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2009年12月31日木曜日

合気道・道歌 -『合気神髄』より抜粋




 合気道開祖・植芝盛平(うえしば・もりへい)大(おお)先生(1883~1969)は、合気道修行の要諦を、道歌(どうか)という形で多く和歌に詠み込んでいる。

 道歌とは宗教の教えや倫理道徳にかかわる教訓を、五七五の形式で、覚えやすくまとめたものである。

 道歌は、もちろん字面だけをみているだけでは理解できないものも多いが、実践を踏まえたうえで道歌を口ずさむと、自ずからその意味が体得できるようになる。

 そういった合気道の道歌をいくつか紹介しておこう。いずれも選択基準は私の独断と偏見に基づく。分類と小見出しは私が勝手につけたものである。

 「人生でもっとも大事なことは合気道をつうじで学んだ」、といっても過言ではない。少なくとも私にとってはそうである。

 私は大学一年(一回生)のとき、18歳で合気道と出会った。米国で大学生に指導していたこともある。


<合気会パンフレットにも掲載の有名な道歌>

合気とは 愛の力(ちから)のもとにして 
 愛はますます栄えゆくべし

合気とは 万(よろづ)和合の力なり 
 たゆまず磨け 道の人々

美しき この天地(あめつち)の御姿(みすがた)は 
 主(ぬし)のつくりし一家なりけり


<武術としての合気>

すきもなく たたきつめたる敵の太刀(たち) 
 みなうち捨てて 踏み込みて斬れ

敵多勢(たぜい) 我を囲みて攻むるとも 
 一人の敵と思い戦え

呼びさます 一人の敵も心せよ 
 多勢の敵は前後左右に

敵の太刀 弱くなさむと思いなば 
 まづ踏み込みて 敵を斬るべし

生死とは 目の前なるぞ心得て 
 吾ひくとても 敵は許さじ

人は皆 何とあるとも覚悟して 
 粗忽に太刀を出すべからず


<心の迷いをなくせ>

まよひなば 悪しき道にも入りぬべし 
 心の駒に 手綱(たづな)ゆるすな

すみきりし 鋭く光る御心(みこころ)は 
 悪魔の巣くふ すきとてもなし

古(ふるき)より 文武の道は両輪と 
 稽古の徳に 身魂(みたま)悟りぬ

三千世界一度に開く梅の花 
 二度の岩戸は開かれにけり

声もなく心もみえず 神(かん)ながら 
 神に問われて何物もなし


<合気道の使命>

大宇宙 合気の道はもろ人の 
 光となりて 世をば開かん


 出典は 『合気神髄-合気道開祖・植芝盛平語録』(合気道道主・植芝吉祥丸=監修、柏樹社、1990)。このエディションはすでに絶版だが、現在、古神道関係の専門書店である、八幡書房から2002年に復刊されているので、入手可能である。

 私はこの本を、折に触れ繰り返し、繰り返し読んできたが、なお完全理解にはほど遠い。

 理由の第一は、まず合気道そのものの修行が前提となることはいうまでもないとして、開祖が長年にわたって慣れ親しんできた神道、とくに大本教(おほもと)を始めとする古神道(こしんとう)古事記言霊学(ことだまがく)、その他もろもろの、学校では正規の教科にはない、近代日本のエソテリック(=秘教的)なウラ学問に精通する必要があるためである。合気道で使用されるターミノロジー(用語)には、これら古神道経由のものが多い。

 これらについては機会があれば、また取り上げることとしたい。

*****

 開祖の技は YouTube には多数アップされているので、ここでは英語字幕の入っているものを一つ紹介しておく。

 合気道の技にかんしては、「入り身転換」がもっとも重要である。相手の動きに対して、瞬間的に相手に対して半身の体制に入るテクニック。この体捌き(たいさばき)が無意識にできるようになればいうことはない。基本中の基本であるが、武道の心得のない現代日本人には、縁が遠いようだ。昔の日本人には身についていたらしいが。

 以下、参考となる語録を『合気神髄』から引いておく。

入り身転換の法を会得すれば、どんな構えでも破っていけるのであり、しかしながら一刀一殺をすることが真の道ではない。合気は和合の術である。(p.163)

進んでくる相手の心を小楯に、その真っ正面に立って突いてくる槍の真中心に、入り身転換の法によって無事に、その囲みを破って安全地帯へでる。かくのごとき周囲を全部、相手に取り巻かれたといえども、入り身転換の法によって破れざる技で相手を圧迫しなければならない(p.174)

 YouTube に合気道七段スティーブン・セガール(Steven Seagal・・本当はシーガル。昔の資料にはそう書いてある)の「入り身投げのオモテ」の映像がある。通常は円運動を利用したウラをやることが多いのだが、入り身投げのオモテはプロレスのラリアットのような技であり、打撃の衝撃力はすさまじい。後頭部を打たないように、受け身を訓練しておくことが不可欠なので、安易に技をかけないように!

