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2021年9月25日土曜日

書評『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス、度会圭子訳、文藝春秋、2017)-認知心理学が経済学の世界を変えていったそのプロセスは、イスラエル出身の2人の天才たちのライフストーリーでもある

 
「おお、これはいい本がでた!」と思って、出版されたらすぐ読むつもりで買ったのだが、あっという間に4年もたっていた。そんな本を読了。 『かくて行動経済学は生まれたり』(マイケル・ルイス、度会圭子訳、文藝春秋、2017)。翻訳本だが、こなれた日本語になっているので読みやすい。  

現在ではすでに「常識」となっている「行動経済学」がいかに生まれてきたのか、生みの親となった2人の心理学者たちのライフストーリを軸に描いた知的エンターテインメント。ベストセラー作家の読ませるストーリーテリング能力はバツグンだ。 

経済学が前提としてきた「合理的経済人」は、実際には存在しないフィクション(虚構)の存在であるが、経済理論を組み立てるための前提となっていた。だが、これに対する違和感を感じた人がいたとしても、異議申し立ては経済学の内側から発生してくることはない。 

そもそも人間は、それほど合理的に生きているわけではなく、間違った選択を行うことも多い。常識的に考えたら当たり前だ。英語にも To err is human, to forgive divine.(誤つは人のさが、赦すは神)という17世紀英国の詩人アレグザンダー・ポープに由来する格言があるではないか。 

なぜ人間は先入観や固定観念にもとづいた、そんな考えをしてしまうのか、なぜ思考にはさまざまなバイアスがつきものなのか。

この観点を欠いた経済学が、かつてはまかり通っていたのだ。経済学の外からみたら、異常でしかなかったのだ。革命的変化をもたらしたのは、経済学の「外側」からやってきた認知心理学の理論であった。 

2002年のノーベル経済学賞を受賞したので世界的に有名になったのは、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)である。だが、本来はもう一人の研究者にも与えられるはずのものだった。共同研究者のエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)はすでに死去していたため、それは叶わなかったのである。 


建国後まもないイスラエルに育った2人の「若者」が、強い関心を抱いたのは心理学であった。第2次世界大戦後に誕生したイスラエルという環境と、心理学という研究分野が大きな意味をもっていたことが、本書を読むとよく理解できる。 本書は、ある意味ではイスラエル現代史であり、認知心理学の歴史でもある。

建国の時点から「国民皆兵」のイスラエルでは、将校はすべて兵士からのたたき上げであり、徴兵された若者から指揮官になるポテンシャルをもった人間をいかに選別し、軍事作戦においていかに意志決定の誤りを避けるか、これは国家の存続そのものにかかわる重大問題であり、実践的な問題解決が求められるのである。

カーネマンの研究は前者の将校選別実務から始まったのであり、実戦においても力量を発揮したトヴェルスキーは後者の意志決定にかんする問題を痛感していた。2人の天才も予備役期間中(*男性の場合、戦闘任務は41歳まで、その他の一般任務は54歳まで)は、海外にいてもただちにイスラエルに戻って軍務に服している。戦争で命を落とした大学教授や知識人も少なくないのが、サバイバル国家イスラエルの現実だ。

そんなイスラエルで、性格も得意分野もまったく異なるユダヤ系の2人の天才が、なぜかウマが合って、きわめて密度の濃い共同研究で数々の理論を生み出したのである。英語でいえばいわゆる Dynamic Duo というやつだろう。 

既存の思考や枠組みを変えるのは「若者、バカ者、よそ者」だとよく言われるが、まさに行動経済学の成立においても、その法則が成り立っていたわけだ。世界を変えていったそのプロセスが興味深い。 

恐れ知らずの若者たちが、当初は現在ほど人気のなかった心理学という分野で、しかもイスラエルという当時の知的辺境から生み出された理論なのである。


原題は、The Undoing Project   A friendship that changed the world.  である。"The Undoing Project" とは、 実際にはやらなかったが、「もし~してたなら」と考えてしまうたぐいの物事のことを指している。 

