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2015年9月30日水曜日

「天使のトランペット」は、秋に咲く黄色で下向きのラッパ状の花


なんだかエキゾチックな花が咲いているのが目に入ってくる。だが、名前がまったく思い浮かばない。

誰かに聞いてみようかと思ったが、知らない土地だし、しかもその花が咲いているお宅の住人もいないのでたずねようもない。フェイスブックなどのSNSに画像を投稿して、情報をもっている人に回答を求めるという手もあるだろう。

だが、とりあえずネット検索で判明するかどうかトライしてみた


検索ワードは、「黄色 花 下向き ラッパ 秋」とした。まったく知らない植物なので、タグとなる検索ワードを多めに設定する。

花の色は黄色、しかも花は上向きではなく下向き、ラッパ状に開いており、いまこの季節は秋、だから。この植物の特徴を見た目から分解し、検索キーワードを想定してみたわけだ。なお、とくに強い匂いはなく、もっぱら視覚に訴えてくる花だ。

こういう場合は、画像検索してみるのがよい。その結果、この花が「エンジェルトランペット」だと判明した。ネット上には、すでに大量の画像がアップされている。タグで手繰り寄せることに成功したというわけだ。


この花が「エンジェルトランペット」とわかれば、あとは文字検索して情報を集めればよい。そうすると、まず検索されるのは「キダチチョウセンアサガオ属」という wikipedia情報だ(2015年9月30日現在)。冒頭の一節を引用しておこう。

キダチチョウセンアサガオ属(-ぞく、学名:Brugmansia)ナス科の属のひとつで、低木または高木である。学名のカタカナ表記で、ブルグマンシア属と呼ぶこともある。また、園芸名でエンジェルストランペット、エンジェルトランペット(Angel's Trumpet)と呼ばれることが多い。花言葉は、愛敬、偽りの魅力、変装、愛嬌。

なるほど、ナス科の植物のわけか。そういわれれば、色は違うが紫色のナスの花や、おなじくナス科の黄色い花を咲かせるトマトの花に似ているような気もする。

「原産地はアメリカの熱帯地方だが、暑さが苦手で高地にしか生息していない」、とある。ここでいう「アメリカ」とは南米のことだろう。wikipedia英語版でみると、Brugmansia are native to tropical regions of South America, along the Andes from Venezuela to northern Chile, and also in south-eastern Brazil. とある。つまり正確にいえば、南米の北部が原産地である。

園芸名でエンジェルストランペット、エンジェルトランペット(Angel's Trumpet)というのも、なるほどステキなネーミングだな、とも思う。天使のトランペット、か。『ヨハネの黙示録』には、七つの封印のうち第7の封印が子羊によってとかれた際に、神の御使いである天使がラッパを吹き鳴らす、とある。

キダチチョウセンアサガオ属の植物は広義のチョウセンアサガオの仲間であり、同様に有毒植物である。含まれている成分はスコポラミン(ヒヨスチン)、ヒヨスチアミンなどである。薬草に使われることもあるが、一般には毒草として扱われるので、取り扱いには十分注意が必要である。主に地下茎から抽出した成分は、聴覚性幻覚・急性痴呆・行動異状を引き起こす。(同上)

天使のラッパには毒がある!天使だから取り扱い注意というわけだな。

人に聞いてもわからない、たとえ聞いても的確な答えが返ってこないことも多い。そんなときは、検索テクニックを駆使して、自分で調べてむるのもいい。そのために必要なことは、よく観察して特徴をピックアップすることである。

画像検索にせよ、文字検索にせよ、自分の手を動かしてみることである。じつはこれがいちばん早いということも少なくない。「急がば回れ」ということだ。

この花の名前はもう忘れることはないだろう。



PS 画像検索ツール

この記事を書いたのは2015年のことだが、2024年の現在では、たとえば Google なら「Googleレンズ」というアプリが「画像検索」としてスマホで利用できる。ずいぶん便利になったものだな、と。(2024年5月12日 記す)


