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2010年4月30日金曜日

本の紹介 『「空気読み」企画術-「消費者の隠れたニーズ」を見つけ出す-』(跡部 徹、日本実業出版社、2010)の紹介




「企画術」とは「人を動かす方法論」のことである

 たしかに昔にくらべるとモノを売りにくい時代になっている。そういわれ始めてからすでに20年近くたっているような気もする。経済的な先行き不安があって財布のヒモが固いというわけでもない。モノがあふれ、特にほしいものもないからだ。しかも、消費者自身も何がほしいのか本当のところよくわかっていない。
 そんな状況に、消費者が無意識に思っていたこと、意識はしていてもコトバにして表現できなかったことを満たす商品やサービスがでてくると、「そうそうこういうのが欲しかったんだ」ということになる。
 つまり、消費者自身がなんとなく思っていても、コトバにはしていなかった無意識の領域にさぐりを入れて、そこから解決策を見いだす企画を打ち出すことができれば、突破口が開けないわけではないのだ。
 しかしこの企画をどうたてるか、これはそう簡単なことではない。

 そんな企画案を考えなければならなくなったビジネスパーソンに対して、これ一冊でわかる企画術の入門本がないかと聞かれれば、本書を推薦したいと思う。R+(レビュープラス)からの献本をいただいて存在を知った本である。
 しかも、もちろん仕掛けを考えるのはビジネスパーソンだけではない。ある意味ではすべての人にとって企画力の有無が大きな違いを生み出す時代になってきている。 
 世の中にはすでに企画術の本はあふれかえっているのだが、一般消費者向けの新商品やサービスの企画を業務としていないフツーのビジネスパーソンには、必ずしも読んですぐに理解できて、しかも実践に移せるという内容の本は必ずしも多くないからだ。
 本書は、誰でも読んで納得できる、非常にわかりやすい本である。

 「空気読み」というタイトルは賛否両論を引き起こしやすい(・・しかも著者は自分が経営する会社の社名にまでしている!)。私も最初このタイトルをみて、ちょっとした違和感を感じたが、内容はしごくまっとうな手法で、企画術のトレーニング方法とフレームワークの使い方について無理なくロジカルに解説を行っている。「空気読み」というタイトルで読者を関心を喚起するというタイトルづけも、本書の企画自体がすぐれた企画となっていることの証拠であろう。
 本書の特徴は、企画から商品化までの期間(リードタイム)に応じて、ユーザーのニーズを表層から深層まで階層化し、「隠れたニーズ」を発見するための思考の整理方法と具体的なアイデア出しのための手法、そして企画案をつくってプレゼンするまでの一連のプロセスをわかりやすく説明していることにある。
 本書は奇をてらった内容の本ではない。誰にでもマネのできる手法であるから安心してよい。

 目次を紹介しておこう。

第1章 なぜ、「空気読み」でいい企画が作れるのか?
第2章 空気が読める「発見体質」に変わるトレーニング
第3章 誰でもヒットメーカーになれる「空気読み」の技術
第4章 関係者のメリットを描き企画に落とし込むフレームワーク
第5章 企画をみんなに理解させ人を巻き込むプレゼン術

 まずは、著者のいうことにしたがって素直に受け止めて、自分でも再現することから始めてみればいいだろう。フレームワークというのはそのために存在するものだ。
その後、慣れてきたら、自分なりの方法論を確立していけばよいだろう。それが仕事ができる人になるための近道である。

 企画術とは、広い意味で、人を動かす術のことである。 






<著者紹介>

跡部徹(あとべ・とおる)
1974年生まれ。宮城県出身。株式会社空気読み代表。東北大学卒業後、株式会社リクルートで、メディアプロデュースを担当。自動車領域(「カーセンサー」)、通販領域(赤すぐシリーズ「赤すぐ」「妊すぐ」「赤すぐキッズ」)で編集長を歴任。現在は独立し、「消費者の気持ちやトレンドの背景をとらえたアイデア・企画により、儲かる場を運営する」をモットーに、中小企業から大手企業までを対象に、メディアの企画立案・新規事業の立ち上げ支援を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



                  
         

2010年4月28日水曜日

書評 『戦いに終わりなし-最新アジアビジネス熱風録-』(江上 剛、文春文庫、2010)




アジアビジネスへの著者の貪欲な関心と深い洞察力が示された、読み捨てにできない本


 2008年に単行本が出版された本書は、もともと2007年に「文藝春秋」に連載されたものだという。だから、この本に描かれた内容は、すでに3年前のものである。 
 文庫化されたのを機会に、あらためて読み直してみたが、とくに古さを感じなかった。おそらく、この本が情報の新しさだけをウリにしたものではないのがその理由だろう。この3年間に限ってもアジアの変化は激しいものがあるのだが、アジアビジネスの現実に対する一般日本人の関心の低さに、あまり変化がないこともまた、原因の一つかもしれない。
 旧第一勧業銀行銀行(現在みずほ銀行)出身で、支店長経験もあるビジネス小説作家である著者の、アジアビジネスの現場を知りたいという貪欲な関心と深い洞察力が示された本書は、読み捨てにできない内容の濃い本なのだ。

 インド、シンガポール、ベトナム、タイ、韓国、インドネシア、中国・・・。私自身、本書で描かれたすべての国を、本書が執筆されたのと同時期にビジネス目的で訪れているし、とくにタイ王国においては現地法人をたちあげて経営していた経験もあるので、現地事情にはつうじていたつもりだった。しかし、本書を読みながらところどころで出会った著者の洞察力には、おおいに唸らされたものである。何度もギクリとする指摘に出会うことになった。

 たとえばこんな一節がある。

「今も、日本は山田長政だと思う。タイの工業化を進める上での傭兵にすぎない。それならば、それでもいいではないか。ただ傭兵は、いつでもその価値を磨いていなければ捨てられる」(第5章)
(太字強調は引用者による)

 かつて、日本航空(JAL)出身で豊富な海外駐在経験をもつ作家・深田祐介による『東洋事情』が、リアルタイムのアジアビジネスを追いかけてシリーズ化もされていた。しかし、ビジネスの現場を熟知しており、かつ筆力のある作家によるアジアビジネス報告が、その後みられなくなったのを、たいへん残念に思っていた。
 作家・江上剛による本書は、深田祐介のものに勝るとも劣らない作品である。アジアビジネス関連の類書のなかでは、群を抜いた内容である。ぜひシリーズ化してもらえないものだろうか。

 著者は「まえがき」でこういっている。「過去において取引先の経営者たちにまともなアドバイスのひとつもできなかった償いに、私は、アジアを徹底的に見たいと思っていた。まずは、自分の目で現在のアジア市場を直接確かめることで、日本の進むべき道が見えてくるのではないか、と考えたのだ」。
 日本国内とアジア現地との認識ギャップは、自ら現地に身を置くことによって、はじめて肌身をつうじて体感することになる。この文庫本は、必ずやそのための「道しるべ」になるはずだ。

 疑似体験であってもいい。ぜひ一読してアジアビジネスを体感してほしい。


<初出情報>

■bk1書評「アジアビジネスへの著者の貪欲な関心と深い洞察力が示された、読み捨てにできない本」投稿掲載(2010年4月14日)





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書評『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)・・必読書!