 なお、スティーブン・シーガルはかつて大阪に自分の道場をもっていた。現在は L.A.にあるが、日本人以外で日本で道場を開いていたのは彼ただひとりである。

 ついでなので、イスラエルのテルアヴィヴの合気道道場 Integral Aikido Tel Avivプロモーション・ビデオがあるので紹介しておこう。武産合氣道(たけむす・あいきどう)。日本で8年間修行した米国人師範が教えているが、このビデオで合気道のイメージがおおよそつかめるだろう。

 イスラエルでは、合気道に限らず、日本の武道がきわめて盛んである、と聞いている。もちろんイスラエルの護身術であるクラヴ・マガ(Krav Maga)は盛んである。

*****

 上記書籍の監修者である、二代目道主の植芝吉祥丸(きっしょうまる)先生はすでに入神されており、現在は三代目の植芝守央(もりてる)道主が務めて居られるが、吉祥丸とは実に珍しい名前だ。

 これは植芝盛平翁が大正時代、京都府綾部にある大本教(おほもと)で精神修行し、「植芝塾」で武道を教えていた際、夭折した二人の男児のあと生まれた三男に、教主の出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)聖師が命名されたものである。


(前列左が王仁三郎聖師、右が植芝盛平大先生)


 王仁三郎師は鎮魂帰神のうえ一気呵成に吉祥丸と筆で書き下ろしたという。吉祥丸とは大江山の鬼退治で有名な源頼光(みなもとの・らいこう)の幼名とのことだ。このエピソードは吉祥丸先生ご自身が執筆された、『合気道開祖・植芝盛平伝』(生活芸術社、1999 原版は講談社 1977)のなかにでている。この名前のおかげか、吉祥丸先生は天寿をまっとうされた。

 合気道の前身である「合気武道」も、出口王仁三郎聖師の命名である。


(大本の綾部時代の1922年の植芝盛平 全身にみなぎる気迫を見よ!)


 私は植芝盛平翁の戦後の内弟子(うちでし)である、故・有川定輝(ありかわ・さだてる)九段にご指導いただいたが、有川師範先生は「合気新聞」の編集を長く務められ、上記の『合気神髄』にまとめられた、植芝盛平語録の多くを収集し整理編集されている。


(中央正面が大先生。左隣に吉祥丸前道主、右隣が有川定輝先生。1963年)


 有川先生については、また改めて機会があれば書くこととしたい。わが人生の師として、この人を超える人はいまだにいない。いや、おそらく今後も現れることはないだろう。


 これで本年のブログ投稿は最後となります。
  
去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの (高浜虚子)

 では、よいお年を!!
 また来年お会いしましょう。


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PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にした。内容には手は入れていない。(2014年8月18日 記す)

PS 写真各種を大幅増補した。(2024年3月23日 記す)



<ブログ内関連記事>

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである ・・「型」の重視は日本だけではない

フイギュアスケート、バレエ、そして合気道-「軸」を中心した回転運動と呼吸法に着目し、日本人の身体という「制約」を逆手に取る
・・合気道有段者の元バレエダンサー西野皓三氏とその弟子・由美かおるの対話から引用

書評 『狂言サイボーグ』(野村萬斎、文春文庫、2013 単行本初版 2001)-「型」が人をつくる。「型」こそ日本人にとっての「教養」だ!
・・日本人の教養は「型」

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・植芝盛平とは同時代の「超人」

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない
・・精神主義を排した、唯物主義哲学による武道論

書評 『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)-空手五段の腕前をもつコーヘン氏の文章は核心を突く指摘に充ち満ちている
・・「イスラエルは人口比でみたら、日本以上に各種の日本武道が普及している国であるという」

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
・・日本の柔術の影響でブラジルで生まれたグレーシー柔術

マイク・タイソンが語る「離脱体験」-最強で最凶の元ヘビー級世界チャンピオンは「地頭」のいい男である!
・・なんとオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』がでてくるのだ

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年
・・有川定輝師範先生について記してある

(2021年12月30日 情報追加)


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2009年12月30日水曜日

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)




1899年に出版された英文学の古典、コンラッドの名作『闇の奥』(Heart of Darkness)に次のような一節がある。

なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。むしろブラブラしながら、なにかできそうな素晴らしい仕事でも、ボンヤリ空想している方がよっぽど楽しいのだ。なにも仕事好きじゃない。--誰だってそうさ、--ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ
(中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)

 参考のために原文も掲載しておこう。

No, I don't like work. I had rather laze about and think of all the fine things that can be done. I don't like work -- no man does -- but I like what is in the work -- the chance to find yourself. Your own reality -- for yourself, not for others -- what no other man can ever know. They can only see the mere show, and never can tell what it really means.