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「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura)にいってきた(2015年12月27日)-かつて隆盛を誇った産業都市リバプールの同時代の企業家たちが収集した作品の数々
・・エドワード・バーン=ジョーンズの 「フラジオレットを吹く天使」(1878年)は、まさに「天使のトランペット」である

(2015年12月30日 情報追加)


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2015年9月26日土曜日

生物の擬態(ぎたい)-草むらのなかに秋のカマキリ



たまたま草むらのなかでうごめくカマキリを見た。ひさびさにカマキリをじっくり観察した。

たしかにこれでは、人間の目から見ても、草とは区別がつきにくい。これを擬態(ぎたい)という。擬態とはミミックともいうが、要は環境にあわせて目くらましをすることだ。もっとも有名なのはカメレオンだろう。


カミキリは緑の草に擬態しているので、小さな虫はだまされてカマキリの餌食となる。このカマキリは大きな腹をしているので、おそらくメスだろう。すでにオスのカマキリは交尾のあとに食べられてしまっているのかも。

カマキリもまた季節感のある生き物だ。






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2015年9月22日火曜日

書評『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる ー 21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、アルテス、2015)ー 音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある



『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる ー 21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』は、音楽関係の書籍の専門出版社アルテスの新刊。

たまたま書店の店頭でみかけてすぐさま購入することにしたのは、「リベラルアーツとしての音楽」というテーマが、わたしには刺さるものがあるからだ。

「ハーバード白熱教室」の成功以来、ハーバードと冠につけた便乗本があふれている。だが、本書はそうではない。アメリカではじめて総合大学に音楽学科を新設したのがハーバード大学だからだ。ハーバード大学をはじめとするアメリカの著名な総合大学における音楽教育への取り組みを網羅的に取り上げて解説している。

ハーバード大学で音楽教育がはじまったのは、意外なことに1855年のことらしい。たかだか160年前に過ぎないのである。その後、イェール大学やコロンビア大学、スタンフォード大学など、名だたる総合大学が音楽学科を設置するようになって現在に至っているのだが、なんと MIT のような工科大学でも「音楽学科が設置されているのである! 音楽教育が、演奏家育成を目的にしたものだけでなく、広い意味でリベラルアーツ(・・いわゆる「教養」)に位置づけられているためだ。

日本では大学レベルの音楽教育といえば、もっぱら芸術系大学が中心となっているが、アメリカでは総合大学の音楽学部出身者の演奏家が少なくない。ジュリアード音楽院などの音楽大学を凌駕(りょうが)する勢いがあるようだ。音楽を演奏技術だけでなく、幅広いパースペクティブのもと、社会のなかに位置づけていることが大きな意味をもっているのだ。

さらにいえば、音楽を楽しむ層の裾野を広げるということも、総合大学の音楽大学の使命とされている。鑑賞するだけでなく、みずから演奏する楽しみである。もちろん基本となるクラシック音楽が中心であるが、ジャズやロック、民族音楽にも目配りは広い。

アメリカの音楽学部や音楽学科では、プロの演奏家志望の学生だけでなく、他学部の学生も履修可能である。演奏家志望の学生にとっては「実学」であり、そうではないが音楽を愛し楽しむ学生にとっては、現代社会に生きるための「教養」となる。ここで「教養」といったが、それはたんなる「知識」のことではないことは言うまでもないだろう。

音楽は、ラテン語でいえば、アルテス・メカニカエ(artes mechanicae)であり、アルテス・リベラーレス(artes liberales)でもある。後者は英語のリベラルアーツのことだが、アート(art)を「芸術」と訳したのでは本当の意味が見えてこない。アートは、芸術であり技術でもある。つまりは「術」ということがその本質である。

「第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史」において、古代ギリシアから古代ローマ、そして西欧中世を経て、音楽の国ドイツからアメリカへの流れをくわしくトレースしているが、そもそも音楽をリベラルアーツとして位置づけてきたのが西欧文明なのである。