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編



               

2010年4月26日月曜日

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール




クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール

 2005年11月から2008年9月までの2年10ヶ月、正確には1035日にわたってタイ王国に特命全権大使として赴任していた著者によるメモワールである。

 大使赴任中のタイは、もはやあるまいと思われていたクーデターが発生、その後の軍政を経て、国民投票による新憲法の承認、民政移管と目まぐるしく動いている激動の現代政治の渦中にあった。

 しかし、本書にはクーデターそのものについての記述はあまりない。

 クーデターそのものよりも、総選挙の無効にともない暫定首相となったタクシン政権の末期から、クーデターによるタクシン追放、クーデターを主導した陸軍が擁立したスラユット首相の政府の承認をめぐる中国との先陣争い、日タイ経済連携協定(=日タイFTA)の署名問題をめぐる舞台裏、そして民政移管、といっためまぐるしく動いていたタイの政治状況と日本の関与について、日本外交の最前線の立場からの回想がつづられている。

 大使の重要な公務には、駐在国の政治家たちを公邸に招待し、昼食や夕食で接遇して歓談しながら、彼らの人となりをじっくり観察するというものがある。
 
 正式に招待し、実際に食事をともにしたのは、ワチラロンコーン皇太子夫妻やシリントーン王女をはじめとする王族から、めまぐるしく交代した4人の首相(タクシン、スラユット、サマック、ソムチャイ)、そして1991年の民主化闘争をリードし2008年11月のバンコク空港閉鎖事件に大きな影響を与えたチャムロン、現在に至るまで隠然たる存在感を示している枢密院議長プレームなど、名前は耳にすることはあっても、一般人が直接会って会話する機会などまずない人たちばかりである。

 直接タイの政治を動かしてきたこうした人々の素顔が、会話の内容の一部や声のトーンまで含めて紹介されているのだが、アルコールが入ってリラックスした席での、海千山千のタイ人政治家たちの肉声が実にナマナマしい。息づかいまで聞こえてくるようだ

 ときには歓談後グッタリしてしまうような経験も数多くしたと著者は率直に本書のなかで漏らしており、そういったことを記述する著者の態度には大いに好感がもてる。機密情報にかかわる記述はいっさいないとはいえ、記録としてはたいへん貴重である。

 私にはとくに、タイの王室にかんする記述が興味深く思われた。クーデター発生前に挙行された最重要イベントである「プーミポン国王即位60周年」と天皇皇后両陛下の訪タイをめぐる皇室外交の舞台裏、大使信任状奉呈式と離任のためホアヒンの離宮で謁見したプーミポン国王の素顔、公邸に正式招待して親しく歓談したワチラロンコーン皇太子の素顔は、非常に興味深く読むことができた。

 なぜなら、タイ国内では王室関連の話は公開情報が限定されているため、とかくタイ人の語る「都市伝説」まがいの尾ひれのついたウワサ話が多く流通し、それがまた在住日本人のあいだでさらに増幅されて、まことしやかに語られていることが少なからずあるからだ。当事者でない以上、真相がどこにあるかはまったくわからないのだが、本書を読むとウワサ話だけで判断することがいかに危険なことであるかを思い知らされるのである。

 ちょうど著者の赴任期間とほぼ重なる時期にバンコクに在住していた私には、たいへん興味深い内容の本であった。

 タイに関係する人だけでなく、タイには観光以上の関心を抱いている人にはおすすめの一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール」投稿掲載(2010年4月19日)
■amzon書評「クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール」投稿掲載(2010年4月19日)


<書評への付記>

 今年3月からタクシン派である「赤シャツ組」がバンコク市内の商業地域やビジネス街を占拠して「場外乱闘」をつづけているが、そのタクシン元首相がクーデターという超法規的手段によって追放されたのが、2006年9月に発生した、もはやあるまいと誰もが思っていたクーデターであった。

 1991年の「流血の5月」の引き金となったクーデター以来15年、タイ王国には民主主義が定着したものだと思い込んでいたのだが、それは大きく裏切られる結果となった。

 タイのクーデターはかつて年中行事のように発生しており、1991年当時の駐タイ日本大使で現在は政治評論家の岡崎久彦氏を中心にまとめられた『クーデターの政治学-政治の天才の国タイ-』(岡崎久彦/横田順子/藤井昭彦、中公新書、1993)で主張されているように、そのほとんどが無血クーデターであり、いわば超法規的な手段による、政治のシャッフル手法として多用されてきた。クーデターが成就すると同時に憲法が停止される。フジモリ政権下のペルーや、エリツィンのロシアでも使用された手法であるが、タイの場合は通常は無血クーデターである。

 国民もまたクーデターに違和感をもたず、非常事態には deus ex machina としての国王による仲介に依存するという「甘えの構造」がタイ国民のあいだに醸成してきたことは否定できない。

 岡崎氏はこれをさして「政治の天才」というのだが、国内的にはいいとしても、現在のようなグローバル経済のもとでは、レピュテーション・マネジメントの観点からいって、クーデターは望ましいものとはいえない。民政移管されるまでのあいだ、欧米のマスコミによってタイはミャンマーと同列に扱われれていた。

 2006年のクーデター後は本書にも書かれているが、軍政のもとスラユット退役陸軍大将による暫定政権が新憲法の国民投票を実行、民政移管までの期間を無事に乗り切った。しかし、軍政期間中は経済運営がうまくいかず、タクシン時代と比べるとビジネスにとって好意的な環境であったとはいいがたい。

 2008年11月には「黄シャツ組」によるバンコク国際空港占拠という非常事態を招く結果となった。小林大使はこの前に離任しているので、空港占拠事件については言及が少ないので補っておく。

 この時もクーデター待望論が国民のあいだからわき上がってきたが、陸軍司令官は軍を動かさず、憲法裁判所による違憲判決によってタクシン派のソムチャイ政権を退陣させるという、「司法によるクーデター」という新手の手法が開発された。

 陸軍司令官のアヌポン陸軍大将はまさに知将というべきで、タクシンとは士官学校で同期生でありながら、きわめて政治的バランス感覚のすぐれた軍人である。

 ただしクーデターが今後まったく起こらないとは断言できない。ラストリゾート(最後の手段)としては、これしかないということになるかもしれない。

 現在も「赤シャツ組」がバンコク市内の占拠をやめておらず、市内各地で爆弾テロも頻発している。しかし、2010年度の第一四半期(Q1)の製造業の業況も、商業銀行の業績も好調である。

 日本のマスコミは勉強不足なため、現地取材による情報がそのままダイレクトに日本で報道されるわけではない。どうしても絵になりやすい情報だけが日本国内で配信されえることになる。

 自分なりの視点で状況分析を行う必要があるのだが、そのためにも、日々の情報に流されることなく(・・もちろん、時々刻々と変化する情報を追うことも必要)、背景についてよく知っておくことが必要である。


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書評『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)・・必読書!