(出典は Conrad, Joseph, 1857-1924. Heart of Darkness Electronic Text Center, University of Virginia Library)

 たまたま蔵書整理中にこの本がでてきたのでパラパラめくってみたら、この部分に線が引かれていた。

 読んだのは1986年、そう文庫本に書き入れてある。就職して社会人になって、まだ仕事をすることの意味がよくわかっていなかった頃に読んだ本だ。

 西洋人の労働観がよく表現されていると考えていいかもしれないが、この一節は自分には非常にしっくりと納得がいくものだったので、線を引いていたのだ。




 「仕事をつうじた自己発見」は現在風にいえば「仕事をつうじた自分探し」ということになるだろうか。

 なぜ、仕事をしなければならないのか、比較的豊かな時代には生きてくる名言なのではないか、と思う。

 仕事は生計をたてるだけではない。自分探しと生計をたてることを両立することが可能になるわけだ。


 ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)は19世紀英国の"英語作家"だが、彼自身は生粋の英国人ではない。ポーランド出身で、母語は英語ではなくポーランド語である。英語は、ロシア語、フランス語に次いで後天的に実務を通じて習得した言語である。

 英国の英語作家には、『日の名残り』で有名な日本出身のカズオ・イシグロなど多いが、コンラッドはその先駆者といえるだろう。

 「コンラッド」というと外資系高級ホテルの名前だが、もちろん関係はない。ジョゼフ・コンラッドの本名は、テオドル・ユゼフ・コンラト・コジェニョフスキ、である。真ん中の名前を取り出して英語風にしたわけだ。


 父親がポーランド独立運動の指導者でロシアの官憲に逮捕されてシベリアに家族ごと流刑、のちに移動した北ロシアで両親を失って孤児となり、大学進学をあきらめて船乗りになった。21歳のときに英国船員となり以後16年間、船員としての生活を送り最終的に船長にまでなる。この間、英語を身につけ、ひろく世界を航海し、英国国籍も取得した。

 その後、海洋小説を多数発表、ベルギー領コンゴ(ザイール)の奥地深くまで航行した体験をもとに本書『闇の奥』を発表した。

 『闇の奥』を乱暴に要約すると、優秀な商社駐在員であった主人公クルツ(Kurtzが、いつのころからかアフリカの熱にとりつかれ精神に異常を来し、コンゴ川奥地で・・・となる。アフリカの「闇の奥」、人間性の「闇の奥」を描いた作品である。


 この本は、フランシス・コッポラのベトナム戦争ものの超大作 『地獄の黙示録』(Apocalypse Now 1979年製作)の原作ともなっている。トレーラーを参照。

 コッポラの映画では、部隊をコンゴからベトナムに移し、ラストに登場する、現地人の王となった主人公の白人をカーツ大佐としている。原作のクルツ(Kurts)を、英語読みでカーツとなっているがつづりは同じである。なお、Kurtz は、ドイツ語の kurz(短い、背が低い)からきている。



 原作に戻るが、舞台となったコンゴは、植民地帝国ベルギーの植民地であった。とくに資源国コンゴ(ザイール)はベルギーにとってはまさに金城湯池であた。コンラッドが舞台設定にしたコンゴはまさに、西洋人がアフリカ人を徹底的に収奪し虐殺したことはあまり知られてしないのではないか。ベルギーは、英国やフランスにも劣らない、典型的な植民地帝国であったのである。

 象牙、生ゴムから始まって、のちに発見されたダイヤモンド、そしてウラン。ベルギー領コンゴで産出されたウランが、広島と長崎に投下された原爆に使用されたことは、知る人ぞ知る歴史の闇である。

 これらの点については、ベルギー ヨーロパが見える国』(小川秀樹、新潮選書、1994)「闇の奥」の奥-コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷-』(藤永 茂、三交社、2006)が参考になる。後者は、カナダ在住40年の元大学教授が先住民の立場に身を寄せて描いた告発書である。

 「美食の国ベルギー」の背景に、植民地コンゴからの収奪の歴史があったことは知っておいた方がよい。


 ベルギー領コンゴは、いわゆる「コンゴ動乱」とよばれた1960年の熾烈な独立戦争を経て独立したが、当時の国連事務総長ダグ。ハマーショルドが視察中に事故死したことでも有名である。
 この戦争ではベルギー政府軍以外にも、白人傭兵のコマンド部隊が投入され、1978年製作の英国映画 『ワイルド・ギース』(The Wild Geese)の世界として描かれている。トレーラー参照。激しい銃撃戦をともなう空港からの壮絶な脱出シーンは圧巻である。

 すでに絶版であるがコンゴ傭兵作戦(新戦史シリーズ)』(片山正人、朝日ソノラマ、1990)という本もある。


 コンゴはザイールになったり、またコンゴになったりと、独立後も紛争が再燃するのは、結局のところ埋蔵されている資源をめぐる争いが原因である。



 最貧国問題解決のための必読書最底辺の10億人-最も貧しい国々のために本当はなすべきことは何か?-』(ポール・コリアー、中谷和男訳、日経BP社、2008)でも指摘されているように、最貧国を捕らえ続ける4つの罠として、1.紛争の罠2.天然資源の罠3.内陸国であることの罠4.劣悪なガナバンスの罠 を挙げているが、資源をめぐる問題は実に根が深いことを知らねばならない。コンゴの場合、この4つの罠がすべて複雑にからみあっている。

 実話をもとにした映画 『ホテル・ルワンダ』(1994年)で描かれた、隣国ルワンダの虐殺と難民問題にもめを向ける必要があるだろう。トレーラー参照。ルワンダもまたベルギーの植民地であった。