古代ローマから中世にかけて音楽は数学として理論的に捉えられてきたが、演奏技術と音楽理論の乖離(かいり)が存在したといえるかもしれない。近代以降、とくにルター改革を経たドイツでは「数学としての音楽」ではなく、「音楽としての音楽」が主流となり、その延長線上にアメリカの音楽教育があることが本書に記されている。具体的にいえば、ドイツ北部のゲッティンゲン大学に学んだアメリカ人教育者たちが、ハーバード大学においてその路線を継承したのである。

アメリカでは「音楽の知」という観点から、音楽が積極的に評価されていること。総合大学における位置づけは、本書によれば以下のようになる。

●ハーバード大学: 音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む
●ニューヨーク大学: 音楽で「歴史をとらえる力」を学ぶ
●マサチューセッツ工科大学: 音楽で「創造的な思考力」を高める
●スタンフォード大学: 音楽で「真理に迫る質問力」を高める
●カリフォルニア大学バークレー校: 地域文化研究の一環として
●コロンビア大学とジュリアード音楽院: 単位互換から協同学位へ

古代ギリシアでは、集団間でのハーモニー(=調和)を生み出し、個としての人格陶冶(とうや)となるという観点から、音楽は「市民」(=自由人)のたしなみであったことが想起される。まさにリベラルアーツが、奴隷ではない「自由」人を「自由」人たらしめるものであることのよりどころであった。その意味では、西洋音楽を導入した日本が、音楽を音「学」ではなく、音「楽」として受容したことは意味あることであったと思うのである。

本書は、あらたな時代のリベラルアーツのあり方について、教育改革の最中にある日本の大学にとっても示唆するものが多いといえよう。また、音楽専攻を志している若者たちへの大きな動機付けにもなるだろう。

ただ、音楽を専攻していない人にとっては、やや理解しにくい点が多々あるのが残念だ。内容的には盛りすぎ、詰め込みすぎなので、やや読みにくいの。もうすこし内容を練ってストーリー性をもたほうが良かったのではないかと思う。「社会と音楽の関係」というテーマについては、テーマがテーマだけに社会学的な考察もほしい。

音楽学部が、演奏家育成という実技教育(あるいは「実学」教育)であり、かつリベラルアーツ教育(=「教養」教育)でもあるというその意味について、両者の複雑で微妙な関係についての突っ込んだ考察がほしいところだが、これは後日に期すべきことであろう。

「リベラルアーツとしての音楽」というテーマは、今後さらに重要になるといっていい。いまだに存在する「教養イコール読書」という旧来型の思い込みは、早く捨て去る必要がある。アメリカから学ぶべきことは、まだまだ多い。


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目 次

はじめに
第1章 音楽<も>学ぶ-教養としての音楽教育
 音楽はいつから大学の中にあたのか?
 ハーバード、スタンフォード、ニューヨーク大学-各大学で1000人以上が音楽を履修
第2章 音楽<を>学ぶ-大学でも専門家が育つ
 音楽学科はどこに属しているのか?
 音楽を中心に幅広く学びたい
 音楽の専門家をめざして
 なぜ大学で音楽を?
 大学と音楽院の提携プログラムから
 音楽院でも高まるリベラルアーツ教育の需要
第3章 音楽を<広げる>-社会の中での大学院の新しい使命
 大学から社会へ-どのように実社会へつないでいくのか
 実社会は音楽・芸術をどう見ているのか?
 社会から大学へ
第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史
 リベラルアーツの未分化期
 リベラルアーツの広まり
 リベラルアーツの学位化
 リベラルアーツの近代化
 リベラルアーツの拡大化
第5章 音楽<で>学ぶ-21世紀、音楽の知をもっと生かそう
 グローバル時代に求められる人間像は?
 大学のリベラルアーツは変わるのか?
 未来世代はどのような音楽環境を迎えるのか?
おわりに-音楽の豊かなポテンシャルをみいだして
引用・参考文献
コラム
インタヴュー