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書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ







                   

 

2010年4月25日日曜日

書評『知的複眼思考法 ー 誰でも持っている創造力のスイッチ』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)-「複眼的思考法」は現代人にとっての知恵である!




現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことなのだ

 「複眼思考」を自分自身の「ものの考え方」として身につけて使いこなす方法を、著者自身による教育実践を踏まえて、具体的な方法論として紹介してくれた、日本語では初めて出版された本である。

 自学自習用のテキストとしても活用できる、「自分のアタマで考える」ための基礎をつくる必読書といってよい。

 本書は、基本的に1996年以前の6年間に当時の大学生(・・それも著者が教えていたのは東大生だ!)に「ものの考え方・・」を教える経験をつうじて生まれた本であり、大学生を主要な読者として設定している。

 東大生ですら、いや東大生だからこそ、受験勉強でアタマがコチコチになって、思考の柔軟性がなくなっていたようだ。「複眼思考」とは、思考に幅広さと柔軟性をもたらし、創造力の基盤となる「ものの考え方」でもある。

 とはいえ、もちろんビジネスパーソンも読める本であることはいうまでもない。日本の大学教育では、なぜか「ものの考え方」が、方法論として教育されてこなかった。その意味では、大学生だけでなく、ロジカルシンキングを身につけたいビジネスパーソンにとっても必読書といってよいのだ。

 著者による問いかけを自問自答しながら、順番に読み進めてゆくうちに、おのずから「複眼思考」のなんたるかが体得できる、ムリのない構成になっている。

 序章 知的複眼思考法とは何か
   知的複眼思考への招待
   「常識」にしばられたものの見かた
   知ることと考えること
 第1章 創造的読書で思考力を鍛える
   著者の立場、
   読者の立場
   知識の受容から知識の創造へ
 第2章 考えるための作文技法
   論理的に文章を書く
   批判的に書く)
 第3章 問いの立てかたと展開のしかた-考える筋道としての問い
   問いを立てる
   「なぜ」という問いからの展開
   概念レベルで考える)
 第4章 複眼思考を身につける
   関係論的なものの見かた
   逆説の発見
   「問題を問うこと」を問う

 1996年に単行本初版がでてからすでに15年近く、2002年に文庫化されてからもロングセラーをつづけている本書だが、著者が「あとがき」にも書いているように、1995年のオウム事件に際して「複数の視点からものごとをとらえていくことの重要性、そしてまたそれをなるべく広く読者に伝えることの大切さを、あらためて感じた」(P.375)という。

 著者も本書のなかで指摘しているように、とかくビッグワードやマジックワードが一人歩きして、ものを考える手間を省略したがる傾向のある日本では、「複眼思考」をしっかりと身につけて、あふれかえる知識を自分なりに制御して生きてゆくことは、サバイバルのツールとして不可欠といってよい。

 「知識社会」が到来したさかんにいわれているが、インターネットの存在によって知識量そのもので勝負がつく時代は完全に終わっている。本当に必要なのは知識そのものではなく、知識を使いこなす知恵である。現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだと言い換えてもいいだろう。

 本書には、著者が米国の大学院で鍛えられた、いい意味でのアングロサクソン的思考法が全編を貫いている。

 現代人にとっての必読のテキストとして、あらためて推奨しておきたい。


<初出情報>

■bk1書評「現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだ」投稿掲載(2010年4月23日)




<書評への付記>

 苅谷剛彦氏は、教育社会学専攻、教育問題を社会学の観点から研究する学者で、『大衆教育社会のゆくえ-学歴主義と平等神話の戦後史-』(苅谷剛彦、中公新書、1995)という名著で、いちはやく教育における格差問題を、データをもとに実証して論じていた。教育が不平等を再生産している現実を指摘し、脱神話化をおこなった。

 その後も旺盛な著作活動で、日本の教育をめぐる状況に様々な・・を投げかけてきた論客である。

 1955年東京生まれ、東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、ノースウェスタン大学大学院博士課程を修了、社会学博士。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、現在はオックスフォード大学教授。

 苅谷氏とは、私立大学の教育諮問委員として一時期、同席して親しくお話させていただいたことが何回かある。

 帰りの電車のなかで、「ベストティーチャー」といわれているんですよねーと聞くと、あまりうれしそうな反応でもなかったのが印象に残っている。「ベストティーチャー」マスコミが勝手に貼り付けたレッテルだろうか。レッテルが勝手に歩き回るというのも痛し痒しといったところだろうか。
 
 マスコミ情報だけでものごとを判断するのは危険がともなう、ということでもある。

 その意味は、本書を読めばよく理解できるはずだ。



<ブログ内関連記事>
            
書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ
・・『知的複眼思考法』の著者によるオックスフォード大学に移籍後の著作

書評 『ことばを鍛えるイギリスの学校-国語教育で何ができるか-』(山本麻子、岩波書店、2003)-アウトプット重視の英国の教育観とは?

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・「とかくビッグワードやマジックワードが一人歩きして、ものを考える手間を省略したがる傾向のある日本」で気をつけなければならないこと

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ
・・「意図せざる結果」については本書でも詳しく説明されている

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・政治哲学者サンデル教授のソクラテスメソッドによる対話型授業ときわめて高度なファシリテーション技術

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

(2014年1月8日、8月17日 情報追加)


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2010年4月24日土曜日

『グーグルのグリーン戦略 レビューコンテスト』 で、【準グランプリ】 をいただきました。


                 
 私事(わたくしごと)ではありますが、朗報です! 
 『グーグルのグリーン戦略 レビューコンテスト』 で、【準グランプリ】 をいただきました。

◆ 書評『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010) ここをクリック


 以下は、コンテストを主催している「R+コンテスト事務局」からいただいたメールから転載させていただきます。

著者ならびに編集者による厳正なる審査の結果、
ご応募頂きました下記エントリーが見事、

【準グランプリ】

に選ばれましたのでご報告致します。おめでとうございます!