 最近、増補版として復刊されたルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也、中公新書、1972)は、IMFの依頼によって日銀から派遣され、独立国ルワンダの発展を中央銀行総裁として6年にわたり支援した日本人の記録だが、ルワンダ紛争によってこの努力もすべて消えてしまった。

 旧植民地アフリカの問題は根が深い。

 こういうアフリカを、いま中国が"西のフロンティア"として収奪し、トラブルメーカーとなっていることは、報道が多くなされるようになってきており、だいぶ明らかになってきている。

 欧州の"裏庭"アフリカでわが物顔で振る舞う中国、この問題については歴史的な意味、文明論的な意味を考える必要があろう。

 中国に対して、欧州は果たしてきれい事としての倫理を持ち出すことができるのか、きわめて根の深い問題だ。


 「仕事をつうじた自分探し」からだいぶそれてしまったが、本というものは、とくに古典というものは、複合的かつ重層的な読み方が可能なものである。

 もちろん純粋にエンターテインメントとして読むのも結構なことだ。

 『闇の奥』は、光文社古典新訳文庫から新訳がでている。私としては、毒舌で知られた英文学者で評論家の中野好夫訳による岩波文庫版がいいと思っているが。

 一昨年、『カラマーゾフの兄弟』が爆発的にブームとなったのも、この古典新訳文庫のおかげである。
 
 古典は読み継がれてこそ古典である。『闇の奥』も一度手にとって読んでみてはどうだろうか。

        



<関連サイト>

世界各国の「為さざる罪」ルワンダ・ジェノサイド ルワンダの夜明けパート2 (中村繁夫・アドバンスト マテリアル ジャパン社長、WEDGE、2015年12月30日)
・・「ルワンダを理解するには宗主国(ベルギー)を知らなければ分からない」と、レアメタル取引のプロが語る

(2015年12月30日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い

書評 『OUT OF AFRICA アフリカの奇跡-世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語-』(佐藤芳之、朝日新聞出版社、2012)-規格「外」の日本人が淡々とつづるオリジナルなスゴイ物語

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」、「それぞれが自分の才能を発揮しはじめた・・役に立たない者はいなかった」。じつに説得力のある仕事とチームワークのあり方についてのセリフ

(2013年12月23日、2015年1月9日 情報追加)


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2009年12月29日火曜日

書評 『経営者、15歳に仕事を教える』(北城格太郎、文春文庫、2008)-とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本




とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本

現在IBM最高顧問で経済同友会代表幹事をつとめた、「サラリーマン経営者」が15歳に向けて平易に語った、会社で仕事をするとはどういうことなのか、という内容の本。

 この本は、文庫本として活字として読むなら、15歳よりもむしろ大人が読むべき本である。音声として耳から聴くなら、15歳に向けであってもいいだろう。15歳は話のディテールがわからなくても、「感じて」もらえばいいからだ。

 この本は大人が読むべきだといったが、ビジネスパーソンなら、男性であれ女性であれ、第一章から第三章までは、ある程度まで理解できるはずだろう。自らのキャリアを考える上で、先輩の話として虚心坦懐に聞けばいい。サラリーマン経験のある経営者が何を考えているのかがわかる。

 本当に読まなければならないのは、15歳の子供をもつ親、そして教育者である。日本の就労人口のうち8割が、なんらかの形で会社で働いている以上、その会社というものが何をやるところで、会社で仕事をするとはどういうことなのかを、15歳からイメージさせておくことが必要だからだ。

 親は、自分の子供に語るためのコトバを、この本から得ることができるだろう。

 教師が子供に語るためには、会社の実態を自分自身が知っておく必要があるのだが、この本を読めば少なくとも脳内で「疑似体験」はできるはずだ。

 教育も、社会人になってからの基礎作りになるようなものでなければ意味がない。私自身、ある私立学園の諮問委員をここ数年仰せつかっているが、まだまだ企業社会と学校教育のあいだには埋めがたいギャップが存在することを痛感している。
 
 企業は、「自ら課題を見つけ、他人と違った発想ができ、それを人に説得できる人」を求めている。そして仕事は、「明るく、楽しく、前向きに」取り組んで欲しいものである。

 このための必要な教育を、家庭教育にも、学校教育にも求めたいのである。子供は、何のために働くのかがわかれば、何のために学ぶのか自ずから理解して、取り組むはずである。

 この本は、そのキッカケとなるであろう。

              
■bk1書評「とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本」投稿掲載(2009年12月27日)
■amazon書評「とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本」投稿掲載(2009年12月24日)


         





end

2009年12月28日月曜日

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 



    
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」については、私はやや否定的なニュアンスで書いてきたが、これは歴史的な文脈を考えて視聴するべきであると考えるからである。
 ドラマ自体はよく出来ている、と評価したい。私も楽しみながら第一部は全部見てしまった。