著者プロフィール

菅野恵理子(すがの・えりこ)
音楽ジャーナリストとして世界を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を連載中(ピティナHP)。著書にインタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。(出版社サイトより)



PS ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」

コラムで世界的なヴァイオリニスト・諏訪内晶子のインタビューがあるが、くわしくは彼女自身の著書 『ヴァイオリンと翔る』(NHKライブラリー、2001 単行本初版 1998)を参照。ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」を受講し、コロンビア大学では政治学や政治思想史の授業を聴講したという。とくに日本人にとっては、西洋音楽が生み出されてきた背景についての深い知識が不可欠である。


<ブログ内関連記事>

リベラルアーツ

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

『キーワードで学ぶ 知の連環-リベラルアーツ入門-』(玉川大学リベラルアーツ学部編、玉川大学出版会、2007)で、現代世界を理解するための基礎をまずは「知識」として身につける

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

"Whole Earth Catalog" -「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」を体現していたジョブズとの親和性

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと


「教養」としての音楽

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・現代音楽につながる賛美歌は、ルターによる宗教改革から始まった

書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる

「鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~」(2015年4月19日)で、中東世界の楽器カーヌーンとアフリカ起源のマリンバを聴く


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2015年9月20日日曜日

彼岸花(ひがんばな)で正確な季節を知る


本日(2015年9月20日)は彼岸の入り。お彼岸は9月23日だが、すでに彼岸花が咲いている。

この花が咲いているのを見ると、「ああ、お彼岸なんだな」と気づかされる。この花は匂いではなく、毒々しいまでの真っ赤な色彩で季節感をアピールする花だ。キンモクセイのように嗅覚ではなく、視覚に訴える花である。

彼岸(ひがん)とは「向こう側」という意味だ。英語なら beyond であらわされるコトバだ。その反対語の「こちら側」は此岸(しがん)。東京でも下町生まれの人は「ひ」と「し」が同じ発音になってしまうので耳で聞いても区別できないことがある。

彼岸花は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ともいう。サンスクリット語(=梵語)の manjusaka の音写である。大乗仏教経典の『法華経』の漢訳に登場するのだという。

サンスクリット語の「マンジュサカ」は「赤い」という意味らしい。「曼珠沙華」というと山口百恵の歌を想起するが、ドラマの「赤い」シリーズ/で主演していた彼女にはふさわしいイメージであった。ちなみに Manjusri(マンジュシュリ)は文殊菩薩のことだ。

「日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。」という記述が wikipedia の項目にある。この事実ははじめて知った。そうか、彼岸花は日本の自生植物ではなかったのだ。人為的に植えられたものである。普通は水田のあぜ道や墓地に植えられている。とくに後者は、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の境界である。

お彼岸といえばあんこもちの「おはぎ」。漢字で書けば「御萩」。秋の花の「萩」である。彼岸花とは関係ない。春の彼岸にも食べる「おはぎ」だが、秋の花にちなむものだというのは面白い。

ことし2015年の8月の関東地方は、前半が猛暑で後半が涼しかったが、彼岸花も咲く時期がすこし早まっていたような気がしないわけでもない。とはいえ、彼岸花で秋の彼岸を知るのは、「地球時計」ともいうべきだろう。じつに正確で、狂いなく秋分の日(=秋の彼岸入り)の告知でをしてくれる。

上掲の写真の彼岸花は街路に植えられていたもの。近年はリコリスという名で、園芸植物として球根が販売されているらしい。墓地にまつわるネガティブなイメージを払拭するためか?