───────────────────────────────────
【エントリータイトル】
書評 『グーグルのグリーン戦略』(新井宏征、インプレスR&D、2010)

【URL】
http://e-satoken.blogspot.com/2010/04/r.html

【著者コメント】
論理的にストーリーが進められていて、ボリュームの多さを感じさせず、
メッセージが明確な書評でした。また、今後についてのコメントもあり、
著者として参考になる点が多かったです。

【編集者コメント】
「インターネット社会を成立させるための基本インフラが電力網である」と極めて
本質的な捉え方をしながら、グーグルにとって最大のテーマは「エネルギーインフ
ラの再構築」と明言するなどしっかりとした書評になっている。また、本書に関す
る全体像の見えにくさ、著者の視点の打ち出し方への注文など、辛口の書評となっているが、これは、著者の今後への期待ととらえることができる。
───────────────────────────────────

 入賞はまったく意識せず、かなり辛口の書評を書きましたが、著者からも、編集者からもきわめてフェアな評価をいただきうれしく思います。

 書評に書きましたが、もう一度繰り返します。『グーグルのグリーン戦略』のテーマ自体は非常に重要なものです。
 「クリーン」(clean)で「グリーン」(green)なテクノロジー開発、どうしてもテクノロジーというとIT(インフォメーション・テクノロジー)ばかりが注目される状況ですが、社会基盤であるエネルギー・インフラ面への関心を多くの人にもってもらいたいと考えているためです。

 私自身の専門分野ではないので、今後も大いに啓蒙していただけることを期待しております。個人的には、「電気自動車とスマート・グリッドと IT の三題噺」を読みたいものです。

 次回のテーマはさておき、次回作を大いに期待しております。







(2012年7月3日発売の拙著です)









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2010年4月22日木曜日

書評『知的生産な生き方 ー 京大・鎌田流 ロールモデルを求めて』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)ー 京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」




東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集

 「知的生産」にかんする本はむかしから読んできたが、最近のものでは火山学者の鎌田浩毅・京大教授のものが面白い。
 ド派手でオシャレなファッションで、テレビでも十二分に「キャラ立ち」している鎌田教授の一般向けの一連の著作は、理系の思考法を豊かな教養で裏付けた、プラクティカルで、しかも平易な語り口によるものだ。
 この意味においては、梅棹忠夫の『知的生産の方法』(岩波新書、1969)にも連なる、京都の知的風土が生み出してきた、きわめて良質な部分を継承しているといってもいいだろう。

 この本は、『一生モノの勉強法-戦略とノウハウ-』(東洋経済新報社、2009)が生まれてきた背景を探った、ビジュアル・エッセイ集のような趣の本である。前者が、大学生からビジネスパーソンまで、知的生産にかかわる者であれば、すぐにでも使えるスキルやノウハウを紹介した内容の本であるとすれば、後者は、むしろライフワークともなるべき長期的なテーマを探して、じっくり取り組むためには何が本質的に必要であるのかについて語った内容の本になっている。
 いっけん軽く読み流せるような体裁の本だが、中身はけっこう本質的なことに触れている。それは「京都」のもつ意味について語っているからだ。個と自由を尊び、人間関係においては適度な距離を保つ風土の京都は、いつの時代も外部の才能を受け入れ、自らを活性化してきた歴史をもつ。東京生まれで東京育ちの著者もまた、ヨソからきて厳しい京都の風土で鍛えられ、京都で自己実現した一人である。

 京都の風土で培われた、精神的に豊かな「知的生産な生き方」をつづった本書は、豊かな教養があってこそ知識が生きたものとなり、また自分のペースを守ってこそ創造的な良い仕事ができることを自ら実証している。
 氾濫する情報に日々追いまくられる効率一辺倒の東京から、物理的に身を離していることで可能になる「知的生産な生き方」。たとえどこに住んでいようと、自分のなかに「心の京都」をもつことをすすめる著者のアドバイスは傾聴に値する。
 なによりも、副題になっている「ロールモデルを求めて」いる著者自身が、読者にとってはロールモデルとなるわけだ。

 この本は、必ずしも即効性はないが、より深いレベルでの知的生活を志向するする人にとっての、またとない「自己啓発本」となっているといえよう。


<初出情報>

■bk1書評「東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集」投稿掲載(2010年2月24日) 
■amazon書評「東京出身の「キャラ立ち」教授による、京都の知的風土のなかから生まれてきた、ワンランク上の「知的生産な生き方」について語ったエッセイ集」投稿掲載(2010年2月24日) 


<書評への付記>

 
 目次を紹介しておこう。

『京大・鎌田流 知的生産な生き方-ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

第1章 知的生産の現場で
第2章 本は手元に置きたい
第3章 知的な生き方には教養が不可欠だ
第4章 京都に暮らす
第5章 食と豊かな人生
第6章 旅行―非日常という楽しみ
第7章 瞑想的な生活とオフタイムの効用
第8章 人と人とのかかわりから生まれる「活きた時間」




京都は観光都市だけではない!

 京都は、外部からさまざまな才能を惹きつけ、ふるいにかけた上で受けいれて自らを活性化してきた歴史をもつ。本書の著者である鎌田浩毅氏も、受け入れられた一人であるといっていいだろう。
 明治維新以後の首都東京のように、官僚と大企業(・・ある意味では大企業も官僚そのものだ)の都市というよりも、「知的センター」として学問の中心であり、かつきわめてプラグマティックな精神風土をもっている。古都でありながら、あたらしもの好きという、京都人はきわめつけのベンチャー体質をもっているといってよい。

 学問の世界でいわゆる「京都学派」といわれるものとしては東洋史学が一番有名だが、これも内藤湖南という秋田出身のジャーナリストを外部からの招聘して、教授に据えたことから出発している。
 これは哲学でも同様で、創始者となった西田幾多郎は金沢出身であり、純粋の京都出身者がきわめて少ないことは、『物語 京都学派』(竹田篤司、中公叢書、2001)にも詳述されている。
 また京大には東南アジア研究センターもあり、日本での研究の中心になっている。
 これは、ハーバード大学など米国の有力大学にも共通する特徴であるようだ。人材はつねに外部から求め、厳しい競争のなかで切磋琢磨させる。こういう環境のなかかからしか、本当の才能は生まれてこない。独創性とは、人と違うことをやることからしか生まれてこない。