 何はともあれ、昨日(12月28日)の放送で第一部が終了、第二部は2010年末、第三部は2011年末とたいへん気の長い話である。
 これだけ長期にわたるTVドラマ作成というプロジェクトは、製作する側からみてもたいへんなことだろう。何よりも、主役を演じる俳優たちが、きちんと自己管理してもらわないと、大きく支障を来すからだ。
 とくに前半の主役三人、すなわち秋山好古秋山真之の秋山兄弟と同郷の正岡子規。それから後半は、秋山兄弟に加えて広瀬武夫、である。
 第一部ではまだ正岡子規は、結核からきた脊椎カリエスに苦しみながらも、まだ養生を続けており死去するには至っていない。撮影はそのうち終わるから、正岡子規役の香川照之はじきに解放されこととなろう。
 広瀬武夫も日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死して「軍神」となって途中で消える。秋山兄弟は最後まで残ることになる。

 そうそう思い出したが、司馬遼太郎の問題はもう一つある。秋山真之についてである。
 「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」の信号とともにZ旗(写真参照)を掲げ、東郷平八郎率いる日本艦隊がパーフェクトゲームとなった日本海海戦を立案した秋山真之参謀は、ビジネスマンから見れば、三国志の諸葛孔明以来の天才参謀といわねばならないのだが、彼は日露戦争後、精神に異常を来したという事実にいっさい触れていないことである。
 日本という「小さな国」がその存亡をかけて戦った日露戦争は、まさに死力をかけて死にもの狂いで戦った戦争である。1948年の建国以来、四面楚歌の状態にあるイスラエルにも比すべき状況であったのだ。いつ国が滅びて植民地化されるかわからない状況であった。
 だから、原作の末尾、故郷松山に戻って中学校校長として生涯を送った、最晩年の秋山好古が死の床で、ロシア軍の最強コサック騎馬軍団との死闘がフラッシュバックとして甦り、うなされていたというのも大いに頷ける話である。司馬遼太郎はこれについては多く語っている。
 しかしながら秋山真之の晩年については多く語ることをしていない。これが残念なのである。小説の構成上仕方がないといえばそれまでなのだが。
 人生の暗い面からひたすら目を背け続けた「国民作家」司馬遼太郎、彼を国民作家といい、「司馬史観」などともてはやしていては、日本人は進化しないだろう。


 さて、本題は司馬遼太郎ではない。比較文学者・島田謹二による秋山真之(1868-1918)の伝記と広瀬武夫(1868-1904)の伝記である。私としては、便乗本である各種の粗製濫造の解説本よりも、島田謹二の伝記2本を腰を据えて読んで欲しいと思うのである。
 それぞれのタイトルは、『アメリカにおける秋山真之 上下』(朝日選書、1975)、『ロシヤにおける広瀬武夫 上下』(朝日選書、1976)である。
 いずれも、文学研究者による比較文学の研究書であり、原資料をして語らしめるという手法を使っているので、正直いって読みやすい本ではない。 明治の漢文体による書簡は極めて読みにくい。しかし明治の、本当の意味で国の命運を背負っていたエリート軍人たちの肉声を聞くことができる意味では貴重である。

 秋山真之の伝記は文庫化もされたようなので、気軽に手にとって読めるようになったことは喜ばしい。もし根気があれば、司馬遼太郎の原作と読み比べてみるのもよいだろう。
 秋山真之が戦艦三笠から発した艦隊出撃報告電報「本日天気晴朗ナレド波タカシ」は後世に残る名言となった。これほど簡潔に表現した文章力は、島田謹二ならずとも、文学作品といわねばなるまい。

 広瀬武夫の伝記の「武骨天使伝」という副題が泣かせる。もうかなり昔のことだが、たまたまNHKのラジオ・ドラマで、異色の画家としても知られる、俳優の米倉斉加年(よねくら・としかね)の語りによるドラマであった。このドラマで広瀬武夫のことを知ったのである。
 ロシアの貴族令嬢との恋、しかし軍人の広瀬は旅順項封鎖戦で戦死・・・というメロドラマ調のものだったが、これがきっかけで島田謹二の分厚い伝記文学を読むキッカケとなった。

 島田謹二による、明治の海軍軍人二人の伝記は、発展途上国あるいは後進国においては、軍事官僚が数少ない知的エリートなのである(!)ということを教えてくれた本である。
 初版が出版された当時はもとより、朝日選書から廉価版がでた1970年代当時は、非現実的な「非武装中立論」などという妄論が幅をきかせていた時代であり、そんな時代に出版された、あえて軍人を称揚した伝記は、毀誉褒貶相半ばであったときく。
 以来40年近くを経て、日本もずいぶんマシになったといえるだろう。しかしながら、いまだに「平和主義」を主張して、連立政権内で妄論を吐いている女性弁護士もおり、リアリズムからまた距離が遠くなった現在の日本国ではあるが。

 明治の日本は後進国であり、発展途上国であった、という事実、この事実を知ったうえで、現在の発展途上国を見つめれば、いたずらに米国や欧州のような居丈高な態度はとれないはずだ。
 東南アジアの軍事政権による開発独裁も、そういった眼で見ることも必要であろう。国家草創期の人的資源には数量的に限界があるためだ。現在では中進国の韓国も同様のプロセスをたどっている。