日本語訳タイトルの『かくて行動経済学は生まれり』は、たしかに内容的にはそのとおりなのだが、副題の「世界を変えた友情」(A friendship that changed the world)を活かしたほうがライフストーリーとしての面白さを前面に出せたのではないかと思うのだが・・・。 

これも "The Undoing Project" というべきものなのかな? 文庫化される際には、タイトルについては、よくよく考え直していただきたいものだ。 

もちろん、そもそも人間は間違うものである絶対にただしい意志決定など、世の中には存在しない。 





目 次
序章 見落としていた物語
第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか?
第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する
第4章 無意識の世界を可視化する
第5章 直感は間違える
第6章 脳は記憶にだまされる
第7章 人はストーリーを求める
第8章 まず医療の現場が注目した
第9章 そして経済学も
第10章 説明のしかたで選択は変わる
第11章 終わりの始まり
第12章 最後の共同研究
終章 そして行動経済学は生まれた
参考文献について
謝辞
訳者あとがき
解説 「ポスト真実」のキメラ(月刊誌『FACTA』主筆 阿部重夫)


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・・「経済人」(economic man)とは、ドラッカー自身が第2章で説明しているように、18世紀の経済学の父アダム・スミス以来の「ホモ・エコノミクス」(homo economicus)概念のことだ。 「ホモ・エコノミクス」とは、経済活動において自己の利益の最大化を図ることを目的にした完全に合理的な人間のことを指した経済学の仮説のことである。このように絵にかいたような「経済人」(ホモ・エコノミクス)が、じっさいには多数派ではありえないことは、健常な「常識」をもった人にとっては当たり前だろう。そもそも人間は非合理的な存在であることを前提にした「行動経済学」が近年発達してきたが、それでも主流の経済学においてはまだまだ「ホモ・エコノミクス」仮説が幅をきかせている」

・・ドローンもまたイスラエルで生まれて米国で育った技術である

・・建国から20年くらいまでのイスラエルは、「レバノン侵攻」(1978年)で完全に終わったといっていいだろう。大義なき戦争に徴兵された若き兵士たちの精神は大きなトラウマを抱えることになる

・・国民皆兵のイスラエルでは、将校はすべて一般兵士からのたたき上げである





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2021年9月23日木曜日

書評『岸惠子自伝 卵を割らなければオムレツは食べられない』(岸惠子、岩波書店、2021)-読みたかった本を読んで大きな満足を得る

 
 

現在88歳の女優の著者が語る自伝エッセイ集。フランス人と結婚し、パリに移り住んだ日本人女性の走りともいうべき存在か。 帯には、社会学者・上野千鶴子氏による評が掲載されている。 

「自伝でありながら、上質なエッセイを読んだような読後感に満たされる」

まさにその通りであり、それ以外のコメントはしようがないというのが、正直なところだ。このコメント力もまたすごい。 

岸惠子氏のように、ここまで明晰に自分を表現できる知性には、めったにいないだろう。心の底から驚嘆し、賞賛を惜しまない。 

単身ヨーロッパに渡って生き抜いてきた日本女性は、ほんとうに精神が強靱に鍛え上げられている。戦前に生まれ、戦争をくぐりぬけ、戦後の日本を駆け抜けて、さっさとフランスにいってしまった直情径行ともいうべき人。現在は、拠点を日本に移している。 

もちろん、88歳まで明晰な頭脳を維持するためには、旺盛な好奇心だけでなく、体力も気力も不可欠であるが、岸惠子氏のように華奢な女性に、そんな強靱な生命力があるとは! 

アフリカへの思いということで想起するのは、ドイツ人女優で映画監督だったレーニ・リーフェンシュタールである。この人は100歳まで現役を貫いた。岸惠子氏も、まだまだやりたいことがあるのだという。 それが生きる原動力になっているのであろう。

自分のように50歳台後半の男は、「まだまだやることあるでしょ、できるでしょ」と叱咤されているような気になってくる。まだまだ、ですね。 

「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」とは、フランスの格言だそうだ。フランス人の元夫からくどかれたときに初めて耳にしたらしい。 

まさにそのとおりの人生だな、と。いくつになっても、必要な人生の心構えではないか! 