 ビジネス界でも、京セラの稲盛会長(現在 JAL会長)は鹿児島出身。鹿児島といえばノーベル賞受賞者の田中氏の在籍する島津製作所も京都の老舗ハイテク企業、このほか京都近郊の出身者も含めて「京都モデル」といわれる徹底した合理主義に基づいたハイテク企業は、半導体のローム、村田製作所、小型モーターの日本電産、計測器の堀場製作所など枚挙にいとまない。
 日本型経営というよりもむしろ米国型にも近い京都の合理主義経営は、グローバルに勝負できる経営モデルでもある。すべてを内部に取り込んで抱えこむことはせず、必要なものは必要なときにヨソから買ってくればいいという合理性。ネットワーク型である。
 ある意味で数ある大学を知的センターとして、ハイテクベンチャーが数多く生まれてくる京都は、米国カリフォルニア州のシリコンバレーに似ている。スタンフォード大学が日本センターを京都に置いているのは、その意味ではきわめて正しい選択である。

 また、お笑いの世界でも大阪の吉本興業を代表する島田紳助が、京都出身だということは、関西以外ではあまり知られていないようだ。
 政治の世界でも、いわゆる「革新派」が長く居座っていたため、産学協同が長い間にわたって阻害されたという歴史もあるが、革新志向がきわめて強い土地柄であることもまた事実である。『突破者』の宮崎学もまた京都出身である。
 しかし、それにしても、本書には天一(てんいち:天下一品)餃子の王将も登場しないこの本は、やはり東京人が書いた京都本なのだなあ、とは思う。飲食の分野におけるこれらの企業もまた革新的な存在である。コテコテというと大阪の代名詞のように思っている人が多いが、天一も王将も京都発の飲食ビジネスである。京都人が、湯豆腐や湯葉ばかり食べているわけがないではないか。
 サービスの点では天下一品のタクシー会社 MK も京都である。任天堂も、ワコールもまた京都企業である。

 京都は、観光都市という側面だけで語ってほしくないのである。生きた人間が住んでいる都市であるから当然といえば当然だ。しかも歴史の集積度は、東京の比ではない。
 この話題はキリがないので、ここらへんでやめておこう。
 


鎌田氏が一番好きな映画『愛のイエントル』

 本書では、バーブラ・ストライサンド製作・監督・主演の『愛のイエントル』が一番好きな映画だとして、講義中に映画の内容について語り出したら、涙が止まらなくなったと吐露している。
 私もこの映画が大好きだ。この映画については、以前このブログでも紹介したので参照していただけると幸いである。
 本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)


『一生モノの勉強法―京大理系人気教授の戦略とノウハウ』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

 この本もおすすめである。ど派手で奇抜なファッションがイヤだ、という人もいるだろうが、中身はきわめてプラティカルでかつ内容がある。


第1章 面白くてためになる「戦略的」な勉強法とは
第2章 勉強の時間を作り出すテクニック
第3章 効率的に勉強するための情報整理術
第4章 すべての基本「読む力」をつける方法
第5章 理系的試験突破の技術
第6章 人から上手に教わると学びが加速する





               

2010年4月21日水曜日

書評『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)ー ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを "盗み取る" べきだ



ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ

 「知的生産」にかんする本はいまではたくさん出版されているが、この本は老舗である「知的生産の技術研究会」によるものだ。通称「知研」は、現在ではNPO法人になっている。
 
 「知的生産」において革命的な影響を与えた原典である、梅棹忠夫の『知的生産の方法』(岩波新書、1969)以来すでに40年、「知的生産」の担い手は学者から、一般のビジネスパーソンへと大幅に拡大されて今日に至っている。

 最近はビジネスパーソン向けの「勉強法」のノウハウ本も多いが、ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論を真似てみることが重要だ。なぜなら、どんな分野でも、仕事とはアウトプット以外の何者でもないからだ。身近に「知的生産」の人がいれば直接ワザを"盗み取る"のが一番だが、そういう環境にない人は、こういう本から"盗み取る"のが手っ取り早い。
   
 この本では、登場する21人を、「書斎派」、「フィールド派」、「出会い派」、「場所を選ばない人々」の4つのカテゴリーに分類しているが、これはあくまでも便宜的なものだと考えるべきだろう。「知的生産」に携わる人は、何らかの形でみなこの4分野にあてはまるからだ。実際に読んで確かめて欲しい。
 
 どんな人でも仕事をしている限り、自分の「現場」(フィールド)をもっている。"評論家"にならずに、本当の「知的生産者」になるには、自分の「現場」をベースにして、それをいかに知見まで高めて、アウトプットとして仕事に反映していくかが問われているのである。そういう仕事への取り組みをしていれば、論文にもなるし、本にもなる、ということだろう。

 そのための具体的な方法論(ワザ)を本書から盗み取ればよい
 
 ただ欲をいえば、新しい世代の、情報技術を使いこなして「知的生産」に従事する事例を大幅に増やして欲しかったところだ。


<初出情報>

■bk1書評「ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ」投稿掲載(2010年2月25日)
■amazon書評「ワンランク上を目指す人は「勉強法」の本もさることながら、こういった「知的生産」の方法論からワザを"盗み取る"べきだ」投稿掲載(2010年2月25日)


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<収録者一覧>

●常に問題解決型思考で臨む(寺島実郎 述)
●1冊のノートさえあれば情報の整理ができる(奥野宣之 述)
●知とはイーグル・アイで考え、人と会って話を聞くこと(北康利 述)
●小論文指導こそ我が基本(樋口裕一 述)
●現代ピラミッドの建設を提唱する(武者陵司 述)
●宇宙を構想して身の丈で生きる(望月照彦 述)
●温泉で心と体を治し、「温泉学」の確立を目指す(松田忠徳 述)
●鉄道と二宮尊徳が「知」の原点(野村正樹 述)
●「実体験が「知の源泉」(久保田達也 述)
●「現場の知」を創造する(久恒啓一 述)
●領域を超え、大きな流れにつながる(久米信行 述)
●世界中に手作りおもちゃ教室を広げる(昇地三郎 述)
●「世界を書斎に」リベラルな国際活動を目指す(小中陽太郎 述)
●イノベーションを生み出すための仕事術(小山龍介 述)
●知識よりもアウトプット力(望月実 述)
●Moso力で社会起業家的プロジェクトを(松山真之助 述)
●「オンリーワン人生」を楽しむ(舛井一仁 述)
●自然体で、高いレベルのアウトプットを生み出す(山田真哉 述)
●優れたデータベースシステムから優れた企画を生み出す(原尻淳一 述)
●落語に知の究極を見る(田中靖浩 述)
●暴れる「情」を「知」で抑える(小飼弾 述)


