歩で行くしかない。バスならJR津田沼駅から20分、徒歩なら新京成電鉄の薬園台駅から歩いて20分かかる。初詣中は初詣ダイヤで、バスの本数はなぜか極端に少なくなっている。

(参道から拝殿を望む 鳥居の左にご神木のイチョウ)

創建は9世紀までさかのぼることができる古社だが、現在の社殿は18世紀後半に再建されたもので権現づくり。木彫りの昇龍の彫刻が雄渾である。やはり水にちなんだ神社なのであろう。鳥居をくぐると、いったん谷底を通ってから石段を上がって拝殿する仕掛けなっている。谷底には湧き水があったそうだ。

二宮神社は徳川家康以来、徳川将軍からの寄進は幾度にも及んだそうで、『成田参詣記』(1858年)には「三山明神の図」として登場する。成田山新勝寺の参詣ルートであった成田街道(・・現在の国道296号線)沿いにあるためだろう。成田街道からは、歩けば20分くらかかる。

(「三山明神社の図」 『成田参詣記を歩く』より)

本日は正月の三が日目なので、初詣客は思ったよりも多い。クルマで参詣に来る人も多いようで、駐車場に並ぶクルマの列には長いものがあった。


藤原時平+出雲系+八幡系という複雑な祭神

面白いというか不思議なのは祭神で、藤原時平と出雲系と八幡系が合祀されていることだ。にもかかわらず伊勢神宮ともかかわりが深いようで、正直いってなんだかよくわからない。

学問の神さまとなった菅原道真を太宰府に追いやった左大臣・藤原時平を主神として祀っているのは、この地域がもともと藤原氏の所領だったためらしい。藤原時平を祀った時平神社が隣接する八千代市にあるようだが、国民的には人気のない藤原時平を祀った神社は全国的に見てもめずらしいのではないだろうか。その意味でも参詣する意味があるのではないかと思ったのである。

祭神には出雲系もあり、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と櫛稻田比賣命(くしなだひめのみこと)の夫婦神、それに大國主命(おおくにぬしのみこと)。これに加えて、明治時代の終わりには八幡系の大雀命(おおささぎのみこと)と譽田別命(ほんだわけのみこと)が合祀されている。大雀命(おおささぎのみこと)は仁徳天皇譽田別命(ほんだわけのみこと)は応神天皇である。

道をはさんで反対側に神宮寺(真言宗豊山派)があるが、明治維新時の「神仏分離令」によって神社と寺が分離される以前は、二宮神社の別当寺であったらしい。二宮神社は、祭神にかんしては、なかなか複雑である。

ところで今回わたしは新京成電鉄の薬園台駅方面から、二宮神社まで歩いたのだが、薬園台駅近くの成田街道沿いでうれしい偶然の発見があった。湯殿山を中心とする出羽三山信仰の石碑である。

(成田街道の薬園台駅近くにある湯殿山信仰の石碑 筆者撮影)


船橋とその周辺は、出羽三山の湯殿山信仰圏のようだが、ここにも木食上人がいたのである。観信という名前だそうだ。木食とは五穀断ちをして木の実だけを食べてミイラ仏となる修行のことだが、18世紀に生きた観信の詳しい経歴はわからない。ここで高幢庵(こうとうあん)という庵を結んで木食の行をつづけたらしい。

さまざまな信仰が複雑に重なり合って存在してきたのが日本であるが、庶民信仰の世界というものは、思ったよりも深く、そして広いことを実感されたのであった。






<関連サイト>

二宮神社(公式サイト)

二宮神社(船橋市) wikipedia


<ブログ内関連記事>

初詣関連

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

卯年の正月にシロネコを見た (2011年1月5日) ・・船橋大神宮参詣の途上にて

辰年(2012年)の初詣は御瀧不動尊(おたき・ふどうそん)にいってきた

2013年の初詣は麻賀多神社(まかた・じんじゃ)にいってきた(2013年1月3日) ・・城下町佐倉(千葉県佐倉市)の神社

午年(うまどし)の「絵馬」は馬!-船橋大神宮に初詣(2014年1月3日)


下総国の鉄道

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る

書評 『京成電鉄-昭和の記憶-』(三好好三、彩流社、2012)-かつて京成には行商専用列車があった!


イチョウ

市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩


出羽三山の湯殿山信仰

庄内平野と出羽三山への旅 (11) 湯殿山で感じる「出羽三山の奥の院」の意味 ・・成田山新勝寺の成田修験は出羽三山の系統

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end