お彼岸といえば彼岸花。お彼岸といえばおはぎ。ともにお彼岸のお墓参りの連想をともなうものだ。そしてキンモクセイの芳香で、ことしもまた秋の訪れを知る。







<関連サイト>

・・ネットで無料で読める「青空文庫」


<ブログ内関連記事>

キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日

「におい」で秋を知る-ギンナンとキンモクセイは同時期に「臭い」と「匂い」を放つ・・・

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる ・・「無憂花」(むゆうか)は仏典にも登場するインドの花

今宵は三日月-三日月は英語でクレッセント、フランス語でクロワッサン、そして・・・

書評 『ああ正負の法則』(美輪明宏、PARCO出版、2002)-「正負の法則」は地球の法則である
・・地軸の傾きが昼と夜、夏と冬を作り出すのは「地球の法則」

(2015年9月24日 情報追加)




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2015年9月15日火曜日

書評『自動車と私 ー カール・ベンツ自伝』(カール ベンツ、藤川芳朗訳、草思社文庫、2013 単行本初版 2005)ー 人類史に根本的な変革を引き起こしたイノベーターの自伝


いまから90年前の1925年に、当時80歳の「自動車の父」が発明のプロセスについて語った自伝である。

原題の直訳は、『あるドイツ人発明家の人生行路』というシンプルなものだ。人類史に根本的な変革を引き起こしたイノベーターでありながら、このそっけないタイトル。昔かたぎのドイツ人らしく、実直で飾り気のない、しかも謙虚な人柄がにじみでている。

いまから130年前の1886年になされたカール・ベンツによる自動車の実用化は、まさに人類史において革命的な変化をもたらした技術上の発明である。ただ単に技術史上におけるだけでなく、人間生活すべてを変革したといっていい。それは自動車を意味するオートモービルというコトバに集約されている。自動車は、人間に陸上移動の自由(モビリティ)をもたらした。そしてその延長線上に空への飛翔がある。

カール・ベンツ自身の表現を引用しておこう。

重い地面から自分を引き離し自由にしようという努力、空間の奴隷から空間の支配者になりたいという努力のうちに、発明家が世代から世代へとつづき、数千年にわたる文明の発展を実現した。
橇(そり)やコロを使った輸送手段が考え出され、それから手押し車、二輪馬車、そして四輪馬車へと発展していった。しかしそこで文明は停滞し、数千年のあいだ人間がため息をつきながら、あるいは家畜があえぎながら、車を引く時代がつづいた。卓越した発明家たちが、家畜の代わりに機械が引く車の開発に取り組んだが、成功にはいたらなかったのである。
この状況に変化が訪れたのは蒸気機関が発明されたのちのことであった。・・・(P.194)

蒸気機関から内然機関へ。蒸気機関車から、さらには軌道を要しない自動車の発明へ。自動車の実用化は、カール・ベンツというビジョナリーで強固な意志をもった、類まれな発明家にして起業家の「手」によってなされたのである。しかも、ほぼすべての部品から設計し、じっさいに自分の手で作ったのである。

ここで「手」というコトバをつかったのは、カールベンツ自身が自伝のなかで何度も、手仕事の重要性について語っているからである。もともとは鍛冶屋という職人の家系に生まれた人なのだ。アタマだけではなく手の重要性について語っているのがじつに印象的だ。

父親が早く亡くなったために母子家庭で育ったカールは、母親の希望でギムナジウムに通ったものの(・・この自伝によれば19世紀前半にはリツェリウムと呼ばれていたらしい)、生来の実験好き、工作好きが高じて、職人の世界に入ってマイスター(=親方)について修行もしている。当時はまだ工科大学はなかったからだ。工科大学(=ポリテクニーク)というコンセプトは、19世紀初頭のナポレオン時代のフランスで生まれたものだ。

戦後日本の天才技術者で起業家の本田宗一郎にも『私の手が語る』という本がある。本田宗一郎もまた鍛冶屋のせがれで、自動車の修理工からはじめて、ついには自分の自動車会社をつくった人だ。ものづくりには、アタマと手の両方が重要なのである。