 なんだか「♪昔の名前ででています」(小林旭)なんて感じの面々だなあ。
 「さおだけ」公認会計士・山田真哉投資家でブロッガーの小飼弾の世代をもっと増やすべきだったと思うのだが・・・


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2010年4月20日火曜日

書評 『本当にヤバイ!欧州経済』(渡邉哲也、 三橋貴明=監修、彩図社、2009)




欧州経済へのレクイエム-欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知るための必読書

 欧州の金融経済を専門としない私のようなビジネスマンが、日々の断片的情報をから大きな見取り図を描くことは難しい。
 著者のブログも見ていない私のような者にとっては、こういう形で単行本として一冊になったものを読むことで、はじめて事の重大さに気がつくことになる。

 欧州経済が想像以上に危機状況にあることは、本書に目をとすことで確信に変わった。サブプライム問題の震源地である米国よりもひどい状況にある欧州、われわれはすでに日本でバブル経済の崩壊と失われた10年(・・いや20年)を経験しているのだが、欧州経済の崩壊が、想像を絶するスピードと規模で一気に進行したこと、そして回復までの道のりがはるかに遠いことを思い知らされた。1997年のアジア金融危機の比でもない。
 デレバレッジ、レパトリエーション、リワインド・・・日頃聞き慣れない金融用語の意味も、恐怖とともにアタマのなかに刻み込まれることになる。

 サブプライム問題の首謀者であり真犯人であるドイツ銀行、欧州の金融システムに大きな影響を与えたドイツのヒポ・リアルエステート、爆弾を抱えたままのフランス、衰退する金融立国でかつ貯蓄率の低い英国の暗い見通し、不動産バブルの崩壊したスペイン、欧州経済崩壊の引き金となりかねない中東欧の新興諸国、そしてその中有東欧諸国に大きく貸し付けているスウェーデンの銀行、金融強化の流れの中、口座の秘匿性を維持できなくなったスイス・・・。
 これら各国の金融状況は、バブル崩壊のメカニズムを知っている人間にとって、これは恐怖以外の何者でもない現実である。また、そこから導き出される将来予測は暗澹たるものとしかいいようがない。
 
 おそらく、そうでなくても衰退過程にある欧州は、さらに衰退スピードに拍車がかかったというべきであろう。
 また、発行に際して国家の裏付けのないユーロの脆弱性政治主体である国家と通貨管理主体である欧州中央銀行(ECB)が別個の存在である二重構造ゆえに、政策決定のスピードが極度に遅い欧州連合の脆弱性。こうした事実から、われわれ日本人が得るべき教訓は実に多い。「友愛」にもとづくアジア連合など、愚策の最たるものであることがわかる。

 情報ソースも明示された本書は、欧州経済の現状についての正確な見取り図であり、また欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知ることのできる警告書でもある。
 2009年11月の本書出版後も、時々刻々と悪化する欧州経済の状況が報道されているが、いまからでも遅くない、ぜひ本書を一読して情報武装することをすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「欧州経済へのレクイエム-欧州連合と欧州共通通貨ユーロについての真相を知るための必読書」投稿掲載(2010年4月6日)


<書評への付記>

 上記の書評を書いたあとにさらに追い打ちをかけるような事態が発生している。
 2010年4月15日に噴火したアイスランド火山が噴出させた大量の火山灰のため、欧州の主要空港が本日(2010年4月20日)現在でもロンドンのヒースロー空港は閉鎖されたままとなって、すでに6日目に入っている。
 航空会社が損害を被っているだけでなく、何よりもヒトもモノも移動が止まっているために、計り知れない大きなダメージを欧州の政治経済に与えている。

 現在の懸案事項であるギリシア問題も、スペインで開催された ASEM にもアジアから政治家が参加できない状況・・・
 アイスランド火山も現在は小康状態になりつつあるが、火山活動が収束したわけではなく、いつまた噴煙を噴き上げるかわからない状況だ。
 そうでなくても金融破綻によって大きな問題を引き起こしたアイスランド、今度は不可抗力の天災とはいえ、なにやらシンボリックな自然現象でもある。

 欧州経済が世界恐慌の引き金とならなことを祈るばかりである。


<ブログ内参考記事>          

「不可抗力」について-アイスランドの火山噴火にともなう欧州各国の空港閉鎖について考える




            


            

2010年4月19日月曜日

「不可抗力」について-アイスランドの火山噴火にともなう欧州各国の空港閉鎖について考える


              
 ヨーロッパでは本日(2010年4月19日)現在で、24カ国の空港が閉鎖されている。

 アイスランドで火山が噴火し、桁違いに大量の火山灰が噴出されたためだ。航空機の運行には大きく2つの面で影響を与える。一つは視界不良になること、もう一つはエンジンの多大に損傷を与えることである。こういった状況では運行停止も仕方がない。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という名言を残したのは、物理学者で随筆家の寺田寅彦だが・・・

(つづきは http://ken-management.blogspot.com/2010/04/blog-post_19.html にて)




                   

2010年4月18日日曜日

満80歳を迎える強運の持ち主 「氷川丸」 (横浜・山下公園)にあやかりたい!




 先週土曜日(2010年4月17日)、ひさびさに横浜にいって、山下公園に係留されている氷川丸(ひかわまる)を観覧してきた。日本郵船に勤務する友人に誘われたからで、氷川丸を観覧したのは実は初めての経験だ。

 午前中は41年ぶりの積雪となった南関東だが、午後は天気も晴れて実に気持ちがよかった。何よりも、海の空気をたっぷり胸のなかに吸い込むと、生き返るような心持ちになる。とくに太平洋にむかって開かれた横浜港は、世界とじかにつながっているのだという思いが、人間を開放的にしてくれる。

 氷川丸は、1930年に建造され就航した日本郵船 (NYK:Nippon Yusen Kaisha)の貨客船である。今年2010年4月25日で、ちょうど建造から満80歳を迎えることになる。まさに、いま時の人ならぬ、時の船である。

 戦前はまだ航空機の時代ではなく、客船の時代であった。客船の時代にはまさに花形であった豪華客船も、第二次大戦中には徴用されて病院船として、また敗戦後は引き揚げ船として使用された。

 しかし、戦争中も米海軍の魚雷攻撃にも遭遇せず、その結果まったく沈没することもなく、現在は引退してから久しいが、誕生から80歳を祝うことができるのである。

 もちろん現在では、氷川丸からはエンジンもプロペラもとりはずされいるので自ら動くことはできないが、渓流されている船内を200円で内部を観覧することができるのは、たいへんうれしいものである。

 かつて、1930年代の「豪華客船の黄金時代」に活躍していた氷川丸の内部には、ほとんどホテルのスイートルームのような一等船室、またラウンジや図書室やカクテルバーなど、在りし日の後か客船の旅を偲ばせる姿が、そのままの形で保存されている。