   


目 次 
第Ⅰ部 横浜育ち
第Ⅱ部 映画女優として
第Ⅲ部 イヴ・シァンピとともに
第Ⅳ部 離婚、そして国際ジャーナリストとして
第Ⅴ部 孤独を生きる
エピローグ
おわりに
岸惠子略年譜

著者プロフィール
岸惠子(きし・けいこ)
1932年横浜生まれ。1951年女優デビュー。1957年医師・映画監督であるイヴ・シァンピとの結婚のため渡仏。1963年デルフィーヌ誕生。1976年離婚。1987年NHK衛星放送『ウィークエンド・パリ』のキャスターに就任。女優として映画・TV作品に出演し、主演女優賞のほか数多くの賞を受賞。作家、国際ジャーナリストとしても活躍を続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

 


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2021年9月22日水曜日

「獨上西樓」という名曲で、華人としての鄧麗君(=テレサ・テン)を知る

 
昨夜(2021年9月21日)のことだが、いつまでたっても頭が冴えて寝付けないのでベッドから出る。真夜中の2時だ。昨夜というよりも本日の夜明け前のことである。

ベランダに出てみたら、天空に満月。じつに見事なまでの満月。そう、「中秋の名月」だった。こんな真夜中にお月見も意外といいものだ。

ただただ満月をじっくりと見る。肉眼でもずいぶん細かいところまで見える。すすきもなし、団子もなし、もちろん酒もなし。聞こえてくるのは秋の虫の鳴き声。そして時おりクルマの走る音。大きな満足を感じあとは、よく眠れた。

目が覚めてから思い出したのは、テレサ・テンというよりも、鄧麗君の「獨上西樓」という歌だ。





1983年のアルバム「淡淡幽情」に第1曲目に収録されている。


(「淡淡幽情」所収の小冊子より)


詞は李煜(りいく)の「烏夜啼(うやてい)」から。李煜(りいく 937~978)は、南唐最後の君主で詩人。囚われの身となって詠んだのが、この宋詞である。『中国詩人選 16 李煜』(村上哲見注、岩波書店、1959)から引用しておこう。


烏夜啼 李煜

無言獨上西樓
月如鈎
寂寞梧桐深院 
鎖淸秋 

剪不斷
理還亂
是離愁
別是一般滋味 
在心頭


哀切極まる内容の歌詞情緒纏綿たる調べ鄧麗君の名曲中の名曲というべきだろう。とにかく一度は聴いてほしい

日本人のあいだでは、日本語で歌った歌謡曲で記憶されつづけているテレサ・テンだが、彼女はそもそも台湾人であり、しかも中国国民党とともに大陸からやってきた外省人の軍人の娘であった。

そんな彼女にとって、大陸の中国文明の精華を現代に生きる華人に伝えることは使命であると意識されていたらしい。

この曲のことをはじめて知ったのは、かつてバンコクに住んでいたときのことだ。

バンコク市内の CDショップで Karaoke VCD を見つけて購入するまで、こんな名曲があるとはまったく知らなかった。さすがに華人のプレゼンスの大きなバンコクである。その後、日本でアルバムを購入した次第。

テレサ・テンが1995年に42歳で急死したのはタイ北部のチェンマイであり、その意味でも縁が深いものがあるというべきか。




日本語歌手のテレサ・テンだけでなく、華人政界の歌姫であった鄧麗君に、もっと関心をもつべきだろう。この『』というアルバムは、華人世界を知るうえで、よき手引きになることは間違いない。

「中秋」といえば、華人世界では「月餅」(mooncake)であるが、もちろんそれだけではないのだ。

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2021年9月21日火曜日

書評『アースダイバー 神社編』(中沢新一、講談社、2021)ー 日本人の深層意識の底に潜る知的エンターテインメント

 
 『アースダイバー 神社編』(中沢新一、講談社、2021)を読了。東京の古層を縄文時代までさかのぼり潜って探索した『アースダイバー』(2005年)の最新作。この間にでた他の2冊は読んでないが、本書はさらにあらたな境地を開拓したという印象がある。  