カール・ベンツがすごいのは、まったくのゼロからというわけではないが、全体構想から部品にいたるまで、ほぼすべてを独力で実現したことにある。ディファレンシャル・ギア、ラジエーター、ステアリング装置など、現在でも自動車に絶対必要な技術はすべて彼の発明になる。まさに自動車の原型をつくた人であることが、この自伝に詳細に書かれている。

この自伝はまた19世紀後半の生きた同時代史でもある。1844年生まれのカール・ベンツは、ドイツのナショナリズムの勃興期を体験した人である。1871年のドイツ統一の話は出てこないが、母親の世代が語っていたという、祖国の蹂躙者であるナポレオンの見方には、いわゆる狭義の知識階級とは違うものが感じられる。

19世紀がいかに革命的な世紀であったかは、自動車をはじめて見た人々の反応に現れているといっていいだろう。「馬のない車」に驚き、おののいた人たちの反応が、自動車が当たり前に存在する現在から見ると、じつに不思議な印象を受ける。

私の思い出の宝箱からいくつかおしゃべりをしてみたいと思う。まずは自動車がはじめて出現したころ、見慣れぬ乗り物が人間にも動物にもどれほど異様な印象をあたえたか、思い浮かべていただかなければならない。馬は新しい競争相手に愛情も理解も示さず、恐ろしがってすぐさま逃げ出そうとした。また、それまで自動車など見たこともなかった村に入ると、子供たちは飛び上がり、大声でわめいた。「魔女の車だ!魔女の車だ!」そして一目散に家に帰って中に飛び込むと、扉を閉めて閂(かんぬき)をかけた。・・(以下略)・・(P.131)

あたらしい技術の出現は、つねに人々を驚かせ不安を抱かせるが、自動車もまたっそうだったのだ。この回想から、自動車が馬車の延長線上にあり、自動車とは「馬のない車」ということの意味がよく理解できる。

この自伝を読んでいて意外だったのは、ドイツで発明された自動車だが、初期段階の工業化においてはフランスやアメリカの後塵を拝する結果になったというくだりだ。スピードよりも安全性、信頼性を重視したと本人が語っているが、これが現在にいたるドイツ車のゆるぎない評判をつくりだしていることは言うまでもない。自動車王国となっている日本だが、高級車の分野では圧倒的な存在のドイツには、かないそうもないのは事実である。

自動車が発明されてから130年、現在では自動車という機械(マシン)のない世の中など考えられない。発展途上国を除けば、先進国ではアメリカの正統派アーミッシュのように現在でも自動車を拒否して馬車をつかう人たちもいるが、ごく限られた少数派である。エネルギー問題のからみから、自動車のない世の中を切望する声も増え始めているが、自動車に代表される機械文明が終わることは現時点では考えにくい

2000年代に入ってからは、電気自動車(EV)、2010年代には無人運転の実用化にむけての競争が激化している。19世紀後半に馬車から馬が消え、21世紀前半には自動車から運転手が消えることになる。燃料にかんしてはガソリンや軽油などの石油製品からエネルギーとしての電気へ、と。だが、自走式の四輪という自動車の本質そのものに大変化が生じるわけではない。そう考えると、あらためてカール・ベンツによる自動車の実用化が革命的な変化であったことが実感される。

ドイツ南部の都市シュトゥットガルト駅の駅舎にはベンツのマークが掲げられている(・・後述の<付記>を参照)。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館を訪れると、自動車文明はカール・ベンツから始まることが具体的なモノをつうじて実感することができるはずだ。わたしは2007年に訪れた際に、そう実感した。

カールベンツは、まさに「技術で世の中を変え」た人物であった。





目 次

原出版社によるまえがき
  
村の鍛冶屋の炎に照らされて
父と母
幼年時代のカール
夏休みの楽しみ
ギムナジウム時代
「若いころはおいらも怖いもの知らずで、途轍もない目標を心に秘め、つぶらな瞳で人生を覗いていたものさ」
遍歴時代
ボーン・シェイカー型自転車に乗って
自分の家と作業場
生涯で最高の大晦日
抵抗に遭う
新しい二サイクル・エンジン
製図板の自動車から生きている自動車へ