 しかし、何度も繰り返すが現在の日本は先進国である。貧富の格差が拡大しようが、発展途上国における貧富の格差とは性格を異にする。
 長期スパンでみたGDPの推移のグラフなどをみてみればよい。たとえば、ネット上にはこんなものがある。
 日露戦争当時(1904年)の日本とは、まるで別の国といってよいだろう。

 今後間違いなく、日本は下降局面、すなわち「下り坂」になるが、そうはいっても緩やかな下り坂であるはずだ。
 もちろんGDPや、一人あたりGDPでは個人個人の実感とは違うことはあるだろう。これらの数値はあくまでも平均値であり、格差拡大により大幅に所得が減少している人も少なからずいるからだ。
 資本主義を選択し、上り坂にあった明治時代もまた、格差が拡大した時期である。明治後期から大正時代にかけて労働運動が激化したことを想起しなければならない。明治末期の大逆事件という冤罪、治安維持法のもとにおける、特高による社会主義者拷問などなど。
 こんなことを考えれば、言論の自由の保障された戦後日本は天国のような世界ではないか。戦前に比べたら、はるかにマシな状態であると思わねばならない。

 「下り坂」をうまく下るスキル、これは真剣に考えなければならない国家的プロジェクトではないか。もちろん個々人が取り組むべき課題ではある。
 「上り坂」は息が切れれるが怪我をすることは普通はない。しかし「下り坂」は全身で注意しなければ本当に危険である。いかに安全に下っていくか、これこそ先進国日本の大きな課題であり、チャレンジすべき目標である。
 「昇龍」は中国にまかせておけばよい。しかしその中国も天下をとれるのはたかだか30年、いや20年もないかもしれない。驕れる者も久しからず。これは中国も例外ではないであろう。

 これからの世の中、日本人は決して右顧左眄(うこさべん)することなく、気概をもって我が道を行け! これこそ幕末の志士や、明治の先人たちから受け取るメッセージではないか!?
 ドラマでも一部みられたが、秋山好古も秋山真之も広瀬武夫も、現在の観点からみたら間違いなく奇人変人の類といってもいいすぎではない。彼らはその当時にあっても奇行で知られていたようだ。

 「百万人といえど、我ひとりゆかん」の気概で生きていきたいものである。


P.S.
 ところで、この投稿をもってマイ・ブログ「つれづれ なるままに」への投稿はは201本目となった。
 何事であれ「継続は力なり」と実感している。
 次は300本を目指して書き続けていこう。ネタが尽きることはない。

      
<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?  

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)・・「発展途上国」であった明治日本






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2009年12月27日日曜日

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)(2009年12月27日)





 先日、東京・神宮前のワタリウム美術館で開催されている企画展「ルイス・バラガン邸をたずねる」にいってきた。

 バラガン邸とは、建築家バラガンが、自分のために建築した自宅である。施主という、クライアントのわがままに疲れ果てたバラガンが、自分自身のために作った建築で、2004年には世界遺産として登録されている。バラガン邸はメキシコシティ近郊にある。

 4階建ての美術館のなかに、バラガン邸の一部を空間として再現するという試みで、バラガン邸のなかに入って、書斎、リビングルーム、ダイニング、ベッドルームを体感することのできる展示となっている。

 実際に家具や、装飾品、絵画、書籍、レコードなど、バラガンの遺品をメキシコから借りてきて展示しており、建築家の息づかいが感じられるような空間演出がされていた。

 バラガンの建築物は、日本ではとくに女性に人気があるようだ。その色彩感覚と部屋ごとの空間構成が、思索と癒しをもたらしてくれるからであろうか。

 ルイス・バラガン(Luis Barragán Morfin:1902-1988)は、20世紀メキシコを代表する建築家である。裕福なクライアントの個人住宅の建築を行ったきた建築家で、とくにピンク色の壁面が特徴となっている。

 バラガン邸もそれ例に漏れず、外壁も室内にもピンクを使った、日本人の通常の色彩感覚とはやや異なるテイストであるが、ワタリウム美術館に再現されたバラガンの部屋に入って実際に体感してみると、それほど違和感がないのは不思議な感じがする。

 バラガン財団(Barragan Foundation:スイス)の公式ウェブサイトもあるので、実際の色彩がどうなっているかは、直接ご覧になっていただきたいと思う。

 もちろん、採光を十分に計算した部屋と壁面の色彩であるから、時間帯によって受ける印象が大きく変わってくるのは当然だ。写真集にのっているバラガン邸の写真が非常に濃いピンク色に写っているのは、南国メキシコの日差しが、もっとも明るさを増した時間帯の撮影だからだろう。
 また、メキシコは基本的に日本と比べると空気が乾燥しているので、太陽光線はより強いことも関係しているはずだ。

(写真集 『カーサ・メヒカーナ』)


 バラガンという建築家が私のアタマのなかに定着したのは、つい最近のことなのだが、ずいぶん以前に米国で購入した写真集 Casa Mexicana(カーサ・メヒカーナ:メキシコの家)を実にひさびさに開いてみたところ、第6章は「バラガン・ハウス」となっていた。迂闊だったなあ、とつくづく思う。