 日本郵船は、世界一周航路を展開する豪華客船「飛鳥」を就航しているが、現在は基本的にはコンテナによる貨物輸送が事業の中心である。戦前は旅客輸送が中心であったことを想起するためにも、氷川丸の保存とと公開は意義ある事業だといっていいだろう。


 友人の話では、氷川丸は日本郵船の数ある貨客船のなかでは、魚雷攻撃にあわずに生き残った唯一の船であるという。絶対に沈まなかった船、「幸運の船」としての氷川丸

 しかも、ブリッジの操舵室の神棚には氷川神社が祭られていることを知った。

 氷川丸に氷川神社、たんなる偶然か、それとも見えざる手が働いたのか。なにやら非常に霊験あらたか、ではないか。

 友人は、氷川丸で氷川神社のお札やお守り売ったら絶対に売れるのに、というのだが、これにはまったくもって賛成だ。売り出されたら、何よりもまず、私がまず買いたいくらいだ。小舟で荒海にこぎ出した私の課題は、とにかく沈まないこと、それに尽きるから。

 ちなみに、氷川丸以外の貨客船はどうだったのだろうか、と友人にきてみたところ、とくにそうしたことはしていないようだ。浅間丸が浅間神社、秩父丸が秩父神社だったかどかうかはわからない。

 いっそのこと、氷川丸自体をご神体にして神社にしてしまえばいいではないか。宗教法人としての資格を満たすかどかはわからないが。

 「絶対に沈まなかった氷川丸詣で」が、新規開業者など起業家のあいだで熱烈な信仰を生み出せば、お札やお守りなどのグッズの販売や、成功した企業家による寄付金などで、船体の維持修繕費くらいは稼げるのではないだろうか。なんて考えてみるのも面白い。事業計画でもつくってみるかな。

 いずれにせよ、強運の持ち主であった氷川丸には、私はあやかりたいと強く思ったのであった。

 「運も実力のうち」とは、よくいうではないか。

 なお、日本郵船は、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のもう一人の主人公・岩崎弥太郎が創りあげた会社であることを、付け加えておこう。三菱商事とともに三菱財閥の源流となった海運事業である。

 日本は海洋国家である、このことをいま一度かみしめたいものだ。


<付記>

特別展「船をとりまくアール・デコ」


 なお、氷川丸80歳を祝って、山下公園から徒歩で約20分のところにある「日本郵船歴史博物館」では、特別展「船をとりまくアール・デコ」が開催されている(2010年2月27日~6月6日)。
 アール・デコ(art deco)は、まさに氷川丸誕生の前、1920年代に一世風靡したアート様式である。日本のアール・デコが、欧州航路を就航する、当時最先端の豪華客船の内装や、宣伝用ポスターとして残っているという事実。世界のアートの同時代的現象として面白い。
 この特別展示も、あわせてぜひ見ておきたいものである。



<関連サイト>

◆日本郵船歴史博物館 氷川丸  http://www.nyk.com/rekishi/index.htm
◆NHK大河ドラマ「龍馬伝」 http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/


<ブログ内関連記事>

書評『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)

書評『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

書評『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む 


<アール・デコ関連の展覧会情報>

「美しき挑発 レンピツカ展」にいってきた


PS. 海運は開運に通ず

 いまふと気づいたが、海運は開運に通じる。横浜の氷川丸は開運の船。太平洋戦争中も沈没を免れてこのたび80歳を迎えた「幸福の船」とされているが、「開運の船」というべきなのだ。(2010年5月3日)



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2010年4月17日土曜日

書評『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)ー ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」





「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジンスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい


 最近ふたたびドラッカー・ブームになっている。

 「ドラッカー経営学」をもっとも熱心に学んで受け入れ、高度成長を実現したのが日本企業であったことから、この流れが続いていくことはたいへん結構なことである。今後も長く影響を及ぼしていくことだろう。

 日本人が理解してきたドラッカー、日本人が誤解しているドラッカー、この両面を知るうえでも、まずこの『知の巨人ドラッカー自伝』をよむのがよい。

 本書はドラッカー(1909-2005)唯一の自伝とうたわれているが、正確にいうと少しだけ違う。訳者解説でも触れられているように、ドラッカーには欧州から米国に移住した時代までの前半生を題材にした『傍観者の時代』という、実に面白い本があるのだ。

 しかし、生誕から晩年にいたるまでのライフヒストリーを簡潔に語ってまとめられたのは本書だけだろう。何といってもビジネスパーソンにとっては、「マネジメント」という概念を発明した米国時代以降が面白い。GMから依頼された巨大企業組織の徹底調査から、「マネジメント」という概念が誕生したのである。

 本書の記述はあまりにも簡潔すぎるのが玉にキズだが、訳者によるインタビューによって補足されているので全体像をつかむことができる。また、訳者インタビューによって初めて明らかになった事実もあるので、その点は興味深い。 

 ドラッカーについて知るための、ドラッカー自身による入門書になっているといってよい。いわゆる礼賛本や解説本とは違い、ドラッカーによる肉声は正確な事実を後世に伝えることに徹している。




単行本初版のタイトル『ドラッカー20世紀を生きて-私の履歴書-』とあるように、日本経済新聞社の人気連載企画「私の履歴書」の一つとして、27回にわたって連載されたものだ。当時まだ日経を読んでいた私も、この連載をリアルタイムで読んで、たいへん興味深かったという記憶をもっている。

 このドラッカー自伝は、前半が退屈なウィーンから脱出し、さらにナチスドイツから逃れたロンドンからも沈鬱だとして脱出し、最終的に米国に移民として落ち着くまでの欧州時代を、後半が米国で全面的に開花して「経営学の父」となった後半生を描いている。幕末維新の激動期を生ききった福澤諭吉は、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にせい)を経(ふ)るが如く」と述懐しているが、ドラッカーの人生もまたそのとおりであるといっていいだろう。前半生の欧州人としての体験なくして、後半生の「マネジメント生みの親」が誕生しなかったことが、この自伝を読むと理解される。

 「マネジメント」という概念は、「マネジメント」という既存の学問から生まれたのではない、自学自習による幅広い知識とさまざまな職業体験によって培われた、鋭く深い観察眼から生み出されたものなのである。

 ドラッカーは、狭い意味の「経営学者」というワクに収まるような人ではなく、自らを「社会生態学者」と称していたことはもっと広く知られていい。文庫版では、ドラッカーに「知の巨人」というタイトルがつけられることとなったが、「経営学者」よりもこの称号のほうが、はるかにふさわしい