あくまでも仮説の域をでない想像力の産物とはいえ、温暖期に進行「縄文海進期」の地形を見ることで、東京(とその周辺の関東地方)の縄文人の心性に迫った意欲作が「アースダイバー」だった。 

現在につながる神社が、ほぼすべて縄文時代には陸地だった場所にあるという指摘は刺激的だった。聖地の場所は、時代が変わっても移動しないのだ、と。地層学的なアナロジーで太古の歴史に迫るというアプローチである。 

『アースダイバー 神社編』では、日本の固有信仰形態である神道を3つの層が重なり合って形成されているという考えにたって、アースダーバーを行っている。 

それは古い順からいって、「縄文古層」「弥生中層」「新層」である。言うまでもなく「新層」がいちばんうえに覆い被さっているが、場所によっては「弥生中層」が露出していることもあり、例はすくないが「縄文古層」が地面に現れていることもある。 

(「日本の神社の古層学」P.31より)

「縄文古層」の代表例が、諏訪大社、出雲大社、大神神社(三輪神社)であり、狩猟採集民であった縄文人の自然観・世界観が生き残っているのだと。

つまり自分たちのことを自然界のなかの一構成要素とみなし、増やすと志向しない志向しな 循環型のサステイナブルな生き方を1万年以上つづけていたのが日本列島の先住民である縄文人。ご神体としてのヘビ。

「弥生中層」は、その後に南方から国家による統制を嫌って逃れてきた「海民」たちの信仰。

縄文人も海民の末裔であったが、弥生人(=倭人)は縄文人を上回る海民性を発揮していた。稲作と潜水漁労という技術を携えて日本列島にやってきた半農半漁を生業とする弥生人たちは、時間をかけてゆっくりと縄文人と融合していく。

増やすことを農業によって実践する弥生人は、太陽神信仰をもたらした。母子という見える神々と父である太陽神の三元論構造。山と海。天(あま)と海(あま)。 

そして「新層」とは、国家統一をなしとげたヤマト政権が、朝鮮半島経由で北東アジアからもたらされた垂直軸的な王権神話によって改変された太陽神信仰。もともと父であった太陽神が、アマテラスとして女性に転換される。大化の改新以降、このあらたな「新層」が日本列島を覆い尽くすようになった。 

ざっと要約すればこんなかんじになるが、実地踏査を踏まえた文献調査がイマジネーションによって、読ませるストーリーに仕立て上げられている。牽強付会という感もなくはないし、あくまでも仮説の域をでないが、なるほどと納得させられる思いがして、楽しませてくれる知的エンターテインメントになっている。 

さまざまな要素がてんこ盛りの内容だが、「もともと日本人は海民である」というのが本書を一貫したテーマである。たとえ内陸に住んでいようと、海から河川づたいに内陸に遡行して定住するに至った人びとなのである。沿岸に定住した人びとは言うまでもない。 


日本人にまとわりつく存在不安は、海民としての太古の記憶に由来すると考えるべきなのだ。火山列島で地震列島の日本全体が、ある意味では地球に浮かんだ船のようなものだ。揺れる地面、揺れる船のようなものという感覚が日本人の深層意識にある。

毀誉褒貶の強い中沢氏だが、もう70歳の大台に入っている。「日本人の海民性」は、叔父にあたる歴史家・網野善彦氏のテーマでもあったこのテーマをさらに深めてほしいと思う。

民俗学の父たちである柳田國男や折口信夫がその代表的な例であるが、日本人は、だれもが海の向こう側にある遠い世界にルーツを求めている。それを知りたいという強い欲求をもっているからだ。 




 