 バラガンの建築だけを取り出してみるのもいいが、メキシコの個人建築全体のなかにバラガンを置いてみると、これがまた違和感がない。もちろんバラガン建築の個性は非常にはっきりしているのだが、メキシコ建築のエッセンスがバラガンに取り入れられていることも理解できるのだ。

 このブログでもメキシコについてはメキシコ絵画を中心に書いているのだが、個々の建築家についてはまったく関心を払っていなかったようだ。メキシコは18年前にいったきりだが、1991年に訪れた際にはバラガン邸は訪れていない。 
  
 あの当時は、日本ではあまり関心はなかったように思う。また自分自身、現代建築にはあまり関心がなかったのも事実である。

 米国のサンタ・フェというと、知的な風土をもった町として有名だが、これはニュー・メキシコ州にあることが示しているように、もともとはメキシコの領土であった。乾燥した気候と大地にふさわしい建築物が多く、哲学的、思索的な雰囲気を出している。

 メキシコシティのバラガン邸も同じようなテイストを感じるのは私だけではないだろう。

 なお、バラガンは戦後すぐの時期に自宅であるバラガン邸を建築したのちは、開発業者(デベロッパー)として高級住宅地開発に携わり、成功を収めたという。金銭的な成功だけでなく、自分の思うような空間設計と建築を行う事ができたということでもある。

 ワタリウム美術館でこれまで開催された企画展で、出版物となっているものは何点かもっているが、実際に訪れたのは実は今回が初めてである。岡倉天心南方熊楠にかんする企画展はぜひ見ておきたかったのだが、時間がとれなかったのだった。本だけはもっているのだが。

 ワタリウム美術館では会期中、毎日17時からティータイムがあって、先着10人まで、メキシコ風にハチミツ入りのカモミールティーをいただきながら、バラガン邸から借りてきた椅子に腰掛け、学芸員の方からバラガンについてお話をうかがうことのできる交流会もある。

 こういう双方向性の対話が用意されていることは非常によいことだと思う。

 企画展「ルイス・バラガン邸をたずねる」は、2010年1月24日まで開催。チケットは何度も入れるパスポート形式になっている。




PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にした。 (2014年2月15日 記す)


<ブログ内関連記事>

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
            
『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

(2014年2月15日 項目新設 2014年4月23日 情報追加)



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2009年12月26日土曜日

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ①②③』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2007~)





俺はまだ本気出してないだけ』、自分のことをいいわけするわけじゃないけど・・・・

小学館のマンガ月刊誌 IKKI の公式のサイトに、このマンガの紹介文がある。

「俺は漫画家になる」と40歳で会社を辞め、夢を追いかけはじめた大黒(おおぐろ)シズオと、彼に振り回されて「いい迷惑っ!」な家族を巡る、苦笑い哀愁ドラマ――第17回イッキ新人賞「イキマン」受賞作家がおくる男のロマンと哀愁たっぷり、ナイス! おっさんコメディー。

 なんともいえない味のあるコミック作品。
 40歳すぎた"オッサン"たちはもちろんのこと、40歳になっていないアラサーの男性も女性も、このマンガの味わいは、わかる人にはわかるだろう。わからん人にはわからんだろう。
 けっして万人受けする内容とタッチのマンガではないのだが、けっこう癒し系とかいって、じわじわと人気を広げているようだ。東京都心部には、店頭に積み上げている書店もある。

 40歳すぎて人生やり直す!?・・・それもなんとなく、というのがこの時代にありそうな、なさそうな・・・いや、余儀なくやり直す、という人のほうが多いだろう。
 こんな夢みたいな夢(!)を語っていたら、「オッサン、あんたええ年こいて、アホちゃうか?」、と突っ込み入れられるだろう。
 夢を追うといっても、とりわけマンガ家になりたかったというわけでもなく、会社員の人生に飽きたからという理由で?・・・それがこのマンガの主人公だ。しかもバツイチで娘と自分の父親との三人暮らしである。

 月刊誌の連載なので、第3巻が現在のところ最新刊だが、ようやく主人公のオッサンはマンガ家デビュー(?)というところまでこぎ着けた。この間に2年たち、オッサンは42歳になった。
 もう出るはずの第4巻が、いっこうに出ないんだけど・・・

 『俺はまだ本気出してないだけ』、自分のことをいいわけするわけじゃないけど・・・・ね。
 オレもいつ芽が出るのか??・・『俺はまだ本気出してないだけ』、といいわけしとくかな・・・もちろん、努力だけはしないとね。

 人からみたらどう考えても"瀬戸際人生"、いや"綱渡り人生"にみえようと、本人は自分の内面の声(?)に素直なだけなのだろう。
 つねに"ワイルド・サイド"を歩く人生、これはホリエモンが社名変更する前の会社名 On the Edge の人生でもあるね。

 みんな、うまく波に乗れるといいんだけどね・・・が~んば!!