 自ら提唱していた「知識社会」の到来で、ドラッカーは今後もはるかに仰ぎ見る存在として、あるいは目指すべきロールモデルとして、生き続けていくことであろう。

 ビジネスパーソン以外の一般読者にも、「ドラッカー自身によるドラッカー入門」として、ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)
■amazon書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)



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<書評への付記>
        
 ドラッカー(Drucker)という名字について、ピーター・ドラッカー自身が第一次世界大戦前にハプスブルク帝国、正確にいうと、オーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンに生まれた人なので、ドイツ系だろうと思って、ドイツ語の辞書を引いて調べてみたことがある。

 Drucker(男性名詞)印刷工、印刷業者
 Druck(男性名詞) 圧力をかけて押すこと、印刷すること
  <drucken 印刷する、圧搾する

 
 本書によれば、ドラッカー家の祖先は、オランダで宗教書の印刷業をやっていた、とある(第12話)。オランダ語とドイツ語は近い関係にあるから、意味も似たようなものだろう(*)。本書の記述によれば、オランダにはいまでも Drucker という名字をもつファミリーが多いという。

(*)その後、『講談社オランダ語辞典』(講談社、1994)で調べてみたら、drukker は印刷工、印刷会社という訳語が載っている。動詞の drukken からの派生語である。発音はドゥルッカーか。(2020年9月22日 追記)

 おそらく推測するに、ドラッカー家の先祖はプロタスタントだったのではないだろうか。プロテスタンティズムが聖書を印刷することで普及したことは歴史的な事実である。印刷術は当時最先端の技術であった(*)。

(**)ところが、この記述は間違いだった。ドラッカーの先祖はポルトガルからオランダに脱出したセファルディム系で、両親はともにユダヤ系だがいずれもキリスト教に改宗していた「同化ユダヤ人」である。哲学者のスピノザもまたセファルディム系のユダヤ人であったが、その思想ゆえにユダヤ教会から破門された。

wikipedia英語版に以下の記述がある。

Peter Drucker was of Jewish descent on both sides of his family, but his parents converted to Christianity and lived in what he referred to as a "liberal" Lutheran Protestant household in Austria-Hungary. (2013年10月19日 追記)。


 オーストリア人のペーター・トゥルッカーは、父親の教育方針によって、子どもの頃から英語とフランス語を習得していたという。英国を経て、最終的に米国に落ち着いて、ピーター・ドラッカーとなる。

 ギムナジウムのギリシア・ラテンの古典教育も受けているが、こういった人文教育が崩壊しつつある最後の世代であったようだ。もっとも、本人はギムナジウムは面白くないので、自学自習する生活態度が身についたといっている。

 ブダペスト生まれのユダヤ系ハンガリー人・アンドリュー・グローブも、子どもの頃に父親の方針で英語を勉強していたことが、ハンガリー動乱で国を脱出し難民となったときも、米国に移民できることになったと述懐している。

 本書によれば、ドラッカー自身もグローブの米国定住にはチカラを貸している。ハンガリー人が、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国の臣民の子弟であることもまた、何らかの意味で難民救済事業にドラッカーを向かわせたのだと推測できる。

 オーストリア出身で米国で大成功した有名人としては、シュンペーターなどの知識人を除けば、ハリウッド俳優でカリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガーがいる。シュワルツネッガーもドイツ語なまりの英語をしゃべっているが、ドラッカーもそうであったことを、訳者で解説者の牧野洋が書いている。


 一般に知られている「経営学者ドラッカー」は、GMのコンサルタントになって徹底調査をおこなったことによって誕生した存在で、長年にわたって大企業の経営コンサルタントと大学教授をつづけてきた人である。

ところで、元代議士の栗本慎一郎"先生"が、まだ大学の"先生"だった頃の著作に、ブダペストの天才たちを描いた『ブダペスト物語-現代思想の源流をたずねて-』(晶文社、1982)という、忘れられた好著がある。

 本書にも交友関係の重要な一人として登場する、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(この人もユダヤ系)に関連したエピソードがある。

 この件についてドラッカーに質問状を送ったところ、来日したドラッカーから直接自宅に電話がかかってきて、奥さんが驚いたというエピソードが、「第2章 革命と恐慌の嵐をひかえて」の冒頭に記している。ドラッカーの『傍観者の時代』を一つの導きとして、『ブダペスト物語』が書かれていることも紹介しておきたい。

 ドラッカー自身は、「退屈なウィーン」から脱出し、最終的には米国に定住することにした人だが、ハプスブルク帝国の高官を父親にもったドラッカーに、これらハプスブルク帝国関連の人脈などがあることが、少なからず影響を与えていることは知っておいたほうがいい。
 
 そういうコンテクストのなかに置いてみると、メイキング・オブ・「知の巨人ドラッカー」の形成過程について、より深く知ることができるはずだ。

 世紀末ウィーンが、また世紀末ブダペストが、大量の天才たちを生み出したインキュベーターとなっていたたことは、思想史では常識である。この件については、機会をあらためてまた書いてみるつもり。



<関連サイト>

「私の履歴書 復刻版」  ピーター・ドラッカー 第1回 基本は文筆家 「マネジメント」を発明 95歳、なお講義続ける ピーター・ドラッカー(経営学者) (日経BiZアカデミー、2014年10月2日

(2014年12月26日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

レビュー 『これを見ればドラッカーが60分で分かるDVD』(アップリンク、2010)
・・「経済よりも社会のほうがはるかに重要だ」というドラッカーの発言がすべてを言い表している。「マネジメントはサイエンスでもアートでもない、プラクティス(実践)である」という発言も

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典 ・・ドラッカーは「思想家」として読むべきなのだ

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)-「やる気のある若者たち」への応援歌!
・・大前研一はドラッカーについては、かつて講演会でともにしたことが何度もあるといい、敬意を表しつつも、1980年以降なぜ米国でドラッカーが読まれなくなったかについて、貴重なコメントを行っている

ドラッカーは時代遅れ?-物事はときには斜めから見ることも必要
・・ホリエモンの発言が印象的

書評 『世界の経営学者はいま何を考えているのか-知られざるビジネスの知のフロンティア-』(入山章栄、英治出版、2012)-「社会科学」としての「経営学」の有効性と限界を知った上でマネジメント書を読む
・・「ドラッカーなんて誰も読まない!?  ポーターはもう通用しない!?」という帯のキャッチコピー

人生の選択肢を考えるために、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』は、できれば社会人になる前に読んでおきたい名著
・・「実践」としての政治と、「学問」としての政治学は、まったく別物である

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった ・・オランダのユダヤ系(セファルディム)だった哲学者スピノザ

(2014年8月18日 情報追加)


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