目 次 
プロローグ 犬の聖地 
第1部 聖地の三つの層
 第1章 人間の聖地
 第2章 縄文原論
 第3章 倭人の神道
第2部 縄文系神社
 第4章 大日霊貴神社(鹿角大日堂)
 第5章 諏訪神社
 第6章 三輪神社
 第7章 出雲大社
第3部 海民系神社
 第8章 対馬神道
 第9章 アヅミ族の足跡
 第10章 伊勢湾の海民たち
エピローグ 伊勢神宮と新層の誕生
参考文献
あとがき


著者プロフィール
中沢新一(なかざわ・しんいち)
思想家、人類学者。京都大学特任教授、千葉工大日本文化再生研究センター所長、秋田公立美術大学客員教授。1950年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安。」

・・「読んでいてひじょうにうれしく思ったのは、知的自伝を語りながら、レヴィストロースの少年時代からの、地質学と考古学への深い関心が歴史学的思考の基礎にあることを知ったことだ。この歴史学認識は、わたしも共有しているものであり、地層に歴史を読む込む発想をもっていたことにあらためて驚きと感嘆を感じるのである。時間と空間にかんする認識こそが、歴史学と民族学(=文化人類学)の融合を実り豊かなものとする。」





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2021年9月19日日曜日

書評『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ、新潮文庫、2021)-「ブレクジット」(=EU離脱)後の英国の現在の空気がビンビンつたわってくるライブ感で読ませる


単行本がでてから2年間で60万部突破という『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ、新潮文庫、2021)を読んだ。著者の本は、読むのはこれで3冊目だ。  

イングランド南部の海岸にある地方都市ブライトンを舞台に、日本出身の母親(著者のこと)と労働者階級出身のアイリッシュ系英国人の配偶者のあいだに生まれた一人息子の成長物語。この本も、読み出すと最後まで読みたくなってしまう。 

「イエローでホワイト」というのは言うまでもなく肌の色「ブルー」というのは、すでに日本語にもなっているように憂鬱(ユーウツ)という意味。カトリック系の公立小学校(そんなのが英国にはあるのだ)を卒業して、中学に入学して、ノートに書きつけた息子の学校生活と家庭生活、地域生活が人間関係を中心に描かれる。 

そこにあるのは「多様性」(ダイバーシティ)。だが、この「多様性」は、「みんなちがって、みんないい」といった類いのキレイ事の話ではない。 

人種、民族、宗教、階級、LGBTQ。こういった見える化された違いと目に見えない違いが、複雑にからみあって多様性を生み出し、その多様性が差別感情を生み出し、さまざまな形の暴力も誘発する。 

そんな状況のなかを生き抜いてきた著者にとっても、「地雷」を踏みかねないのが現在の英国の現実なのだ。そんなシーンがこの本には満載だ。 

「他者に対するエンパシー」ということばと概念が、この本をつうじて有名になった。 「エンパシー」(empathy)は、同情を意味する「シンパシー」(sympathy)と似ているが、後者が感情の動きだけであるのに対して、前者は知的に認識して行動に移すことまで含まれている。 

このエンパシーによって、複雑な多様性のある社会を生きてくことが、英語で「他人の靴をはく」(to put oneself in someone's shoes)と表現される。感じるだけでなく、行動に移すことが大事なのだ。 この表現も単行本をつうじて有名になったことは周知のとおり。

こういったメッセージは、すでになんども語られているので、これ以上は書く必要もないと思う。 

だが、本というのはどういう読み方をしてもいいわけであって、自分にとっては「ブレクジット」(=EU離脱)後の英国の現在の空気がビンビンつたわってくる、そのライブ感に強く感じるものがあった。 

「中流階級崩壊」という点において、新自由主義を推進したサッチャー後の英国の後追いをしている日本だが、不可逆的な流れとして、ますます多様性が当たり前となることは間違いない。 

そんな日本社会で生きていくための「予行演習」として、この本を読むことが必要なのではないかと思う。脳内シミュレーションである。 

繰り返すが、「多様性」はキレイ事で済まされることのない社会の現実(リアリティ)なのである。英国の状況は、他人事と考えないことだ。 


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PS 続編である『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』が2024年6月に文庫化された



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・・マーガレット・サッチャーの死を祝う人たちが英国には多くいた



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