             




<ブログ内関連記事>

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ①②③』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2007~)

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ④』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2010)
 
(2016年2月6日 情報追加)



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2009年12月25日金曜日

チャウシェスク大統領夫妻の処刑 1989年12月25日


               
 ルーマニアの独裁者であったチャウシェスク大統領とその妻が逮捕され、形式的な即席裁判によって死刑を宣告され、20年前のきょう銃殺刑になった。

 すでに歴史上の一エピソードとなっているのかもしれない。

 ルーマニアのハンガリー系住民の居住地域の中心であるティミショアラで反乱が発生してから、あっという間にルーマニア全土に広がった反乱。
 第二次世界大戦で使用されたような旧式なライフル銃を使用しての市街戦の映像が記憶に焼き付いている。
 それもつかの間、チャウシェスク大統領夫妻が逮捕され、処刑された。

 ベルリンの壁崩壊のニュース映像をリアルタイムで見れなかった私も、さすがに年末は手が休まっていたので、自宅でルーマニア動乱のニュースをフォローすることができた。
 天安門事件から始まった1989年の動乱は、ベルリンの壁崩壊で頂点に達し、そしてチャウシェスク大統領の処刑で幕を閉じた。20世紀でもっとも長い一年だったような気がする。

 チャウシェスク大統領夫妻の即席裁判と銃殺シーンについては、その当時日本のTVでも視聴したが、現在では YouTube で、英語のナレーションと字幕がついた映像をみることができる。
 装甲車から引きずり出されるチャウシェスク、たった19分間の即席裁判とその直後の銃殺刑の瞬間、そして銃発射による硝煙のあがるなか、チャウシェスク夫妻の死亡が確認されるシーンがある。題して、Nicolae Elena Ceausescu executed(7分26秒)



 のちに、チャウシェスク大統領夫妻の処刑は、ルーマニア共産党内の「宮廷革命」といわれた。共産党支配の終焉ではなく、共産党内の反チャウシェスク派が動乱に乗じて政敵を抹殺した事件だったという。
 
 私の世代が中学校の「地理」で勉強していたルーマニアは、産油国であるがゆえに、燃料エネルギーをソ連に依存する必要がなく、チャウシェスクはソ連に対しては自主独立路線を貫く"英雄"として、西側諸国ではみなされていた。ある意味、ユーゴスラヴィア(当時)のチトー大統領のような存在だったような記憶がある。

 チャウシェスク大統領夫妻は、ルーマニアの首都ブカレストから、北朝鮮に向けて脱出する寸前に逮捕されたと、その当時はいわれていた。
 もし脱出に成功して北朝鮮に亡命していたら、その後どうなっていただろうか。ハーグに召還されて裁判にかけられていたことだろうか。

 すでにチャウシェスク時代、悪化していたルーマニアの経済的苦境はいまだに続いているようだ。最近はどうかしらないが、ルーマニアではエイズ被害が拡大し、都市部ではマンホール・チルドレンが大量に発生したときいている。
 1992年に私がはじめてトルコのイスタンブールにいったたとき、やけに金髪女性が多いなと思ったのだが、聞くところによれば、その当時のイスタンブールの売春婦はルーマニア人が多かったという。イスタンブールからは陸路でつながっているし、直通列車もあるから、その話は正しい情報だったと思われる。
 独立以前のルーマニアは、オスマン・トルコ帝国の統治下にあった。
 
 いまだに、ルーマニアとブルガリアにはいっていないのが残念である。ハンガリーのルーマニア国境近くまではいっているのだが。
 EU加盟も決定しているルーマニアは、欧州では賃金水準が低いので、製造業の誘致が積極的に行われている。
  紙とエンピツがあればできるのでカネがかからないという理由で、共産主義時代から数学にチカラが入れられてきた旧共産圏、とくにルーマニアには、腕利きのコンピュータ・ハッカーが多いとも聞いている。
 豊かな先進国では理数離れが止まらないが、経済的に豊でない国では数学が人的資源の大きな武器になっているようだ。これは共産政権時代の"正の遺産"といえるだろう。
 もちろん、インターネット犯罪大国と化したルーマニアを正当化する意図はまったくない。数学に限らず、科学技術というものは諸刃の剣であり、使い方次第で善用もできれば、悪用もできる。社会の安定がすすめば、数学レベルの高さは国家発展に善用されるはずである。
 ルーマニアは、体操競技の妖精コマネチだけではないことを知るべきだろう。もっともナディア・コマネチは、ハンガリー系ルーマニア人である。

 バルカン半島にあって、多数派であるスラブ系でないルーマニアは、ラテン系の言語をもつ民族である。
 日本語ではルーマニアというが、本来の発音はロマーニアに近いことからもわかるように、ローマをその民族名と国名に含んでいる。

 もっとルーマニアに注目すべきであろう。
                 


P.S. この記事の閲覧数が多いのを感謝する意味で、YouTube キャプチャ画像を付け加えた(2011年2月24日)



<ブログ内関連記事>

書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010)

映画 『イメルダ』 をみる

「絶対権力は絶対に腐敗する」-リビアの独裁者カダフィ大佐の末路に思うこと

(2014年9月4日 情報追加)


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