初めての走行
最初の新聞記事
自動車の未来をめぐる戦い
警察が新しい車の前に立ちはだかる
世界へ乗り出そう!
新発明の車、1888年のミュンヒェン博覧会で金メダルを受賞
最初の買い手がフランス、イングランド、アメリカから訪れる
三つの部分からなる車軸の開発
最初のころどんな騒ぎがあったか
ドイツとハンガリーとボヘミアからの最初の買い手
忘れるな、自分がドイツ人であることを
ドイツの自動車産業の興隆
文化財としての自動車
自動車の《発明者》
80歳の誕生日(1924年11月26日)
スポーツの楽しみ
ミュンヒェンの祝賀会
回想と展望
フィナーレ
 
訳者あとがき
カール・ベンツ略歴年表


著者プロフィール

カール・ベンツ(Karl Benz)
1844年生まれ。1886年にエンジン駆動車(モートーア・ヴァーゲン)の特許を取得し、自動車を初めて実用化した発明家。ディファレンシャル・ギア、ラジエーター、ステアリング装置など、自動車に必要不可欠なあらゆる装置を発明し、現在まで使われる自動車技術を完成させた。また自動車メーカー、ダイムラー・クライスラー社の創立者の一人でもあり、その名前は高級車「メルセデス・ベンツ」にいまも残る。1929年没 。

翻訳者プロフィール

藤川芳朗(ふじかわ・よしろう)
1968年、東京都立大学大学院修了。現在、横浜市立大学教授。訳書にフリードマン『評伝へルマン・ヘッセ―危機の巡礼者(上・下)』、クローカー『グリムが案内するケルトの妖精たちの世界(上・下)』(以上、小社刊)、ベンヤミン『モスクワの冬』(晶文社)、クリストフ編『マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡』(岩波書店)、ダンカー『盗賊の社会史』(法政大学出版局)などがある。(出版社サイトより)


<付記> メルセデス・ベンツ博物館について

ドイツ南部の都市シュットッツガルトは、駅舎のてっぺんにベンツのロゴが飾られているくらい、メルセデス・ベンツの町である。

(シュトゥットガルト駅の駅舎 筆者撮影)

そのシュットゥットガルトには、メルセデス・ベンツ博物館がある。

いわゆる企業ミュージアム(=企業博物館)であるが、本書にあるように、カール・ベンツによる自動車の実用化が世界初めてのことだったこともあり、一企業の枠組みを超えた自動車そのものの博物館としての存在意義のあるものだ。

(メルセデス・ベンツ博物館 筆者撮影) 

わたしは2008年に訪れることができたが、見学はまずは最上階かららせん状に時代を下っていく構成になっている。もちろん頂点に展示されているのは、1886年のベンツ車。だがじつは、そのまえに馬車の展示と、馬の剥製の展示がある。自動車は馬車の延長線上にあることが、実物展示で示されているのだ。

(カールベンツによる自動車第一号の実物 筆者撮影)

ところで、日本ではメルセデス・ベンツのことを略して「ベンツ」というが、ドイツでは「メルツェデス」と呼ばれる。アメリカでは英語読みでマーシーディスという。

「メルセデス」(=メルツェデス)は、当時ダイムラー車のディーラーを経営していたハプスブルク帝国の領事で、ユダヤ系ドイツ人のエミール・イェリネックの娘の名前から採られたものだ。1899年に命名されたもので、きわめてスペイン語風の響きをもつ名前だ。

ドイツを代表する自動車メーカーのダイムラーとベンツが合併した結果、メルセデスベンツとなり、現在に至っている。

この件については本書には記述はないのは、カール・ベンツ没後のことだからである。

(2015年9月24日 記す)
 



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